火曜日, 1月 27, 2026
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TX延伸論議に見る つくば市の狭い視野 《吾妻カガミ》136

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つくばエクスプレス

【コラム・坂本栄】茨城県がTX県内延伸の4方向案(茨城空港、水戸市、土浦市、筑波山)を示したことで、その線上・目標に位置する自治体が自分たちの所へと誘致に乗り出し、地元の政治家も加わって騒々しくなっています。しかし筑波山を抱えるつくば市は、TXの終始点であることに満足しているのか、特に動いておりません。

ポイントはどこで常磐線にクロスさせるか

茨城空港、水戸、土浦の各方向誘致については、「TX石岡延伸推進協議会」、「TX水戸・茨城空港延伸促進協議会」、「TX土浦延伸を実現する会」が立ち上がりました。土浦の様子は記事「TX土浦延伸へ決起集会 市民参加で競合2団体に対抗」(6月12日掲載)をご覧ください。

茨城空港、水戸、土浦への延伸ラインはもちろん別々です。しかし、石岡、水戸、土浦の主張は「空港まで延ばせ」と言っている点では共通しています。水戸の場合、まず空港まで延ばし、さらに空港→水戸を要求していますが、石岡と土浦は「うちの市内で常磐線と交差させ、空港まで延ばせ」と言っているからです。

水戸が、空港→水戸は後回しにし、常磐線で交差する駅→水戸駅(TXの一部JR乗り入れ、残りは茨城空港直通)を受け入れれば、ポイントは「どこでJR常磐線にクロスさせるか(つくば駅と空港を直線で結ぶと高浜駅のちょっと北=石岡市内=で交差)」になります。

TX県内延伸=研究学園と茨城空港の連結

こういったことを考えると、メデイアでよく使われる「TX県内延伸」という言い方は「学園都市と茨城空港の連結」と言い換えるべきです。

10~20年先を展望すると、首都圏の2国際空港(羽田と成田)だけではビジネス・トラベル客をさばけなくなります。ロシアと中国の特異な行動によって、当分、国際ビジネス客の移動は抑制されるでしょうが、いずれ正常化します。訪日外国人旅行客は、コロナ前の何倍にもなるでしょう。そうなると、首都圏に国際空港がもう1つ必要になります。

第3空港として米軍横田基地の転用が検討されているものの、同基地は対中戦略の前線センターでもあり、民間空港化は難しいでしょう。そこで、①拡張が比較的容易な茨城空港の第3空港化、②空港へのアクセス鉄道としてTXの茨城空港延伸―をセットにして、国に実現を働きかけたらどうでしょうか。国家プロジェクトになれば、地元の負担は少なくて済みます。

TXが常磐線と交差して「茨城国際空港」につながると、つくば市は米国のボストン市に並ぶ学園都市になります。水戸、石岡、土浦の3市と組み、茨城空港延伸キャンペーンに参加すべきなのに、つくば市は「つくば止まり」で満足しているようです。TXを東京へのアクセス手段とだけ考えているようでは、視野が狭すぎます。(経済ジャーナリスト)

斎藤さだむさんのつくばセンタービル地肌空間など 3年ぶり「写真工房」写真展

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展示されている、つくばセンタービルの改修過程で露わになった地肌空間を撮影した斎藤さだむさん(左端)の作品=つくば市民ギャラリー

つくば市を拠点に活動する写真サークル「写真工房」(太原雍彦会長)の「2022写真工房写真展vol.19+(プラス)」が、同市吾妻のつくば市民ギャラリーで開かれている。

顧問を務める同市在住の写真家、斎藤さだむさん(73)が、つくばセンタービル1階改修工事の過程で露わになった地肌空間を撮影した写真15点を展示するなど、会員ら11人が思い思いのテーマで撮影した写真計約110点が展示されている。新型コロナの影響で3年ぶりの開催となった。

写真工房は、同市主催の写真講座に参加した有志が2002年に結成し、20年になる。会員は約15人で、毎月1回例会を開いているほか、年2回撮影会に出掛けるなどしている。

斎藤さんのつくばセンタービル地肌空間は「史(ふみ)のあかし」と題した作品だ。第3セクター「つくばまちなかデザイン」による改修過程で、骨組みの状態に戻ったつくばセンタービルの、曲線を描く天井のコンクリート地肌や、象形文字が記されているのかと見まごう太い円柱の柱の地肌などを撮影している。「地肌空間を行き来し、40年という時間に思いをはせながら撮影した」という。

写真工房の写真展の様子

会員の藤澤裕子さんは、自宅の庭に咲くヒルザキツキミソウの花や、セミの抜け殻、カブトムシの幼虫などを撮影し、写真を重ねたり、反転させたりした作品10点を展示している。「日常見る庭の植物や昆虫を、非日常的な植物や昆虫として作品化した」。

ほかに、2020年7月に亡くなった会員の佐藤乃理子さんをしのんで、佐藤さんが撮影した写真のほか、例会や撮影会の様子を撮った写真などを展示している。佐藤さんは、コンクリートの建物に止まるトンボなど、都市の昆虫を好んで撮影した。「最初は近代文明を批判した作品かと思ったが、どんな状況であっても、今生きているということを佐藤さんが優しく見ていたことが分かり、母性的なまなざしに驚いた」と斎藤さんは振り返る。

斎藤さんは「それぞれが自己を探求しながら表現方法を探った。それぞれの語り口の面白さをぜひご覧いただきたい」と話す。

◆会期は7月2日(土)~10日(日)。開館時間は午前10時から午後4時30分、最終日は午後4時まで。入場無料。

ウクライナのニュース 《くずかごの唄》111

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葦(あし)の繊維で作った和紙に丸木俊さんが描いたカッパの絵

【コラム・奥井登美子】

「毎日、ウクライナのニュースを見ていると、僕はどういうわけか、丸木さんがあのニュースを見て何を言われるか、知りたいと痛切に思うようになってしまった」

「ご夫婦で原発の絵を担いで、世界中を行脚して回っていらしたわね。ウクライナはいらしたのかしら?」

「さあわからない…。2人とも、人類の悲劇を実際に見て、絵にしたんだもの、すごい人だよ。昔、位里さんと俊さんが、2人でうちへ来てくれた日のことも、つい、昨日のように思い出してしまう」

土浦市の奥井薬局の2階で、「丸木位里(いり)・俊(とし)展」をやったことがあった。250人もの人が駆けつけてくれて、盛況だった。お2人は我が家に泊まって、おしゃべりして、家のふすまが白いのを見て、刷毛(はけ)と墨汁(ぼくじゅう)を使って、大きな絵を描いてくださった。

生前葬やったの、覚えている?

「10年前、日仏薬学会の市川一郎さんが、東京・本郷の画廊を1週間だけ借りて、丸木夫妻の絵を持ち寄って丸木展をやったね」

「本郷でやったから、中外製薬、日仏薬学会、薬史学会の友達がたくさん来てくれて、展覧会の最後の日、あなたの生前葬儀もやったの、覚えている?」

皆、薬の専門家だから、大動脈解離という病気の恐ろしさをよく知っている。亭主が大動脈の中膜が37センチも乖離(かいり)して、意識不明になり、救急車でお茶の水の東京医科歯科大病院・救急病棟に運ばれて、運よく命を取り留めたといういきさつを知って、集まった人達が、皆、びっくりしていた。

そこで、またいつ死んでもいいようにと、いつのまにか、丸木展覧会の最後の日が生前葬別会になってしまったのだ。

人類の究極の悲劇を実際に見て、絵にした丸木夫妻の大きな深い優しさ。私たち2人とも、どれだけ助けられたのか測りしれない。(随筆家、薬剤師)

臭いやアルコール対策示すも反発の声相次ぐ つくば洞峰公園事業で県の説明会

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洞峰公園リニューアル事業に関する県の説明会=つくば国際会議場で開催された住民説明会

つくば市二の宮にある茨城県営の都市公園、洞峰公園(約20ヘクタール)で進められるリニューアル計画で、県は2日、同市竹園のつくば国際会議場で説明会を開いた。県と事業者による初の説明会。つくば市から懸念の声が出ていたグランピング施設とバーベキュー(BBQ)施設の臭いやアルコール対策について、県と事業者から対策が示されたが、参加した市民からは「洞峰公園を変える必要はない」など反発の声が相次いだ。つくば市民を中心に約150人が詰めかけ、県の説明に対し、会場からは厳しい反応が相次いだ。

臭いやアルコール対策について、パークPFI事業者「洞峰わくわく創造グループ」代表の長大が計画の一部見直し案を示した。①BBQ施設を当初計画していた冒険広場から、グランピング施設を整備する野球場中央に移す②炭焼きBBQは取り止め、煙が出ないガスグリルに変更する③深夜は管理人がおらず無人になる計画だったが、グランピングエリアの管理棟に24時間、管理人を常駐させる④夜9時以降はサイレントタイムとし騒いでいる人がいたら管理人が対応する⑤グランピング施設の周囲に目隠しとなる木製の柵を設け、景観に配慮する⑥南側駐車場の拡張(127台分)は、駐車台数を減らすことも含め、樹木をなるべく伐採しないよう計画を再検討するーなど。

一方、県は、公園全体が変わってしまうわけではないこと、パークPFI事業によって県が支出している指定管理料を年間6000万円削減でき、年平均8000万円かかる体育館やプールの大規模修繕を計画的に行える見通しが立ことなどを強調した。

収支計画の開示要求に答えず

これに対し参加した市民からは、グランピング施設を収益事業の柱と位置付ける計画について、収支計画の開示を要求する意見が複数出された。長大が「民間事業者として、ノウハウも含めて収支計画は出すことができない」と答えると、会場から「これでは市民は計画の妥当性を判断できないではないか」など非難の声が投げかけられた。今回の目的の一つである、老朽化する体育館やプールの改修計画についても、収支計画を公開するよう求める声が出た。これに対し、県が公開時期を明確にできなかったことから、怒声が飛び交った。

絶滅危惧種など希少動植物が生息していることが市民から指摘された問題について県は、市民の意見を踏まえつつ、今後の対応を検討したいと答えるにとどまった。

県は、これらの収益事業を実施できない場合、財政上の理由から、公園内のテニスコートや体育館など既存の施設利用料を6割程度値上げする必要があるという試算案を提示した。参加者からは、質問や意見が途切れず、予定時間を30分延長した。

■説明会の今後のスケジュールは以下の通り。(定員は各回100人=先着順)
▽7月12日(火)午後7時~9時 谷田部総合体育館(つくば市谷田部4711)
▽21日(木)午後7時~9時 同(同)
▽31日(日)午後2時~4時 洞峰公園体育館(つくば市二の宮 2-20)

会場で記入可能なアンケートについては、県のウェブサイト(「洞峰公園パークPFI事業に関する説明会及びアンケート調査の実施について」)を通じて回答できる。

説明会参加者と、県・事業者との質疑の主なやりとりは以下(次ページ)の通り。

挫折経験を強みに活躍するチームリーダー 土浦市 池田あゆみさん【ウーマン】3

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笑顔を絶やさない池田あゆみさん= 土浦市川口

土浦市田村町在住、池田あゆみさん(42)は、生命保険会社の土浦営業部に勤務して8年目の支部マネジャー。チームリーダーとしての仕事に「楽しくてやりがいがある」と笑顔で話す。余裕を感じさせる姿勢は、食いぶちを稼ぐための水商売を振り出しに、幾多の失敗や困難で得た経験によって培われた。

16歳で家出して水商売に

陸上自衛隊の自衛官だった父親の霞ケ浦駐屯地への異動で、小学6年のときに阿見町中央に引っ越してきた。4人きょうだいの末っ子。しつけが厳しく過干渉な母親から逃げたくて、中学3年になるとプチ家出を繰り返すようになった。

「夕方家に帰りたくなくて公園にいることが多かった。お腹が空いて、公園に隣接したコンビニが食べ残しの弁当を裏手の物置に入れるのを見ていたので、こっそり持ち出して食べました。(人の食べ残しに)抵抗はなかった。冬は学校のジャージだけで寒くて辛かった。行く当てはなくて翌朝には家に帰りました」

高校生になっても家は息が詰まり、週末は友だちと土浦の中心街に出かけるのが常だった。当時は駅前通りに大型店の小網屋や西友、丸井があって賑わい、路上でワゴン車に積んだ倒産品などを売る30代の男性、ノリさんと顔なじみになった。

何度もノリさんに「自分で稼いで食べていきたい」と訴え、夏休みが終わる頃、家出してノリさんの住む東京・小岩の高級クラブで働き始めた。クラブを経営していたママはノリさんの知人で、ママが衣装を貸してくれた。年齢は4歳サバを読んで20歳で通した。

水商売は高収入が得られると甘く考えていたが、クラブは「大人の社交場」。世間知らずで知識も乏しく、客と会話が続かず居場所がなくて傷ついた。退職を申し出て阿見町に戻ったのは高校1年の3学期だった。

夜職で稼ぎ高校、短期大学を卒業

挫折したがめげなかった。勉強に遅れをとったし戻りたくないが、ここで高校を諦めたら学歴は『中卒』になる。それは嫌だ。「働きながら一から出直して学歴を手に入れよう」と決めた。

在籍していた普通高校を自主退学して定時制高校昼間部に入学。その後、高卒認定(旧大検)に合格して大学受験の資格を取り、東京文京区にあった女子短大で英語を学んだ。

定時制高校と短大の学費や、土浦に住む友人の部屋に同居してからの食費と生活費は、土浦桜町のスナックで働いて捻出した。

「クラブの二の舞にならないよう、先輩の接客を見習って会話術を身につけました。スナックの閉店は深夜になるのは当たり前で、いつも睡眠不足でした。短大時代は土浦駅で常磐線に乗り込んで座ると同時に爆睡。通学時間が睡眠時間でした」と振り返る。

金銭感覚マヒ? 堅実な暮らしにかじを切る

短大卒業後は旅行会社の準社員として採用されたが、5年先輩の給与が新入社員の自分と変わらないことを知り、希望が見えずに2年で退職して水商売に戻った。

接客スキルが上がって収入は多い月で50万円、日払いなら1万円になった頃、金銭感覚がおかしくなっていることに気づいた。「高額な商品でも〇日働けば手に入ると迷わず買ってしまう。計画を立てるとか、やりくりという考えがなくなっていました」。

「こんな生活を続けていたらサラ金に手を出すようになって自滅する」と実家に帰った。それまでの親不孝を言葉で詫びることはしなかったが、両親は黙って受け入れてくれた。家族で夕食を囲む幸せを実感したという。

堅実な暮らしをしようと派遣会社に登録し、稲敷市にある大手食品・飲料会社の工場に職を得た。工場は常時稼働し、社員は3交代制で操業を支える。

世間に縛られ1人育児で力尽きる

正社員に登用され、社内結婚して実家に近いアパートで暮らし始めた。27歳だった。2年後に長男、翌年次男が誕生。次男の産休を終えて復帰してから過酷なワンオペ育児が始まった。

早朝5時、眠っている2人を布団から車内に移して職場に向かい、工場内の保育所に預けて始業7時に滑り込みセーフ。帰宅後は夕食、風呂、寝かしつけ、翌日の保育園の準備と息つく暇もなかった。

3番目の長女が生まれると、育児疲れから誰とも話したくないなどの産後うつの状態になり、長女が2歳を迎えた頃に力尽きて退社した。

「育児に協力しない夫に不満を抱えながら、『男は仕事、女は家事』という性別役割分業に縛られ、夫は自由でいいなと思っていた」と話す池田さん。「世間の目も気になって良い妻を演じていた」とも。

池田さん=土浦の街角で

後輩のキャリアアップと新人教育に尽力

専業主婦になり、中学の同窓会で「働いてみない?」と誘われたことをきっかけに生命保険会社に入社した。当初は「自分にできるか」と不安だったが、水商売で身につけた会話力が武器になった。加えて、お金の大切さを知り尽くした池田さんだからこその提案が顧客に信頼された。

気がつけば入社2年半で新人3人を採用し、着実に営業成績を伸ばしたことで支部マネージャー(チームリーダー)になった。現在、池田さんのチームはシングルマザーを含む6人。主力業務の採用活動をこなしながら、仲間のキャリアアップの支援と新人育成に取り組んでいる。

子育てなどで社会の一線から退いた主婦が、復職した時に立ちはだかるのが顧客とのコミュニケーションだという。池田さんが同行するなど会話力を養う一方で視野が広がり、やがて主婦のレッテルが取れていくという。

池田さんは「営業ウーマンの育成だけでなく、積極的に社会とつながり、女性の立場で堂々と発言できる人を育てていきたい。それが女性たちの生きやすさにつながると思うから」と語ってくれた。(橋立多美)

「キーパーソン」 《続・気軽にSOS》112

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【コラム・浅井和幸】「キーパーソン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。病院への入院や介護施設に入所するときの手続きや連絡先などの協力をする人を指すことがあります。家族などが担うことが多いですが、身寄りがない方の場合は弁護士や施設の職員などが担うこともあるようです。

それ以外に、地域福祉でも支援時に課題解決のカギを握っている人という意味で使われることがあります。例えば、コミュニケーションの取れないひきこもりの方への支援としてのキーパーソンとして、接する機会が多い家族や友人、すでに支援をしているワーカーなどが挙げられるでしょう。

「悪いのは自分ではない、社会の方だ」という信念から、支援者とは会いたくない、何をされるのか分からずに怖いと感じている方は多いものです。支援を受けるなんて迷惑をおかけして申し訳ないと考えて、かたくなに支援を拒む方もいます。

良い悪いではなく人は支え合い、その多様性の中で生きていくものです。生活上で何か支障があれば、頼れるところを頼ることは大切なことです。

しかし、頼ることに慣れていない人が、そうそう簡単に支援者を利用することを選択できないことは当たり前のことです。心身にある程度の余裕がなければ、新しいことを始めることがさらなるストレスになり、避けたくなるのは不思議なことではありません。

そのようなときに、新しいことを取り入れることができる、周りの少しでも余裕のある方に関わってもらうことは、事態を変化させることにポジティブな影響を与えます。いろいろな関わり方のできる人が周りにいることは、複数の選択肢を得ることになります。

だれかの手を握りやすい状況になる

なので、支援者はキーパーソンを探すことが大切なことです。そうそう計画通りに進むことがない難しいケースであっても、たくさんの手が差し伸べられていたら、被支援者(利用者)が自分の意思で動こうとしたときに、だれかの手を握りやすい状況になるのですから。

被支援者の可能性を広げることが大切なことで、支援者が自分の信念でキーパーソンを決めつけて固定してしまうことはとても危険です。例えば、不登校は両親の仲が良ければ改善するという信念を持っている支援者は、「両親」をキーパーソンにして、さらに固定してしまいがちです。

実際にあったことですが、両親が仲良くなることが大切なので、不登校の子に直接会えるのに両親とばかり話しをして、いつまでたっても(といっても私からすれば短い期間でした)仲良くなるような兆候が見えないから、諦めてその家族との関わりを止めるという自称カウンセラーに接したことがあります。

課題の解決はいつも同じ道を同じようにたどるとは限りません。現状を変えたいと思い言動を変えていける些細(ささい)な積み重ねができる人が、できるところから変化させていくことが大切なのです。抱え込むことは避けなければいけませんが、大きな変化、安直なきっかけばかり追わずに、ほんの些細なかかわりの積み重ねを大切にしましょう。(精神保健福祉士)

あまり話さない息子と、あまり話さない私《ことばのおはなし》47

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【コラム・山口絹記】あなたは、生まれてはじめて自分が発したことばを覚えているだろうか。

まぁ、覚えていないだろう。でも、親であれば自分のこどもが初めて発した意味のある(と思われる)ことばは覚えているのではないだろうか。我が家の上の娘も、最初は「まんまんま」とか「わんわん」とか、おそらく統計的にもよくあることばから話し始めていた。

しかし、下の1歳になる息子があまり話さない。

今年から保育園に通い始めたのだが、ついに保育園の先生に「あまり話さない」ということで心配されてしまっていた。普通はそろそろ「ママ」とか「わんわん」とかいうんですけど、ということらしい。かわいそうに、2人目のこどもということで、だいぶ適当に育てられている彼。母子手帳に書かれているような発育具合のチェックも適当になっていて気が付かなかった。

とはいえ、特に心配していなかったのには一応理由があった。保育園の先生にはなんとなく言えなかったのだが、すでにいろいろボキャブラリーがあったのだ。

一つは「でてって?(出ていけの意)」。何か気に食わないことが起きたり、私の帰宅時に飛び出すひとこと。これは姉のマネである。

もう一つは「うんてぃ、でたぁ(実際は出てない)」。まさかの「ママ」「パパ」より先に飛び出した二語文である。初めて聞いたときはだいぶ驚いたが、何も出ていないのが紛らわしいことこの上ない。困ったことである。他にも、「べろべろばぁ」とか、「てぃんてぃん」なんてことも言う。我が子ながらずいぶんと陽気な1歳児だ。

でもここにはことばがある

そして、ここ数日、ついに「まんまんま…」と言い出した。きちんと母の方を向いているので、たぶん理解して発話しているような気がする。さらには昨夜、隣の部屋から「パパパパパパ…」という声も聞こえたのだが、のぞき込むとにこにこして黙る。その場を離れるとまた、背後から「パパパパパ…」と聞こえる。私を呼んでいるわけではないのかもしれないし、もしかすると、からかわれているのかもしれない。まぁ、彼の真意を知ることはないのだろう。

息子と2人で近所のスーパーに買い出しに出ているとき、ふと数年前、私も頭の中の血管が破裂してことばが話せなくなったことを思い出した。あの時の私は、今の息子よりもことばを話すことができなかった。ことばのない、とても静かな景色を見ていた。

何かを見つけて駆けていったと思ったら、ふと振り返った息子がクシャッと笑った。そして次の瞬間には地面を歩くアリを捕まえている。食べないでくれよ?

今となってはすっかり話せる私と、あまり話さない息子。2人の時間はとても静かである。どちらもあまり話さない。でもここにはことばがある。私には見えるのだ。(言語研究者)

日本はプーチンのロシアになるのか 《ひょうたんの眼》50

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庭のアジサイ

【コラム・高橋恵一】プーチンのロシアの理不尽なウクライナ侵攻を見て、日本の危機と防衛力の強化が叫ばれている。よくメディアに登場する「専門家」は、防衛省関係者・自衛隊幹部OB、あるいは旧大日本帝国の残影が残る関係者が大半だ。

「専門家」の解決策は、ロシアを押し返して、妥協できるところで停戦するシナリオだろうが、それまでにどれだけのウクライナ人が死ななければならないのだろう。ロシアの兵士は何万人死ぬのだろうか。世界の穀倉地帯の混乱で飢餓に陥る人々は16億人を超すとも予測されている。

プーチン大統領は、核兵器使用もいとわないという、無茶ぶりだ。NATO欧州加盟国は、防衛費をGDPの2%に増額するという。長期戦略として効果的かどうかも疑わしいが、少なくとも今のウクライナには間に合わない。

現在の日本の防衛予算は世界第8位。取りざたされているGDPの2%になれば、米国、中国に次いで、世界3番目の軍事費大国になる。

プーチンの侵略行為が、先の大戦のナチスドイツや大日本帝国軍の行動によく似ていることを考えれば、日本の防衛力強化は軍国日本の復活ともとられ、世界や日本国民が受け入れるとは思えない。世界は、そう見るのだ。

当然、中国もロシアも北朝鮮も、対抗して防衛力を強化する。それどころか、日本を警戒する意味で、韓国、台湾、フィリピンなどとの緊張も高めてしまうかもしれない。米国も、軍事産業部門以外からは、歓迎されないのではないか。

それにもかかわらず、憲法まで変え、日本の防衛力の抜本的強化を図る意味があるのだろうか。

不戦は日本の義務

ウクライナについては、「人命」と「人間の尊厳」保護を最優先して、現状で「停戦」するしかない。国連が、その役割を果たすしかない。

プーチンのロシアには、国際法も人道も通じない。先の大戦のナチドイツや大日本帝国の戦争と同じだ。だから、戦闘が予測される地域の外に市民を避難させ、現状で停戦する。どちらに不満があっても、これ以上の戦争継続は世界経済も地球環境も破滅するだけで、人類が滅びかねないからだ。

兵器は限りなく進化(?)高度化(?)するので、絶対的な攻撃力や絶対的な防衛などはありえない。中国で「矛盾」という言葉が生まれたのは何千年前なのだろう?

一方、大戦の反省から、日本人が苦難の末にやっと獲得した行動規範が、日本国憲法であり、その前文で「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、(その実現を果たすために)名誉ある地位を占めたい。全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定している。

不戦は日本の義務でもあるが、世界に履行を求める要求でもあるのだ。「核兵器禁止条約」はその第一歩であり、日本が締約国会議にオブザーバー参加もできなくて、どうするのだ。参院選で新しくなる国会議員は、どういう態度をとるのであろうか?(地図好きの土浦人)

安売りカメラ店 《写真だいすき》9

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この店で買った機材に、ボクはずいぶん助けられてきたものだ

【コラム・オダギ秀】また昔の話で、ゴメン。でも、店への愛を込めて書きたいのだ。とても若いころ、写真家仲間が頼りにしていた安売りカメラ店のことだ。

新宿の裏通りのその店は、間口が2、3間ほどだったろうか、住宅のような、お店とは思えないようなところだった。ガラスの引き戸を開けて入るとカウンターがあり、商品は並んでいない、カメラや写真の材料を売る店だった。近所にかつて浄水場があったので、その名前が付けてあった。

カウンターで「トライ、長巻き、2缶」のように言うと、無口な細っこいアンチャンが奥の棚から品物を持って来てくれた。貧しいカメラマンたちには、ありがたい安売り店だった。品物は並んでいないから、何というどんな商品か、価格はいくらならいいのか、わかる者だけが出入りする店だった。プロ機材ならまず手に入ったし、価格に不満なこともなかった。安かったのだ。

1年ぐらいしてからか、天井に穴を開け、2階の倉庫から品物をひもで吊り下げるようになって、品ぞろえとスピードが少し増し、店員も2人から5人くらいに増えたと思う。

昔、写真は、フィルムという感光シートか、それを細く巻いたロールで撮影していた。フィルムはパトローネという小さな金属ケースに巻き込まれていて、パトローネには36枚撮影分のフィルム入り、というのが普通だった。

プロやそのタマゴたちはパトローネ入りではなく、ずっと長くてコスパのいい100フィート入りの缶を買い、適当な長さにフィルムを切って、使用済みのパトローネに詰め、フィルム代を安くあげるようにしていた。

フィルムは真っ暗闇で作業しなければならないから、長巻きを両手で拡げて何枚撮りにするか、見ないでできるように、明室で目隠しして練習を繰り返した。

後には、店のDPEで出たものだろうか、使用済みのパトローネが捨てずに店の隅に置いてあり、ボクらはずいぶんそれをもらって使った。使用済みとはいえ、たいていは使えるものだったから、ありがたかった。

今では、あめだって売っている

ある時、新宿近くでバスに乗っていたら、ボクが写真材料の袋を抱えていたからだろう、離れた席からどこかのオッチャンがわざわざボクの所にやって来て、うれしそうに、でもヒソヒソ声でいい店があるんだよと、その店を教えてくれた。ボクは、知ってるよと返事してから、仲間だねと言って2人で笑った。

その店はどんどん大きくなり、プロの写真の店ではなくなった。今では何店もあり、いろんなものを売っている。今朝、ボクはその店のネットで、キャラメルを買った。今では、あめだって売っているんだぜ。

夕方に届いたそのキャラメルを口に含み、安さと早さに「あのころと変わんねえな」と思いながら仕事を続けた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

つくばの坂路で実証実験 森林総研に電動四足歩行ロボット

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四足歩行ロボット「Spot(スポット)」が坂路を上り下りしてみせた=つくば市松の里、森林総合研究所

森林総合研究所(つくば市松の里、浅野透所長)は28日、ソフトバンク(本社・東京都港区、宮川潤一社長)と取り組む「電動四足歩行ロボット」による実験を公開した。スマート林業の実現と脱炭素社会をめざし、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの委託を受け、21年度からロボットの歩行実験を行っていたもので、6月から研究所内の施設で実証実験を開始した。

取り組むのは「NEDO先導研究プログラム/農山村の森林整備に対応した脱炭素型電動ロボットの研究開発」。傾斜角度が30度までの斜面の上り下りが全自動で出来るアメリカ製の四足歩行ロボットを採用して、森林環境において、高精度な自動歩行がどこまで可能になるか、通信の改善をどのように実現するか、など実地に検証する。

造林作業向けに開発

従事者の高齢化や担い手不足から、わが国の木材自給率は40%程度に留まり、国産材の供給力の強化が林業の課題になっている。近年は特に木材を伐採した後、新たに苗木を植えての「再造林」が進まないことが悩みになっているそう。

抜根や下刈りなどに人手を要するうえ、傾斜地での作業となるため労働負荷が大きい。この「造林」作業にマッチした走行性能を有するモビリティーの開発を目指している。具体的には、シカの食害対策のため設置する防鹿柵の点検、苗木の運搬、森林資源の調査・計測などの作業を想定している。

21年度は森林総研と連携協定を結ぶ北海道下川町で、造林地や急傾斜地、積雪などの環境下で電動四足歩行ロボットの歩行能力について調査・検討を行った。一定の条件下であれば斜面や障害物などがあっても安定した歩行ができることが分かった。

今年度は作業が可能な地表面の凹凸や柔らかさ、傾斜などを明らかにする。また、設定したルートを自動で歩行する機能や、複数台のロボットで協調作業を行うためのシステムの開発に取り組む。造林地の多くは携帯電話の電波が届かない場所だが、ロボットを運用するために衛星通信や長距離・広範囲をカバーするWi-Fiなどの複数の通信手段を用いて、ロボットが自動で歩行するための通信環境の構築や検証を行うとしている。

森林総研には傾斜角が10度、17.5度、25度などのスロープを持つ「築山」と呼ばれる屋外実験施設があり、28日には四足歩行ロボットが12キロほどの荷物を背に、上り下りを繰り返してみせた。ここでプログラムを組み替えながら模擬的な実験を行い、順次筑波山や下川町の実証フィールドで個別検証する形になるという。

森林総研の宇津木玄研究ディレクターは、再造林が進まない理由に、伐採の収益が経費を下回る構造をあげる。アメリカ製ロボットは価格こそ明かされなかったが、軍事用から民生用に転用された高スペックの高額商品という。宇津木ディレクターは「実際にロボットが導入されるとしたら、全く別のものになるはずだ。将来的には、できるだけ国産の技術でロボット開発を進めたい」との考えでいる。(相澤冬樹)

500号の大作も 県つくば美術館で「茨城の美術セレクション」展

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大作、意欲作が並ぶ「茨城の美術セレクション」展=つくば市吾妻、県つくば美術館

茨城県で活躍中の作家たちの作品を展覧する「茨城の美術セレクション」展が28日、県つくば美術館(つくば市吾妻)で始まった。県の美術界を代表する27人の作家による日本画6点、洋画16点、彫刻5点を展示する。

今年1月に県近代美術館(水戸市)で開かれた「第12回現代茨城作家美術展」に出品した100人の中から27人、27点の作品を選抜して展示する。19日までの県陶芸美術館(笠間市)に続く移動展覧会で、来年3月1日から12日には県天心記念五浦美術館(北茨城市)開催と、それぞれ異なる作品の展示となる。

昨年の開催では約1400人が来場した。作家自身が来場者に技法や制作への思いを話す「ギャラリートーク」が毎回好評だが、今回は来場者との対面スタイルでは実施せず、会期終了後にYouTubeでトークの動画を配信予定だという。

会派やジャンルの垣根を越えた大作が一堂に会する。展示された作品の中には、500号の大きさの絵画2つで構成された筑波大学名誉教授、玉川信一さんの作品「愚者の階梯(かいてい)」や筑波大教授、仏山輝美さんが自らの顔や手をモチーフとして描いた作品「月光」など、生と死を感じさせるような作品が並ぶ。

県美術展覧会事務局(水戸市千波町)の学芸員、天羽かおるさんは「生と死のテーマは作家が生きていく中で突き当たる必然。現役の作家が今まさに感じていることを表現している。コロナ禍以後は、作品にじっくり対面し丁寧に見られている方が多くなった。肌感覚だが、以前より特に男性で、お一人で来場される方が増えているように感じる」と話す。

市内から訪れた男性は「図書館に寄ったついでに見に来た。近代的な感じの作品が多く、おもしろい展覧会」と話した。(田中めぐみ)

◆「茨城の美術セレクション」展は7月10日まで。開館時間は午前9時30分~午後5時(月曜休館。最終日は正午まで)。入場無料。

病院はそろそろ建て替え? 霞ケ浦医療センターの鈴木さん【キーパーソン】

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霞ケ浦医療センターの鈴木祥司院長。壁には海軍元帥、東郷平八郎の書が掛かる

土浦市の高台、下高津にある霞ケ浦医療センターは築53年になる。10数年前、勤務医が激減、それに伴い利用者が減り、廃院を取り沙汰されたこともあった。しかし、行政や大学を巻き込んだ病院改革が進み、医師の数は元に戻り、利用者も増えている。鈴木祥司院長に、どんな方法で危機を脱したのか?建て替えプランは?などについて聞いた。

霞ケ浦医療センターは「霞ケ浦海軍病院」に始まり、戦後まもなく「国立霞ケ浦病院」として出発。土浦市や近隣の人たちから「コクリツ」と呼ばれ、県南地域の医療を担ってきた。そして2004年に独立行政法人となり、「国立病院機構霞ケ浦医療センター」という長~い名の病院として再出発した。

存亡の危機→土浦市と筑波大の支援で再生

「存亡の危機に陥った」のは、「(国の)臨床研修制度の変更」(2004年)が主因。大学病院自体の研修医が減ったことから、それまで大学の病院から国立病院に派遣されていた医師が引き揚げられ、「50人近くいた医師が18人、内科はたった1人」に激減。総合病院の体を成さない、ほぼ産婦人科だけの病院となった。運営上は2008~2010年ごろが一番大変だったそうだ。

ここで土浦市が動く。2011年に市代表、県代表、機構代表、筑波大学代表などから成る「将来構想委員会」が発足。翌12年、「(当時の)中川市長と市議会の英断で」実現した寄付講座がテコとなり、病院内に「筑波大学付属病院・土浦市地域臨床教育ステーション」を設置。大学病院から教官3人が派遣され、筑波大の地域拠点病院になるとともに、地域医療の教育機関としての役割を担うこととなった。

現在、筑波大からの教官派遣は5人に増え、県内8カ所の地域臨床教育センター(当初の「ステーション」を改称)の1つとして、診療・教育・研究を行っている。これに伴い、筑波大から次々と医師が集まり、医師数は48人(2022年現在、筑波大出身がほとんど)に戻った。一時は減少した病院利用者も増え、「ずっと赤字だった収支は2017年から黒字となった」

建て替え、病院機構本部の優先順位は高い

黒字化に伴い、古くなった病院の建て替えも検討されたという。ところが、国の診療報酬引き下げにより、全国140病院を統括する病院機構本部の「経営」が悪化。赤字に転落したことから、全国すべての国立病院で、新規の病院建て替えなどの大型設備投資が凍結された。この投資ストップは今も続いている。

病院にとって大事なのは、患者を診る職員と医療機器であり、入れ物(建物)ではない。しかし、新しい建物は職員の志気を高め、利用者の病院への信頼も高める。鈴木さんは「建て替えには、機構本部の収支好転が必要。そして地域の信頼が最も大事。当センターは古いこともあり、建て替えの優先順位は高い」と読んでいる。

当面は、コロナ禍の経験も踏まえ、感染症対応など外来機能を強化する施設の改修を急ぐ。加えて、古くなった病棟(現在250病床)の改修に向け、約12万平方メートルの病院敷地の一部を老人介護施設などに貸し、その賃料を病院経営に回すことも検討している。

【すずき・しょうじ】1990年秋田大学医学部卒。同年、筑波大学臨床医学系内科・循環器内科レジデント。民間病院を経て、2000年国立循環器病センター・心臓血管内科スタッフ。2005年米シーダーズ・サイナイ メディカルセンター(加州)リサーチフェロー。2007年茨城県立病院・循環器内科部長。2011年霞ケ浦医療センター副院長。2013年から院長。ほかに、筑波大臨床教授、茨城県医師会副会長、日本循環器学会専門医など。千葉県生まれ、58歳。つくば市在住。

【インタビュー後記】霞ケ浦医療センターは、土浦市・筑波大と連携し、医師の教育・研究を支援しながら、地域医療を担う「市民病院」となった。鈴木さんは、病院医療、在宅医療、老人介護をつなげ、「土浦を医療・福祉のモデル地域に」と語る。行政と大学のコラボによる再生物語は新築病院で完結するわけでなく、その先も続く。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

コーヒーの木を買って考えた ものの値段 《続・平熱日記》112

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【コラム・斉藤裕之】草刈りのアルバイトから戻ったら、まずはシャワーを浴びて昼飯。午前中だけの作業とはいえ、炎天下の数時間の労働はこたえる。「おお、今日はソーメンか!」

すると、「ちょっと欲しいものがあるんだけど」。カミさんにしては珍しいおねだり?「コーヒーの木が欲しいんだけど」。「は?」。カミさんの口から出たのは、意外な言葉だった。「コーヒーの花ってどういうのか、知ってる? 白くてねえ、すごくいい香りがするんだって…」と、聞き返される前に説明を始めるカミさん。

要するに、コーヒーの花を見てみたいが、ある程度の大きさの木にならないと花は咲かない。ついては、先日立ち寄ったコーヒーの専門店で、花を咲かせそうなコーヒーの木を見かけたので、是非買い求めたい、ということのようだ。

はて、これまでもコーヒーの木を目にすることはあったはずだが…。確かに花を見たことはないし、そもそも日本の気候には合ってないんじゃ…。ビニールハウスで栽培しているとか、沖縄でどうのこうのというのは聞いたことはあるけど…。

とにかく、その店でコーヒーの木にひとめぼれをしたということだと理解した。「それで、そのコーヒーの木はいくらすんの?」って聞いたら、「〇〇円。でも安いと思うの!」。カミさんはネットで調べていたらしいが、その金額に少しひるんだ私。

「それにもうすぐ誕生日だし…」というダメ押しの一言。そういえば、このところ特にプレゼントもしていないなあと思って、ソーメンを流し込んでその店に向かった。

草を刈って草を買うとは

店に着くと、お目当ての木が見当たらない。店員さんに尋ねてみると、風が強いので裏の倉庫に入れてあるという。「これをください」。元気そうな葉を身に着けた木は、ぎりぎり軽のバンに乗るほどの高さだった。その店のシンボルツリーのような存在だったのか、店員さんも名残惜しそうに見送ってくれた。

カミさんは以前園芸店で働いていたことがあって、植物のことは一通り詳しい。だから、日当たりだの水やりだのは口を出さにことにしている。結果、2階に置くのがいいだろうということになった。大きさといい葉の緑といい、なかなかいい感じだ。うまく育てれば花も期待できるし、店員さん曰く、実もなるかもしれないということだった。

こうして我が家にやってきたコーヒーの木。せこい話だが、はじめはその値段が随分と高いものに思えた。貧乏性の私としては、何かと比較してなんとか納得しようとした。食べ物、洋服、電化製品…。

しかし、実用的なものの値段と比べてもしっくりこない。何でもかんでも安いのが当たり前の、消費文化に麻痺(まひ)させられていた自分に気づかされた。例えば、自分がこの木をこの大きさまで育てるとして、その手間や年数を考えると、その値段は妥当なものに思えた。 そして結局、私の基本的な金銭感覚は肉体労働の時給だと理解した。草刈り3日分の日当で、カミさんにお誕生日プレゼントを買ってやれたわけだ。草を刈って草を買うとは…。実は、カミさんは挿し木も得意で、増やしたコーヒーの木を娘たちにもプレゼントしてやりたいという。梅雨のころが挿し木にいいのだそうだ。(画家)

つくば市に脅迫メール

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つくば市役所

つくば市は27日、市役所に対し「28日に幼稚園児及び女子学生を誘拐する。市役所及び市施設のスプリンクラーにつながるタンクに薬物を混入した」などとする脅迫メールが届いたと発表した。

24日に市のホームページにメールが届いた。市はつくば警察署に連絡し、市内の保育施設や幼稚園、小中学校、保護者に注意喚起の通知をした。

さらに庁舎内の給水設備を点検し、各施設にも点検や注意喚起を実施した。27日までに給水設備に異状はないという。

28日は各学校で職員などの見回りを強化し、登下校時の安全確認を行うとしている。

同様の内容の脅迫メールは全国各地に送られている。被害は出ていないという。

63人に誤った投票用紙渡す 参院選期日前投票でつくば市

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記者会見で謝罪するつくば市選挙管理委員会関係者

参院選の期日前投票で、つくば市は27日、誤った投票用紙を63人に渡したと発表した。比例代表選挙の投票の際、茨城選挙区の用紙を渡してしまい、63人はそのまま誤った用紙で投票した。

63人の比例票が有効か無効かについて市は、県を通じて総務省と相談している。県選挙管理委員会は、所定の投票用紙で投票しなければならないと公選法で定められており、投票は無効票となってしまう可能性が高いとしている。

市選挙管理委員会(南文男委員長)によると、26日午前10時からイオンモールつくば3階で実施された期日前投票で、茨城選挙区の投票の後、比例代表の投票をする際、比例代表の白い投票用紙を渡すべきところ、誤って選挙区のクリーム色の投票用紙を渡してしまったとされる。

同日午後0時20分ごろ、その日64人目の有権者から指摘があり、投票用紙が違うことが分かった。

投票用紙は選挙区と比例代表の2種類あるが、朝、投票用紙の準備をする際、投票事務の担当職員が、保管庫から選挙区の投票用紙だけを取り出し、比例代表の投票用紙を取り出さなかった。市の事務要領では本来、投票用紙の準備は複数で確認するとされているが、もう一人の職員がその場を離れていたなどから、単独で投票用紙の準備を行ったのが原因という。

同会場での期日前投票は午前10時から始まり、計4人の職員が選挙事務に当たったが、午後0時20分に指摘を受けるまで、だれも誤りに気付かなかったという。

誤った投票用紙を渡してしまった63人に対しては今後、市選挙管理委員会委員と市幹部が自宅を訪問し、謝罪するとしている。再発防止策として市は、投票用紙準備のチェック表を作成し、28日から、複数で投票用紙を確認するよう徹底するとしている。

南委員長は「選挙事務の執行に関し、信頼を損ねる結果となってしまったことに対し深くお詫びします」としている。

規模縮小し研究学園駅周辺に変更 まつりつくば2022

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まつりつくば2022のメーン会場になる研究学園駅前公園

つくば市最大の夏祭り「まつりつくば2022」(まつりつくば大会本部主催)について、同市は27日、今年は規模を縮小し、会場を変更して、8月27日と28日の2日間、TX研究学園駅近くの研究学園駅前公園と周辺道路で開催すると発表した。

まつりつくばは41年前の1981年に初めて開催されて以来、つくば駅周辺で催されてきた。会場が研究学園駅周辺に変更されるのは初めて。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年と21年は中止となっており、今年は3年ぶりの開催となる。

市観光推進課によると、詳細はまだ固まってないが、ねぶたやみこしの一部が同駅前公園の周辺道路をパレードするほか、公園内ではステージイベント、バザー、スポーツイベント、ふれあい広場などを開催する予定だ。

ねぶたパレードは例年、つくば駅近くの土浦学園線を通行止めにして10基ほどが練り歩いたが、今年、何基出るかは現時点で未定という。

まつりの開催時間は、例年午後9時までとしていたが、今年は両日とも午後8時までと1時間繰り上げる。

会場変更について、まつりつくば事務局の市観光推進課は「今年は規模を縮小するので、土浦学園線という大通りを通行止めにすることは難しかった」とする。

会場の変更は、今月22日の本部会議で正式決定したが、異論などは出なかったという。

今年のまつりつくばについて同課は「新型コロナの状況下で何ができるか、今年は新しい形の祭りを試すことになる」とし、来年以降については「来年に向けてどうするのか、つくば駅周辺も含めて、今年のまつりつくばが終わってから、改めて協議したい」としている。

「まつりつくば2022」のプログラムについては、内容が決まり次第、順次、大会本部のホームページなどに掲載するとしている。

筑波大出身の代表監督 U-23アジア杯3位を報告

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スポーツアドバイザーの大岩剛監督を迎える、関彰商事・関正樹社長〈左)=つくば市二の宮

19日までウズベキスタンで開かれたサッカーのU-23「アジアカップ2022」(アジアサッカー連盟=AFC=主催)に出場していた21歳以下日本代表を率いた大岩剛監督(50)が27日、つくば市二の宮の関彰商事(関正樹社長)つくばオフィスを訪れ、3位入賞を報告した。大岩監督は同社スポーツアドバイザーを務めている。

次はパリ五輪予選

大会には16カ国が参加。23歳以下のチームが闘う大会で日本代表は、2024年に開催されるパリオリンピックを念頭に、21歳以下のチームで臨み、3位決定戦でオーストラリアに快勝した。日本代表は3位となったことで、パリ五輪予選となる次回大会で、グループリーグを分ける際に有利となる「ポット1」の獲得が確実となった。

大岩監督は大会を振り返り、「優勝を目指していたし、そのチャンスがあっただけに悔しいが、(オリンピック最終予選に向けて)最低限の結果を持ち帰ることができた」とした上で、「他国は23歳以下。その中で(21歳以下で)闘うことはタフだった。この結果は評価できると思う」と話した。オリンピック予選に向けた今後の強化ポイントについては、「アジアでは通用してもヨーロッパや世界で通じないことはある。全体的に個人の能力をあげていかなければ」とした。

静岡県出身の大岩監督は、1991年に入学した筑波大学で蹴球部主将を務めた。その後、名古屋グランパス、ジュビロ磐田でプレーし、2003年から鹿島アントラーズに移籍し、鹿島のリーグ三連覇に貢献するなど中心選手として活躍した。2011年に選手を引退後はアントラーズでコーチ、監督を歴任し、2021年4月U-21日本代表監督に就いた。関彰商事のスポーツアドバイザーには2020年就任し、同社のスポーツ支援活動や運動部活動などをサポートしている。

学生時代を過ごしたつくば市に対して「学生として暮らしていた街。愛着がある」と話す大岩監督。筑波大のOBが監督を務めるチームとして、U-21日本代表に「つくばや茨城のみなさんに関心を持ってもらい、応援していただけたらとてもうれしい」と語った。(柴田大輔)

終わっていない水俣病だが… 《邑から日本を見る》114

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農薬を使わない有機栽培のミカン畑

【コラム・先﨑千尋】5月下旬、鹿児島市から熊本県水俣市に向かった。高速道路を使うと2時間余。山の中をひた走り。ここにも2人の朋(ほう)友がいる。1人は、水俣病患者支援のために水俣に入り、そのまま居ついてしまった大澤忠夫さん。もう1人は、市長として初めて水俣病患者に陳謝し、水俣病問題の解決に当たり、新しい水俣づくりに奔走した吉井正澄さん。

「公害の原点」と言われた水俣病が南九州の片隅で発見されたのは、経済白書が「もはや戦後ではない」と書いた1956年のこと。チッソが波静かな不知火(しらぬい)海の一部である水俣湾に猛毒のメチル水銀を垂れ流し、魚を通して周辺漁民や住民の人体を蝕(むしば)み、今なお被害に苦しむ人たちが大勢いる水俣。今回も、チッソ水俣工場の正門、毒を流した排水溝と埋立地、小さな漁港、水俣病歴史考証館などを1日歩いた。

大澤さんが京都にいた頃、水俣病患者に出逢い、1973年に水俣に移住した。水俣病患者たちは、海が有機水銀で汚染されていたため漁業ができず、陸に上がって山を切り開き、甘夏の栽培を始めた。当時の甘夏栽培には20回もの農薬を散布していたが、「他人に毒を盛られた者は、他人に毒を盛らない。加害者になりたくない」と、農薬や除草剤の散布を止めた。

そして、大澤さんは生産者たちと「反農薬水俣袋地区生産者連合」(反農連)を結成し、反農薬、有機栽培、自主販売を柱に、甘夏をはじめとする柑橘(かんきつ)類、野菜などの出荷を行うようになった。

こうして生産された甘夏は、表皮が“がさくれ”。見た目が悪く、売れない。大澤さんはその甘夏をリュックに詰め込み、つてを頼って売り歩いた。当時、私は『消費者レポート』で「ガサクレミカンを食べてください」という大澤さんの記事を読み、水戸市の友人たちと共同購入を始めた。それが私と水俣との出会いである。大澤さんには水戸まで来てもらったこともある。酒が回ると、カセットにスイッチを入れ踊り出す。座は一気にはじける。

今回、ミカン畑にも連れて行ってもらった。海が間近に見え、眺めはいいが、急斜面。高齢でミカンづくりを止める生産者が増えているという。大澤さんの家も、息子、娘の2代目に代わっている。

記憶を呼び覚ますものが消えている

吉井さんは市内の山奥に住んでおり、90歳になる。1994年に水俣市長に当選し、水俣病患者の精神的な救済を優先課題とし、市民の意識革命に取り組んだ。「環境モデル都市」をめざし環境学習に力を入れ、22分類のごみ収集、リサイクル工場の誘致など、行政だけでなく、市民が参加する活動を展開した。出身が市街地や海岸沿いではないため、客観的な見方、考え方ができたのだと思える。

私には、2000年に同市で開かれた「環境自治体会議」が忘れられない。私が司会を担当した分科会には、吉井市長のほか、岐阜県御嵩町長の柳川義郎さん、鎌倉市長の竹内謙さん、東海村の村上達也さんが出席したが、たまたま直前に柳川町長が暴漢に襲われるという事件が起こり、岐阜、熊本両県警の警備の人たちが会場をぐるりと取り囲んだのだ。

吉井さんの住まいの周辺は皆、棚田。石積みの田んぼを見ると先人の苦労がしのばれる。今でもトラクターに乗ると言う吉井さんは、がんが再発したそうだが、若々しい。田畑を上ったり下りたりだから、足腰が鍛え抜かれている。文章を書き続けているので、頭もさえている。

水俣は進化し続ける町。そう思いながら水俣通いをしてきたが、今回は市内では水俣病の記憶を呼び覚ますものが消えている。なぜなのだろうかと考えながら、水俣をあとにした。(元瓜連町長)

雨男・晴れ男 《短いおはなし》4

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

雨と晴れなら、晴れの方が好き。
きっと9割くらいの人がそう答えるはず。
私、間違っていないよね。

好きだった彼は究極の雨男。初めてのデートは台風級の大雨。
会うたび雨。いつも雨。彼の人生、大切な行事はすべて雨だったと打ち明けられた。

大粒の雨が窓ガラスを叩(たた)く小さな部屋で「結婚しよう」と彼が言った。
不器用だけど優しくて、きっと私を大切にしてくれる。
嬉(うれ)しかったけど、ふと考えてしまった。
彼と一緒にいる限り、この先の行事はすべて雨。
結婚式も新婚旅行も、絶対雨だ。
子どもの行事も家族旅行もすべて雨だ。

迷っていたときに現れたのは、取引先の御曹司。
出会ったばかりでグイグイ来られて、ついに誘いに乗ってしまった。
初めてのドライブは、最高の青空。グレイの雲がみるみるうちに去っていく。
「俺、究極の晴れ男なんだ」
彼が言った。私の中で、何かが揺れた。

彼とのデートはいつも晴れ。降水確率80%をも覆すパワー。
テニスにゴルフ。キャンプにバーベキュー。
楽しくて、結局私は、晴れ男を選んだ。
土砂降りの日に雨男と別れ、秋晴れの日に晴れ男と結婚した。

だけど幸せは続かなかった。
晴れ男は、家庭を顧みない遊び人で、子どもが生まれても協力どころか無関心。
たった3年で離婚した。離婚した日も悲しいくらいの晴天だった。
優しかった雨男の彼を思い出す毎日。やっぱり私、間違えた?
ひとり息子の晴太(はるた)は、父親に似て晴れ男。
入園式も遠足も、雨に降られたことはない。
しかし幼稚園最後の運動会、ピカピカのお天気だったのに、年少組のかけっこが始まる辺りから、何やら雲行きが怪しくなってきた。
そして突然降りだした大粒の雨。
運動会は一時中断で、みんなテントの中に避難した。
「予報、雨じゃなかったのにね」と困り顔の保護者たち。

そのとき、ひとりの男が園庭の真ん中に出てきて頭を下げた。
「すみません。この雨は、僕のせいです」
思わず息をのんだ。彼だ! 究極の雨男の彼だ!
「僕が来たら雨が降ることはわかっていたのに、どうしても息子が走る姿を見たくて来てしまいました。ごめんなさい」
ふくよかな女性が走ってきて、彼の隣で同じように頭を下げた。
「夫が雨男ですみません」
たちまち起こる爆笑の渦。怒っている人なんて誰もいない。

ああ、そうか。私もこんなふうに彼を支えればよかったのか。
ずぶ濡(ぬ)れなのに幸せそうなふたりを見ながら、自分の愚かさに気づいた。
雨に濡れるくらい、どうってことないのに。

彼が帰ったと同時に、雨が止んだ。
園児たちが、いっせいに走り出す。喧騒(けんそう)の中、取り残された気分でしゃがみ込んだ。
「ママ」と晴太が私の手を握った。
「虹が出てるよ」
見上げると、空いっぱいの虹が、地球をまるごと包んでいる。
なんて優しくて、なんて美しい。
ああ、そうだ。私、やっぱり間違っていない。
自分で選んだ人生だもの。
私は、世界一愛しい小さな晴れ男の手を、ぎゅっと握り返した。(作家)

人材の育成・発掘・登用:過去に学ぶ 《文京町便り》5

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】岸田首相は、2021年9月の自民党総裁選からの「新しい資本主義」を、22年6月公表の骨太方針で重点分野は「人への投資」と具体化した。「人への投資」を抜本的に強化するため、3年間で4000億円規模だ。この金額が妥当・十分かどうかも問題だが、誰がこうした人材育成を担うのか。

社会的な行き詰まりを振り返ると、江戸時代末期が参考になる。幕藩・鎖国体制下の江戸時代の後期には、「読み書きそろばん」の修得を第一義とした藩校や寺子屋・道場などが全国に普及していた。一方で、蘭学などの実践的な学問も、長崎・出島や大阪・適塾などの限定された機関で教授されていた。

さらには、西南雄藩は武器調達のみならず、実用知識を目指して、自藩の若者を留学生として(幕府には秘密裏に)派遣していた。

こうした動きは全国に広がり、幕府も各藩もそれぞれの窮状を打破するために(日本全体での国難という認識よりも、自藩の立て直しが優先されていた気味があるが)、積極的に人材を登用し始めた。幕府が派遣した使節団を見てみよう。

津田梅子、福沢諭吉、渋沢栄一…

第1は、安政7年1月(1860年2月)の遣米使節団で、正使、副使、目付・小栗忠順など総数77名が米艦に乗船。軍艦咸臨丸(かんりんまる)に、軍艦奉行、船将・勝麟太郎(海舟)など91名が随行。年少の津田梅子は日本人初の女子留学生として、福沢諭吉も随員として参加。

第2は、文久遣欧使節団で、文久元年12月(1862年1月)、総数38名がヨーロッパに派遣された。日本人として初めて第2回ロンドン万博を見学し、随員には福沢諭吉や福地源一郎もいた。

第3が、第2回文久遣欧使節団で、文久3年12月(1864年2月)、総勢34名がフランスに向かい、パリ協約の成果はあったが幕府は破棄している。

第4は、慶応3年1月(1867年2月)の訪欧使節団で、第2回パリ万博への正式参加を主目的に、将軍慶喜の弟昭武が名代だった。渋沢栄一、箕作麟祥、佐野常民などが同行していた。しかし、慶応3年10月14日(1867年11月9日)の大政奉還の報を1868年1月に受け取ることになった。

人材は登用すべきもの

このほか、幕府最初の海外留学生11名(榎本武揚、赤松則良、津田真道、西周など)は、文久2年9月(1862年11月)、長崎からオランダに向かった。萩藩士・伊藤博文、井上馨など5名も、文久3年5月(1863年6月)、横浜から英国に密出国している。

こうしてみると、その後活躍した人物は、海外渡航という千載一遇のチャンスをリスクとみなさずチャレンジした随員や脱藩者などに多い。派遣した幕府や各藩では当初の主目的は果たせなかった(見返りは得られなかった)が、結果的には、その後(明治期)の日本にとっては不可欠になった。散在していた有為の人材を発掘・登用できたのである。

私の結論は、人材は育成されるものではなく、登用すべきものである。問題は、だれがどのように発掘するか、である。(専修大学名誉教授)