月曜日, 12月 29, 2025
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大学生による里山保全活動《宍塚の里山》109

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落ち葉のプールにダイビング

【コラム・森本信生】法政大学・市ケ谷キャンパスを中心とした学生で構成される環境系サークル「キャンパス・エコロジー・フォーラム(キャンエコ)」は2002年10月以来、毎月1回(コロナ禍による休止時期を除く)、宍塚の里山で活動しています。

キャンエコは、主に棚田班と里山班の2つで構成され、棚田班は千葉県鴨川市の大山千枚田で、里山班は宍塚の里山で活動しています。学内サークル満足度1位の人気サークルで、OB、OGは841人とのこと。東京から高い交通費を使って、月1回、30~40人のメンバーが参加しています(TXの回数券が廃止されたのが痛手ですが…)。

活動は多岐にわたっています。湿地保全のために過繁茂する柳の伐根や外来種の抜き取り、雑木林の林の下にも光が当たり里山独自の植物が育つための落ち葉かき、落ち葉のプールでのダイビング、水路の落ち葉かき、ブルーギルやブラックバスを駆除するための釣り。

そして、梅などの果樹の剪定(せんてい)、自然農の水田での田植えと収穫、フクロウの巣箱の設置、孟宗竹(モウソウチク)の切り倒し、切り出した竹を使ってのランタン作り、クリスマスや正月飾り作り、雑木を利用しての遊具作り、雑木を利用しての遊具作り。

さらに、「田んぼの学校」に参加した子どもたちとの木登りや、ブランコ、ハンモック遊び。竹と藁(わら)で造る秘密基地(お昼寝場所)建設、窯でピザを焼き、畑で芋を育て大学祭での販売、観察路の手入れやSNSを利用した道案内システムの構築。

こういった様々な活動を、私たちの会員と綿密な相談をして行っています。山の中の体力勝負の作業も、男女隔てなく頑張っています。

将来に役に立つ体験を提供

学生たちの一番の楽しみになっているのが「里山のごちそう」。宍塚でとれたお米や野菜、山菜、地元に古くから伝わる大豆「たのくろ豆」を原料にした味噌などを使った昼食を提供しています。私たちの会員による「つくし亭」のメンバーが、里山の現地で調理をしています。休憩場所は、明治14年(1881)築の古民家「百年亭」です。

人間環境学を専攻する学生たちは、授業で学ぶ環境と人間との関係を里山体験を通じて学べているようです。卒業後、里山で学んだことを生かした仕事に就いている学生もいます。学生たちの将来に役に立つ体験を提供できてうれしい限りです。

もちろん、彼らは里山保全作業の大きな力になっていますし、若い息吹に、(比較的歳をとった)会員たちは元気をもらっています。私たちの里山の近隣には、大きな大学がいくつかあります。近くの学生たちも、どんどん来てほしいと思っています。(宍塚の自然と歴史の会 会長)

実家損壊など被災学生に経済支援 能登半島地震で 筑波大

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25日の記者会見で被災学生への独自の支援策について話す永田恭介学長=つくば市天王台、筑波大学本部棟

一時金や生活支援など

能登半島地震で実家が損壊し仕送りが滞っている学生や大学院生などを対象に、筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)は、20万円の一時金や月5万円の生活費支援、学生宿舎料や授業料免除など独自の経済支援を実施することを明らかにした。

同大によると、福井、石川、富山、新潟の被災4県の出身学生は大学生、大学院生併せて639人おり、26日時点で実家が損壊したなどの報告が学生6人から寄せられている。現在、学生の被災状況を調査しており、支援する学生が何人になるか、現時点で不明。甚大な被害が報告されている石川県七尾市と志賀町出身者については該当者14人に個別に安否確認を実施したとしている。

独自の支援内容は、実家の家計が急変し仕送りがもらえなくなるなど学業を続けることが困難となっている学生に一時金として緊急支援奨学金20万円を給付する。ほかに地震によって実家が全壊、半壊、一部損壊した上、実家からの仕送りがもらえなくなっている学生に1月分から、月5万円の生活費支援と学生宿舎料の免除を実施する。4月からは生活費支援、学生宿舎料免除に加えて、授業料や入学金の全額または半額免除を実施する。

永田学長は25日の定例会見で「被災4県の学生が600人おり、安否確認、安全確認はできたが、実家に大きな問題を抱えている学生がいる。現在個別に調査中だが、被災学生の支援のため寄付を募り始めた。長引いた場合、最長1年半の生活費支援を検討している」などと話した。(鈴木宏子)

6階建て賃貸マンション完成 ひたち野うしく駅近く

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ひたち野うしく駅近くに25日完成した6階建て賃貸マンション「ドメニカ・ドーロ」=牛久市ひたち野東

【PR】ひたち野うしく駅から徒歩5分の牛久市ひたち野東5丁目に6階建て賃貸マンション「ドメニカ・ドーロ」が25日完成した。西大通り沿いに立地し、1階は店舗が3店、2~6階は単身者向け1Kと、夫婦などペア向けの1LDKが計33室ある。

建築主はつくば市東光台、東光拓商事社長の大野治夫さん。施工主の東建コーポレーションつくば支店の小林恭彦営業課長によると、ひたち野うしく駅周辺は、つくば、守谷と並び県内でも人気エリア。ひたち野地区は市街地が整備されて20年が経過し未利用地がほとんど残っておらず、賃貸マンションの空き物件があまりない。同駅周辺で賃貸マンションが新築されたのは数年ぶりという。

個人の需要のほか、駅に近く、牛久、阿見、土浦、つくばなどに立地する事業所へのアクセスがいいことから、会社など法人の単身赴任者向け寮などとしての需要が多いと見込んでいる。

完成したマンションは鉄筋コンクリート造、基礎杭を24メートル打ち込むなど耐震性が高く頑丈な造り。男女問わず安心して暮らせるよう建物の出入口などに防犯カメラを設置してセキュリティーを強化。各部屋のサッシや窓は二重窓で防音性と断熱性が高い。各部屋いずれもインターネット環境が整っている。入居者用の駐車場は29台分備えている。

上の階からは東側に牛久大仏、南西に真っ白な雪をかぶった富士山を眺めることができる。周辺は徒歩圏内にスーパーが3店舗立地しているほか、周辺の西大通り沿いは「クリニック通り」とも呼ばれ、診療所が多数立地しているなど生活の利便性が高い。

◆現在入居者を募集している。単身者向け1Kタイプは広さ29.54㎡(8.9坪)で家賃は月6万4000円、ペア向け1LDKは46.35㎡(14坪)で家賃は月7万1000円。問い合わせは電話029-870-4600(東建コーポレーションつくば支店)または電話029-878-1120(一誠商事ひたち野うしく支店)へ。

派閥秘書団は、どう考え、行動していたのか 《文京町便り》24

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】自民党派閥(とりわけ安倍派)のパーティー券収入のキックバックならびに不記載問題は、とりあえずは、2、3の派閥の会計責任者の起訴とそれに続く派閥解散で、(少なくとも岸田総裁としては)幕を引き、事務処理ミスの形式犯で済ませようとしている。

こうした会計処理が、どうして隠然と継承されてきたのか、という疑問がある。派閥会長やベテラン議員はともかく、新人議員では、政治家本人も事情・経緯が分からず、ましてやいきなり国会に登院したばかりの新人議員の秘書ではどう処理すべきか、途方に暮れるのではないか。その際、頼りになるのは派閥であろう。

派閥の会長・幹部が新人議員を呼び、こうした事務処理の機微は派閥のベテラン秘書団が詳しいので、彼らに相談して対応するように、とアドバイス・指導・指示するに違いない。まさに、新人議員にとっては、派閥はありがたい、のである。しかし、ひとたびこのクモの巣にからめとられると、生涯(少なくとも国会議員の間は)そこから抜け出ることはできなくなる。

そもそも、秘書には3つのタイプがある。第1は、親族(多くは父親)が国会議員の場合で、この場合は、何でも懸念無く相談でき、(秘密を共有できる)片腕としてそばに置きたい、という動機に由来している。家業としての政治家を続くける限りは、こうした父子相伝は(良し悪しは別にして)重要な要素である。

この場合は、いずれ適当な時期に、この国会議員のポストを子弟(多くは息子)に譲るのが既定路線である。つまり、この場合の秘書はあくまでも見習い・帝王学の最中であって、事務(とりわけ会計)処理の子細に立ち入るかどうかはケースバイケースであろう(無い場合も少なくない)。

第2のタイプは、将来議員になる野望を秘めていて、その前段階で、国会議員秘書を務めているケースである。いきなりの国会議員はハードルが高くても、市会議員・県会議員などへの立候補は、国会議員秘書としての顔見せ効果がかなり有効である。しかし、このケースでも、事務・会計処理の具体については大体の状況・雰囲気は分かるものの、確実なところ(裏側など)は疑問符かもしれない。

蓄積されたノウハウを継承

第3のタイプは、当初は第2のタイプだったけれども、なかなか転身(議員への立候補)がうまくいかず、かつ、親分(国会議員)が引退した場合、秘書を止めるか続けるか、で分かれる。秘書を止める場合は、自分の家業(父親の跡)を継ぐなどの事例もあるが、地元でどこか適当な企業・事業所に然るべきポストを見つけるのは、先の見えた秘書が手繰り寄せる手堅い転職・転身ルートであり、これは相当数に上っている気配がある。

そうした転身先を見つけられない場合は、親分(国会議員)を変えて秘書稼業を不本意ながら続けることになる。派閥秘書団はこうした(親分のいなくなった)秘書のリストをプールし、新人議員に斡旋(あっせん)している可能性がある。その際、秘書の有能さの評価には、事務・会計処理能力(グレーゾーンの見極め)の高さが含まれるはずである。

派閥の会長・幹部の指針・了解のもとに秘書団に蓄積されてきたノウハウの継承が、今回のような派閥主催のパーティー券収入のキックバック処理の慣習が野放図に継続する契機だったのではないか。(専修大学名誉教授)

最優秀賞につくばの上野雅洋さん 土浦の写真コンテスト

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茨城県知事賞を受け取る最優秀賞の上野雅洋さん 

土浦の景観や催事を美しくとらえた作品を公募した「第18回土浦の写真コンテスト」の表彰式が27日、同市大岩田、国民宿舎「水郷」霞浦の湯で開かれ、最優秀賞に手野のハス田の風景を撮影したつくば市、上野雅洋さん(52)さんの「幾何学模様」が選ばれた。主催は同市観光協会(中川喜久治会長)。

美しい自然、貴重な文化遺産、伝統芸能など土浦の風景や催事を再発見し広く紹介することを目的に、おおむね5年以内に本人が撮影という条件で、昨年10月に公募が実施された。県内外の67人から計226点の応募があり、審査の結果、最優秀賞に上野さんの作品、優秀賞に田井俊夫さん(かすみがうら市在住)の「亀城の春」、平堅次さん(土浦市)の「収穫」、北見隆久さん(土浦市)の「通い慣れた坂道」の3作品が選ばれたほか、16作品が入選した。表彰式には16人が出席し、表彰を受けた。

会場に集まった受賞者

上野さんの「幾何学模様」は、夕闇が迫る中、あかね色に染まる空に、葉を落とし裸になったレンコンの茎や花弁が、無限の幾何学模様のように浮かび上がる瞬間をとらえた。

最優秀賞と同時に茨城県知事賞を受賞した上野さんは「レンコンは有名だが、どこで作られているか知らない人も多く、紹介したという思いでレンコン畑の写真を撮った。幾何学模様というタイトルはカメラを構えた瞬間思いついた。受賞は大変うれしくこれからも茨城県の良いところを撮り続けていきたい」と語った。

審査員を務めた土浦写真協会会長のオダギ秀さん(77)は「昨年に比べても良い作品が増えてきた。何をどう撮るか、カメラを使って作品を作るという思いが必要だと思う。カメラの性能が上がっても、気持ちの問題は変わらないので、これからも良い作品を撮り続けて欲しい」と述べた。

審査員のオダギ秀さん

受賞・入選作品20点の展示会は28日から3月31日まで同市中央、土浦まちかど蔵で開催される。20点はさらに土浦の魅力を紹介するため、市国際交流協会を通じて、姉妹都市の米国パロアルト市と友好都市の独フリードリッヒスハーフェン市に送られる。作品は土浦市観光協会のホームページに掲載されている。(榎田智司)

ロボット連携で建物を管理 つくば研究支援センター「ベンチャーアワード」大賞に

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TCI箕輪浩德社長(左)から表彰状を受け取るOcta Roboticsの前川幸士取締役=つくば研究支援センター

労働力不足補う

茨城県などが出資する第3セクター、つくば研究支援センター(TCI、つくば市千現、箕輪浩德社長)は26日、つくば発の優秀なスタートアップ企業を表彰する「第4回TCIベンチャーアワード」で、ロボットと建物設備の管理を連携させるシステムを提供するOcta Robotics(オクタ・ロボティクス、さいたま市)のサービスを大賞に選んだ。

同社は、つくば市内につくばオフィスと実証フィールドの2研究拠点を置き、ロボット・建物設備連携インターフェースサービス(LCI)の製品化を進めている。特に高層建築物における管理や警備、清掃などの労働力不足を補うのに有効なシステムとされ、ロボットフレンドリー施設推進機構(RFA)の定める環境規格に準じた拡張性の高さなどが選定理由とされた。スタートアップ企業とはいえ、すでに大手デベロッパーの採用実績を上げていることも評価された。

表彰式で、前川幸士取締役は「労働力不足が深刻化する今後、ロボットとの連携はさらに求められる。新たなサービスを組み合わせたフレンドリーなショーケース展開をつくばエリアで行っていきたい」とした。

同アワードは、高い技術力と独自の事業プランを有する「つくば発ベンチャー」を表彰し、さらなる成長促進と次世代の起業意欲を喚起することを目的に2020年度に始まった。26日は最終審査会が行われ、7社がファイナリストプレゼンに臨んだ。先進性・独自性や実現可能性、成長性などから大賞(副賞100万円)、優秀賞(同30万円)が選ばれた。

大賞の前川取締役を中央に優秀賞4人が並んで

今年度はさらに、事業化前の研究・技術シーズを表彰対象とする優秀賞が新設され、2者が選ばれている。審査委員長を務めたTCI箕輪社長は「労働力不足が叫ばれる今日、これに対応した技術のニーズ・シーズが共に高まっている」と講評した。

各賞受賞企業は次のとおり。
▼大賞 Octa Robotics(本社・さいたま市、鍋嶌厚太代表取締役)「ロボット・建物設備連携インターフェースサービス(LCI)」
▼優秀賞 メルフロンティア(東京都文京区、北川全社長)「日本初マグネシウム合金を用いた生体吸収性埋め込み型医療機器の開発・事業化」▽エイゾス(つくば市、沼尻理恵子社長)「ノーコードクラウドAI解析ソフトによるデジタル実験で研究開発の労力100%削減」
▼シーズ部門優秀賞 理化学研究所バイオリソース研究センター(つくば市、林洋平チームリーダー)「次世代リプログラミング因子によるiPS細胞の作製」▽筑波大学(つくば市、武安光太郎数理物質系助教)「低価格・高耐久な白金フリー燃料電池触媒」

(相澤冬樹)

焼け跡の銀座風景《くずかごの唄》135

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】震災にあった石川県の中学生が、高校受験に備えて集団で移住するニュースを見たとき、私たちが6年生のときに強制疎開させられたことを想い出し、涙が出そうになってしまった。

「小学3年生から6年生まで全員、東京にいてはいけない。疎開しなければならない」

「来年3月の中学受験、僕は都立しか受けたくない」

「私も、都立を受験したいわ」

「皆、方々に疎開してバラバラになってしまうけれど、受験の日には逢えるね」

「受験の日に逢いましょう」

6年生のクラスメート全員、受験の日に逢うという堅い約束をして別れたのだった。

受験日は3月12日。運命の日、東京大空襲が3月10日。約束を守って、東京へ帰ってきた人は、東京大空襲に巻き込まれてしまった。約束を守れない私は、疎開先の長野県飯田の県立女学校を受験して無事だった。

有楽町駅のものすごい臭い

1946年の冬休み。父は「あなたに見せておきたいものがある。今から東京へ帰るから、一緒に行こう」。

父の会社「尚榮精機株式会社」は銀座西8-1にあった。米国から電気冷蔵庫など、日本にはない電気器具を輸入して売っていたが、米国との戦争で輸入どころではなくなってしまって、江戸川区の平井に工場を造って、戦争中は電気器具の修理などをしていた。

父の銀座の会社は、幸い焼け残っていたので、私はそこへ泊って、新橋、有楽町あたりを毎日見て回った。

焼け野原になってしまった東京。残った建物も、爆弾の熱風でカラスが吹き飛んでしまい、どのビルも窓に新聞紙が張りつけられていた。爆風と一緒に吹いてきたガラスの破片が体に突き刺さって、出血多量で亡くなった人も多かったらしい。

私がびっくりしたのは有楽町駅の臭いである。この駅は銀座の繁華街に近いので、特別厚いコンクリ―工事が施されていたという。空襲のとき、頑丈なコンクリートの駅舎にたくさんの人が詰めかけたらしい。そのまま全員蒸し焼きになってしまった。

敗戦の夏。暑さの中で、その人たちの、コンクリートに染み込んだ脂肪や血液が発酵・蒸発し、駅全体が表現の仕様がないような、ものすごい臭いになってしまっていた。

私は、臭いが怖くて有楽町駅に行けなくなってしまった。小学校の同級生は一体何人生き残ったのだろうか?(随筆家、薬剤師) 

移動投票車で高齢者が模擬投票 ロボットが立会人に つくば市

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自宅前にやって来た「期日前移動投票所」となるワゴン車の車内で模擬投票をする六所地区区長の柳原敏明さん

投票箱を積んだワゴン車が高齢者や障害者などの自宅前まで出向いて、住民に車内で模擬投票をしてもらう実証実験が23日から27日までの5日間、高齢化率が高い筑波山麓のつくば市筑波地区と臼井地区で実施されている。ワゴン車は実際の選挙で「移動期日前投票所」となる。市は今年秋の市長選・市議選で導入を目指している。

今回の実証実験は、内閣府の先端的サービスの開発・構築に関する調査事業に採択された。市は東京海上日動火災保険、KDDIなどと共に、今年秋の選挙での実現に向け技術的検証に取り組む。

自宅前まで来た移動投票所のワゴン車

26日は、同市臼井・六所地区区長の柳原敏明さん(68)の自宅前に移動投票車のワゴン車が来て、柳原さんは車内で模擬投票を行った。車内には投票箱が設置され、公職選挙法で定められた投票立会人については、1人が立ち会ったほか、分身ロボット「オリヒメ」が立会人に加わった。オリヒメは本投票所とつながっていて、カメラを通じて遠隔から投票の様子を見守る。また移動投票車は、車いすの障害者や高齢者が後方ドアから車内に入ることが可能なつくりになっている。

両地区住民には今月9日、封書が届き、模擬投票の参加者はそれぞれ、スマートフォンや電話で予約をしていた。①自宅まで移動投票車が来るサービスと➁自宅から移動投票所までの送迎するサービスと2つの実証実験が用意され、車が駐車できるスペースがある住民の自宅前にはワゴン車が出向いた。自宅前に車が停められない人には送迎車が準備され、送迎車を利用しての模擬投票も行われた。

投票立会人のロボット「オリヒメ」

柳原さんらの模擬投票に先立って26日は、記者向け説明会が実施された。五十嵐立青市長があいさつした後、市政策イノベーション部科学技術戦略課の前島吉亮課長が概略を説明。運営にあたるスパイラルの甲木空さん、KDDIの阿部英孝さんが詳細を説明した。国家戦略特区のスーパーシティを担当する内閣府地方創生推進事務局の菅原晋也参事官と、東京都荒川区の選挙管理委員会も視察に訪れていた。

市科学技術戦略課の前島課長は「スーパーサイエンスシティ構想の中に、インターネット投票というのがあり、本来はそれを目指したいが、まだ実現に至っていない。今回、住民サービスの一環として、誰一人取り残さない社会の実現を目指しており、市内でも人口減少が続き、高齢化率の高い筑波・臼井地区での実証を行うことになった」と話した。

模擬投票をした区長の柳原さんは「高齢化が進む地域なので新しい試みは歓迎したい。ただスマートフォンなど高齢者はあまり慣れていなかったりするので、参加の方法はもっと検討してもらいたい」と述べた。送迎車を使った模擬投票に参加した臼井地区の木村嘉一郎さん(94)は「選挙には家族に送迎してもらって行っていたが、自宅まで来てもらえればありがたい。秋の選挙には使えるようになれば良い」と語った。

送迎車で来て模擬投票に参加した木村嘉一郎さん(右)

同市は、2024年の市長選・市議選でインターネット投票を導入することを看板に掲げ、22年にスーパーシティに認定された。しかしネット投票に対しては、なりすましや強要などの課題が指摘される中、今年秋の選挙では実施できない。代わって市は、ネット投票導入につながるステップだと位置づけ、秋の選挙で移動期日前投票所を導入したい意向だ。これに対し公職選挙法を所管する総務省は、昨年7月の国家戦略特区ワーキンググループのヒヤリングで、今回の実証実験について「(ネット投票と)切り離して議論していく必要がある」という認識を示している。(榎田智司)

男性中心社会、オールド・ボーイズ・ネットワーク《遊民通信》81

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【コラム・田口哲郎】

前略

オールド・ボーイズ・ネットワークという言葉をご存知でしょうか? ウィキペディアによると「男性中心の組織文化や人間関係などを表す用語である。オールド・ボーイズ・ネットワークが強固な組織では、男性中心の独特の閉鎖性・排他性によって多様性が失われ、女性の活躍やイノベーションが阻害される。そのため、日本では2020年頃から見直す機運が高まっている」ということで、いわゆる男性中心社会を表す言葉です。

先日、元日本IBM取締役の内永ゆか子氏の講演を聞く機会があり、そこで初めて知りました。

内永氏がおっしゃるには、オールド・ボーイズ・ネットワークは、同じ経歴、同じ成功体験、同じ失敗体験、つまり同じ価値観を生きてきた男性の集まりのことだそうです。つまり男性のみの学閥や派閥などいわゆるエリート集団です。いままでその知的優位と結束力の強さで、資本主義経済を主導し、近代社会の経済的繁栄を築いてきました。

そもそもこの組織は欧米で生まれ、明治以降に日本に入ってきて、いまや日本はこのネットワークが欧米に比べて強固だそうです。日本社会を眺めてみると、このオールド・ボーイズ・ネットワークに支配されている組織やシステムが多いことに気づかされます。

一枚岩が切り崩される現状

さて、現在、世界はグローバリゼーションが席巻し、今までの価値観が覆される事態になっています。その激変の時代にあって、オールド・ボーイズ・ネットワークへの風当たりは強いようです。

価値観を変えるのは簡単ではありません。価値観が一枚岩みたいにみんな同じだと、多様な考え方の波に対応するのはほぼ不可能でしょう。しかも、いまは一枚岩ばかりが一流で頑丈なのではなく、多様なベンチャーでも大岩を切り崩せる時代です。要するに、ひと握りの男だけの集団が世界を牛耳り、価値観を押し付ける社会が終わろうとしています。それは弱者が抑圧から解放される良いことなのです。

しかし、いままで社会の隅々までをがんじがらめにしていた枠組みが外れるのですから、不安や衝突が生じるでしょう。個々人が自由に生きなければならないアフター・コロナの時代に人びとの心を支える価値観をどうつくってゆくのか、考える時がきているのかもしれませんね。

イエ制度や地域コミュニティが崩壊した現在、人々が安心するために緩やかにつながれる、いわば共通の新しいイエが求められているように思えます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

自分の責任で自由に過ごせる居場所を!《けんがくひろば》2

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12月の「きつつきプレイパーク」

【コラム・吉田絵里子】私たちは、TX研究学園駅前公園の林内に「きつつきプレイパーク」を設けています。きつつきも訪れる外遊びの場所です。毎月1回、放課後に開催して今年で6年目になります。

「きつつきプレイパーク」って?

「プレイパーク」ってどんな場所なのでしょう? 「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、出来る限り禁止事項を減らした「何をしても、何もしなくても、いい」ところと、私たちは考えています。その対象は子どもたちだけではありません。赤ちゃんからシニアの方まで、すべての人にとって「遊び(心)」や「居場所」は必要だと考えるからです。

「遊び(心)」の無い日々は人を窮屈にさせます。また、世界のどこかに一つでも「自分の居場所」があるという実感によって人は幸せを感じるのではないでしょうか。ささやかな日常の喜び、思い出、つながりが、思いがけずあなたを支えてくれた、救ってくれたことはありませんか?

落とし穴を掘る。たき火で焼きイモをつくる。お湯を沸かしてラーメンをつくる。コーヒーを入れておしゃべりをする。木登りをする。ロープを木にひっかけてブランコやジップスライダーをつくる。思いっきり大声をだして叫ぶ。物置の上から飛び降りる。泥んこになって暗くなるまで遊ぶ。異年齢で遊ぶ。集まる。つながる。

「きつつきプレイパークって何がおもしろい?」と聞くと、「特別な遠い場所じゃなくて、すぐ近くで普段できない特別なことが出来ること」。そんな答えが返ってきました。

「やってみたい」「挑戦してみたい」

普段できない特別なことって、昔なら出来ていたことがたくさんあります。今では怒られたり止めさせられてしまう、出来る環境がそもそも無い。「やってみたい」「挑戦してみたい」「夢中になって没頭したい」が出来ない、苦しい時代になっています。

私たちは「あたりまえにやっていいこと」=権利なのではと思うのです。子どもの権利は、昨年施行された「こども基本法」で保障されています。この法律は1989年に国連総会で採択された「国連児童の権利条約(子どもの権利条約)」を受けた国内法で、大人の都合が優先されるのではなく「子どものため」の法律です。

自分には権利がある、「大きな人」に従うだけの存在じゃない―これは大人になっても大切な考えです。どんな状況でも人生の主権は自分にあると。「きつつきプレイパーク」もそれを保障したいのです。人生を「自分の責任で自由に遊ぶ」ために。もちろん「何をしても、しなくても」。(つくばdeプレイパークひろめ隊 代表)

<きつつきプレイパーク>
▽毎月第4月曜日の午後3~5時開催(冬季は日没まで)。次回は2月26日
▽予約不要・参加費無料。未就学児は要保護者同伴
▽詳しくは、フェイスブックまたはインスタグラム
▽問い合わせは、SNSダイレクトメッセージまたはメール

障害者の工賃アップ目指し不要パソコンを回収 つくばの就労支援施設

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ノートパソコンから記憶媒体装置のHDDを取り出しドライバーで傷を付ける砂長祐季さん(手前)=23日、つくば市玉取、つくば特別支援学校

「さくら学園」

障害者の工賃をアップさせたいと、つくば市島名の障害者就労支援施設「さくら学園」(NPO明豊会運営、飯島喜代志代表)が、不要になったパソコンの回収と希少金属などのリサイクルに取り組んでいる。

パソコンの情報漏えい対策として、企業や学校などに出向き、記憶媒体装置のHDD(ハードディスクドライブ)を依頼者の目の前でパソコンから抜き取り、工具で傷付けて物理的に破壊してから回収するのが特徴だ。昨年夏、県内の障害者施設として初めてスタートした。

22、23日の2日間、市内の県立つくば特別支援学校に、障害者とスタッフ延べ7人が出張し、廃棄予定の150台のパソコンからHDDを取り出した。ゴーグルと手袋を着用した障害者が、100本の精密ドライバーセットの中から、ねじの太さや形に合ったドライバーを選んで、パソコンのねじをはずしながら解体していく。HDDを取り出すと、作業を見守る同校教員の目の前で、工具で傷付け情報を物理的に破壊する。

情報漏えい対策として、取り出し、傷を付けたHDD=同

HDDを破壊した後はさくら学園に持ち帰り、パソコンを鉄、アルミ、基板、プラスチックなど40種類ほどの部品に分解して分別する。1台のパソコンを解体するのに20種類ほどのドライバーを使いこなし、早い人で1台当たり30分、平均1時間程度で解体することができるという。現在、同学園を利用する35人の障害者のうち、7人がパソコンの解体作業に従事している。

介護福祉士で同学園サービス管理責任者の戸村雅一さん(68)によると「これまで従事した全員がパソコン解体作業を継続することができており、仕事として達成感があると思う」と話す。23日、同特別支援学校でHDDの取り出し作業をした同園を利用する砂長祐季さん(20)は「ねじが固いので大変」と話し、沖山大稀さん(19)は「ねじ回しが楽しい」と話していた。

平均工賃を2倍に

分別した部品は、資源として販売する。特に半導体が載った基板は金や銀など希少金属を含むことから高く販売でき、障害者の工賃アップにつながる。一方プラスチックなど同学園が費用を支払って処分する部品もあるが、95%は再資源化できるという。

同園では現在、障害者に対し、全国平均とほぼ同額の月平均1万6000円ほどの工賃を支払っているが、パソコン回収・解体作業により、従事した本人だけでなく、全体の工賃を2年後に現在の2倍の月平均3万円に上げることを目標にしている。

パソコンの処分を依頼したつくば特別支援学校の上野俊輔教諭(41)は「去年の夏に話があり、HDDの情報漏えい対策をどうするか検討していたところ、年末にさくら学園の方が来校し、処分を依頼することを決めた。さくら学園は卒業生が利用しており、卒業生の仕事が増え、工賃アップにつながれば」と話す。

さくら学園のスタッフに時折質問しながらパソコンを解体する沖山大稀さん(左端)。1カ月前からパソコン解体作業に取り組み始めたばかり=同

全国の事業所とネットワーク

きっかけは1年半ほど前、障害者施設の仕事量を増やす取り組みをしている茨城県共同受発注センター(水戸市)の担当者から、工賃をアップできる仕事として紹介を受けたこと。すでにパソコン回収作業に取り組んでいた神奈川県平塚市の障害者施設に戸村さんらが見学に行き勉強、さらに全国の障害者施設とネットワークを組んでパソコンの回収と再資源化に取り組んでいる「日本基板ネットワーク」(新潟市)の指導を受けた。

同ネットワークの取り組みは昨年3月、首相が本部長を務めるSDGs推進本部主催の「第6回ジャパンSDGsアワード」で、廃棄物を減らして環境負荷を低減し障害者の賃金向上と自立に寄与しているとして、特別賞を受賞した。現在も3カ月に1度、同ネットワークの指導を受けながら作業のさらなる安全性向上と効率アップに取り組む。

回収するのはパソコンのほか、携帯電話やゲーム機など。企業や団体のほか、個人からも回収し、寄付を受ける形で有価物として無料で引き取る。解体、分別後は、鉄、アルミ、銅は廃棄物回収業者に販売し、希少金属を含む基板などは新潟市の日本基板ネットワークに送り、兵庫県内の溶鉱炉で溶かし、金や銀を取り出す。

戸村さんは「利用者の平均工賃を上げるのが一番の目標」とし「利用者が他の事業所を訪れて作業する機会はあまりないので、出張解体を通して地域の人とつながることもできる」と意義を強調する。さらに「レアメタルは都市鉱山とも言われるが、限られた資源をリサイクルするということもやっていかなくてはらないことだと思う」とし、「県内に一緒にやれる事業所の仲間を増やしたい」と呼び掛ける。現在、パソコン回収に取り組んでいる福祉事業所はさくら学園を含めまだ2カ所のみという。(鈴木宏子)

◆回収するのは、パソコンと、ルーターやケーブルなどの周辺機器、携帯電話、ゲーム機など。コピー機、プリンター、故障した液晶モニターは不可。つくば市内の場合、10台以上は引き取りに行き、土浦市など周辺市町村は20台以上は引き取りに行く。個人の場合、さくら学園に直接持ち込むか、宅配便などで送付すれば引き取り可能。持ち込みや宅配便などの場合、破壊したHDDを写真撮影し解体証明書などと共に後日メールで送付する。さくら学園はつくば市島名2304。詳しくは電話029-875-3517またはメールinfo@sakura-gakuen.orgへ。

朝寝坊さん《短いおはなし》23

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

子どもの頃から、枕元に「朝寝坊さん」がいます。
夜になるとやってきて、優しい声で子守唄を歌うのです。
毎晩ぐっすり眠ります。
目覚まし時計をこっそり止めるのも「朝寝坊さん」の仕業です。
だから私は、毎日寝坊をします。

「起きなさい、何度言ったら起きるのよ。まったくあなたは」

母の声は、なんて耳障りでしょう。
私は目を閉じて、「朝寝坊さん」の歌声に酔いしれます。
5回くらい起こされて渋々起き上がると、「朝寝坊さん」の歌はゆっくりフェイドアウトして、やがて風のように、どこか遠くへ行ってしまうのです。

おかげで私は、ほぼ毎日遅刻です。

「こら、おまえ、また遅刻か」

先生に毎日怒られます。友達もあきれています。
だけど平気です。「朝寝坊さん」の歌声が、私にとって一番なのです。

「学生のうちはいいけど、社会人になったらどうするの? あなたを一生起こしてあげることなんか出来ないのよ」

母は朝からガミガミうるさいです。耳をふさいでやりすごします。
私は起きられないのではありません。起きないのです。
「朝寝坊さん」と離れたくないのです。
「朝寝坊さん」は、昼間はどこにいるのでしょう。
梅の花がもうすぐ咲きそうなことに、気がついているかしら。

翌日、いつものように寝坊をした私は、陽が高くなっていることに気づきました。
いつまでたっても母が起こしに来ないから、お昼になってしまったのです。
遅刻のレベルを超えています。いつものガミガミが聞こえないのも不便なものです。

「お母さん?」

リビングにもキッチンにも母はいません。
部屋へ行ってみると、布団を被って寝ているのです。

「お母さん、何で起こしてくれないの? もうお昼だよ」

母は、布団をもぞもぞさせながら、しゃがれた声で言いました。

「起きる必要ないだろう。だってあんた、仕事もせずに寝ているだけじゃないか。これ以上あたしの年金を当てにしないでちょうだい」

そう言って布団から顔を出した母を見て、私は腰が抜けるほど驚きました。
母の髪は真っ白で、顔はしわくちゃのおばあさんでした。
そして鏡を見たら、私自身も驚くほど年を取っていたのです。

「お母さん、私、どうしちゃったの! ねえ、お母さん。起きてよ」

母は起きません。母の枕元で「朝寝坊さん」が不気味に笑っていました。
「朝寝坊さん」が、私たちの時間を奪ってしまったのです。
気持ちよく眠っている間に、数十年もの時間を失ってしまったのです。
私は耳を塞ぎました。「朝寝坊さん」の歌は、まるでレクイエムのようでした。

   *  *
目覚まし時計が鳴りました。
ハッとして起きると、いつもの朝でした。
私は、元の中学生に戻っていました。

「あら珍しく早起きね。雪でも降らなきゃいいけど」

母は、ちゃんと太った黒髪の、いつもの母でした。

それっきり「朝寝坊さん」は姿を消しました。
他の誰かの心に住み着いたのかもしれません。
うららかな春が、やがてやってきます。どうかご用心を。

(作家)

妙に懐かれた教え子の結婚式《続・平熱日記》150

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】恐らく、後にも先にも教え子の結婚式に出るのはこの一度きりだろう。記憶に残っている限り、一番てこずった「問題児」が多かった年。だからよく覚えている。新郎は、中学校1年生から3年生まで美術の授業を担当し、高校1年の選択授業も受け持った。

これまで何千という生徒を教えてきたが、いまだに交流のあるのはこの子を含めて男3人だけ。なにせ日雇い先生だし、授業が終わればさっさと帰るし、それ以上の付き合いをすることもなかった。でも、なぜかこの3人には妙に懐かれてしまって、休みには薪(まき)割の手伝いに来てくれ、私の関わった美術イベントにも参加してくれた。

1月吉日。都内某所で、式、披露宴は賑々(にぎにぎ)しく開かれた。宴もたけなわになった頃、ご両親が私の座るテーブルに回ってこられた。

実は、新郎は高校に入って間もなく、些細(ささい)なことで学校をやめてしまっていた。詳しい事情は聞かないでいたが、その後、別の高校に入り直して上智大学を卒業し、在学中にバイトをしていた会社の仕事から起業に至り、今は社長。

やや向こう見ずなところもあるが、目標に向かう前進力には感心する。しかし、在学中よりも卒業してから絵を学びたいなどと言い出して、うちのアトリエやお絵かき講座にデッサンをしに来ていた時期があった。それから、個展会場にひょっこり現れて絵を買ってくれたりもするようになった。

ご両親は、新郎がことあるごとに私に随分と助けられたという意味のお礼を述べられた。短い会話ではあったが、そのご苦労をお察しするのに難くはなく、それゆえに今日のよき日を格別に喜んでおられることが伝わってきた。

余談だが、私の座ったテーブルには3人の中学同級生がいて、そのうち2人は中途退学した生徒だった。でも、とてもちゃんとした大人になっていて、1人は見目麗しいパートナーを同伴していた。先生、恩師として呼ばれたのは、多分私ひとりだったと思う。

忌野清志郎「僕の好きな先生」

余談だが、同じテーブルに座っていたもう1人は、新郎と共によく私の元を訪れていた同級生。宴もお開きとなって、彼とクロークに上着を受け取りに行った。「この上着に見覚えがあるか」と彼に聞いた。「もちろん。よく持っておられましたね」。キョトンとする彼。

これは、かれこれ10年近く前、彼が北海道の大学から帰ってきたときに着ていたダウンジャケット。就職が決まった春休み、薪割りを手伝ってもらった折に、もう十分着てくたびれてしまったので捨ててくださいと言って、置いていった。見ればそれほど汚れてもいなかったので、私がもらって今日もこうして着させてもらっているのだった。

帰りの電車で、忌野清志郎の「僕の好きな先生」という歌が頭の中を流れ始めた。私としては、何か特別なことを教えたつもりもないし…。

考えてみると、新郎はもちろん絵が好きだったということはあったにせよ、美術の授業や絵を描くことに、何というか、救われていたのかもしれないと思った。ということで、新年に向けて、改めてテキトーに授業をしていこうと思った。(画家)

マンホールカードのリンク先に誤り つくば市が配布を中止

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つくば市役所

つくば市は22日、同市が市役所窓口で配布している「下水道マンホールカード」の裏面に記載された2次元バーコードのリンク先に誤りがあることが分かり、同日からカードの配布を中止したと発表した。今後修正し、改めて配布する予定。配布再開の時期は現時点で未定という。

市下水道総務課によると、二次元バーコードのリンク先が、2018年に3月31日に終了した市プロモーションサイトのURLになっていた。このリンク先は現在、つくば市とは関係ないサイトになっているという。市職員が誤りに気付いた。今後印刷をやり直し、リンク先を現在の市公式ホームページのトップページに変更する。

マンホールカードは、下水道事業をPRするため、市が年間を通して市役所1階水道お客様センターの窓口で無料配布している。表面にはマンホール蓋がデザインされ、裏面にはデザインの由来などが記されている。同市のカードは、宇宙船や筑波山などが描かれており、2016年8月から配布が始まり、翌17年4月からは英語版の配布が始まった。

配布枚数は、日本語版、英語版併せてここ数年は年間2000~5300枚程度。ほかに受験シーズンには合格祈願のお守りとして同カードと缶バッジなどをセットにして毎年1000枚配布している。

日本語版、英語版、合格祈願セットいずれも、リンク先が間違っていた。二次元バーコードは配布開始当初から変更しておらず、リンク先のサイトが終了した後も、同じリンク先のままだったのが原因。

一方、配布を受けた市民などから、リンク先が間違っているなどの問い合わせや、被害などはこれまで報告されてないという。

同課は、リンク先を修正したカードが出来次第、同窓口で配布を再開するほか、誤ったリンク先のカードについては同窓口に持参すれば交換するとしている。配布再開時期は、市ホームページで改めて告知する。市はさらに、誤ったリンク先にはアクセスしないよう呼び掛けている。

危機一髪の志賀原発《邑から日本を見る》152

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古徳沼(那珂市)のハクチョウとカメラマン

【コラム・先﨑千尋】元日はいつものように子どもたちが集まり、私は酒飲み。いい気分でいる時、地震の予兆があり、次いでやや強い揺れ。子どものスマホが鳴り出し、だんだんに地震の全容が分かってきた。

これまでに分かった範囲では死者や避難者などは東日本大震災などよりも少ないが、地震の起きた所がわが国で最大の半島だけに「陸の孤島」と化し、道路は土砂崩れや陥没と亀裂。津波と隆起で港も使えず、交通網が寸断され、電気が止まり、水も出ない。輪島では大規模な火災も起きた。私が最初に心配したのは、半島中部の志賀町にある北陸電力志賀原発がどうなっているのか、だった。

どうしてなのか、原発に関する情報は少しずつ、だんだんにしか入ってこない。これまでに分かった範囲では、運転停止中だったために東京電力福島第1原発のようなひどい事故にはならなかったが、震源地にもっと近かったら、停止中でも危ないことになっていたかもしれない。

気象庁の情報では、揺れの大きさを示す加速度は原発の近くの志賀町香能で2826ガルだった。これは東日本大震災の最大値2934ガル(宮城県栗原市)に匹敵する大きさだ。同原発の原子炉建屋部分でも、1号機、2号機とも原子力規制庁が定めた上限を超えていた。日本地理学会災害対応チームの調査によれば、原発近くで内陸の活断層が動いたようだ。今後の詳しい調査が待たれる。

同原発は今回の地震で変圧器配管が破損し、約2万リットルの絶縁油が漏れ、一部は海に流出。使用済み燃料を冷やす貯蔵プールの水も飛散し、1号機では一時冷却ができなくなった。原発周辺の空間放射線量を測定するモニタリングポストも15カ所で測定できなくなった。この実測値で住民の屋内退避や避難開始などを決めるが、復旧の見通しは立っていないという。原発近くの海岸も3メートル隆起している。

原発災害の避難計画は各自治体が策定することになっている。志賀町ではどうなっているか。「志賀町原子力災害避難計画」によれば、主たる移動手段は自動車。自家用車で避難できない人はバスで運ぶ。避難ルートは国道、県道など。自衛隊車両や海上交通手段も活用する。警察・消防が避難誘導を行う、とされている。

地震はいつどこで起きるか分からない

今回の地震では原発事故は起きなかったのでこの避難計画は適用されなかったが、道路はズタズタになり、海路も使えない状態だった。避難しようにもできない地区があちこちにあったことが現地からのニュースで伝えられている。電波が届かなければ安否の確認すらできない。持病を抱えている人や人工透析を受けている人たちはどうだったのだろうか。

作文でどんな立派な計画を立てても、しょせん絵に描いた餅。実際には全く役に立たないものだったことが今回の地震で証明されたのではないか。宮城県の女川原発や愛媛県の伊方原発は半島上にある。原発の先に住む人たちは逃げようがない。原発災害の避難計画は原子力規制委員会の審査対象外であり、専門家のチェックは入らない。それでいいのだろうか。

断層のことをもっと調べろ、基準地震動が低すぎる、原子力規制委員会は新規制基準と原子力災害対策指針を見直すべきなど、専門家からもいろいろな提案が出ているが、地震学会も公式に地震の予知はできないと言っているのだから、地震はいつどこで起きるか分からない。「地震大国のこの国では、原発は危ないから止めよう」とすればいいのではないか。柏崎刈羽だって東海だって危ないのだ。(元瓜連町長)

野村花火の魅力(下)《見上げてごらん!》23

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土浦全国花火競技大会実行委員会提供

【コラム・小泉裕司】本コラム19「土浦の花火in大曲」で触れた通り、昨年10月7日(土)、大曲の花火秋の章・第2幕「土浦の花火物語」において、日本煙火協会茨城地区会が共同して、土浦全国花火競技大会の競技規定にそった作品を打ち上げた。特にスターマインの規定は、4号玉から2.5号玉まで400発以内と定めているが、その日の野村花火は、前年の土浦でスターマインの部優勝の「水無月(みなづき)のころ」をリメイクした「大曲バージョン」を持ち込んだ。

実はこれには裏話があった。土浦の実行委員会との事前打ち合わせの際、「4号玉より半廻り大きい5号玉を使い、しかも打ち上げ幅もワイドにしたい」と野村社長から申し入れがあったという。これに対し、実行委員会事務局は当初、「?」状態。社長の意図を理解することはできないながらも提案を受け入れたというが、単なる思い付きではないことを、現地で知ることになった。

つまり、こういうことだ。野村花火の打ち上げ前、土浦の規定通りに打ち上げた筑北火工堀米煙火店のスターマインは、全体的に小ぢんまり感が否めなかったのだ。

それもそのはず。開花時の最大高度約160メートルの4号玉と、約200メートルの5号玉とでは上空での広がりが違うと同時に、大曲の会場は、そもそも土浦とは比較にならないほどの広大な夜空が広がっている。正しくは、花火を見上げる角度、つまり仰角の違い。

土浦の場合は、打ち上げ場所と観覧席の近接さゆえ、プラネタリウムのように「見上げる」感覚となることに加えて、作品としての見え方を損なわない水平視野角も狭いのだ。一方の大曲は、観覧席の奥行きが深く、映画館のワイドスクリーンを後ろ席から観るような感覚と言えばわかりやすいかも知れない。

これらの違いを熟知した野村花火の「したたか」な提案であったことに、同行者一同脱帽した。この会場で1カ月前、内閣総理大臣賞を受賞した野村花火は、案の定、目の肥えた大曲の観客を魅了するに十分な作品に仕上げて、拍手喝采は鳴り止まず、「野村」のかけ声が響いた。

花火はカタルシスである

「花火はカタルシスである」。大曲の直後、こう私に話してくれた野村社長。カタルシスは、「心の洗濯」と訳すらしい。花火を見ている瞬間は何も考えないことで、感情の開放につながり、前向きな気持ちが湧いてくるという。この話を聞いて、野村花火を千波湖畔で観た女性2人の会話を思い出した(本コラム10「1年の計は初花火にあり」に掲載)。

「今日は無理につきあわせちゃって、ごめんね」「うーんん、最高の週末になったね。来週もがんばれそーかも」。

花火は、人生に必ずしも必要なものではないのかも知れないが、花火師は、見る人に元気や笑顔、希望を送り届けたいと、渾身(こんしん)の思いを込めて打ち上げる。まさに、あしたを生きるためのサプリメント。

水戸黄門まつりの一環として、毎夏、千波湖畔で開催される「水戸偕楽園花火」は、明治39年(1906)に始まった「沼開き花火」に由来。発案したのは、野村花火創業者の野村為重氏。以来、打ち上げは、野村花火が担っている。ちなみに、為重氏は、希代のアイデアマンで、「水戸観梅」(現在の梅まつり)の創始者の1人でもあった。

本日は、この辺で「打ち止めー」。「ヒュー パッパッパッ ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<参考書>「水府綺談」(新いばらきタイムス社刊、1992年)

そろばん界にDXを つくばの中学生が練習用ウェブサービスを開発

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自作のチラシを手に、開発したウェブサービスをPRする杉本直継さん

英語読み上げ算

プログラミングの知識を活かし、そろばん界のDX(デジタル・トランスフォーメーション)を実現しようする中学生がいる。つくば市立竹園東中学2年の杉本直継さん(14)だ。開発したのは、そろばんの「英語読み上げ算」を練習したい人や、読み上げの質を高めたい先生に向けて、正しい発音ができているかどうかを確認するウェブサービス「YOMIRU(ヨミル)」で、音声認識機能を用いて作られている。現在無料版が公開されており、今後機能を追加した有料版も公開予定だ。

ばらつきを改善したい

そろばんには「願いましては」「~円也」など独特の掛け声を使って読み上げられた数字を計算する「読み上げ算」という競技がある。この読み上げ算を英語で行うのが英語読み上げ算で、「願いましては」は「Start with」になる。英語の読み上げは高速で行われるため、高度なリスニング能力と計算力を同時に養うことができるという。

杉本さんは小学1年のころからそろばんを習い始め、小学4年の時に英語読み上げ算に取り組み始めた。練習するうちに、先生によって英語の読み上げの質にばらつきがあることに気付き、改善できるツールを作れないかと考えてYOMIRUを企画した。

現在公開している無料版はプログラミング言語「JavaScript(ジャバスクリプト)」を使用して作ったもので、英語を読み上げて入力すると文字が出力され、正しい発音ができているかどうかを確認することができる。今後公開予定の有料版では、AIの音声認識システムを用いることにより、さらに精度の高い認識が可能という。また、全国の先生たちによる様々な読み上げを聞くことができるサービスも提供予定だ。

プログラミングの知識生かす

図形やイラストでプログラミングする「ビジュアルプログラミング」を小学2年から始め、小学6年から「テキストプログラミング」を始めた。つくば市内のプログラミングサークル「CoderDojoTsukuba(コーダー道場つくば)」に所属するほか、中学1年の時には、情報セキュリティ人材の発掘、育成事業「セキュリティ・キャンプ」(情報処理推進機構主催)のジュニア開発ゼミを修了するなどして、プログラミングの基礎を学んだ。プログラミング言語「Python(パイソン)」や「JavaScript(ジャバスクリプト)」の書き方、ソフトウェア開発のプラットフォーム「GitHub(ギットハブ)」の使い方などを勉強し、その知識をYOMIRUの開発に活かしているという。

有料版の公開に向けて、自宅で開発を進める杉本さん

昨年12月に埼玉で開催された国内最大規模のそろばん競技大会「全国珠算競技大会 そろばんクリスマスカップ2023」(日本珠算協会主催)では、英語読み上げ算中学生の部で15位入賞という成績を収めた。同大会では競技に出場するだけでなく、YOMIRUのチラシを作り、企業ブースと並んでブース出展。全国のそろばん教室に向けてPRした。ブースにはそろばんの先生だけでなく、競技に出場した生徒の保護者らも訪れ、興味を持っていたという。

「自分で一から作ることができるのがプログラミングの魅力。自分で作るからこそ、作る人の苦しいところ、大変なところも分かるようになる」と語る杉本さん。プログラミングを勉強することで「ものを作る人はこういうことを考えて作っている」と知ることができ、論理的な思考も身に付いたという。今後の目標は「YOMIRUで成果を上げること、YOMIRUの更新を続けていくこと」と話す。有料版を3月末に公開できればと、開発にいそしんでいる。(田中めぐみ)

街角に残る建物遺産《看取り医者は見た!》11

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トタン板に描かれた広告(筆者撮影)

【コラム・平野国美】歴史的な建物を眺めていると、私など飽きっぽい性格の者には別の刺激が必要になってくるのです。あんなに好きだった白壁の町などには目が引かれなくなるのです。そして、古い看板建築、商店建築、医院建築、理容店などを探して歩くのです。

しばらく街歩きが止まった時期がありました。また歩き始めると、まったく別なものが視界に入ってくるのです。昔嫌いだった飲み屋街とかトタンで出来たバラック小屋などが、ある時期から愛(いと)おしく見えてきました。

私の目が肥えたのか劣化したのかはわかりません。昔、旅の途中で、ある写真家の講演を聞きました。東南アジアの生活や街角の風景を撮っている方でした。その作品を見ながら、まとまらぬ頭をまとめるために質問をしてみました。

「歴史的な寺社仏閣、城、蔵、白壁の街は、年を重ねるごとに保存さえうまくいけば、その価値を増していくと思いますが、昭和や平成の建造物などはいずれガラクタになっていくのでしょうか?」

写真家の先生は「コンクリートやトタンの建物も、きっといい味わいを出してくると思いますよ」と答えてくれました。そうなるかなと疑心暗鬼でしたが、あるときから、そういった建物が愛おしく見えるようになったのです。

地域の日常に溶け込んだ小建築

ネットで調べると、このジャンル「街角遺産」の愛好家がいるのです。2011年グッドデザイン賞受賞時のセカンドブレイン(secondbrain)代表の多田裕之さんの言葉を紹介しておきます。

「『街角遺産』には文化財のような価値は無いが、地域の景観と日常に溶け込んだ小建築のことで、私たちの造語です。崩れかけた土塀だったり、錆びたトタン小屋だったり、通り沿いの空き家だったり。地域に溶け込んだ建物たちが紡いできた地域独自の風景を次の時代へ伝えたいと考えています」

「この活動は、地域に残る『街角遺産』をリストアップして、企業や個人によるリノベーション&コンバージョンにより、街角遺産の活用を促進することが主目的です。『街角遺産』という新たなカテゴリーを創出して、街の記憶づくりを展開したいと思います」

形あるものはいつか壊れていく。しかし、リノベーションをしながら、本来の目的とは異なるものにコンバージョンして、建物などを残していくべきだと思うのです。こういったものに気づける感性が、街づくりや街の維持に必要と思うのです。今回掲げた写真は私が生まれた龍ケ崎に残るトタンに描かれた看板です。Technicsの文字が入っていますが、何でしょう?(訪問診療医師)

自動運転バス実証実験開始 1日6便、筑波大を周回

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筑波大学構内を走行しバス停に停車する自動運転バス

筑波大学(つくば市天王台)で19日、自動運転バスの実証実験が始まった。30日まで平日の8日間、同大キャンパスの6つの停留所に停車し、一周約4キロのコースを1日当たり6便、時速20キロ未満で30分程度かけて走行する。

車体には、障害物を感知するセンサーや遠隔監視、物体や信号を検知するカメラ数台と、位置測定を行う衛星測位システムなどが搭載されている。現段階では、部分的な手動運転と自動運転の切り替えによって走る「レベル2」の小型バス(定員10人)による走行だが、2025年度までに運転手不在でも走行可能な「レベル4」で公道を走る大型の自動運転バスの実現を目指す。

同市は現在「つくばスーパーサイエンスシティ構想」のもと、先端的技術の社会実装に向けた取り組みを進めている。今回は「2024年問題」と言われるバス運転手の時間外労働の規制や、深刻なバス運転手不足による減便、高齢化など、同市が抱える公共交通問題を次世代の技術を用いて解決する狙いがある。

自動運転バスがつくば市内を走行するのは初めて。県内では境町が20年11月から路線バスとして運行を開始している。

筑波大での実証実験は、同大とつくば市、関東鉄道、KDDIなど8者による取り組み。初日の19日はキャンパス内のデモコース(天久保池前〜第一エリア前)約1.6キロを右回りで走行した。

自転車や歩行者が多く行き交い、死角が発生しやすいカスミ筑波大学店付近では、「路車間協調システム」を採用し、道路に設置した4Kカメラにより、広範囲の周辺道路の状況を即時に解析し、バスに提供することで危険を察知する。

運転席近くに設置された「路車間協調システム」

またプロジェクトの一環として、位置情報専用スマートフォンアプリ「つくロケ」を利用し、運賃を支払う動作なしに乗り降りできるシステムの実証実験も行われる。バス停と「つくロケ」アプリの両方によるブルートゥース信号の情報が組み合わさることで、乗客の位置や状態を把握し、乗降判定に役立てられる。

自動運転バスは、環境にやさしく電動のグリーンスローモビリティ車両を使用する。土日は運行しない。乗車料金は無料で、事前予約によりだれでも乗車可能。先着順により定員が空いていれば当日予約なしで乗車もできる。

自動運転バスについて説明する、つくば市顧問で、同大システム情報系の鈴木健嗣教授

同市顧問で、同大システム情報系の鈴木健嗣教授は、「つくロケ」アプリ運用に関して、「自分の現在位置に合わせて、人々を見守るシステム。人を中心としたデータ活用社会を実現させたい」と述べた。KDDI事業創造本部の松田慧さんは「スーパーサイエンスシティのつくば市で、新しいテクノロジーを掛け合わせて、実証実験に取り組むことに意義がある」と話した。(上田侑子)

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賞味期限切れの調味料を使用 つくば市立保育所

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つくば市役所

つくば市は19日、市内の市立保育所1カ所が15日と16日に提供した給食に、賞味期限切れの調味料を使用していたと発表した。現時点で園児の健康被害はないという。

市幼児保育課によると、15日に提供したナムルと16日のサラダドレッシングの2品に使用した食酢の賞味期限が、昨年12月1日だった。市立保育所の給食は施設内で調理する自園方式で、それぞれ同保育所の0歳から5歳までの園児43人が食べた。

19日、食材の在庫確認を実施したところ、食酢の賞味期限が切れていたことが分かった。同保育所は同日、保護者に通知文を出してお詫びした。

今後の対応策として同課は、市内すべての保育所で調味料などの賞味期限を確認するほか、現在2カ月に1回実施している食材の在庫確認方法を見直すことも検討するとしている。