土曜日, 12月 27, 2025
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「土浦の花火」中止に思う《見上げてごらん!》34

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大玉が雲に隠れた第82回大会(2013年)ワイドスターマイン「土浦花火づくし」(実行委提供写真)

【コラム・小泉裕司】来年2025年は土浦の花火100周年。土浦全国花火競技大会実行委員会事務局は、今秋中止した大会の支出に対する予算措置にめどが立っていないことや中止決定への信頼回復もままならない状況で、「予算的にも市民感情的にも記念事業を考える状況にない」という。

赤字支出への対応

中止にもかかわらず、予算総額3億円のうち、桟敷席の設営や椅子などの借上料、警備委託費、花火製作費など主たる経費のほぼ全額に加えて、チケット代金の返還手数料などが支出となる。収入に計上した有料席代金や広告料2億2000万円が未収となるため、同額近くの新規予算化が必要となる。

詳細は、記事「来年100周年、運営再検討へ」(11月5日掲載)をご覧いただくとして、不足分は土浦市から大会実行委への「補助金」として、市議会の議決を要する案件。補助金削減を進めて来た土浦市、しかも議員の一部から、責任問題を追及する意見も聞こえてくるので、議決までの道のりは簡単ではなさそうだ。

それでも期限が迫っている経費もあり、支出が可能となる12月下旬の市議会定例会の会期末までは待てないという台所事情もある。

支出を急ぐ方法としては、臨時会の開催、市長の「専決」、12月定例会での「先議」が考えられる。臨時会を招集するいとまがないことや専決できるほどの軽微な案件ではないことから、最終日の議決を待つのではなく、会期中の早い時期に他議案に先駆けて議決する「先議」になるのだろうか。

異常気象下の中止決定

今年は、10月に入ってまで日本を直撃する台風が多かった。このコラム入稿時の天気図も、南方海上にトリプル台風が発生、そのうちの1個は日本方面に向かう予報。かつて経験のない気象を引き起こす気候変動が、通常化しつつある。

かつて土浦の花火が開催されていた10月は、東京五輪1964の開会日10月10日が「晴れ」だったことから、晴天が集中する季節との伝説が生まれたが、特段に晴れが多い季節ではなかった。土浦は、気候変動の影響を考慮し、それから1カ月遅い11月に変更し、3年が経過した。

今年は11月2日。大会当日、台風21号が温帯低気圧に変わり、秋雨前線に沿って東進。打ち上げ時間に合わせるかのようにピンポイントで雨脚が強まった。同時刻に開催した「NARITA花火大会」(成田市)のライブ映像では、開花高度の高い花火は大部分が雨雲に覆われ、雲の下層部にたこ足のように開花する花火の一部が見え隠れした。

この映像を見て、第82回大会(2013年)10号玉の部でのノーコンテストトラブルを思い出した。このときも、雨雲に隠れて10号玉のほとんどが見えず、創造花火やスターマインも一部が雲に隠れた。審査委員会は、見えない作品は一律に審査標準玉の点数をつけたが、公表の可否を委ねられた市長は「公表」を選択。

大会終了後、ノーコンテストではないか、開催決断が間違っていなかったのかという批判が多数寄せられ、市長は「なにしろ自然が相手」と断った上で、雨天決行したがゆえに、見えない状況になったことを謝罪した。今大会、この時の二の舞を演じなかった英断に敬意を表したい。

花火師の無念さ

土浦に参加する花火師は、土浦仕様の作品を持ち込む。事務局が、すべての出品業者に連絡、謝罪した際、中止判断への否定的な言葉はなかったという。

雨天にあったわけではないので、仕込み済の花火が夜空を彩る新たな機会はあるだろうが、花火師は、そんなことよりも、土浦に出品するために、いくつかの危険な手作業の工程を経て完成した花火作品への思い入れ、そして観客の皆さんに披露することがかなわなかった悔しさを、言葉にしなかっただけ。花火師の無念さはいかばかりか。

11月11日(月)に大曲の花火実行委員会が開催した「大曲の花火 感謝の集い」に出席した花火師から、「土浦で上げたかった」との発言があったという。

花火師ファースト

実行委は、今回明らかになった「順延・中止」に対する課題の検証や対応策を検討するとのこと。気象条件の精査や警備体制の確保、予算の増額など、多様な検討が行われるのだろうが、軸足を「花火師ファースト」で意思決定する体制を再構築してはどうだろう。

言うまでもなく土浦は「競技大会」である。オリンピック同様、中止はあり得ないと思っている。荒天の場合、いつに順延するかの判断基準、たとえば設置した桟敷席や設備の安全確保、借り上げ料の増額、観客の交通・宿泊など、多様な検討材料が多いが、「土浦の花火」を競技大会として存続していくためには、欠かせないコンセプトに思う。

チケット代金が払い戻され、私たちが残念に思う気持ちは、徐々に希薄になるのかもしれない。しかし、1年かけて準備を進めてきた地元茨城の花火師や実行委の職員が、抜けるような晴天の中、花火筒の撤収や案内看板を回収した悔しい思いを、私は、長く心に留めておきたい。

今回はこの辺で、打ち上げならず「ザンネーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<チケット代金の払い戻し>

実行委は、11月14日(木)10時から、第93回土浦全国花火競技大会の中止による有料観覧席の払い戻しの受け付けを開始した。来年1月14日(火)までの期限があるので注意が必要。実行委ホームページはこちら

サンガイア ホーム開幕戦で富士通に勝利

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第5セット、サンガイア 川村(中央)のブロックが勝利を決定付けた(撮影/高橋浩一)

バレーボールVリーグ男子のつくばユナイテッドSunGAIA(略称サンガイア、本拠地つくば市)は16日、土浦市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で今季のホーム開幕戦を迎え、富士通カワサキレッドスピリッツ(本拠地川崎市)とフルセットの激戦の末に勝利した。これでサンガイアは3勝2敗で東地区2位。17日も午後2時から同会場で富士通と再戦する。

第1セット、スパイクを放つミドルブロッカーの梅本

2024-25 Vリーグ男子(東地区)レギュラーシーズン(11月16日、霞ケ浦文化体育会館)
サンガイア 3-2 富士通
15-25
25-19
25-22
21-25
16-14

序盤、先に流れをつかんだのは富士通。サンガイアは相手の振り幅の大きいトスワークに守備の形が作れず、ブロックの上や間を抜かれることが多かった。サーブレシーブでも事前の想定を外され、特に松本喜輝に喫した2連続サービスエースが痛手となり、15-25で第1セットを落とした。

第2セット、長谷川の高い打点のスパイク

だが第2セットでは守備の位置関係を修正、途中からセッターの茂太隆次郎を于垚辰へ交代して流れをつかみ、25-19でセットを奪取した。「茂太もていねいなトスをしてくれたが、于はブロックでも相手にプレッシャーをかけてくれ、後ろの選手が守りやすくなる」と加藤俊介コーチ。トスワークでは大きくダイナミックな球出しが魅力である一方、小さなタメを作ることで相手の守備を外すこともできる。「相手や自分たちの雰囲気を見ながら、どの戦術を使おうかと考えている」と本人の弁、「ベテランでいろんな引き出しを持っており、ゲームをコントロールしてくれるので頼もしい」と加藤コーチ。

第2セット、武藤茂(左)と川村がブロックを決める

第3セットは序盤から快調に得点を積み重ね、一時は13-2の大差をつけるが、富士通も選手交代を足掛かりに追い上げ、最終的には25-22でサンガイア。第4セットもサンガイアが優勢に試合を進めるも終盤に富士通の5連続ポイントで逆転され、21-25で最終セットへ。第5セットは一進一退でデュースに持ち込まれるが、梅本鈴太郎と川村駿介の連続ブロックで2点を取り、厳しい戦いを勝ちきることができた。

第4セット、得点を決めてタッチを交わす松林哲平(中央)と于(左)

今季のサンガイアは選手数が増え、各ポジションで競争が激化する一方、選手同士がよくコミュニケーションを取り、ベテランと若手の融合が進んでいるという。新卒ながらこの試合でほぼフル出場を果たし、チーム2位の18得点を挙げた長谷川直哉は「入団後初のホームゲームで、いいプレーも悪いプレーもあったが、勝ち切れたのは一つ自信になる。これを明日、明後日とつなげていきたい」と話した。堺ブレイザーズから今季移籍してきた梅本は「昨季までの経験を生かすだけでなく全員と共有し、このチームでもう一度SVを目指す。その中で自分が引っ張るのはもちろん、誰かを押し上げるための土台になることも大事」と考え、加藤コーチは「選手の組み合わせやパターンを増やし、誰が出ても勝てる強いサンガイアを作りたい」と構想している。(池田充雄)

第4セット、チームトップの21得点を挙げた架谷也斗主将

筑波山麓の「つくばワイナリー」《日本一の湖のほとりにある街の話》29

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】霊峰筑波山のふもと、なだらかな斜面に広がるブドウ畑のパノラマ。爽やかな風が吹き抜ける、どこか日本でないような風景の中に、新進気鋭のワイン醸造所「つくばワイナリー」はあります。「日本ワイナリーアワード 2023」三つ星受賞、「日本ワインコンクール 2024」銅賞受賞など、着実に評価を固める同社。今月23日に新酒発表会を迎えるにあたり、食品事業部部長の大塚さんと、醸造責任者の大浦さんにお話を伺いました。 

ワイナリーがスタートしたのは2012年。小美玉市のみつお万寿や不動産事業を手がける、㈱カドヤカンパニーが土地を取得しますが、当初はワインをつくる予定はなかったそう。ところがワイン好きの社長がその素晴らしい景観にほれ込み、ブドウ栽培を行うことになったと言います。栽培にあたっては、山梨の志村葡萄研究所の指導のもと、研究所により開発された黒ブドウ「富士の夢」と、白ブドウ「北天の雫(しずく)」が主軸に据えられました。

「富士の夢」は、ふくよかでフルーティーな味わいが魅力のメルローと山ぶどうの交配種。「北天の雫」は、甘みと酸味のバランスが素晴らしいリースリングと山ぶどうの交配種で、いずれも日本の気候風土に合うよう作られた品種です。水はけがよい花崗岩質の土壌と、筑波山から吹き降ろす「つくばおろし」により熱気がこもらない地形はブドウ作りに最適で、現在は8種類7000本のブドウがその豊かな葉を茂らせています。

畑のブドウは鮮烈な酸味

さて、そんなワイン用のブドウ。10月の取材時にはまだ枝に少し残っており、生で食べさせていただきました。おいしいワインのもとになるブドウ、さぞやおいしかろうとワクワクしながら口にすると…甘みとともに、鮮烈な酸味。ふだん生食するものとはずいぶん味が違うことに驚きです。しかしこの酸味が発酵には重要で、甘いだけではおいしいワインにはならないそうです。おお、なにやら人生を感じるお話。

そしてワインの出来は、広大な畑にどれだけ手を入れられるかで大きく変わる、と大浦さん。春先には7000本ある樹を全て、良い枝2本だけを残し、その他の枝を切るそうで、想像するだに大変です。その後、お盆過ぎから収穫作業が始まり、平行して仕込み作業も行って行きますが、収穫は果実の状態と、天気の両方をにらみながらのスピード勝負! 圃場(ほじょう)に醸造所が併設されていることを生かし、ちょうどよく熟した房のみ摘み取り、順にワインにしていきます。

また、そのすばやい収穫を支えているのが、総勢60名にもなる「栽培サポーター」。老若男女・近隣から遠方まで、様々な人がぶどう畑の魅力に引かれ手伝いに来ており、すでに地域の中に溶け込んでいることを感じさせます。そうした地域とのつながりを深めつつ、地場に根付いたワインを生産していきたい、とお二人は語ります。筑波の風土に育まれた今年の新酒は、どんな表情を見せてくれるのでしょうか? 若いワイナリーが醸し出す味わいを、これからも楽しみにしたいと思います。(土浦市職員)

<注>本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

TX研究学園駅前イルミネーション《けんがくひろば》12

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昨年の駅前イルミネーション

【コラム・高野武雄】私は2年前からTX研究学園駅前商店会の会長を務めておりますが、研究学園駅前イルミネーションは今年で18年目を迎えます。TXが開通した翌年には駅前にイルミネーションの光がともっていました。当時は駅前が薄暗く寂しい状態でした。そこで少しでも明るくしようと、地元苅間(かりま)の地権者の方々が手作りでスタートさせました。

今年は11月30日から来年2月28日まで光がともる予定です。ただ、諸般の事情により点灯式は中止になりました。

駅前イルミネーションは地域の皆様の支援と協力によって成り立っています。毎年、多くの方々が訪れ、この美しい光景を楽しんでいます。冬の寒さを忘れさせるような温かい光で訪れる人々の心を癒やしてくれます。このイベントは、地元の方々の思いの結晶であり、その光が地域を見守っています。

地域の絆を深めるイベント

研究学園は未来の希望にあふれた場所であり、多くの人々が集うことで文化が育まれています。私たちの商店会は、研究学園が全国の地域モデルとなるよう活動していきます。暖かく見守っていただければと思います。

イルミネーション飾りには多くのボランティアの方々が関わっており、その努力と情熱がこのイベントを支えています。また、地元の企業にも協力していただき、地域全体で盛り上げています。駅前に光がともると、街全体が一体となり、温かい雰囲気に包まれます。

研究学園駅前イルミネーションは地域の絆を深める重要なイベントであり、これからも続けていきたいと思います。多くの方々ご支援とご協力があってこそ、このイベントは成功します。これからもよろしくお願いします。(TX研究学園駅前イルミネーション実行委員会 会長)

駅前イルミネーション2024のチラシ

県内23校 特別支援学校生徒の力作集う 土浦

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12日から土浦市民ギャラリーで始まった茨城県高等学校総合文化祭特別支援学校部門大会

県内にある特別支援学校高等部23校が、各校の独自の取り組みと文化系部活動の成果を発表する作品展「茨城県高校総合文化祭 第8回特別支援学校部門大会」が12日から、土浦駅西口前の土浦市民ギャラリーで開かれている。身体や視覚、聴覚、知的などに障害のある生徒たちによる絵画や木工などの力作200点余りが展示されている。

水戸盲学校の生徒による粘土の立体像は、短距離走のスタートを切る瞬間や、グラウンドソフトボールでボールを打つ瞬間など、選手が力を込める瞬間が筋肉の細かな動きとともに生き生きと再現されている。水戸支援学校の生徒が描く「夜明け」と題された油絵は、水平線上に現れた朝日が、空を覆う雲と雲を映す水面を徐々に赤らめる姿を、乾いた赤色と群青のグラデーションで微細に描き込んだ作品だ。

ゲームイベントで「視覚入力装置」体験も

同文化祭は、文化部のある高校が加盟する県高校文化連盟による作品発表の場として毎年開催されており、特別支援学校部門は今年で8年目。企画は毎年、県内の各特別支援学校の生徒が集まる実行委員会が主体となり進められる。今年は23校から49人が集まり、本番に向けて9月からオンラインで交流を重ねてきた。

16日と17日には、実行委員のメンバーと、県内の一般校に通うボランティアメンバーらが集まり、街頭に立って、イベントPRや来場者に対する会場案内をしたり、ゲームイベントの進行などを実施する。

ゲームイベントでは、人間の目の動きをコンピュータが感知することで、パソコンやタブレット端末などを操作する「視線入力装置」を利用し、塗り絵や射的のゲーム体験会を開く。水戸特別支援学校が約5年前から授業に導入している装置で、手足を動かすことができなかったり、言葉を話すことができないなど、障害により意思表示に困難がある際に、モニターを見つめることでキーボードをクリックしたり、伝えたいものを指し示したりなどすることができる。同校の勝二あすか教頭は「技術の発達により、これまで気づけなかった意思を周囲がくみ取れるようになった。生徒も楽しみながら授業に参加し、学習意欲の向上につながっている」と話す。

16日と17日に行われるゲームイベントで体験できる「視線入力装置」

同文化祭特別支援学校部会事務局の田中雅人さんは「作品を通じて、いろいろな障害のある人がいることを知ってもらう機会になるとともに、彼らが自分たちと変わらないと知ってもらいたい」と話す。また「こうした学外活動への参加を通じて、普段、学校では静かな生徒が、展示に訪れた一般校の高校生に自分が学んできたことを力強く語りかけるなど、同じ高校生として交流を深めていた」と、障害のある生徒の変化について語り、「さまざまな障害のある生徒らが日頃の活動の成果を見ていただきたい。土日には、実行委員会のメンバーとして企画を進めてきた生徒たちが会場を案内するので、是非、多くの方に足を運んでいただければ」と来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「茨城県高等学校総合文化祭 第8回特別支援学校部門大会」は17日(日)まで、土浦市大和町1-1、土浦市民ギャラリー オープンギャラリーで開催。開館時間は午前10時から午後6時。最終日は午後3時半まで。入場無料。問い合わせは電話029-247-5924(同事務局)へ。

逃げ切った先の、新たなる門出《電動車いすから見た景色》60

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】地元の群馬に帰る決意をしたのはいいが、引っ越すために開拓せねばならない命綱が山のようにある。車椅子で入居できるアパートに、新しい土地で生活をサポートしてくれる介助者に、身体状態を診てくれる病院に…。そのたびに壁にぶつかり、改めて思う。この社会は、私のような重度身体障害者が1人暮らしをし、ましてや県境を越えて引っ越すことなど想定していないのだなと。

でも、生きていたら、どうにもうまくいかず、行き詰まることもあるだろう。そんなとき、生きていく場所を変え、やり直す権利は誰にでもある。障害者にだって同じ権利はあるはずだ。一度も失敗してはいけないのなら、新しい挑戦などできるわけがない。失敗を許容できない社会が、人間の無限の多様性を尊重できるとは思えない。

私の決断を「逃げ」だと言う人もいるだろうが、逃げることの何が悪いのだ。自分が大切にされない場所にとどまって、心を壊すよりは、自分が安心できる場所に逃げて、生き延びたほうがずっとよい。同じ場所に踏み止まって、そこから社会を変えようとするのも立派だが、まずは自分の安全基地を持たなければ、周囲の人に影響を与えることはできない。闘いに疲れて、息絶えてしまったら、それまでどれほど懸命に闘っていても、その勇姿はすべて水の泡となる。

「障害を乗り越えて」とよく言われるが、そもそも障害者が抱える問題も、他の「マイノリティ」とされる人たちが感じる不平等も、原因は多様な人々を想定せずに作られた社会にある。その問題を本人の力だけで乗り越える必要はない。障害者だって逃げていいのだ。いや、自分を傷つける場所からは、全力で逃げないといけない。

逃げられるのも特権

一方、今いる場所から逃げることができるのも、1つの特権だろう。実際に引っ越すまでには、まだ多くの課題がありながらも、私には「帰っておいで」と言ってくれる場所があり、私が引っ越すために具体的に支援してくれる人たちがいる。地元の人たちとのつながりが薄く、帰る場所がない障害者は、今いる環境でうまくいかなくなっても、他の地域に引っ越すという選択肢は浮かばないだろう。せっかく持った自分の特権性を活かし、障害があってもなくても、何度でもやり直せる社会を作っていきたい。

そう自分に言い聞かせて、このコラムを終えようと思う。5年もの間、私の言葉を受け取ってくれたあなたに感謝したい。100年先でまた会えたらいいですね。それでは、さようなら。(障害当事者)

健康情報の読み解き方《ハチドリ暮らし》43

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写真は筆者

【コラム・山口京子】広告が私たちの意識や行動に大きな影響を与えることを感じています。最近、過去に広告制作に携わっていた方から「健康情報の読み解き方」についての話を聞き、改めて広告のはたらきを知ると共に、健康食品について調べてみました。

広告とは「不特定多数の人々を対象に、商品、サービスなどの存在、特徴、有意性を知らせ、対象の行動を変更させることを目的として、広告主が料金を支払って行うコミュニケーションである」が一般的な定義です。

健康情報といえば、健康食品に関するブームが続いています。食べ物や栄養が健康や病気に与える影響を過度に評価する傾向、健康に良いと取り上げられた食品が売り上げを伸ばす傾向、健康不安をあおる(ネガティブ・アピール)傾向―などが目立ちます。

広告は良いことしか伝えず何が正しいか分からない、情報があふれていて選択できないことが問題を深めているようです。広告では健康情報の詳しい内容が伝えられないことが多く、消費者はそのイメージをうのみにしがちです。

分からないものには手を出さない

講演では、単純化された説明や即効モデルには疑いをもち、健康情報リテラシーを育ててほしいという提言がありました。健康情報が氾濫することで、健康のために何かをしなくてはいけないといった強迫観念が消費者にインプットさせられているようにも感じます。

健康食品といわれるものは、健康に良いことをうたった食品全般を指します。具体的には、国の保健機能食品制度に基づき機能性などを表示する特定保健用食品、栄養機能食品、機能性表示食品のほか、機能性を表示できないサプリメント、栄養補助食品、健康補助食品、自然食品などがあります。

特定保健用食品は1991年に創設され、根拠法令は健康増進法、食品表示法です。機能性表示食品は2015年に創設され、根拠法令は食品表示法です。特定保健用食品は、国の個別許可制となりますが、機能性表示食品は届け出制です。機能性と安全性の信頼性については、医師や専門家から様々な指摘があり、企業任せの制度ともいわれています。

分からないものには手を出さない。興味があるなら、きちんと調べることが求められますね。(消費生活アドバイザー)

ネット投票の評価は62.7点 つくば市長 退職金1278万円に

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自身の2期目退職金ネット投票の結果について話す五十嵐立青市長=つくば市役所

投票者は1048人

つくば市の五十嵐立青市長が、自身が受け取る2期目の退職金をインターネット投票による評価の平均点で決めるとしていた件について(8月26日付10月4日付)、五十嵐市長は12日の定例記者会見で、1日から11日まで実施したネット投票の結果を発表した。1048人が投票し、評価点の平均は100点満点中62.7点で、退職金額は満額の2039万4000円に対し、62.7%の1278万7038円になるとした。

マイナンバーカードの交付を受け、同市のアプリ「つくスマ」をダウンロードしている15歳以上の市民を対象にネット投票を実施した。

投票した1048人は、投票ができる15歳以上の市民21万8721人の0.48%、投票手段として必要なマイナンバーカードの交付を受けている約13万人の0.8%、同市のアプリ「つくスマ」をダウンロードしている約2万3000人の4.5%だった。

1048人の評価点で最も多かったのが①100点で219人、次いで②80点が160人、③70点が133人、④0点が119人、⑤90点が101人だった=メモ1

62.7点という結果について五十嵐市長は「(10月27日投開票があった)市長選の得票率53%=メモ2=が民意だと思っている。(得票率の)選挙結果から1割以上、上振れしている」と自賛し、投票率が極めて低かったことに対しては「高いハードルがあったが1000人を超える人が投票して良かった」とし、「『マイナンバーカードの(暗証番号の)6桁から(マイナンバーの)12桁を覚えてない』と、かなりの人に言われた。そこのハードルが課題として大きくあった。本人と、投票した得点は結び付かないが、セキュリティについて心配があるとも言われた」などと話した。一方、投票に必要な同市のアプリ「つくスマ」のダウンロード数は通常は毎日10~20件ほどだが、ネット投票期間中の10日までは計644件、1日平均64.4件のダウンロードがあったなどと強調した。

一方、本来の退職金額2039万円からネット投票による評価1278万円を差し引いた差額の760万6962円は、市に返還されるわけではない。県内44市町村で構成し市長など市町村職員の退職金の事務を行っている県市町村総合事務組合(水戸市)は「各市町村からお預かりしている負担金は、積立金ではないので、(同組合の)事務の共同処理としてお預かりさせていただいている」としている。

同市は今年度予算にインターネット模擬投票実施の委託料約2200万円を計上している。今年度中に計3回の模擬投票を実施する計画で、退職金のネット投票はその一つという。(鈴木宏子)

※メモ1
【つくば市長2期目退職金ネット投票結果の内訳】
評価 票を入れた人数
0点 119人
10点 52人
20点 27人
30点 41人
40点 24人
50点 90人
60点 82人
70点 133人
80点 160人
90点 101人
100点 219人
計 1048人

※メモ2
【得票率】10月27日投開票のつくば市長選の有効投票数11万6184票に対する五十嵐氏の得票数6万1604票の割合

軽乗用車がつくバスと衝突 2人が軽傷

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つくば市役所

11日午後6時58分ごろ、つくば市筑穂2丁目の交差点で、同市のコミュニティバス「つくバス」が交差点を直進していたところ、右側から直進してきた軽乗用車と出合い頭に衝突。軽乗用車は弾みで交差点の反対側で一時停止していた別の軽乗用車に衝突した。この事故でつくバスの乗客1人が頭や首、右膝などに軽傷を負ったほか、弾みで衝突された軽乗用車の運転手1人も軽傷を負い、いずれも救急車で病院に運ばれた。

同市総合交通政策課によると、つくバスは午後6時25分 研究学園駅発やすらぎの里しもつま行の吉沼シャトル下り18便。事故のあった交差点には一時停止の標識があり、つくバスが優先だった。事故時、道路は渋滞していた。つくバスと衝突した軽乗用車の運転手も首の痛みを訴えているという。

事故時つくバスには乗客が2人乗っており、もう一人は歩いて帰宅した。事故により、代車のバスが運行されたが、吉沼シャトル下り18便を利用する予定だった乗客は次の便を利用したという。

市は運行事業者である関東鉄道に対し、安全運行の徹底を申し入れたとしている。

来年の高校受験 100点アップのこつ《竹林亭日乗》22

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写真は筆者

【コラム・片岡英明】現在、中学校では志望県立高について三者面談が行われている。しかし、志望校を決めても学習はなかなか進まないものだ。そこで今回は、今年の入試問題を解説して受験生の勉強を応援したい。

2024年県立入試

24年は、受験者1万6395人、平均287.52点。科目平均は、国語66.71点、社会57.55点、数学57.57点、理科55.61点、英語50.08点。最後に発表のあった20年の標準偏差99.0を参考に標準偏差を100とする。受験偏差値は平均を50とし、偏差値1は標準偏差の1/10なので、10点である。

500点満点で、偏差値50が287点、偏差値60が387点、偏差値40が187点となる。一般的に40~60が中間層と言われ、全体の2/3を占める。偏差値には±5の誤差があるから、偏差値1点に悩む必要はない。280点の生徒はすでに330点を取る可能性があるのだ。

入試問題の特徴

茨城県は18年から、新指導要領を先取りし記述を増やした。すると、21年に「採点ミス」が発生し、県は教員1000人以上を処分した。そこで、22年から採点ミス防止のため一転して記号問題になり、24年は3年目。

大学共通テストも長文化しているが、茨城の高校入試は長文化と記号化の2つの特徴がある。最近の入試問題は長文化だけでなく図表やグラフも多い。保護者の時代と違って意地悪をしているようにも見えるが、そうではない。問題文の読みを、従来の読解から情報読みへ切り替えるよう求めている。

つまり、なぜ著者がこう書いたかという「読解」よりも、設問に関係する部分を、本文や図表からすばやく探す=「情報読み」で答えるのだ。問題を解くとは問題作成者の意図を読み取ることなので、問いの言葉が重要である。選択肢を読むとなぜか混乱するという人は、選択肢を分析し、問題作成者の工夫を見てほしい。

問題のポイント

例えば、国語で選択肢を4つ作るには、本文にA、B、2つの要素を持つ部分を探し、次のように選択肢を作る。①A〇B〇、②A〇B✕、③A✕ B〇、④A✕ B✕。受験者側はこの選択肢を2つの要素に分離し、本文に沿って正誤を判断する。その判断は自分の思いでなく、あくまでも本文による点が鍵だ。

英語は記号化した22年から難化し、24年の平均は50点台と、英語が一番低い。これは問題6の生徒を悩ませる不要語入りの並べ替え問題のためで、ここは改善が必要だ。

さて、英語は長文が山なので、長文問題の5を例に説明する。毎年、この本文の展開は同じ形で、「以前の状況-出来事-自分の変化」という感想文の形。まず、この展開を押さえる。

設問に関係する部分の探し方は、①段落に番号をつける、②固有名詞と数字をマークしながらあっさり読む、③設問に関係する部分を、マークを目印に見つける―ことが大事だ。

頑張れ!受験生

情報読みだけでは疲れてしまい、学習は深まらない。授業や自主学習では「なぜ、著者はこう書いたか」と時々立ち止まり、いわゆる「著者との対話」の時間を持ってほしい。 普段は著者の意図を深める読解を行い、試験では長文化と記号化の特徴をふまえ、今回のコラムのヒントを参考に情報読みを行えば、3カ月で100点アップは可能である。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

二審が結審、来年2月判決へ 鬼怒川水害訴訟 

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記者会見に臨む原告と弁護士ら

原告「水害は人災」 国の責任問う

2015年7月の豪雨で起きた鬼怒川水害で、常総市の住民が甚大な浸水被害を被ったのは国の河川管理に落ち度があったためだとして、住民19人と法人1社が国を相手取って約2億2000万円の損害賠償を求めた控訴審の第2回口頭弁論が11日、東京高裁で開かれた。水害の被害を受けた住民1人が証人に立ち、控訴審はこの日で結審した。判決は来年2月26日に言い渡される。

「水害は人災」と語る原告共同代表の片岡一美さん(右)

閉廷後、記者会見した原告共同代表の片岡一美さん(71)は「水害は自然災害だと思っていたが、裁判を通じてこれは人災だと理解した。水害の責任を誰が取るべきなのか、裁判に勝つことで『鬼怒川水害判例』というような判決が出れば」と言い、原告代理人の只野靖弁護士は「日本全国で水害が頻発する中で、国や自治体のずさんな河川管理が放置されているところが少なからずある。鬼怒川水害はその最たるもの。これはまずいと司法が判断することは被害救済にとっても重要であり、この国の河川行政をより良いものにするためにも国交省は反省し、(河川行政のあり方を)見直していかなければいけない」と語った。

原告代理人の只野靖弁護士(左)

鬼怒川水害では、豪雨により常総市内を流れる鬼怒川堤防の決壊や越水があり、市内の約3分の1が浸水した。同市では災害関連死を含めて15人が亡くなり、住宅被害は全壊53軒、半壊5120軒、床上浸水193軒、床下浸水2508軒に及んだ。一審で水戸地裁は、国の河川管理の落ち度を一部認め、国に対して原告住民32人のうち9人に約3900万円の損害賠償を支払うよう命じる判決を出した。判決を不服として原告住民と被告の国の双方が控訴していた。

9月9日開かれた控訴審の第1回口頭弁論で住民側は、一審で主張が退けられた同市上三坂地区の越水・決壊した堤防について「鬼怒川流域で一番堤防の高さが低く、最も危険な場所だった」とし、堤防の改修工事が後回しにされていたのは国が誤った安全評価に基づいたためで、優先順位に問題があったなどと主張していた。これに対し国は「安全度などのバランスを見て順次、改修を行なった」とした上で、当該の堤防に改修が及ぶ前に「経験したことのない記録的な降水量」の豪雨にあったことで起きたもので、「国に法的責任はない」と主張した。(柴田大輔)

那珂市で夭折の画家・寺門彦壽展《邑から日本を見る》171

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写真は筆者

【コラム・先﨑千尋】今、那珂市戸崎の那珂市歴史民俗資料館で「色彩の貴公子 寺門彦壽(てらかど・ひこじゅ)展」が開かれており、彦壽の作品の他、デッサンやスケッチブック、日記、落款(らっかん)なども見ることができる。彦壽は同市下大賀出身の日本画家で、戦時中に22歳で亡くなった。近代日本画家の巨匠・横山大観から「天才少年」とたたえられ、養子にしたいという申し出があったと伝えられているが、無名のまま夭折(ようせつ)した。

彦壽は1918(大正7)年に静村(現那珂市)で農家の6男として生まれた。旧制水戸中学(現水戸一高)を出た後、東京美術学校(現東京芸術大)日本画科に入学し、41年に首席で卒業、答辞を読んだ。同校研究科に進学。同年6月に徴兵検査を受けた後、盲腸炎で亡くなった。在学中に大日美術院展などに入選している。

作品は市に寄贈される

彦壽の作品の大半は生家の蔵の長持ちに保存されていた。私はふとした縁でその作品群を見つけ、5年前に同市古徳の市総合センター「らぽーる」で1日だけの作品展を開くことができた。

一連の作品を見たとき、私は「日本画だけど洋画の趣もある。繊細で克明な描写が美しい。こんな素晴らしい作品を埋もれたままにしておくのはもったいない。彦壽も無念の想いだったに違いない。地元の人に見てもらい、近くにこんなすごい人がいたんだと知ってもらいたい」と考えたのだ。

その後、生家の当主・寺門直子さんは、作品の中には傷みが激しいものもあるため、1人で管理するのは難しいと考え、絵だけでなく、彦壽に関する資料類を市に寄贈することを決めた。寄贈を受けた市は、表具師に修復と額装を依頼し、このほどその作業が終わったので、那珂市制施行20周年記念行事の一環として今回の企画展にこぎつけた。

「カンナ」「田端駅展望風景」

今回の作品展には、大観が見たと思われる小学生時代の「水辺の少年たち」や中学生時代の「牡丹と雛」、「洋蘭と雀」と習作、美術学校時代の「少女」「カンナ」「田端駅展望風景」などの大作の他、絶筆となった日記なども展示されている。

私は今回の作品展に掲示された作品群を見ながら、「彦壽は今の医療技術なら、盲腸炎で命を落とすことはなかっただろう。存命だったら思う存分に画才をふるい、同校卒で文化勲章を受章した東山魁夷や杉山寧らと並んで、わが国でのトップクラスの日本画家になったのに」と、80年以上前に亡くなった彦壽に想いをはせている。

彦壽の作品展は11月30日まで(月曜休館)。関係者は、企画展終了後、これらの作品を地元の瓜連小学校で展示し、子どもたちや父母に見てもらうことも予定している。(元瓜連町長)

ブリキの缶、物語のはじまり《続・平熱日記》169

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】必要に迫られて2階にちょっと手を入れることになった。2部屋に仕切られていた壁を抜いて一続きの部屋にする。そう聞くと大変そうだが、SDGsを先取りした我が家の壁はビスで留められた針葉樹合板でできているので、インパクトドライバーで作業すること小1時間、あっさりと壁は取り払われた。

それはそうと、部屋の隅に積み上げられた透明の衣装ケースや中身のよくわからない段ボールをどうしたものか。

捨てるもの、だれかに使ってもらえそうなもの、とりあえず保留…。もう何年も開けたことがないということは、全て処分してしまっても多分困らないのだが…。しかし、これまでに何度も同じようなことが繰り返されて、目の前の衣類や段ボールの中身は生き残ってきたはずだ。

ある段ボールにはカセットテープ、それから年賀状や手紙の入った箱。それから捨てられないのが、子供たちの描いた絵、ノート、賞状など。そんな子供たちの思い出の箱から、ブリキの缶を見つけた。開けてみると、特に何ということはない小さな人形やシール、キャラクターのカードなどが入っている。

若いころ住んでいた東京の西の街に、「ブリキ缶」というカフェがあった。文字通りアンティークの缶が飾ってある小さなカフェで、同じ通りには古着屋や古書店などもあって、田舎者の私が当時のカウンターカルチャーに出会った場所だ。確かに、ブリキの缶はキッチュなデザインや色が時間と共に古びていく感じがなんともいえない味となって、鑑賞に値するオブジェとなりうるし、今でも出かけた先でお土産物を選ぶときなどは意外に缶のデザインに引かれて買ってしまう自分がいる。

手紙、裁縫道具、領収書、写真

ドラマや映画では、この手の缶の中身が重要な手掛かりになったり、お宝が隠されているシーンを見かける。多分、ブリキの缶は何かをしまっておくのに「ちょうどいい」のだ。大きさといい素材といい、それから少し安っぽいところとか。

もし缶がなかったら、お宝も思い出も秘密も埋めたり隠したりできなかったかもしれない。そして、ブリキの缶は物語の始まり、きっかけにはもってこいの小道具。昔はいただいたクッキーを食べた後の缶やノリの缶なんかは何かの入れ物にしてとっておいたものだ。

というか、何かの入れ物になるかもしれないと思って捨てられないでいたというか。するとそのうち、ちょうどいいものがちょうどいい缶に収まる。手紙、裁縫道具、領収書、写真…。私も何かサプライズなものを缶にしまっておこうか、宝の地図とか…。おや、この缶は? 台所の棚にある赤い缶を開けたら、古い落花生が出てきた。

ひと続きになった部屋には低くなった陽の光が差し込んで心地よい。子供たちの思い出の缶はそのまま元の箱に戻すことにした。(画家)

人と街と文化《遊民通信》100

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【コラム・田口哲郎】

前略

おかげさまで、このコラムも100回を迎えることができました。御礼申し上げます。散歩好きの文明批評家との肩書きをいただき、徒然(つれづれ)なるままに好きなことを書かせていただいたことは、とてもありがたく感謝しております。

大学院の博士課程にいながら、キョロキョロしながら街を歩いてコラムを書いています。すべてが遊歩の話題とはいかないのですが、今回は原点に戻って、散歩者から見た街について書いてみたいと思います。

先日、東京で開催された、とある学会に参加したとき、とある学者さんとお話しする機会がありました。その先生は、とある地方都市にお住まいです。出身地は知りませんが、大学は東京だったそうです。

先生は都心の街を眺めながら「東京は良いなあ」と何度もおっしゃるので、「何がそんなに良いんですか」と聞きました。すると「東京は良いよ、文化があるもの。私が今住んでいる街には文化がない」とぼやいていました。

学会のお昼休みに都心の繁華街に行ったのですが、小さな飲食店が並ぶいわゆる裏路地を歩いているときにも、「良いなあ」。入ったのはその街で何十年も営業している、風情のあるカフェでした。「文化があるなあ。飯もうまい」と、終始満足そうな顔をしていました。

その先生が住んでいる地方都市は住みやすいと聞きますし、文化ももちろんあるし、食べ物もおいしいところだと思います。「文化」をほめたたえる先生の真意はなんだろうと私は考えました。もちろん、個人的な好みもあると思いますが、東京が持つ「文化」とはなんでしょうか。

群集が街の文化をつくる

たしかに、茨城県南、土浦・つくば市と東京の繁華街を比べると、郊外と都心という違いがあります。土浦は歴史ある街ですし、アーケイド街もあるので都心の要素もあると思います。でも、圧倒的に異なるのは、昼間にも夜間にも人がたくさんいるということでしょう。いまの都心は人混みの程度が、インバウンドもあって大きくなっている気がします。

郊外のお店は混んでいないので入りやすいですが、都心のお店は席がなかったり、行列していたりする。しかし、それは人の通行量の違いがなせるわざです。

こう考えると、街の文化の礎とは雑踏、人混みなのではないでしょうか。前にも紹介しましたが、エドガー・アラン・ポーの「群集の人」という小説があり、その主人公の老人はひたすら街を歩き、カフェで休憩します。最後は雑踏に消えてゆきます。群集がいてこその街なのです。

コロナ禍では街に人がいなくなりました。それも終わり、人も価値観も元通りになっている。でも、コロナ後はコロナ前とは何かが違うはずです。遊歩者を自認する者として、人と街の関係について注意しながら文明を観察してゆきたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

道路工事中に個人宅の光回線ケーブル切断 つくば市

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つくば市役所

つくば市は8日、市が発注した同市花室の歩道整備工事で7日午後2時ごろ、請負業者が市道の電線付近で作業を実施し、油圧ショベルのアームを持ち上げたところ、光回線ケーブルの電線を切断してしまったと発表した。

光回線ケーブルは個人宅への引き込み線で、切断により1軒でインターネットサービスが一時利用できなくなった。業者はNTT東日本に復旧を依頼、個人宅に謝罪し状況を説明した。インターネットは2時間ほどで復旧したという。

市道路整備課によると、業者が周辺状況に注意を払っていなかったことが原因。市は同業者に対し、周辺状況を把握して細心の注意を払って作業するよう指導したとしている。さらに現在、市の工事を受注している全業者に対しても注意喚起を徹底し、再発防止に努めるとしている。

同市では2021年5月にも道路工事中に光回線ケーブルを切断する事故が発生。今年8月には水路の除草作業中に光回線ケーブルを切断する事故が発生している。

独自の発展遂げる茨城の伝統工芸を紹介 スタジオ’Sで企画展 つくば

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7日から始まった企画展で展示される小佐畑孝雄さんによる「桂雛」

つくば市二の宮のギャラリー「スタジオ’S」(関彰商事つくば本社内)で、県内にて伝統工芸を維持しながらそれぞれが独特な発展を遂げてきた作品を紹介する企画展「常陸国が誇る-進化する伝統工芸と匠の技-展」が7日から始まった。展示されているのは、いばらき組子、笠間焼、桂雛、大子漆/八溝塗、西ノ内和紙、本場結城紬、水府提灯/すずも提灯など7つの分野で活躍する作家らによる作品80点余り。

安達克敏さんと将伍さんによる「いばらき組子」

主催する関彰商事は文化事業の一環として、茨城県を中心とする全国の優れた伝統工芸品などを紹介する「クラフテリアートギャラリー」を2022年に同社東京オフィス(東京都千代田区丸の内)内に開設した。同ギャラリーのキュレーター津延美衣さんは「クラフテリアートとは、クラフト・インテリア・アートを組み合わせた造語。クラフテリアートを通じて、日本の文化でもある伝統的な工芸技術・技法による作品と、伝統と革新が融合する現代のニーズにあった素敵な作品を国内外の多くの方にご紹介し、作り手・売り手・購入者がともに喜びを感じることを心より願っている」と思いを込める。

辻徹さんによる大子漆を用いた「八溝塗」

今回つくばの企画展に関して津延さんは「日常生活の中で育まれてきた日本人の知恵と熟練を要する伝統の技を継承しながら、他県ではあまりない独自のスタイルを追求できることにより進化を遂げている匠の技など『灯台下暗し』と思われるそれらの素晴らしさを特に県内の方々が再認識するとともに周知していただき、茨城県伝統工芸のさらなる発展につながると幸いです」と語る。さらには「茨城に伝わる優れた原材料を生み出し国内の伝統文化を支えている全国第2位の生産量を誇るのは上質な『大子漆』で輪島塗に、県北地域で作られる和紙の優れた原料になる『那須楮』は日本三大和紙の美濃和紙や越前和紙の原材料となっている一方で、それらを活用するべく県内においての伝統工芸の担い手が不足している現状は深刻な問題」と指摘する。

キュレーターの津延美衣さん

会場には、▷2021年に厚生労働省による「現代の名工」に選ばれ、22年には黄綬褒章を受章した小美玉市で「いばらき組子」を作る「安達建具」の3代目を務める木工職人の安達克敏さんと、父の技術を受け継ぐ将伍さん、▷鮮やかな草花や、筆を用いたモノトーンを笠間焼で表現するグラフィックデザイナーから陶芸家に転身した大貫博之さん、▷城里町で茨城県郷土工芸品に指定され、城里町無形文化財指定の認定を受けるひな人形「桂雛」を作る「桂雛喜凰」3代目の人形師・小佐畑孝雄さん、▷自ら漆の木を育て大子産の漆を用いた漆器「八溝塗」を作る常陸大宮市の有限会社ウェアウッドワークを営む木漆工芸家の辻徹さん、▷常陸大宮産の那須楮を使用した西ノ内和紙作りを継承する「西ノ内和紙 紙のさと」4代目の和紙工芸家・菊池大輔さん、▷奈良時代に常陸国から朝廷に献上されていた「絁(あしぎぬ)」が原型ともいわれる結城紬を、従来の着物や帯以外にもコートやショール、バッグなど現代の暮らしにあった形で表現する「結城 花田」の花田啓子さんと長男の千裕さん、▷1865年に創業し水戸で水府提灯を作り続け、現在は7代目鈴木隆太郎さんが受け継ぐ「鈴木茂兵衞商店」と水戸市出身のビジュアルアーティストのミック・イタヤさんとの協働によるアートオブジェにもなる新しい提灯「すずも提灯」などの作品が並ぶ。

◆「常陸国が誇る-進化する伝統工芸と匠の技-展」は7日(木)から28日(木)、午前10時から午後5時まで、つくば二の宮1-23-6 関彰商事つくば本社内、スタジオ‘Sで開催。土日祝日は休館。入場無料。

高低差3メートルの情熱《くずかごの唄》143

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】

「この前の道路、昔は霞ケ浦の入り江だったのよ。私が初めて土浦に来たとき、その風情がまだ少し残っていたわ」

「えっ、霞ケ浦から2キロも離れているのに」

「あの辺に柳の並木なんかあって、料亭・霞月楼に行くのに、阿見の人たちは船に乗ってやって来て、風情のある小道を歩き、料亭を利用していたらしいわ」

「その料亭、今でも残っているの?」

「そのまま残っていて、この間、霞月楼に伝わる絵や書の名品展が行われたの」

歴史のある料亭が昔の形で残っているところは、少なくなってしまった。しかし土浦には、霞月楼という老舗料亭が昔のままの形で残っている。

9月下旬、「湖都・土浦を語る」と題したトークセッション(29日)と、霞月楼に伝わる絵や書の写真展示会(24~29日)が行われた。トークセッションの講師の1人、高野史緒さんは娘の友達。もう1人の清水亮先生は、慶応大学の学生を連れて奥井薬局の展示コーナーに来てくださった。

私道を100メートル歩いて出勤

土浦市内の旧中城通りは昔の水戸街道。昭和のころには、鈴木薬局、奥井薬局、山口薬局、土浦薬局と、120メートルぐらいの街道沿いに薬局が4軒もあり、お互いにしのぎを削っていた。一軒置いてお隣の山口薬局さんとは、どちらが先にシャッターを開けるか、毎日競っていた。

私はそういう競争がアホらしくて、父母に店の引っ越しを勧めてみたが、「奥井薬局は、土浦城から出て、水戸街道にぶつかる一等地です」と。

徳川時代の一等地から離れようとしない父母が亡くなってすぐに、私は我が家の敷地の尻尾に薬局を移転してしまった。昔の霞ケ浦の入り江だったところである。家はそのまま昔の水戸街道沿いにあるから、毎朝、弁当やお花、飲み物など手押し車に積んで、私道を100メートル歩いて出勤する。

家(水戸街道沿い)と薬局(霞ケ浦入り江)のある場所は3メートルの高低差がある。手押し車にとっては、ちょうどいい傾斜を歩くことになる。江戸時代、街道を湖の高さから3メートル上げて造った道。土をどこから持ってきたのだろう。この辺りは低地だから、土砂を殿里あたりの台地から運ぶしかない。

人の手だけで運んだのだからすごいなあ。私は毎朝、江戸時代の人に感謝しながら歩いている。(随筆家、薬剤師)

「ながら運転」罰則強化受け 並木中等教育学校で自転車安全講習会

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電動アシスト自転車に試乗し安全運転について確認する生徒ら

県立並木中等教育学校(つくば市並木、柴崎孝浩校長)で7日、中学生向け自転車安全講習会が実施された。道交法改正により11月1日から携帯電話を使用しながら自転車を運転する「ながら運転」に罰則が設けられたなど、自転車の安全運転に対する意識が高まっていることから、電動アシスト自転車メーカーのパナソニック サイクルテック(大阪府柏原市、稲毛敏明社長)が開催した。

中学1年生160人を対象に、通学で使用する自転車に安全に乗るためのポイントや運転ルールを、座学と試乗を交えて解説した。同社の自動車安全講習会は全国で4カ所目。

同社事業企画課の山本力也さんが、体育館のステージにスライドを写しながら、ヘルメットの着用や安全な乗り方、「ながら運転」の罰則強化など道交法改正について説明した。

中学1年生160人を対象にスライドを交えながら安全運転について説明する講師の山本力也さん(ステージ上)

続いて1年生全員が、同社が用意した電動アシスト自転車15台に代わる代わる試乗し、直進したり、目印の周りをジグザグに走ったりしながら安全運転について確認した。

参加した中学1年の生井夢さんは「電動自転車は少しペダルを踏むだけでスピードが出るので少し怖かった。通学では3キロ自転車に乗る。今日の講習会を受け、安全に心掛けたい」と語り、中村そよさんは「電動自転車は普段使っている。正しく乗れば安全。今日の講習会はとてもためになった」と話していた。

同社の山本さんは「電動自転車は安全に乗れるものなので徐々に普及している。坂の多い地域などでは80%が利用している学校もある。メーカーとしては自転車の安全性を高める工夫をしており、合わせて啓蒙活動を行うことで、ハードとソフトの両方を充実させていきたい」と話す。

11月1日の道交法改正では、携帯電話などを手に持って、自転車に乗りながら通話する行為と、画面を注視する行為が新たに罰則の対象になり、違反者には6カ月以下の懲役、または10万円以下の罰金が科される。さらに自転車の酒気帯び運転にも罰則が設けられ、違反者には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科される。酒気帯び運転に関しては、酒気帯び運転の恐れがある人に酒類を提供したり、自分を送ってほしいと同乗したり、自転車を提供した場合も罰則が科される。(榎田智司)

演奏と朗読など融合し研究成果を発表 フランス音楽研究会がサロンコンサート

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「スポーツと気晴らし」の演奏の様子。マルタンの版画と共に

サティの詩を新訳で披露 10日、つくば 夢工房

つくばを中心に活動する「フランス音楽研究会」(阿部理香代表)が10日、つくば市豊里の杜、ギャラリー夢工房でサロンコンサートを開く。今回は「エリック・サティ氏の気晴らし」と題し、20世紀初頭のフランスで活躍した前衛音楽家サティと、その同時代人であるラヴェル、ストラヴィンスキーの作品も取り上げる。

コンサートの白眉は、サティのピアノ小曲集「スポーツと気晴らし」の全曲演奏。ゴルフ、ブランコ、ヨット、魚釣りなど、当時のブルジョワジーの風俗を題材にした全21曲の詩曲集だ。サティの詩は風刺やウィットに富み、今回のコンサートではそれを新訳で披露する。

フランス音楽研究会は2003年結成。近代フランスの作曲家を中心に、文化的背景と音楽表現の関わりなどを異分野融合的に研究し、その成果を演奏と詩の朗読、文化的レクチャーを融合したコンサートとして発表している。

代表の阿部さんはメゾソプラノ歌手で「カルメン」「フィガロの結婚」などのオペラに出演。文学、美術、風俗などの異分野を融合した探求を行い、総合芸術の視点でフランス音楽を研究している。

「イタリア組曲」演奏の様子。ピカソによる舞台背景と衣装デザインと共に

「スポーツと気晴らし」は、高級ファッション誌を手掛けていたパリの出版社が企画し、サティの手描き楽譜と風俗画家シャロル・マルタンの版画をコラボレーションした豪華本として1923年に発表された。当初は1914年の出版予定だったが第一次世界大戦の勃発により中断、約10年の間に流行や価値観が大きく変化したため、マルタンが新たに絵を描き直した。

「新旧の版を比較すると、女性がどんどん自由になっていく過程が分かり面白い。例えば第17曲『そり』は、旧版では男性に押してもらっており、新版では女性が一人で滑っている。第8曲『海水浴』は自由奔放に海に飛び込み、泳ぐ女性たちの姿が生き生きと描かれている」と阿部さん。

サティの音楽については「親しみやすく常に新しい。単純な音で時代を超え、耳にすればみんなが知っている。環境音楽のはしりとも言える人。権威に背を向け、自分の個性を大事に生きた」と阿部さんは評する。

「サティが生きた19世紀末から20世紀初頭にかけては、みんなが新しいものを探していた時代。美術、音楽、ファッションなどが同時に進化し、その様子は音楽だけを見ていたのでは捉えきれない」

当時は女性の力が強まり、アカデミーという既存の権威をひっくり返すほどの力も持っていた。有産階級の女性が主宰したサロンでは、アカデミーのようなヒエラルキーはなく、芸術家たちは自由に新しい自分の芸術を追究することができたという。

サティもまたアカデミーに背を向けた異端児で、モンマルトルのキャバレーのしがないピアノ弾きをしていたが、「ベルエポックの女王」と呼ばれたミシア・セールの抜擢により脚光を浴びることになった。ミシアはロシアバレエ団の創始者ディアギレフのパトロンでもあり、ディアギレフはバレエ作品「パラード」の音楽にサティを起用、そこにはコクトーやピカソ、ストラヴィンスキーら時代の寵児も多くかかわっていた。

「ストラヴィンスキーやラヴェルはサティより一回りほど年下だが、サティよりはるかに売れっ子で、それでいて互いに認め合う仲だった。サティの音楽は10年早かったとも言える」と阿部さん。そうした点もコンサートで確かめることができる。(池田充雄)

◆フランス音楽研究会のコンサート「エリック・サティ氏の気晴らし」は11月10日(日)、つくば市豊里の杜2-2-5、夢工房で開催。開場は午後2時、開演は2時30分。演目はラヴェル:マ・メール・ロワより、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」イタリア組曲より、サティ:ジムノペディ、1916年の3つの歌、スポーツと気晴らし、あんたが欲しい。料金は2000円、「茶-tea」付き。申し込み・問い合わせは電話029-852-7363(阿部さん)へ。

北海道は北京郊外の山とそっくり《医療通訳のつぶやき》12

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日本最北端の地の碑(写真は筆者)

【コラム・松永悠】10月末に初めて北海道に行ってきました。うちには犬も猫もいるため、家を空けることがなかなか難しく、北海道に行くなんて夢のまた夢でした。

今回はご縁があって、札幌や函館といった有名な観光地ではなく、稚内まで飛んだ後、さらに浜頓別というオホーツク海に面した小さな町に行くので、この旅はどんなものになるか予想もつきませんでした。

結論を言うと、最高の思い出が出来ました。観光シーズンが終わったこと、そして観光地ではない場所として、ディープな北海道の一面を見ることができました。

滞在中、毎日車で移動して、オホーツク海側も日本海側も見て回ることができて、いろいろ感無量です。同じ海でも、東京付近の海と全然雰囲気が違うんですね。オホーツク海も日本海も荒く、そして力強く、とにかく圧倒されっぱなしでした。海沿いに道路があって、高速ではないのに、交通量が少ないから信号なしでスイスイ行けます。

もちろん、海だけじゃないです。広大な平原と山林が途切れることなく延々と広がっています。実はここで意外な収穫がありました。初めて行ったのにも関わらず、この景色を見て私はとても懐かしく感じたのです。

「何もない」を楽しむ時間

この懐かしさはいったいどこから?としばらく観察したら、理由が分かりました。この風景、実は北京郊外の山とそっくり。目の前に広がっているのは子供の時から慣れ親しんだ景色そのものです。緯度的には、北海道が北京より北の方ですが、植物の種類も広大な感じも紅葉の色も驚くほど似ています。

今回の行き先は北海道の最北端に位置するため、行く先々で「最北端の〜」と出合います。土地が広いのに人口が少なく、出合ったエゾジカの数が人間より多いほどです。こんな場所ですから、夜になると文字通り「真っ暗」になります。ナイトサファイアに出かけたら、ここでも感動が待っていました。

これほどきれいな川が目の前に広がっていると気づいたとき、涙が出そうになりました。記憶の中で空一面に広がる星を見たのは、30年ほど前に北京郊外の山に行ったときでした。まだ大学生だった私が、山頂のゲルに泊まって、友人たちとふかふかの草の上で寝転がって、天の川に見とれていた記憶がよみがえりました。

とにかく、今回の旅は「何もない」を楽しむ時間でした。人も人工的な建造物もほとんどない代わりに、豊かな自然、たくさんの野生動物、パワーいっぱいの海を目いっぱい感じて、心を空っぽにすることができました。都会に住む人間にとっては、これほど贅沢(ぜいたく)なことはありません。(医療通訳)