木曜日, 4月 25, 2024
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《宍塚の里山》64 初夏の里山 「ぶらっと歩き」①

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宍塚の自然と歴史の会パンフ レット64

【コラム・及川ひろみ】今回は初夏の宍塚の里山の「ぶらっと歩き」です。出発は土浦学園線近くの「ふれあい農園」。農園近くには、親子で年間を通し活動をする「子ども田んぼ」、無農薬、無化学肥料、耕さない田んぼなど「自然農田んぼ塾の田んぼ」、そして農家の方が耕作する「宍塚米のオーナー制の田んぼ」と、3種類の田んぼが並んでいます。

田んぼの上空には里山の鷹「サシバ」が悠然と飛び、運がよければ田んぼのカエルを狙う姿が見られます。田んぼを過ぎると、若いアシが一面に広がるあるアシ原が広がります。アシ原ではオオヨシキリが「ぎょうぎょうし、ぎょうぎょうし」と、「仰々しい」の語源になったとされる賑やかなさえずりが聞かれます。

宍塚では、アシの上ではなく、近くの樹の枝で鳴いていることもしばしば。そんなときには、近くの木を仰ぎ見てください。オオヨシキリは一夫多妻(二妻)の鳥です。鳴いているのは雄、アシ原での子育ては複家族?

人の気配を感じると鳴き止んでしまうこともありますが、一時なりを潜めても間もなくまたけたたましく鳴き始めます。茶色で目立ちませんが、鳴いているときの口の中は真っ赤。驚くような赤さです。この赤色は仲間に元気であることを伝える手段といわれています。

カイツブリ、シジュウカラ、ヤマガラ…

ふれあい農園から小川沿いに歩き、最後少し坂を上がると、目の前に宍塚大池が広がります。大池ではカイツブリがキリッキリッ、キリリリと鋭く鳴き、雌雄が鳴きかわす声が池に響き渡っています。

そして、親の周りを泳ぐカイツブリの子どもも見られます。カイツブリの好物はアメリカザリガニ。今年、宍塚大池ではアメリカザリガニが大発生。ザリガニ好きのアオサギ、ゴイサギもよくみられます。

カイツブリ。何か異変を感じれば、ピッ、ピッと鋭い声で仲間に合図を送ることもしばしば。上空にはオオタカなどが小さな命を狙っています。生き延びることは大変。池のほとりの林では、キビタキが明るい声でピヨピ、 ピッピキ、ピピッピキピなどと、美しい鳴き声が聞かれます。

初夏の里山は木々が生い茂り、小鳥の姿を確かめることは難しいのですが、耳を澄ますと、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガなど、小鳥のさえずりをいろいろ聞くことができます。

新型コロナウイルス問題で遠くに出かけることがはばかられる昨今、親子、カップル、グループで里山歩きをされる方が増えています。身近なところにこんな素敵なところがあったと、大層驚かれる方もいます。じっくり里山をそぞろ歩きすると、日ごろ見落としていた小さな命、驚きの命にめぐり合えること請け合いです。(宍塚の自然と歴史の会代表)

障害学生の学習環境整備に緊急支援基金 筑波技術大学が募集

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筑波技術大学プロジェクトページの画面

【相澤冬樹】国内で唯一の聴覚障害者、視覚障害者のための大学、筑波技術大学(つくば市、石原保志学長)に緊急支援基金を求めるクラウドファンディングが11日立ちあがった。「障害学生へコロナで必要なサポートを」プロジェクトで、聴覚障害、視覚障害、盲ろうの学生に対して、遠隔授業を実施するための高度な情報保障(➡メモ)を伴う様々な設備環境の整備や、学生寄宿舎での生活維持のため、500万円をクラウドファンディングで募る。

新型コロナウイルスの感染拡大は、同大学で学ぶ学生たちへ大きな影響を与えており、新入生は学生寄宿舎への入居を見合わせている状況が続いている。5月末日現在、すべての授業を遠隔で実施しているが、通信の遅れによって手話がスムーズに動かないなど、コミュニュケーションが難しいケースも少なくないそう。さらに実習系の授業が行えないため、カリキュラムを予定通り進めていくことが大変になっているという。

不足500万円をクラウドファンディングで

大学ではすでに遠隔授業等で必要な通信機器の貸し出しや、学生寄宿舎の消毒作業などの支援を行い、筑波技術大学基金(「教育研究活動支援基金」「修学支援基金」)を通じて支援金を募っているが、基金全体予算1000万円のうち、なお500万円の財源が不足している。

このため国内最大級のクラウドファンディングサービス「READYFOR」(レディーフォー)を運営するREADYFOR社(本社・東京都千代田区、米良はるか代表)との業務提携に基づき、第3の寄付金募集を開始した。これより先、READYFORの感染症拡大防止活動基金による助成が採択され、学生寄宿舎の消毒作業を業務委託、毎日消毒を行えるようになった。現在、学生寄宿舎には63人の聴覚・視覚障害学生が共同生活している。

今回のプロジェクトは、聴覚、視覚に障害がある学生に対して、①必要不可欠なコミュニケーションがとれる、双方向型の遠隔授業を実施するための学習環境整備②寄宿舎の学生に対する感染予防及び感染時に対応できるようにするため及び対面授業実施に向けた感染予防対策の備品購入―の資金に充当する。

大学によれば、今年度の授業開始に際して、学生には自宅の通信環境を整備すること、端末機器を用意することを要請したが、個々の経済的事情により、十分な環境を整備することができない学生もおり、まずは大学の備品(パソコン、タブレット、モバイルルータ等)を貸与した。ただ、双方向授業に適用可能なテレビ会議システムに対応する性能を有する機器を必要学生分用意することができず、一部学生においては授業で画像や音声に支障が生じる事態が発生しているということだ。

具体的な支援策としては、広角カメラ等の機材を用いた授業の検討、寄宿舎生活の健康管理や感染予防のための衛生用品や非接触型体温計の購入、アクリル板、フェイスシールドなど実験、演習等の対面授業に向けた感染予防対策品の購入などを想定している。

公開期間は11日から7月31日までの50日間。目標金額の達成の有無に関わらず、集まった寄付金を受け取ることができるALL-IN形式を採用。プロジェクトへの寄付は税制優遇の対象となる。

大学は11日、学長名で「聴覚、視覚に障害がある学生に対するオンライン授業では、双方向型のコミュニケーションが不可欠です。このための性能を有する機器を学生分、用意するための支援を皆さまにお願い申し上げる」とのコメントを発している。

➡プロジェクトページはこちら

  • 【メモ】情報保障 人間の「知る権利」を保障するもの。いつでも、誰も情報が伝わらない状況に陥る可能性がある。特に聴覚障害者は、音声によって提供される情報や会話を理解できないため、日常的に情報から疎外されてしまう。そのため、一般的に「情報保障」とは、聴覚障害者に対するコミュニケーション支援を指して用いられる。

近代俳人直筆の100点を展示 つくばで「色紙・短冊に見る俳句の世界」

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展示作品の一部。左から中村草田男、河東碧梧桐(2点)、水原秋櫻子、高浜虚子(3点)、高野素十(2点)

【池田充雄】つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパスで企画展「色紙・短冊に見る俳句の世界」が開催されている。6月末まで。入場無料。

代表の岡田富朗さん(84)が65年の古書店人生の中で集めた、75人約100点の短冊・色紙がショーケースに並ぶ。明治以降の主要な俳人はほぼ網羅しているそうで、「なるべくいろいろ見ていただこうと1作家1枚は必ず入れた。ほかにもご希望があれば出してお見せします」と岡田さん。

俳人の個性が書にも発露

いずれも作家の直筆で、人柄や作風が書にも表れている。例えば高浜虚子は筆の運びに疾走感があり、まさに俳壇の先導者らしい。茨城(取手市神住)生まれの高野素十は客観写生のお手本と言われ、書にも優等生的な素直さや真面目さがうかがえる。水原秋櫻子は繊細で鋭敏、中村草田男は伸びやかで力強い。ことさらに名は体を表すのが俳号といえる。

自由律の祖である河東碧梧桐は、書も奔放でけれん味がある。「赤い椿白い椿と落ちにけり」は代表作としてよく知られる。書を見ると紅白が絡み合った、いっそう鮮やかな光景が浮かんでくる。短冊の効果かもしれない。

店内には碧梧桐の色紙も飾っている「散る頃の桜となりのも咲きさそひ来る」 右は瀧井孝作(号は折柴)の句

小説家の作品もある。尾崎紅葉は美文家らしく書も流麗で、いかにも大先生にふさわしい。室生犀星は書体にも句にも素朴な温かみがあり、詩情を感じさせる。意外だったのは瀧井孝作。至極の恋愛小説とされる「無限抱擁」をこの字で書いたかと思うと驚かされるが、俳句は碧梧桐の弟子だったと知れば、少しは納得できる。

大学生らにも人気再燃

「短冊は句会などの折に即興的に書かれ、掛け軸ほど改まったものではないが、やはり人に見せることを意識している分、生原稿などと違って鑑賞のしがいがある」と岡田さん。筆文字の面白さがあり、向かい合った際の気分によっても、うれしいときや悲しいときで見え方が違うという。

「俳句は短い形式で、強烈な印象を残すところがすごいと思う。俳人以外の句もまた、流派や定型に縛られない魅力がある」とも話す。大学生ら若い人にも愛好者が増えており、特に種田山頭火や尾崎放哉ら自由律の作家に人気があるそうだ。

店内には近現代の俳人の句集や研究書も多く取り揃えている。素十では1947(昭和22)年発行の処女句集「初鴉(はつがらす)」もある。

  • ブックセンター・キャンパス つくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い)午前10時~午後4時(火曜日定休)電話:029-851-8100

《映画探偵団》32 野口雨情作詞『爆弾三勇士』

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】雨情茨城民謡の謎を解くため、1930年代に作られた映画や1930年代を舞台にした映画を探して見ている。ある日、昭和初期を時代背景に作られた東映の任侠映画があったことに気が付いた。雨情と任侠映画はミスマッチであり盲点だった。

東映の任侠映画は『人生劇場 新飛車角』(1963)から始まる。TVの普及で斜陽となった日本映画界で観客を集め、『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『緋牡丹博徒』などのシリーズ物を生みブームは約10年間続いた。だが当時の映画評論家や文化人からは毛嫌いされ、批判の的だった。

鶴田浩二主演『博奕打ち 総長賭博』

ところが、作家の三島由紀夫がある任侠映画を絶賛したところから潮目が変わる。お墨付きを得たからだ。「何という絶対的肯定の中にギリギリに仕組まれた悲劇であろう。しかも、その悲劇は何とすみずみまで、あたかも古典劇のように、人間的真実に叶っていることだろう」

三島が評価した作品とは、ギリシャ悲劇を参考にした笠原和夫脚本、様式美で描いた山下耕作監督の『博奕打ち 総長賭博』(1968)である。

昭和10年、東京江東地区に縄張りを持つ天竜一家の総長が脳溢血(いっけつ)で倒れ、跡目相続問題が起きる。一門の組長でそれぞれ兄弟盃(さかずき)を交わした、中井(鶴田浩二)、松田(若山富三郞)、石戸(名和宏)が総長候補である。

中井の妹は松田の妻、石戸の嫁は総長の娘という関係。さらに一門の叔父貴分の仙波(金子信雄)は、大陸進出の野望を秘め、何かと口を出す。そして総長は石戸に決まり、中井は様々なしがらみに縛られ、花会の準備を進める。

何度か見ていた作品だが、今回初めて気が付いたカットがあった。中井を差し置いて総長の座を受けた石戸に不満のある松田が、自分を狙った刺客は石戸の差しがねと思い込み、事務所に押しかける場面だ。

そこに「ビクターレコード 歌藤原義江 野口雨情作詞 中山晋平作曲」のポスターが貼ってあったのだ。残念ながら、曲名は柱の陰になってわからない。昭和10年は、雨情が日本民謡協会を再興し理事長に就任した年である。

上海事変 満州建国 団琢磨暗殺

その3年前、昭和7年(1932)1月28日に「上海事変」が起きる。3日後の1月31日、2月2日に、雨情は竜ケ崎のまちおこし民謡『今朝も別れか』(常陸竜ケ崎音頭)と『竜ケ崎小唄』を作詞している。2曲は、男と2人の女との別れと出逢いを描いた恋歌である。

2月9日には前蔵相、井上準之助暗殺。2月22日上海事変で肉弾三勇士の戦死を軍部が発表。3月1日満州国の建国宣言。3月5日三井合名理事長、団琢磨暗殺。

時代はテロと大陸進出とで騒然とした雰囲気だった。こうした中でまちおこし民謡をつくる雨情は、大陸での出来事をどう意識していたのだろうか。雨情は昭和7年、『幼年倶楽部』7月号に『爆弾三勇士』の詩を発表する。「上海事変」で爆弾抱えて突撃し亡くなった3人の男の詩だ。

くもの巣よりも なほしげく
縦横無尽に はられたる

鉄条網を うちながめ
にくや 小しゃくな 十九路軍

日本男児の この意気を
今こそ見せん 時は来ぬ
(以下略)

雨情茨城民謡は、日本とアジア大陸とのしがらみの中で読み直せば、いろんな映像が見えてくるのではないかと思っている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

福祉施設の商品買って! 県社協若手が応援キャンペーン

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茨城県社協のキャンペーンサイトから

【山崎実】茨城県社会福祉協議会(水戸市千波町)の若手職員有志による「新型コロナウイルスに負けない!『福祉施設の商品を買って応援!キャンペーン』」が展開されている。

感染拡大でイベントの中止や店舗営業の縮小が相次ぎ、障害者が福祉作業所などで作っている菓子やパン、弁当などを販売する機会が激減。商品が在庫となっているほか、工賃も減り、仕事と生きがいが失われていることを懸念し、若手職員らが「一助になれば」と立ち上がった。

具体的には、在庫商品などの販売に支障をきたしている県内の就労支援事業所が、県社協のホームぺージ(HP)に事業所名、商品名、販売方法などを掲載する(掲載料は無料)。

応募キャンペーは当面6月末日まで。購入希望者は直接、事業所に問い合わせる。県社協では販売しない。

掲載を希望する事業所は、商品掲載依頼申込書に、商品原稿を電子メールにより添付して提出する。

問い合わせは県社会福祉協議会CI会(シーアイ)、電話029-244-3755)

➡県社会福祉協議会「福祉施設の商品を買って応援!キャンペーン」のHPはこちら

【赤青白のサギの群れ】㊦ 「アマビエ」似? アオサギが街を飛ぶ

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「アマビエ似かは分からないけど…」アオサギの生態を解説する益子美由希さん=つくば・農研機構中央農研センター

【相澤冬樹】鷺山のある桜川は、学園大橋下流から土浦市の中心市街地を抜けて霞ケ浦に注ぐ。サギ類は市民生活と隣り合わせで暮らす身近な鳥となってきた。それでも市街地上空を飛翔していくアオサギのいかつい姿にはなかなか慣れることができず、いつもぎょっとさせられる。

体長が1メートルほど、翼を広げると長さ150―170センチにもなる大型の鳥。後頭に黒い羽毛が伸長(冠羽)し、繋がるように眉状の黒い筋模様(眉斑)が入る。アオサギは桜川の鷺山には加わらず、周辺の里山で樹上生活をしているが、木の上にじっとたたずむシルエットが、疫病退散の妖怪として話題の「アマビエ」に似ているというものまでいる。

農研機構中央農業研究センター(つくば市)の研究員、益子美由希さん(34)を訪ねた。コロニー(集団繁殖地)を作って暮らすサギ類の生態に詳しい。茨城県内のサギについては筑波大学の生命環境科学研究科が1980年代から、コロニーやねぐらの分布を調査してきた。益子さんは学生時代の2008年から、その調査を引き継ぎ、大学院を経て今の研究生活に至るまで、調査を継続している。

調査対象にはアオサギも含まれており、県内での増加傾向を定量的にとらえた。「サギ類にかかわらず近年、大型の鳥類が個体数を増やす傾向にある。サギ類でみると、小型のアマサギ、コサギが減っているなかで、ダイサギ、アオサギに増加傾向が見られる」と自作のグラフを見せてくれた。

茨城県周辺でのコロニー性サギ類6種の推定個体数の変化=出典:Mashiko & Toquenaga (2013) Forktail 29:71–77より改変(農研機構提供)

データは、フィールドワークで丹念に採取される。コロニー上空に小型ラジコンを飛ばし空撮を行い、緑地のなかで白い点に写った鳥の数をカウントする。地上からも飛び立つサギを種類ごとに数え、その比率からコロニーにおける6種の個体数を推定する。これを毎年、茨城県内で形成される約20カ所の営巣地で行った。

アオサギは6種中もっとも少ない個体数だったのが、近年チュウサギ、ゴイサギに次ぐ第3勢力に拡大した。論文発表済の2011年まで(2005年は空撮コロニー数が少ないため除外)をイラストグラフ化しているが、アオサギの増勢はその後も続いている。

動物食のサギに格好のえさ場

「以前は農薬散布が捕食動物の生息数の増減に影響を与えたが、今は農薬の影響は少ない。大型になるほど天敵が減って生態系のなかで優位に立つということではないか。えさ場の多い土浦周辺では増える要素が十分にある」と益子さん。

中央農研にはこの4月に移ったばかりだが、新型コロナウイルスの影響からフィールドワークに出にくく、研究者としては羽を休める日々が続いている。所属は鳥獣害グループ。今後は調査研究の対象をカモ類などにも広げたい意欲をもっている。

「サギは田んぼや畑で虫やカエル、ザリガニなどを食べて暮らす。基本は動物食なんです。土浦あたりに多いハス田は一年中水が張られ、えさが取りやすいから大好きなんだけど、植物のレンコンを食べることはない。農作物にとってはむしろ益鳥です」(益子さん)

しかし、これだけ市街地に近い場所に、サギ類のコロニーが作られるようになると、周辺の住民にふんや鳴き声、臭いなどの生活被害をもたらす懸念は小さくない。

現状、サギは鳥獣保護法により、許可なく捕獲したり、巣を落としたりすることが禁じられている。カラスやカルガモを駆除の対象とする土浦市・かすみがうら市鳥獣被害防止計画にも、アオサギをはじめとするサギ類の記載はない。この先もヒトはサギとの適切な距離感(ディスタンス)を保って、お隣付き合いを続けていけるだろうか。

【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(下) 『徒然草』の伝え

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必携となったフェースシールド

【田中めぐみ】土浦市内の小中学校、義務教育学校では今週から通常登校となった。土浦日本大学中等教育学校でもオンライン授業をひとまず終了し、通常登校が始まる。新しい学校生活様式はどのようになるのだろうか。

感染を防ぐ教室環境の整備

生徒も教職員も登校前に体温を測定し、登下校時や学校にいる間はマスクを必ず着用する。教職員にはフェースシールドの用意もある。昇降口や教室、職員室にはアルコールを置き、手指を消毒できるようにしている。手洗いの徹底、こまめな水分の補給も指導する。ドアの取っ手やスイッチ、階段の手すりなど生徒が手を触れる場所は教職員が1日1回以上消毒を行う。

さらに、教室はできるかぎり2方向の窓を同時に開けて換気しなければならない。しかし、これからの時期、雨風の強い日、蒸し暑い日は一体どうなるのだろう。マスクをしたままの活動は熱中症の危険もある。エアコンを適宜使用し、快適な教室環境を守りつつも感染を防ぐ配慮が必要となってくる。

制限される国語の活動

近距離で一斉に大きな声で話す活動はできない。国語の授業では全員一斉に大きな声で教科書を朗読したり、活用表を読み上げたりすることがある。今までは生徒たちに「もっと大きな声で言ってみよう」などと促していたが、このような音読活動はしばらく控えるべきだろう。

複数の生徒が近距離で話す活動も「密集」「密接」になるおそれがある。発表したり話合わせたりする活動は、これまでグループワークで行ってきたが、それも当面は見合わせることとなる。生徒が楽しみにし、毎年白熱する百人一首のかるたも現状ではできないだろう。

課題の提出・採点にオンライン利用

生徒同士が持ち物を共有したり、個人の持ち物に触れたりすることも良くない。これまでノートや課題などの回収を生徒に任せることがあったが、回収係の生徒を感染のリスクにさらすことになるかもしれない。回収用のボックスを作り、各自入れてもらうなどの工夫が必要だ。もしくはGoogle Classroom(グーグル・クラスルーム=課題のオンライン管理システム)を用いる。先月は作文の課題を配信した。

生徒は課題についての質問をチャット形式で教員に送ることができ、提出もオンラインでできる。採点結果やコメントもシステム内でフィードバックされるので感染の不安がない。

非常事態だからこそ学びを

兼好法師『徒然草』に「世に語り伝ふること」という段があり、高校2年生と読んでいる。冒頭に「世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」とある。世の中で語り伝えられていることは嘘が多い、というのである。

また、こうもある。「よき人はあやしきことを語らず」―教養がある人は疑わしいことを語らない、と。『徒然草』の別の段には、発熱する疫病が流行しそれに伴って鬼を見たというデマが流れ、人々が騒然としたという記述もある。鎌倉時代に書かれたこの古典を、生徒らはどのように考えるだろうか。

テレビやインターネットに様々な情報があふれる今、子どもは放っておくとSNSや動画サイトなどで、特定の情報にばかりにアクセスしてしまう。不確かな情報が飛び交う中、必要以上に不安を煽(あお)られたり、反対に感染の危険性を軽視したりすることもあるだろう。

学校では様々な問題、課題に触れ、情報の扱い方について学んでいく。根拠を示した意見と感想の違い、一次情報と二次、三次情報の違いなど、様々な教科で考え、新たな視点を手に入れていく。自分を取り巻く状況について考え、問題を解決しようとする主体性を身に付ければ、フェイクニュースに躍らされることもない。また、もし身近に感染者が出てしまった場合、差別をしたり誹謗中傷をしたりすることは絶対にあってはならないことだが、正しい知識を持つことは偏見を防ぐことにもつながる。このような非常事態だからこそ、学ぶことには大きな意味がある。

今後、感染拡大の第2波、第3波の可能性もあるといわれている。オンラインの備えをしながら感染を防ぎ、より良い学校生活を送るにはどうすればよいのか。教材を通じて、生徒らと共に考えたいと思っている。

《続・平熱日記》63 我流養生訓

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【コラム・斉藤裕之】玄関から上がって「?」。何か踏んだな。よく見ると大きな犬の歯。フーちゃんの歯。

フーちゃんはこの家を建てた次の年の春にやってきた。だから満17歳。歯も何本か失ったが、今は目も耳もほとんど利かないのだろう。呼んでもあらぬ方向を見つめたり、帰宅しても気づかずに寝ていたりする。おむつもするようになった。

それでも、とにかく食欲は旺盛なのだが足腰が弱っているので、食べている間にだんだんと手足がハの字に開いていってしまう。しまいには全開脚して、すっかり這いつくばったまま、それでも食べ続ける。

ひょいと尻尾を持って引っ張り上げて、足が開かないように私の足を両の後ろ脚の外側に添えてやると、なんとか姿勢を保ちながら、えさの入った洗面器を空にする。

洗濯物干しスクワット

実は私も、今年になってどうも左の膝に違和感を覚える。余談だが、こういうときにちょっと人に聞いてみるのはよいとして、最近ではSNSで体調が悪いだの、病院に行きましたとか、家族がどうしたとか呟くのはどうかと思う。

どこの家にも、具合の悪いことは一つや二つあるものだ。世の中がそんな投稿で溢れてはかなわない。私の場合、これまでケガなどの経験は人より多いと思っていて、大概(たいがい)自分流に対処してきた。

しかし今回は違う。明らかに経年劣化。それから確実に運動不足。だからといって、ウォーキングやジムに通うのはどうも。本来は、水汲みや雑巾がけなど、日々の暮らしの中に肉体労働がバランスよく入っているのが理想なのだが、生憎(あいにく)そこまで不便な暮らしでもない。そこで、私が毎朝密かに始めたのが、名付けて「洗濯物干しスクワット」である。

洗濯はもう十数年来私の役目。娘たちがいたころとは違い、夫婦2人の洗濯物は実にシンプルで、下着や靴下は洗濯ばさみが十(とお)も付いた小さな物干しハンガーで十分だ。

そのハンガーは床から60センチほどの高さにぶら下げてある。まずはカミさんの下着を持ってゆっくりしゃがむ。足は肩幅。一番きついところでキープして、洗濯ばさみでとめる。ゆっくり立ち上がって次は私のパンツ。そして靴下…。都合10回ワンセット。ポイントは呼吸法と膝を締めて開かないこと。すぐそばで寝ているカミさんに気付かれないこと。これだけで意外に効く。ライバルは三浦雄一郎、目指すは千代の富士の肩というところか。

抜けた愛犬の歯と私の歯

それから、フーちゃんの抜けた歯は、いつか描くこともあろうかと集められたガラクタどもと一緒に、アトリエの机の上に置いた。その横には自然に抜けてしまった私の歯も並んでいる。まさかこれを描くことはないが、生え変わることを願って放り投げることもないし。

さて今年も定期検診に行ってきた。何も問題はなかった。気がかりなのはやはり膝だ。そこで、洗濯物干しスクワットに加えて、台所仕事にもひと工夫して下半身を鍛えようと思う。今日から夕飯は「中腰料理」である。コラーゲンの有無はともかくも、シェフの膝はプルプルである。(画家)

学校再開 ただし距離保ち、触れ合わず 土浦小訪問記

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向かい合わず、全員が前を向いて給食を食べる5年生の児童=土浦市大手町、市立土浦小

【鈴木宏子】新型コロナウイルス感染拡大防止のため3月から休校となっていた学校が8日再開し、3カ月ぶりに児童、生徒全員が通常登校した。ただし友達同士、手をつないだり、肩を組んだり、大声でしゃべったりせず、マスクを着けて、互いに距離を保ちながらの新しい学校生活がスタートした。

県内では5月6日から新規感染者ゼロが続き、感染が抑制できているとして、8日から、外出自粛や休業要請がすべて解除となるステージ1に移行したのに併せて、学校も通常登校となった。

このうち土浦市大手町、市立土浦小学校(小島勝則校長、児童数622人)では8日、全校児童がそろって登校した。5月27日からクラスを半分に分けて分散登校が始まったが、全校児童がそろったのは3カ月ぶり。

子供たちは朝、登校するとまず、昇降口で熱がないことを報告。教室に着くと手を洗い、自宅で測ってきた体温を記入した「検温カード」を担任教員に見せた。

教室では、机と机の間隔を約1メートル空けて座り、マスクをしたまま授業を受けた。換気を良くするため、外側の窓を開けっ放しにし、廊下側の後ろのドアを取りはずした。

休み時間は、校庭で遊べる時間帯を学年ごとに割り振り、外遊びも密にならないようにした。さらに休み時間ごとに手を洗ったり、水を飲んで水分を補給。マスク着用による熱中症が心配されていることから、水分補給には特に注意しているという。

3カ月ぶりに給食が出されたが給食風景も大きく変わった。当番の児童が配膳するのを止め、担任教員が一人ひとりにおかずを配膳。グループごとに向かい合って食べていたのを止め、全員が前を向き黙々と食べた。

体育は、子供たち同士が接触する球技などは避け、当面、接触し合わない、かけっこなどをするという。

教員はさらに1日2回、教室やトイレのドアノブなどの消毒を実施。子供たちが帰宅した後は、児童全員の机といすの消毒などを毎日実施する。校庭の遊具なども毎日消毒する。

小島校長は「教員皆、今日の日を待ち望んでいた。子供たちも全員に会える日を心待ちにしていたと思う」と語り、「学校は多くの人が集うところなので密になることは避けられないが、3つの密が重ならないように、皆が協力して健康で安全に学校生活を送っていけたら」と話した。

学校再開初日の8日、子供たちの表情は休校前と変わらず明るく、加えて、コロナ禍の新しい生活様式として求められている「節度ある生活をしてくれている」と小島校長はいう。

宿泊割引支援、キャンプ場情報発信 県補正予算

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茨城県庁

【山崎実】県議会6月議会が8日から23日まで開かれる。公表された補正予算案によると、需要の冷え込みが著しい県内観光の回復、支援策として、旅館やホテルへの宿泊促進事業、家族連れにも人気の高いキャンプ場の情報発信などに乗り出す。

宿泊促進事業は、県内の旅館やホテルなどの事業者を対象に、旅行宿泊料金の割り引びを行った相当額分を支援する。

支援額は、宿泊料金(税込み)が1万円以上の場合は1人1泊当たり5000円、6000円以上1万円未満の場合は同3000円となる。

県は約2万人の利用を想定し、9900万円の予算を計上する。議会の承認が得られ次第、スタートさせる。

一方、キャンプ場については、県版キャンプ場のポータルサイトを立ち上げる。国内最大級のキャンプ場予約サイトとも連携し情報発信を強化する。民間を含め県内に100カ所以上あるキャンプ場への誘客対策を進める。

感染防止へ医療支援

6月議会に提案する補正予算総額は50億800万円。新型コロナウイルスにかかわる感染拡大防止と医療体制の整備では、地域外来・検査センターの拡大のほか、PCR検査機購入補助、医療機関の受け入れ病床確保に対する補助、防護服など医療用資機材の確保、軽症者・無症状者を受け入れる宿泊療養施設の借り上げなどを含め、30億8400万円を計上する。

県立高のオンライン環境整備

ほかに教育関係では、県立高校のオンライン学習用いるタブレット端末を整備、貸与するなど、通信環境、遠隔学習環境の整備事業などが盛り込まれている。

《邑から日本を見る》65 いいね、「黒川杯」検察庁前麻雀大会

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【コラム・先﨑千尋】先月30日の夕方のテレビで、表題のニュースを見た。前東京高検検事長の黒川弘務氏が新聞記者と賭け麻雀をしていたことが「週刊文春」で報道され辞任したが、訓告処分を受けただけで辞職したことがことの発端。

ことのいきさつはこれまでに伝えられているので、簡単に。安倍首相が「余人をもって代えがたい」と惚れ込み、1月に法律をねじ曲げて同氏の定年延長を決めた。さらに、そのことを後付けで正当化しようとする検察庁法改正案が衆議院を通過する寸前に問題が発覚し、黒川氏は辞めざるを得なくなったということだ。

問題はそれにとどまらず、長い間新聞記者と賭け麻雀をしてきたのに、賭博罪にあたらないと懲戒処分を受けず、訓告にとどまったということだ。閣議ではこれらについてどのような議論があったのだろうか。

定年延長を認めていない検察庁法を、国家公務員法という別の法律を使って、時の政権の意向次第で変えてしまう。明らかに違法行為である。さらに、賭け麻雀は刑法の賭博罪にあたる。しかも黒川氏の場合は常習犯のようだ。過去に、自衛隊員が同じ行為をして懲戒処分にあっている。

人事院の懲戒処分指針では、「賭博をした職員は減給または戒告、常習的に賭博をした職員は停職」となっている。黒川氏は次期検事総長待ちで定年延長になった。それだけ高いポストにいたわけだ。潔白でいるべき人が、不要不急の外出を自粛すべきという緊急事態宣言下に、新聞記者の自宅マンションで賭け麻雀をしていた。

権力とメディアの「持ちつ持たれつ」の関係

法律はおろか憲法まで勝手に解釈を変えてしまう安倍首相だから、人事院の指針などくそ食らえなのだろうが、彼らに賭博罪を適用するかどうかは検察と裁判所が決めることだ。すでに、市民グループや弁護士から告発状が東京地検に出されているが、内閣は「テンピン」という黒川氏らのレートが賭博罪にはあたらないと判断している。

検察が起訴すれば、裁判所が改めて賭博罪の成否や量刑を判断するが、黒川氏が起訴されない、または無罪とされれば、刑法はザル法になる。賭け麻雀が合法化されるということだ。

第1回「黒川杯」の主催者らは、警察官によって検察庁前から日比谷公園に追い払われたが、そのねらいは、「黒川氏や記者らに対してきちんと捜査を行い、彼らのレートだと賭博罪で罪を問われるのか否かをはっきりさせろ」ということだと思われる。

今回のことでもう一つ問題にしたいのは、検察幹部とメディアのズブズブな関係があからさまにされたということだ。しかも、安倍政権の評価で対極にあると考えられていた朝日新聞と産経新聞の記者が仲間だということに驚いている。「朝日よ、お前もか」だ。

新聞などは書かない(書けないだろう)が、この「賭け麻雀事件」の根源は、日本特有の記者クラブ制度にあると考えている。記者クラブ制度は1890年に帝国議会が開かれた時からあるようだが、会員以外は記者会見場から締め出す排他性が指摘され、記者会見も慣れあいで進められる。同時に、この制度によって権力とメディアの緊張関係が失われ、「持ちつ持たれつ」の関係になる。この制度がなくならない限り、同じようなことが繰り返される。(元瓜連町長)

【赤青白のサギの群れ】㊤ 繁殖の地、土浦・桜川にアカガシラ1羽きり

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やぶから飛び立つアカガシラサギ、右上にアマサギ、右下にゴイサギが見える=5月末、土浦・桜川で荒井知行さん撮影

【相澤冬樹】新緑から深緑に向かう今の季節は、鳥たちの動きが活発になる。サギ類が大規模なコロニー(営巣地)を作ることで知られる土浦・桜川の大曲付近には、1000羽を超す各種のサギが集まって巣を作り、子育てを始めた。これを待ちかねたように「鷺山(さぎやま)」と呼ばれる営巣地のわきの学園大橋には、側道に数人の愛鳥写真家が陣取って、超望遠レンズの放列を敷く。カメラがこぞって狙うのはアカガシラサギという希少種だ。

河川敷のコロニーには5種のサギが集まってくる。一般に白サギとくくられるが体躯の大きい順にダイサギ、チュウサギ、コサギの別があり、冬場は白一色だが夏羽になると頭から胸、背中にかけて橙色(亜麻色)となるアマサギもいる。さらに暗灰色の羽毛を背負うゴイサギが混じっている。

ダイサギ、コサギは留鳥だが、チュウサギとアマサギは渡り鳥で、暖かくなるとフィリピンなどの越冬地から日本に渡り、「お彼岸からお彼岸まで」の間、営巣地を作って子育てをする。今の時期だと求愛活動や抱卵の姿も見られ、にぎやかになっている。ふ化から巣立ちまで、ひと夏を過ごす。

研究者によれば、県内には15~20カ所のコロニーがあり、土浦・桜川の鷺山は最大級の規模といえるそうだ。子供が生まれると個体数は2000羽から3000羽になるという。

ここに集まってくる愛鳥写真家は毎日5、6人。ほぼ同じ顔触れ。足繁く通う土浦市の荒井知行さん(76)によると「アングルが絶好。鳥は樹上にいるものだけど、ここなら見下ろすように撮れるのがいい」と学園大橋の側道に陣取る。

カメラの放列を敷く愛鳥写真家とサギの群れ=土浦・学園大橋

荒井さんが狙うのは、6種めのアカガシラサギ。全長50センチ弱の小型のサギ。特徴的な頭から首にかけての赤褐色の色彩が名前の由来になっている。絶滅危惧種に指定されている鳥ではないが、全国的にも希少種で、荒井さんは4年ほど前から撮影に来ている。写真仲間によれば7、8年前から見られるようになったという。

ところが、なぜかこのサギの飛来は毎年1羽だけ。繁殖のための営巣地なのに番(つが)う相手がいないのだ。雌雄同色なので、姿形からオスメスの判定が付かないが、「本能なのでしょうかね。他のサギの子供にエサを与えているのを見たことがある」と荒井さん。

アカガシラサギは小型種のうえ普段はやぶの奥に隠れるように生活しているから、粘らないとなかなか撮れない。荒井さんは今季の飛来を確認し、5月末に撮影に成功。早速自身のインスタグラムやフェイスブックにアップした。

赤褐色の頭部の羽毛と背側の紫褐色の羽のコントラストが目を引く。夏羽といわれる季節特有の羽毛で、婚姻色とみられる。お色直しして恋の相手を待ち続ける風だが、今年の飛来も1羽だけのようだ。毎年同じ個体かの確認はできていない。

実は、アカガシラサギのメスとコサギのオスとがつがいとなり、雑種とみられる1羽のヒナの巣立ちが観察されたことがある。土浦の鷺山とは別の場所だが、茨城県内で2010年に見られた。同じサギ科ながら異なる属間での繁殖行動、しかも野外での雑種形成の確認は世界で3例目という。

この報告をしたのが当時、筑波大学大学院生命環境科学研究科の博士課程にいた益子美由希さん。この4月から農研機構中央農業研究センター(つくば市)に籍を移して鳥獣害研究に携わっている。(つづく)

《霞月楼コレクション》1 大川一男 国芳派の流れを汲んだ美人画

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【池田充雄】長い間、土浦には美術館がないと指摘されていた。美術品を収集・展示する公共空間だ。アルカス土浦内に市民ギャラリーが2017年開館し、展示の機能は備わったが、収集による文化の保全・継承面は十分といえない。かつての土浦では、市民がそうした文化をよく担ってきた。その代表的存在が料亭・霞月楼(土浦市中央、堀越恒夫代表)。本シリーズでは霞月楼に残された地域ゆかりの名品に目を向けていく。

  • 霞月楼 1889(明治22)年創業、130年の歴史を誇る土浦きっての老舗料亭。各時代の政治家、軍人、文化人ら、土浦に降り立つあまたの著名人をもてなした。2代当主の堀越正雄はかつて東京・麹町(現永田町)の星岡茶寮に在籍し、その草創期を支えた名料理人だったという。

往時の土浦の風情を漂わせる

「わかさぎ焼」1938年 絹本彩色 177×237cm 霞月楼所蔵

「わかさぎ焼」は土浦出身の日本画家、大川一男が1938(昭和13)年に描いた作品だ。当時の川口町(現川口1丁目)あたりは、霞ケ浦から揚がった新鮮なワカサギを焼き売りにする店が川筋沿いに立ち並び、あぶられた魚の香ばしい匂いが街中に漂っていたという。土浦小唄にある「焼かれながらも二本差し」の風情のまさにそのままだ。

この絵は当初、町内にあったさる薬局の依頼により屏風として描かれたが、一男が戦後になって訪ねてみると薬局はすでになく、尋ね歩くうちに絵だけが霞月楼に保存されていることが分かった。モデルになった女性も後年に霞月楼を訪れており、絵姿は姉さん被りの手ぬぐいのひょうたんの柄まで、当時のものをそのまま写し取っていると話したという。

図案工を経て深水に弟子入り

大川一男

大川一男は1914(大正3)年、新治郡上大津村(現土浦市田村町)に400年以上続く豪農の長男として生まれた。上大津東尋常高等小学校を卒業後、農業の道に入るも画家への夢は捨てがたく、母校の恩師のとりなしで京都図案協会の研究生となり、西陣織の図案工として才能を発揮し始める。

1930(昭和5)年、京都で開催された帝展を見て、伊東深水の作品に心酔。手紙を送り内弟子となることが許され、東京・大井町の深水画塾で日本画の基礎技術を学ぶ。浮世絵の歌川国芳から月岡芳年、水野年方、鏑木清方、伊東深水と続く系譜を「玄冶店(げんやだな)派」と呼ぶが、一男もその末流に名を連ねたことになる。

1935(昭和10)年、茨城会館開館記念美術展に大川朝勢の画号で「朝霧」を発表し3等賞。これが公募展への初出品で初入選にもなった。

戦後の土浦で農業と絵を両立

戦時には2度にわたる招集を受け、中国戦線を転戦中に終戦を迎えた。1946(昭和21)年6月に復員したが、実家を支えた弟たちはいずれも戦死し、両親や親族の強い要望により家業を継ぐことになる。

一方で絵への情熱も絶やさず、1948(昭和23)年土浦に県南美術協会が発足するといち早く作品を発表。当時土浦近郊に疎開していた浦田正夫の下に通い、小林巣居人や永田春水の知遇も得る。ここに養父清直、鈴木草牛、根本正、片岡巳代子ら地域作家の面々が加わり、巣居人が再興した新興美術院や県展などを舞台に、互いに競い合い精進を重ねていく。

1980(昭和55)年に新興美術院理事、県芸術祭美術展委員、県文化団体連合常任理事に就任。1994(平成6)年には県つくば美術館で画業60年記念展を開催。2001(平成13)年に88歳で亡くなった。

「枝垂桜」1983年 第33回新興展出品 175×366cm

現代美人画、風景画にも名作

「踊り子」1988年 第38回新興展出品 181.2×122cm 土浦市民ギャラリー所蔵

一男の作品は、最初の師である伊東深水の薫陶よろしい、伝統的で気品漂う美人画に定評がある。一方で、あでやかな洋装の中に現代女性らしい精神性を感じさせる作品群もあり、広く人気を集めている。

深水からは「過去の様式をなぞった単なる美人画ではなく、自分なりの発見に基づき、個性を大切にした人物画を描くように」という主旨の教えを受け、その後の創作活動の大きな刺激になったという。

戦後は花鳥や風景にも画題を広げた。その代表作が奥入瀬渓谷を描いた「流奏」で、1982(昭和57)年の第32回新興展で文部大臣奨励賞を受賞した。風景画では師と仰ぐ人はなく「農村に暮らし、自然に触発され、気の赴くまま、型にはまらずに描いている」と話している。(文中敬称略)

  • 取材協力・参考資料 ▽茨城県近代美術館▽常陽芸文センター▽大川家▽画集「画業60年記念大川一男展作品集」1994年▽リーフレット「大川一男展」(1996年、芸文ギャラリー)▽1994年9月20日付茨城新聞▽1996年1月14日付産経新聞

《つくば法律日記》8 ネット上の誹謗中傷について考える

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】毎日SNSを見るようになったのは、2006年だったと明確に覚えている。妹にミクシィ(mixi)やってみなと言われて始めた。まだ司法試験の受験生で、家に閉じこもっている僕を不憫(ふびん)に思ったのかもしれない。妹の思惑が当たったのか、僕は、SNSという文字通り新たな社会の一員になった。

自分のことについて投稿するだけでなく、コミュニティーといわれる特定のグループに書き込みをしたりと、家に閉じこもりながら、新たな社会で活発に活動するようになった。やがてtwitterやFacebookが主流になり、SNSの中での引っ越しも成し遂げた。

こうして僕は、かつては試験の答案くらいしか機会がなかったアウトプットが、気軽にできる社会になっていることに気づく。

法律家は、法律の勉強を始めたてのころから、幾度となく、表現の自由は、表現を通じて人格を形成・発展させ、かつ政治的意思決定に関与するための重要な価値があると習う。

そんな原点がありながら、表現の自由が憲法上保障されていても、巨大なマスメディアが存在したことで、効果的にアウトプットできるのはマスメディアだけではないか、だから表現の自由を再構成して、知る権利が保障されるべきだと言われ始めて久しい。知る権利は、中学生の公民の教科書にも書かれていた。

そんなマスメディアがアウトプットを独占する世の中が、SNSが台頭することで、マスメディアでなくても自由にアウトプットできる世の中に変わった。表現の自由の重要な価値が実現しやすくなった点で、とても素晴らしいことだと思ってきたし、SNSを通じて多くの人と知り合ったり、遠くにいる友人と情報交換したり、仕事の幅を広げることもできた。

表現の自由の再々構成が必要

しかし、新しく便利なものには負の側面も付き物で、気軽に人を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)できるようにもなった。しかもSNSは、現実の社会と同じく集団化する。匿名で、自分の身分を明かさずにアウトプットすることもできる。自分の姿も相手の姿も見えにくいため、人を傷つけている感覚が鈍り、逆にアウトプットされる言葉は鋭い凶器になる。

そこで、ネットでの誹謗中傷の防止について国会が協議することになった。ネットでの誹謗中傷による社会のマイナスは、わざわざ人の命であったり、人生というレベルで語らなくても甚大なものがある。

一方で、今の時代でも、言論が弾圧され、自由な表現ができない国もある。表現の自由は、結構な最近まで僕らのご先祖様が血を流しながら、やっと手に入れたものだ。SNS上の表現の規制も慎重にしなければ、せっかく広がった人格を形成・発展させ、かつ政治的意思決定に関与する機会が、再び狭められてしまう。

日本国憲法の表現の自由を語るとき、政治的な表現からSNS上のつぶやきのような表現まで、様々であるにもかかわらず、「表現の自由」と一括りにされることが多い。そろそろ、気軽にアウトプットできるようになった時代の表現の自由を、改めて慎重にではあってほしいが、再々構成した方がいいのではないかと願う令和2年6月。(弁護士)

犬猫の餌や薬代支援を ひと月休園の「つくばわんわんランド」

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犬と触れ合う来園者ら(つくばわんわんランド提供)

筑波山の麓にある日本最大級の犬のテーマパーク「つくばわんわんランド」(つくば市沼田)が、3日からクラウドファンディングを開始し、約500匹の犬や猫の餌代や薬代の支援を呼び掛けている。

新型コロナウイルス感染拡大防止の休業要請を受けて、ゴールデンウイークをはさむ4月22日から5月17日まで約1カ月間休園し、5月18日に再開したばかり。例年ならゴールデンウイークは数万人の来園者があり、大きなダメージを受けた。

昨年10月は台風19号の被害を受け園内が冠水、1週間休園した。一部の電気製品などが壊れ、復旧にとりかかっている最中での休園だった。

一方、同園には約500匹の犬と約30匹の猫がおり、毎月、一定の餌代がかかる。1996年に開園して24年経つことから、現役を引退した老犬や老猫もおり薬代もかかる。

クラウドファンディングは支援金額500万円を目標にする。餌代や薬代のほか、感染拡大防止対策をとりながら来園者に安全に楽しんでもらうための施設改修などの費用にも充てたいという。

園内で犬の散歩をする(同園提供)

同園の田口弘樹園長(33)は「開園して24年経つので、現役でお客様と触れ合っている犬たち以外に、歳をとって引退し老後を過ごしている犬たちがいる。現役時代に私たちを笑顔にし癒しを与えてくれたおじいちゃん犬、おばあちゃん犬たちが、穏やかに安心して過ごしてもらうためなどに、ご支援いただいた金額を使いたい」などと話す。

スタートから3日目の5日時点ですでに300人を超える人から目標金額の半分を超える支援が集まっており、スタッフたちを大いに元気づけている。田口園長は「こんなに多くの方々からご支援をいただけて感謝しかない」と語る。

5月18日の再開から約3週間経つ。人が大好きな犬たちばかりのため、再開直後の数日間はかまってもらいたいと、来園者に猛烈アピールを展開したという。現在の犬たちの様子は「普段通りに戻りつつある」と田口園長。

➡同園のクラウドファンディングはこちら

《続・気軽にSOS》62 職と住まいを失ったある男性

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【コラム・浅井和幸】男性は孤独で生きてきた。家族との連絡も途絶え、友人もいない。アルバイトをして暮らしていたが、真面目に働き、貯金はなくとも、ぜいたくをしない彼にとっては不自由ない暮らしだった。もうすぐ30歳になることを考え、正社員として働きたいと考えるようになった。たまたま、ある職人の下で働ける機会を得た。

真面目に働いて貯金もしていくぞと意気込んだが、2回ほど働いた後、職人の携帯に連絡してもつながらなくなった。下請けのまた下請けのようなところで、新型コロナウイルスの影響で仕事がなくなったのかもと考えた。訴えて時間を使うより、これからを考えて動こうと思った。

収入がなくなり、仕方なく原付きスクーターとわずかばかりの荷物で、ほぼホームレスの状態になった。少しだけ手元にあったお金で、ネットカフェでシャワーを浴びることもあったが、ほとんどは野外で寝泊まりした。体力に自信があったので、この状況が絶望するほどの苦しみではないが、このままではいけないので何か方法はないか考えた。

ネット検索をして、たまたま居住支援法人という住まいを相談するところを見つけた。人にだまされることが多い人生だったが、その取材記事のようなネットのページを見て大丈夫だと思って電話をかけてみた。

住む場所が決まり 新生活が始まった

穏やかな口調で電話に出た居住支援法人の男は、こちらの状況を聞き、対処法をいろいろと考えているようだった。「今日は金曜日で17時をかなり過ぎている。近くの行政窓口に行けるのは月曜日になってしまうね」と言ったその居住支援法人の男は、「いますぐ動くことは可能ではあるけれど、明日まで今の状況でも生きていられる?」と聞いてきた。

何かを値踏みしているような質問だったが、勘ぐってもしょうがない。「大丈夫です。何とかなります。問題ありません」と正直に答えた。居住支援法人の男は「分かった。明日の朝9時に、つくば市二の宮の事務所に来られるかな?」と聞いたので、「行きます。よろしくお願いします」と答えた。

居住支援法人の男は「了解。何とか明日の9時までは、頑張って生きてください。約束ですよ。そこまで生きていられたら何とかなります。いや、何とかしますから」と言って電話を切った。

何かにつながれた。そんな気がした。次の朝、事務所に向かい、ビルの2階に案内され、相談が始まった。いくつかの物件を見て回った。いくつかの物件オーナーに、居住支援法人の男は電話をかけていた。

居住支援法人の男は「心配して力になってくれた友人に、早めに電話をかけて安心させるんだよ」と言った。相談時に、1人だけつながっているネット上での友人の話を覚えていたのだ。「はい。そうするつもりです」と答えた。

住める場所が決まり、新しい生活が始まった。市役所やハローワークなどの手続きもした。何とかなる。そんな気がしてきた。(精神保健福祉士)

※これは、いくつかのケースを混ぜ、一部変更して書いたフィクションです。

廃止を公約の退職金22円に つくば市長

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記者会見する五十嵐立青市長=5日、つくば市役所

【鈴木宏子】1期4年ごとに約2000万円が支給されるつくば市長の退職金について、五十嵐立青市長は5日の定例記者会見で、公約に基づいて22円にすると発表した。

退職金は任期満了の今年11月16日を基準日に支給される。五十嵐市長は初当選した2016年11月の選挙戦で「市長特権の退職金廃止」を公約の一つに掲げていた。

一方、退職金を廃止することについては、県内44市町村で組織する県市町村総合事務組合が事務処理を行っており、制度上、受け取りを辞退しゼロにすることが困難だという。

市長退職金の算定方法は、任期満了日の給与月額に22を掛けた額になる。現在の月額約92万7000円だと約2000万円になるが、任期満了日の給料を1円にして22円にする。

手続きとしてはさらに市長給与特例条例の改正が必要になるが、条例改正案を議会に提案する時期は現時点で未定。

五十嵐市長は「2000万円というのは市民感覚から離れているので公約に掲げた。新型コロナで市民は大変な状態にあり、痛みを分かち合いながら約束を守っていく」と話した。

退職金の原資として、市は同事務組合に負担金を支出しているが、返還されないという。

議会から指摘も

市長退職金をめぐっては今年3月議会一般質問で議員から「(就任から)3年が経過しても(廃止するか否かの)結論が出ない。実現できないとなれば公約実現ができないことにつながるのでしっかりと進めていただきたい」などの指摘が出ていた。

これに対し五十嵐市長は、退職金を廃止するためには県内全市町村長の同意が必要となるなどの課題があるとして「廃止に向けた検討を進めている」などと答弁していた。

【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(中)生徒の意外な一面

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授業配信前の教室の様子。分散登校に備え教卓前には感染防止のためのビニールが下げられた=土浦市小松ケ丘町、土浦日本大学中等教育学校

【田中めぐみ】授業で使用しているウェブ会議アプリにはチャット機能がある。チャットは、生徒自身の発信内容を教員にしか見えない設定にするか、生徒全員に見える設定にするか生徒側から選択できる。問題の答えや質問、意見を書いて送ってもらうこともできる。

この機能がとても良い。教室では普段あまり話さない生徒がこの機能を使って質問をしてきたり、驚くような良い答えを書いてきたりする。無口な生徒が気さくにあいさつしてくれることもある。教室の授業では見えなかった生徒の一面をオンライン授業で垣間見るようになった。

また、問題を解いていく際、設問ごとにチャットで答えを送ってもらうことでクラス全体の正答率が見え、どういった傾向の問題に弱いか、どこまで知識が定着しているかといったことも分かるようになった。理解度に合わせて問いかけや解説も変えることができるので便利な機能だ。教室での授業に戻ったとしてもオンラインの長所は利用し、並行して取り入れていく価値があると感じている。

友達と話したい

アプリには少人数のグループに分けることのできる機能もあり、話し合わせたり、互いに発表をさせたりする授業も行った。

中学1年生は、学校で一度も授業を受けていない状態でグループセッション機能を使い、クラスメイトと顔を合わせた。授業の最後に感想を求めたところ、「友達と話せて楽しい」「もっとやりたい」という声が多く上がった。授業中に生徒が個々でチャットをすることは許可しない設定にしているため、友達同士のコミュニケーションに飢えているのだろう。

近くの席の友達同士で目を合わせたり、先生の言ったことにリアクションし合ったり、通常の学校生活が送れていれば当たり前に享受できたような些細なコミュニケーションが休校で一切無くなってしまっている。

一瞬で見渡すことできない

1クラスに30人以上の生徒がいる場合は、全ての生徒の様子をカメラで瞬時に把握するのは難しい。教室では一瞬で全体を見渡すことができるが、ディスプレイから個々を確認するのには時間がかかってしまう。できればせいぜい10人~15人ほどの小人数でやりたいというのが本音だ。

途中で生徒の接続が切れてしまうこともある。通信環境が良くなったとは言え、それぞれの状況によっては.カメラが消えたり、音声がとぎれとぎれになったりすることもあるようだ。頻繁にあるわけではないので許容範囲内だが、すべての生徒に平等、均一で安定的な学習の機会が与えられているとは言いにくい。高速大容量の5Gが普及すればこういった問題も解決するのだろうか。

デジタルストレス心配

デジタルストレスによる健康面も心配になる。勤務校では生徒の健康を考慮し、1コマ50分、1日4コマの授業を実施しているが、私自身2コマ連続で授業をやるだけでもかなりの目の疲れを感じる。

画面で共有するファイルの文字に注視しながら、カメラに映る生徒たちの様子に集中していると授業後は目がかすんでしまい、休み時間はしばらく目をつむっていることもある。授業以外の時間も準備でPC作業が長いせいもあるだろう。やはり紙の教科書やノートが目に優しいと改めて思う。

生徒たちの目も心配になり、読み上げて書かせるなどして、できるだけ画面ばかり見る授業にしない配慮をするようになった。数年前研修で聞いた、ICT先進校がデジタル黒板を取り入れた事例で、6時間目には生徒たちの目が疲れて授業にならないという話を聞いたことがあったが、それを今実感している。

依然として課題も多いが、非常時に学びの機会を無くさないこと、授業を止めず生徒と関わり続けることの価値を感じている。

(続く)

《食う寝る宇宙》63 かっこいい宇宙船の打上げ!

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【コラム・玉置晋】2020年5月31日の早朝、僕は宇宙オタクの皆さんによるTweet合戦をニヤつきながら眺めていました。この日は宇宙開発にとって記念すべき日となりました。アメリカの民間宇宙企業「Space X」により、NASAの支援の元で開発された新型宇宙船「Crew Dragon(クルードラゴン)」が2人の宇宙飛行士を乗せて、国際宇宙ステーションに向けて打上げられました。

この新型宇宙船はデザインが近未来的で、とにかくカッコいい。スペースシャトルのコックピットには多数の機械式スイッチ類がありましたが、Crew Dragonには、ほとんど見当たりません。3つの大きなタッチスクリーンに、リアルタイムの飛行状況や船内環境などが映し出されます。宇宙服もSF映画さながらです。

昨年3月、「Crew Dragon Demo-1」という無人テスト飛行(宇宙服を着たダミー人形を搭載)が行われて、国際宇宙ステーションにドッキング・分離後、無事に地球に帰還しました。

今回は、「Crew Dragon Demo-2」として、有人による最終テストを行っています。基本的に、Crew Dragonは国際宇宙ステーションとのドッキングまで自動運行で、地上のミッションコントロールセンターが飛行状況をモニターしますが、今回は、緊急時のテストとして宇宙飛行士による手動操作も行われました。

そして、約19時間の飛行を経て、国際宇宙ステーションにドッキングしました。2人の宇宙飛行士は、数週間、国際宇宙ステーションに滞在の後、Crew Dragonと共に地球に帰還します。Crew Dragon Demo-2が無事に成功したら、Crew Dragonはいよいよ実運用が開始されます。

今年の8月末、最初のミッション「USCV-1(US Crew Vehicle-1)」が予定されています。第64/65次長期滞在クルーを国際宇宙ステーションに運搬します。そのクルーの1人が野口聡一宇宙飛行士です。

僕は太陽活動をモニター

僕はCrew Dragonの打上げを見守るのと同時に、太陽活動もモニターしていました。ミッション中に太陽フレアが起きて、大量の放射線が降り注ぐ事態になれば、地球への緊急帰還ということもあり得るわけです。

国際宇宙ステーションは地球を約1時間半で周回しており、1時間弱で昼と夜を繰り返していますが、Crew Dragonのドッキングは地球の夜側で行われます。夜側、すなわち地球の影にいる間に重要なミッションを実施するのは、太陽フレアによる放射線を回避する時間をかせぐことも理由の一つです。

打上げ2日前の5月29日、「Mクラス」と呼ばれる中規模の太陽フレアが発生しました。この規模の太陽フレアは、実に2年半ぶりでした。幸いなことに、今回は大事には至らず、ミッションは継続されています。(宇宙天気防災研究者)

【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(上)伝え方を模索

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在宅で授業を配信する際のデスクまわり

【田中めぐみ】新型コロナウイルスの感染拡大に伴う休校により、勤務する中高一貫校で4月からオンラインでのリアルタイム授業が始まった。

学習用端末の普及で実現

土浦市の土浦日本大学中等教育学校で高校生に古文を教えている。文科省のGIGAスクール構想に先駆けて、本校では以前より生徒1人に1台ノートパソコンを支給し授業で活用していたことや、スマートフォンなどの普及で自宅でも情報端末に困らない環境にあることが後押しとなった。

通信ネットワークの問題はどうか。総務省の要請により、4月からドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯キャリアは容量超過後も50GBまで無料、テザリング=メモ=オプションも追加無料となった。自宅にインターネット回線がなくても容量超過を気にすることなく授業が受けられるようになり、こちらもクリアできた。

教材や課題はデジタルデータ化し、学校ホームページやクラウドにアップして共有する。生徒らは自宅のプリンターで印刷して準備し授業に臨む。中にはプリンターを持っていないという生徒もいるが、画面上で教材データを見てノートで解いている。

国語の教科ではどうしても大量の文字を読まなければならない。スマホから接続している生徒も多いため、最初は文字が小さくて見えないのではないかという懸念があり、「見えますか?」という問いかけを頻繁にしていたが、ピンチアウト(画面を拡大する操作)を使い慣れている生徒たちに特に心配はいらなかった。

教材をデジタル化

黒板やホワイトボードに書いたものを映すのでは見えにくいため、今まで板書して説明していたものをデジタル化する必要がある。教材の文章をOCR(印刷された文字をスキャナーやデジタルカメラによって読みとりデジタルデータ化する技術)でデータ化し、文を引用しながら要点を解説するスライドを作った。

だが、スライドではアドリブがきかない。生徒の様子を見ながら説明する順序を変えたり補足したりするのに、板書の方が良い部分もある。

スライドやPDFファイルにそのまま書き込む方法を考え、10年ほど前に買ったペンタブレットを出してきた。書き込みながら説明ができるように設定し、なんとなくの授業スタイルができあがった。

準備に長時間

教科指導におけるICT(情報通信技術)の活用ということが現実味を帯びて議論され始めたのは10年ほど前からではないだろうか。15年前はスマートフォンも普及しておらず、スキャナーやOCRなど電子テキストデータ化の技術も実用に足るレベルではなかった。当時はうまく認識しないソフトや周辺機器と格闘し、一晩費やしたことも一度や二度ではない。

それが今や一瞬だ。スマートフォンの進化にも比例する技術発達の恩恵をひしひしと感じる。新型コロナウイルスの感染拡大がもし15年前に起きていたとしたら、休校になっても泣き寝入りするしかなかったに違いない。

しかし、技術の進歩はあっても授業の準備にはかなり時間がかかる。プリントを印刷する時間が一切無くなったのは良い点だが、体感的に教室で行う授業準備の3~5倍の時間を費やしている。それでいてたくさんの情報を伝えようとすると難しい。通常の授業と同様の内容で一度はスライドを作ったものの、情報量が多くなりすぎていると感じてスライドの枚数を間引くこともあった。

生徒、教師、双方とも慣れていないせいもあるが、現段階ではリアルの教室よりも伝えられることが少なくなっているように感じる。

(続く)

※メモ
【テザリング】モバイルデータ通信ができる端末を利用してPC、タブレットなどをインターネットに接続すること。