火曜日, 9月 16, 2025
ホーム ブログ

副次的な生業 遊び仕事《デザインを考える》24

4
写真は筆者

【コラム・三橋俊雄】前回(8月19日掲載)は、「ホモ・ルーデンス(人間とは遊ぶ存在である)」について紹介しました。今回は、これに関連する「遊び仕事」という考え方について、お話ししていきたいと思います。

「遊び仕事」とは、環境倫理学や現代民俗学の視点から、鬼頭秀一氏(「自然保護を問いなおす」、ちくま新書、1996)や松井健氏(「自然観の人類学」、榕樹書林、2000)らが提唱しはじめた概念です。

そこでは「遊び仕事」が、自然との関わりにおける人間の基本的活動として捉えられてきました。それは主要な生業(サブシステンス)ではなく、地域の人々が日常生活の一部として継続してきた副次的な生業(マイナー・サブシステンス)であり(上図)、その今日的意義について探求されてきました。

ここではまず、「これこそ遊び仕事」と私が実感した「タケノコ掘り」についてのエピソードをお伝えします。

タケノコ掘り

毎年5月になると、筑波山麓にある竹林をお借りして「タケノコ掘り」を行います。「そろそろタケノコ掘りの季節だなあ」と、ちょっとしたワクワク感を覚えます。

タケノコ掘りは、竹林所有者の「ご好意」から始まリます。そして、鍬(くわ)一つあれば、誰でも掘り起こすことができます。「さあ、掘るぞ!」という意気込みで竹林に入り、タケノコを「探す」「掘る」「食べる」という一連の過程を楽しみます。タケノコがたくさん採れた時には、「おすそわけ」をすることもでき、それも「楽しみ」の一つです。 

「おすそわけ」は連鎖します。例えば、タケノコを5本いただいたとします。その方は、3本を「うちの分」として残し、あとはお隣さんに1本、お友達に1本など「おすそわけ」の輪が広がります。時にはタケノコのお礼にと「フキの煮物」をいただいたりもします。このように「おすそわけ」の「お返し」が生まれ、物々交換が続きます。 

一方「食べる」楽しみとしては、まず、採れたてのタケノコを「お刺身」として味わいます。続いて「タケノコご飯」「タケノコの味噌汁」「煮物」といった料理を楽しみます。それでも余ったら、タケノコの塩漬けや水と一緒に瓶(びん)に詰めて冷蔵庫で保存します。

こうして毎年繰り広げられるタケノコ掘りは、楽しみであると同時に、竹林の維持・管理として「山が荒れる」ことを防ぐ役割もします。

自立自存の姿

このように考えると、タケノコ掘りとは、日本人の生活文化に根ざした「遊び仕事」と言えるのではないでしょうか。この「遊び仕事」は、市場経済に染まらず、人々が自然と対等に付き合うための一つの「仕方(しかた)」であり、自給自足、自立自存の姿でもあると思います。(ソーシャルデザイナー)

TX県内延伸 3期目知事の作戦《吾妻カガミ》210

30
ホテルグランド東雲(つくば市)そばに建つ竹内元知事の顕彰石碑。「…常磐新線(現在のつくばエクスプレス)の整備など…県内交通体系に大変革をもたらした…」と彫られている

【コラム・坂本栄】9月7日の県知事選挙で大井川和彦氏が当選し、大井川県政は3期目に入りました。私はこの欄でTX(つくばエクスプレス)の茨城空港延伸(常磐線土浦駅経由)の必要性を度々取り上げてきましたが、空港延伸につながる土浦延伸が国の鉄道敷設計画にセットされるよう、3期目の知事が政治力を発揮することを期待しています。

主体性に欠ける運行会社

今夏開業20年を迎えたTXを運行しているのは首都圏新都市鉄道(渡辺良社長)です。7月31日に開かれた「TX長期ビジョン2050」発表記者会見(同日付記事参照)で土浦延伸について質問された渡辺社長は、県の延伸構想についてはコメントする立場にないと、その是非判断を避けました。沿線自治体を主な株主とする同社には鉄道敷設といった大型投資を決定する力がないようです。

これは土浦延伸に限ったことではありません。茨城、千葉、埼玉県、東京都の沿線自治体で構成される期成同盟会から要望が出ている東京駅延伸についても、①その経済・社会効果については外部に委託して調査してもらう②仮に東京駅延伸が決まっても自社が整備主体・運行主体になるのかどうか分からない―と、他人事のようなコメントでした。

同社の株主は、茨城県(18.05%)、東京都(17.65%)、千葉県(7.06%)、足立区(7.06%)、つくば市(6.68%)、埼玉県(5.88%)、台東区(5.3%)、柏市(5.3%)、流山市(5.3%)、千代田区(2.65%)が上位10ですから、主要株主に対しいろいろな配慮があるようです。

2028年が決着の正念場

土浦延伸に向けた大井川知事の作戦は明確です。新都市鉄道には筆頭株主として働きかけるにとどめ、鉄道政策を所管する国土交通省の交通政策審議会が「東京駅延伸+東京湾延伸」を決める場で、土浦延伸も決めてもらう同時決着のアプローチです。これであれば土浦延伸の費用も沿線自治体に分担してもらえるので、茨城県の負担は少なくて済みます。

この双方向延伸を実現させるには高度な政治工作が必要です。一つは、東京駅延伸で熱くなっているTX沿線自治体と国に土浦延伸の利点も理解してもらうこと。もう一つは、当初計画では守谷止まりだったTXをつくばまで強引に引っ張ってきた竹内藤男知事(就任期間は1975~1993)が「さらに延ばす場合、その費用は茨城県で持つ」旨の念書を1都2県の知事に渡しているため(つくば延伸を渋々認めさせる策)、これを白紙に戻す必要があります。

こういった工作が不調に終わった場合、茨城単独では負担が重すぎる土浦延伸は机上の構想で終わるでしょう。TX東京駅・湾岸延伸を決める国の交通政策審は2028年に開かれる予定と聞いていますから、大井川知事の3期目後半が土浦延伸決着の正念場になります。

改めて空港延伸も議論

面白いのは、茨城空港を利用する観光客と仕事客が今後大きく増加するとのリポート「茨城空港将来ビジョンー首都圏第3空港を目指して」を県が7月に発表、同空港の機能充実や施設拡大の必要性を打ち出したことです。

このリポートには「県が推進するつくばエクスプレス県内延伸構想に関しては、土浦延伸実現後、空港を取り巻く総合的な状況の変化などを見極めた上で、改めて茨城空港延伸について議論することにしていることから、同構想の進捗を注視しながら、将来における空港アクセスの充実について検討していく」と書かれています。

仮にTX土浦延伸が国交省の諮問機関で決まっても、完成はそれから10年ぐらい先になります。さらに茨城空港まで延伸するとしても、20年ぐらい先になります。大井川知事が何期やるか分かりませんが、故・竹内知事の5期途中辞職(1993年)からTX開業(2005年)まで12年かかったことを思い起こすと、交通インフラ整備とはそういった時間軸で進むものです。(経済ジャーナリスト)

TX延伸関係コラム 青字部を押すと読めます。
▽203=知事の県政報告(3月3日掲載
▽162=空港延伸も議論(23年7月18日掲載
▽155=土浦延伸を決定(23年4月17日掲載
▽147=延伸先に4候補(22年12月19日掲載
▽136=狭視野つくば市(22年7月4日掲載

つくばエリアを広げても県立高は不足《竹林亭日乗》32

18
桜川に架かる中貫橋から見た筑波山

【コラム・片岡英明】つくばの高校問題は先の茨城県知事選挙でも争点になった。受験生・保護者にとって、つくば市の県立高不足は明白なのだが、県教育委員会は独自の考え方で対応しているため、議論はかみ合わず、私たちの声が届いていない。

県は2024年10月、「県立高等学校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」で2つの試算を発表。試算2で「中学校卒業者の増加がみられるつくばエリアの状況」として、つくばエリアの生徒増を取り上げた。今回はこのエリアの県立高は「足りているか否か」について対話を深めるため、県の試算2について考えてみたい。

過不足を論じる3つのアプローチ

つくばの県立高の過不足を論じる3つの方法としては、以下の3つのアプローチがある。

①収容率法(私たちの方法):県立高の県平均収容率68.2%を目標に、2024年の不足学級数と2030年までの不足学級数を算出。

②入学見込み法(県の2019年改革プランや2024年試算の方法):2024年時点での不足は考えず、今後の生徒増減に注目し、これに各高校の市町村からの入学率を掛け、2024~2030年の入学見込み数を算出。当然、県立高が少ないつくばエリア地元高校への入学率は低くなる。

③エリア拡大法(試算2の方法):2024年時点での不足は考えず、つくばエリアに土浦・牛久・下妻の3市を加え、拡大つくばエリアを設定。その入学見込みを算出して、高校定員の過不足を論じる。

これらで計算すると、①現在14学級不足+2030年までに7学級不足⇒計21学級不足、②現在は検討せず+2030年までに3学級不足⇒計3学級不足、③現在は検討せず+拡大エリア定員内に収まる⇒定員増必要なし-となる。

これらの方法による結論は大きく異なる。特に、③はつくばエリアの現在の14学級不足を考慮しないだけでなく、生徒が減少する土浦・牛久・下妻を拡大つくばエリアに加えて生徒増を圧縮。これに低い入学率を掛け、強引に定員増必要なしの結論に導いている。

「拡大つくば」でも14学級不足

そこで議論がかみ合うよう、試算2の拡大つくばエリアを①の収容率法で分析した。2024年のつくばエリアの収容率は県平均の68.2%に対し54.7%と低いが、土浦・牛久・下妻を加えた拡大つくばエリアでは60.0%に向上する。しかし、68.2%の県平均以下で学級不足であり、不足数は2024年つくばエリアと同じ14学級になる。

これは土浦・牛久・下妻3市の合計平均の収容率が68.5%と県平均に近いためで、つくばエリアと拡大つくばエリアの県平均への必要学級数は変わらない。さらに、定員の多い土浦を除いた第7エリアでも新たに2~3学級の学級不足が発生する。

③の発想は、エリアを基本に募集定員を考えてきた改革プランのバランスを崩したようだ。県は、「エリアを基本に生徒数に応じた定員」を原則にして、つくばエリアの現状に向き合い、受験生・保護者の要望に応えてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

ウッディキャロット&モモコハウス《ご飯は世界を救う》69

15
イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】つくばの元市役所近くの住宅街にある「ウッディキャロット&モモコハウス」さん(つくば市谷田部)は、女性に人気のレストランです。創業は1981年と古く、オーナーさんは変わっている人とか。前々から行きたかったのですが、女友達を誘ってやっと実現しました。

お店の雰囲気は、「ピンクハウス」(東京都目黒のファッションブランド)や「下妻物語」(下妻市のロリータファッションが好きな女子高生の映画)の世界感。ドアを開けたとたん、別世界です。11時ごろ行きましたが、どうにか座れました。

お店のスタッフさんは、かわい過ぎました。フリルいっぱいの洋服に、お帽子っぽいのは「ヘッドドレス」と、ロリータファッション。結婚式に花嫁さんが頭につけるようなものですね。ベールはついてないけど、お人形さんのようです。

「これ全部食べるの、無理~!」

レモンバターのハンバーグをオーダー。メニュー見ただけでも、すごいボリューム。パンはクルミパンをセレクト。友人のご飯はハートの形になっていました。絵を描きたかったので、見栄えするようにケーキも注文。友人は「これ全部食べるの、無理~!」とのことで、1個頼んで2人で食べました。 

初めに出てきた飲み物は、ベリーベリーソーダ。それも大きな「金魚鉢」入り! 中には、タピオカ?がたくさん入っていました。ケーキのときは紅茶がよかったのですが、この金魚鉢が見たかったので…。

実は5月に行ったのですが、今月9月のテレビの人気番組で紹介されていました。駅前で、タクシー運転手さんに人気のお店に連れて行ってもらう企画です。つくば駅からより、みどりの駅からの方が近いかなぁ。いずれにしても、つくば周辺のステキなお店は、車がないと行けないところが多いですね。

番組では、「どこから来ましたか?」との取材に、「埼玉県です」「千葉からです」というお客様に、ビックリ。テレビに出て、ますます混み合っているでしょうね。予約できるそうですから、女性ばかりでなく、男性の方でも体験してみてくださいね。ちなみに、このお店を紹介した運転手さんは、男性でした。(イラストレーター)

「透明人間じゃない」学校での付き添い 母たちによるトークイベント

4
山本美里さんの写真集の表紙に使われた、ベールをかぶった山本さんが医療実習用の人形を背後から支えている写真(山本さん提供)

20日 つくば

障害のある子どもが学校に通うとき、保護者に「付き添い」が求められることがある。役割は、学校生活に必要な介助。しかし実際には「待つだけ」の時間が長く、孤独や虚しさに押しつぶされることもあるという。

つくば市で20日、学校での「付き添い」を経験した保護者らによるトークイベント「『透明人間』になった私たちのお話」(つくば自立生活センターほにゃら主催)が開かれる。登壇するのは、写真集「透明人間 Invisible Mom(インビジブル・マム」を出版した都内在住の写真家、山本美里さん、つくば市内の小学校に通う娘を育てる堀玲さん、医療的ケア児の親の会「かけはしねっと」代表理事で市内に住む根本希美子さん。3人それぞれが障害のある子の保護者として孤独や葛藤に向き合ってきた。

教室の後ろで座り続けた

堀玲さん(左)と小学5年の長女のイラスト(堀さん提供)

「学校での役目は、子どものトイレと階段の上り下り、それから物が落ちた時に拾うこと。それ以外は、教室の後ろで座っているだけだった」と堀さんは言う。

堀さんの長女は市内の学校に通う小学5年生。脳性まひによる障害から日常生活に車いすが欠かせない。幼稚園では、障害児を支える「加配」の先生が付き、堀さんは送り迎えをするだけだった。多くの友達に恵まれ、多目的トイレを1人で利用できるようになるなど、日々できることが増えていく娘の姿に「親の方が励まされた」と振り返る。だからこそ、「小学校も、地域の学校で」との思いは強かった。

しかし、入学要件として求められたのは「保護者による付き添い」だった。学校には「加配」に代わる「特別支援教育支援員」が各学校に配置されるが、当時、入学予定の学校では支援学級の児童が優先されていた。自身でノートをとったり、友人とコミュニケーションをとることができる娘は、普通学級で学んだため支援員の対象から外れた。「付き添い」は堀さんにとって辛い日々の始まりだった。6、7時間、会話を交わすこともなく、朝から下校時間まで椅子に座り続けた。

「体はガチガチに硬くなるし、それ以上に心が沈んでいく。周りに迷惑をかけないよう気を張っていたけれど、何もしないまま時間だけが過ぎていく虚しさに、どうしても耐えられなくなった。ただただ悲しかった」と話す。

学校と保護者が話し合える関係を

娘が2年生に進級したある日の授業中、無意識に涙が流れ出し止まらなくなった。3年生になるころには重度のうつ病と診断され、「すぐに学校に行くのをやめて夫に代わってもらい、休んでください」と医師から告げられた。

「明日こそ頑張ろうと思うと夜眠れなくなり、朝が来ると、学校に行くのが嫌で嫌でたまらなかった。起き上がることもできなくなった。親の私が登校拒否になってしまった」

市に掛け合い、学校の体制も変化し状況が好転する。学校がこれまでの対応を謝罪し、支援員の増員を決定。さらに階段に昇降機がついたり、トイレが多目的用に改修されたりし、付き添い時間も徐々に減っていき、現在は登下校の送迎のみとなっている。

「子どもが幸せに学校で過ごせるように、学校が、保護者と一緒に考える場所であってほしい。『これに困ってるんですが、どうすればできますかね?』と、遠慮せず話し合える関係を築いていきたい」と堀さんは言う。

求められた「存在を消すこと」

山本美里さん(山本さん提供)

2023年に刊行された写真集「透明人間 Invisible Mom」。そこに写るのは写真家・山本美里さん自身だ。今年3月に亡くなった三男 瑞樹さんが通った特別支援学校に付き添った自身の日々を可視化した。

瑞樹さんは、生後間もなく先天性サイトメガロウイルス感染症と診断され、たん吸引や人工呼吸器を必要とした。入学した特別支援学校には看護師がいたが、当時、瑞樹さんが緊急時に使用する手動の人工呼吸器具「アンビューバッグ」は保護者しか学校で扱うことが認められなかったため、毎日学校に待機せざるを得なかった。「使用するのは年に一度あるかないか。いつあるかわからない緊急連絡をただ待つために、一日中、誰もいない部屋に待機していました」。学校で求められたのは「存在を消すこと」だったという。修学旅行には自費で付き添いながら、記録写真には写らないよう求められ、給食は出ないので弁当を持参した。つらい状況を変えようと、学校や教育委員会に相談するも、変化はない。次第に追い詰められて、適応障害を患った。

その中で始めたのが写真だった。通信制の大学に入り、卒業制作として取り組んだのが『透明人間』だ。教員や校長も被写体として巻き込みながら「付き添い」の現実を可視化した。

学校と保護者は一つのチーム

「本来、学校と保護者は一つのチームであるべき。お互いに話を聞き合って、歩み寄って、ウィンウィンの関係でいられることが大事。先生方が作品に参加してくださったことで、『この状況を一緒に変えられるかもしれない』と感じられたのは、大きな救いだった」と振り返る。

写真集にしたのは「障害のある子の親は外出すら難しい。本にすれば、必要な人に家の中で見てもらえる」からだ。読者からは「これは私の話かと思った」「自分だけじゃなかった」との声が寄せられた。「医療的ケア児の親は少ないし、付き添っている親も少ない。障害によって状況も異なる。周りに似た状況の人がいないと、不満を抱くのは私がおかしいんじゃないか? みんな受け入れてるのにできないのは私の問題なんじゃないか?などと考えてしまう。本音も言えずにいる人は多い。だから『透明人間』を見て、自分の思いを言葉にしてもいいんだと思ってもらえたらうれしい。そういう橋渡しをするのが今の私の役目なんじゃないかなと思っている」と話す。(柴田大輔)

◆トークイベント「『透明人間』になった私たちのお話」は、9月20日(土)午後1時から午後3時30分まで、つくば市研究学園のつくば市役所コミュニティ棟で開催。定員60人、手話通訳あり。参加申し込みは専用サイトへ。申込締め切りは15日(月)。会場では、山本さんによる写真展「透明人間 Invisible Mom」の写真展も開かれる。展示は同会場で午後6時まで。問合せは、「つくば自立生活センターほにゃら」電話:029-859-0590、ファックス:029-859-0594、メール:cil-tsukuba@cronos.ocn.ne.jpへ。

つくば駅前「となりのスタジオ」から発信 ラヂオつくば

14
夕方の番組を生放送するラヂオつくば「となりのスタジオ」=つくば市吾妻、T.S BUIL

クレオ向かいの T.S BUILに移転

つくば市のコミュニティーFM「ラヂオつくば」(周波数84.2HMz、つくばコミュニティ放送=堀越智也社長=)のスタジオがこのほど、つくば駅前の商業施設トナリエクレオ3階(同市吾妻)から、向かいのT.S BUIL(ティーエスビル)1階に移転した。新しいスタジオの名称は「となりのスタジオ」。

新スタジオはつくば駅前広場線に面し、つくば駅やバスターミナルを利用する通勤・通学者や買い物客など多くの人が行き交う。前のスタジオの賃貸契約が切れるタイミングで、道路に面した場所に7月28日、移転した。約1カ月がたち、生放送中に通行人が足を止めたり、手を振ったりする姿が見られる。

スタジオの面積は約17平方メートル。2階に上がる階段があり、ゲストの控室にもなっている。

昼の番組生放送中のアナウンサー江田麻裕子さん(右)とゲストの島田演子さん=同

夕方の生放送番組「つくば You’ve got 84.2(発信中)!」(つくばゆうがたはっしんちゅう)月曜日担当の有働文子アナウンサーは「新しいスタジオは、道路に面しているので人の行き交う様子や空の色を眺められて、新鮮」とし「一般観覧ができるようになれば唯一無二の素敵な場所になりそう。地域になくてはならないハブになっていけるように、より精進したい」と意気込みを語る。

昼の生放送番組「what tsukuba」(ワットつくば)金曜日担当の江田麻裕子アナウンサーは「新しいスタジオの前は人通りが多く、地域の人に直接発信している感覚が強い。メディアとして人の目につくことは意味がある」と話し「今後はイベントの周知など、市民が番組を使って発信できるハブになったらうれしい」と語った。

夕方の火曜日の番組を担当する小村悦子アナウンサー

ラヂオつくばは、2008年に設立されたつくば市のコミュティーFMラジオ局。放送区域はつくば市および土浦市の一部だが、インターネットやラジオアプリを使えば世界中から視聴できる。実際スイスから番組を聞いているリスナーもいるという。

ラヂオつくばで生放送されている番組は、月曜から金曜の午前11時から午後1時までの「Wh@t?Tsukuba!」、午後5時から7時までの「つくば You’ve got 84.2(発信中)!」など。(伊藤悦子)

➡ラヂオつくばのホームページはこちら

「障害があっても住みやすい地域を」根本希美子さん【鬼怒川水害から10年】㊦

13
かけはしねっと代表理事の根本希美子さん

電気が止まったとき、命を落としかねない子どもたちがいる―。

つくば市を拠点に、人工呼吸器の使用やたん吸引、経管栄養など「医療的ケア」を必要とする子どもや保護者を支える親の会「かけはしねっと」の代表理事 根本希美子さん(47)はそう訴える。根本さんの長男・侑弥さん(19)も、専用機器を用いたたんの吸引や人工呼吸器の使用などが命をつなぐために欠かせない。活動のきっかけは、2015年9月10日、隣接の常総市を襲った鬼怒川水害で抱いた危機感だった。来年、団体は発足10年を迎える。「障害があってもなくても住みやすい地域をつくりたい」との思いを胸に、仲間たちと社会へ声を届け続けている。

当事者として伝えなければ

その日、つくば市の自宅にいた根本さんは、テレビから流れる「常総市付近で鬼怒川が氾濫するかもしれない」というニュースにくぎ付けになっていた。台風が秋雨前線を刺激し、鬼怒川流域で記録的な豪雨が降っていた。

常総市には、医療的ケアを必要とする子を持つ知人が住んでいた。長男より2、3歳年下で、幼い頃から誕生日などの節目の時に近況を聞き合う間柄だった。気になり連絡を取ると「避難先の確保が難しい」という。知人は、かかりつけの病院に問い合わせるも、災害の最中で治療の対応はできるが、避難の対応はできないと言われたという。避難所では機器を使うための必要な電源が十分に確保できない場合がある。「それじゃ、水害の心配のないうちに来ない?」根本さんが呼び掛け、つくばの自宅に避難してもらうことにした。知人はその日のうちに、自家用車に呼吸器、吸引機、それに付随する電源などたくさんの機器を積み込み到着した。

「鬼怒川が決壊した」というニュースが流れたのは、翌日10日の午後1時前。瞬く間に被害は拡大した。次々に家屋が水に飲み込まれ、取り残された人々の様子も映し出される。根本さん宅では子供のケアをしながら、テレビにかじりつくようにの推移を見守っていた。常総市内の約3分の1が浸水。5000棟以上の家屋が全半壊し、取り残された4000人以上がヘリコプターやボートで救助されることになる。

ただ幸いなことに、知人の自宅は水害のあった地域の対岸にあり被害を免れていた。10日のうちに帰宅する知人一家を見送りながら、紙一重だった状況に根本さんは「個人でできることには限界がある。大変な時こそ、日常的につながる人との関係が大切になる」と痛感した。

長男・侑弥さん(19)も、命をつなぐために電気が欠かせない。「当時はまだ、『医療的ケア児』という言葉すら知られておらず、問題も社会に認知されていなかった。自分たちが何に困り、何を必要としているのか、当事者として伝えていかなければと思った」と振り返る。

思いを共にする医療的ケア児の母親らと「かけはしねっと」を立ち上げたのは、翌年の2016年だった。

2018年には、台風による夜間の大規模停電を経験。復旧までの10時間、侑弥さんの命をつなぐ人工呼吸器と酸素濃縮器はバッテリーで稼働を続けた。暗い部屋に響く残量警告のアラーム音に不安が募った。後日、発電機を自費で購入したが、公的支援の必要を感じた。非常時の家庭用発電機購入の助成をつくば市に請願し、上限10万円の助成制度が19年に実現した。さらに21年には、医療的ケア児の家族の体験をまとめた冊子を仲間たちと制作した。当事者を支えるネットワークづくりと課題の理解を広げるために奔走している。

侑弥さんのたんなど口腔内の吸引をする根本さん。侑弥さんの喉元の気管切開部には人工呼吸器がつながっている(根本さん提供)

つながりを育む

かけはしねっとでは、情報発信に加え、子どもや家族同士の交流イベントの開催、SNSなどを通じた相談支援に取り組んでいる。活動で大切にするのは、楽しく、気軽に参加できる雰囲気づくりだ。根本さんは「障害のある子どもの体調によっては毎回参加できないこともある。毎回参加しなくてもいいし、直前にキャンセルしてもいい。心理的なことも含めて、できるだけ家族の方たちの負担がないようにしたい」と話す。

その思いの背景には、根本さん自身の経験がある。

つくば市出身の根本さんは、2006年に長男の侑弥さんを出産。産後間もなく心肺停止に陥り、脳に酸素が送られず無酸素性脳損傷による障害を負った。明日の命もわからない状況で発熱を繰り返し、口にしたものをすぐ吐いてしまう。その後も入退院を繰り返した。

「『私がこの子の命を背負っている、完璧にやらなきゃ』と必死だった。人とのつながりもなく、いっぱいいっぱいの毎日だった」と振り返る。そんな時、子どもの様子を見るため訪れた保健師の言葉に救われた。

「話を聞いてくれる中で、『お母さんすごい』『頑張ってる』と言ってもらえたことで、自分を認めてもらえた気がした。『私は間違ってなかった。これでいいんだ』と思えた。それから少し息が抜ける感じがし、なんとかやってこられた気がします」

子どものケアを担う母親は、家族以外と関わる機会が限られ、孤独になりやすいという。だからこそ「思いを吐き出せる相手が必要」だと強調する。

「私の場合は保健師さんだったが、誰でもいい。ママ友でもいいし、福祉・医療の人でもいい。障害の有無にかかわらず、誰かとつながり思いを吐き出すことで違う方向に気持ちを変えていけるのでは」

かけはしねっとによるイベント「まち歩きの会」の様子(根本さん提供)

かけはしねっとでは、公式のメッセージアプリに加え、メールやSNSなど複数の手段を活用し、異なる環境にあっても声を掛け合える体制を整えている。

「家族の中だけでは発散できない思いもある。どこかで吐き出せる存在が必要。支援を使いながら自分を大切にしてほしい。日常的な関わりやつながりが緊急時に生きてくる。災害のためだけに連絡ツールを作るのは大変だが、普段からやり取りを重ねていれば、いざという時に電話が使えなくても、メールやLINEで連絡を取れる。だから複数の手段を持つのは大切だと思っている」

「障害があってもなくても暮らしやすい地域になってほしいし、いつか社会の中に理解が広がり、わたしたちのような活動をしなくてもいい社会になれば、それが一番だと思っています」(柴田大輔)

終わり

防災月間に原発震災を考える《ハチドリ暮らし》53

4
写真は筆者

【コラム・山口京子】9月は防災月間ですが、1923年9月1日に起きた関東大震災に由来し、1960年に政府によって9月1日が「防災の日」と定められました。

1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こり、その頃から日本列島が地震の活動期に入ったのではないかと指摘する専門家の話を耳にするようになりました。確かに、新潟県中越地震(2004年)、同中越沖地震(2007年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)、北海道胆振東部地震(2018年)、2024年能登半島地震(2024年)、鹿児島県十島村悪石島地震(2025年)と続きます。

地震は自然現象、震災は地震災害。自然現象は防げないけれど、震災は防災や減災に取り組むことで抑えられます。でも地震と津波と噴火が連動して起きたらどうなるのでしょう。そのとき、原子力発電所はどうなっているのでしょう。心配性で臆病な私は怖くてなりません。

原発震災という言葉を本で知りました。地震による災害に加えて、地震に伴う原子力発電所の事故で大量の放射性物質が外部に放出され、被害を増幅させる破局的な災害のことです。大地震と原発の過酷事故が起きないかもしれません。万が一、原発の過酷事故が起きたら、どうなってしまうのか…。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を体験したことで、不安はぬぐえません。事故は収束していませんし、「原子力緊急事態宣言」は解除されていません。原子核反応と生物は共存できないように思うのです。

机上の定めと現実の隔たり

能登半島地震のあと、能登半島には北陸電力志賀原子力発電所があるということを知りました。また、この震源地の近くの場所に、関西電力、中部電力、北陸電力による珠洲原子力発電所の設置計画があったことも。それが地元住民と全国の反対運動によって、2003年に撤回されたことも知りました。

実際に原発震災に遭遇したらどうすればよいのか、自分事として考えたことはありませんでした。怖すぎて思考停止です。自治体の「地域防災計画(原子力災害対策編)」では、原発から半径5キロ圏内は30キロ圏外へ避難、その外側から30キロ圏内では屋内退避を基本―としています。

能登半島地震では、多くの道路が壊れて通行不能になったり、住宅が壊れれば屋内退避は無理だったり…。机上の定めと現実の隔たりも怖いことです。(消費生活アドバイザー)

茗渓学園、学校移転を中止 TX研究学園駅南側

37
茗渓学園の正門側

TX研究学園駅の南側に移転する計画だった茗渓学園中学校高等学校(つくば市稲荷前1-1)は9日、ホームページ上で、新学園の建設費用が当初想定を上回る見込みになったため、校舎・グラウンド・学生寮から成る学園の移転を断念するに至ったと発表した。これまでの計画では、学園創立50周年に当たる2029年春、TX駅南側の大規模開発地の一角に移転することになっていた。

宮崎淳校長は発表の中で、①教育環境の充実、施設の更新、アクセス向上を目的に、移転計画を進めてきた、②しかし建設費高騰や社会経済情勢の変化により、当初想定を大幅に上回る費用が見込まれる状況になった、③その結果、現条件下では、学びの場にふさわしい環境を十分に実現するのは困難と判断、本計画を断念した―と述べている。

大規模開発の目玉に「穴」

茗渓学園が移転を計画していたのは、大和ハウス工業(本社・大阪市)が研究学園駅の南側隣接地(つくば市学園南2丁目)で進めている大規模複合開発用地(総面積15.5ヘクタール)の駅に近い区画。大和ハウスはここに4.3ヘクタールの区画を用意、研究学園都市の複合開発事業の目玉として、茗渓学園を誘致する計画を進めていた。

宮崎校長も「私学の良否を決めるのは、クオリティ(学校の質)、コスト(授業の経費)、アクセス(通学の利便性)の3つだが、新学園は駅から徒歩5分のところに位置し、アクセスは申し分ない。移転情報がすでに広く伝わり、これまで1500人で推移してきた学生数が最近では1600人に増えた。学内の設備も大学並みに整えたい」(2025年4月2日の開発安全祈願祭後の記者会見)と、移転に強い意欲を見せていた。

現校地の教育環境を段階整備

移転断念後の計画について茗渓学園は「移転を予定した2029年を一つのマイルストーン(節目)と位置づけ、現校地における教育環境の整備計画を段階的に検討・推進していく。具体的には、寮・食堂などの生活環境の向上、理科・芸術棟の整備などを視野に入れている」としている。

違う法人誘致を検討 大和ハウス

茗渓学園の移転断念を受け、大和ハウスの関係者は「ほぼ決まっていた移転について、断念の申し入れがあったのは事実。茗渓学園のために用意した敷地は広く、駅からも近い。この一等地に興味を示している法人は複数ある。違う法人を誘致することを検討している」と述べるにとどまり、具体的な業種名や法人名などに言及することは避けた。(坂本栄)

➡過去記事はこちら(2023年11月6日付25年4月2日付

筑波大運動部学生とアスリート社員らが交流会 関彰商事社長「一緒に地域貢献を」

2
筑波大学・関彰商事 部活動生交流会の様子=9日、ホテル日航つくば

野球・ソフトボール室内練習施設完成機に

最先端のスポーツ科学を生かした運動分析とコーチングを提供する筑波大学(つくば市天王台)の野球・ソフトボール室内練習施設「インヴィクタス・アスリート・パフォーマンス・センター(IPC)」(関彰商事が整備・運営)が1日、大学構内の南地区(同市天久保)に完成し仮オープンしたのを機に、今後、同施設などを利用する運動部学生らと、関彰商事の同大出身アスリート社員との「筑波大学・関彰商事 部活動生交流会」が9日、つくば駅前のホテル日航つくばで催された。関彰商事の関正樹社長は「スポーツを通じて地域に貢献することを一緒にしていただきたい」などと呼び掛けた。同室内練習施設は22日、正式オープンする。

交流会に参加したのは、同室内練習施設のほか人工芝のサッカー場「セキショウフィールド」を利用する同大の女子ソフトボール部(関東学生女子ソフトボールリーグ2部所属)、硬式野球部(首都大学リーグ1部)、蹴球部(関東大学サッカーリーグ1部)、アメリカンフットボール部(関東学生アメリカンフットボールリーグ2部)、男子ラクロス部(関東学生ラクロスリーグ2部)、女子ラクロス部(同リーグ3部)の主将、選手、監督や顧問ら。関彰商事からは同大卒のアスリート社員らが出席し、交流を深めた。

あいさつする関彰商事の関正樹社長

あいさつした関彰商事の関社長は「20~30年前から筑波大学との交流が始まり、2016年に(土のグラウンドの)第2サッカー場を(人工芝の)セキショウフィールドにして寄贈させていただいたことが大きな節目になった。始めの1、2年は大学との距離が近くなったが、その後、距離を置いてしまった。今日新たに室内練習施設を寄付し、関係者の皆さんにお集まりいただいた。新しい一歩として、一緒に地域貢献に取り組んでいただければ」などと話した。

同大体育スポーツ局の高木英樹局長、体育専門学群の木塚朝博学群長らも参加し、高木局長は「新しい室内練習場はPPP(官民連携)方式で進め、両者の長所を生かした。筑波大学が培った先端のスポーツ科学の知見を社会に貢献していく中核となる施設で、世界的に注目される施設になるに違いない。世界中のトップアスリートも運動分析を受けて、パフォーマンスを上げていく施設になると確信している。この施設を利用して最大のパフォーマンスを発揮し人間的にも成長することが(関彰商事に対する)最大の恩返しになる」などと話した。

あいさつする筑波大学体育スポーツ局の高木英樹局長

続いて同大出身の関彰商事アスリート社員で、パリ五輪陸上男子100メートルに出場した東田旺洋選手と、東京パラリンピックで銅メダルを獲ったゴールボール日本代表の高橋利恵子選手がそれぞれ、大学や大学院で何を考え、どのように過ごし、成長できたかなどを講演。参加した運動部員から「試合前にテンションが上がって眠れなくなる。メンタルをどうセットして大会に臨むのか」などの質問が出て、高橋選手は「私も緊張して上がってしまう。東京パラリンピックに出て緊張していた時、後輩から『高橋さんらしくない』とLINEが来て、はっとした」と経験談を話し「日頃のルーティーンを変えないことも一つ。寝る前に、これをして、あれをして、寝るということを体に染み込ませるなど、ルーティーンをつくることも一つ」などと答えていた。

運動部員らの質問に答える(左から)アスリート社員の高橋利恵子選手と東田旺洋選手

同室内練習施設は関彰商事が費用を負担して施設を整備し、完成後は同大に引き渡された。完成後15年間は関彰商事が施設を管理運営し、事業収入を得て、整備費用などを回収する。投球や打撃の動作や弾道などを測定し分析する最新の機器を備え、スポーツの動作分析とコーチングを研究する同大の研究成果や知見を生かして、様々な選手に最新のスポーツ科学を基にした運動分析やコーチングを提供する。平日昼間は大学の授業や部活動で使用し、平日夜間と休日は、一般向けにスクールや運動分析プログラムの提供などをする(24年10月18日付25年5月16日付)。=鈴木宏子

「危険な場所から改修を」片倉一美さん【鬼怒川水害10年】㊤ 

2
越水による水害被害を受けた若宮戸地区で被害を説明する片倉さん

「水害は天災だと思っていた。しかしこれは国交省の河川管理責任による人災。責任は国にある」。鬼怒川水害から10年、被災の責任を国に問う国賠訴訟の上告審を前に、住民原告団共同代表の片倉一美さん(72)が語る。

2015年9月10日、記録的な豪雨により鬼怒川が越水、堤防が決壊し、常総市一帯は大規模な水害に見舞われた。同市では災害関連死を含めて15人が犠牲になり、全壊・半壊した建物は5000棟以上に及んだ。

水害で、常総市の住民が甚大な被害に遭ったのは国交省の河川管理に落ち度があったためだなどとして、一、二審ともに、越水による水害被害を受けた若宮戸地区に関する住民の主張は認められた。自然堤防の役目を果たしていた砂丘林を、太陽光パネル設置のために民間事業者が採掘した結果、堤防の機能が失われた。国が同地域を「河川区域」に指定し、開発を制限すべきだったとし、国に賠償が命じられた。

一方で、越水し堤防が決壊した同市上三坂地区の被害については一、二審ともに住民側の訴えは退けられた。住民は「同地区は堤防の高さが低く、他の地域に優先して改修すべきだったのに、国が対応を怠ったことが水害につながった」などと主張した。控訴審で中村裁判長は「国の改修計画は不合理とは言えない」として国の責任を否定した。

二審判決を不服とした住民15人(法人1社を含む)が11日、最高裁に上告した。

東京高裁で開いた記者会見で上告への思いを語る片倉さん(中央)

みんな安心しきっていた

「まさか、ここが水没するなんて、だれも考えていなかったです」

水海道駅から程近い、常総市の旧水海道地区中心部に片倉さんの自宅がある。両親の代まで続いた老舗の製菓店を営んでいた。和菓子のほかパンやケーキも扱い、正月には赤飯、祝いごとには鯛の砂糖菓子を作っていた。片倉さんは大学卒業後、機械メーカーへ就職。関東、四国、大阪、東京と全国を転勤し、東京本社で定年を迎えた。水害発生当時は東京に単身赴任していた。

両親と妻が暮らす自宅は床上浸水し、3台の車はすべて水没した。市内に住む長男一家の自宅にも2階近くまで水が迫った。取り残された長男の妻と子ども2人が自衛隊のボートで救出された。片倉さんが初めて帰宅できたのは10日後だった。

「小貝川が切れることはあったが、鬼怒川が切れるなんて考えたこともなかった。みんな安心しきっていた」と振り返る。

常総市の自宅

「人災ではないか」

後日、市内で開かれた「被害者の会」の集会に参加した。当初は「天災だから仕方がない」と思っていたが、国の河川管理の不備が指摘されるのを聞き、疑念を抱くようになった。翌年1月には参加者とともに政府交渉に臨んだ。国の対応に怒りを覚えたという。

「国交省の担当者は、水害があったことは認めると言いながら、こちら側が何をいっても『私たちに責任はない』の一点張り。被害に遭った私たちをどう思っているのかと感じた」

その後、裁判の原告募集に応じ、2018年、水戸地裁下妻支部に提訴した。

裁判を通じて見えた「国の逃げ道」

裁判の焦点は「堤防改修計画の適否」だ。過去の最高裁判例では、改修計画に重大な欠陥がない限り、未改修部分からの氾濫に国の責任は問えないとされてきた。

片倉さんらは、堤防改修の優先順位を問題視する。決壊した上三坂地区の堤防は、高さや幅が不十分であったにもかかわらず、改修が後回しにされていたことが決壊につながったと主張する。

「危険度が最も高い場所から改修すべきなのに、放置された上三坂地区から決壊した。わかっていて放置したのは国の責任。当たり前のことが認められないのはおかしい」と憤る。

さらに片倉さんが強調するのは「堤防が決壊する原因の9割は、越流(水があふれること)」ということだ。堤防を超えた水が反対側の堤防斜面を削り、決壊を招くのだ。上三坂地区では10日午前11時ごろに越水が始まり、午後12時50分に堤防が決壊した。わずか2時間あまりのことだった。

「越流だけなら、水の流れは早くないから家が流されることはない。しかし決壊すれば、ものすごい速さで水が流れ込む。人も家もひとたまりもない。一番怖いのは堤防が決壊すること」だとし、「決壊させないためには越流を防ぐこと。常識的に考えれば堤防で問題になるのは幅より高さだ。低いところから改修するというのは、単純明快」と主張する。

資料を元に現場の説明をする

水害対策の常識を問う

片倉さんは、この裁判を「日本の水害対策の常識を問う闘い」だと位置づける。「当たり前のことが当たり前に認められない現状を変えたいのです」と言う。

「全国の河川流域には同様の危険地帯が数多く存在する。低い堤防から優先的に治す。それだけで水害は防げるのに、国はそれをしない。今は毎年のように水害が起きている。日本全国の河川の周りにいる人が、その危険性を背負って生きている。だから、一生懸命訴えて国に変わって欲しい。私だけじゃない。日本全国で変われば、わたしたちみたいな被害者は減るのだから」そう言うと、改めて強調した。

「越水して決壊する危険な場所を、優先的に直さなければならない。当たり前のことです」(柴田大輔)

何もしない夏《続・平熱日記》184

11
絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】辺りが薄明るくなってくると最初の1匹が鳴き始める。それに応えて「カナカナ…」と仲間のヒグラシが鳴き始める。サンダルを履いてなだらかな砂利道を下る。数メートル先を白く丸まったパクの尻尾が進む。しばらく行くと道は2つに分かれる。その先の田んぼから聞こえるのはフロッグコーラス。

本当にかの合唱曲のようなコンダクターがいて、最初の1匹が「キキッ、キキッ」というような少し高い声を出すと、続いて一斉に「ケロケロケロケロ…」と合唱が始まる。広い田んぼにはいくつかのコーラスグループがあるようで、こちらの合唱団が鳴き始めてしばらくすると離れた所の合唱団が輪唱で追いかける。

この夏も山口の弟の家で過ごした。山の中にある家を一歩出ると、メススリという小さなハエが鬱陶(うっとう)しく顔の周りを飛び交う。メススリという名前の由来の通り、人の涙をすすりにくるという。

湧き出る水辺にはイモリの赤ちゃんがいた。イモリはが脱皮するということも初めて知った。モリアオガエルの目は金色だった。薪(まき)小屋の上にたわわになっているサルナシの実を見つけた。初めて食べたのはチャンバラ貝。ふたの部分に刀のような突起がある。田んぼで白と黒の大きな鳥を見かける。もしやと思ったらやっぱりコウノトリだった。

日本海の小さな港。堤防から覗(のぞ)いた海面には葉っぱ? 黒く体の色を変えたイカの赤ちゃんの群れがぷかぷか浮いていた。

初めて訪れた中古レコード店。私の漠然とした要望にサクサクっと店主さんが選んでくれた数枚のレコード。どんな曲だろう。それから廃材でポストを10個余り作った。パクを皮膚病の治療もかねて瀬戸内海で3回泳がせた。あまり海も泳ぎも好きではなさそうだったが…。

それから山の中にぽつんとある「ロバの本屋」に行った。小さな納屋のような建物を改装した店内に入ると、犬のビクターが出迎えてくれた。必要最小限に手を加えられた内装や古い棚やテーブル、店主さんのセンスで選ばれた本や文房具、糸や布の手芸用品が並ぶ。ちょうど終わった作品展「かみさまのようなもの」の陶器のオブジェがそのまま置いてあった。

また絵を描きたくなった

還暦を過ぎた弟は潔く大工をやめることにしたらしい。私はといえば未練がましく絵を描き続けていこうと思っている。正直、足腰や目、歯、見てくれは年相応にくたびれてきたのを感じることもあるけれども、ときどき中身は若い頃とさほど変わっていないように感じることがある。無知で未熟なままの…。

木製の古い窓から真っ青な夏空の見えるカフェスペースで、べったりと寄り添うビクターを撫(な)でながらコーヒーをすすった。また絵を描きたくなった。ロバの本屋に訪れてよかったと思った。

夕方、アブラゼミやニイニイゼミに代わってヒグラシが鳴き始めた。今日も暑い1日だったが、山の中の家は夕方になると涼しい風が吹いて夜は布団を被(かぶ)らないと寒いくらいだった。何もしない夏は何もないわけでもなかった。(画家)

吉田光男さんの随筆集「おとな日和」《邑から日本を見る》186

10
吉田光男さんの遺稿集「おとな日和」

【コラム・先﨑千尋】水戸芸術館の設立と運営に尽力した水戸芸術振興財団元副理事長の吉田光男さんが亡くなって3年。このほど吉田さんの随筆集『おとな日和』が発刊され、私は佐川文庫を主宰する佐川千鶴さんを介して手にした。品格のある装丁とタイトルがいい。

吉田さんは私の高校の10年先輩で、水戸市内などで手広くガソリンスタンドやレンタカー・カーリースなどを経営している吉田石油のオーナーだった。粗野な私にとっては別世界の人で、生前にお目にかかることはなかった。元水戸市長の佐川一信さんの懐刀で、水戸芸術館の設立と運営に大きな役割を果たした人、という程度の知識しかなかった。

本書は「おとな日和」「芸術館開館に向けて」「日々雑感」など6章から成る。吉田さんが生前に書き残した随筆などをまとめたもので、軽妙洒脱な文が読む者を魅了する。

「水戸を日本一の文化都市に」

茨城県は今でも魅力度ランキング最下位の常連。水戸も「殿様」と「納豆」しかなく、文化果つるところ。その水戸を日本一の文化都市にしようと意気投合したのが吉田さんと佐川さんだ。ともに学問・芸術好きで、水戸学だの殿様などを評価しないこと、水戸に何かを付け加えなかったら水戸はダメだと焦っていること、などが共通点だったという。その新しい何かが水戸芸術館だった。

水戸芸術館は建築家の磯崎新の設計。遠くからも見える、正四面体を重ねてできた三重螺旋(らせん)の塔。それに、音楽ホール、演劇ホール、美術館の3つのホールが、緑の芝生を囲む形に配置されている。広場では縁日や野外劇などが行われ、暮れにはベートーヴェンの「第九」の演奏が名物になっている。

ホールはそれぞれ専用で、貸しホールにはせず、すべて独自のプログラムが組まれる。容れ物ができればそれでいいというのではなく、佐川市長は芸術館の運営に市の総予算の1%を充て、吉田秀和さんを初代館長にした。小澤征爾、森英恵、小口達夫などの超一流メンバーが集い、それぞれが水戸のために渾身の力を込めて一肌脱いでいる。

水戸芸術館管弦楽団は、世界中に散っている日本人演奏家の精鋭を集めて組織され、コンサートの切符はなかなか手に入らない。「芸術の梁山泊」が水戸芸術館だ。吉田さんは「日本にカジノを作っても、誰もその故に日本を尊敬する人はいない。政治の品性は一国の文化の程を決めてしまう」と書いている。

水戸の新たな文化の発信地「水戸芸術館」

無類の本好き、骨董好き

本書を読んでわかったことだが、わが国の公害問題研究の第一人者である宇井純は、小学校時代、吉田さんと同級生だった。石岡市八郷地区で百姓暮らしをしている筧次郎さんは水戸の生まれであることは知っていたが、吉田さんの家の近くの人で、筧さんの野菜を食べていたという。

吉田さんは無類の本好きで、いつも本を読んでいた。本書にも古今東西の文献の引用が随所にさりげなく出てくる。水戸にゆかりのある作家の立花隆は「知の巨人」と言われていたが、吉田さんも知の巨人と言っていいのではないか。

また、無類の骨董好きでもある。この秋、水戸市泉町に開館するテツ・アートプラザ内の「クヴェル美術館」で、吉田さんが収集したシルクロードの仏教美術や陶磁器のコレクションが展示されるというので楽しみだ。なお、本書は非売品。水戸市内の図書館などで閲覧できる。(文中一部敬称略) (元瓜連町長)

塚本一也氏が再選 県議補選つくば市区

36
祝勝会でバンザイ三唱する塚本一也氏(左から2人目)

知事選と同日で行われた県議補選つくば市区(欠員1)は7日投票が行われ、元職でタクシー会社社長の塚本一也氏(60)=自民=が、元職で政党役員の山中たい子氏(74)=共産=を破り、2期目の当選を果たした、当日有権者数は19万9049人、投票率は34.05%。

【県議補選つくば市区】(22時48分確定)
39,121 塚本 一也

24,293 山中たい子

塚本氏は「つくば市を力強くけん引する県政を」をスローガンに掲げ、県歯科医師連盟、つくば市農協、県建築士会筑波支部の政治団体などの推薦のほか、大井川和彦知事、常井洋治氏、飯塚明夫氏ら自民党県議、国光文乃氏衆議院議員、加藤明良参議院議員らの応援を得て、自民党の票を取りまとめたことが奏功した。

これに対し山中氏は「自民党政治を変えて願いかなういばらきに」をスローガンに、県立高校新設・クラス増、東海第2原発廃炉などを訴えて市内各所で街頭演説。知事候補の田中重博氏のほか、塩川鉄也衆院議員、岩渕友参院議員、水戸市区の江尻加那県議、運輸大臣を歴任した二見伸明元衆院議員らの応援を得たが、及ばなかった。

「皆さんのため郷土のために働く」塚本氏

つくば市花畑の塚本氏の選挙事務所には午後8時過ぎから支持者が集まり開票を待った。

午後10時40分、選対事務局から「当選が決まったようだ」と報告があり、やがて塚本氏が会場に現れると、支持者から大きな拍手が起こり、塚本氏は支持者ら一人ひとりと握手を交わした。

祝勝会には国光あやの衆院議員、上月良祐参院議員、白田信夫県議、星田弘司元県議らが駆けつけ、選挙戦を支えた市議会会派、NEXTつくば(飯岡宏之代表)のメンバーらが顔をそろえた。

祝勝会で塚本氏は「3万9000人もが私の名前を書いてくれたことに責任の重さを感じている。つくばは政治や選挙が難しい中、私を支えていただいて、私を信じていただいてありがとうございます」と支持者に感謝の言葉を述べ、「3年前の忘れ物を取り返しますよと言った。ようやく忘れ物が届いた。これから皆さんのために、郷土のために働きます」と述べ、決意を新たにした。

支持者と握手する塚本氏

塚本一也 60 タクシー会社社長 自民 元②
【公約】①国や県との連携を重視する中でつくばの成長産業の育成②TX沿線No.1の教育環境の実現③高齢者、障がい者、育児家庭が暮らしやすい社会の構築など
【略歴】つくば市出身。県立土浦一高、東北大学工学部建築学科を卒業後、筑波大学大学院環境科学研究科修了。1991年にJR東日本に入社し、2006年に大曽根タクシー社長に就任。18年から県議一期を務めた。現在は同社社長のほか、茨城県ハイヤー・タクシー協会会長などを務める。

開票始まる 県議補選つくば市区

0
開票作業の様子=つくば市流星台、市桜総合体育館

知事選と同日で行われた県議補選つくば市区(欠員1)は7日投票が行われ、午後8時20分から、同市流星台の市桜総合体育館で開票が始まった。当日有権者数は19万9049人。投票率は34.05%。

【県議補選つくば市区】届け出順
山中たい子 74 政 党 役 員  共産元④
塚本 一也 60 タクシー会社社長 自民元①

立候補したのは、いずれも元職で県議4期を務めた党県常任委員の山中たい子氏(74)=共産=と、県議1期を務めたタクシー会社社長の塚本一也氏(60)=自民=。元職同士の一騎打ちになった。

あす投開票 県議補選つくば市区

28
知事選と県議補選つくば市区の選挙ポスター掲示板=つくば駅前

知事選と同日で行われる県議補選つくば市区(欠員1)は7日投開票される。立候補しているのは、いずれも元職で県議4期を務めた党県常任委員の山中たい子氏(74)=共産=と、県議一期を務めたタクシー会社社長の塚本一也氏(60)=自民=。元職同士の一騎打ちになっている。投票は同日午前7時から午後7時まで市内76カ所で投票が行われ、同夜午後8時20分から同市流星台の市桜総合体育館で即日開票される。有権者数は20万17000人(8月28日時点)、5日までの期日前投票の投票率は8.84%だった。

上ノ室で最後の訴え 山中氏

山中氏

山中氏は「自民党政治を変えて願いかなういばらきに」をスローガンに、県立高校新設・クラス増、東海第2原発廃炉などを訴えてきた。塩川鉄也衆院議員、岩渕友参院議員、水戸市区の江尻加那県議、運輸大臣を歴任した二見伸明元衆院議員らが応援に駆け付けた。市内をくまなく回り、連日15~16カ所で街頭演説を重ねた。6日は北条郵便局を出発し、大穂、吾妻、竹園、並木、手代木の各所で街頭演説、同市上ノ室の選挙事務所前で最後の訴えをする。

山中たい子 74 政党役員 共産 元④
【公約】①国保税、介護保険料、後期高齢者医療保険料の引き下げ②児童生徒数増に見合う県立高校新設とクラス増設を進める③危険な東海第2原発の再稼働をストップし廃炉に
【略歴】福島県小野町出身、日本大学Ⅱ部法学部新聞学科卒。千葉県商工団体連絡会に勤務。つくば市に転居後、1984年から旧桜村議・つくば市議を4期を務め、2003年から県議を4期。前回2022年12月の県議選は次点。現在、共産党県常任委員など歴任

大曽根で最後の訴え 塚本氏

塚本氏

塚本氏は「つくば市を力強くけん引する県政を」をスローガンに掲げる。県歯科医師連盟、つくば市農協、県建築士会筑波支部の政治団体などの推薦、大井川和彦知事候補者、常井洋治氏、飯塚秋男氏ら自民党県議、国光文乃氏衆議院議員、加藤明良参議院議員らの応援を得て、連日、市内各所で街頭演説とあいさつを重ねてきた。6日は午後6時から、同市大曽根のガゾリンスタンド・エネオス大穂サービスステーション堀井商店で最後の訴えをする。

塚本一也 60 タクシー会社社長 自民 元①
【公約】①国や県との連携を重視する中でつくばの成長産業の育成②TX沿線No.1の教育環境の実現③高齢者、障がい者、育児家庭が暮らしやすい社会の構築など
【略歴】つくば市出身。県立土浦一高、東北大学工学部建築学科を卒業後、筑波大学大学院環境科学研究科修了。1991年にJR東日本に入社し、2006年に大曽根タクシー社長に就任。18年から県議一期を務めた。現在は同社社長のほか、茨城県ハイヤー・タクシー協会会長などを務める。

(柴田大輔、鈴木宏子)

筑波大ラグビー部、一誠商事とスポンサー契約 公式戦で広告解禁

0
左から古川部長、高橋主将、五十嵐社長、嶋﨑監督

筑波大学ラグビー部が、県南を中心に不動産業を展開する一誠商事(五十嵐徹社長、本社つくば市竹園)とスポンサー契約を締結した。今季から公式戦の試合用ジャージ胸部に同社ロゴが掲出される。5日、一誠商事本社で開かれた記者会見で発表した。今年から、大学ラグビーの公式戦で企業の広告を掲出することが解禁された。

会見には筑波大学ラグビー部から古川拓生部長、嶋﨑達也監督、高橋佑太朗主将と、一誠商事から五十嵐社長が出席。席上で高橋主将は「一誠商事さんには以前からサポートいただいていたが、今回ユニフォームスポンサーになっていただき、試合の場で共に戦えることに部員一同心強く感じている。このサポートに対し自分たちができるのは結果で示すことだけ。素晴らしいラグビーを展開し、勝利という形で恩返ししたい」と感謝の念を語った。

五十嵐社長は「今季から大学ラグビー界でも広告が解禁されたことで、学生の段階からしっかりと資金を集め、企業の力も活用して強化を進め、日本のラグビー全体がさらにレベルアップしていくためのスタートが切れたのではないか。筑波大がさらに発展していく一助となればうれしい」と応じた。

力強く握手する(左から)高橋主将と五十嵐社長

長年つくばを拠点に営業している同社では、サッカーやバスケットボールなど学生スポーツの支援も長年続け、ラグビー部に対しては2019年から練習着などを提供してきた。その関係で毎年、シーズン開始前と終了後には学生たちから活動報告を受けるが、そこで大きな変化も感じているという。

「学生の皆さんが自分たちでスポンサーを集め始めてまだ数年だが、競技面だけでなく地域貢献でもしっかりしたプレゼン資料を作り、一生懸命お願いしてくるようになった。学生なのにここまで作り込んでいるのはすごいな、社会に出た時にさぞかし良い経験になるだろうなという感動を覚えながらお会いしている」と五十嵐社長は目を輝かす。

ラグビー部の広告付きユニフォームは今季公式戦からお目見えする。関東大学対抗戦Aグループに所属する筑波大は、初戦を9月14日、水戸市小吹町のケーズデンキスタジアム水戸で迎える。相手は強豪の明治大学だ。

「明大とは夏にも対戦しているが、セットプレーで勢いに乗るところがあり、今度もプレッシャーが強い試合になると思う。チャンスがあれば一瞬でトライを決めてくるので、しっかりと80分間全員が集中することが大事。自分たちの課題として詰めの甘さがあり、点差が開いて少し気を緩めてしまい逆転を許す場面があった。1点を争う試合になると思うので、全員がしっかり集中し、全力でやり切ることを目標として初戦に臨みたい」と高橋主将は意気込む。

最終目標は大学日本一を決める全国大学選手権。来年1月2日に東京・国立競技場で開催される準決勝まで勝ち進めば、NHK地上波で試合が全国放送される。(池田充雄)

祭囃子と縁日と、それからラムネ《ことばのおはなし》85

9
写真は筆者

【コラム・山口絹記】つくばに住むようになってから、新型コロナによる中止期間を除いて、なんだかんだと毎年つくばの夏祭りには足を運んでいる。目的はつくば駅周辺で行われるパレードとねぶた、というよりも縁日の方である。今年はこどもたちを連れて2日連続での参加だ。

私が育った東京の下町では、縁日は夏以外にも定期的に行われている、日常の延長にあるものだった。たまたま出かけた日に縁日がやっていれば、友人とたこ焼きを買って半分ずつ食べたりするのだが、いつ縁日がやっているか、ということは意識したことがなかった。

しかし、つくばではおそらく(私が知らないだけかもしれないが)縁日は夏にしかやっていない。東京に住んでいた頃はありがたみなど感じていなかったのに、いざ日常から消えてしまうと恋しくなるもので、この10年くらいは日程を調べて縁日に通っているというわけだ。

毎年の特別なイベントに

こどもたちのラムネの瓶をあけて手渡す。喉を鳴らして飲むこどもたちにつられて、自分も一口飲んでみる。最近のラムネ瓶はプラスチック製なので、なんとなく風情に欠けるような気もするが、猛暑の中で祭囃子(ばやし)を聞きながら飲むラムネはいつの時代でも格別においしい。

つくばに来た当初は妻と2人で気ままに歩いた縁日も、気が付けば上の娘を肩車して行くようになった。小さかった娘はもう手をつながずに人ごみを歩けるようになり、今は目を離すとどこかへ行ってしまう下の息子の腕をつかんでいなくてはならない。そのうち、こどもたちもそれぞれの友達と祭りに行くようになると思うと、いつの間にか日常の延長だった縁日が、毎年の特別なイベントに思えてくるのだから不思議なものだ。

何かを見つけて人ごみに消えていく息子を追いかけながら、そんなことを考える。(言語研究者)

「神経多様性」を妄想する《看取り医者は見た!》44

9
写真は筆者

【コラム・平野国美】非常事態で輝いた自閉症スペクトラムの図書館員の話(前回コラム)から、私の妄想は膨らむのです。人類がまだ獲物を追いかけ、新天地を求めて移動していた時代。その集団の先頭を歩いたのは、神経多動性(ニューロダイバーシティ)という特性を持つ人々だったのかもしれません。彼らの飽くなき探究心と衝動性は、集団を未開の地へと導く力となりました。しかし、その旅もいつか終わりを迎えます。

肥沃な土地に恵まれ、食料を安定して得られるようになったとき、人類は定住という新しいフェーズへと突入したのです。そして、この定住化という歴史的な大転換を支えたのが、「自閉症スペクトラム(ASD)」の特性を持つ人々だったのではないでしょうか。

定住生活の象徴ともいえるのが稲作です。稲作は、広大な土地を移動し続ける狩猟採集とは全く異なる、精密な「システム」でした。いつ種をまくか? 水を引くタイミングは? 収穫の時期は? すべては綿密な計画と繰り返されるルーティンワークによって成り立っています。

ここで、ASDの特性である「ルーティンへの強いこだわり」「シングルフォーカス(一点集中)」という才能が、驚くべき力を発揮したはずです。多動性を持つ人々が絶えず新しい刺激を求める一方で、ASDの特性を持つ人々は定まった手順を厳密に守ることで心の安定を保ちます。稲作という変化の少ない重要な作業を安定して続ける上で、彼らの「変わらないこと」へのこだわりは、集団全体の基盤を築く上で不可欠な要素だったのです。

稲作に生きた「守り人」の才能

稲作は、単に作業を繰り返すだけでは達成できません。その年の気候や土壌の状態、稲の成長具合といった、目に見えない無数の情報を読み解き、次の年に生かす必要があります。ASDの特性を持つ人々の中には、人間関係の複雑な「空気」を読むのは苦手でも、特定の分野で驚異的な観察力を発揮する人が多くいます。稲の葉のわずかな色の変化、土の湿り気、病害虫の兆候…。

彼らは、そうした非言語的な情報を誰よりも正確に把握し、集団に伝える「知恵袋」であり、「データベース」だったのではないでしょうか。彼らの緻密な観察力と、それを体系的に記憶する能力がなければ、稲作という文化は次世代へと受け継がれなかったかもしれません。

彼らは、稲作というシステムを維持し、集団の知恵を次世代へと伝える「守り人」だったのです。集団の中に「神経多様性」を持つことによって、我々はここまで生き抜いてきたのです。つまり、社会や組織が生き抜くためには、この多様性を持つことが必要不可欠だったと思われるのです。(訪問診療医師)

除草中に小石跳ね 割れたガラスで幼児がけが つくば市

42
つくば市役所

つくば市流星台、桜庁舎跡地で2日午後3時ごろ、市の委託業者が除草作業中、小石が跳ね、隣接の市子育て総合支援センターのガラス3枚が破損し、割れたガラスの破片で2歳の男児がけがをする事故が発生した。3日、市が発表した。

市公共資産利活用推進課によると、業者が肩掛け式草刈り機で、同支援センターから約2メートルほど離れた場所の草を刈っていたところ、小さな小石が複数個跳ね、同支援センター内の一部ガラス張りの部屋のガラス3枚が破損した。ガラスは1枚の大きさが高さ2メートル、幅80センチの強化ガラスで、3枚にひびが入り、ひびの一部が細かく粒状になって床に落ち、近くにいた市内に住む2歳男児が足の裏に長さ約1センチの切り傷を負った。男児は破損したガラスが当たったか、踏んだかしてけがをしたと見られている。

男児はこの日、母親と同支援センターを利用していた。事故後、母親が病院に連れて行き、男児はけがの治療を受けた。

市こども政策課によると、事故があった部屋は、未就学児と保護者が自由に遊べる「子育て親子のつどいの場(けやき広場)」という部屋で、事故当時、子ども18人と保護者13人が利用していた。

事故原因について市公共資産利活用推進課は、除草作業中、委託業者は飛び石防止ネットを使用することになっているにもかかわらず、事故時、業者は南側の道路側にしかネットを使用しておらず、同センターがある北側ではネットを使用していなかったためとしている。市はけがをした家族に謝罪、今後、業者が被害者への補償と施設の修繕を行うという。

ガラスが割れた箇所は現在、板が張られている。同つどいの場では、床に落ちた粒状のガラス片の清掃が実施されているほか、室内にあるマットやおもちゃなどにもガラス片が付着している恐れがあるため清掃作業を実施し、3日から5日まで利用を停止する。一方、つどいの場以外の一時預かりやラウンジ、他の部屋は引き続き利用できる。つどいの場は6日から利用を再開する。強化ガラスは納品でき次第、設置するが、特殊な製品であることから日数がかかるという。

五十嵐立青市長は「利用者の方にけがを負わせてしまい深くお詫びします。他の利用者の方にもご迷惑をお掛けしました。再びこのような事故を起こさぬよう、除草業務受託者に対して作業時の安全対策の徹底と再発防止を強く要請しました」などとするコメントを発表した。