土曜日, 3月 28, 2026
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塗装完了、ライトアップ再開 つくばエキスポセンター H2ロケット

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塗装工事が完了しエメラルドグリーンのライトに照らされるH2ロケケット実物大模型=25日 つくばエキスポセンター

40周年、エメラルドグリーンに

つくば駅近くの科学館、つくばエキスポセンター(同市吾妻)のシンボルであるH2ロケット実物大模型の全面塗装工事が25日完了し、約4カ月間の工事を経て、一新された姿が披露された。同日夜にはライトアップも再開され、エメラルドグリーンの光が高さ約50メートルのロケットを照らし出した(25年12月11日付)。

今回の全面塗装は2014年以来、11年ぶり。昨年11月25日から足場の組み立て作業が始まった。1990年に同所にH2ロケット模型が設置されて以来、おおむね10年ごとに、基部から先端部分まで全面的に塗り替えが行われてきた。

ライトアップは工事完了に伴い、25日夜から再開された。今年エキスポセンターは、1986年4月の開館から40周年を迎えることから、ライトの色を、ロゴや看板、横断幕などに使用される40周年記念イメージカラーのエメラルドグリーンとした。これまでも、乳がん啓発月間にはピンク、世界糖尿病デーには青など、イベントに合わせてテーマカラーに変えながら常時、ライトアップを行ってきた。

館内では40周年を記念して、来場者用の記念スタンプや、館内限定で利用できる特設オンラインフォトフレームなどが用意されている。

今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「つくばエキスポセンターのH2ロケットの再塗装が無事終了した。つくばのランドマークであるロケットをきれいな姿で皆様に披露できることをうれしく思っている。是非、新品のようになったロケットを見にきていただけたら」と語った。

エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットとして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもので、1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。(柴田大輔)

J:COM茨城が「JCOMマーケティング茨城支社」に 4月から

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J:COM茨城が入る延増第一ビル=土浦市真鍋

茨城県南を中心に事業展開するJ:COM茨城(登記名は土浦ケーブルテレビ、本社土浦市真鍋)の名称が4月から「JCOMマーケティング茨城支社」に変わる。親会社JCOM(本社東京千代田区)のグループ組織再編に伴うもので、J:COM茨城は存続会社ジェイコム東京(4月からJCOMマーケティング)の地方部門になる。サービス内容は変わらないという。

土浦ケーブルテレビは1983年、土浦市や地元有力者の出資で設立された。元々は有線によるテレビ番組を提供する会社だったが、現在では、通信ケーブルや光ファイバーケーブルを使い、多チャンネルテレビ、インターネット接続、固定電話サービスのほか、ネット防犯カメラ、太陽光発電パネル設置なども扱う会社になった。

事業拡大の過程で、住友商事が出資するJCOMの傘下に入ったが、登記上の社名は「土浦ケーブルテレビ」を維持してきた。ところが親会社のJCOM(現在はKDDIも折半出資)が大規模な組織再編を実施。全国展開するケーブルテレビ子会社9社のうち、ジェイコム東京が存続会社になり、J:COM茨城など残り8社を吸収合併することになった。

県央にも進出へ

J:COM茨城の海老澤孝一社長(4月から支社長)は再編の利点について ①契約者が東京などに引っ越した場合、そのエリアに支社(3月までは系列会社)があれば契約が社内の手続きで済むので、契約者には便利になる ②現在のサービス地域を広げる場合、同じ社内の人事で要員確保が可能になるので、スムーズに事業展開ができる―などを挙げた。

J:COM茨城の現サービ地域は、かすみがうら、つくばみらい、つくば市の一部(茎崎地域など)、阿見町、美浦村、牛久、取手、守谷、常総、石岡、土浦市、利根町、龍ケ崎市。2月末の加入世帯は、ケーブルテレビ5万3000件、インターネット5万900件、固定電話4万5400件、モバイル8638件。

同社は「茨城はケーブル事業者が少なく、県庁所在地に事業者がない唯一の県。すでに事業者が存在する日立、県西、つくばの各エリアには出ないが、今後、県央、県北、鹿行には、他社ケーブルを借りる形で出て行く」(海老澤氏)と話す。特に水戸エリアを重視している。(坂本栄)

友達を定義できるか《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》5

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【コラム・1年 月山望】

「今日友達がさぁ」

こんなふうに話すとき、「友達」という言葉はどのような人を指すだろうか。本当に親しい人、よく話をする人、果てはただのクラスメートまで。このように、友達という単語にはあまりにも多くの意味がある。

私は昔から、親や先生がクラスメートを友達と同じ意味で使うことに反感を抱いていた。よく話をする人と話さない人、気が合う人と合わない人、クラスメートの中にもいろいろいる。これらの人々をすべて友達とするのは、私には無理がある。

「クラスメートなどというものは、しょせん同じ空間にいるだけの他人であり、友達というに値しない」。そんなふうに考えたこともある。しかし、世の中にはクラスメートは全員友達である、という価値観の人もいる。(おそらくクラスLINEを作るのはこのようなタイプの人間だと、私は思う)。この違いは一体なんだろう。友達とは、いったいどこからいえるのだろうか。

私には、たまにしか会わないが、信じられないほど馬が合う友達がいる。それは一体どういうことなのかを考えてみると、その友達は、会わない時間など気にならないくらいに、気軽に話せる気の合う人だ。だとすると、私にとって友達と言える人の条件は「会わない時間が気にならないくらい、性格の相性が良い人」ということなのだろう。

しかし「クラスメートはみんな友達」という理論の持ち主は、おそらく私と全く異なる価値観で友達を考えているのだと思う。そのような人は、何をもって他者を友達と考えるのだろうか。おそらく「一緒の空間にいる(いた)こと」ではないかと私は考えている。例えば一緒のクラス、一緒の部活などが考えられる。「クラスメートはみんな友達」という理論の持ち主は、同じ空間を共有している(いた)人に、気軽に声を掛けることができるタイプの人たちなのではないか。であれば、クラスメート全員を友達と認識していてもおかしくない。

そこで問題になるのは、感情が一方通行であることだ。相手の意思とは関係なく、自分が友達だと思えればいいという考えだといえる。それは、私が考える友達とは異なるものだ。一方で、私にとっての友達の条件が、クラスの全員に当てはまることもないだろう。私が考える友達の条件も、私だけのものなのかもしれない。

ここで改めて今回のテーマである、友達を定義できるか考えてみよう。ここまで見てきたように、私と他の人の考える友達の条件は、全く異なるものであり、私と私の友達の間ですら、もしかすると異なった認識でいるかもしれない。友達に対する価値観は、それぞれ異なるものであり、あやふやなものだと言える。どこからが友達と言えるのか。そんなものは自分の主観でしか決められないのだ。しかし、だからこそ、私たちは他者と友達になることができるのではないだろうか。定められた友達という型に、他人を、自分を無理やり押し込めるのは、あまりに難しい。なんとなく話しかけてみる、距離を縮めてみる。それは、定義された友達を目指すことよりずっと簡単なことだ。

定める必要などなく、ふと気がついたらそうなっている。友達とはそんなものなのかもしれない。そうなると、友達を定義できるか?に対する私の答えは「定義できない」だ。

市営駐輪場のオンライン申請でシステム障害 つくば市

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つくば市役所

つくば市は27日、市営駐輪場を月決めなどで利用する定期利用について、今年4月分から新たにオンラインでの申請受付を開始したところ、システム障害が発生し、つながりにくい状態になったと発表した。

市によると、つくば駅周辺で4月から空きが出る9カ所913台分について、15日午前9時から午後6時まで、オンライン申請を受け付けたところ、受付開始直後の午前9時から午後6時まで計9時間にわたり、申請フォームがつながりにくい状態になった。駐輪場を管理する市公園・施設課には「(手続きが)進まない」などの苦情電話が50件ほどかかってきたという。システム障害の発生により市は当日、申請受付時間を午後9時まで延長した。

システム障害により手続きできなかった人が何人いたかは不明だが、障害が発生した午前9時~午後6時までに149件、延長した午後6時~9時までに124件の申請を受け付けた。申請できなかった人に対しては、現地の駐輪場管理事務所で随時受け付けているという。

市デジタル政策課によると、申請受付システムにはもともとアクセスが集中した際に、順番待ちしてもらう仕組みが設計されていたが、アクセスが集中して負荷がかかったことからシステム内部で処理が滞り、後続のアクセスを遮断してしまうという構造上の問題があったという。

申請は、茨城県や県内市町村が共同運用する「いばらき電子申請・届出サービス」を通して、マイナンバーカードを使って申請する仕組み。当日、同サービスを使った市の他の申請や届け出にも影響があったとみられるが、他の利用者から苦情などはなかった。

市営駐輪場の新年度からの定期利用についてはこれまで、つくば駅前の駐輪場管理事務所に並んでもらい、申請を受け付けていたが、例年200~300人が並ぶ状況であることから、今年からオンラインでの申請受付を開始した。

市は、システム提供事業者のNTTデータ関西に対し、不具合の改修と緊急時の体制見直しなど再発防止の徹底を図るよう、強く申し入れたとしている。

筑波大「志受け止め尽力」 被告に終身刑判決受け 仏留学の黒崎さん行方不明事件 

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筑波大学正門

フランスに留学中の筑波大学生、黒崎愛海(なるみ)さん(当時21)が2016年に行方不明になった事件で、殺人の罪に問われていたチリ人ニコラス・セペダ被告(35)に対する控訴審判決が、現地時間の26日行われ、仏南部リヨンの裁判所はセペタ被告に対し検察側の求刑(禁固30年)より重い終身刑を言い渡したとして、筑波大の永田恭介学長は27日「今回の裁判により被告人の罪が明らかにされ、処断が下された。これまでの関係各位のご尽力に深く敬意を表し、本学としては黒崎さんの志を受け止め、日仏の学術交流の発展に尽くして参る所存です」などとするコメントを発表した。

黒崎さん(東京都出身)は仏東部のブザンソンに留学中、行方不明になった、事件直後に消息を絶った元交際相手のセペダ被告が殺人容疑で国際手配され、20年にチリからフランスに引き渡されて、殺人罪で起訴されていた。黒崎さんの遺体はまだ発見されていない。

服を着ることの意味とは《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》4

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【コラム・2年 マヨラー】なぜ人間は着飾るのか。この問いに対して、寒さから身を守るため、社会的規範に従うためなどといった実用的な回答はいくつもあげることができるだろう。

しかし人間が着飾る理由には、人間の身体と自己像の不安定さという根本的な問題がある(*脚注1)。

ニーチェという哲学者が「各人は各自に最も遠い者である」(*脚注2)と言った。私たちは自分自身を直接見ることはできず、鏡やカメラなどの装置を経由しなければならない。さらに自分の顔に関しては、感情によって表情が意識を超えて変わり、自分の身体を思うままに統制することもできない。身体というのは、とても遠く隔たったものなのだ。

私たちは自分の身体に触れたり、見たりする時に、身体に関して部分的な経験を得て、そのバラバラな身体知覚を自分の想像する「身体像」によってつなぎ合わせて、ようやく身体として理解できる。つまり身体の全体像は想像上でしか現れない。よって自分の身体は、もろく、不明瞭な像、イメージであると表すのが適している。

ではこの不安定な像を強化するためにはどうしたら良いのか。

それは、服を着ることだ。服を着ると、皮膚と布が接触することで、身体の輪郭が皮膚感覚として明確になる。そのため、自分から目視できない体の存在を確かめることができる。服を着ることは、寒さ対策などの機能的な面でも役割を果たしているが、このような心理的な作用も見逃せない。

ここから服を着ることとファッションとの関係が浮かび上がる。この二つの言葉はよく同一視されるが、厳密には異なる。ファッションは「人の目に自分はどう映っているのか」ということを意識し、自己像を表現する行為のことだ。思春期前の子供は大人が選び大人が考えた服を着させられるだけの着せ替え人形にすぎない。思春期を迎えると、与えられた服の着方や組み合わせに何かしらの違和感を持つようになり、服の組み合わせや着方を変える。まさにこの行為こそファッションの始まりだ。着飾ることは、服を着ることとファッションとの交わりに位置する概念だと言えるだろう。

ここで制服について考えてみると興味深い。制服を着るだけで自己に社会的役割や集団への帰属といった意味が付与される。もし制服がなければ、無限の選択肢の中から服を選ばなければならなない。制服はその負担を肩代わりし、自己に余裕を持たせてくれる。それにより持て余した余裕が、着崩し・ちぐはぐに着ること、つまり着飾ることに火をつける。制服自身が、制服という与えられた枠組みを変形する原動力になるのだ。

私自身はシャツの第1ボタンを開けたりスカート丈をやや短くしたりすることを普段行っている。

貴方は、顔や体の整いについて考えたことがあるだろうか。一般的に言うと、顔や体が整っているということは、大きさや形といった、外的基準だろう。しかし私はそれだけではないと思う。整っているとは自分の想像する自己像と、何かを経由して見た自己像との差異が少ないことだと思う。繰り返すが、自分が鏡や写真に映るたび、自分が見る自分は毎回印象が異なり自己像が確立していない。そう簡単に外形が変わることは無いのに、自己像は常に揺らいでいるというジレンマがある。そのような点で服は、身体像の強化や視線の分散をすることで、自分の想像する自己像と実物との関係の緊張を和らげることができる、非常に優れたものなのだ。

やはり、着飾ることもまた、単に服を着るのとは異なる意味で、自己の存在を確固たるものにするための手段だ。

*脚注
1 服と身体との関係を考察するに当たっては、鷲田清一「ちぐはぐな身体」(ちくま文庫、2005年)を参考にした。
2 ニーチェ「道徳の系譜」序言(木場深定訳、岩波文庫、1940年)

10年ぶり海外視察再開 つくば市議会 800万円計上、市議5人がドイツ・ボーフム市へ

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市議会のボーフム市訪問の予算が審議されたつくば市議会で、反対意見を述べる山中真弓市議(壇上)=25日

つくば市議会が2026年度、10年ぶりに海外視察を再開することが分かった。市議5人と随行職員ら計9人がドイツのボーフム市を訪問する予定で、旅費や宿泊費などの総額は803万円。市議はビジネスクラス、随行職員はエコノミークラスでの渡航が予定されている。日程や視察先、市議のだれが渡航するかは現時点で未定だという。市長は同行しない。同市議会の海外視察は2017年3月以来になる。

25日閉会した同市議会で一部市議から「物価高や円安、不安定な社会情勢に市民が苦しむ中、血税を投じて海外に行く緊急性も市民の納得も得られない」(山中真弓市議=共産)などの反対意見が出たが、賛成多数で同予算は可決された。

歓待のお礼と招待

同市の議会事務局や国際都市推進課によると、つくば市とボーフム市は2019年に連携合意書を締結し友好都市に準ずる関係にある。ボーフム大学が筑波大の協定校であることが縁という。

昨年4月22~25日、ボーフム市の市長と議員5人、大学と企業関係者ら計21人がつくば市を訪問した。滞在中のつくば市議会との交流は、筑波大関係者らも参加して同23日に催された立食形式のレセプションに、つくば市議会から小森谷さやか副議長が参加、翌24日実施された食事会に、黒田健祐議長、議会運営委員会の塩田尚委員長、神谷大蔵副委員長が参加し意見交換した。

帰国後の昨年5月、ボーフム市からつくば市議会に、訪問時の歓待のお礼と、「ボーフム市に来ていただき、交流を深め、課題を共有したい」などと書かれた招待の書面が届き、招待に応えたいと、新年度予算に約800万円を計上したという。内訳は、議員5人と随行職員4人の航空運賃など旅費と宿泊費が計762万円、手土産代4万円、海外旅行保険代15万円、wi-fi機器賃借料20万円など。

取り止めの修正案否決

一方、定例議会最終日の審議に先立って18日開かれた同市議会予算決算委員会で、川村直子市議(市民ネット)らから、800万円を削除するよう求める修正案が出た。

川村市議は「厳しい財政状況の中、何年も海外視察を中断していた中で、議員の海外視察を再開することに大きな違和感がある。調査したところ、海外視察を行っている議会はほとんどが都道府県や中核市や政令指定都市。一般市では近距離の海外視察はまれにあるが、欧米などの遠隔地はほとんどない」とし「物価高に加え、上下水道や健康保険料税の値上げが続いており、市民感覚からとても受け入れられるものではない。招待いただいているが、市のどのような課題解決のために視察に行くのか、交流以外の目的が明確でない」などと指摘した。

これに対し同委員会では「(訪問は)国際的な互恵関係に基づく返礼であり、本市が果たすべき外交上の責任」(五頭泰誠市議=つくばクラブ)などの意見が出て、修正案は賛成少数で否決された。

同市の海外視察をめぐってはこれまで、五十嵐立青市長の海外出張に対し、山中真弓市議が「回数が多く、期間が長い」などと指摘し、東京都知事の海外出張に関する運用指針にならってつくば市でも指針を策定するよう求め、市は今年1月、運用指針を策定。指針に基づいて今年2月の市長の海外出張から出張概要や概算費用の事前公開、帰国後の詳細な費用の公開などがなされた。2026年度の当初予算では市長の海外出張の予算は計上されなかった。市国際都市推進課は「(海外に)行く必要がある場合は補正予算に計上することになる」などとしている。(鈴木宏子)

本当の勉強とは何か《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》3

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変わりつつある教育と、変わらない現場の違和感

【コラム・2年 竹内琉瑛】読者の皆さんは高校生にどのようなイメージを抱くだろうか。漫画のように勉強・部活・恋愛に全力で向き合う青春の時期、友人とバカなことをして深く考えずに今を楽しむ若さの象徴、義務教育を終え自分の将来を考え始める青年としての節目―。

これらはどれも、高校生活という限られた時間でしか得られない大切な経験だ。そんなかけがえのない毎日を過ごす中で、ふと考えることがある。

部活は楽しく夢中になれる、恋愛は初めてのときめきに満ちている、友達と遊ぶ時間は心を満たしてくれる。では、なぜ勉強だけがこんなにも重く感じられるのだろう。

「本当の勉強」とは何なのだろうか。それは、現在の日本の教育システムの中で本当に実現されているのだろうか。本稿では、日本の教育の目的の変遷を整理した上で、変革期にいる一人の高校生としての実感と疑問を述べたい。

最初に、そもそもの教育の目的について話をしたい。それは時代とともに大きく変化してきた。戦前であれば、日本の教育は国家のために人を育てるものだった。教育勅語には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とあり、国家に尽くす国民の育成が明確に目的とされていた。一方、戦後の教育基本法では次のように定義されている。「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」。ここで重要なのは、教育の目的が「国家への奉仕」から「人格の完成」へと大きく転換した点である。この理念は、義務教育だけでなく高校・大学教育まで含めた、今の日本の教育全体の根本にあり、これからも維持されるべきだと考える。

では実際に、今の日本ではどのような教育を目指しているのだろうか。2017年に告示された新学習指導要領で、教育の目的が「知識の量」から「資質・能力」へと明確にシフトしたことが読み取れる。その背景には、次のような理由がある。まず、予測困難な時代の到来。AIやグローバル化の進展により、将来を正確に予測することは困難になった。そのため今の社会では決められた正解を覚える力ではなく、自ら課題を見つけ、主体的に解決する力が求められている。次に、Society5.0への対応。仮想空間と現実空間が融合する社会Society5.0では、単なる労働力ではなく、多様な個性を生かしイノベーションを生み出す人間が必要になる。そして画一的教育への反省。「みんなと同じ」を過度に求める一斉指導は、不登校やいじめ、生きづらさの一因 になってきた、という反省から、「個別最適な学び」への転換が求められている。これらは実際に文部科学省が正式に明言していることだ(*脚注)。

しかし、変革のただ中にいる高校生として正直に言うと、体感としては何も変わっていない。確かに探究学習は通常授業に組み込まれ、茨城県では、生徒の探究心を応援するため、平日に学校を休んで校外学習をすることができる「ラーケーション」というシステムの導入も始まった。それでも、多くの生徒の意識は従来のままだ。その理由として、日本の大学入試制度が変わっていないということが挙げられるだろう。総合型選抜や推薦入試が拡充されつつあるとはいえ、実際にそれを利用するのは「一般入試でも余裕で合格できる上位層」がほとんどである。何をすれば評価されるのか分からないし、失敗したときのリスクが大きいし、勧めてくれる大人もいない。そうなると、「とりあえず勉強しておく方が確実だ」という判断に落ち着くのは自然だろう。だから推薦を利用する人たちももっと安心して受けられるような入試制度にするべきである。

安心して受けられる推薦入試―。それは、一見もっともそうな主張に思える。しかし本当に日本が求めているのは、こんな入試制度が生み出す人材なのだろうか?

本来、社会を変えてきた技術や発明に、最初から成功の保証などなかった。インターネットも、ロボットも、AIも、すべて未知への挑戦から生まれている。それにもかかわらず、日本の若者は「確実」「安心」を求める方向へと強く誘導されているように感じる。背景には、日本人の特性もあるが、バブル崩壊や就職氷河期を経験した親世代の不安もあるだろう。その不安が、僕たち若者を、この不安定な世界にはどこにも存在しない「安全な正解」へと縛りつけている。そして不確定な選択を避けさせようとする。

この不安定な世界において、本当に日本の教育が向かうべき先は、模範解答を見せて推薦入試に皆が手を出せるようにするようなことではない。そうではなくて、生徒の主体的な取り組みを正しく評価することである。僕はこのことを一人の高校生として強く主張したい。この不確実な日本の環境の中で、一歩勇気を持って前に踏み出した人に対して、最大限応援する姿勢、これが未来を創る人間を育てるためにも、それぞれの個性を尊重する教育を実現するためにも、大事なのではないだろうか。

日本は世界でもトップクラスの技術力と課題解決能力を持つ国だと、私は思っている。自動車、半導体、宇宙産業など、さまざまな分野で日本製の部品や素材が存在感を示している。これは間違いなく、日本の大きな武器である。しかし、それらの多くは、海外企業が設計した製品や市場の中で、「この部品を作ってほしい」と依頼されたものを高品質で供給しているに過ぎない。つまり現在の日本は「他国の課題を解決する巨大な工場」になってしまっている。

日本は「課題を定義する側」ではなく、「課題を解く側」に回っている。他国の課題ばかりを解いていては、自分たちの本当の課題は見えてこない。そしてもし、世界の主戦場が変わり、日本に課題が供給されなくなったとき、日本の産業は行き場を失うことになる。本来、日本ほどの技術力を持つ国であれば、自ら課題を定義し、新しい産業や市場を作る側に回ることができるはずだ。「何を作るか」を他国に決められる国ではなく、「何を作るべきか」を自ら定義する国へ、そこに、日本の次の成長の鍵があるのではないだろうか。

僕は、日本に今本当に必要なのは、自分たちの社会の課題を見つけ、解決し、より良くしていこうとする主体性のある人材だと思う。「本当の勉強」とは、不確実を避けて安定した道を知ることではない。不確実な世界に飛び込み、自分の頭で考え、試行錯誤し続ける力を育てることだ。教育がそのための場所になる日は、まだ来ていない。だからこそ、今の教育に違和感を覚える声が、無視されてはいけないのだと思う。

こうした現状を前に、少なくとも僕は、「確実さ」や「正解」に守られた道を選び続ける生き方はしたくないと思っている。不確実な選択を避け続けることは、一見賢明に見えるが、自分自身の問いを持たないまま社会に適応していくことでもあるからだ。そして僕は、与えられた課題をただこなすのではなく、自分の違和感や疑問を起点に問いを立て、それに向き合い続ける生き方を選びたい。失敗や遠回りを恐れず、自分の頭で考え、試行錯誤を重ねる。その過程こそが「本当の勉強」であり、その積み重ねが、社会をより良く変える力になると信じている。教育の現場がまだその理念に追いついていないのなら、まずは自分自身が、その理念を体現する存在でありたい。

*脚注 Society 5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会、新たな時代を豊かに生きる力の育成に関する省内タスクフォース「Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」2018、総合科学技術・イノベーション会議「Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」2022を参照した。

標本520万点 資料収蔵施設の「舞台裏」を公開 国立科学博物館 筑波研究施設

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生命史研究部研究員の木村由莉さん。ガラス越しに標本や資料の保管状態を見ることができる

国立科学博物館は、つくば市天久保、筑波実験植物園に隣接する筑波研究施設の資料収蔵施設「標本・資料棟」1階に見学スペースを設け、24日から公開を始めた。2023年に新設された地上8階建ての同施設は、12年竣工の自然史標本棟と合わせ、同館が所蔵する標本・資料の9割以上にあたる約520万点を保管する。すでに見学可能な自然史標本棟に続く公開となる。大型化石などを保管する1階の保管の様子をガラス越しに見たり、職員の作業の様子を見学することができ、バックヤードの雰囲気を味わうことができる。

見学スペースからは、生命の成り立ちを研究する生命史研究部が保管する化石や古植物、恐竜化石のレプリカなどの収蔵状況を、ガラス越しに間近に見ることができる。さらに、昨年導入された大型X線CT装置の稼働の様子も公開し、最新の研究と厳重な保存環境の両方を知ることができる。

約9万年前に阿蘇山の火砕流で埋没した直径2.5メートルのスギ(左)

現在もほんのり木の香りが残る、約9万年前に阿蘇山の火砕流で埋没した直径2.5メートルのスギの木のほか、幅1.7メートルのヒノキ科の樹木メタセコイアの化石、かつて同博物館上野本館で展示されていた恐竜カンブトサウルスの全身骨格復元標本なども並ぶ。

CT装置は、自動車や航空宇宙分野で使われてきた非破壊検査技術を応用したもの。壊せない化石や希少標本の内部構造を、そのままの状態で解析できる。450kVの高出力により、これまで撮影できなかった大型標本や重い元素を多く含む岩石の撮影にも対応できる。また、最大で高さ約1メートル、幅約6メートルの試料に対応し、絶滅哺乳類の頭骨の内部構造解析や、江戸時代の地球儀の内部調査などにも活用されてきた。

大型X線CT装置を操作する技術補佐員の坂田智佐子さん

未来につなぐ

同研究施設で生命史研究部の研究主幹を務める木村由莉さんは「ここは未来の人に標本を残すための施設。温度や湿度を厳密に管理し、免震構造も備えている」と保存環境の重要性を話す。また、外観に窓が少ない建物について来園者から「一体なんだろう?」と不思議がる声もあったと言い、「ここで何が行われているのか知ってもらい、博物館の裏側にも興味を持ってほしい。『今から(展示会場に)出てくぞ!』という、展示に出る前の化石がどのように保管されているのかも知ってもらえたら」と話すと、「私たちが力を入れるのが試料保存。CT装置で標本を記録し、まさに今、この場所で行われている未来へつなぐ取り組み間近に感じることができる。科学がいかに標本を未来へ残すことを重視しているか。次世代へどう残すかを一緒に考えるきっかけになればうれしい」と語った。(柴田大輔)

2023年に新設された標本・資料棟

◆標本・資料棟1階見学スペースは、筑波実験植物園から入場する。開館時間は午前9時~午後4時30分。入場料は、植物園入場料として大人320円、高校生以下・18歳未満と65歳以上は無料。障害者手帳所持者は当事者と介護者一人まで無料。

◆24日(火)~4月5日(日)は、同博物館の松原聰名誉研究員らが2月に日本で初めて確認した青い鉱物のラピスラズリが展示される。29日(日)午後1時からと2時から、見学スペースで大型X線CT装置を使った作業の実演と、担当研究員による現場解説が行われる。時間は各20分程度、事前予約不要。

今の幸せと将来の幸せ、どちらを追い求める?《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》2

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煩悶(はんもん)させる幸福

【コラム・2年 S.Y】今、あなたは草むしりをして泥だらけである。目の前には浴室がある。あなたはシャワーを浴びたくてたまらないけれど、ある人が言う。「今はシャワーしか使えない。2時間待てば、シャワーに加えて湯船に浸かれる」。あなただったら、どちらを選ぶだろうか。

私であれば、真っ先に後者を選ぶだろう。私は、未来に取りつかれている。先のことばかりを考えて行動する。先のことばかり考えるがために、苦しくなることもしばしばある。例えば、夕飯に家族で外食に行くとなれば、私は昼食をほとんど食べない。なぜなら、お腹を空かせて夕食を最大限に楽しみたいからだ。しかしこの作戦にはデメリットがある。それは、午後の空腹に耐えなければならないということだ。夕食まで何もしなくてもいいならまだしも、私の場合午後に予備校に行かなくてはならないことが多いので、空腹に耐えながら小テストと3時間の授業を受けねばならないことになる(さらに悲しいことに私の通う予備校は家から電車で2時間かかる場所にある。この耐久レースは想像を絶する辛さなのだ。こうして私は美味しい食事の代償として空腹と戦う)。

将来の幸せを求めるという傾向は、私だけでなく、今コラムを読んでくださっているあなたにも当てはまることかも知れない。弘前大学の鈴木将晃さんが卒業研究として2017年に実施した、同大の学生75人を対象に実施した質問紙調査によると、「現在は不幸せである」と感じる人には、「将来は今よりも幸せになる」と予想する人の割合が圧倒的に多い一方、「現在は幸せである」と感じる人には、「将来は現在よりも不幸せになる」と予想する人の割合が最も多いという結果が出ている。

将来的に幸福を感じるために、今あえて苦痛に向かうことは、果たして幸せと言えるのか−。

私が本コラムへの参加を決めたのは、私が日々切実に感じてきた葛藤から脱したいという、他ならぬ理由がある。と言っても、そう簡単に解決できる事柄ではないため、今回は、将来の幸せと未来の幸せについて私自身が考えを整理するために、幸せとは何か?という根本的な部分を、時間観とからめつつ述べたい。

キリスト教世界の人々は、死後の世界に幸せを求めた。キリスト教では、世界の終末にキリストが再び現れ、「最後の審判」が行われるとされる。人々はこの最後の審判に向かって、人生をプログラムしていくのである。古代哲学を振り返ってみよう。プラトンによる「洞窟の比喩(allegory of the cave)」をご存知だろうか。彼の著書「国家」第7章で用いられる有名な例えである。人々は出生時から、洞窟の中で入り口に背を向け、縛られた状態で閉じ込められており、彼らは目の前の壁だけしか見ることが出来ない。実際は彼らの背後には火が灯されており、皆その火によって目前の壁に映し出される人の影を実在だと思い込むのである。ある日、1人の囚人の拘束が解かれ、その囚人は今まで自分が見てきたものが影に過ぎなかったことに気付く。そして洞窟の外、太陽の光の下に連れ出されてやっと、真の実在を目にし、その存在を確信するに至る−。

永遠不変の本質に即した世界である「イデア界」なるものが存在し、私達が普段目にしている世界のあらゆるものは、映し出されたイデアの像の集合に過ぎない。簡単ではあるが、これがプラトンのイデア論の概略である。イデア論の下では、人々が死後に行くのはイデア界であり、その像の世界である現世よりも、死後の世界の方が高い価値を有すると評価されていた。このような、ユダヤ教のプラトン的解釈が、キリスト教の原型となっている。キリスト教的世界観に立ってみると、幸せが神やイデアのように絶対的な概念として捉えられていること、そしてそれは内面の充実と同値関係にある(等しい)ことがわかる。

しかし、この神を中心とする価値観は、ニーチェによって決定的に破られることとなる。「神は死んだ」という言葉に表されるように、ニーチェは、神を絶対的な価値基準に置くことを否定し、自ら価値観の創造に努めることの重要性を説いた。実存主義で有名なサルトルは、人間は自らを作り上げる自由を持つと考えた。つまり、幸せの定義は、絶対的な「神」ではなく、相対的な「個人」に委ねられたことになる。そして人々は、死後の「最後の審判」ではなく、(肉体的に)生きている間の、自らが設定した目標に向けて、人生を設計するようになったのである(*脚注1)。

では、ここでいう「目標」とは何だろうか。目標とは、個人が幸せを得られる何かであるはずだ。私は、幸せは二つのベクトルで測られると思う。

一つ目の区分は、動物的なヒトとしての幸せと、社会の中の「個人」としての幸せである。前者は、寝食など生理的な欲求を満たすことである。一方後者は、成立に必ず他者が必要な幸せのことで、例えば家族からの愛や社会的な承認(「記号」の消費(*脚注2)とも言えるかもしれない)などである。

二つ目の区分は、絶対的な幸せと、相対的な幸せである。ここでは、前者をキリスト教的幸せ、後者を仏教的幸せと呼びたい。キリスト教的幸せは、神という絶対的存在の元で成り立つ、幸せのイデアだ。一方、仏教的幸せは、神を絶対的存在として想定せず、輪廻や煩悩から解脱を求める。つまり苦しさから逃れることで得られる差異による相対的な快適さである。私がコラム冒頭で示した例を思い出していただきたい。おいしい食事は、いつ食べてもおいしい。これは認めるにある程度妥当である。それにも関わらず、私が夕食まで必死に空腹と対峙するのはなぜか。それは、あえて空腹という苦痛を感じた状態を経ることで、相対的な幸福を最大値まで持ってゆきたいためなのだ。つまり、この場合に私が求めているのは、まさに「仏教的幸せ」と言えるであろう。

では、これら二つのベクトルで測られる幸せを得ることが「目標」なのだとしたら、それにどう向かっていくのか、という議論は避けられない。私は、この点において、コロナ以前と以後で、アプローチが変わったのではないかと考える。そしてこのことは私達の世代にとっても非常に切実なのである。新型コロナウイルス感染症が世界に影を落とし始めた時、私は小学5年生であった。その時突然、対面で授業を受けられなくなり、旧友との交流も絶たれ、学校行事も中止か変更を余儀なくされた。当たり前だと思っていたことが、この時を境にがらりと変わってしまったのだった。だからこそ、私達若者世代は将来が、不安で不安でたまらないのだと思う。

当たり前はいつなくなるかわからないという現実を突きつけられた私たちは、長期的な目標を持つことが難しくなっていると感じる。今までは、人生の終わりを最終到達地点として長期的目標に向けて人生設計を行うことができた。それに対し、今を生きる人々は、未来に取りつかれているが故に、短期的な目標を一つずつ達成していき、階段状により高度の幸せを求めるようになったのではないか。短期的な目標を達成する方が、自分が期待していた未来を得ることは容易になるからだ。一方で、一つの目標を達成すれば、次に設定する目標と一つ下の目標との高さの差は、指数関数的に広がっていくように感じる(図1)。(まるでガウス記号のグラフのよう…)私は今まさに、そんな状態だ。不透明な将来の中で、確約される幸せを求めて一歩一歩、階段を踏みしめながら進んでいる。それでもしばしば踏み外したり、段を飛ばしてしまったりする。上に行くほど次の段を登ることが難しいために、圧倒されたり、無気力になったりする。それでも、私は私なりの幸せを見つけ、もがきながら進んで行くのだろうし、それが、今まさに将来の岐路に立っている私達高校生の特権だとも、私は思う。

*脚注
1 ニーチェの永劫回帰(*1-2)とは異なる進化論的な終末観が形成されたと言っても良いだろう。ここで言う進化論的な終末観とは、いわゆる「神の死」以降、キリスト教的世界観に自然科学的な解釈が加わり変形してできた世界観である。ニーチェが否定したのは、このような終末観を含めたキリスト教的世界観全体である。ただし、神の死以降の幸福観も様々であったことを追記しておく。

1-2 ドイツの哲学者であるニーチェの思想。ものごとが全く違わずに永遠に繰り返されること。始まりも終わりもなく変わらぬ人生が永遠に繰り返されれば、生の目的も意義も失われてしまうように思われるが、それでも永劫回帰を受け入れ肯定することが、「力への意志(平たく言えば向上心)」であるとニーチェは説いた。

2 記号とは、ある社会集団が制度的に取り決めた「しるしと意味の組み合わせ」のこと (内田樹「寝ながら学べる構造主義」より) 。ソシュールが定義したもので、その後もバルトなどの哲学者の思想に影響を与えた。ここで「記号の消費」が意味しているのは、例えばブランド品の購入など、社会的なステータスを提示するためだけの行為のこと。

2億円超の復旧費用めぐり 運営管理事業者がつくば市を提訴 ごみ焼却施設

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2022年12月に故障しごみ焼却施設に電気を供給できなくなった受電設備=つくば市水守、つくばサステナスクエア

市は反訴へ

つくば市のごみ焼却施設、つくばサステナスクエア(同市水守)で2022年12月、高圧線から電気を受け取り低圧に変換する受電設備が故障し、施設に電気が供給できなくなった事故をめぐって、当時、市から施設全体の包括的運営管理業務を受託していた事業者が昨年末、同市を相手取って、受電設備の復旧費用約2億2300万円の支払いを求める訴えを東京地裁に起こしていたことが分かった。

これに対し市は反訴する方針で、25日開かれる同市議会で議決されれば、事業者を相手取って損害賠償請求を起こす。

つくば市を訴えたのは、NKKS・NSES・KSE特定業務共同企業体(代表・日本管財環境サービス、東京都港区)。当時、市のごみ焼却施設、リサイクルセンターなどの運転管理、補修、一部機器の更新工事を含めた維持管理業務を請け負っていた。当時2020年度から24年度まで5年間の委託料は約50億円弱。

事故は2022年12月12日に発生した(22年12月23日付)。受電設備が故障し、12日から約1週間、ごみ焼却炉が停止し、市内から収集された可燃ごみは、一時的にごみをためる「ごみピット」にためられた。

12月18日に仮設の発電機を設置し、19日からごみ焼却炉の運転を一部再開。翌23年1月12日に復旧した。

ごみの量が増える年末年始に重なったこともあって、この間、市は可燃ごみの一部の処理を外部に委託した。焼却炉の停止により蒸気の供給を停止したことから、隣接のスポーツ施設「つくばウエルネスパーク」の温水プールと温浴施設の営業も一時停止。さらにごみを燃やして発電できなくなったため市の公共施設への電気の供給や売電もストップした。

復旧後の2023年8月、復旧にあたった事業者から市に対し、復旧費用の支払い請求があった。双方で話し合いが行われたが折り合いがつかず、24年7月からは双方とも弁護士を付けて示談交渉が行われが折り合わず、昨年12月26日、事業者側が市を提訴するに至った。

つくばサステナスクエア

受電設備が故障した原因をめぐって、市が事業者と締結した包括的運営管理委託業務の範囲内に復旧工事が含まれるか否かで見解が分かれているとみられる。

故障の原因について市サステナスクエア管理課は「今後の裁判に影響する恐れがあるので(言及を)控えたい」としている。

市が提起する反訴については、ごみ焼却炉が停止したことにより市が負担した▽可燃ごみ処理の外部委託費約740万円▽ウエルネスパークのプールと温浴施設が休業したことに伴う指定管理者への運営補償金約250万円など計約1090万円を事業者に損害賠償請求する方針だ。(鈴木宏子)

私を見て《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》1

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【コラム・3年 神谷洞窟】散歩が好きだ。特に深夜に歩く。できるだけ、知らない人のいない時間がいい。もちろん、知っている人も。むしろ知っている人が、いない方が好ましい。人と関わることは嫌いだ。こう言うと心の優しい人は、「嫌い」という表現は言葉が強いから、「苦手」と言い換えたらどうか、と感じるかもしれないが、私は決して人付き合いが苦手ではない。これは意地を張っているのではない、むしろ苦手ではないからこそ、嫌いなのかもしれない。というのも、高校に入学してから周りに合わせ、大きな声で笑い、それなりの返事をするのが圧倒的に上手くなったからだ(勘違いではないと信じたい)。それは、嘘(うそ)をつくことが上手くなった、という風に言い換えることもできる。このように、私たちを取り巻く世界では、対人関係の場において特に、嘘をつくことが必要不可欠となっている。しかし嘘をつくことで結ばれる関係なんて、それ自体嘘でしかない。なぜなら、嘘をつくことで他者と結びついている私は、私ではなく、私が演出した「私という虚像」でしかないからだ。

散歩しているとき、いつも自分のことを考えている。このように言うと「げーっ、自分大好きかよ」と思われてしまうかもしれないが、事実なので仕方がない。想像の中で、私はテレビにインタビューを受けている。え?好きな画家ですか?ゴーギャンです(笑)彼の描く女性には生命力が……とまあ、このようなことを長ったらしく語るのである。余談だが、最近見た映画の中で、若いうちに他者と深い関係を築くことができず、テレビを見ることだけが生きがいの老婆が、痩せてテレビに出演するために麻薬漬けになっていくという節があった。もしかしたら、私は出演料を請求しても許されるかもしれない。若いうち、他者に本当の自分を表明することができなかった者、そんな自分を受け入れられなかった者は、理想(それは、妄想と言い換えることもできる)の世界に閉じこもるしかないのである。

このように、他者と関わることが嫌いな私は、他者を前提にして生きている。これは不思議なことだ。人付き合いなんて嫌いだと声高に宣言している人間が、毎夜他者に、自分について興味を持たれる妄想をしている。そこには大きな矛盾があるように思われる。思えばずっと、私は他者と関わり続けてきた。それは、嘘をつくことが嫌いなために他者と関わることを嫌ってきた私が、他者に嘘をつき続けてきたが故に、他者に本当の自分を表明することに取りつかれてしまったからである。

私には趣味が二つある。そのうちの一つは「小説を書くこと」で、これは読み手がいることを前提とした行為である。もちろん書いた小説を絶対に見られたくないという人も中にはいるのだろうが、私の場合はそれ用のサイトに投稿までしているのだから決して言い逃れはできない。残りの一つは「哲学」だ。私の中で哲学は、他者の存在、特に「他者に見られること」と深く結びついている、こちらのコラムに寄稿させていただいていることからも分かる通り。また、私が高校で所属しており、大学で哲学を志すきっかけともなった哲学部では、メーンの活動として哲学カフェが行われている。何人かで集まって、一つの議題について徹底的に思考を練り上げるのである。そこでは私は主にたくさん発言をするタイプのファシリテーター(司会)を務めていた。ファシリテーターは人によってかなり個性が出る。もちろんあまり自分の意見は言わず、話の流れの整理にとどまって活躍される人もいる。しかし私はとにかく自分を語った。表面的な部分から、それこそ、私を構成する核に至るまで。ここからも私がいかに自分を他者に開示することに取りつかれているかが分かるだろう。思えば、私はこれまでずっと他者に本当の自分をわかってもらいたかったのだ。他者と本質的な関係性を築きたいと思うのに、本当の自分が否定されたら耐えられない。だから嘘をつくしかない。しかしそれでは他者と深い関係を作ることはできない。いつだって、これらの矛盾の出発点にあるのは、私の中の「本当の私を理解してほしい」という、ただそれだけの話なのだ。

哲学カフェの中で、私は特に「私を逐一監視している、私の意識の中の私」についてたびたび発言してきた。これはどういうことかと言うと、私が何か少しでも非道徳的と判断され得る行動をした際に、私の意識の中に存在している私が、一斉に私に向かって石を投げ始めるのである。つまるところ、私は、「清く正しくいなくてはならない」という私の意識に縛られているのだ。

思えば、どうして私はこのような意識を構築するに至ったのだろう。

ジークムント・フロイトという精神分析者がいる。彼は社会通念上の道徳が規範意識として内面化されたものを「超自我」と呼んだ。つまり、私は、この超自我が一般より強く機能しているのだ。そこにはきっと、他者からの視線が関係している。私は善人ではない。私は子どもと小動物が好きではない。私は、たとえ道端で傷ついて泣いている人がいても、私には関係ないからどうだっていいと思う。家族でさえ、突き詰めていけば私にとっては他人だ。しかし、他者は私に「善人」でいることを期待する。そして、そんな他者の視線はいつの間にか「他者」という存在を超え、私の中に一定の規範意識を構築するに至った……それに、それはもしかしたら他者ではなくて、初めから、他者になりすました私だったのかもしれない。これは、私自身が持っている「理想の私」という虚像を実現するために、他者とは別に現実の私を監視している私がいるということだ。昔から変わっていると言われることの多かった私は、自然と自分に「常識に反してはならない」という枷(かせ)を強制するようになった。人間のふりをしている、という風に言い換えてもいい。「普通の人はこうするだろう」、「普通の人はああするだろう」。私が世間一般から逸脱しないように本当の私を封じ込めているのは、もしかしたら初めから他者などではなく、私に他ならなかったのかもしれない。

とにかく― このように、私という意識は私ではなく、他者として機能することがある。私にとって、私は私であって、私ではない。

他者が求める私は決して私ではない。他者は私の全てを知っているわけではないからだ。同じように、私が求める私も決して私ではない。私から、私に対する先入観を取り除くことはできないからだ。私は、「私とはこういう存在である」という意識を抜きにして私と向き合うことはできない。私の中の「普通でいなくてはならない」という枷は、もはや私の無意識の部分までをも侵食してしまっているからだ。それでは、私とは一体誰なのか。他でもない私をメタ的(高次的)に眺め、今このコラムを執筆しているはずのこの私は、一体誰なのか。この疑問について考えていくことこそが、他者の視線、ひいては自分の視線と上手く関わることのできない私にとって、大きな前進をもたらす契機となるような気がする。

この文章が、私と同じように、他者に本当の自分を開示できない寂しさと、行き過ぎた超自我を抱えている方にとって、何かしらになることを期待している。

筑波研究学園都市を一つの研究教育共創体に 筑波大など25機関が協議会設立

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協議会発足式で研究教育共創体の構想について話す筑波大学の永田恭介学長(中央)=23日、つくば市吾妻、ホテル日航つくば別館

筑波研究学園都市に集積する大学や国等の研究機関が結集し、一つの研究教育共創体となって、新産業の創出など研究成果の社会実装を加速することを目指す連携体制をつくるための協議会が23日、筑波大学など25の研究機関で設立された。

25機関は、筑波大と物質・材料研究機構、農業・食品産業技術総合研究機構、産業技術総合研究所、国土技術政策総合研究所など。各研究機関の論文数を合わせると世界トップレベルで、共創体は世界有数の研究集合体になるという。同日、つくば市内のホテルで協議会の発足式が開かれ、25研究機関の代表者らが覚書に署名した。

協議会設立の覚書に署名する各研究機関の代表者ら

共創体(仮称・筑波研究教育機構)構想を呼び掛けた筑波大の永田恭介学長は、50年前の筑波研究学園都市建設の理念を踏まえ「つくばをつくり直す」構想だとした。物質・材料研究機構の宝野和博理事長は発足式のあいさつで「国立研究機関の強みは最先端の研究施設と支援体制、研究環境だが、大学院世代の若い研究者候補が十分でない弱みがある。人口減少社会の中で、優秀な大学院生が世界中から集い、世界最高の研究環境ができることが共創体構想の本質ではないか」などと期待を話した。

共創体構想は、筑波大が昨年度、国際卓越研究大学の認定を目指し申請した構想でもある。認定されれば政府の10兆円規模のファンドから25年間にわたり年間100億円前後の支援を受けることができたが、25年度は認定されなかった。永田学長は「お金が入ろうが入るまいが、元々やらなければならないことなので3、4年前から準備を続けてきた」とし、「どうやって研究費をとってくるのかは課題だが、つくばが元気を出さないと、ここをつくった価値がない」と強調した。

署名した覚書を見せる筑波大学の永田学長

具体的には、筑波大が1992年度から取り組んでいる連携・協働大学院を基盤に、世界トップの研究教育共創体に発展させることを目指す。同大学院は、国等の研究機関の研究者を筑波大の教員として、同大の大学院生が研究機関の研究環境を活用して研究に取り組む制度で、現在、外部の31機関などの研究者229人が筑波大教員を兼務し、筑波大の大学院生508人が各研究機関の研究室で研究に従事している。大学院生は研究力強化のためにも必須の存在だとして、2035年までに教員、大学院生それぞれ3倍に増やし、教員を500人、大学院生を1500人に増やすことを目指すことを第1段階の目標とする。

ほかに共同ラボの設置、研究者が複数の研究機関と雇用契約を結ぶクロスアポイントメント制度による研究者の共同公募、起業支援、筑波大の海外分校や海外協定校など海外ネットワークの活用、筑波大の外国人研究者宿舎の共有など連携の取り組みも検討されているという。

今後のスケジュールについては、4月以降、共創体の形態や運営についての協議を開始し、来年3月ごろの共創体を設立を目指す。共創体は法人化し、新たな共同プロジェクトや研究資金の獲得にも取り組むとしている。(鈴木宏子)

覚書を見せ写真撮影に臨む25研究機関の代表者ら

序章 土浦一高哲学部「放課後の哲学」

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はじめに

【コラム・哲学部顧問 飯島一也】現在、世界的に哲学ブームが起きているそうです。1960年代生まれの筆者にとっては、80年代に起こったニューアカデミズムという哲学ブームが懐かしく思い出されます。今回の哲学ブームはAIの進化と関連があるようで、AIと倫理に関連するスキルを合わせ持つ人材が、過去5年で6倍に増えているとのこと、2025年12月8日付 日経新聞電子版の記事「超知能 仕事再定義⑴ AI時代の雇用『求む!哲学専攻』」には、以下のように述べられています。

「なぜ今、哲学なのか。米エール大学心理学部のローリー・アン・ポール教授は『AIがもたらす予測不能な未来に、既存の価値観では対処できなくなりつつあるためだ』と説明する」

「AIはいずれ与えられた最終的な目標に向けて自ら計画を立て、必要なタスクを自律的に実行するようになると見込まれている。そのとき、AIの根本的な判断を左右するのは開発者の思想にほかならない」

この記事では「開発者の思想」である哲学は、「予測不能な」AIに対抗するためのものとされています。現代のAIは人間の脳をモデルとして作られていることから、筆者からすると、AIを開発することが人間の知能や人間らしさそのものについて思索する可能性を開いている、という側面も重要であると思っています。

改めまして、土浦一高哲学部顧問の飯島と申します。この度、NEWSつくばのライター柴田大輔さんから、生徒のエッセイを連載するという企画について、お声を掛けていただき、生徒にとって、自分の思索を文章にする絶好の機会だと受け止めました。連載を始めるにあたって、本稿では、顧問の立場から、部活動や本コラムの紹介をさせていただきます。

哲学部の由来

高校生が哲学について考え、自身の問題として語り合う。そういった放課後の光景が、土浦一高には、部活動として存在しています。土浦一高哲学部では、この記事の執筆時点(2月21日)で、1、2年生合わせて23人の部員が、それぞれの関心に応じて哲学を探究しています。

「哲学部」が正式に部活動として承認されたのは、2025年3月の生徒総会で、まだ最近のことになりますが、前進となる組織は、文芸・弁論部内の「哲学班」として、約4年間の活動を積み重ねてきました。

その始まりは、2021年の4月頃、入学して間もない一人の女子生徒が、国語科室を訪れたという出来事にさかのぼります。その生徒は、中学時代、筑波大学で開催されていた哲学カフェに参加したことがあり、土浦一高でも開催してほしいと言うのです。その要望に応える形で、まずは1年生を対象に第1回の哲学カフェを開催し、そこに参加した5人の生徒が文芸・弁論部に入部したことで「哲学班」の発足に至ったのでした。つまり、哲学部の始まりは、あくまで生徒の要望だったのです。 

哲学部の活動

そのような経緯から、哲学部の活動の中心は、哲学カフェにあります。参加者が輪座して対面し、当たり前に見える事柄を疑い、その場にいる皆が納得できる答えを求めて、専門的な知識を用いず、誰にでも通じる言葉で、前提にさかのぼって対話する。ですから、哲学カフェにおける「哲学」とは、参加者全員が共同して制作するものです。つまり、「哲学」を生み出すのは「対話」なのです。この原則は、哲学カフェを離れた、読書や文章作成などの場面でも変わらないと考えます。そこで、読書会なら「テクストカフェ」、文章作成なら「編集カフェ」というように、あらゆる活動について、対話を通して行うように意識しています。

また哲学カフェを含めて、個々の活動は「チーム制」で行っています。生徒自身が発案し、生徒自身の交渉によって実現したチーム活動としては、地元のレンタルスペースを運営する「がばんクリエイティブルーム」さんのご協力による市民哲学カフェが挙げられます。生徒が東京大学の研究室を訪問したときに、土浦一高で哲学カフェを開催していただけるよう、名誉教授を口説き落としたこともあります。他にも、哲学カフェの研究・企画・運営を行う哲学対話モデル研究会や、哲学史勉強会、各種の読書会、哲学散歩、広報活動などに、チームで取り組んでいます。最近の動きとしては、哲学という言葉に敷居を感じる人にも対話の文化を届けるために、心理班を発足させ、精神療法の一つであるオープンダイアローグ(開かれた対話)を活用した実践も始めています。

このように、土浦一高哲学部では、「対話」と「チーム制」に基づいて、フラットで対等な関係性が築かれています。

哲学部の挑戦

哲学部がまだ哲学班だった頃、2代目の班長を務めた女子生徒の言葉が印象に残っています。卒業を前にして残してくれた言葉です。

「哲学カフェで戦争を止めたい」

20世紀後半の哲学では、様々な哲学者や学派が異口同音に、言語や対話の重要性を主張していたように思います。それらの動きに先駆けて、アメリカの哲学者でプラグマティズム(実用主義)の創始者チャールズ・サンダース・パースは、次のように述べています。

「私たちは純粋な概念を語ることから始めてはならない。それはまるで誰も住んでいない公道をさまよい歩くようなあてのない考えだ。そうではなく、人々とその会話とともに始めなければならない」(CP8.112)

相対主義と分断の時代にあって、対話を通した哲学、哲学を共創する対話が生み出す関係性は、共同体の新たな形の一つを示唆しているように思います(*脚注)。学校内外での哲学カフェの実践は、そのような新たな共同体の芽を育てていく挑戦でもあると、土浦一高哲学部は考えています。

コラム連載にあたって

これからご覧いただくコラムは、哲学部員の中から手を挙げた生徒たちによるものです。「対話を通した共同執筆」という理念の下にチームを立ち上げ、先ず、生徒が選んだテーマについて、それぞれ30分くらいの哲学カフェ、次に、生徒が書いた第1稿について、やはりそれぞれ30分くらいの編集カフェを行いました。その後は、生徒が自身の内的な声と対話しながら完成させました。

生徒の文章を読むと、世界の根源などといった形而上学的なテーマは見受けられず、日常生活に密着した問いが中心となっています。その分、想定した以上に、生徒それぞれにとって切実なテーマが取り上げられているように思います。また、哲学カフェや編集カフェで交わされた対話や出された意見を誠実に受け止めて、文章に反映させようとしていました。それ故に、産みの苦しみを味わった生徒も多かったようですが、その過程で、自分の問いに進展があった、答えが見えた、という言葉を生徒から聞けたときは、このコラムのお誘いを引き受けてよかったと思えました。

哲学史の知識や文献研究の点では物足りなさを感じる方もいらっしゃると思いますが、「タイパ」(タイムパフォーマンス=時間対効果)重視という表面的な若者像、「Z世代」というステレオタイプとは異なった、リアルな若者の姿を発見できるでしょう。現代の高校生たちが、いかに誠実に世界と向き合い、いかに真剣に思索しているか。放課後の教室で、夕日を浴びる街中で、哲学を語り合う高校生たちのエッセイ集を、ぜひお楽しみください。『放課後の哲学』、スタートします。

*脚注
筆者は、顧問として、生徒との哲学カフェの体験を積み重ねる中で、生徒がこれほどまでに哲学カフェに熱中するのはなぜなのか、問い続けてきました。その結果として実感したのは、次の2点です。
一つは、哲学について:哲学とは、たとえ高度に専門的なものであっても、内的/外的な対話によって制作されるものであるということ。よって、哲学カフェは初歩的なお遊びどころか、哲学本来の姿を具現しているということ。そして、哲学カフェという場所では、対面することによって、参加者に共有できる現実が生み出され、その現実との対話から出された結論は、アドホック(その場限りの)でありながらも普遍性を確保しうるということ。
もう一つは、対話について:哲学が共同の制作物であると前提することで、哲学カフェに必要なルールが決まってくるということ。そのような哲学カフェのルールとは、対話を成立させるためのものに他ならないということ。そして、対話の中で、参加者それぞれの経験や気づき、アイディアが、哲学の共同制作に寄与していると実感できることで、他者や自己の価値に気づき、お互いを尊重し合うような関係性が発展するということ。
筆者の実感と近いものとして、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「べてるの家」に対する野口裕二氏の考察が挙げられるでしょう。
「 〔べてるの家では〕上下関係が生まれる心配はないのか。結論からいえば、その心配はない。その理由のひとつは、当事者研究が共同研究という形をとっているからである。誰かひとりのアイディアではなく、みんなで作り上げたアイディアとなるので上下関係と結び付きにくい。もう一つの理由は、そこで出てきたアイディアが有効かどうかは実際の行動によって検証されるからである。」(野口裕二「継承すべき系譜②―自助グループ」(臨床心理学増刊第10号 当事者研究と専門知)2018:松本卓也『斜め論』2025よりまた引き)
当事者研究と哲学カフェは、共同の表現の制作が対等な関係性につながる点、当事者または参加者に共有される現実が検証や普遍性の根拠とされる点で、共通していると考えられます。同じように対話を重視しても、声の複数性(ポリフォニー)の確保そのものが水平性につながる点を強調するオープンダイアローグとは対照的です。

阿見町、2027年の市制移行ならず《文京町便り》50

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】2027年11月に市制移行を予定していた阿見町は、3月11日、市への移行を見送ると発表した。昨年10月の第22回国勢調査(簡易)の結果、総人口が4万9689人(速報値)となり、市制移行要件の5万人を下回ったためである。

阿見町は、2023年11月の常住人口(直近=この場合は20年=の国勢調査人口を基準に、毎月の住民基本台帳の増減により集計)が5万人を超えたことで、25年10月の第22回国勢調査で5万人達成は可能と見て、市制施行への準備を進めてきた。25年10月1日現在の常住人口も5万637人だった。

しかし、2026年2月27日、第22回国勢調査の結果(速報値)が通知され、要件を下回ったことが判明した。阿見町としては、市制移行を前提に、26年度当初予算に関連費約1590万円を計上していたが、これを減額修正することになった。国勢調査の結果によるとはいえ、関係者の落胆ぶりがうかがえる。

国勢調査の歴史と特徴

そもそも国勢調査(センサス)は、公的統計の中でも基幹統計と位置付けられ、統計法第61条で、回答拒否や虚偽報告に対しては罰金50万円以下の罰則が規定されている。

歴史的には、1902(明治35)年に制定された「国勢調査ニ関スル法律」にさかのぼるも、当初予定された調査(1905=明治38=年)は日露戦争で、さらに第1次世界大戦(1914~18年)などで実施が延期され、第1回調査は1920(大正9)年まで実施がずれ込んだ。

現状では、①住民を対象に調査が実際に行われ、住民基本台帳など他資料を集計した業務統計は含めない②ある地域に住む人全員を対象にする③調査票を用いて対象の住民が自ら回答する④調査時点(10月1日)を定め、規則的に(西暦が0年では大規模調査、5年では簡易調査)に実施される―などの特徴がある。

社会構造が変化調査手法を刷新?

国勢調査の回収率は、国民性のためか、かつては非常に高かった。しかし、近年は低下していて、特に大都市部では顕著である。

期間内に調査票の回収が困難な場合は、近隣住民からの情報を基に自治体が住民票のデータで補う「聞き取り調査」を行うが、この調査の世帯割合は、2000年調査では全国4.4%(うち東京都5.9%)、05年4.4%、15年13.1%、20年16.3%に急増している。その背景には、大都市部を中心にした高層・大型マンションのオートロックシステムや不在世帯の増加、地方圏では空き家の増加など、社会構造の変化が関連している。

かつては有効だった全数調査も、DX化や社会関係の希薄化が顕著な現代では、その限界が顕在化している。新たな調査手法が求められているのかもしれない。(専修大学名誉教授)

「霞ケ浦導水事業」を歩く《日本一の湖のほとりにある街の話》36

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】1月末、霞ケ浦導水事業の見学会に参加しました。霞ケ浦を利根川-那珂川と結び、広域で水を融通する構想として昭和50(1975)年代に始まったこの事業の背景には、水需要の増大や水質への懸念、渇水時への備えといった、当時の社会的課題がありました。その後、長い年月の中で、事業を取り巻く状況や環境への向き合い方は変化を重ねていきました。

今回見学したのは、そのうちの一部、小美玉市の玉里立坑と、そこから地中に伸びる石岡トンネル。午前10時の集合時間には、親子連れや年配の方など、多くの参加者が集まっていました。

ヘルメットを着用し、全員で集合写真を撮影したのち、いざ、直径18メートル、深さ約45メートルの玉里立坑の縁へ。地上からのぞき込むと、円筒状の巨大な空間が足もとに垂直に落ち込んでいます。

5メートルごとに数字が記されたその光景は、想像を超えるスケール! ワイヤーメッシュの籠状の工事用エレベーターに乗り込み、ドアが締まると、歯車がきしむ音を響かせながらゆっくりと地下へと降下し、自然と緊張感が高まります。

底部に降り立つと、両側に大きく口を開ける「石岡トンネル」は、よく見ると直径が異なっており、片方は4.5メートル、もう片方は3.5メートルとのこと。計画や技術の変遷が、断面の違いに現れているのを感じます。

湖と人、技術と暮らしをつなぐ

トンネルは、巨大な円筒形の「シールドマシン」によって掘り進められると同時に、工場製作のコンクリートの壁である「セグメント」を組み立てていく工法だそうです。全長31.5キロという数字に、その積み重ねの大きさを感じ、めまいを覚えます。

圧倒的なスケールの余韻を抱いたまま地上に戻り、見学会が終わろうとしたその時、これまでの工事を記録した映像が上映されました。

掘削、セグメントの組み立て、測量、機械の点検─さまざまな工種の作業員の方々が、真剣な表情で現場に向き合うその姿。巨大な土木構造物も、突き詰めれば一人ひとりの手仕事の積み重ねという、その確かな事実に改めて心を打たれました。

霞ケ浦導水事業をどのように受け止めるかは、人それぞれでしょう。ただ少なくとも、現場には確かに、人の手と時間が積み上げてきた現実があります。湖と人、技術と暮らしをつなぐ、長い対話の一端に触れることにより、この事業を「遠大な構想」ではなく、「目の前の風景」として思い描けるようになった取材でした。(土浦市職員)

琉球の希少植物と暮らしを紹介 筑波実験植物園で企画展

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企画展会場の多目的温室に立つ研究員の国府方吾郎さん

絶滅危惧種など150種

琉球列島由来の希少な植物を知ることができる企画展「琉球の植物−南国を育む植物たち」が20日から、国立科学博物館 筑波実験植物園(つくば市天久保、遊川知久園長)で始まった。展示されているのは、同植物園が保有する琉球列島の植物約400種類の中から、自然界では日本に1株しか残っていなかったり、自生地ではすでに絶滅してしまった希少種など、絶滅危惧種に指定されている約110種を含む150種あまり。

琉球の植物の展示は2019年以来7年ぶりとなり、豊かな自然が育んだ「琉球文化」の紹介にも力を入れる。展示を担当した同植物園研究員の國府方吾郎さん(57)は「琉球列島の豊かな自然とともに、たくさんの植物を有効活用してきた地元の人たちの暮らしを知る機会になれば」と来場を呼び掛ける。会期は29日まで。

展示されているハナコミカンボク。沖縄本島の1カ所にだけ自生する

展示会場は、多目的温室と研修展示場の2カ所。温室では、海岸、海岸林、山地林、低地林、渓流沿いなど琉球列島にある五つの自然環境の自生種を展示する。葉の裏側に赤い小さな花をつけるハナコミカンボクは沖縄本島の1カ所にしか自生していない。ナガミカズラは西表島で1株の自生が確認されている。小指の先ほどの白い花をつけるオリヅルスミレは自然界では絶滅してしまった。新種のアマミマツバボタンは國府方さんが2013年に発見した。

國府方さんは、「(奄美諸島、沖縄諸島などからなる)琉球列島は種の多様性が高く、単位面積あたりの植物種の数は日本本土より45倍多い」とし、背景には三つの理由があるとする。一つ目は、本土に当てはめると青森から高知までに相当する広い緯度差と多様な自然環境だ。「北琉球」とされる屋久島、種子島は本土と同じ温帯で、それ以南は亜熱帯に属する。その中にも乾燥地、湿地、標高の高低などの違いがある。

西表島に1株自生するナガミカズラ(中央)

二つ目は、島ごとの交流が限られることで生まれた独自の進化だ。かつて大陸と地続きだった時代から、島々が分離した時期によっても種の違いが生まれた。大東島に限っては一度も他の土地との接続がない。

三つ目は、混ざり合うことだという。遺伝的にオーストラリアにある植物と近い種は、北へ向かう渡り鳥が種を運び分布するようになったと考えられている。その他、動物や人の移動、海流などにより、日本本土や東南アジア、台湾、ユーラシア大陸など世界各地とのつながりが確認されている。國府方さんは「その様子は、アメリカや日本、中国と関わり合ってきた沖縄文化のよう」だと話す。

自然界では絶滅したオリヅルスミレ

文化を自然科学的に研究する必要ある

自身も沖縄出身だという國府方さんが今回力を入れたのが、研修展示場で紹介する琉球列島の植物と共に営まれてきた「人々の暮らし」だ。

地域に自生するキク科の野草 ホソバワダンは白和えなどにして食べられている。商品として流通するのは葉の大きい栽培品種だ。自生種との遺伝的な違いを國府方さんが調べると、意外なことが分かった。流通する品種と遺伝的に近い種が、海を超えた奄美や屋久島、平戸、対馬にあったのだ。

「近い種が沖縄の自生種ではなかった。元になるのは一つの株だということも分かった。昔、おいしいホソバワダンと出合った誰かが株をひとつ持ち帰った。近所の人にも食べさせたいと思い、株を分け合った。そんな様子目に浮かぶ」と笑顔を浮かべる。

研修展示場では、琉球列島の文化が紹介される

このほか、「どこの学校にもあった」という大きく枝を広げるガジュマルの木と、そこに宿るとされる精霊のキジムナーの物語、葉を編んで草履にしたアダン、扇や笠にしたビロウ、赤い実が飢饉を救い、味噌にも用いられてきたソテツなど、琉球列島の人々の暮らしを支え、文化をもたらしてきた身近な植物も丁寧に紹介している。

「文化というのは自然から生まれたもの。私たち研究者も、文化を自然科学的に研究する必要があると思っている」とし、文化を自然科学的に研究しようというプロジェクトも進行中だと話す。「琉球の植物に関するクイズもあり、特製のポストカードのプレゼントもある。お子さんにも楽しんでもらえたら」と話す。(柴田大輔)

◆企画展「琉球の植物ー南国を育む植物たち」は20日(金・祝)~29日(日)の10日間、つくば市天久保4-1-1 国立科学博物館 筑波実験植物園で開催。開園時間は午前9時~午後4時30分(入園は4時まで)。入園料は一般320円、高校生以下と65歳以上は無料。詳しくは同植物園のホームページ、問い合わせは電話029-851-5159(代表)へ。

働く私たちのリアル《マンガサプリ》5

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写真は筆者

【コラム・瀬尾梨絵】新卒として社会に飛び出したとき、誰もが胸に抱く「理想の自分」。しかし、現実に突きつけられるのは、自分の無力さと、理想とはかけ離れた泥臭い現場であることも少なくない。そんな「やりたいこと」と「できること」のギャップにもだえ、悩み、それでも一歩を踏み出す姿を描いた、ねむようこ先生の「午前3時の無法地帯」(祥伝社、全3巻)を今回はご紹介したい。

主人公・ももこは、イラストレーターを夢見てデザイン事務所に就職したばかりの新卒会社員。彼女が思い描いていたのは、おしゃれでかわいい雑貨のデザインに関わるキラキラした毎日。しかし、配属された先は、パチンコ屋のチラシやPOPを専門に扱う、文字通り「無法地帯」のようなデザイン事務所。午前3時を回っても明かりが消えず、床には誰かが寝ており、タバコの煙と怒号が飛び交う。そこは、彼女の理想とは対極にある場所だった。

本作の最大の魅力は、新卒の誰もが直面する「理想と現実のギャップ」を、ねむ先生特有の柔らかくも鋭い感性で描き出している点にある。「私はもっとかわいいものを描きたいのに」「自分にはもっと才能があるはずなのに」。

そんなももこの心の叫びは、読んでいるこちらの胸をチクリと刺してくる。自分が本当にやりたかったこととは違う、派手でけばけばしいパチンコの広告デザインに追われる日々。その「やらされている感」と、それすらも満足にこなせない「実力不足」の板挟み。この葛藤は、クリエティブな職種に限らず、組織の中で自分の役割を見出せずにいるすべての若手社会人が共感できるはずだ。

今の仕事を本当にやりたかった?

しかし、この物語が単なる「お仕事苦労話」で終わらないのは、その無法地帯な職場にいる人々との交流を通して、ももこが少しずつ「働くことの本質」に触れていくからである。

一見デタラメに見える先輩たちも、実はプロとしての矜持(きょうじ)を持って仕事に向き合っており、自分が嫌っていた仕事の中にも、誰かを喜ばせる工夫や、確かな技術が必要であること。そして、理想の場所にたどり着くためには、まずは目の前の「できること」を必死に積み上げていくしかないということ。ももこが少しずつ顔を上げ、自分の居場所を見つけていく過程は、読者に「今の自分も、あながち間違いじゃないのかも」という小さな救いを与えてくれる。

ねむ先生の描くキャラクターは、どこか抜けていて愛らしく、それでいて生々しい生活感を持っている。徹夜明けのボロボロの肌、深夜に食べるカップ麺の味、理不尽な上司への愚痴。そんな等身大の描写があるからこそ、ももこの成長が輝いて見える。

「今の仕事は、自分が本当にやりたかったことだろうか?」。そう自問自答して立ち止まってしまいそうな夜、ぜひこの本を手に取ってみて欲しい。午前3時の暗闇の中で、それでも灯りを灯し続けるももこたちの姿が、あなたの心にある「ギャップ」を少しだけ埋めてくれるはずだ。(牛肉惣菜店経営)

学校給食に金属製ナット混入 つくば市の義務教育学校

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給食に混入していた直径8ミリほどのナット(つくば市提供)

つくば市は19日、市内の義務教育学校で同日出された学校給食に異物が混入していたと発表した。教職員が職員室で給食を食べようとご飯のふたを開けたところ、直径8ミリほどの金属製のナットが混入していた。

同校の他の教職員や生徒、同日ご飯が提供された他校からもほかに異物混入の報告は無く、健康被害も報告されていないという。

市健康教育課によると、同日午後0時45分ごろ、教職員が個別の器に入ったご飯のふたを開けたところ、端の方に直径8ミリほどのナットが混入していた。

同市でのご飯の調理は、給食センターとは別に、米飯納入業者が炊飯工場でご飯を炊き、一人分をそれぞれ個別の器に入れ、ふたをして各学校の配膳室に配送している。配送された給食は、職員が配膳室から各教室や職員室などに運んでいるという。

どうして混入したかについて同課は、米飯納入業者が経緯を調査したが、19日時点で不明だとしている。

市は同日、ご飯の提供を受けた市内の各学校の保護者にお詫びの通知文を出した。

「人生という旅を楽しんで」 日本国際学園大学で卒業式

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橋本学長の前で答辞を述べる朝妻翔さん

日本国際学園大学つくばキャンパス(つくば市吾妻、橋本綱夫学長)で19日、卒業式が催された。同キャンパスで学んだ49人の卒業生を前に橋本学長は「人生百年時代の中で、皆さんはこれから80年先の未来に向けて歩むことになる。80年前のことを考えると時代が大きく変わってきたことがよくわかる。これから苦難が待ち受けているかも知れないが、人生という旅を楽しんで欲しい」とエールを送った。

告辞を述べる橋本綱夫学長

卒業生を代表して経営情報学部人文科学専攻の朝妻翔さん(22)は「大学の4年間で自分ができることは積極的に挑戦し、成長すること、そして一人で解決しようとするのでなく周囲の人の助けを借りることの大切さを学んだ。自分が気づかないことでも他の人の客観的な視点が必要なこともある。SNSやオンラインゲームで簡単に世界とつながれる時代だからこそ信頼できる関係を築くことが大事だと思う」と答辞を述べた。

式典では、同学部情報・デザイン専攻の伊藤祥一郎さんが橋本学長から学位記の授与を受けた。さらに優秀な成績や功績があった卒業生に褒賞が授与され、同学部人文科学専攻の朝妻翔さんと情報・デザイン専攻4年の伊藤祥一郎さんにそれぞれ学長賞が、佐藤緑咲さんに前身の東京家政学院創立者、大江スミの名を冠した大江賞が贈られた。

式典に臨む卒業生ら

取手市出身の卒業生、千葉謙さん(22)は「4年間は授業とアルバイトに追われて忙しかったが、無事に卒業出来てよかった。これからはバスの運転手になるので、社会人として頑張っていきたい」と語った。

同大は1990年、東京家政学院大筑波短期大学として開学。96年に4年制の筑波女子大学になり、2005年に男女共学の筑波学院大学になった。大学の運営は19年度に東京家政学院から学校法人の筑波学院大学に移り、23年からは学校法人名を日本国際学園に変更した。一昨年からは姉妹法人の東北外語学園(仙台市、橋本理事長)が運営する仙台市の東北外語観光専門学校に新たに日本国際学園大学の仙台キャンパスを設置した。

つくばキャンパスは、経営情報学部ビジネスデザイン学科に、国際教養モデル、現代ビジネスモデル、公務員モデル、AI・情報モデル、コンテンツデザインモデルの五つがあり、各モデルから選択し専門の学びを深めることができる。外国人留学生は日本文化ビジネスモデルで学ぶことができる。(榎田智司)