火曜日, 3月 11, 2025
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女性のさらなる社会参加を 国際女性デー 50カ所にミモザ

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ホンダカーズ茨城西研究学園店の店頭に飾られたミモザのフラワーアレンジメント

関彰商事

「国際女性デー」の8日から、関彰商事(本社・筑西市、つくば市、関正樹社長)グループ企業の県内外の拠点や店舗50カ所に、黄色いミモザをあしらったフラワーアレンジメントが飾られている。

国際女性デーは、20世紀初頭に行われた女性による政治参加を求める運動が始まりで、1975年に国連が女性の平等な権利を願う日として制定し、現在ではジェンダー平等の実現を目指すものとしても世界各国で様々なイベントが開催されている。黄色いミモザがこの日のシンボルとなったのは、同日を「女性の日」とするイタリアで、男性から女性に日ごろの感謝を込めてミモザの花を贈る習慣が広がったものだとされている。

セキショウホンダ(つくば市東新井 路川淳一社長)の自動車販売店ホンダカーズ茨城西研究学園店でも8日から店頭に、黄色いミモザをあしらったフラワーアレンジメントが飾られている。同店で接客全般を担うCAスタッフの成田和美さんは「入り口に花があることで、実際にお客様との会話が生まれている」と話す。

同社の雰囲気について「何かあれば『ありがとう』とあいさつをし合うなど、当たり前のことを当たり前にできている職場で、女性スタッフが頼られていると実感できる場面も多く、男女関係なく頑張ることができる」とし、「自分の希望を伝えやすい配慮があり、育休制度も取りやすい。また、制度が周知されているので、復職もしやすい。女性向けの研修もある」と社内での取り組みについて話す。

関彰商事では、社内での女性活躍を進める取り組みとして、有期雇用者の社員登用など女性を積極的に採用しているほか、管理職への登用、営業職・技術職への積極的な配属など職域を拡大している。2024年度は女性36人、男性8人が育児休業を取得している。役員、管理職に就く女性は、それぞれ2人、22人となっている。

関彰商事広報の石井雅也さんは「整備士など従来、男性比率が高い職種では、一般的に『男性の仕事』という思い込みもある。しかし女性の整備士の雇用も進んでいる。今後も幅広い職種で女性の雇用を増やしていきたい」とし、「ミモザを、販売店など地域の方が目にするところに飾ることで、国内では周知が行き届いているとは言いにくい国際女性デーをより多くの方に知っていただき、さらなる女性の地位向上へのきっかけにつなげていければ」と思いを語る。(柴田大輔)

「たなごころ」「絵ごころ」《続・平熱日記》177

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】「たなごころ」という優しい言葉があって、元は「手の心」から来た掌(てのひら)を指す言葉。この「こころ」を英語に訳そうとすると、spirit? Soul? mind? どれもちょっと違うような気がする。漢字よりもひらがなの「こころ」が似つかわしいと思う。

似た言葉に「絵ごころ」という言葉がある。日本語にはこの「こころ」が付いた言葉がたくさんあることに改めて気づく。母心、真心、幼心、気心、出来心…。

思い起こせば私自身、現代絵画に背伸びしながら首を突っ込もうとしていたころは、「こころ」なんていうおセンチな要素はあまり出番がなくて、それは当時「ナラティブ」とか「リリカル」などといわれて敬遠されたり、「メタファー」なんて曖昧な言葉でくくられたり、用語として使われる言葉はほとんどがカタカナや難しい漢字ばかり。

では、この「絵ごころ」というのは何かというと、それは俳句などの「詩ごころ」にも通じる「こころ」なんだと思う。普段何気なく見ている風景や季節、人の営みなどの中に何か見つけ、言葉にしていくような…。例えば、印象派の絵画が日本人にウケる理由のひとつは、この「絵ごころ」を感じ取れるからじゃないか。

「ええころじすと」

転じて、私が日々ダラダラと描いている「平熱日記」も、実は「絵ごころ」が描かせているのではないかと思えてきた。

そこで、「絵ごころ」というやや抽象的でモヤっとしたものと「ロジック」を合わせて、「えごころじー」というのを思いついた。ちょっと安っぽい造語だけど、我ながら気に入った。ついでに、「いいかげん」のことを私の故郷では「ええころかげん」と言うのだが、これをいい意味で「ええころじー」と名付けた。

自称「えごころじすと」とは恥ずかしくて言えないが、「ええころじすと」の資格は十分にある。

さて、国内屈指の現代絵画のコレクションで知られる川村記念美術館(千葉県佐倉市、半夏生の季節に妻とよく訪れた思い出深い場所)。折しも縮小移転が物議を醸している最中、友人に誘われるも体調不良でキャンセル。我々世代にとってのスーパースター達の絵画を「えごころじすと」の眼で改めて鑑賞したかったのだが…。

三寒四温。なじみのカフェで、温かいコーヒーの入った器に両手を添える。すると、それを作った人の「たなごころ」を感じる。「ピカソよりラッセンが好き…」というお笑い芸人のネタが頭に浮かんだ。(画家)

フルートとピアノの若手ユニット つくば 夢工房で23日コンサート

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Muses du sonの(左から)森田さんと荻さん

昨年7月水戸で結成

つくば市豊里の杜のギャラリー夢工房で23日、若手音楽家のユニットMuses du son(ミューズ デュ ソン)がマチネコンサート(昼公演)を開く。「春に舞う あたたかな風ときらめく音」と題し、春らしい軽やかで楽しいイメージの楽曲を多く披露するほか、言葉や香り、装いなどの要素を加え、空間までも表現の一つとしてデザインする。

(左から)森田さんと荻さん

ミューズ デュ ソンは水戸三高音楽科出身の2人によるユニットだ。フルートの荻美波さんは潮来市出身、高校卒業後パリ・エコール・ノルマル音楽院で学び帰国。現在は東京フィル主席フルート奏者の斎藤和志さんらに師事する傍ら、フリーランスの演奏家として活動中。能力を最大限に発揮する体の動かし方や重心位置などの身体理論「4スタンス理論」で知られるREASH(レッシュ)マスター級トレーナーの資格を持ち、同理論をフルートの指導にも取り入れている。鹿島高吹奏楽部の外部講師でもある。

ピアノの森田凪さんは笠間市出身、東京音大ピアノ演奏家コース卒業。第35回国際古楽コンクール審査員奨励賞受賞。水戸芸術館「第27回茨城の名手・名歌手たち」「プロムナード・コンサートEXTRA」などに出演。ソロや伴奏ピアニストとしての活動のほか、東京藝大別科で古楽器のフォルテピアノを学び、母校である水戸三高の非常勤講師も務める。

高校時代から互いに趣味や感性が似ていることは意識していて、「いつか一緒にやりたいね」と話してはいたが、当時はそれぞれの活動で忙しく、卒業後も年1回ほどの頻度で会う程度だった。昨年5月の再会を機に気持ちが再燃。「お互いに修業やコンクールへの挑戦などで苦しみ悩んでいた時期を抜け出して、演奏が楽しくなってきたところ。今なら一緒にできると思った」と森田さん。

昨年7月に水戸で結成記念ライブを行い、その後も都内のカフェやライブハウスなどで活動。「去年の公演はドビュッシー、武満徹、ピアソラなど自分たちのやりたいものばかりを詰め込み、クラシックになじみがない人には難しくなってしまった。今回のラインナップはサロン向けの小品などが中心で、初めての人にも楽しんでいただけると思う」と荻さん。

結成ライブの様子=昨年7月7日、水戸Girltalk

フルートとピアノというと主旋律と伴奏を連想しやすいが、この2人はそうではなく、互いに前に出たり背後に回ったりして支え合う関係。特に荻さんのフルートは、中低音で漂うような空気感を出したり、人の声や風の音を模したりといった特殊な奏法も駆使。さまざまな管楽器や打楽器も取り入れ、2人の手が届く範囲で色彩に富んだ音空間を作り上げる。

マチネコンサートのちらしデザイン。イラストはデザイン担当の森田さんが描いた

詩やイラストも手掛ける2人。今回演奏する曲の一つにはオリジナルのストーリーも付けた。「絵本を開くような気持ちで音楽の世界に入り込んでほしい」という言葉は、「空間ごとデザインする」このユニットの真骨頂といえそうだ。今後はイベント出演や子ども向けの企画なども含め、ジャンルの垣根を越えて幅広い音楽を届けたいという。(池田充雄)

◆Muses du sonマチネコンサート「春に舞う あたたかな風ときらめく音」は3月23日(日)、つくば市豊里の杜2-2-5、夢工房で開催。開場は午後1時30分、開演は2時。演目はセシル・シャミナード「コンチェルティーノ」、アンリ・ビュッセル「プレリュードとスケルツォ」、村松崇継「Earth」、小倉大志・組曲「星を掴みに出かけた音楽家たち」。入場料2000円。申し込み・問い合わせは電話029-852-7363(夢工房)。Muses du sonのインスタグラム、X(旧ツイッター)、LINEはこちら

ホーム最終戦、埼玉に1勝1敗 つくばサンガイア

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第3セット、サンガイア主将、架谷也斗のスパイク(緑のユニフォーム)=撮影/高橋浩一

目標のプレーオフ進出逃す

バレーボールVリーグ男子のつくばユナイテッドSunGAIA(略称サンガイア、本拠地つくば市)はホーム最終戦となる3月8、9日、日立市東成沢町の池の川さくらアリーナで埼玉アザレア(本拠地埼玉県狭山市)との2連戦を戦い、8日はセットカウント2-3で敗れ、19日は3-1で勝利した。これでサンガイアは14勝10敗で東地区3位。残り4試合で2位の埼玉に4差をつけられ、各地区2位までに与えられるプレーオフ進出の権利を逃した。

2024-25 Vリーグ男子(東地区)レギュラーシーズン(3月9日、池の川さくらアリーナ)
サンガイア 3-1 埼玉アザレア
25-23
25-21
20-25
26-24

第1セット、長谷川直哉がスパイクを決める

8日はフルセットに持ち込んだ試合を取りきれず惜敗。悔しさが抜けきれない中、選手たちは気持ちを切り替えて翌日の試合に臨んだ。9日の勝因について架谷也斗主将は「昨日よりも守備から点を取れ、劣勢から巻き返し流れを変えるプレーができた」と分析。鎌田敏弥は「昨日のフルセットの疲れもあったが、各自が自分のやるべきことを確認し、チーム全員で勝てた」と安堵の表情。

第1セットは序盤相手に先行されたが、梅本鈴太郎の2本のサービスエースなどで巻き返し、その後は拮抗した展開から最後を詰めきってセットを先取。第2セットは中盤で引き離されかけるが、鎌田と森居史和の同時投入から流れを引き戻し、またも逆転でセットを連取。その後は埼玉の追い上げに苦しみながら、今季最後のホームゲームを勝利で飾ることができた。

第3セット、畑中(14番)のブロック

流れを変えた第2セットの交代について加藤俊介コーチは「ブロックの高さを出すために2枚替えをし、それが本当によくはまった。鎌田はなかなか出番がない中、いつもいい準備をしてくれている。彼のブロックは練習でも誰もが認める素晴らしさで、今日も本当に頼りになった。森居も良いものを持っているが出場機会に恵まれず、出たかった気持ちを今日一機に爆発させてくれた」と評価した。

森居は昨年4月に順天堂大を卒業して入団。この日は「コートの様子を外から見ていて、自分が盛り上げてやろうと考えていた」という。セッターとしては雰囲気を変えることを意識し、またサーブでも回転を使い分ける得意のハイブリッドサーブが効果をもたらした。

第3セット、喜ぶ畑中

若手ではもう一人、国士館大からの内定選手である畑中大樹も攻守に活躍。昨年11月の内定以来、すでに14試合に出場しており「打つ方は自信を持ってできている一方、守備に不安があったが、今日は耐えてひと皮むけた」と加藤コーチの評。

ホーム最終戦を勝利で飾ったものの、目標としていたプレーオフ進出を逃したことについて加藤コーチは「上位のチームと大きな差はないと感じているが、うちは若い選手が多いので、勝つための経験が足りていない。そこが一番大きいし、そこだけかなと思う」と話し、「ホームといってもつくばからは遠い日立の試合に279人ものファンの方が来てくれた。つくば・土浦だけでなく茨城全体にサンガイアを認識してもらい、もっともっと推していただけるようになりたい」と期待を込めた。

「14勝」のハンドサインとともに、ホーム最終戦の集合写真。前列中央はセッターとして活躍し、MIPを受章した茂太隆次郎

今季のサンガイアの残り試合は、3月15・16日に函館アリーナ(北海道函館市)で北海道YSと戦い、3月22・23日でFUKAI SQUARE GARDEN足利(栃木県足利市)でのR栃木戦によって全日程を終える。(池田充雄)

「サツマイモの神様」白土松吉が名誉市民に《邑から日本を見る》179

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松吉の曽孫に渡された名誉市民の称号

【コラム・先﨑千尋】茨城県内で「サツマイモの神様」と呼ばれてきた白土松吉に、那珂市から名誉市民の称号が贈られた。那珂市は1月に市制施行20周年の記念式典を開いたが、この席で、曽孫の白土史生さんに先﨑光市長から名誉市民証が渡された。同市の名誉市民は5人目で、民間人としては初めて。

松吉は1881(明治14)年に那珂郡勝田村(現ひたちなか市)に生まれ、同郡湊町(現ひたちなか市)の白土家の養子になり、水戸農学校(現水戸農業高校)を卒業後、那珂郡役所に入り、同郡農会技手を兼務した。農会とは、農業の技術的・経済的発展と農業改良をめざした組織。

那珂郡は畑作地帯で、陸稲が盛んだった。陸稲は、夏に雨が降らないと収穫が皆無になることもあり、不安定な作物だった。松吉はこれを救うのはサツマイモだと考え、サツマイモの増収栽培の研究を始めた。

それと同時に、同郡前渡村村長の大和田熊太郎とともに、冬場の農閑期の副業として甘藷(かんしょ)蒸切干(干し芋)の製造を農家に奨励していった。郡内の篤(とく)農家や農学校、小学校にサツマイモの試験地、試作地を設け、増収技術の研究を重ねた。

目標は千貫(3.75トン)取り。当時の平均反収の3倍だった。研究の甲斐(かい)あって、1926年にとうとう千貫増収法を確立した。その後も、技術の合理化、作業の簡略化などの工夫を重ね、1937年に、1農家3人の労働力で1~2ヘクタールのサツマイモ栽培ができる「千貫取り白土式甘藷栽培法」を確立した。

松吉が研究を始めて30年の歳月が流れ、この年に松吉は『甘藷作論及栽培法』(水戸市協文社)を出版している。

白土松吉顕彰碑

「いも類大増産運動」が始まる

戦争末期の1944年、国は「いも類大増産運動」に取り組み、サツマイモの苗を2000万本首都圏に送る計画を立てた。東茨城郡内原村(現水戸市)の日本国民高等学校などで実施に移し、松吉はその指導に当たった。

仕事に没頭し、湊町の自宅にはほとんど帰らず、農会事務所近くの旅館で生活し、身なりは一切構わず、どこに行くのもはだしと自転車。サツマイモ増産のために寝食を忘れ、東奔西走の毎日。名誉や地位、利益には見向きもしなかった。松吉の素朴な人柄とひょうきんな行動は農家の人に愛され、大臣や知事でもすべて「君づけ」で呼んだと伝えられている。

48年に第一線を退き、弟子たちが用意してくれた白土甘藷研究所(那珂郡芳野村、現那珂市)で晩年を過ごした。

サツマイモ、干し芋だけでなく、那珂川沿岸の農業用水の一つ、小場江堰(せき)改良工事にも私財を投じ、大きな功績を上げている。55年には、甘藷栽培の改良と水田灌漑(かんがい)用水路の新設の功績により黄綬褒章を受章し、亡くなる直前の56年11月、当時の那珂町役場構内に白土松吉翁顕彰碑が建立された。

私は2012年に松吉の評伝『白土松吉とその時代』(茨城新聞社)を出版していることもあり、松吉が那珂市の名誉市民に選ばれたことを自分のことのようにうれしく思っている。(元瓜連町長)

震災乗り越え100年 浪江からつくばに 眼鏡店主 原田功二さん

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グラングラスの店内に立つ原田功二さん

東日本大震災後に福島県浪江町から避難した原田功ニさん(48)が、つくば市学園の森に2018年にオープンさせた眼鏡店「グラングラス」が今年、創業100年を迎える。1925年5月に浪江町で誕生した「原田時計店」による眼鏡専門店だ。本店は震災で被災し、現在、避難先の福島県二本松市に店舗を構えている。(21年3月1日付同3月2日付)。

各地で浪江を伝えた

「福島出身のお客様から『私、双葉だったよ』『私は楢葉だった』と声掛けてくださることがある。『浜通りトーク』をすると、僕も浪江を思い出すきっかけになるし、いつまでも浪江を忘れないでいられる。本当にありがたい」と、「グラングラス」店主の原田功ニさんが、笑顔を浮かべる。

千葉県出身の原田さんは、千葉で過ごした学生時代に浪江出身の妻、葉子さんと出会い、結婚した。震災時は、葉子さんの実家であり、浪江で3代続く原田時計店の跡取りとして義父母、妻らと働いていていた。時計店はJR浪江駅から徒歩10分程の、理髪店や精肉店、靴店などの個人商店が軒を連ねる商店街の中にあり、長年、地域の暮らしを支えてきた。原田さんが震災に遭ったのは、浪江に来て9年が経つころで、地元消防団や商工会への参加を通じて、街の一員として歩み始めた最中のことだった。

3月11日の震災では、地震によりガラスが割れたり、物が散乱したりするなど店舗が被災した。直後に出された津波警報により家族と高台に避難し車中で夜を明かすと、翌日には福島第一原発事故による避難指示が出た。手に取れるものだけ持ち出し避難した。1号機が爆発したのは隣町の親戚宅に滞在しているときだった。2019年に一家でつくば市で暮らし始めるまで、福島県内外5カ所を移動した。

各地を転々とする中で原田さんが浪江の商工会青年部の仲間らと始めたのが、地元の名物「なみえ焼そば」を、避難所など浪江の人たちが身を寄せる各地で提供することだ。浪江の状況を伝えていく活動だった。慣れない土地で、家族や友人らと離れて暮らす人たちは「故郷の味」に涙することもあった。

つくばに眼鏡店を開いたのは2018年。避難先で生まれた長男と妻の葉子さんが暮らす、原田さんの実家がある柏市から1人でつくばに通いながらのスタートだった。翌年、家族でつくばに転居した。つくばへの出店は一目ぼれだった。「先につくばに避難していた浪江の知人の紹介でつくばに来た。郊外に広がる山と田畑が浪江に似ていた。開発中のこれからの街というところにもひかれた」と振り返る。

学園の森にあるグラングラス

やっと生活が安定してきた

オープン以来、原田さんが1人で切り盛りしてきたつくばの店は、昨年から従業員を1人増やし2人態勢にした。「14年が経ち、やっと生活を安定させることができてきた。ようやく余裕を持てるようになってきたのだと思う」。浪江で過ごした時間より、震災後の月日の方が長くなった。「震災後の時間が短かったとは思えない。いろいろなことがあり過ぎた。まだ実感できていないことが多い」と話す。

最近は、浪江で活動を共にした仲間たちとの再会が増えている。おととしから年に数回、ゴルフをしたり、食事をしたりして楽しんでいる。集まる場所は、それぞれの避難先であるつくばや、福島県の郡山、いわきなどだ。各地域に暮らす人が持ち回りで企画する。

「震災後は、バラバラに避難していたが、時間とともに、徐々に連絡を取らなくなっていた人もいた。またつながりができるというのは、うれしい。昔話をしたり、情報交換をしたり、懐かしい時間を楽しんでいる」

100年は家族の目標だった

原田時計店は5月に創業100年を迎える。「震災前も、家族で100年目をどう迎えようかと話をしていた。2017年11月に義父が二本松で店を再開し、僕はつくばで店を開いた。100年というのは家族の目標だった。それまでは店をつぶすわけにはいかないと。婿で入った僕を育ててくれたのが、原田時計店」だとし、「思いが一番強いのは(義父の)社長とお義母さん。『100年目、何かしますか?』っていったら、あまり考えていなくて(笑)。ただ、浪江で何かしたいという話はしていました」。

昨年は、今年100歳を迎える祖母の誕生日を浪江の宿泊施設で開いた。各地に暮らす親戚らが集まって、にぎやかな1日を故郷で過ごした。震災後に生まれた一人息子の長男は、4月に中学生になる。「これまでにも墓参りなどで浪江に連れて行く機会はあったし、3.11の映像を見る機会もあった。息子なりに理解するところはあると思う」と言う。

店の入り口には、浪江にあった本店のロゴが刻まれている

つくばでも長く続くお店になれば

つくばに暮らし始めて7年目を迎える。「私も妻も、子どもやお客様を通じて少しずつ地域につながりができてきた。私たちにとってつくばは『帰ったきた』と思える街になった。周りの方に応援され、サポートしていただけたことが僕にとっては大きなこと。原田時計店も多くの支えがあって100年を迎えられる。感謝でしかありません」

つくばの店では、眼鏡が楽しくなるようなデザイン性の高い個性的なものや、子ども向けのフレームを充実させている。「地域柄、お子様も多い。キッズスペースもあるので家族で来ていただいて、大人も子どももゆったり眼鏡を選んでほしい」と話す。以前「眼鏡屋さんになりたい」と言っていた長男は「他の夢も見つけているよう」だという。「彼の中で世界が広がっているんだと思う。自由に育ってもらえたらいい。彼がやりたいことはサポートしていきたい」と話す。

「最近、眼鏡を購入してくださったお子さんが、後日、おばあちゃんと来てくれることがあった。2世代、3世代で来てくださる。本当にありがたい。孫からおばあちゃんまで、つくばでも少しでも長く続いていけるお店になれば」と語る。

100年は通過点。原田さんが、新たな歴史をつくばで刻んでいく。(柴田大輔)

「勇気を持って次の目標に」 189人が巣立つ つくば国際ペット専門学校

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高橋仁校長(右)から卒業証書の授与を受ける卒業生

 

つくば国際ペット専門学校(同市沼田、東郷治久理事長)の卒業式が8日、つくば国際会議場(つくば市竹園)で催された。189人の卒業生を前に高橋仁校長は「きょう皆さんは憧れの職業へのスタートラインに立った。勇気を持って次の大きな目標へと立ち向かってほしい。他人を認め尊重できる人間になってほしい」とエールを送った。

東郷理事長は「『わんわんランド』という環境があるため、実際に動物に触れ合いながら学ぶことが出来たと思う。愛情と根気を身につけ、真のプロフェッショナルを目指し、胸を張って巣立って欲しい」と卒業生に祝辞を述べた。

卒業生代表として答辞を読んだドッグトレーナーコースの綱川未来さんは「入学当時は不安だったが、先生や仲間の力でなんとかやってこられた。(学園祭の)犬友祭では苦戦し、自分の実力を知ることになったが、とてもためになった」と語った。

卒業生代表として答辞を読む綱川未来さん

式典では、公認訓練士などの公認資格試験の実施と公認資格発行などを行っている一般社団法人ジャパンケネルクラブから、同法人によるトリマーB、C級、ハンドラーC級、愛犬飼育管理士の合格者へのライセンス授与や、ビジネス能力検定3級と愛玩動物看護士の表彰なども行われた。

式典の最後には、在学中の思い出を振り返る映像が会場の大スクリーンに映し出され、参加した保護者らからも卒業生に向けて大きな拍手が起こった。

ペットケア総合コースを卒業した栃木県小山市出身の尾島葵さん(22)は「ペットケアに関することを幅広く学べたので良かった、卒業後は動物病院で働くことになっているので、経験を生かし頑張りたい」と語った。

式典後、記念写真を撮るつくば国際ペット専門学校の卒業生と教員ら

同校は1997年にトリミングスクールとしてスタートし、県内初の動物分野の専門学校として2006年に開校、現在は、ドッグトリマー、ドッグトレーナー、ペットケア総合、愛玩動物看護師、動物看護福祉の5コースと、22年4月に開設した日本初となる通信制コース、通信制ペット学科(3年制)に計約450人が在籍している。在学中ずっと、生徒1人が1匹の子犬の世話をする「パートナードッグシステム」が特色で、隣接地にはグループ企業による犬のテーマパーク「つくばわんわんランド」(同市沼田)があり、現場で実習を積むことが出来る環境が整っている。(榎田智司)

小美玉市のイトウ製菓工場《日本一の湖のほとりにある街の話》32

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】「チョコチップクッキー」をはじめとする様々なお菓子で、日本の庶民派おやつとしておなじみの「ミスターイトウ」こと、イトウ製菓。クッキー・ビスケットの専業メーカーである同社の商品全てが、小美玉市で製造されていることをご存じでしょうか? 今回は、そんなおいしいお菓子の製造現場を訪ねました。

見学に先立ち、マーケティング課長の櫻井さんと、工場見学担当の郡司さんから、工場概要のレクチャーです。現在、約200人が働く小美玉工場では、全130品目、毎日16万個ものお菓子が作られています。

製造にあたっては、鮮度保持のため、1日に作る10~16種類の製品について、必要な数量を必要な時間に生産するジャストインタイム方式を採用。効率化のお手本と名高いトヨタ方式と同様のこの方式をとる製菓メーカーは、他ではあまりみられないそうです。

そうしてレクチャー後、いざ工場見学がスタート! 入念な衛生管理を経たあと、製造工程に入室すると、そこは甘い香り漂う攪拌(かくはん)の工程。ここでは一度に600キロもの生地がこねられており、十分均質に混ぜ合せることが、おいしいお菓子づくりの第一条件なのだそうです。

品質を保つため、製品により生地の固さがそれぞれ異なる原料は、機械だけでなく担当者が固さを手でチェック。こねられた生地は、クッキーは型抜き、ビスケットはワイヤーカッターで切断され、見慣れた形へ成形されます。

そしてコンベアを流れる生地は、こんがりとおいしく焼き上げる「焼成」の工程へ。45メートルもの長さを持つ巨大な直線オーブンが4台並ぶこの箇所は、同工場の最大の特徴です。この特製オーブンにより、4段階の温度で一気に生地を焼くことこそ、手作りではできない食感とおいしさを生み出す秘訣、と櫻井さんと郡司さんは胸を張ります。

一歩焼成の部屋に足を踏み入れると、巨大なオーブンの存在感と熱気、部屋に満ちる濃厚な甘い匂いに圧倒され、言葉を失いそうに。次々に吸い込まれる、先ほどまでしっとりしていた生地は、オーブンをくぐること約8分、熱々のクッキー・ビスケットとして再びコンベアに現れます。その後、製品のチェックを経て梱包(こんぽう)・包装され、日本中の家庭で愛される「ミスターイトウ」のお菓子が出来上がり! トラックに積み込まれ、全国へと運ばれていきます。

地元の米粉を使ったバームクーヘン

イラストは筆者

そして今回は見学の後、工場の道向かいに建つ、イトウ製菓による初の直営洋菓子店「アトリエ・プティ・ボア」に伺いました。モミの木をはじめとする様々な植栽による「小さな森」をコンセプトにした敷地に、かわいらしくたたずむ三角形の建物は、まるで童話の中の風景のよう。イトウ製菓工場の目の前にありながら、その存在感の違いから、あらかじめ知らなければ関連会社とは気づかないでしょう。

店内は、バームクーヘンをイメージした独特の形状の木のアーチの連なりと勾配天井が印象的な、シックでいてラグジュアリーな空間。職人さんがお菓子を作っている姿も見られるように設計されており、お買物だけでなく工場見学気分も同時に味わえます。この素敵な店内で、取締役の川中さんにお話を伺いました。

看板商品は、クッキー・ビスケットの専業メーカーであるイトウ製菓の新しいチャレンジである、半生菓子の「バームクーヘン」。小美玉市産コシヒカリの米粉を使用したソフトタイプの「Minoriz(みのり)」と、ハードタイプの「Gateau a la broche(ガトー ア・ラ・ブロッシュ)」の2種類がラインナップされています。

その他のとりどりのクッキーやサブレも、地場の素材に徹底的にこだわっています。米粉のほか、茨城の生乳に卵など、地元の素材をふんだんに使用。併設のカフェで提供するドリンクも、茨城名産の猿島茶、茨城のおいしいコーヒーの代名詞・サザコーヒーを使用するなど、お店全体で茨城の豊かな食の風景を表現しています。

パッケージもモノトーンを基調としたシックなものから、木をあしらったかわいらしいものばかり。近年大人気の「お菓子缶」への対応もぬかりなく、かわいらしい宝石箱のような缶が出迎えてくれます。

イトウ製菓がこれまで小美玉とともに紡いできた歴史を踏まえつつ、さらに地元とのつながりを深め、地域に新たな場所を提供したいと、川中さんは穏やかな、それでいて熱い言葉で語ってくださいました。その思いは着実に浸透し、若者からお年寄り、サイクリストも多く立ち寄るなど、小美玉の新スポットへと成長。庶民派おやつの「イトウ製菓」と、ラグジュアリーな「アトリエ・プティ・ボア」の、これからがとても楽しみです。(土浦市職員)

➡これまで紹介した場所はこちら

重機を配備、技術系人材を養成へ 災害ボランティアトレーニングセンター開所

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開所式で重機を操縦し、土砂を撤去するデモンストレーションをする災害ボランティアで東京学芸大学3年の白鳥里桜さん

7日、日本財団つくば研究所跡地

つくば市南原、日本財団つくば研究所跡地に、日本財団ボランティアセンター(東京都港区、山脇康会長)の災害ボランティアトレーニングセンターが7日、開所した。災害時に重機を操縦してがれきや土砂の撤去などを行う技術系ボランティアを養成する施設で、ショベルカーやダンプカーなど重機16台と資機材を配備する。災害発生時は重機や資機材を災害現場に貸し出す。民間の災害支援拠点としては国内最大規模という。

研究所跡地約5.7ヘクタールのうち、約1.2ヘクタールに開所した。施設は、座学の研修などを行う2階建ての「研修棟」、重機などを駐車する「重機ステーション」のほか、盛り土やU字溝などが設けられ、がれきや土砂の撤去、U字溝の泥かきなど災害現場を想定した重機の操縦方法を学ぶ「訓練フィールド」がある。車両は、小型から大型までショベルカー9台とダンプカー4台など車両16台と、投光器などの資機材を配備する。訓練フィールドには今後さらに家屋の模型を設置し、重機で床板をはがし、泥をかき出す訓練などもできるようにするという。

ショベルカーやダンプカーなどが駐車してある「重機ステーション」前でテープカットする関係者ら

同センターのスタッフのほか、技術系災害ボランティアとして全国各地の災害現場で活動する団体のスタッフなどが操縦方法を指導する。日本財団ボランティアセンターに登録している災害ボランティアのうち希望者を対象に、技術レベルに応じた幅広い研修を実施する。1日30人程度の研修を月3回程度、年間1000人程度の研修受け入れを予定している。受講料は重機の燃料代等、実費(2000円程度)で実施する。

同研究所跡地では開所に向けて2年前から準備が行われてきた。仮開所の期間中も訓練フィールでは重機の操縦方法などを学ぶ講習が実施されており、仕事とは別に災害ボランティア活動をしている消防士らが重機の操縦方法などを研修などが開催されてきた(23年5月23日付)。今回、研修棟、重機ステーションが完成し正式開所となった。

研修棟

開所式では日本財団の笹川陽平会長が「災害が起きると行政だけではどうにもならないことがある。一人でも多くの国民の参加によって助け合っていかなくてはならない。重機の使い方を学んでいただいて、具体的な技術を身に付け、高度な救援活動に参加いただきたい」などとあいさつした。

日本財団ボランティアセンターの山脇会長は「被災地に寄り添った活動を行うためには(重機や資機材を扱うことが出来る)技術系のボランティアと(炊き出しや傾聴などを行う)学生のボランティア両方が復旧復興に欠かせない。災害ボランティアトレーニングセンターは重機を配備し災害現場でいち早く活動できる人材を育成し、重機の貸し出しを行う。有事の際、迅速に活躍できる施設になる」などと話した。

開所式であいさつする(左から)日本財団ボランティアセンターの山脇康会長、日本財団の笹川陽平会長、災害エキスパートファームの鈴木暢さん

同センターに配備する重機の選定に関わった都内の技術系災害ボランティア団体「災害エキスパートファーム」の鈴木暢さんは「(災害ボランティアの)経験の中からフットワークがいい小型重機を選定した。(被災した)住宅などは狭い場所があったり、裏山が崩れていたり、土砂が道路の側溝を埋めるなどの状況がある。人の手で1日50人から100人かかる動きを重機1台でできるし、女性でも重機を扱える。訓練では、現場で事故を起こさない、自分たちもけがをしないことが大事になる。大きな災害に立ち向かえる免疫を養っていけたら」と話す。

テープカットの後は、災害ボランティア活動で実際に重機を動かした経験のある岩手県花巻市消防本部消防士の藤岡茜さん(28)のほか、東洋大学4年の横尾幹さん、東京学芸大学3年の白鳥里桜さんらが重機を操縦して、盛り土の土砂を掘ったり、U字溝の泥をかき出すなどした。藤岡さんは昨年3月、能登半島で災害ボランティア活動をし、重機を操縦して倒壊した民家のがれきを撤去するなどしたという。藤岡さんは「(つくばのセンターで)これからもっとトレーニングを積んで、よりスムーズに災害現場で活動できるようにしたい」と話していた。(鈴木宏子)

小型重機を操縦しU字溝から泥をかき出すデモンストレーションをする岩手県花巻市の消防士、藤原茜さん

「努力続ければ夢かなう」 11カ国35人が卒業 日本つくば国際語学院

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卒業式後、卒業生と職員が記念写真を撮った=つくば市小野崎、つくば山水亭

つくば市松代の日本語学校「日本つくば国際語学院」(東郷治久理事長)の卒業式が7日、隣接の同市小野崎、料亭「つくば山水亭」で開かれ、青い角帽とガウンを身につけた今年度の卒業生35人が式典に臨んだ。35人の出身国は全11カ国で、最多の中国が11人、ネパール9人、モンゴル4人、ミャンマー3人、スリランカ2人、韓国、イラン、タイ、マレーシア、ベトナム、米国がそれぞれ1人。

式典で卒業生を代表して答辞を述べた中国出身の包諾敏(バォ・ナォミン)さん(31)は「学校生活を通じて日本語だけでなく、日本の文化や礼儀、考え方を身に付けられた。来たばかりの頃は授業についていけなかったり、アルバイト先での困難もあったりした。しかし困難を乗り越えることで自信がつき、前に進めることに気づいた。何事も諦めずに努力する力を身につけることこそが、留学の意義」だと学生生活を振り返り、「努力を続ければきっと夢をかなえられる。自分自身を誇りに思えるよう、頑張りましょう」と後輩たちにエールを送った。卒業後は神奈川県内にある歯科衛生士の専門学校に進学することが決まっている。

卒業生を代表して答辞を述べる包諾敏(バォ・ナォミン)さん

在校生を代表して送辞を読んだミャンマー出身のトゥラ・ミョー・ウィンさんは、時折手元のメモに目を落としながらも、終始前を見据えて「毎日勉強をし、アルバイトをしながら学校へ通う生活は大変なもの。先輩たちには学校だけでなく、アルバイトでも助けてもらった。大変なことも助け合いながら乗り越えることができた」と感謝の気持ちを語った。

あいさつに立った東郷理事長は「日本に来て辛い時、苦しい時に支えてくれたのは、隣にいる仲間や先生たち。皆さんは1人で日本に来ましたが、今は1人ではない。仲間や先生は、日本に来てから得た、最も大きな財産。これからも大切にしてください。そして、日本へ留学しようと決意した気持ちを忘れずに、迷ったり、悩んだりした時に、その気持ちを思い出してほしい」と言葉を送った。

東郷理事長から卒業証書を受け取る卒業生

同学院によると、卒業生を含む今年度の在校生は160人で、来年度は前期・後期合わせて約60人の入学が予定されている。学生数の増加により、今年度2室増やした教室を、来年度さらに2室増やす。

出入国在留管理庁によると、2024年6月末時点の在留外国人数は358万8956人。前年末から5.2%増え、過去最高を更新している。また、日本学生支援機構の調査によると、2023年5月1日時点の外国人留学生数は27万9274人で、前年度から20.8%の増加となっている。留学生数の多い国・地域は、中国が11万5493人(対前年度比11.2%増)、ネパールが3万7878人(対前年度比56.2%増)、ベトナムが3万6339人(対前年比2.8%減)。(柴田大輔)

牛久栄進高の志願増と竹園高の学級増《竹林亭日乗》26

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少し雪がかぶった筑波山(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】つくば市内の県立高校不足に土浦一高の定員削減が重なり、つくばの受験生と保護者の不安が高まっている。つくば市からの進学者が多い土浦一高、竹園高、土浦二高、牛久栄進高への志願数を調べた。

牛久栄進の志願者が激増

今年は土浦一高4学級化の2年目。高校入試で何が起きているかを、2024年と25年の志願先変更前の志願者数で調べてみる。

削減1年目の昨年、土浦一高への志願者は222人(定員160)となり、志願先変更で208人(前年比75人減)となった。この土浦一高の定員削減のあおりを受け、土浦二高志願者が430人(定員320)、竹園高435人(定員320人)と、両校に100人以上オーバーの波がきた。

2年目の今年はどうか。土浦二高と竹園高は昨年の100人以上オーバーで難校化、今年の受験生は牛久栄進高に497人(定員360)の波となって現れた。志願先変更で466人となったが、106人の定員オーバーである。

31人という志願先変更の多さには心が痛む。多くの方に、これら生徒、保護者、教師の苦労を感じてほしい。

心配なのは、削減1年目に土浦二高と竹園高、2年目に牛久栄進高に向かった受験生の波が、3年目はどこに向かうのかだ。その受け皿として、改革が始まったつくばサイエンス高校と筑波高校に期待している。つくば市内の両高の魅力アップは地域の発展にも重要で、私たちも応援したい。

しかし、中卒生が激増し、6人に1人しか市内の県立高校に入学していないつくば市で、それだけでは不十分である。

24年からの受験生の大波は、つくばエリアの県立高校不足と土浦一高の定員削減によって生まれた波と考えている。その波の性格に注目し、大人は受験生が安心して学べる入試環境を用意する必要がある。

竹園高に2学級増を

TX沿線開発で人口と子どもが増えているつくばエリアに、県立高校新設が必要なのは明らかである。県も牛久栄進高1学級増や市内3校のうち2校で対応(サイエンス高の普通科設置、筑波高の進学クラス設置)しているが、生徒増に追いつかない。そのため、生徒と保護者の期待は竹園高に向かっている。

県は2019年の高校改革プランで、当時のつくばエリアの57学級(中等4学級を含む)を、26年までに59学級にすると発表した。

25年入試では58学級だが、その1学級増は水海道一高付属中からの内進枠である。一般の高校受験枠は改革プラン実施後も53学級のままで、増加していない。この点でも学級増の必要性は高い。県はTX沿線への高校新設を検討しつつ、26年から竹園高に2学級増やし、昨年から起きた受験生の波を受けとめてほしい。

つくば市も、竹園高学級増のために校舎建設の協力を表明している。1月の県教育委員会との懇談では、県も独自の調査で校舎増設が可能であると述べた。条件は整ったと思う。今年の受験生の波を受け止め、竹園高の学級増で小中学生と保護者の希望に応えてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

未払いの特殊勤務手当て 17人、延べ700日分に つくば市生活保護業務

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つくば市役所

昨年末に計19万円支払う

市職員から指摘を受け、つくば市が昨年5月に明らかにした市社会福祉課職員に対する特殊勤務手当てと残業代(時間外勤務手当て)未払いのうち(2024年5月9日付)、生活保護業務に従事する職員の特殊勤務手当てについて、市は昨年末、未払い分を請求できる過去3年間にさかのぼって、職員17人に同手当て計19万1675円を支払った。同手当ては1日当たり275円で、3年間で延べ697日分が未払いだった。支払いが遅れたことによる遅延損害金(遅延利息)について5日、市議会2月定例会議本会議に専決処分の追加提案があり分かった。

市人事課によると、昨年末に支払った特殊勤務手当ては、2021年1月~24年3月まで3年3カ月分で、昨年12月26日付で支払われた。遅延損害金は17人のうち、受け取りを希望した6人に計5403円が今月4日に支払われた。

一方、未払いの残業代については、2024年4月~10月の7カ月分について、職員18人に対し計197万5111円が昨年2月21日にすでに支払われているという。延べ何時間分が未払いだったかについて市人事課は「計算してない」としている。残業代についても過去3年間にさかのぼって支払う予定だが、残りの支払いについては現在精査中だとし、支払い日などは現時点で未定。4日は、すでに支払われている197万5111円の遅延損害金について、18人のうち受け取りを希望した5人に計1万6054円が支払われた。

損害遅延金は、特殊勤務手当てと残業代未払分合わせて2万1457円で、いずれも人事課の予算から流用したという。

特殊勤務手当ての未払いは2024年2月、残業代の未払いはさらに半年前の23年9月、市社会福祉課職員から指摘があり判明した。特殊勤務手当て未払いの原因について市社会福祉課は、各職員で業務の解釈が異なっていたことが原因だったとした。残業代未払いの原因については、当時の管理職が、できるだけ申請しないよう不適切な指導を行い、職員が申請しにくい状況になっていたとし、監督責任から、五十嵐立青市長が給料を2カ月間10%、副市長2人が1カ月間10%減給した。さらに不適切な指導をした管理職に対し処分を実施するとしているが、処分はこれからという。

市は加えて、社会福祉課以外にも同様の未払いがないか全庁的に調査を実施するとし、全庁的調査は昨年6~7月に、管理職の不適切な労務管理について、実名を名乗ることを条件に全庁的に実施された。実名で回答した職員にヒヤリングが実施され、新たに分かった社会福祉課以外の未払いについても今後、未払い額の調査を実施するとしている。

今回、特殊勤務手当て支払いの対象となった職員の一人は「時間外手当て未払いの方は3年分が支払われて初めて全容が分かると思うが、なぜ未払いが発生したのか、どうして支払いが遅れたのか、遅れたことによる遅延損害金の発生や、責任がどこにあるかなどが明らかになってほしい」とし「遅延損害金は不適切な労務管理や支払い手続き事務の遅延の結果であり、一時的にせよ市民に負担をかけてしまったことは一職員としてはひじょうに心苦しい」と話している。(鈴木宏子)

次世代育成や社会実装目指す サイバーダイン、台湾の大学などと提携

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戦略的パートナーシップを締結した(左から)輔仁大学附属病院の劉宏輝副院長、台湾バイオテクノロジー開発センターの黃千岳副執行長、輔仁大学の藍易振学長、サイバーダインの山海嘉之社長、筑波大学サイバニクス研究センターの黒田嘉宏センター長

医療用の装着型ロボット、HAL(ハル)を開発、販売する筑波大発ベンチャー「サイバーダイン」(つくば市学園南、社長・山海嘉之筑波大教授)と台湾の研究機関、大学など5者は4日、戦略的パートナーシップの提携を結んだ。同社が開発する、医療とロボット工学、情報技術などを融合したサイバニクス医療技術を台湾に展開すると共に、共同研究や教育プログラムなどを通じて次世代の専門家の育成やイノベーションの創出、社会実装につなげたいとする。

5者はサイバーダインと、山海社長が籍を置く筑波大学サイバニクス研究センターのほか、台湾バイオテクノロジー開発センター、輔仁大学、輔仁大学附属病院。サイバーダイン本社で調印式が開かれ、山海社長をはじめ、各機関の代表者らが出席した。

今後5者は共同で、バイオ・医療系テクノロジーとAI、ロボット、情報系テクノロジーを融合した技術を活用し、日台における医療・ヘルスケアサービスの向上を目指していくとし、脳神経・筋系の機能改善、機能再生を促進する装着型サイボーグ HALを用いた治療や、日常的にメディカル・ヘルスケアデータを収集・解析・AI処理する技術を台湾で展開し、社会実装を目指す。

台湾からの関係者(左)に製品の説明をするサイバーダインのスタッフ

サイバーダインは、筑波大サイバニクス研究センター長の山海教授が2004年に立ち上げたベンチャー企業で、同氏が開発した、人が体を動かそうとする際に脳が発する微弱な電気信号をセンターが読み取り動作を補助する動作支援ロボット HALを国内外に展開している。HALは、人間の皮膚につけたセンサーが感知する電気信号を、内蔵コンピューターが解析し、足や腰、腕などに着けた補助装置のモーターを作動させることで人の動作を助けるものだ。事故や病気、高齢などにより自力で動かすことができなくなった身体部位に対しする機能回復にもつながるという。

社会課題解決策、新たな輸出産業に

同社は近年、開発した技術の海外展開に力を入れており、2024年12月にはマレーシア政府系機関と7億円規模のサイバニクス製品導入契約を結び、同国に建設される東南アジア最大級のリハビリ施設「国立神経ロボット・サイバニクス・リハビリテーションセンター」に、異なる3タイプのHAL 65台を納入した。また、昨年11月には、国際協力機構(JICA)によるウクライナ復興支援の一環として、ロシアによる軍事侵攻が続く同国で負傷した市民らの機能回復訓練を目的に、HALを46台納入すると発表している。

山海社長は海外活動について「新しい領域の開拓は非常に重要」であるとし、「日本が直面する社会課題には、高齢化など世界に先んじていることがある。社会課題の解決は、税金を使い公的機関が取り組んできた分野。しかし、社会の変化が加速する中で、公的機関の力だけでは全てをカバーできない難しい状況が生まれている。課題解決のためには新しい経済のサイクルを発想しなければいけない。日本の経験を生かした解決方法をつくり出し、各国と相互に情報共有しながら社会変革をスピードアップしていけるよう、まずはアジアから開拓している」と話す。

今回の台湾とのパートナーシップ協定締結については「台湾も高齢化が進む国の一つ。日本でつくり上げてきた技術が、高齢化により台湾で起きている課題に直接介入し、支援できるような構造をつくることで、台湾の中の高齢化問題の解決にもつなげていきたいと考えている」とし、「早い段階で、社会課題の解決策を産業として各国の社会に導入することで、それが日本にとっての輸出産業に仕上げていくことができる。日本が世界に貢献できる新たな取り組みにしたい」考えを述べた。(柴田大輔)

音楽に包まれて《ことばのおはなし》79

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】先日、久しぶりに学生時代の友人のライブに行った。学生時代、私はなぜだかクラシックギターをやっていたのだが、当時ジャズサークルでやかましいドラムを叩いていた同期の彼に「クリスマスに爆音で大学のチャペルをぶっ壊したいんだけど、一緒に演奏しない?」と声をかけられて以来の付き合いである。

クラシックギターをやっている人間に対する誘い文句ではないと思うのだが、たぶん何も考えていなかったのだろう。私も何も考えずに生きているからこそ承知したわけで、人のことは言えない。

ライブに行くと、毎度会場でDJを担当しているのも学生時代から付き合いの友人だ。なぜ毎回いるのだろう。暇ではないと思うのだが、毎回いるので、もしかしたら本当は暇なのかもしれないが、そんなことはどうでもよい(コラム42に登場する2人である)。

芯まで響くバスドラに、サックスとギター、ベースの音が乗って、頭がピリピリする。やかましくもどこか変わらない音に身を包まれながら目をつむると、途端に自分が今どこにいるのかわからなくなる。

発破をかけてくれる音

音楽に限らず、何かをずっと続けて、日々進化し続ける意思というのは尊い。どれだけ洗練されようと、そうした精神には何かずっと変わらないものが宿るのだと思う。そんな音にあてられると、ふわふわとした日常の不確かな自己の座標なんて簡単に吹き飛ばされてしまう。初めてその音を体験した日に連れてかれてしまう。

何もかもが簡単に過ぎ去り変わっていく日々の中で、本当に変わらないものというのは、実は常に前進し続けるものだけなのだと私は考えている。停滞すれば、歩みを止めれば風化が始まる。変わってしまう。

たぶん私は、定期的にそんな音に発破をかけて欲しくて、あの音を浴びに行くのだと思う。(言語研究者)

主語がコロコロと変わっていく《続・気軽にSOS》159

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【コラム・浅井和幸】問題を解決するには、目的を決め、現在の状況を把握し、今できる一歩を考えて実行することが大切です。会議でも1対1の相談でも、問題解決につながらずに話が堂々巡りをしてしまうことが多々あります。現状の把握はとても大切な要素のひとつですが、これができないひとつの要因に主語がどんどん移り変わっていくことがあります。

会議や相談で話を進めていくうちに、あれ?今誰の話をしているのですか?と、私は聞き返すことが多々あります。Aさんという男性からBさんという女性が嫌がらせを受けていると、Bさんが相談してきたとします。

Aさんから、どのような状況で、いつ、どのような嫌がらせをされたか聞いているうちに、ちょっと話が飛んでいるように私が感じて、「あれっ? それはAさんがそのような嫌がらせをしてきたのですか?」と質問すると、「いえAさんの話ではなく、男性とはそのような嫌がらせをするものです」と、男性全体の話に代わっていたり、Aさんではなく全く別の人の話になっていたりするという相談の流れもしばしばあります。

これでは、Aさんに対してどのような態度をとればよいかとか、それがAさんに対応するように職場の上司にどのように相談を持っていけばよいかという動きから外れていくものです。もちろん、人というものは理路整然と全ての話を組み立てて話すことはできるはずもないし、問題解決のための考え方というものは思っているよりも難しいものです。

ですが、それだけではなく自分にも言いたくないやましいところがあり、それを意識的、無意識的に避けるために起こることもあります。話が飛んだり矛盾が生じたり、現状を正確に聞き取ろうとすると、何でそのようなことまで聞かれるのだと怒りが湧くこともあるでしょう。

君子危うきに近づかず

人は完璧に振る舞えるわけではないので、嫌がらせをされたら自分も相手に嫌がらせで返してしまうことも当然あります。ですが、それも含めて、実際にどのようなやり取りがあって、どのような関係性で、どのような状態に持っていきたいかと、現状と目的を共有したほうが問題解決のためのアプローチがしやすいのは当然のことです。

それだけではなく、問題解決をするのに、自分が何か対応を今までと変えることは自分が悪者のように言われているようで、釈然としないので避けたいという感覚になることもあるでしょう。これは一般的に悪者が変わるべきであって、善人である自分が言動を変えることはおかしいという思い込みに縛られているからです。

もらい事故が多い人は、自分が交通ルールを守っているのだから何も自分は変える必要はないと、かたくなに思い込んでいる可能性があります。運転がうまく事故が少ない人は、危ない運転をしている車などは避ける行動をとります。

時には「君子危うきに近づかず」という考えが功を奏することもあることを理解しましょう。あくまで自分の人生の主人公は自分自身であり、自分が一番動かしやすいゲーム盤上の駒であるというイメージを持つとよいかもしれません。(精神保健福祉士)

遺骨を取り違え 別の遺族が収骨 つくば市営火葬場

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つくばメモリアルホール=つくば市玉取

つくば市は4日、同市玉取の市営火葬場「つくばメモリアルホール」で1日午後、火葬場の職員が、火葬した遺骨を取り違え、別の遺族に収骨させたと発表した。収骨がほぼ終わった段階で、遺族が台車に付いている名札が違うのに気づき収骨を中断。職員が骨壺から元に戻して、本来の遺族が収骨をやり直した。同メモリアルホールで遺骨を取り違える事故が起きたのは初めて。

メモリアルホールによると、1日は午後2時ごろから2人の火葬が執り行われた。1人の火葬が終わり、午後3時20分ごろ、火葬委託業者の職員が火葬を終えた遺骨を、遺族が骨壺に収める収骨室に移動した際に、本来の部屋とは別の収骨室に運び、待合室で待っていた別の遺族を呼んで収骨させた。

遺骨を運ぶ台車と収骨室にはいずれも名札が付いており、メモリアルホールのマニュアルでは、両方の名札を確認をすることが定められていたが、遺骨を運んだ職員が確認を怠った。火葬した遺骨は家族が収骨する前に、職員2~3人が収骨室に入って整えるが、整えた職員も名札の確認を怠ったため取り違えに気付かず、ミスが重なったことが原因だとしている。

メモリアルホールと委託業者の責任者は両家に対し謝罪。市は委託業者に対し、マニュアルに定められた確認作業を徹底するよう強く要請したとしている。

五十嵐立青市長は「ご遺族様にとって最期のお別れである収骨において重大な事故を起こしてしまい深くお詫びします。今後このようなことが決してないよう、委託業者に対し適正な運営を指導し、市としてもさらに緊張感をもって施設運営に取り組みます」とするコメントを発表した。

「蛇」とつきあうコツ《くずかごの唄》147

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イラストは筆者

【コラム・奧井登美子】 

「おめえら、赤か?」

「赤?…アカではありません。ピンクの人はいるかも知れませんが」

「赤のやつら、なんでも反対しやがる」

「市民運動の説明にあがったのですが…すみません」

「霞が浦の浄化なんて、偉そうなこと言いやがって…」

「失礼します」

1947年、医師の佐賀純一先生が「土浦の自然を守る会」を創立した。事務所は佐賀医院。主なメンバーは先生に誘われた医師会の人たち。土浦協同病院に勤務していた田谷利光先生は農薬にも詳しく、散布時の事故などについて発表してくださった。

土浦市内にある高校の教師たちも参加。植物の後藤直和先生のほか、動物、魚類などの専門性を生かして市民に教えてくださった。当時、土浦の水道水処理は未熟で、アオコの臭いがしたり、色が付いていたりして、市民の不安は大きかった。飲食店も困っていたらしく、飲食店組合の組合長もメンバーだった。

県会議員とは見解が違う

今考えると、市内のすごい人材をよくぞ集めてくださったと思う。毎週木曜日に佐賀医院に集まって、「霞が浦の水の浄化」についてものすごい議論をし、市民にも読んでもらえるように文書を残している。頭脳集団の方々は仕事が忙しいので、我々主婦がその文書を持って回り、一般市民、市会議員、県会議員の方々の反応を確かめる。

「おめえら、アカか?」といきなり聞かれて、「ああ、この人は蛇だ。まともな話はしない方がいい。私は蛇に巻かれたふりをして逃げるしかない」。そう判断する。

政治家の中には「政治屋さんゴッコ」をしている人もいることがわかった。「誰と誰にあいさつしたか?」と、県議の名前を挙げて確かめる人も多い。うっかり巻き込まれたら、時間がいくらあっても足りなくなってしまう。「県会議員さんとは、見解(けんかい)が違います」と言いたいところを、ガマン、ガマン。

「〇〇先生のところには、友達の✕✕が行っていると思いますので、私は失礼します」。蛇に巻かれたフリをして帰る。蛇さんと付き合うコツ(前回コラム)を知っていたおかげで、霞ケ浦水質浄化の運動を市民の間に定着できたと思う。(随筆家、薬剤師) 

土浦小町がパトレイバーとコラボ そば焼酎を限定販売

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ラベルに、タイプ-J9 グリフォンがデザインされたそば焼酎と化粧箱

アニメ「機動警察パトレイバー」の聖地、土浦市で、アニメに登場するキャラクターを化粧箱とラベルにデザインしたそば焼酎「土浦小町 パトレイバー版」(720ミリリットル、税込み4000円)が3日から、市内3カ所で限定120本販売されている。

デザインされているのは、アニメの舞台、土浦研究所で開発されたという設定の悪役、グリフォン(タイプ-J9)の左向き上半身で、作品のキャラクターデザイナー、高田明美さんがかき下ろした。

昨年12月20日、パトレイバーのデザインマンホールカード配布に合わせて、JA水郷つくばの農産物直売所、サンフレッシュ土浦店で、グリフォンがラベルにデザインされた30本を限定販売したところ即日完売。今回は第2弾として、ラベルと同じデザインが施された化粧箱入りを120本販売する。4月以降、さらにバージョンアップさせ、限定30本を同市のふるさと納税の返礼品とする計画もある。

焼酎は土浦産常陸秋そばを原料にし2021年から販売する。市農業公社が企画、明利酒類(水戸市)が製造し、そばの産地、同市新治地区に残る小野小町伝説から「土浦小町」という商品名を付け、通常は1500円で販売している(21年12月30日付)。小町とパトレイバーがコラボする今回は、市農業公社と市観光協会が販売する。

同市は2022年1月に初めてパトレイバーの企画展(22年1月13日付)を開催、その後、パトレイバーのデザインマンホールカードを制作し配布したり、マンホール蓋をパトレイバーのデザインに変えるなど(22年5月28日付23年3月24日)、コラボ事業による土浦市のPRや来訪者の市内回遊と消費拡大などに取り組んでいる。昨年は夏祭り「土浦キララまつり」に合わせて、同アニメの実写版映画に登場した高さ10メートルの実物大ロボットが立ち上がるデッキアップイベントを開催するなどしてきた(24年7月28日付8月3日付)。

デザインマンホールに3種類追加

そば焼酎のほかにコラボ事業として、現在15種類あるパトレイバーのデザインマンホール蓋に新たに3種類を追加する。新たなデザインは同アニメに登場する「後藤喜一隊長」「南雲しのぶ隊長」「グリフォン&イングラム1号機」の3種類。12日から市役所1階きらら館で展示後、土浦駅西口周辺に設置する。3種類はすでにアクリルキーホルダーで販売しているデザインという。

◆そば焼酎「土浦小町」パトレイバー版は720ミリリットル、4000円(税込み)。販売店は①土浦駅西口前の市役所1階きらら館(土浦市大和町9-1)②旧水戸街道沿いにある江戸時代の蔵を改装した観光名所「まちかど蔵大徳」(土浦市中央1-3-16)③小町伝説を伝える交流施設「小町の館」(土浦市小野491)の3カ所。

賞味期限切れのだしパックを使用 保育所給食 つくば市

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つくば市役所

つくば市は3日、市内の市立保育所1カ所で、1月28日から2月28日までの間の13日間、給食で出した汁物に賞味期限切れのかつおだしパックを使用していたと発表した。

市幼児保育課によると、賞味期限は1月27日までだったが、気付かずにその後13回にわたり使用し、園児延べ約650人に提供していた。2月28日に食材の在庫確認をしていて判明した。3月3日時点で健康被害の報告はないという。

市立保育所の給食は各園ごとに調理する自園調理で、食材の発注と管理は各園の調理員と栄養士が実施している。食材の在庫確認方法は各園ごとにばらばらだったという。

同保育所は2月28日に保護者に謝罪。市は、市内の全保育所を対象に調味料等の賞味期限の確認作業を実施したとしている。再発防止策として市は、今後は各園それぞれ毎週1回、定期的に在庫確認作業を実施するとしている。

TX土浦延伸は東京延伸とセットで、知事 《吾妻カガミ》203

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大スクリーンを使った大井川知事の県政報告会

【コラム・坂本栄】大井川和彦知事の県政報告会が2月18日、霞ケ浦文化体育館(土浦市大岩田)で開かれました。知事は3期目への出馬をまだ表明していませんが、今夏の知事選を意識した1時間を超える講演になり、7年半の実績を説明する話の締めはTX土浦延伸でした。

水戸とつくばの経済圏をつなぐ

講演の最後の箇所を文字に起こして少し補足すると、以下のような内容です。つくば止まりのTXを土浦駅まで延ばすことのメリット、延伸実現に向けての手順が中心です。

「TXルートの土浦駅延伸は(学識者ら)第三者に検討してもらい客観的に決めた。私も土浦産まれだから(土浦延伸に)忖度(そんたく)しなかったとは言わない(笑)。そう言ってはいけないのかな?(笑)。大事なのはTXをJR常磐線に接続すること。それによって水戸・ひたちなか地域とつくば・土浦地域が結びつく。県の2大経済圏がつながる」

「県の行政を担っていて思うのは、『つくばはつくば』『水戸は水戸』というふうに分断してしまっていること。両公共交通機関をつなぐことで、つくばの人も水戸でお酒を飲んで電車で帰るとか、逆に仕事で水戸の人がつくばに行くとか、往来や交流が増える。こういう効果が非常に高い。これは茨城県にとって大きい」

「そろそろ(県によるフェーズⅠ)調査が終わるので、これから政府や関係都県(東京、埼玉、千葉)に説明を始める。大事なのはタイミング。東京延伸と一緒に土浦延伸を決めてもらうことが大事。いまTXは秋葉原駅で止まっている。これを東京駅に延ばし(都が計画している)臨海地下鉄につなげば羽田空港まで行ける。そういう話が進んでいる。そのタイミング(国交省の交通政策審議会による東京延伸答申)で勝負をしようと思っている」

「東京延伸と一緒に土浦延伸を(審議会に)持ち出すことが勝利の秘訣(ひけつ)。(茨城)単独で土浦延伸だけをやると皆(東京、埼玉、千葉)乗ってこない。茨城だけのためなら自分でお金を出せと言われてしまう。東京延伸のタイミングで、茨城も東京延伸に賛成するから土浦延伸も一緒にやってくれと持っていくつもりだ」

国交省・交通政策審が勝負の場

1週間後の2月25日、茨城県は「TX延伸構想―県の事業計画素案」(2月26日付県HP)を公表しました。知事の県政報告を各種データで補強したものです。

タイトルは素案と控えめですが、東京駅延伸と土浦駅延伸をセットで進めることがいかに望ましいかを説明する内容になっています。ポイントは、一体整備の費用は3070億円だが27年で元が取れる(累積資金収支黒字転換)という試算に対し、土浦単独でも1320億円が必要で元を取るのに43年かかるという試算です。

分かりやすく言うと、一体整備ならば茨城の負担は767億円で済むのに(茨城、東京、千葉、埼玉で3070億円を均等負担すると仮定)、単独整備だと茨城だけで1320億円負担しなければならないという想定です。これでは一体延伸で勝負せざるを得ません。

素案では、土浦延伸について①開業目標は2045年②延長距離は10キロ③つくば~土浦間の駅は1つ④所要時間は9分⑤JR土浦への乗換時間は4分―などの概要を示し、その効果として①東京からの新たな人の流れを創出②つくばと水戸の2大経済圏の交流拡大③自動車に代わる公共交通サービスの向上④土浦延伸による茨城の一層の飛躍―が期待できるとしています。効果の②は知事による県政報告の肝でした。

延伸は大井川知事の政治案件

162「TX土浦駅接続計画…」(2023年7月18日掲載)では、土浦延伸実現に向けての県の作戦計画と知事の政治戦略を取り上げました。県の計画はフェースⅠ(たたき台作成)→フェーズⅡ(調整と磨き上げ)→フェーズⅢ(計画の総仕上げ)ですが、素案はフェーズⅠのひとつです。フェーズⅡは知事の3期目前半、フェーズⅢは3期目の後半(交通政策審で決定?)に重なります。

国交省の審議会で双方延伸を決めてもらうには知事の高度な政治工作が必要になるでしょう。TX土浦延伸は知事の政治案件でもあるわけです。(経済ジャーナリスト)