【コラム・原田博夫】第2次天安門事件(1989年6月)後の90年代初頭、鄧小平が外交・安全保障関係組織に発したとされる「24字戦略」(6つの四文字熟語)の中では、4番目の「韜光養晦」(とうこうようかい=力を隠して周りを油断させ、その間に力を蓄える)が人口に膾炙(かいしゃ)している。
それ以来、中国外交のこの基本路線は、江沢民、胡錦涛らの後継政権に引き継がれてきた、と私は見ていた。中国政治に疎いこともあり、「大国・礼節の国」中国の最高権力者には節度と余裕はあるのだと、その低姿勢ぶりに感心したものである。
ところが事態はそうは単純ではなく、この韜光養晦路線は、文字通り、一朝事ある時までの偽装だったようだ。事実、2008年の北京オリンピックの成功や、同年のリーマン・ショック後の世界経済低迷を中国経済が下支えしたことで、中国内の国粋主義的ナショナリズムが覚醒された。
2009年7月、日本に対中親和・対米離反の民主党政権が登場したとみるや、10年9月には、尖閣諸島周辺の領海で、中国漁船が海保巡視船に意図的に衝突する事案が発生した。尖閣諸島はその後、当時の石原都知事の購入宣言(12年4月)を受けて国有化された。そして同年11月には、胡錦濤国家主席が中国共産党第18回代表大会で「中国は海洋強国になる」と宣言するに至った。
こうした準備段階を経て、2013年3月に跡を継いだ習近平は、対外的には慎重な鄧小平路線をかなぐり捨て、中華思想満載の「中国の夢」の実現を掲げ、「一帯一路」戦略を進め、果ては「戦狼外交」を展開している。こうした攻撃的な外交スタイルは、3期目に入って政権基盤の固まった習近平体制になってから展開され始めたというより、中国の伝統的な対外発信のスタイルと見たほうがいい。
大戦中には宋美齢が反日演説
1933年2月に国際連盟からの脱退を表明した松岡洋右・主席全権(後に外相)のスピーチと、太平洋戦争中(1943年)に全米各地で演説した宋美齢(中華民国総統・蒋介石の夫人)のスピーチは、全く対照的である。ファナティックな松岡演説は当時の日本国民の多くには胸のすく思いだったようだが、対外的には日本の選択肢を狭め、外交的孤立(ナチス・ドイツとの運命共同体)をもたらした。
これ対して宋美齢演説は、対日批判を見事な英語で展開し、米国の対日批判感情を引き上げ、日本への圧力をさらに高める効果があった。その時点でのそれぞれの国内的な評価は双方とも同等かもしれないが、国際的なインパクトおよびその後の影響は比較にならない。
歴史と人材・知恵の宝庫、中国を相手にするときは、当面の対処だけではなく、中期的な視点と影響を見据えて取り組まなくてはならない、と自戒したい。(専修大学名誉教授)







































































