月曜日, 7月 6, 2026
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つくばサイエンス、初勝利ならず【高校野球茨城‘26】

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1回のピンチにマウンドに集まるつくばサイエンスの選手たち

第108回全国高校野球選手権茨城大会は2日目の5日、1回戦が行われた。笠間市民球場ではつくばサイエンスが石岡一と対戦、5回コールド0-25で敗れ、つくばサイエンスとしての初勝利にはならなかった。

5日第2試合 笠間市民球場
サイエンス 00000 0
石 岡 一 9754× 25

サイエンスは5つの失策が全て相手の得点につながり、流れを引き寄せることができず17安打を許し、毎回失点した。打線は石岡一先発の左右田陽翔から3安打を放つが点に繋がらず、初戦で敗退した。 

1回石ケ森勇璃がセンターにチーム初安打を放つ

サイエンスは1回2死後、石ケ森勇璃がセンターにはじき返すヒットを放ち、続く前田泰輝も内野安打で出塁し1、2塁とした。「初球の真っすぐを狙っていた。自分のスイングが出来て良かった」と石ケ森。しかし、続く関龍大が三振に倒れ、チャンスを逃した。

その裏石岡一は、サイエンスの守備の乱れや四死球、連打で大量9得点を挙げる。サイエンスは先発石ケ森から2番手関がマウンドに上がるが、石岡一の勢いを止めることが出来ず、2回には7失点。石岡一は3回にもサイエンス3番手の栗原宙大から5点を追加した。

2番手として登板した関龍大

サイエンスの佐藤将光監督は「試合前に相手が強いのは分かっていたので、ミスをしても結果が出なくても下を向かずにやって行こうとアドバイスをした。選手は一生懸命、最後まで諦めずに頑張れるチームだった。よく戦った。石岡一は投手がいいので、3安打打てたのは良かったし、チャンスもつくれた。その少ないチャンスをものにすることがチームとしての次の課題」と話し「3年生は人数が少ない中で、昨年の秋以降は連合チームで、4月から単独チームに戻って苦労しているので、そういう状況でも諦めずによく頑張ってくれた」と選手達を讃えた。

声援を送るつくばサイエンスの応援団

先発した石ケ森投手は「立ち上がりからランナーを出してしまってバックには迷惑をかけてしまった。変化球も直球も思ったようにいかなくて、制球は出来ていたと思うが、甘い球になると簡単に打たれてしまい、石岡一の打線が上手だったしレベルが高かった。3年間やってきてサイエンスとして新しい学校になり校歌も代わった。人数が足りず練習も満足に出来ない状態だったけど、最後までやりきれたことは誇りに思う」と満足げに語った。

前田康輝主将は「このような結果になってしまったけど強豪石岡一相手にチーム全員で最後まで諦めずに戦えて良かった。自分の力は発揮出来た。今後は3年生が抜けるので、部員が入らない限り連合になるけど、連合でも最後まで貫いて頑張って欲しい」と後輩たちにエールを送った。(高橋浩一)

試合終了後、スタンドにあいさつするつくばサイエンスの選手たち

土浦三、8回コールド発進【高校野球茨城’26】

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8回表土浦三無死満塁、倉田の適時二塁打で2者生還。写真は二走の田中凛太郎

第108回全国高校野球選手権茨城県大会は2日目の5日、1回戦が行われ、J:COMスタジアム土浦の第1試合で土浦三が牛久栄進と対戦した。土浦三は8-0のスコアで8回コールド勝ちを収めた。

5日第1試合、J:COMスタジアム土浦
土 浦 三 00001106 8
牛久栄進 00000000 0

土浦三が落ち着いて初戦の難所を乗り切った。竹内達郎監督は「苦しい展開だったが野手陣がしぶとく我慢し、バッテリーが力を合わせて無失点に抑えることができた」と選手たちを称えた。

2回裏牛久栄進2死一・三塁、三走を挟殺に仕留める土浦三

序盤は走者を出しながら、あと1本が出ない展開。初回は2死一・二塁から内野フライに倒れ、2回も2死一・二塁としたところで降雨により1時間21分の中断をはさみ、再開後にフライアウトになった。「相手の坂本くんは軟投派の投手。打ちあぐねることも考えられロースコアの展開を予想していた」と竹内監督。

土浦三の先発はエースの星加塁。「内野ゴロを打たせて取る自分のスタイルで最後まで押し切れた。今日は気合いが入って球威もあり、しっかり腕を振る意識で、過去最速の134キロを記録することができた」との振り返り。「昨年夏までは二遊間を守っていたが、肩の良さと器用さを買って秋から投手に抜擢。内野手ならではの体の横回転を使ったスローイングを生かし、サイドスローに挑戦させた」と竹内監督。

土浦三の先発投手、星加

野手陣も好守備で盛り立てた。2回裏の牛久栄進の攻撃では、1ヒット1エラーで2死一・三塁とされた場面でダブルスチールを仕掛けられた。まず一走が二塁を狙い、塁間に挟まれたところで三走が本塁を狙うという作戦だ。だが三走がハーフウェーでタイミングをうかがっている間に、一塁手が突如三塁へ送球し、相手の裏をかいて三走の挟殺を成功させた。

流れが大きく変わったのは5回の攻撃から。「浮足立つと上半身から突っ込むような打ち方になる。下半身をしっかり溜めて打ち込みに行こう」と竹内監督の指示。これに応えて先頭の8番・蓮田暖人が中前打、9番・倉田琉生が送りバントを決め、1番・浅倉陽向の中前打で1死一・三塁。ここで2番・小林蓮司が左前打を放って1点を先制した。「打ったのはアウトハイのまっすぐ。前の2人がつないでくれ、いいところでいい仕事ができた」と小林。

5回表土浦三1死一・三塁、小林の左前打で1点を先制

続く6回は代打の武田蒼東が内野安打で出塁し、蓮田の左翼線への三塁打で1点を追加。「前の打席のヒットでいい感触をつかんだ。インコースの緩い球をしっかり引き付けて打てた」と蓮田。

6回表土浦三2死二塁、蓮田が適時三塁打を放つ

8回、牛久栄進は先発の坂本をあきらめ救援投手3人を送り込むが、いずれもコントロールが定まらない。この回だけで満塁押し出しの4点と、倉田の適時2塁打による2点を加え、コールド勝ちが決まった。土浦三の2回戦は11日、ひたちなか市民球場の第2試合でBシードの鹿島学園と対戦する。(池田充雄)

高校野球茨城大会が開幕 92校84チームが入場行進

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入場行進する選手たち

第108回全国高校野球選手権茨城大会の開会式が4日、水戸市のノーブルホームスタジアム水戸で行われ、三つの連合チームを含む92校84チームが入場行進した。大会が順調に進めば、決勝は25日にノーブルホーム水戸で行われる。

午前9時、大洗高校マーチングバンド部「ブルーホークス」71人の演奏が鳴り響くと、スタンドからは大きな拍手と歓声が沸き起こった。最初に昨年の覇者明秀日立が入場、続いて春の県大会を制し今大会の優勝候補筆頭。土浦日大が入場した。土浦日大の吉田惺南主将は「夏の大会が始まりワクワク感、高揚感が湧いてきた。(昨年は初戦となった2回戦で敗退し)夏は勝てていないので悔しい思いをした。初戦からチャレンジャーとして戦い、県大会を圧勝してリベンジし、甲子園で日本一になりたい。」と抱負を語った。昨年に引き続き、各校の選手、マネージャーがプラカードを掲げた。

今大会優勝候補の土浦日大の選手たち

開会式で県高校野球連盟の深谷靖会長は「3年生にとっては仲間と共に歩んできた高校野球の集大成となる最後の戦い。仲間を信じ、自分を信じ、最後まで諦めず挑戦する姿、互いを敬い全力を尽くす姿、その一つ一つが多くの人々に勇気と感動を与える。高校野球は勝敗を競うだけのものではない。人を育て地域を元気にし日本の教育文化を支える大切な存在。今日まで皆さんを支えて下さったご家族、先生方、仲間、地域の方々に感謝の気持ちを胸に一戦一戦を戦ってほしい。この夏に育まれる友情や絆は一生の宝になる」とあいさつを述べ、「夢の聖地甲子園への挑戦が今日から始まる。一球に込める思い、一歩踏み出す勇気、その一瞬一瞬が皆様の道しるべになるはず。胸を張って最後まで自分の高校野球を貫いて下さい」と話した。

選手宣誓で勝田工の仁平晃祐主将は「私はこの2年半 慣れ親しんだグラウンドで白球を追い続けた。ユニホームを真っ黒にしながら己の限界に挑戦し、ひたむきに努力を重ね仲間と絆を深め合い切磋琢磨してきた。最近高校野球も変わりつつあるが、それでも一球入魂の精神は変わらず受け継がれ、全チームの全部員が全力でプレーし、自分たちの青春を背負って戦い抜く、それだけで高校野球の魅力を存分に伝えることが出来る。これまで支えて下さった全ての方々に感謝し、相手チームを敬い、正々堂々戦うことをここに誓います」と力強く宣言した。

選手宣誓をする勝田工の仁平晃祐主将

司会進行を務めたのは、共に野球部マネージャーで3年の日立一の小松愛心さんと東海の石井さくらさん。2人とも「緊張していたけどミスなく最後までやりきれてよかった」と安堵した様子。小松さんは高校球児たちに「夏は一番大きな大会で3年生は引退がかかっている大会。最後まで諦めずに一生懸命頑張ってほしい」とし、石井さんは「これまで共に練習してきた仲間との最後の時間を一瞬一瞬、一球一球を大切にしてほしい。」とエールを送った。

司会進行の東海高校の石井さくらさん(左)と日立一高の小松愛心さん

昨年夏の大会後に3年生約30人が引退し部員数が大幅に減少、今夏、15人で今大会に挑むつくば秀英の安藤翔ノ介主将は「部員数が少ないがコミニケーションがとれている。夏に標準を合わせきた。自分たちに出来る事を精一杯やり目の前の試合を一つ一つ勝って、つくば秀英の名に恥じないよう甲子園出場を目指す」と力を込めた。

茨城連合として出場する茎崎は部員数2人。土日は茨城東、総和工のグランドで練習を重ねてきた。茎崎の梅山昊(ごう)選手は「センターラインの守備は良くなってきていてる。バッティングに力を入れているのでヒットを打ってこれまで支えて下さった先生方にプレーで恩返ししたい」と話した。(高橋浩一)

人のために頑張る、目に見えない力がチーム支えている 土浦日大・小菅勲監督【高校野球展望’26】㊦

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小菅勲監督

高校野球強豪校の名監督インタビュー2人目は土浦日大。春の茨城大会を制し、春季関東大会では1勝を挙げ、続く準々決勝では強豪の関東一を相手に互角の戦い(3対4)を演じた。この夏、第1シードとして茨城の頂点を目指す小菅勲監督に、チームの現状、投手陣の陣容、そして甲子園という舞台へ向かう姿勢について、率直な思いをうかがった。

春からさらにワンランクアップ

―まず、今年のチームの仕上がり具合については、現時点でどのように評価されていますか。

小菅 非常に自信となった春でした。その春からもさらにワンランクアップしようということで、この6月を過ごしてきました。力強さは間違いなく増しています。夏は体力勝負ですので、かなりハードなトレーニング、特にフィジカル面の強化を重点的に行ってきました。選手もそれに一生懸命ついてきてくれましたので、必ずこの夏、その成果が出るだろうと期待しています。

何よりも、ピッチャー陣が安定してきたことが最大の強みです。打線は調子の波があるため読めない部分も多いのですが、投手が安定していることは勝利のベースとして非常に大きいです。

―県内の高校野球ファンの間でも、プロ注目の小池陽斗投手をはじめとした土浦日大の今年の投手陣は盤石だと評判です。具体的な顔ぶれを教えてください。

小菅 右の本格派である小池と島悠希、そして左の板橋悠希。あとは、2年生左腕の園山祐平も台頭してくるでしょう。この陣容には信頼を置いています。

6月は課題に徹底的に向き合った

―春の大会を振り返って、課題や収穫はどんな点にありましたか?

小菅 まず優勝を目標に掲げて、それを達成できたことが最大の収穫です。やはり目標は言葉に出して掲げることに意味があります。選手たちが持てる力を存分に発揮できたということが、何よりの結果でした。

一方で課題は、走攻守全てにおいて細かいミスがまだ見られる点です。特に関東大会を経て、それを痛感しました。効率的な連打が出ない中でも、いかに得点力を上げていくか。6月はこの課題と徹底的に向き合ってきました。ランナーを動かす作戦や、右打ち、バントを確実に決めること。これらは野球の土台です。ただ打つだけではなく、どうやって得点力を高めるかという戦略を磨いてきました。

―春の試合を拝見して、簡単にバントをしない印象を受けました。

小菅 それは私の中で、場面ありきというより、人ありきだからです。できる者に、できることをやらせる。それを重要視しているだけで、無理にセオリーに縛られる必要はないと考えています。

甲子園4強の代と、実力遜色ない

―チームの戦力層についてはいかがでしょうか。

小菅 チームの成熟度に関しては、3年前の甲子園4強入りした代と比べても、持っている実力そのものは遜色ないレベルにあると感じています。大舞台を経験した代と同様に、今のチームにも大会を通じて急激に成長していく素養は十分に備わっています。

―選手の役割分担や、控えの存在について教えてください。

小菅 うちはベンチウォーマー(控え)ではなく「ベンチスターター」と呼んでいます。試合の中盤以降に出て、流れを変えたり、勝利を確実なものにしたりする存在です。6月はレギュラー争いも活発で、春よりも戦力層が確実に厚くなっています。彼らがケースバイケースで役割を果たすことで、夏を通じてさらなる成長を見せてくれると確信しています。

井上記録員を甲子園のベンチに

―チーム全体の士気や雰囲気はいかがでしょうか?

小菅 士気は非常に高まっています。「春の優勝は過去のもの。夏は夏で、このメンバーで初めて目指す優勝なんだ」と選手たちには言い聞かせています。第1シードだからといって守りに入るのではなく、チャレンジャー精神で意気揚々と臨む雰囲気です。

―チームの強みや武器はどこにありますか?

小菅 練習の量と質への自信、そして何よりチームワークです。今年の3年生は特に仲が良い。試合後にベンチ入りメンバーとスタンド応援組が一緒になって喜び合う姿を見ても、今まで見たことがないほどです。

そして、記録員の井上という生徒の存在が大きいです。彼は昨年、悪性リンパ腫という大きな病気と闘い、1年間の療養生活を経て今年戻ってきました。4月にベンチ入りしてから、チームの中で「井上を甲子園のベンチに座らせてやろう」というスローガンが自然と生まれました。人のために頑張れる、そんな目に見えない力がチームを支えています。

キーマンは投の小池と打の吉田

―注目すべき選手、あるいはキーマンを教えてください。

小菅 あえて言うなら、投の小池と打の吉田惺南です。特にエースの小池が先発であれ抑えであれ、相手打線をしっかり抑えることが勝ちへの最大のポイントです。4番を打つ吉田も当然警戒されますが、その前後を打つ打者がどうつなぐか。彼らが中心となって機能することが鍵です。

―キャプテンとしての吉田選手はいかがですか?

小菅 声が出ますし、クレバーな部分もある。何よりチーム愛が強く、甲子園に出るのにふさわしいキャプテンです。過去の代と比較するのではなく、「自分たちで指標を決める」という姿勢を自ら持てる点は大変素晴らしい。

甲子園を見て入ってきた世代

―「甲子園を見て入ってきた世代」と言われますが、彼らへの思いは?

小菅 周囲からはそう言われますが、青春時代のチャンスをつかみ取ろうとする思いは毎年同じです。ただ、春に成果を出してくれたことで、「甲子園に行くのにふさわしいメンバーだ」という確信はより強まりました。「甲子園に出場する」ことにこだわりすぎるのではなく、「仲間と最後までやりきる」こと、その延長線上に結果があると伝えています。

7回制は議論のすり替え

―DH(指名打者)制導入の影響についてどうお考えですか?

小菅 現場では大歓迎です。打線の切れ目がなくなり、守備に不安があっても打撃でアピールできるチャンスが生まれる。相手ピッチャーによって左右のDHを準備しておき、試合展開によっては走塁とバントのスペシャリストも必要になってくる。その分、選手の出場機会が増えるので、選手のやる気を引き出す好影響しかありません。

―一方で7回制については?

小菅 個人的には反対です。野球の妙味が損なわれます。試合時間短縮の議論が「7回制」にすり替わっていると感じます。本来の問題は炎天下にあるはずなので、ナイター設備や開催時期の見直しなど、他に解決策はあるはずです。

応援に応え感動を与える

―最後に、応援してくださっている皆様へ一言お願いします。

小菅 最近は球場に足を運んでくださる方が増えていると感じます。高校野球は若者が青春を賭けて挑む舞台です。温かい目で見守っていただければ幸いです。また、OB会をはじめ関係者の皆様の支えには感謝しかありません。選手たちには「皆さんからの応援に応えること、感動を与えることが大事な要素だ」と伝えています。皆様と共に、この夏、甲子園を目指して努力を続けていきます。

【取材後記】小菅監督の言葉から強く感じられたのは、このチームが持つ「温かい結束力」だ。特に、闘病生活を経て復帰した記録員を「甲子園のベンチへ」という全員の共通目標が、技術以上の強い一体感を生んでいる。技術や戦術の緻密さだけでなく、こうした「人のために」という純粋な思いが、土浦日大の底力となっていると感じた。第一シードとして迎えるこの夏、彼らがどのようなドラマを見せてくれるのか、今から期待で胸が高まる。(伊達康)

終わり

※毎年、高校野球3強監督インタビューを掲載していますが、本年は諸般の事情により霞ケ浦高校 髙橋祐二監督のインタビューを見送らせていただきました。

「推し活」は認知症を予防するか?《看取り医者は見た!》53

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写真構成は筆者

【コラム・平野国美】訪問診療で訪れたお宅のドアを開けると、高齢の女性患者さんのベッド脇の壁に、若手俳優の等身大ポスターが貼られていることが増えてきました。部屋には、応援グッズやキャラクター商品が並び、まさに「推し活」の真っ最中なのです。

診察中も「先生、この間のテレビ見た?」と、まるで少女のように目を輝かせて語ってくださいました。その生き生きとした表情を見て、私は深く合掌したいような温かい気持ちになると同時に、医師としてある仮説を抱きました。「推し活」は生活に彩りを添えるどころか、認知症を予防するのではないか?

「ワクワク」で分泌するドーパミン

ある方は、数カ月前までは真逆の状態にありました。ベッドの脇に腰掛け、テレビを見るでもなく、ぼんやりと一点を見つめ、声を掛けても視線がゆっくり動くだけ。医学の世界で「アパシー(意欲低下)」と呼ばれる独特の無気力な表情で、認知機能の低下が進みかねない危うい局面にいたのです。

しかし朝のワイドショーで、ある1人のアイドルを見かけてから彼女の生活は一変しました。

前回(6月6日付)、現役引退や環境の喪失によって社会での役割が途切れると、脳への刺激が失われ、認知症のリスクが加速するというお話をしました。そのとき、脳の内部で枯渇しているのが「ドーパミン」という神経伝達物質です。

ドーパミンは、私たちがワクワクしたりするときに分泌されます。興味深いことにこの物質は「目標を達成したとき」よりも、「これから楽しいことが始まるぞ!」という期待の段階で多く分泌されるのです。明日への小さな楽しみやときめきこそが、脳を若々しく保つ原動力になります。

「明日やらねばならないこと」がなくなると、脳内はドーパミン不足に陥り、アパシーを引き起こします。アパシーは単なる怠けではなく、脳のスイッチがオフになった危険なサインです。放っておけば、脳の神経細胞は刺激を失い、ドミノ倒しのように認知症を進行させます。

この脳内ドミノを食い止める最高の特効薬こそ、彼女たちが夢中になっている「推し活」なのです。これは若い世代だけのブームと思われがちですが、実は今、高齢女子の皆さんの間でも多く見られる現代的な現象です。

見返りを求めない純粋なトキメキ

推しができた瞬間、彼女の日常には「次の番組を見るためにリハビリを頑張ろう」「今度のコンサートには明るい色の服を着て出かけよう」という、明日へのワクワクする予測と行動が自動的に組み込まれました。この見返りを求めない純粋なトキメキが、枯渇しかけていた脳内ドーパミンを劇的に呼び覚ましたのです。

リハビリもすっかりやる気になり、いつかファンの交流会に出かけたいのだと、うれしそうに目標を語ってくださいました。(訪問診療医師)

中軸不在、伝統の小技と走塁極める 常総学院・島田監督【高校野球展望’26】㊤

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島田直也監督

第108回全国高校野球選手権茨城大会が7月4日開幕する。今年も、強豪の常総学院と土浦日大の名監督にインタビューした。先頭を飾るのは、茨城県の名門・常総学院高校野球部。長年、県下をけん引してきた同校において、今、指揮官の島田直也監督は「未知の可能性」を秘めたチームと向き合っている。春の県大会では、強豪・土浦日大の前に屈したものの、監督の眼差しは悲観的ではない。中軸不在という課題を抱えながらも、なぜチームは強くなれるのか。投手陣の育成から、現代野球の是非を問うDH(指名打者)制、7回制の議論まで、島田監督の率直な言葉から「常総野球」の現在地をひも解く。

チャレンジャーとして挑む

―まず、春の大会を終え、チームの仕上がりをどう見ていますか。

島田 正直に言えば、過去2年と比べると戦力は劣ります。だからこそ、常に「チャレンジャー」の意識で戦う必要がある。春の反省点は、勝負どころでの得点力不足です。実戦になると練習通りのプレーができないもろさがある。特に投手陣は、「抑えなければならない」という重圧にさいなまれ、ストライク先行の投球ができていない。守備陣が間延びしてしまう悪循環をいかに断ち切るかが、夏の最大のテーマです。

―過去2年間とは異なる戦い方が求められそうですね。

島田 そうですね。チームに絶対的な中軸打者がいない。だからこそ、本校の伝統である小技と走塁を極めるしかないんです。これに尽きます。ただ、それが完遂できる時とできない時の波が激しい。夏に向けて、これら基本動作の徹底が勝敗を分けるでしょう。

「常総のエース」という重圧に負けてる

―投手陣の課題や、個々の選手の見立てはいかがでしょうか。

島田 自分自身が投手出身なので、投手には人一倍の思いがあります。しかし今の投手たちは「常総学院のエース」というプレッシャーに負けている印象です。「俺が抑えてやる」という強気な姿勢よりも、「抑えなければならない」という受け身の心理が働き、リズムを崩してしまっている。橋元大雅のような高いポテンシャルを持つ選手もいますが、実戦で投げてみないと分からないもろさがあり、現時点では軸として任せきれないのが実情です。

―チーム全体をまとめる存在として、誰に期待していますか?

島田 現時点では、キャプテンの水口煌太朗を筆頭にチームを鼓舞しようとする姿勢は見られます。ただ、チームがまとまっているのか、それともギクシャクしているのか、実は私にもまだ分からないんです。特徴がないと言えばそれまでですが、裏を返せば、一人ひとりが役割を理解して一つにまとまった時、去年、一昨年のポテンシャル重視のチーム以上の力を発揮できるのではないか、という期待も抱いています。

究極の決断―メンバー選考の苦悩

―ベンチ入りメンバーを決める際、何を最も重視されていますか。

島田 そこが毎年一番悩むところです。練習内容を日々注視し、「今のチーム状況なら、この場面でこの選手が必要だ」というピースを埋めていく作業です。守備固めや大事な局面でのバント、走塁など、特化した能力を持つ選手であれば当然ベンチに入る可能性があります。

打つだけであれば、仮に4打席4本塁打打てば別ですが、それ以外は確実性が全てです。打てなかったら終わり、という選手をベンチにはおけません。打撃一辺倒ではなく、チームの勝利にどう貢献できるかという役割を全うできるかを見ています。二番手以降の選手がレギュラーを脅かす競争を生み出せるか。そこがこの夏に、チームの真価を問う鍵になるはずです。

君たちが歴史をつくればいい

―常総は夏の甲子園出場から10年遠ざかっています。監督就任から5年、夏の甲子園への思いを聞かせてください。

島田 本校が夏の甲子園に出場することに対して、周囲の期待の大きさを常に感じています。私自身、就任してから春の選抜には二度出場させてもらっていますが、「常総が甲子園に行っている印象がない」と言われてしまいます。それだけ、夏の甲子園が特別だということですよね。

でも何年遠ざかっているかは今の選手には関係のないことであり、選手には「君たちがまた歴史をつくればいい」と常に伝えています。過去の伝統に縛られる必要はない。プレッシャーはすべて監督である私が背負う。選手には、自分たちが新しい歴史をつくるという責任を、前向きな自信に変えて欲しいと思っています。最後は笑って終われる夏にするために、その準備をするのが私の使命だと感じています。

コロナ禍で「一人で完結」に偏ったか

―近年、集まってくる選手たちの傾向に変化はありますか。

島田 以前に比べ、打撃には自信があるものの、守備や走塁をおろそかにする選手が増えてきたと感じます。コロナ禍で満足に集団練習ができない期間が長く、打撃練習のような「自分一人で完結できる練習」に偏ってしまった影響かもしれません。野球は9人でやるものです。守備やキャッチボールのように相手との対話が必要な技術を磨かなければ、本当の意味でのチームにはなれない。今の選手には、打つこと以外でも貢献できる技術を身につける重要性を繰り返し伝えています。

7回制移行には明確に反対

―春から導入されたDH制や、7回制への移行議論についてどう見ていますか

島田 DH制についてはメリット・デメリットの両面があります。打撃特化型の選手にチャンスが広がる点は良いですが、一方で代走や守備固めといった戦術的な手駒がより多く必要になります。

また、7回制移行には明確に反対です。9イニングという長い物語の中で起こるドラマこそが高校野球の魅力。現場の指導者や選手たちの声を無視して決めるべきではないと感じています。

選手たちへ「強さ」から「チームの力」へ

―夏の大会に向けた展望と、選手への思いを教えてください。

島田 組み合わせ云々よりも、とにかく、目の前の試合を一つずつ集中してやり切ること。それだけです。常総学院という過去の歴史が、選手たちに過度なプレッシャーをかけている側面もあるかもしれません。しかし私が選手に求めるのは、今この瞬間のプレーに魂を込めることです。

練習で培った小技や走塁は、決して裏切りません。個々の能力が未完成でも、チームとしての決まり事を徹底し、全員が同じ方向を向いた時、このチームは大きな化学反応を起こすと信じています。どんな苦しい展開になろうとも、選手一人ひとりが自分の役割を全うし、グラウンドで躍動する姿を期待しています。この夏、彼らが自分たちの力で新しい常総学院の野球を証明してくれることを願っています。

まずは自分たちの野球をやり切ることです。常総学院という看板がある以上、周囲からの期待もプレッシャーも大きい。しかし、過去の伝統をなぞる必要はない。選手には、ただ目の前のプレーに没頭し、最後は笑って終われる夏にしてほしいですね。

力発揮できるよう熱い応援を

―最後に、応援してくださっている皆様へ一言お願いします。

島田 常総学院という看板がある以上、大会では常に注目を集める存在です。多くの方々が期待を寄せ、時には厳しい視線を送ってくださることも承知しています。その期待に応えることこそが、私の使命だと思っています。

選手たちは、OBや地域の皆様の温かい応援を背に受けて戦っています。どうか、彼らが持てる力を発揮できるよう、変わらぬ熱い応援をお願いします。

【取材後記】インタビューを通じて感じたのは、島田監督の「厳しさと慈愛」のバランスだ。中軸不在と評し、選手の個々の未熟さを指摘する言葉の裏には、夏までに何とかして一つにまとめ上げたいという熱い指揮官としての思いがあった。打撃を「水物」と割り切り、小技と守備という「野球の根幹」を強調するスタイルは、伝統ある常総学院が再び甲子園の頂点を目指すための最短ルートなのかもしれない。10年ぶりの選手権大会出場へ。選手たちが監督の信頼に応え、勝利の扉を力強くこじ開けてくれることを期待したい。(伊達康)

バイシクル・ダイアリーズ ⑶《ことばのおはなし》94

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】前回記事では、譲り受けたロードバイクで筑波山に登ってみることを思いついたところまで書いた。そして、この記事を書いている今、私はひとり佐賀県のホテルに輪行袋に入ったロードバイクと共に宿泊している。執筆ペースが現実に追いついていないので意味がわからないと思うが、私自身もどうしてこうなったのかよくわかっていない。このおはなしはまたいつかということで、話を戻そう。

筑波山をロードバイクで登ってみようと思いついたのはよいものの、いきなり山道をロードバイクで駆け上がる自分の姿は全くイメージできない。なんなら家の近くの洞峰公園を走るだけでも腕が疲労でしびれてしまう(ロードバイクはコツをつかむまで脚以外にもさまざまな部位に負担がかかるのだ)始末である。

そこで、以前より計画していた那須への家族旅行にロードバイクを連れていくことにした。ロードバイクは比較的簡単にタイヤを外して小さくできるはずなのだが、そのときの私にはタイヤを外すような技術はなかったので、車の後ろの座席を倒してそのままつっこみ出発した。

那須に到着した次の日。ショルダーバッグにカメラを詰め込み、朝からさっそく宿泊地の近所で爽やかなサイクリングを楽しんでいたのだが、地図を見ていると以前家族で行ったことのある那須どうぶつ王国まで20キロの距離であることに気が付いた。往復40キロならちょうどよいトレーニングではなかろうか?

出発前日に買ったばかりのサイコン(GPSで走行した道や速度、標高などを記録しておける機器)の電源を入れて私は走り出した。

全然、前に進まない…

ロードバイクという乗り物は始めたばかりの初心者でも、時速20キロくらいは楽に出せる乗り物だ。これなら2時間程度で戻ってこられるかもしれない。天気は快晴で涼しさが心地よい。最高の気分で10キロほど走ったあたりで、私は異変に気が付いた。全然前に進まないのである。タイヤのパンクか?と降りて確かめるも、どこにも異常はない。

もう一度バイクにまたがってペダルを踏みこんでみるが、やはりペダルが重い。そしてようやく異変の原因に気が付いた。道がわずかに傾斜しているのだ。

徒歩や車では気にならない程度の坂道が、バイクでは明らかな負荷となるらしい。もしかして、ここから10キロずっと登坂? 以前、どうぶつ王国に行ったときは車だったので、どんな道だったのか全く記憶がない。いやしかし、行きが登りなら帰りは下りだ。頑張ればなんとかなるだろう、と軽い気持ちで再び走り出した私はその後、人生初のヒルクライムに挑戦することになる。(言語研究者)

「友達が少ない」は悪口になるか?《続・気軽にSOS》173

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【コラム・浅井和幸】「だから、お前は友達が少ないんだよ」が悪口になるかと聞かれたら、私は「悪口として成立することが多いでしょうね」と答えます。どうして悪口になるかというと、一般的に「友達が多いことがよい」という価値観が優勢だからです。その上で、「友達が少ないのはコミュニケーションや人間性に悪いところがある」と補足します。

「悪口として成立することが多い」と表現しましが、いつでもどこでも悪口になるとは限らない」と思うからです。友達が少ないことのメリットを知っている相手には、悪口としての意味を持たないからです。

友達が少ないことのメリットとは何でしょう? お金や時間を自分のために使える、人間関係でのストレスが比較的少ない―などが挙げられるでしょう。それらによって、自分自身の決断力や思考力が向上し、より深い人間関係が築けるかもしれません。

私が言いたいのは、「一般的」とか「普通」といった価値観での悪口に振り回されず、それぞれの方の価値観や目的を大切にしようということです。

「浅井って変なやつ」は褒め言葉

私たちは社会的な生き物なので、どうしても多数と思われる価値観に引きずられます。自分が目指していること、面白いあるいは素晴らしいと思うこととは別の方向に向かってしまいやすいものです。

場合によっては、自分自身のために望まないこともする必要もあるでしょう。でも、それと自分の目的ではない方向に進むことは、まったく別ものです。今すぐ答えを出さなくてもよいので、自分が向かいたい方向を考えてください。

今すぐ答えを出す必要もないし、もし答えが出たとしても、その答えに縛られる必要もありません。自分が望むように変更すればよいのです。見つからなければ、いろいろ試してみればよいです。

私は楽しい人生を目的に生きていますが、皆さんも何か見つかるとよいいですね。「浅井って変なやつ、変わったやつだよね」といった言葉は、私にとって褒め言葉です。(精神保健福祉士)

医療福祉の専門学校と専門職大学を経営する戸谷さん【キーパーソン】

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戸谷聰子さん

戸谷聰子さん(79)が理事長をしている学校法人筑波学園(土浦市湖北)が経営するアール医療専門職大学とアール医療福祉専門学校は、土浦市内を流れる新川のほとりにある。校舎の近くを車で通るたび、校名のアールとは何なのだろうと思っていた。そこで両校の成り立ちを聞きに行ったところ、スクラップ(廃止)&ビルド(新設)を繰り返して今の形になったことも分かった。

設立2年後に引き継ぐ

アール医療専門職大学には、理学療法学科と作業療法学科がある。いずれも、大病院などでリハビリテーションの仕事に就く専門職を養成する学科だ。また、アール医療福祉専門学校は、看護学科(看護師の養成)、介護福祉学科(介護福祉士の養成)、日本語学科(留学生の日本語習得支援)、総合ビジネス学科(各種仕事の基礎を教育)で構成されている。

1985年、税理士だった夫が情報ビジネス専門学校を設立したのが筑波学園のスタートだった。ところが、学校設立から2年後に死去。妻の戸谷さんが学園運営を引き継ぎ、それから40年近く、理事長を務めてきた。この間、世の流れを鋭く読み、学校や学科のスクラップとビルドを進めた。機を見るに敏な経営者だ。

新川畔の複数校舎

機敏なスクラップ&ビルド

「最初の情報ビジネス学校には約800人入ったが、1995年後ごろから減り始めた。そこで、2000年から介護保険が始まることを知り、1998年に福祉専門学校を設立し、介護福祉学科を設置した」「そのうち、大病院のリハビリ専門職が不足していると聞き、2001年に理学療法と作業療法を教える2学科を設けた」「さらに、2017年に専門職大学法が成立したことを受け、2022年に同法に基づく専門職大学を設立し、専門学校のリハビリ2学科を専門職大学に移行した」

新しい制度(介護保険、専門職大学)に機敏に反応、職業ニーズ(介護職、リハビリ職)にうまく対応するビルドと言える。スクラップの方はどうか? 創業の情報ビジネス専門学校を2021年に廃止し、まだニーズがある学科は医療福祉専門学校に移管した。2025年には、「IT化によって病院受付と医療事務員の採用が減る」と読み、専門学校の医療事務学科の学生募集を止めた。

Rをカタカナにした校名に変更

校名にアールを付けた理由が面白い。「市内には、土浦情報経理…とか、筑波研究学園…といった名称の専門学校がある。私のところ(創業時は筑波情報ビジネス専門学校)をPRするために高校を訪れると、他の専門学校と区別できないと言われた。そこで、うちの学校をよく覚えてもらおうと、1998年、アルファベットのRをカタカナにし、アイウエオのアで始まる校名に変えた。外国資本でも入ったの?と聞かれたけれど…(笑い)」

Rのイメージについて、ホームページには「『アール』は曲線・曲面を意味し、様々な生命を抱く地球の丸さを連想させます。『アール』には、地球上で、やさしい心でひとつにつながりながら、人々に貢献してゆける人材を育てたいという願いが込められています」と記載されている。

【とや・としこ】1969年、明治大学政治経済学部卒、光村印刷(東証上場会社)入社。71年に同社を退職し、夫が経営する戸谷税務会計事務所(土浦市)の仕事を手伝う。夫の死去に伴い、1987年から学校法人筑波学園理事長。1946年、常陸太田市生まれ。高校卒業後、父のサツマ芋事業の関係で土浦市に転居。土浦市在住。

【インタビュー後記】専門職大学開学から4年たち、今年から文科省の補助金が支給される。これで専門職大学は完全に軌道に乗る。次のビルドを聞くと、学校法人の蓄えの一部を基金にし、財団法人の設立を考えているという。その事業は①子どものスポーツ振興②地域緑化の手伝い③苦学生への奨学金支給―など。NPOメディアの運営者として、戸谷さんの新たな挑戦を見守りたい。(経済ジャーナリスト、坂本栄)

 

日本の「安全の父」蒲生俊文《安全の窓》1

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安全週間のイメージ(AIで筆者が作成)
佐々木哲美さんのイラスト(AIで作成)

【コラム・佐々木哲美】日本では毎年7月1~7日が「全国安全週間」に設定され、今年で99回目を迎えます。私たちが職場で当たり前のように行っている「KY(危険予知)活動」「ヒヤリハット」「リスクアセスメント」「安全教育」などは、100年以上前に1人の技術者が抱いた疑問から始まりました。その人物は「日本の安全の父」と呼ばれる蒲生俊文(がもう としふみ、1883~1966) です。

なぜ同じ事故が繰り返されるのか

1910年代の工場は、今では考えられないほど危険な環境でした。機械にカバーはなく、作業手順も統一されていません。事故が起きても「運が悪かった」で片づけられた時代です。東京電気(後の東芝)で働いていた若い技術者・蒲生は、毎日のように起きる事故を見て、「なぜ同じ事故が繰り返されるのか」と強い疑問を抱きました。この問いが、日本の安全文化の出発点になりました。

1914年、東京電気で、日本初の本格的な安全運動が始まります。蒲生は事故を記録・分析し、傾向をつかむという当時としては画期的な方法を導入しました。「事故は偶然ではなく必然であり、必然なら防げる」という彼の考え方は、現代の安全工学そのものです。危険箇所の改善、作業方法の統一、安全掲示、安全教育など、今につながる取り組みを次々と形にしました。

その後、蒲生は企業の枠を超え、1917年に「安全第一協会」の設立に関わります。後の中央労働災害防止協会(中災防)の源流となる団体で、蒲生は機関誌「安全第一」を通じて安全思想を全国に広めました。さらに、1920年代以降の官製安全運動にも知見を提供し、制度づくりにも影響を与えました。

度ではなく「人」で安全を語れ

一方、アメリカのUSスチールでは、トップのエルバート・H・ゲイリー(1846-1927)が「Safety First(安全第一)」を掲げ、安全文化を社会に広げました。ゲイリーが世界的に知られているのに対し、蒲生が日本でさえ知られていないのは、日本の安全史が制度中心で語られ、人物が表に出にくい文化にあると思います。安全活動が企業内の改善にとどまり、物語として語られなかったことも、若手が安全に誇りを持ちにくい理由の一つです。

黎明(れいめい)期には他にも小田川全之、内田嘉吉、戦後には三村起一など人物がいましたが、いずれも広く知られてはいません。本来、安全の歴史は制度ではなく、「人」で語られるべきものです。現場で考え、行動し、仲間を巻き込み、社会に広げた人々の物語こそ、安全文化の根を育てます。

日本の安全は、1人の技術者が「このままでいいのか」と問い続けたところから始まりました。その最初の火をともしたのが、蒲生俊文です。(労働安全コンサルタント)

【ささき・てつみ】盛岡工高卒。中堅ゼネコンに入社し、千葉県、茨城県を中心に29年間、土木工事の現場、アグリプロジェクトを担当。定年前7年間は安全担当。土浦市の区画整理事業を担当したことをきっかけに、1991年に土浦市へ移住。そこで「NPO宍塚の自然と歴史の会」と出会い、30年以上、同会の活動に参加。土浦労働安全コンサルタント事務所代表。2023年まで暮らした土浦市が第2の故郷。現在は東京都昭島市在住。1952年生まれ、盛岡市出身。

長屋門と暮らし《デザインを考える》33

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Gさんの長屋門(筆者撮影)

【コラム・三橋俊雄】私たちは歴史的な建物を見るとき、その形や古さ、造りの美しさに目を向けがちです。もちろんそれらは大切な価値ですが、私たちが守り、受け継いでいくべきものは建物だけではありません。そこに人が住み、働き、家族を育み、地域の人々と交わりながら積み重ねてきた暮らしの記憶こそ、大切な財産ではないでしょうか。

つくば市には、現在200門を超える長屋門が残っています。建築の視点からの調査は進み、構造や年代、意匠の特徴は明らかになってきました。しかし、その長屋門の内側で営まれてきた「暮らし」や「生活文化」については、まだ十分に語られていません。

長屋門は単なる建築物ではなく、農家の仕事場であり、地域の人々が行き交う交流の場であり、家族の暮らしを守る境界でもありました。門の奥には農具の音や馬のいななき、子どもたちの笑い声が響き、冠婚葬祭の出入り口として、地域の記憶もまた長屋門を通って刻まれていきました。

今こそ、私たちに求められるのは、建築物としての価値だけでなく、長屋門を中心に広がっていた生活の風景を掘り起こす調査ではないでしょうか。

生きた文化財

筆者が行った、長屋門(写真左上、右上は主屋)の主人であるG氏の生き方に関する調査は、長屋門を単なる出入口ではなく、農作業、家族の営み、地域の往来が交差する生活の舞台として捉えるものでした。その門をくぐる人々の姿や交わされる言葉、季節ごとの農作業のリズムまでを含めてこそ、長屋門を「生きた文化財」として捉えることができると思います。

長屋門の東側の部屋では、餅つきや醬油(しょうゆ)搾り、味噌(みそ)造り、たくあんや白菜などの漬物づくりが行われていました。一方、西側の部屋は大豆や落花生の倉庫として用いられていました。西側の最も大きな部屋(写真左下)には農機具が収納され、さらに製茶用に土で固めた焙炉(ほいろ:下で火をたき、その上で蒸した茶葉をもみながら乾燥させる装置)も備えられていました。村には必ず一人、手もみ製茶(揉捻:じゅうねん)を担う人がいて、G家もその人に製茶を依頼していたそうです。

また、1943(昭和18)年の金属類回収令により、居宅の鉄格子や刀剣数十振りとともに、長屋門の門扉に付けられていた「乳金物(ちちかなもの)」や「入八双(いりはっそう:魚尾形の飾り金物)」(写真右下)の装飾金具も、すべて供出させられたとのことでした。

暮らしのデザイン

G氏の生き方をたどることは、彼女が長屋門とどのように向き合い、そこにどんな価値を見いだしてきたのかを明らかにする営みでもあります。農作業の段取り、家族の役割分担、地域とのつながり、そして門を守るという誇り。そうした一つひとつの行為の積み重ねが、長屋門を中心とした生活文化を形づけてきたのです。

筆者の調査は、建物そのものを測るだけでは見えてこない「暮らしのデザイン」を掘り起こす作業でした。長屋門の先に広がる、つくばの歴史を受け継ぐための大切な視点がそこにあると思います。(ソーシャルデザイナー)

土浦の花火100年の紡ぎ⑹《見上げてごらん!》53

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土浦の花火オフィシャルカレンダー2026の表紙と6月の暦

【コラム・小泉裕司】観客動員数の推移について、「土浦の花火オフィシャルカレンダー2026」の6月のページには、「第14回(1946年)の35万人(当時人口の約7倍)から順調に増加し、第77回(2008年)には過去最多の80万人を記録した。当時は土浦駅に入場規制がかかるほどの混雑ぶりだった。その後は70万人ほどで推移している」とある。

2025年(第94回大会)の観客動員数は65万人。この数字の変遷は、大会が歩んできた発展の歴史そのものといえる。こうした発展の裏には、これまであまり功績を紹介されてこなかった業界の著名人がいる。

東大卒の花火師が土浦に

東京帝国大学文学部を卒業した花火師、武藤輝彦氏(1921~2002)は、日本の近代花火を語る上で欠かせない先駆者の1人だ。前回(5月17日掲載)紹介した通り、武藤氏は、かつて「土浦火工」とともに、土浦の花火産業の両輪を担った「昭和火工」の専務として、北島義一氏と共同経営にあたっていた。

その工場は土浦市上高津にあり、玩具(がんぐ)花火を幅広く取り扱いながら、東京浅草橋の事務所を拠点に全国へ営業を展開していたのである。

花火史に残る武藤氏の功績

昭和火工の再興から5年後の1961年、花火を文化財の対象にすべく「日本煙火芸術協会」が設立されると、武藤氏は事務局長に就任した。その事務局は、浅草橋の昭和火工事務所内に同居する形でスタートしている。大学卒業後にさまざまな職を歴任したという彼の多様な経験と広い視野が、この精力的な活動を支えたに違いない。

翌1962年には、花火の安全保安に寄与するため、北島氏とともに「日本煙火協会」の設立にも専務理事として深く携わった。花火師として35年余のキャリアを誇る一方で、武藤氏は生来の文才を生かし、日本の花火を「知」として編み上げた人物でもある。『ドン!と花火だ』や『日本の花火のあゆみ』といった多くの著書がそれを物語る。

かつて、土浦市立博物館が「花火を歴史としては捉えてこなかった」と省みたように、煙火業界において花火はそれまで「門外不出の秘伝や口伝が多く、学術的記録にしにくい芸術」とされてきた。それを丹念に文章化し、歴史、技術、文化を後世に書き残した功績は極めて偉大だ。

花火は安全が絶対条件

武藤氏の歩みは、土浦の地にとどまらない。後に、北海道で廃業の危機にあった火工品会社の経営再建を引き受け、1976年には「海洋化研」(札幌市)を起業した。同社は1978年に初めて第47回土浦全国花火競技大会に出品し、今や常連だ。武藤氏の没後も、北海道唯一の業者として創造花火の部に出品し、今なお土浦の夜空を彩り続けている。

土浦の花火史に大きな足跡を残した武藤氏のモットーは「花火は、安全が絶対条件」であった。それは、北島氏が掲げた「安全なくして花火の発展なし」という信念と、まさに響き合うものだったに違いない。本日はこれにて打ち留めー! (花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<参考文献>
「日本煙火協会参拾年史」(日本煙火協会、1993年刊)
「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)
「新訂現代日本人名録2002」(紀伊國屋書店、2002年刊)
「花火と土浦」(土浦市、2018年)
「HaNaBi 第4部」(朝日新聞秋田版、2024年6月20~22日)

梅仕事《宍塚の里山》137

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写真は筆者

【コラム・西川菜緒】春、梅の花が咲き終わると、実が少しずつ大きくなります。花が全て結実してくれるとうれしいのですが、残念ながら、今年は例年と比べ実の数が少なめでした。枝をじっくり観察してみると、実が付いている枝と、付いていない枝があるので、受粉が足りなかったのだろうか?それとも、剪定(せんてい)する枝の選び方が良くなかったのだろうか?など、よく観察して次の冬の剪定に備えます。

5月後半から、青梅の収穫が始まります。実が青いうちは、葉の色と混同して見つけづらい上に、今年は、まばらな梅の実を眺め、少し遠慮気味に収穫しました。青梅は、梅シロップや梅酒に加工します。梅シロップは、氷砂糖で漬けるとスッキリした味わいに仕上がり、きび砂糖やてんさい糖で漬けるとコクが出ます。毎年、種類の違う砂糖をブレンドし、配合を変えながら味を楽しんでいます。

6月に入ると、完熟梅の収穫が始まります。宍塚にある梅の木は大木が多く、手の届かないところにたくさんの実が付いているので、台風や嵐の後は収穫のチャンスです。落ちた梅を拾いに、梅林に向かいます。収穫の際、木から梅をもぎ取る作業は、なんだか申し訳ない気持ちになるのですが、逆に、落ちている梅を拾う作業は「一粒たりとも無駄にしてはならない! ありがたくいただかなくては!」という気持ちに変化します。

ジャム、梅みそ、梅干し

落ちて少し傷みや虫食いのあるものは、ジャムに加工します。完熟梅のジャムは、梅の酸味に加え香りが良いです。みそと砂糖で漬け込む、梅みそもオススメです。生野菜、豆腐、蒸し鶏などにトッピングすると、夏場の食欲のない時期でも、スッキリとした味わいになり食べやすいです。傷のないキレイな梅は、梅干し用にします。梅は、そのままでは食べることができず、一手間かかるのですが、この一手間が保存食として長く楽しめる秘訣です。漬けた梅干しからできる、梅酢も優秀な保存調味料です。しば漬けや、醤油と合わせて梅ポン酢にして楽しみます。

振り返れば、今年もたくさんの梅を収穫することができました。梅雨が明けたら、梅干しの土用干しが始まります。夏の日差しを浴びる、梅干しの景色が楽しみです。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

内山社長が退任、後任は常銀投資会社前社長の池田氏 つくば市のまちづくり会社

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第3セクター、つくばまちなかデザインの2025年度事業報告などが行われたつくば市議会全員協議会の様子

つくば市が出資する中心市街地のまちづくり会社「つくばまちなかデザイン」(同市吾妻)の内山博文社長が6月末で退任し、後任に同社取締役で、常陽銀行の投資専門子会社、常陽キャピタルパートナーズ前社長の池田重人氏(63)が就任する。24日開かれた市議会全員協議会で、内山社長が報告した。

内山氏は2021年4月の会社設立時から社長を務め(21年3月4日付)、3期目の任期半ばでの退任となる。昨年3月末には同社のナンバー2として内山社長と共に会社の経営を担った元市職員の小林遼平専務が退職している(25年7月9日付)。専務退職後は内山社長が常勤で経営にあたっていた。新たに社長に就く池田氏は常勤で経営に当たるとしている。

24日、市議会で退任のあいさつをした内山社長は「5年間、大役というか、何とか走ってきた、5年前と情勢が変わったと思うのは、工事費の上昇や人件費の上昇で、当初は予期していなかった。つくばの中心部の開発は思った以上のスピードで様々なことが実施されている。全国のまちづくりを見ている中で、つくばは稀有な街。今後どういう戦略をもっていくかによって、つくばの中心部の見え方、あり方が大きく変わっていくと感じている。会社の役員は離れるが、つくばの中心部のブランドは、どこにもない、つくばらしい街であるということが全国に認知されることを願っている」と話した。今後は外部スタッフとして会社をサポートすると述べた。

池田重人 新社長

一方、新社長になる池田氏は慶応義塾大卒業後、常陽銀行に入行し、常務執行役員、営業本部つくば・千葉・さいたまエリア本部長などを歴任した。2022年から常陽キャピタルパートナーズ社長、再エネ電源の買取・売電事業などを行う常陽グリーンエナジー社長を務め、今年3月、両社を退任した。昨年6月から、つくばまちなかデザインの非常勤取締役になっている。

市議会で就任のあいさつをした池田氏は「40年間、常陽銀行と常陽銀行の子会社で働いた。つくばまちなかデザインには会社立ち上げ当初から関与し、当時、常陽銀行とMINTO(ミント)機構(政府系金融機関の民間都市開発推進機構)が出資したファンドから資金を出させていただいたのと、昨年の(つくばセンタービル4階の旧吾妻交流センターをオフィスに改修する)2期工事で、私がいた常陽キャピタルパートナーズから資金を出させていただいた。そういうこともあって、今回つくば市から(社長就任の)話をいただいた時は、ぜひやってみたいと引き受けた。今回の報告にあったように、会社自体がようやく黒字化していい流れできているので、内山社長から引き継ぎ、ぜひ安定的な経営ができるよう努めたい」などと話した。

5年目で初の黒字

市議会では、同社の2025年度(25年4月-26年3月)事業報告と決算報告が実施され、設立以来4年連続の赤字だったが、25年度は初めて黒字になったことが報告された。年間売上は約1億6029万円、売上高から経費などを差し引いた営業利益は約1928万円、税引き前の当期損益は約1095万円と黒字となった。24年度は約3258万円の赤字だった。

一方、開業時つくばセンタービル1階を貸しオフィスなどに改修した際に約3億1600万円の社債を調達したほか、24年度に2期工事として同ビル4階を貸しオフィスに改修する工事のため社債約5500万円を追加発行した。約3億1600万円の社債は24年度から償還(返済)が始まり、26年度は2500万円、27~30年度は各3000万円、31年度は1億4600万円の償還が求められる。今後償還しなければならない社債は25年度末時点で3億4600万円。

事業別では、つくばセンタービル1階と4階の貸しオフィスとコワーキングスペース(共同オフィス)運営などのco-en(コーエン)事業は、売上が約8128万円、営業利益は約3498万円で黒字になったとし、内山社長は「第2期の内装工事の投資で、貸す面積が増えた分、売り上げが上がった」とする。コワーキングスペースはピーク時で月額会員が70人、ビジター利用が2000人を超えたとし、貸しオフィスは新年度の今年4月からオフィス区画が満室となったとした。

つくばセンタービルの地下駐車場の売上は約1522万円で、前期比微増。2023年度からつくば市の指定管理者となっているつくばセンター広場の管理運営事業の25年度の売上は約971万円。つくば市やスマートシティ協議会などが委託するつくば駅周辺の自動運転モビリティ関連の実証実験(25年11月13日付12月10日付)などのコンサル受託事業の売り上げは約5187万円。

新年度は、地域の研究者らと開発した子供向けの科学やアート体験型プログラムの実施のほか、貸しオフィスの入居者やコワーキングスペースの利用者にセミナーや情報提供を行うなど、先輩利用者が後輩利用者にアドバイスや情報提供を行うメンター制度の導入、中心市街地の動きや企業を紹介する新たなメディアの立ち上げなどを検討していくとしている、

内山社長は、資本金を1億円以下に減資すると税制の優遇措置を受けられるなどから、現在の資本金1億2100万円を減資して9000万円にすることを検討しているとも話した。

「コンサル受託事業が3分の1」

一方市議からは「1000万円の経常利益ということだが、コンサル受託事業が売上の3分の1を占め、黒字化の手助けになっている。co-en事業は(貸しオフィスが全部埋まるなど)天井まできている」「今後の社債の償還は大丈夫か」などの指摘があった。

内山社長は「コワーキングスペースは毎年春に稼働率が下がって、4月に上がり、余白が残っている。メンター制度を導入して(月額会員)70人から100人を目指したい」「モビリティの実証実験は将来継続的でないので、これを補う企画を2~3年の間で獲得していきたい」などと話した。

ほかに、昨年中止になった市内の小中学生が参加するイベント「ランタンアート」については「(イベントの主催者で、同社が事務局を務める)つくばセンター地区活性化協全体でにぎわいの定義を再構築して、何を行うのか、あるべき姿を1~2年かけて議論していく」、消費期限切れの食品を販売し販売がストップしている冷凍自販機(26年2月4日付)については「運営管理が属人的になっていた。管理体制ができれば再開する」と答えるにとどまった。(鈴木宏子)

公立学校も「経営」の視点を持つ時代へ《よぎさんの眼》2

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【コラム・よぎ(P.ヨゲンドラ)】日本の公立学校は今、大きな転換点を迎えている。少子化による生徒数減少、教員不足、教育ニーズの多様化、さらには地域間格差の拡大により、従来型の学校運営では立ち行かなくなりつつある。これからの学校には、単なる「運営」ではなく、学校運営や教育活動に関する情報を数値化したデータとしてフォローする「経営」の視点が必要である。

これまで公立学校では、「前年通り」が重視される傾向が強かった。予算、教育活動、組織体制など、多くが慣例ベースで維持されてきた。しかし、人口減少時代に入り、学校は自然に生徒が集まる存在ではなくなった。特に地方では、学校の魅力そのものが地域の存続に直結する時代になっている。

社会ニーズに応える学びの企業

私は、公立学校も「学びの企業」として再定義する必要があると考えている。もちろん、利益追求を意味するものではない。ここでいう経営とは、「生徒ファースト」を掲げ、「限られた人材・予算・時間を最大限活用し、生徒の成長という成果を高めること」である。あらゆる教育活動を連携し、その効果を最大化するデザイン・シンキングが必要である。

例えば、民間企業では、顧客ニーズを分析し、組織改善を繰り返しながら価値向上を図る。一方、多くの学校では、生徒や保護者が何を求めているのかを十分分析できていない場合も少なくない。大学進学だけでなく、国際教育、探究活動、デジタル教育、キャリア教育など、社会が求める力は大きく変化している。それにもかかわらず、教育内容や学校組織が変化できなければ、生徒の学びと社会との間にズレが生じてしまう。

人材育成こそが教育現場改革の鍵

また、学校経営において重要なのは「教員育成」である。優れた校舎や設備があっても、教員組織が疲弊していては教育の質は向上しない。現在の学校現場では、長時間労働や過剰な事務作業により、教員が本来注力すべき「生徒と向き合う時間」が奪われている。

多くの教育委員会は立派な研修センターを持っていても、教員や管理職育成のための実践的な講座をデザインしていない。教員が必要とする授業のアイディアや道具を研修センターでトコトン研究すべきである。教員の内外研修、業務改善やDX化を進め、教員が創造的な教育活動に力を注げる環境づくりが必要である。

さらに、校長の役割も変わるべきである。従来の管理型ではなく、学校の方向性を示し、人材を育て、外部と連携しながら組織を動かす「経営者型リーダー」が求められる。企業、大学、自治体、海外機関などとの連携を進め、学校を地域と世界につなぐ存在にしていく必要がある。学校の予算は事務長任せではなく、新規調達、維持管理費の妥当性を自ら確認し、業者を増やすことで癒着を解消していくべきである。

「選ばれる学校」への変革

これからの学校は、「ただ存在する学校」ではなく、「選ばれる学校」へと変わっていく。そのために入学希望者のニーズを理解する必要がある。教育改革とは、単なる制度変更ではない。学校という組織そのものの在り方を問い直すことなのである。人口減少社会の日本において、学校経営の改革は避けて通れない課題であり、日本再生の重要な鍵の一つになるだろう。(元県立土浦一高・付属中学校長)

武蔵美卒業生28人 個性あふれる作品117点展示 つくば美術館

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武蔵美校友会茨城⽀部展の様子=県つくば美術館

武蔵野美術大学(東京都小平市)を卒業した県内在住者及び県出身者で構成する同大校友会第23回茨城支部展が23日から、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれ、油彩、日本画、水彩、工芸、和製本など28人による117点の個性あふれる作品が展示されている。28日まで。

県在住者及び出身者は約1000人が該当するが、同県支部は約30人が会員となっている。支部展は毎年開催され今年で23回目。

支部長の冨澤和男さんは(67)は10点を展示。会期中、日本の伝統的な製本様式である和装本のワークショップが開かれることから、今回初めて和装本を出展した。ほかに、明治時代から続く土浦の老舗「保立(ほたて)食堂」を、色鉛筆デザインと油絵とで書き分けた作品を展示した。「現在の保立食堂は看板が壊れており、15年前に撮った写真のものと現在のものを再構成した。今回は色鉛筆と油絵という二つの手法で描いてみた。見る人によって好みが分かれており興味深い」と語る。

冨澤和男さん 「土浦ほたて食堂」(右)と「春うらら」

数年ぶりに出展した清野光男さんは、福島の原発事故などメッセージ色の強い作品を描いてきた。今回はウクライナ戦争をテーマにした「分断と破壊」と題した作品を基本に、さらに複数の素材や技法を組み合わせて制作するミクストメディアの手法を使って描き、「境界と分断」「地景と分断」「地景 地と空」など計4点を展示した。

NEWSつくばコラムニストでイラストレーターの川浪せつ子さんも出展。NEWSつくばで連載してきた「ご飯は世界を救う(おいしい時間)」で描いた水彩画のほか、「つくば良いトコ」「古民家の夜景」(いずれも水彩画)などを展示している。川浪さんは「スケッチはその場でほぼ完成するものもあれば、後からきちんと描くものもある。つくばのまだ知られていない楽しいところや癒されるところをさらに絵にして紹介していきたい」と語る。

川浪せつ子さんの「つくば良いトコ」

ほかに中村茂子さんの皮革工芸作品「時空花」などの展示もある。

冨澤支部長は「昨年よりも作品数は多くなったが。会員は増えていない。若い人が入ってくればもっとバリエーションに富んだ面白いものになる。まだまだ卒業生はたくさんいるので、仲間になってもらいたい」と話す。(榎田智司)

◆武蔵野美術大学校友会第23回茨城支部展は、6月23日(火)~28日(日)、つくば市吾妻2-8、県つくば美術館で開催。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。会期中▽ワークショップ「折本を作ろう!」を27日(土)午後1時30分~3時30分に開催。定員15人、参加費500円▽作家が自身の作品を解説する「ギャラリートーク」を28日(日)午後1時~2時30分に開催。定員無し・参加費無料。問い合わせは電話090-2669-9206(坂本さん)へ。

風鈴の音《短いおはなし》52

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

田舎のおじいちゃんが突然訪ねてきた。東京見物のついでに寄ったそうだ。
「健太にお土産だよ」と渡された包みを開けて、お菓子じゃなかったことにガッカリした。

「これ、何?」

「南部鉄の風鈴だよ」

南部鉄は、おじいちゃんが暮らす盛岡の名産らしい。

「懐かしいな」と父が言った。
「まあ、結構な物を」と母が言った。

おじいちゃんは、スカイツリーに行くからと早々に家を後にした。
母は社交辞令的に引きとめたけど、帰った後はほっとしたように見えた。
僕たちが住む部屋は、高層マンションの最上階。
洋風な部屋に南部鉄の風鈴はまるで似合わず、それは箱に入ったまま棚の中に納まった。

おじいちゃんは、その1カ月後に亡くなった。心臓が悪かったそうだ。

「まさかあの日が最後になるなんて」

父が、悲しそうにつぶやいた。

家族3人で盛岡へ行った。
山しかない田舎で、年の近い従兄弟(いとこ)もいない。
父と母は忙しそうだし、僕はつまらなくて帰ることばかり考えていた。

葬式の後、縁側でゲームをしていたら伯母さんがスイカを持って来てくれた。

「健ちゃん、何にもなくて退屈でしょう」

スイカを目の前に出されて、「あのう、スプーンは?」と言ったら笑われた。

「スプーンなんか使わないよ。種はこうやって庭に飛ばすの」

伯母さんは豪快に種を飛ばした。放物線を描いた種は、面白いほど遠くに飛んだ。
僕もまねをした。「そうそう」と伯母さんが手を叩いて笑った。

「健ちゃんのお父さんは、おじいちゃんの自慢だったよ。大きな会社に勤めて、すごいマンションに住んでるって、みんなに自慢してた」

「ふうん」

「うちには女の子しかいないから、健ちゃんは特にかわいい孫だったのよ」

「そうなんだ」

「小学生になってから、ちっとも来なくなっちゃったでしょう。だから最期に、何だかんだ理由をつけて会いに行ったのよ。お気に入りの風鈴を持ってね」

「え…?」

心地よい風が吹いて、軒下の風鈴が鳴った。
ちりんとか、そんな音じゃなかった。
心に響くような澄んだ音色は、耳の奥にいつまでも余韻を残した。

「南部鉄よ」

「ああ」

僕はうなだれた。澄んだ音で風鈴が鳴るたびに切なくなった。どうしておじいちゃんの死を、ちゃんと悲しめなかったのか。

東京に帰ってすぐに、おじいちゃんがくれた風鈴を出した。
ずしりと重く、冷たい感触が手のひらに心地よい。
窓辺に下げて、少しだけ風を入れると、盛岡の家と同じ音で風鈴が鳴った。

「きれいな音ね」。母が目を細めた。
「そりゃそうだろう。南部鉄だもん」。父が自慢げに言った。

「あの日、泊めて差し上げたらよかった」

「そうだな」

父と母が、あの日よりずっと優しい顔をしている。
僕たちは、優しく澄んだ音色をいつまでも聞いていた。

(作家)

腹話術全国大会で準優勝 つくば市在住の小学校教員 渡邊隼人さん【ひと】

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渡邊隼人さんと、腹話術の相棒のモンスター人形「たっくん」

つくば市在住の小学校教員で、現在つくばみらい市立陽光台小2年生を担任する渡邊隼人さん(40)が、大阪府吹田市で4月に開かれたアマチュア腹話術師の全国大会「F-1腹話術グランプリ」で準優勝を果たした。併せて、過去4回の大会でいずれも決勝まで勝ち残った出場者に贈られるレジェンド賞を受賞した。ステージネームは「香之鳥(こうのとり)」という。

アマチュア腹話術師として全国ナンバー2の実力だ。4月の大会では「腹話術の王道を突っ走っている」「さわやかで引きつけられる」「歌を歌いながらの人形との掛け合いがすばらしい」などと評価された。

「F-1腹話術グランプリ」で準優勝し渡邊さんの相棒の「たっくん」にメダルを架ける主催者(渡邊さん提供)

つくば市立作岡小(現在は秀峰筑波義務教育学校)教員だった2015年、一つ上の先輩教員に「一緒に習い事をしよう」と誘われ、市内の商業施設「イーアスつくば」のカルチャーセンターで腹話術を習い始めたのがきっかけ。月1回通い、かすみがうら市の腹話術師、田谷京子さんから技を学んだ。めきめき上達し、4年後の2019年、田谷さんの教え子として最高位の1級を取得した。「(ステージで)お客さんとコミュニケーションをとる際、自分だけでなく、人形もお客さんと目線を合わせることができるようになるまでがなかなか難しかった」と振り返る。F-1腹話術グランプリには、大会がスタートした2022年から連続出場する。

東京都出身。大学では生物学を専攻した。卒業後、都内で幼稚園教諭や学童保育指導員などを務めた経歴がある。当時の幼稚園教諭、保育士、教員仲間と2017年に、お話会ボランティア「おはなしらぼ」を設立し、現在も仲間とつくば市や埼玉県内各地で月1回程度、未就学児や小学校低学年を対象に、腹話術とパネルシアターや絵本の読み聞かせ、歌などを組み合わせたステージを披露している。

「おはなしらぼ」のパネルシアターの様子=つくば市竹園、えほんやなずな

前任のつくばみらい市立板橋小(現在の伊奈東小)では特別支援学級の担任だった。授業に腹話術を取り入れ、子供たちが腹話術の人形と対話しながら自分と向き合う取り組みに挑戦した。授業で、「自分のせっかちな性格が好きじゃない」と話し出す子供に、渡辺さんが操る腹話術の人形が「それは、先回りして計画的にできるということでしょう」と切り返す。短所だと思っていた自分の性格を、別の視点から見せることで長所に変え、前向きな感情を引き出し、子供たちが自分自身と向き合う試みの一環だ。この試みを2023年の腹話術グランプリで発表し、「映像部門・仕事に使える腹話術部門」で優勝した。腹話術は現在も学級運営や特別な授業の際などに取り入れている。

相棒の人形は現在、オレンジ色のモンスター人形「たっくん」、おばあさんの「菊さん」、サルの「モンちゃん」、豚の「トン吉くん」、男の子の「ケンちゃん」など。6月14日、つくば市竹園の書店「えほんやなずな」で開いた「おはなしらぼ」のステージでは、モンスター人形「たっくん」と登場し、ほかのメンバ―との掛け合いで笑いをとり、子供たちを大喜びさせた。18日には陽光台小2年生全員約150人を対象に交通安全教室を開催。男の子の人形「ケンちゃん」と、横断歩道の渡り方などを笑いを交えながら教え、子供たちの目を輝かせた。

交通安全教室で、「ケンちゃん」と掛け合いをしながら、2年生150人に講話をする渡邊さん=つくばみらい市立陽光台小学校

練習は、朝夕の通勤時、車を運転しながら、一人車内で大きな声を出したり歌ったりするのが日課という。「お客さんとやり取りし、拍手をいただくことは幸せな時間」「今は人形が手になじんできて、勝手にしゃべり出す。人形に助けてもらっている」と語る。

学校では、今後も学級運営などに腹話術を生かしていくほか、「おはなしらぼ」の活動を続けたいと話す。新たに都内の小劇場の舞台に立ち、お笑いの世界に挑戦するなど芸の幅を広げることも視野に入れる。(鈴木宏子)

水戸とつくばの人口逆転、その先を問う《水戸っぽの眼》14

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2022年に完成したつくば駅前のマンション。分譲時の坪単価は当時の市内最高峰(写真は筆者)

【コラム・沼田誠】総務省が5月に公表した2025年国勢調査速報値(2025年10月1日時点)で、つくば市の人口が26万8991人となり、水戸市の26万5773人を抜いて県内最多になった。水戸が県内首位を譲るのは1975年以来50年ぶりだという。水戸に縁のある私としては個人的な感慨もあるが、それよりも語りたいのはその先のことだ。

この逆転は突然起きたわけではない。前回コラムで見たとおり、つくばの中古マンション単価は2010年から約15年で46%も上昇した(水戸は+7%)。つくばへの転入者の37%は東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県から。首都圏の住宅事情の悪化が、TXで都心とつながるつくばを「子育て世帯の受け皿」に変えつつある。その動きが、人口増の形で表面化している。

現場の感触もこれと重なる。何年か前のこと、あるデベロッパーが十数年ぶりに茨城県でマンションを供給した際、つくばと水戸にほぼ同時に同じブランドを建てた。両市の担当者から別々に話を聞く機会があったが、ターゲットは水戸では地元、つくばでは首都圏から広い部屋を求めて来る世帯とのことだった。つくばでは、別の不動産会社の方から「このマンション販売を機に他物件にも東京圏からの注目が集まった」と聞いた。

旧住民はプリン、新住民はカラメル

ところで、市の人口が増えれば「うまくいっている」ことになるのだろうか? 五十嵐つくば市長はSNS上で、「『増えた』という事実は、『すべてがうまくいっている』を意味しません」と書いている。何がうまくいっていないか、いろいろ解釈があるだろう。私が気にかかることは、新住民の声が市政に届く「経路」がどうなっているのか、ということだ。

何年か前、ある行政関係者がこのような話をしていた。「つくば市はプリンに例えられる。新住民はカラメルで、目立つけど上に少し乗っているだけ。本体のプリンは旧住民。彼らが市政を動かしている」。人口が増えてもその本体は旧住民が担うということだろう。では、「カラメル」の声はどのように市政に届くのか?

地域の要望は、自治会や町内会を通じて行政に上がることが多い。だが転入したばかりの世帯は、その枠の外にいることが少なくない。とりわけマンションの住民は、管理組合という「縦」のつながりは持っても、地域という「横」にはつながりにくい。また、組織された地縁の票に比べ、ばらけて見えにくい新住民の声を、あえて拾い上げようとする市議はいるのだろうか?

もちろん、新住民にも地域に入り汗をかく人もいる。だが、個々人の努力に委ねるだけでは限界がある。問われるのは、行政がいかに能動的に声を拾い、前例に捉われず変化に対応していくか、だ。もっと言えば、旧住民と新住民が「同じ市民」として交わる場をどう設計するか、だ。その必要性は、まだ十分に想像されていない。

新旧を越えた「つくば市民」像を

第1回コラムでは、人口を増やしても、地域に主体的に参画する住民が増えなければ、住みやすい地域にはならないと書いた。人口が県内トップになったことで、つくば市政はこの問いを一段と重く感じるだろう。新住民を「カラメル」のまま終わらせず、新旧の垣根を越えた「つくば市民」像を、行政と住民が共に育てられるか―水戸市とつくば市の人口逆転は、その問いともいえる。(元水戸市みとの魅力発信課長)

程よい距離感の美学《マンガサプリ》8

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写真は筆者

【コラム・瀬尾梨絵】女子校の教師、星の日常を描いた和山やま先生の「女の園の星」(祥伝社、初版2020年、現在4巻)。本作が多くの読者を引きつけてやまない理由は、従来の学園モノにありがちな「少女マンガ的な展開」を、驚くほど軽やかに、そして意図的に回避している点にある。

一般的に、教師と生徒が登場する学園モノといえば、悩み相談を通じた絆の物語や、淡い恋心が生まれるようなドラマチックな展開が期待されがちだが、この作品にはそうした熱いイベントは存在しない。描かれるのは、女子高生たちが繰り広げる突拍子もない悪ふざけや、教師たちの淡々とした日常、そしてそれらを冷静に受け流す星先生の乾いた反応。それはまるで、遠くから静かな水面を眺めているような不思議な心地よさに満ちている。

この作品の特徴は、教師と生徒という二つの世界が、適度な距離を保ちながら住み分けられていること。彼らの関係は決して崩れることはなく、かといって冷え切っているわけでもない。お互いの領域を侵すことなく、しかし同じ校舎という空間で程よい温度で交差する。この絶妙な均衡状態こそが、本作が持つ最大の魅力であり、読者が感じる癒やしの源泉ではないだろうか。

生徒たちのユニークな言動に対しても、星先生は決して熱くなることはない。淡々と、時には静かにツッコミを入れ、時にはただ見守る。その一挙手一投足に、過剰なドラマは入り込む隙はなく、読者は、何かが起きそうで何も起きないこの心地よい凪(なぎ)のような時間を共有することで、日々の忙しさをふっと忘れることができるのかもしれない。

和山先生の描く、少し力が抜けたキャラクターたちの表情や、シュールな会話劇は、一度ハマると抜け出せなくなる中毒性があり、物語としての大きな起伏を追いかける必要がない分、一コマ一コマにちりばめられた細かなボケや、星先生の隠しきれない脱力感が、読むたびに違った角度から笑いを誘う。

騒がしい日常に清涼な凪

「今日は何も考えずに、ただリラックスしたい」。そんな夜に、これほど最適な一冊はないだろう。何か劇的なことが起こるわけではないけれど、そこに確かに存在する「笑い」と「穏やかな時間」。女子校という閉ざされた園の中で、今日も粛々と流れる星先生の日常は、読者の心の窓に心地よい風を吹き込ませてくれる。

過剰なドラマを排除し、淡々とした日常の滑稽(こっけい)さをすくい上げる。騒がしい日常に、清涼な凪を。そのスタンスこそが、本作を唯一無二の作品に押し上げているのだ。読み終わった後には、きっと星先生と一緒に小さくため息をつきながら、明日もまた穏やかに過ごせそうな、そんな優しい気持ちになれるはず。(牛肉惣菜店経営)