火曜日, 11月 29, 2022
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飯舘村の牛飼い・長谷川健一さん逝く 《邑から日本を見る》99

【コラム・先﨑千尋】10月22日に福島県飯舘村の牛飼いだった長谷川健一さんが68歳で亡くなった。残念な思いで訃報に接した。長谷川さんの人徳をしのんで、葬儀には通夜も合わせて約800人が参列したという。 私は、東京電力福島第1原発の事故から10年経ったこの3月、長谷川さんに「農業協同組合新聞」の取材でインタビューした。その時、長谷川さんを主題にした豊田直巳監督の映画「サマショール」のひたちなか市での上映に合わせて、彼に講演を頼んできてくれという友人の話を伝えた。「医者から甲状腺がんだと言われているので講演には行けない」と長谷川さんからかすれた声で言われ、びっくりしたのが昨日のことのようだ。 長谷川さんの死を悼み、「東京新聞」は10月27日の「ニュースの追跡」で、〝訴えた怒り 遺志は残る〞という見出しを付け、大きく取り上げている。ネット上でも彼を知る多くの人が追悼の文を寄せている。原発にふるさととなりわいを奪われた長谷川さん。無念の思いを抱いたままの早い旅立ちだった。 事故で生活は一変 長谷川さんは4世代家族。事故前は50頭の乳牛を飼っていた。2000年頃からはダイコン、キャベツ、加工用トマトなどの野菜も作っていた。同時に前田区の行政区長も務めていた。 事故後、長谷川さんの人生は一変した。村は計画的避難区域に指定された。長谷川さんは前田区の住民のつながりを保てるように、まとまって暮らせる避難先を探し、伊達市の仮設住宅への集団移転を実現させた。全世帯が村を離れるのを見届けて、最後に村を離れた。8月になった。村のパトロール隊組織「全村見守り隊」のメンバーにもなり、定期的に地区内の留守宅を回って歩いた。

10年経っても変わらない東電の体質 《邑から日本を見る》96

【コラム・先崎千尋】学友・北村俊郎さんが今月初めに『原子力村中枢部での体験から10年の葛藤で掴(つか)んだ事故原因』(かもがわ出版)という長いタイトルの本を出した。 彼は1967年に大学を卒業し、現在再稼働が焦点になっている東海第二発電所を持つ日本原子力発電に入社。本社の他、東海発電所、敦賀発電所などの現場勤務を経験、主に労働安全、教育訓練、地域対応などに携わってきた。20年前から東京電力福島原発近くの富岡町に住み、福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定されたため、現在も福島県内で避難生活を続けている。 原子力村の中枢にいたと言うのだから、立ち位置は私と真逆だ。しかし本書は、反原発の安斎育郎氏の推薦文にあるように「当事者だからこそ見える原発業界の危うい風景。福島の事故はなぜ防げなかったのか。その内幕を縦横に語る、気骨のある『内からの警告書』といえる。著者が日本原電にいて見たのは、政産官学や地方自治体、地元住民を巻き込んだ巨大な運命共同体が閉鎖的になっていく姿だった。 本書は、「福島原発事故は日本の原子力発電の帰結」「巨大組織は何故事故を起こしたのか」など6章から成る。著者は第1章の冒頭で「福島第一原発事故の背景には長い間に積もり積もった問題が多々存在していたのではないか。事故前に規制当局や原子力業界に定着していた考え方、慣習は事故につながる問題点が多く見られる。最近の柏崎刈羽原発再稼働に関する一連の不祥事も、体質、企業風土の問題がいまだに改善されていない」と指摘し、「東京電力は事故後10年経っても変わらない」と糾弾している。 子どもでもわかる汚染水処理の愚 第4章「処分出来ない汚染水と廃棄物」では、汚染水の処理問題を書いている。2015年に福島県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で確約しているにも関わらず、国と東電は一方的に海洋放出の方針を決めた。こうした動きに対し、「いくら困ったからといって、約束を破れば誰も東電の言うことを信用しなくなる。何故、こんな悪手を使うのか」とあきれ、「小出しにしてなるべく反発を抑え、後で修正するいつものやり方。こんな姑息(こそく)なやり方は不誠実であり、金の無駄遣い」と厳しく指摘する。

「福島に輝く夜空と豊かな暮らしを知ってほしい」 つくばエキスポセンターで写真展

福島の自然と暮らしをダイナミックに捉えた公募写真展「ふくしま星・月の風景写真展」が20日から、つくば市吾妻、つくばエキスポセンターで開催されている。 展示写真は、郡山市ふれあい科学館が主催する「第5回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト」の受賞作品。コンテストは、福島がもつ豊かな人の暮らしと、その頭上に輝く月や星の姿を、写真を通じて全国に紹介したいと、2008年に第1回の公募が始まった。18年の第5回目は、106人による351点の作品が全国から集まり、その受賞作品による全国巡回展が19年から開催されている。北は秋田、西は兵庫までを巡回し、今回のつくば市で47カ所目になる。 大賞には、満月をバックに遊ぶ母子を幻想的に捉えた丹野順子さんによる「月と遊ぶ」が選ばれた。「今までの(応募)作品にはない発想」だと審査員が絶賛した。特別賞の「仲夏の輝き」(田中 祐二さん)は、夜の田んぼを舞う蛍を長時間露光で捉え、その背景の暗がりに浮かぶ一軒家から漏れる光を対比させ、肉眼では見逃してしまう農村の美しい一面を視覚化した。その他、ダイナミックに満点の星や月を捉えた写真や、人の息吹を感じる作品が全40点展示されている。 大賞に輝いた丹野順子さんの「月と遊ぶ」 つくばエキスポセンターでは、これまで年に数回企画展を開催してきた。例年は体験型のイベントが中心だったものの、新型コロナウィルス感染防止の観点から、人との接触が少ない写真展開催となった。企画を担当する、つくば科学万博記念財団の徂徠裕子さんは、「美しい福島の写真を大人の方も一緒に楽しんでもらいたい」と来場を呼びかける。

【震災10年】5 10年は区切りではない  古場泉さん・容史子さん

【柴田大輔】「原発災害は自然災害とは違う。10年で終わることはない」 つくば市で避難者同士の交流の場づくりに取り組む「元気つく場会(いい仲間つく浪会)」の共同代表・古場泉さん(65)が言葉に力を込める。避難者には、不安定な生活のなかで体調を崩す人も多くいる。 まるで世界が変わってしまった 泉さんとともに、会の共同代表を務める妻の容史子さん(65)も、避難生活の中で体調を崩した一人だ。現在も通院を続けており、制約のある生活を送っている。当初は不安定な生活の中で心のバランスも崩しかけた。震災後の10年を振り返り「まるで世界が変わってしまった」と話す。変化は体調だけではない。 「私にとって浪江の生活は、どこに行っても『こんにちは』って声掛け合う世界でした。それがいきなり知り合いの全くいない土地に。何も考えられなくなりました」 10年前、愛着ある自宅での、地域に根ざした生活が突然終わり、見知らぬ土地でのアパート暮らしが始まった。避難生活は、将来への不安と共に心身を圧迫した。周囲の人も同じだった。泉さんが振り返る。

【震災10年】2 浪江出身と言えなかった 原田葉子さん

【柴田大輔】「つくばに来て、やっと先が見えた気がしました」 夫、功二さん(44)が営む眼鏡店の2階で、原田葉子さん(44)が穏やかに話す。 福島県浪江町から避難中に経験した妊娠・出産、周囲に伝えられなかった自分のこと、未だ整理のつかない故郷への複雑な想い―。 震災は自身を取り巻く環境を大きく変えた。現在、つくば市学園の森の新興住宅地で新しい生活をスタートさせ、夫と長男の3人で暮らす。 「被災者」に後ろめたさ感じていた 「浪江出身」と伝えると返ってくる「大変だったね」「原発のとこだったんでしょ?」という言葉に、負担を感じていたという。葉子さんは、故郷の浪江町から避難し、5回、住む場所を変えてきた。その間、常に自分を「避難している人」だと感じていた。 「周囲の方に心配していただいて本当にありがたかったです。一方で、『被災者』だということに後ろめたさを感じていました」

【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん

東日本大震災から10年を迎える。福島原発事故から避難し、つくば、土浦で生活を再建しようとしている6人に話を聞いた。 【柴田大輔】「浪江に住み続けたい」と誰もがそう思える街をつくりたかった。震災は、原田功二さん(44)らが未来を見据えた街づくりの最中に起きた。 つくば市学園の森の新興住宅地に、元・浪江町商工会青年部長の原田さんは眼鏡店「グラン・グラス」を2018年にオープンさせた。真新しい店内だ。 グラン・グラス店内=つくば市学園の森3-10-2 地域おこしのさなかに起きた

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茨城の陶芸家 荒田耕治先生と 《令和楽学ラボ》21

【コラム・川上美智子】荒田耕治先生の作品との出会いは、結婚して東京から茨城に移り住んだ1970年春のこと、笠間の佐白山(さしろさん)の麓で開かれていた陶芸市をのぞいたときでした。内側がチタンマット、外側が黒釉彩(こくゆうさい)の洗練された素敵なコーヒーカップのセットを見つけ購入しました。新聞紙に包んでくれた係の人が、「荒田耕治さん」という笠間の若手ホープ作家が焼いたものだよと教えてくれました。 当時、先生はまだ32歳で県窯業指導所を終了し、笠間に築窯されたばかりの頃だったようです。実際に、荒田先生にお目にかかったのは、2005年、国民文化祭茨城県実行委員会で一緒に企画委員をしたときでした。 それがご縁で、2009年、国民文化祭が終了した年に、荒田耕治先生の陶芸教室でご指導を頂くことになりました。以来15年間、茨城県美術展覧会と水戸市芸術祭美術展覧会に連続入選することができ、先生のご指導のおかげで奨励賞や市議会議長賞などの賞も頂き、すっかり陶芸にはまってしまいました。 土をこね、土と向き合い大きな壺(つぼ)や花器に仕上げる工程は、もろもろのことを忘れ手仕事に没頭できる貴重な時間です。手を動かすことで、脳も心も浄化されるのを感じます。そのような大切な機会を与えてくれたのが荒田先生との出会いでした。 先生も、ご自分の作品とは異なる新しい形、思いがけないものが出来上がるのを楽しみにしてくれていたようです。手ひねりで大きな作品を作る手法を、この15年間でしっかり学ぶことができ、そろそろ個展を開いて、先生に見て頂きたいと思っていた矢先の、とても残念な先生のご逝去でした。 伝統工芸の第一人者として活躍

県立下館一高付属中、つくばで特別授業 関彰商事の取り組み学ぶ

県立下館一高付属中学校(筑西市)の特別授業が28日つくば市内で催され、1年生40人が関彰商事(本社・筑西市、つくば市)社員らと交流しながら、同社のダイバーシティー(多様性)などの取り組みについて学んだ。 同付属中は、中高一貫教育のため2020年に下館一高に併設された。特別授業は、地域企業の取り組みを知って、地域の実態や特徴、課題について理解を深めようと、同校の探求活動の一環で実施された。 関彰商事は1908(明治41)年に筑西市(当時、下館町)で創業した。関正樹社長は県立下館一高出身で、現在、筑西市とつくば市に本社がある。 経営者としての心得を話す関正樹社長 特別授業はつくば国際会議場で実施された。関社長は「卒業生としてとてもうれしい。(下館一高に)通っていた時は自分がこうなるとは思ってなかった」とあいさつ。「関彰商事は来年、創業115年を迎え、グループ売り上げは1600億円。百年以上続いて、売り上げ1000万円以上の会社は県内でうちだけだが、じゃあこれからも続くかは分からない(というのが経営の世界)。事実として、115歳になり、売り上げ1600億円ということがあるだけ」と経営者としての心得を語り、「生きていく上で(自身が)経験したことはすべて自分のためになっている。とにかく前を向いて、後ろに下がってもいいからちょっとずつ前に進めて、いろんな経験をしていただきたい」などと呼び掛けた。 続いて米国ロサンゼルス出身で、社内のSDGs(持続的な開発目標)教育などを担当する総合企画部のタニ・ジェイミー・アズサさんが、同社のSDGsやダイバーシティーの取り組みなどについて説明し、外国籍社員が現在2328人中34人、障害をもつ写真が35人いることなどを話した。さらに、新型コロナの影響、温暖化対策、ウェルビーイング(心身の健康)の取り組みなどテーマごとに5つのグループに分かれて、仕事や生き方について社員と話し合った。

W杯応援に1000人 筑波大でパブリックビューイング

つくば市天久保の筑波大学サッカー場で27日、カタール・ワールドカップ(W杯)のパブリックビューイング(PV)が催され、コスタリカ代表と対戦した日本代表に声援を送った。日本は終盤の失点から0-1敗れ、1次リーグ突破は次のスペイン戦に持ち越された。 PVは筑波大学蹴球部と大学公認学生団体の「ワールドフットつくば」が主催した。事前申し込みで無料招待された地域住民と大学生の合わせて約1000人が試合を見守った。 三苫選手ら先輩に声援送る 筑波大は、代表メンバーの三苫薫(2019年度卒)と谷口彰悟(2013年度卒)両選手の母校。PV会場の第1サッカー場は、2人が学生時代に練習で汗を流した場所となる。 企画した山内健太朗さんは「サッカーによって生まれるつながりを大事にしたい。最近はコロナ禍で活動が限定されていたが、この機会を生かし、市民も巻き込んで、たくさんの人たちにサッカーの魅力を伝えたい」と意図を話す。大学との折衝では開催の意義は理解してもらえたが、感染対策などクリアすべきハードルは高かったという。放映権の購入費用にも大学OBなど大勢の人に協力を仰いだ。

木造校舎で学ぶ、育つ 《邑から日本を見る》124

【コラム・先﨑千尋】今月初め、日立市立中里小中学校を訪ねた。この春に中里地区の小学校と中学校が一緒になり、新しい木造校舎で学ぶということを知り、是非この目で確かめてみたいと考えていたからだ。太平洋に面する日立市の中で同地区は、山を越えた飛び地のような位置にある。日立鉱山の公害を描いた新田次郎の小説『ある町の高い煙突』の舞台となった場所だ。 この小中学校は2011年に小中一貫教育に移行し、翌年に小規模特認校に指定された。この指定により、市内のどこに住んでいても入学、転入できるようになった。9年制になった今年からは義務教育学校になり、9年間を通した独自のカリキュラムを組むことが可能となった。コミュニケーション科(英語、ことば)を設け、9年かけて子どもたちのスピーチやディスカッションの能力を高める授業に取り組んでいる。 さらに、外部講師を呼んで、落語や能楽なども体験している。田植えや稲刈り、リンゴ栽培の手伝いなど、地域の人たちとともに実りを実感できる活動や、地域主催の行事にも参加している。 新しい校舎は山と清流に囲まれ、子どもたちは、森の木々の彩り、草木のざわめき、川のせせらぎ―など、四季の変化と豊かな自然を感じ取ることができる。敷地の南側を流れる里川に沿った円形の校舎は、風景と調和するようにすべて木造。1階には職員室のほか、多様な授業やランチルーム利用などの多目的に使える、マルチスペース「きららホール」や、校舎の中央にある昇降口付近に図書室を配置しているのが特徴だ。2階にある普通教室は、廊下との間仕切りがないためオープンな教室となり、多様な学習形態に対応できる。 同校では校長が対応してくれ、学校の特色やどのような授業を行っているのかなどをお聞きし、教室を案内してもらった。現在の生徒数は53人で、そのうち地元は13人。他は市内の他地区からスクールバスなどで通学している。わずか3人の学年もあり、1人1人がきめ細かな教育を受けることができる。廊下で会った子どもたちの目はキラキラ輝いていた。