日曜日, 7月 3, 2022
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【震災10年】5 10年は区切りではない  古場泉さん・容史子さん

【柴田大輔】「原発災害は自然災害とは違う。10年で終わることはない」 つくば市で避難者同士の交流の場づくりに取り組む「元気つく場会(いい仲間つく浪会)」の共同代表・古場泉さん(65)が言葉に力を込める。避難者には、不安定な生活のなかで体調を崩す人も多くいる。 まるで世界が変わってしまった 泉さんとともに、会の共同代表を務める妻の容史子さん(65)も、避難生活の中で体調を崩した一人だ。現在も通院を続けており、制約のある生活を送っている。当初は不安定な生活の中で心のバランスも崩しかけた。震災後の10年を振り返り「まるで世界が変わってしまった」と話す。変化は体調だけではない。 「私にとって浪江の生活は、どこに行っても『こんにちは』って声掛け合う世界でした。それがいきなり知り合いの全くいない土地に。何も考えられなくなりました」 10年前、愛着ある自宅での、地域に根ざした生活が突然終わり、見知らぬ土地でのアパート暮らしが始まった。避難生活は、将来への不安と共に心身を圧迫した。周囲の人も同じだった。泉さんが振り返る。

【震災10年】4 今いる地域で働いて友達と遊べたらいい 宇名根悠樹さん

【柴田大輔】「あれを見ると、本当に『帰れないんだ』って実感しましたよね」 原発事故で双葉町から避難した土浦市の宇名根悠樹さん(22)は昨年11月、9年半ぶりに故郷に帰った。町から連絡を受け、小学校に残したままの荷物を受け取るためだった。12歳で東日本大震災に遭った。母校に向かう途中、フェンスで封鎖された自宅へ続く道を見た。隔離された自分の家に疎外感を覚えたと話す。 やりかけのゲームがあった 「僕は『もう帰らない』って覚悟を決めて出てきたわけじゃないんです。だから、このまま帰れないなんて思えないんですよね。なんか寂しいじゃないっすか」   当時は小学6年生で、卒業式を翌週に控えていた。4月には地元の中学に進学するはずだった。 「部屋にはやりかけのテレビゲームがあって、あと10分もやればクリアできたはずだったんです。最初は、それが本当悔しかったです」

【震災10年】3 止まった時間がやっと動き出した 森田光明さん・智美さん

【柴田大輔】つくば市で整体院を営む森田光明さん(53)は、趣味のバイクで時折、福島を走る。県境を超え、見上げる空や、流れる風景に目をやり、こう思う。 「地続きなので、そんなに他県と変わらないはずなんです。でも、福島に入るとなんだかいいなって。福島って、やっぱいいよなって思うんです」 父が独立した年齢を意識した 福島県双葉町の自宅は未だ、帰宅困難区域の中にある。49歳で勤務先の企業を退職し、避難先のつくば市東で2019年、妻・智美さん(46)とフォレスト整体院をオープンさせた。 10年前、父を津波で亡くした。悩んだときに背中をそっと押してくれる父だった。実直に働き家族を養ってきた父を「すごく大好きで、尊敬していた」と言い、「目標だった」と話す。光明さんは父の背中を見て生きてきた。51歳での開業は、造園業を営んだ父が独立した年齢を意識してのことだった。 光明さんは震災当時、福島第2原発に勤務していた。「泣きながら働いていた」というほど仕事に追われる日々だった。発電所内で揺れに遭い、避難所だった自宅近くの小学校で家族と落ち合った。だが、そこに父はいなかった。「100歳まで間違いなく生きる」と誰もが疑わないほど身体が強い人だったから「生きていれば、どんな状態でも帰ってくるはず」と思っていた。

【震災10年】2 浪江出身と言えなかった 原田葉子さん

【柴田大輔】「つくばに来て、やっと先が見えた気がしました」 夫、功二さん(44)が営む眼鏡店の2階で、原田葉子さん(44)が穏やかに話す。 福島県浪江町から避難中に経験した妊娠・出産、周囲に伝えられなかった自分のこと、未だ整理のつかない故郷への複雑な想い―。 震災は自身を取り巻く環境を大きく変えた。現在、つくば市学園の森の新興住宅地で新しい生活をスタートさせ、夫と長男の3人で暮らす。 「被災者」に後ろめたさ感じていた 「浪江出身」と伝えると返ってくる「大変だったね」「原発のとこだったんでしょ?」という言葉に、負担を感じていたという。葉子さんは、故郷の浪江町から避難し、5回、住む場所を変えてきた。その間、常に自分を「避難している人」だと感じていた。 「周囲の方に心配していただいて本当にありがたかったです。一方で、『被災者』だということに後ろめたさを感じていました」

【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん

東日本大震災から10年を迎える。福島原発事故から避難し、つくば、土浦で生活を再建しようとしている6人に話を聞いた。 【柴田大輔】「浪江に住み続けたい」と誰もがそう思える街をつくりたかった。震災は、原田功二さん(44)らが未来を見据えた街づくりの最中に起きた。 つくば市学園の森の新興住宅地に、元・浪江町商工会青年部長の原田さんは眼鏡店「グラン・グラス」を2018年にオープンさせた。真新しい店内だ。 グラン・グラス店内=つくば市学園の森3-10-2 地域おこしのさなかに起きた

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斎藤さだむさんのつくばセンタービル地肌空間など 3年ぶり「写真工房」写真展

つくば市を拠点に活動する写真サークル「写真工房」(藤澤宏会長)の「2022写真工房写真展vol.19+(プラス)」が、同市吾妻のつくば市民ギャラリーで開かれている。 顧問を務める同市在住の写真家、斎藤さだむさん(73)が、つくばセンタービル1階改修工事の過程で露わになった地肌空間を撮影した写真15点を展示するなど、会員ら11人が思い思いのテーマで撮影した写真計約110点が展示されている。新型コロナの影響で3年ぶりの開催となった。 写真工房は、同市主催の写真講座に参加した有志が2002年に結成し、20年になる。会員は約15人で、毎月1回例会を開いているほか、年2回撮影会に出掛けるなどしている。 斎藤さんのつくばセンタービル地肌空間は「史(ふみ)のあかし」と題した作品だ。第3セクター「つくばまちなかデザイン」による改修過程で、骨組みの状態に戻ったつくばセンタービルの、曲線を描く天井のコンクリート地肌や、象形文字が記されているのかと見まごう太い円柱の柱の地肌などを撮影している。「地肌空間を行き来し、40年という時間に思いをはせながら撮影した」という。 写真工房の写真展の様子 会員の藤澤裕子さんは、自宅の庭に咲くヒルザキツキミソウの花や、セミの抜け殻、カブトムシの幼虫などを撮影し、写真を重ねたり、反転させたりした作品10点を展示している。「日常見る庭の植物や昆虫を、非日常的な植物や昆虫として作品化した」。

ウクライナのニュース 《くずかごの唄》111

【コラム・奥井登美子】 「毎日、ウクライナのニュースを見ていると、僕はどういうわけか、丸木さんがあのニュースを見て何を言われるか、知りたいと痛切に思うようになってしまった」 「ご夫婦で原発の絵を担いで、世界中を行脚して回っていらしたわね。ウクライナはいらしたのかしら?」 「さあわからない…。2人とも、人類の悲劇を実際に見て、絵にしたんだもの、すごい人だよ。昔、位里さんと俊さんが、2人でうちへ来てくれた日のことも、つい、昨日のように思い出してしまう」 土浦市の奥井薬局の2階で、「丸木位里(いり)・俊(とし)展」をやったことがあった。250人もの人が駆けつけてくれて、盛況だった。お2人は我が家に泊まって、おしゃべりして、家のふすまが白いのを見て、刷毛(はけ)と墨汁(ぼくじゅう)を使って、大きな絵を描いてくださった。 生前葬やったの、覚えている?

臭いやアルコール対策示すも反発の声相次ぐ つくば洞峰公園事業で県の説明会

つくば市二の宮にある茨城県営の都市公園、洞峰公園(約20ヘクタール)で進められるリニューアル計画で、県は2日、同市竹園のつくば国際会議場で説明会を開いた。県と事業者による初の説明会。つくば市から懸念の声が出ていたグランピング施設とバーベキュー(BBQ)施設の臭いやアルコール対策について、県と事業者から対策が示されたが、参加した市民からは「洞峰公園を変える必要はない」など反発の声が相次いだ。つくば市民を中心に約150人が詰めかけ、県の説明に対し、会場からは厳しい反応が相次いだ。 臭いやアルコール対策について、パークPFI事業者「洞峰わくわく創造グループ」代表の長大が計画の一部見直し案を示した。①BBQ施設を当初計画していた冒険広場から、グランピング施設を整備する野球場中央に移す②炭焼きBBQは取り止め、煙が出ないガスグリルに変更する③深夜は管理人がおらず無人になる計画だったが、グランピングエリアの管理棟に24時間、管理人を常駐させる④夜9時以降はサイレントタイムとし騒いでいる人がいたら管理人が対応する⑤グランピング施設の周囲に目隠しとなる木製の柵を設け、景観に配慮する⑥南側駐車場の拡張(127台分)は、駐車台数を減らすことも含め、樹木をなるべく伐採しないよう計画を再検討するーなど。 一方、県は、公園全体が変わってしまうわけではないこと、パークPFI事業によって県が支出している指定管理料を年間6000万円削減でき、年平均8000万円かかる体育館やプールの大規模修繕を計画的に行える見通しが立ことなどを強調した。 収支計画の開示要求に答えず これに対し参加した市民からは、グランピング施設を収益事業の柱と位置付ける計画について、収支計画の開示を要求する意見が複数出された。長大が「民間事業者として、ノウハウも含めて収支計画は出すことができない」と答えると、会場から「これでは市民は計画の妥当性を判断できないではないか」など非難の声が投げかけられた。今回の目的の一つである、老朽化する体育館やプールの改修計画についても、収支計画を公開するよう求める声が出た。これに対し、県が公開時期を明確にできなかったことから、怒声が飛び交った。 絶滅危惧種など希少動植物が生息していることが市民から指摘された問題について県は、市民の意見を踏まえつつ、今後の対応を検討したいと答えるにとどまった。

挫折経験を強みに活躍するチームリーダー 土浦市 池田あゆみさん【ウーマン】3

土浦市田村町在住、池田あゆみさん(42)は、明治安田生命保険(本社・東京)つくば支社土浦南営業部に勤務して8年目の支部マネジャー。チームリーダーとしての仕事に「楽しくてやりがいがある」と笑顔で話す。余裕を感じさせる姿勢は、食いぶちを稼ぐための水商売を振り出しに、幾多の失敗や困難で得た経験によって培われた。 16歳で家出して水商売に 陸上自衛隊の自衛官だった父親の霞ケ浦駐屯地への異動で、小学6年のときに阿見町中央に引っ越してきた。4人きょうだいの末っ子。しつけが厳しく過干渉な母親から逃げたくて、中学3年になるとプチ家出を繰り返すようになった。 「夕方家に帰りたくなくて公園にいることが多かった。お腹が空いて、公園に隣接したコンビニが食べ残しの弁当を裏手の物置に入れるのを見ていたので、こっそり持ち出して食べました。(人の食べ残しに)抵抗はなかった。冬は学校のジャージだけで寒くて辛かった。行く当てはなくて翌朝には家に帰りました」 高校生になっても家は息が詰まり、週末は友だちと土浦の中心街に出かけるのが常だった。当時は駅前通りに大型店の小網屋や西友、丸井があって賑わい、路上でワゴン車に積んだ倒産品などを売る30代の男性、ノリさんと顔なじみになった。 何度もノリさんに「自分で稼いで食べていきたい」と訴え、夏休みが終わる頃、家出してノリさんの住む東京・小岩の高級クラブで働き始めた。クラブを経営していたママはノリさんの知人で、ママが衣装を貸してくれた。年齢は4歳サバを読んで20歳で通した。