木曜日, 3月 30, 2023
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富岡町出身者の交流団体立ち上げ 小園治さん、喜英子さん【震災12年】

福島県富岡町出身の小園治さん(72)と喜英子さん(67)は、つくば市の研究学園駅に近い新興住宅地に2016年から夫婦2人で暮らす。翌17年には、つくば市内に住む30世帯ほどの富岡町出身者に声を掛け、避難者同士が交流し親睦を深める「つくばさくら会」を立ち上げた。現在コロナ禍で活動を休止しているが、3カ月に1回ほど集まり、芋掘り、ブルーベリー摘み、料理教室 ボウリングなどのイベントを開催してきた。 「おなかの底から笑えるのは地元の人じゃないと。かしこまらなくて済むし」と喜英子さん。「富岡から来て、外に出にくかったり、自宅にこもりがちになっている人に声を掛けて、少しでも外の空気を吸ったりして、皆で楽しんでいる」と治さんは話す。 「つくばに来て、右も左も分からなかったが、外に出て何かやらなきゃいけないと、筑波大学のゴルフ講座に申し込んでそこで友達ができた」と治さん。喜英子さんは「つくば市役所の相談窓口で卓球サークルを紹介してもらって卓球を楽しむようになり、今も週1回、谷田部総合体育館で続けている。夫婦で大穂交流センターのいきいき体操教室に参加したお陰で友だちも増えて、『畑やらない?』って誘われて、豊里の畑でジャガイモをつくったりしている」と話す。 ただ、今年に入り、配偶者の死をきっかけに「ここにいる意味が分からない」と、福島県内に土地を見つけ、引っ越していった会員もいるという。 車庫の車の中で一夜 12年前の3月11日、喜英子さんは、福島第1原発から8キロほど離れた富岡町で、次女と2人で暮らしていた。夫の治さんは当時、電力会社の関連会社に勤務し、神奈川県川崎市の会社寮に単身赴任。東京電力社員の長男は、大熊町の社員寮に入り、BWR(沸騰水型軽水炉)の運転員を養成するためのBWR運転訓練センターで研修を受けていた。

住民の安心、安全前提に広報サポート 国立環境研の除染土実証事業でつくば市

原発事故に伴う福島県の除染土壌を再生利用する実証事業を、環境省がつくば市小野川の国立環境研究所などで計画している問題で、五十嵐立青つくば市長は6日の定例記者会見で「地元の住民の理解、安全、安心の確保が大前提の中で、今後、調整が整い次第(環境省が)住民説明会を実施する予定と聞いている。(説明会の)広報等のサポートをしていきたい」と述べた。 つくば市として除染土の実証事業を受け入れるか否かについて記者から質問が出て、五十嵐市長は「受け入れる、受け入れないではなく、拒否する権限もない」とし「国の事業を国の研究所内でする。除染土の問題は、福島県だけの問題ではなく全国的に取り組まなくてはならない課題」だと話した。 市によると、昨年10月19日、環境省からつくば市に、除染土壌の実証事業の候補地の一つになっているとの説明があった。昨年の報道後、近隣住民から市に対し「賛成、反対でなく候補地に選ばれたことを前もって教えてほしかった」などの意見が1件寄せられたという。 五十嵐市長は「あくまでも実証事業の候補地の一つという話を聞いている。正式に決定したものではないという認識でいる」とした上で「住民の理解が重要。説明会の範囲をきちんと決めていただい上で(日程などが)決まったらきちんと周知できるようにその方法を環境省と協議していきたい。市として必要な情報の周知は一緒に行っていく必要があると思っている」とし「環境省には安全性の丁寧な説明や事業プロセスの透明性の確保、実証実験に関する積極的情報開示について真摯(しんし)に対応いただきたい。環境省も当然そのつもりだと認識している」と述べた。 福島第1原発事故に伴う除染土壌は、東京ドーム11杯分が福島県内で中間貯蔵されており、2045年までに県外で最終処分することになっている。環境省は最終処分量を減らすため、1キロ当たり8000ベクレル以下の除染土を土砂やアスファルト、コンクリートなどで覆って盛土など公共工事で利用したり、5000ベクレル以下を土砂で覆って農地などに利用する計画を立て、福島県内では2018年から農地の盛土などの事業が実施されている。 国立環境研究所でこれから行う実証事業は福島県外では初めてとなり、ほかに埼玉県所沢市の環境調査研修所、東京都の新宿御苑の計3カ所で実施する計画。実証事業では各施設の広場や花壇、駐車場などに除染土を埋設し、土で覆って、植栽などへの影響を確認するなどとされている。(鈴木宏子)

【震災10年】5 10年は区切りではない  古場泉さん・容史子さん

【柴田大輔】「原発災害は自然災害とは違う。10年で終わることはない」 つくば市で避難者同士の交流の場づくりに取り組む「元気つく場会(いい仲間つく浪会)」の共同代表・古場泉さん(65)が言葉に力を込める。避難者には、不安定な生活のなかで体調を崩す人も多くいる。 まるで世界が変わってしまった 泉さんとともに、会の共同代表を務める妻の容史子さん(65)も、避難生活の中で体調を崩した一人だ。現在も通院を続けており、制約のある生活を送っている。当初は不安定な生活の中で心のバランスも崩しかけた。震災後の10年を振り返り「まるで世界が変わってしまった」と話す。変化は体調だけではない。 「私にとって浪江の生活は、どこに行っても『こんにちは』って声掛け合う世界でした。それがいきなり知り合いの全くいない土地に。何も考えられなくなりました」 10年前、愛着ある自宅での、地域に根ざした生活が突然終わり、見知らぬ土地でのアパート暮らしが始まった。避難生活は、将来への不安と共に心身を圧迫した。周囲の人も同じだった。泉さんが振り返る。

【震災10年】4 今いる地域で働いて友達と遊べたらいい 宇名根悠樹さん

【柴田大輔】「あれを見ると、本当に『帰れないんだ』って実感しましたよね」 原発事故で双葉町から避難した土浦市の宇名根悠樹さん(22)は昨年11月、9年半ぶりに故郷に帰った。町から連絡を受け、小学校に残したままの荷物を受け取るためだった。12歳で東日本大震災に遭った。母校に向かう途中、フェンスで封鎖された自宅へ続く道を見た。隔離された自分の家に疎外感を覚えたと話す。 やりかけのゲームがあった 「僕は『もう帰らない』って覚悟を決めて出てきたわけじゃないんです。だから、このまま帰れないなんて思えないんですよね。なんか寂しいじゃないっすか」   当時は小学6年生で、卒業式を翌週に控えていた。4月には地元の中学に進学するはずだった。 「部屋にはやりかけのテレビゲームがあって、あと10分もやればクリアできたはずだったんです。最初は、それが本当悔しかったです」

【震災10年】3 止まった時間がやっと動き出した 森田光明さん・智美さん

【柴田大輔】つくば市で整体院を営む森田光明さん(53)は、趣味のバイクで時折、福島を走る。県境を超え、見上げる空や、流れる風景に目をやり、こう思う。 「地続きなので、そんなに他県と変わらないはずなんです。でも、福島に入るとなんだかいいなって。福島って、やっぱいいよなって思うんです」 父が独立した年齢を意識した 福島県双葉町の自宅は未だ、帰宅困難区域の中にある。49歳で勤務先の企業を退職し、避難先のつくば市東で2019年、妻・智美さん(46)とフォレスト整体院をオープンさせた。 10年前、父を津波で亡くした。悩んだときに背中をそっと押してくれる父だった。実直に働き家族を養ってきた父を「すごく大好きで、尊敬していた」と言い、「目標だった」と話す。光明さんは父の背中を見て生きてきた。51歳での開業は、造園業を営んだ父が独立した年齢を意識してのことだった。 光明さんは震災当時、福島第2原発に勤務していた。「泣きながら働いていた」というほど仕事に追われる日々だった。発電所内で揺れに遭い、避難所だった自宅近くの小学校で家族と落ち合った。だが、そこに父はいなかった。「100歳まで間違いなく生きる」と誰もが疑わないほど身体が強い人だったから「生きていれば、どんな状態でも帰ってくるはず」と思っていた。

【震災10年】2 浪江出身と言えなかった 原田葉子さん

【柴田大輔】「つくばに来て、やっと先が見えた気がしました」 夫、功二さん(44)が営む眼鏡店の2階で、原田葉子さん(44)が穏やかに話す。 福島県浪江町から避難中に経験した妊娠・出産、周囲に伝えられなかった自分のこと、未だ整理のつかない故郷への複雑な想い―。 震災は自身を取り巻く環境を大きく変えた。現在、つくば市学園の森の新興住宅地で新しい生活をスタートさせ、夫と長男の3人で暮らす。 「被災者」に後ろめたさ感じていた 「浪江出身」と伝えると返ってくる「大変だったね」「原発のとこだったんでしょ?」という言葉に、負担を感じていたという。葉子さんは、故郷の浪江町から避難し、5回、住む場所を変えてきた。その間、常に自分を「避難している人」だと感じていた。 「周囲の方に心配していただいて本当にありがたかったです。一方で、『被災者』だということに後ろめたさを感じていました」

【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん

東日本大震災から10年を迎える。福島原発事故から避難し、つくば、土浦で生活を再建しようとしている6人に話を聞いた。 【柴田大輔】「浪江に住み続けたい」と誰もがそう思える街をつくりたかった。震災は、原田功二さん(44)らが未来を見据えた街づくりの最中に起きた。 つくば市学園の森の新興住宅地に、元・浪江町商工会青年部長の原田さんは眼鏡店「グラン・グラス」を2018年にオープンさせた。真新しい店内だ。 グラン・グラス店内=つくば市学園の森3-10-2 地域おこしのさなかに起きた

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音楽家たちに発表の場を つくばのカフェで演奏会

カフェやレストランなどを使って音楽家が発表する場をつくりたいと、つくば市内で飲食店を経営する飯泉智弥さん(49)が音頭をとり、同市竹園の商業施設、ヨークベニマルタウン内のエヌズ カフェ(N's Café)で20日、家族連れや関係者を招いたミニコンサートが開かれた。 飯泉さんは2017年に、小学1年生から大学生までの「筑波ジュニアオーケストラ」の立ち上げに尽力した(2017年10月27日)。21年にはつくば駅前の商業施設トナリエつくばスクエア・クレオに地元の音楽愛好家たちのためストリートピアノ「つくぴあ」を設置した。 その後、ストリートピアノの利用者たちの間から、定期的な音楽会をやってみようという声が上がったという。 飯泉さんは、どんな形で開催できるか、まずは試しにやってみようと、自らがオーナーとなっているカフェをプレ・イベントの開催会場とした。 店内のどの場所で演奏するか探りながら、当日はカフェの中央にステージを作った。来店客は、テーブルに座って食事をしながら音楽を聞く形になった。

3回目の桜《短いおはなし》13

【ノベル・伊東葎花】 早春の公園。青空に映える満開の桜。 私は公園のベンチに座って、砂遊びをする息子を見ていた。 「見事に咲きましたなあ」 隣に座る老人が話しかけてきた。 老人は、息子を見ながら言った。

数センチの隆起や沈下を面で可視化 「地殻変動の地図」公開

国土地理院 人工衛星データを解析 国土地理院(つくば市北郷)は28日、日本全国の大地の動きを可視化する「地殻変動の地図」を公開した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)が運用する陸域観測技術衛星2号「だいち2号」の観測データ8年分を用いて作成された変動分布図で、地形のわずかな隆起や沈下を彩色によって分かりやすくとらえられるようにした。 公開された全国地殻変動分布図は「地理院地図/GSI Maps」により一般にも簡単にアクセスし閲覧できる。 地殻変動分布は「だいち2号」の合成開口レーダー、SAR(Synthetic Aperture Radar)技術によって得られた。人工衛星から地表に向けて電波を照射し、戻ってきた電波を受信し、往復にかかる時間により地表までの距離を面的に観測するセンサーの一種。人工衛星では、地球を周回しながら同一地点に異なる方向から電波を2回、照射し観測することで、大きな開口を持ったアンテナと同様な解像度を得る。 微小な地形の変化を正確に読み取るには、統計的処理のために大量のデータが求められた。2014年8月から8年以上の観測データを得て、時系列解析を行った。国土地理院宇宙測地課、佐藤雄大課長によれば、衛星からの撮影は約1500回に及び、画像枚数にして6400枚のデータを得たという。

仕様書不備で落札決定取り消し つくば市

つくば市が3日に開札を実施した同市佐地区と上菅間地区2カ所にある生活排水路浄化施設の維持管理業務の一般競争入札で、同市は28日、業務委託の仕様書の中で、汚泥の処分方法を「産業廃棄物として処分する」など明記すべきところを明記していなかったとして、落札者の決定を取り消し、入札を不調にしたと発表した。 市環境保全課によると業務委託の内容は、2カ所の浄化施設を今年4月から来年3月までの1年間、維持管理点検し、汚泥を清掃し処理するなどの業務で、2月10日に一般競争入札が告示された。予定価格は約276万円で、3者が入札に参加。今月3日に開札が行われ、落札業者が決定していたが、28日までに仕様書の記載内容に不備が確認されたとして、落札者の決定を取り消す。 今後の対応について同課は、入札業者に事情を説明すると共に、4月以降の業務について、数カ月間は随意契約とし、その間に入札の準備を進めて、改めて入札を実施するとしている。 再発防止策として、仕様書を作成する際は複数名により記載内容の確認を徹底し、適正な仕様書を作成することで再発防止に努めますとしている。