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銘酒をつなぐ伝統の水戸線 《茨城鉄道物語》11

【コラム・塚本一也】茨城県を最初に通った鉄道は東北線であり、県内で最初に開業した鉄道も実は常磐線ではなく、水戸線であることは以前お話ししました。昔は、茨城県民は水戸線を使って小山回りで東京へ行っていたようです。水戸線の歴史は古く、2019年1月16日で開業130周年を迎え、JR水戸支社では当時、盛大にイベントを開催しました。そんな水戸線の沿線は、歴史に裏打ちされたように、県内有数の酒蔵がラインナップされております。 茨城県は日本有数の酒どころであり、大小合わせると県内に約45の酒蔵があります。茨城県酒造組合の資料によれば、北から久慈川水系、那珂川水系、筑波山水系、鬼怒川水系、利根川水系と、5つのカテゴリーに分類されるようです。その酒蔵地帯を、那珂川水系から筑波山水系を経て、鬼怒川水系へと県を横断するようにつないでいるのが水戸線なのです。 例えば、始発の水戸駅近辺には、私の好きな「一品」を造る吉久保酒造、明利酒造、木内酒造があります。少し走ると、笠間の須藤本家、笹目宗兵衛商店があり、稲田に着けば「稲里」の磯倉酒造があります。さらに筑西市に入ると、来福酒造、真壁の村井酒造、西岡本店などが軒を連ねます。そして終点に近づき、結城駅周辺にはこれまた私の好きな銘酒「武勇」を造る武勇と結城酒造が控えております。 お座敷列車で日本酒をチビチビと… このように、沿線にこれだけ数多くの酒蔵がそろっている路線は大変珍しく、これを観光に生かせないものかと思慮しているところであります。夏になるとビール列車を走らせるという企画は、地方ローカル線でニュースになることがあります。しかし、「日本酒列車」では酔いが回るのが少し早すぎるような気もするので、お座敷列車でチビチビとやりながら、のんびりと旅行するような企画がよいのかもしれません。 また、お酒にはそれに合ったつまみが、ご当地の食文化としてもてはやされます。ブルーチーズと赤ワインのように、お互いを引き立てる地元の名産品をセットで用意すべきでしょう。昨今話題となっているジビエ料理で、何か開発はできないでしょうか? イノシシのジャーキーなんかは、辛口の日本酒に合うような気がするのですが、私の好みになってしまいますね。(一級建築士)

銘酒をつなぐ伝統の水戸線 《茨城鉄道物語》11

【コラム・塚本一也】茨城県を最初に通った鉄道は東北線であり、県内で最初に開業した鉄道も実は常磐線ではなく、水戸線であることは以前お話ししました。昔は、茨城県民は水戸線を使って小山回りで東京へ行っていたようです。水戸線の歴史は古く、2019年1月16日で開業130周年を迎え、JR水戸支社では当時、盛大にイベントを開催しました。そんな水戸線の沿線は、歴史に裏打ちされたように、県内有数の酒蔵がラインナップされております。 茨城県は日本有数の酒どころであり、大小合わせると県内に約45の酒蔵があります。茨城県酒造組合の資料によれば、北から久慈川水系、那珂川水系、筑波山水系、鬼怒川水系、利根川水系と、5つのカテゴリーに分類されるようです。その酒蔵地帯を、那珂川水系から筑波山水系を経て、鬼怒川水系へと県を横断するようにつないでいるのが水戸線なのです。 例えば、始発の水戸駅近辺には、私の好きな「一品」を造る吉久保酒造、明利酒造、木内酒造があります。少し走ると、笠間の須藤本家、笹目宗兵衛商店があり、稲田に着けば「稲里」の磯倉酒造があります。さらに筑西市に入ると、来福酒造、真壁の村井酒造、西岡本店などが軒を連ねます。そして終点に近づき、結城駅周辺にはこれまた私の好きな銘酒「武勇」を造る武勇と結城酒造が控えております。 お座敷列車で日本酒をチビチビと… このように、沿線にこれだけ数多くの酒蔵がそろっている路線は大変珍しく、これを観光に生かせないものかと思慮しているところであります。夏になるとビール列車を走らせるという企画は、地方ローカル線でニュースになることがあります。しかし、「日本酒列車」では酔いが回るのが少し早すぎるような気もするので、お座敷列車でチビチビとやりながら、のんびりと旅行するような企画がよいのかもしれません。 また、お酒にはそれに合ったつまみが、ご当地の食文化としてもてはやされます。ブルーチーズと赤ワインのように、お互いを引き立てる地元の名産品をセットで用意すべきでしょう。昨今話題となっているジビエ料理で、何か開発はできないでしょうか? イノシシのジャーキーなんかは、辛口の日本酒に合うような気がするのですが、私の好みになってしまいますね。(一級建築士)

アライグマ対策追い付かず 捕獲数13年で166倍超、防除は住民任せ

茨城県の「第2次アライグマ防除実施計画」が31日に期限を迎える。特定外来生物に指定されるアライグマは、「生態系への被害防止のため最終的には野外からの完全排除を目標として防除を行う」とする県の説明の一方で、防除対策は住民に任され増加に歯止めはかかっていない。次年度以降の対策はどうなるのか。県は「4月中旬頃を目安に正式な公表を予定」していると説明する。 9頭が1499頭超に 2月末の段階で、今年度に県全体で捕獲されたアライグマは1499頭。増加傾向が顕著になった2007年度は、わずかに9頭だった。茨城で初めて野生のアライグマが観測されたのが1994年。個体数の増加とともに生息域も広がった。 国により2009年「特定外来生物」に指定されたアライグマは、生態系への影響が強く危惧され、対策の緊急性が高いことから、2016年には「緊急対策外来種」のリストにも載った。県内ではつくば市、土浦市を含む12自治体が、最もアライグマが定着しているとの想定から「重点防除対応地域」になっている。「防除」とは、「予防と駆除」を同時に行うことを意味する。 県によると農業関連の被害額は、2019年度が約855万円。被害が顕著なイノシシによる被害額が9000万円であることに比べるとまだ少ない。全国的には2000年に3600万円だったものが、2018年は3億7500万円に増えている。 県は2010年、アライグマ防除実施計画を策定し対策を進めてきた。2016年には改めて5カ年間の「第2次アライグマ防除実施計画」を再策定した。その間も、捕獲された個体数は増加の一途をたどっている。 「科学的データが不足」 「防除計画」の課題として、県自然環境課自然・鳥獣保護管理グループは取材に対し、個体数を減少させるための科学的データが不足しており、引き続き防除と情報収集に努めると回答した。また今後の改善点として、行政の取り組みを充実させるとした上で、「住民自らによる捕獲と予防管理の実施」について、地域住民へ一層の周知拡大を図るとする。さらに「従来からの捕獲従事者の養成等を継続し、防除の体制の整備拡充を進めたい」と展望を述べた。 アライグマ駆除には狩猟免許が必要ないが、捕獲するには「防除作業従事者」になる必要がある。県が例年7月ごろに開催する講習会へ参加し、安全確保の講義やわなの組み立て実習などを経て、市町村の「従事者」として防除作業に臨むことになっている。 行政は捕獲用の檻を貸し出し、捕獲した個体を引き取る程度の役割で、捕獲自体は市民の自主性に任されている現状がある。 市街地からも駆除依頼顕著に 日本で野生化したアライグマが最初に確認されたのは1962年。全国的な広がりのきっかけは、1970年代に放映されたアニメによるペットブームだという説がある。以降、2006年までに全都道府県で確認されている。 つくば市の猟友会桜支部長、岩瀬明さん(72)は、アライグマを含めた野生動物増加の要因を、農村部の高齢化と人口減少、社会構造の変化が関連し合うと話す。手入れの行き届かない山林や耕作放棄地が増え、野生動物が住み着いた。それにより獣害が増えることで、さらに離農する人が増えるという悪循環を指摘する。 水戸市を拠点に活動する「衛生害虫獣駆除サービスたいじ屋」の渡辺一之さん(57)は、駆除依頼ケースの変化を話す。高齢化により家主を亡くした空き家に住み着く野生動物への依頼が増えているのだ。依頼は農村部だけでなく、市街地からも顕著になっている。また、駆除現場からの実感として、増加する「餌」の存在も指摘する。空き家敷地内に放置される樹木に実る柿や栗などの果実、農地に積み上げ遺棄される農作物などがある。 アライグマ対策は、県の防除計画をもとに市町村が現場に応対する。自治体によって対応に「熱量の差」があると渡辺さんは指摘する。アライグマは生後1年で、4月ごろから複数の子どもを出産する。このため、春から夏の捕獲圧を上げることが生息数を減らすのに効果的とされるが、講習会の開催時期が7月ごろで適切なのか。捕獲許可申請の迅速さ、担当職員の情報収集力など、行政の当事者意識が、多角的な対応を必要とするこの問題解決の鍵になる。(柴田大輔) ➡イノシシ被害の記事はこちら

《邑から日本を見る》73 安倍政治を検証する(3) 農業・沖縄に冷たかった!

【コラム・先﨑千尋】安倍政治は農業、農民にとってどうだったのか。安倍前首相はかつて「美しい日本」という表現を使った。その美しい日本は、自然豊かな風景と農山村、風光明媚(めいび)な海岸線などから形作られている。そこには昔から人が住み、農業、林業、漁業をなりわいとして生きてきた。江戸時代には「百姓は生かさぬように殺さぬように」という言葉があったが、民百姓はその中身はともかく、生きてきた。 今はどうか。ここで細かい数字を挙げることは控えるが、第1次産業といわれる農業、林業、漁業いずれでも、専業で暮らしている人はほんのわずかしかいない。理由は簡単だ。それでメシが食えない、生活できないからだ。それだけではない。山間部では「挙家離村(きょかりそん)」によって集落が消滅しているところも出てきている。 現日本郵政社長の増田寛也氏は、その著『地方消滅』で、864の市町村が消滅すると警鐘を鳴らしているが、田畑、山林が荒れ、イノシシなどが跋扈(ばっこ)し、小さな漁港も消えてしまっている。それを「美しい国」と言うのか。「美しい日本」を維持するために安倍政治は何をしたというのだろうか。自分の故郷を見よ。 安倍前首相は「岩盤規制にドリルで穴を開ける」と豪語した。そして農業つぶし、農協つぶしに走った。国会の議決によってではなく、規制改革推進会議という首相のお仲間の人たちが農業現場の声を無視し、大規模化や生産・流通の自由化、農業への企業参入、農協制度の見直しなどを進めていった。 とどめは、環太平洋経済連携協定(TPP)に反対した全国農協中央会(全中)を解体してしまったことだ。「美しい」という言葉とはまったく逆のことを安倍政治はやってきた。 安倍政権が「岩盤」と言う農村社会は、人々が弥生時代から山野を切り開き、作物を育て、家畜を飼い、自然と共生しながら文化を育み、地域社会を維持してきた。それをズタズタにしたのが安倍政治だ、と私は断罪する。 「地方自治体に抑圧的な政権」 安倍政権は地方の声を拾い上げることもしてこなかった。その典型は沖縄であろう。世界一危険な普天間飛行場を名護市辺野古に移設する計画に対して、沖縄県民は県民投票や相次ぐ国政選挙でノーの声を上げ続けてきた。 しかし、安倍政権は「辺野古が唯一の選択肢。それ以外は国の安全保障に反する」と言うだけで、議論を封殺し、他の選択肢を与えない。すり寄ってくる知事や自治体には予算の大盤振る舞いをし、反対の声を上げ続けた翁長知事には面会すら拒否した。 「丁寧な説明をする。県民に寄り添っていく」と言い続けながら、実行されたことはなかった。「歴代で最も沖縄に冷たい首相。これほど地方自治体に強権的、抑圧的な政権はなかった」と沖縄の識者たちは訴えている。 沖縄、そして日本のために政権がやるべきことは、わが国にとって屈辱的な日米地位協定の改定だ。首都東京上空の制空権はいまだにアメリカが持っている。コロナ患者の米兵がこの国に自由に出入りしている。米兵が犯罪行為をしても、基地内に逃げ込めば、わが国は手出しできない。 お隣の韓国や北朝鮮には強いことを言い続けていながら、武器の爆買いなどでもわかるように、アメリカには先方の言いなり。これで独立国と言えるのか。悲しいことだ。(元瓜連町長)

《邑から日本を見る》73 安倍政治を検証する(3) 農業・沖縄に冷たかった!

【コラム・先﨑千尋】安倍政治は農業、農民にとってどうだったのか。安倍前首相はかつて「美しい日本」という表現を使った。その美しい日本は、自然豊かな風景と農山村、風光明媚(めいび)な海岸線などから形作られている。そこには昔から人が住み、農業、林業、漁業をなりわいとして生きてきた。江戸時代には「百姓は生かさぬように殺さぬように」という言葉があったが、民百姓はその中身はともかく、生きてきた。 今はどうか。ここで細かい数字を挙げることは控えるが、第1次産業といわれる農業、林業、漁業いずれでも、専業で暮らしている人はほんのわずかしかいない。理由は簡単だ。それでメシが食えない、生活できないからだ。それだけではない。山間部では「挙家離村(きょかりそん)」によって集落が消滅しているところも出てきている。 現日本郵政社長の増田寛也氏は、その著『地方消滅』で、864の市町村が消滅すると警鐘を鳴らしているが、田畑、山林が荒れ、イノシシなどが跋扈(ばっこ)し、小さな漁港も消えてしまっている。それを「美しい国」と言うのか。「美しい日本」を維持するために安倍政治は何をしたというのだろうか。自分の故郷を見よ。 安倍前首相は「岩盤規制にドリルで穴を開ける」と豪語した。そして農業つぶし、農協つぶしに走った。国会の議決によってではなく、規制改革推進会議という首相のお仲間の人たちが農業現場の声を無視し、大規模化や生産・流通の自由化、農業への企業参入、農協制度の見直しなどを進めていった。 とどめは、環太平洋経済連携協定(TPP)に反対した全国農協中央会(全中)を解体してしまったことだ。「美しい」という言葉とはまったく逆のことを安倍政治はやってきた。 安倍政権が「岩盤」と言う農村社会は、人々が弥生時代から山野を切り開き、作物を育て、家畜を飼い、自然と共生しながら文化を育み、地域社会を維持してきた。それをズタズタにしたのが安倍政治だ、と私は断罪する。 「地方自治体に抑圧的な政権」 安倍政権は地方の声を拾い上げることもしてこなかった。その典型は沖縄であろう。世界一危険な普天間飛行場を名護市辺野古に移設する計画に対して、沖縄県民は県民投票や相次ぐ国政選挙でノーの声を上げ続けてきた。 しかし、安倍政権は「辺野古が唯一の選択肢。それ以外は国の安全保障に反する」と言うだけで、議論を封殺し、他の選択肢を与えない。すり寄ってくる知事や自治体には予算の大盤振る舞いをし、反対の声を上げ続けた翁長知事には面会すら拒否した。 「丁寧な説明をする。県民に寄り添っていく」と言い続けながら、実行されたことはなかった。「歴代で最も沖縄に冷たい首相。これほど地方自治体に強権的、抑圧的な政権はなかった」と沖縄の識者たちは訴えている。 沖縄、そして日本のために政権がやるべきことは、わが国にとって屈辱的な日米地位協定の改定だ。首都東京上空の制空権はいまだにアメリカが持っている。コロナ患者の米兵がこの国に自由に出入りしている。米兵が犯罪行為をしても、基地内に逃げ込めば、わが国は手出しできない。 お隣の韓国や北朝鮮には強いことを言い続けていながら、武器の爆買いなどでもわかるように、アメリカには先方の言いなり。これで独立国と言えるのか。悲しいことだ。(元瓜連町長)

ニホンジカ情報提供呼び掛け つくばでも15年に捕獲

【山崎実】明治から大正時代に茨城県内から絶滅したとされるニホンジカが近年、県内各地で目撃されている。県と市町村は、ニホンジカの情報提供を呼び掛けている。 県は昨年7月、県境を超えて「福島・茨城・栃木連携捕獲協議会」を設立した。県内でも今年2月に「県ニホンジカ情報連絡協議会」を設立するなど、ニホンジカ侵入の厳戒体制に入った。 農作物などへの被害対策としては、イノシシ捕獲が行われているが、ニホンジカは農作物だけでなく、樹皮剥ぎなど森林にも被害を及ぼすことが報告されている。 特に近年は、過疎化や狩猟者の減少などから、イノシシ、ニホンジカなどの野生生物の生息域が拡大傾向にあるという。 県内では、2015年11月につくば市内でオスが捕獲された情報がある。昨年5月には結城市内でオスが、11月には県北の久慈川支流・里川周辺を中心に目撃情報があった。今年1月には龍ケ崎市でオスが目撃されている。 生息域の拡大は、まず最初にオスが入り、その後メスが入ってきて繁殖するパターンで、一気に増加するという。茨城県の場合、捕獲または目撃された個体がすべてオスであることから、侵入は初期段階と見られている。 捕獲の取り組みとしては現在、市町村などが行っているイノシシの捕獲に併せたニホンジカの予察捕獲実施に協力を依頼しているが、侵入を防ぐためには目撃情報の収集が必須条件だ。 このため県自然環境課では、県内の市町村広報紙や、「林業いばらき」など関係業界誌などを通して、情報提供の協力を呼び掛けている。

「農業コーナー」2回目 土づくりに必要な堆肥と石灰

【伊藤悦子】土浦市のインターネットテレビ、Vチャンネルいばらきは14日、那珂市の秋葉農園、秋葉憲一さんによる「農業コーナー」第2回を放送した。 https://www.youtube.com/watch?v=CrtouQCCEI4 視聴者からの農業についての質問のほか、土づくりに必要な堆肥(たいひ)と石灰について話があった。また同市乙戸のお食事どころ「ママのごはん」で行われるそば打ち体験について案内があった。 熊本県の視聴者から「タヌキやサル、イノシシなど動物による農作物への被害に困っている、どんな対策をすればよいか」という質問があった。これに対し秋葉さんからは「私の農園にもイノシシが来ます。すでに電気柵があるとのことですが、さらに電気柵を増やしてはどうでしょうか。またタカなど猛禽(もうきん)類を飛ばす専門家に依頼するのもよいのでは」と話した。 家庭菜園の土作りにも欠かせない、堆肥と石灰の種類や使い方について話を聞いた。「野菜作りには、土地の雨量や気温などの年間データを集めることも重要」というアドバイスがあった。 そば打ち体験は3月14日午後2時から4時。同秋葉農園で収穫したそば粉を使って行われる。全くそばを打ったことのない初心者でも参加できるそう。費用は3000円(税込み)。問い合わせは電話029-282-7510(ママのごはん)

【つくば市長会見】給食の地産地消を推進 納入業者拡大など検討

【鈴木宏子】つくば市、五十嵐立青市長の12月定例会見が17日、同市役所で開かれた。地場産物を学校給食に積極的に活用する「市学校給食地産地消推進ガイドライン」を12月に策定したほか、第2次市鳥獣被害防止計画案の策定、第5次市きれいなまちづくり行動計画案の策定などについて報告があった。 冷凍、カット野菜など加工品開発も 給食地産地消推進ガイドラインは、策定により、地場産物を安定的に供給できる体制をつくることなどを基本方針とする。 地場産物はこれまで主に地元のJAつくば市、JAつくば市谷田部が納入してきた。納入品目が少ない月は地場産物がほぼ使用できない状態があるなどから、農業法人や地域の生産組合とも納入の可能性を協議する。さらに冷凍・冷蔵貯蔵やカット野菜など加工品開発を積極的に行い地場産物を通年安定して納入できるようにする。 地場産物の利用拡大に向けては月に1回「つくば地産地消の日」を設け地場産物を多く使用した献立を提供する。 2018年度の学校給食の地場産物納入率は、使用品目換算でつくば市産が16.1%、県産が38.7%。ガイドラインの取り組み期間は今年度から5年間で、中間年度の2021年度に目標値を設定する。 イノシシ捕獲3年で3.7倍 第2次市鳥獣被害防止計画案は、来年度から3カ年の計画で、被害防止対策鳥獣にイノシシのほか新たにカラスを加える。これまで1頭約1万円のイノシシ捕獲奨励金を出すなどの対策により、2016年度の捕獲頭数は133頭、17年度は284頭、18年度は500頭と3年間で3.7倍に増えたという。(19年6月30日付、7月1日付) 第2次計画により、イノシシは旧筑波町全域で銃器やわなによる捕獲に引き続き取り組むほか、カラスは11月から2月に鳥獣保護区域を除く市内全域で銃器による捕獲に取り組む。 同計画案は9日から来年1月6日までパブリックコメントを実施し、来年2月ごろ策定予定だ。 ほかに、ポイ捨て対策、放置自転車対策などを定める第5次市きれいなまちづくり行動計画では、新たに空き缶・印刷物散乱防止事業、花と緑の啓発事業などを新規事業として加える。同行動計画は来年度から5年間。9日から来年1月6日までパブリックコメントを実施し来年4月ごろ策定予定。 ➡つくば市長会見の過去記事はこちら

《吾妻カガミ》67 つくばと土浦の話題をヤフーに提供

【コラム・坂本栄】「NEWSつくば」は11月6日から「Yahoo!ニュース」経由でのニュース発信を始めます。これまでは本サイトのほか、フェイスブックやツイッターで発信してきましたが、新たにヤフーが加わります。当面は日々のニュースから地域性の強いものを毎日1本選び、同サイトの地域欄に提供します。NEWSつくば発足から2年1カ月。本サイトは新しいフェーズ(段階)に入りました。 他メディアとの連携、今後の編集方針については、本コラムの「残暑御見舞 今秋からヤフーでも発信!」(8月19日掲載)をご覧ください。提供する記事は、「比較的若いまち 研究学園都市つくば市の諸相」「商業都市から観光都市に脱皮しつつある 歴史あるまち土浦市の諸相」になります。科学のまちと歴史のまち、それぞれの移(うつ)ろいと足掻(あが)きを伝えられればと思います。 打ち合わせの際にヤフーの担当者から面白いことを聞きました。ローカル記事でアクセスが多いのはどんなものかを尋ねたところ、動物絡みということでした。多くの方が興味を持つような、イノシシが暴れたとか、サルが噛みついたとかのネタは、ヤフーも歓迎しているそうです。当サイトはこういったニュースはもちろん、多くの方が関心を持つようなローカルの話題を発信していきます。 新聞の限界とネットの可能性 ネットはメディアのこれまでの常識を変えつつあります。全国紙は東京の話題を全国に伝えるのが仕事でした(ローカルの話題にも紙面を割いてはいますが…)。配送の制約から遠隔地の地方紙を読むことはできませんでした。ところがネットはこういった特性・制約を乗り越え、地域と中央をフラットにし(どこでも全国のニュースが閲覧可)、地方と中央をひとまとめにしたからです(ヤフーのようなサイトで一覧可)。 新聞の限界とネットの可能性については、「新聞部数 10年で2割減 10年後は?」(2018年2月19日掲載)をご一読ください。私はこの中で、コンテンツ(記事や写真など)を載せるメディア(コンテンツの運搬手段)という切り口から、ネットの優位、新聞の劣位を指摘しました。それから約1年半。新聞各社のネット化の動きを見ていると(私は朝日、日経、WSJの電子版を契約)、伝統メディア新聞の衰えを強く感じます。 ネットメディアの利点は、載せられるコンテンツが記事や写真だけでなく、動画や音声も載せられることです。紙面の制約がありませんから、たっぷりした記事を掲載できます。印刷の必要もありませんから、早めに画面に掲載できます。どこでも見られるスマホに展開できるのも優れた点です。実に使い勝手がよいメディアです。(NEWSつくば理事長) ➡坂本栄の過去のコラムはこちら

200万円は谷田部のまちおこし団体に つくば周辺市街地活性化コンペ

【鈴木宏子】「総額400万円 1件最高200万円」と銘打った、つくば市の周辺市街地を元気にする「つくばR8地域活性化コンペティション」の最終審査が27日、つくば市役所コミュニィー棟で実施された。最高額の200万円は、谷田部地区のまちおこし団体「わわわやたべや町民会議」による江戸時代に活躍したからくり伊賀七をテーマにした演劇公演などのプランに支給されることが決まった。 200万円のほか、100万円1件、50万円2件が決まった。100万円は、まちおこし団体「小田地域まちづくり振興会」による、イノシシ対策を兼ねた宝きょう山登山口の耕作放棄地に芝桜を植えるプランが選ばれた。 50万円の2件は、筑波大芸術系環境デザイン領域の藤田直子研究室による、ゲーム感覚で街歩きしながら地域の魅力を発見するマップづくりプランと、県立並木高校出身の横山大貴さんら4人による、かつて北条地区の「つくば道」を行き交っていた大八車を、屋台に改装したイベントプランが採択された。 同コンペは、市周辺地区にある北条、小田、大曽根、吉沼、上郷、栄、谷田部、高見原の8カ所の旧市街地を活性化しようと、5~6月に市民や企業などからプランを公募した。倍率10倍を超える47件の応募=6月18日付=があり、27日は1次審査を通過した10件=7月8日付=による公開プレゼンテーションが行われた。約150人の市民が見守る中、最終審査に残った10件の提案者は、映像や図表を駆使しながら自分たちの活性化プランを熱を込めて説明した。4人の審査員と来場者の投票で4件が支給対象に選ばれた。 審査委員長の蓮見孝筑波大名誉教授は、200万円の支給が決まった谷田部地区のプランについて「これからは物語を編んでゆく時代。伊賀七の公演を見に行ったところ停電になったが、だれも文句を言わず舞台を見ていた。地域がおおらかで人間的なものを持っているのが強み」などと評した。 五十嵐立青市長は「まちづくりは打ち上げ花火ではできない。継続して地域の人が周りとつながってまちづくりをすることが出発点。今年選ばれた人がどういうパートナーシップで事業を進めるかで今後の展開が違ってくる。行政も共に歩んでいきたい」などと話し、来年度も周辺市街地活性化コンペを継続する意向であることを明らかにした。 支給が決まった4つのプランは、今年度中に各地区で実行され、来年2月に成果報告会が実施される予定。谷田部地区の「わわわやたべや」のメンバーで、劇団「伊賀七座」を率いる座長の北野茨さんは「やりたいことがたくさんある。住民の期待がすごく大きいので、大規模に、そして地道に、まちの活性化を続けたい」と話している。

【つくば市長会見】1次審査通過の10件を発表 周辺市街地活性化コンペ

【鈴木宏子】つくば市、五十嵐立青市長の7月の定例会見が8日、同市役所で行われた。想定を大幅に上回り倍率10倍超の応募があった=6月18日付=周辺市街地を元気にする「つくばR8地域活性化コンペティション」について、1次審査を通過した10件を明らかにした。 10件は▽デザイン会社「ターバン」(つくば市)による北条・小田・宝きょう山などを結ぶ登山・サイクリスト・アウトドア愛好者向けウェブサイト作りプラン ▽古民家を使ったまちおこし団体「TUKKURA(ツックラ)」(同)による旧小田小学校での防災キャンプイベントのプラン ▽農産物販売会社「よろぎ野・菜」(同)による地元農家と地産地消レストランをつなぐ連携プラン ▽県建築士会筑波支部事務局(同)による上郷地区の金村別雷神社や小貝川などをPRするイベントプラン ▽筑波大芸術系環境デザイン領域(同)によるゲーム感覚で街歩きしながら地域の魅力を発見するマップづくりプラン ▽筑波大明石純一研究室(同)などによる留学生と地域のレストランなどがコラボした多文化メニュー&レシピ開発プラン ▽つくば市出身の横山大貴さんら4人による大八車を屋台に改装したイベントプラン ▽まちおこし団体「小田地域まちづくり振興会」(同)によるイノシシ対策を兼ねた宝きょう山登山口の一部に芝桜を植えるプラン ▽遊休地とキャンプ愛好者のマッチングサービスを行う「forent(フォレント)」(同)による周辺市街地でのキャンピングカーでの宿泊プラン ▽谷田部地区のまちおこし団体「わわわやたべや町民会議」(同)による江戸時代に活躍したからくり伊賀七を生かした演劇公演などのプラン。 27日、市役所コミュニティ棟で公開プレゼンテーションを行い、最終審査を実施し、4件程度を採択するという。採択されたプランには最高200万円、総額400万円が贈られ、8月から来年3月までにプランを実行してもらう。 ほかに7月1~3日に中国・大連で開かれたダボス会議の夏バージョン「ニュー・ワールド・チャンピオンズ年次総会(サマーダボス会議)に五十嵐市長が参加し、オープンセッションやコミュニティセッションに登壇したなどの報告があった。 旧総合運動公園用地の売却に向けて事業提案を公募した=4月26日付、5月6日付=結果ついては、2件の応募があったという。応募締め切りは5日だった。2件の事業者名や提案内容については「これから(市議会)全員協議会で話をしたい」と、明らかにしなかった。

《邑から日本を見る》38 山美し、されど民貧し

【コラム・先﨑千尋】わが家の田植えはいつものように5月の連休だ。田んぼは5反歩だから、田植えそのものは半日で終わる。それまでの準備で骨が折れる。わが家は、いわゆる中山間地まではいかないが、なだらかな丘陵地帯なので、田んぼは谷津田。イノシシが出没するので、その対策も怠れない。水は小川から引き込む天水頼り。雨が少ない年は水引きに苦労する。 土手の草を刈る。水漏れを防ぐために畦畔版(けいはんばん)を張る。トラクターが入らない角の所を万能(まんのう)で掘り起こす。水を入れるまでの作業が結構ある。そして種まき。育苗箱に土を入れ、タネを播(ま)き、ハウスで水をかけながら成長させる。 農協に頼めば1枚幾らでやってもらえるが、わが家ではいつものように、孫の手を借りながらタネをまき、苗を育てる。田植えをしたあとも水の管理や草取り、周りの草刈りなど、出来秋まで手が抜けない。 丹精(丹誠とも書く)という言葉がある。ものごとに心をこめるという意味だ。農作業は手作業が多いから、私たちのやることは丹精そのものだと思っている。散りゆく山桜や木々の芽吹きのもえぎ色を見ていると、老いの我が身でも、いのちが輝き、若さみなぎる想いがする。 国連「小農宣言」 日本は棄権 しかし、「山美しく、民貧し」。農業はグローバル化の波に呑まれ、米価は30年前の半値ほど。肥料、機械などの固定経費がかさみ、確定申告は毎年数十万円の赤字になる。江戸時代の年貢、戦前の小作料は収穫高の半分だった。労賃部分が残らないのだから、形、中身は違っても、私たちの暮らしは今だって戦前や江戸時代と変わらない。しみじみそう思う。 昨年12月に、国連は「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」(小農宣言)を採択し、2019年から28年までを「家族農業の10年」と定めた。この宣言は、小農の価値や役割を再評価し、食の主権、種子、水の権利を守るべき、などとしている。わが国は、残念ながら、この宣言に対し棄権している。安倍首相は、小農は不要だと考えているようだ。 農業生産者のうち家族農業の世帯は、世界では70%、わが国では98%を占め、世界の食糧の80%を生産している。農業は私たちの命の源である食料を生産するだけでなく、自然景観を守り、地域社会を維持する役目を果たしている。また、担い手の農民は伝統文化の継承者でもある。 わが国の農政は、「国際化に対抗できる強い農業。輸出できる農業」をめざしているようだ。県内でも鹿行地域のように、儲かる農業をしている人や地域は確かにある。私はそれを否定はしない。しかし、だ。私が住んでいるこの地域の農地をわずか5~6人の農業者で担えるのか。もしそうなったら、私が住んでいるこの地域はソロバンが合わないから、真っ先に切り捨てられてしまうだろう。 国連の「小農宣言」と「家族農業の10年」が官邸農政を見直すきっかけになれば、と私は真面目に考えている。しかし、消費者である国民が、単純に「食べものは安いほうを選ぶ」と考えているうちは、事態は動かないと思えてならない。家族農業が支えている今の日本の農業に思いをはせてほしい。(元瓜連町長) ➡先﨑千尋さんの過去のコラムはこちら

《くずかごの唄》33 虎狼利=虎列刺=コレラ

【コラム・奥井登美子】いのしし年だというのに、山のイノシシから感染したトンコレラで、たくさんの食用の豚がウイルスに感染し、殺されてしまった。テレビのニュースを見て、ものものしい出で立ちの防疫職員の人数の多さに驚いた。 インフルエンザが鳥に感染してトリインフルエンザに変化することなどを考えると、豚コレラもいろいろな動物に感染する可能性もあって、いつ、人間に近づいてくるか、わからないから、予防対策として完璧を期するのもわかる気がする。 日本に初めてコレラが流行したのは、文政5年(1822年)、外国の船が持ってきた病とあって、尊王攘夷にも影響を与えたらしい。京都だけで3000人の死者が出たという。3日でころりと死ぬので、3日コロリがコレラになったらしい。 次の流行は安政5年(1858年)。関西だけでなく全国的に広まり、江戸だけで28万人もの人が亡くなり、お棺が間に合わない有様だったという。1860年まで、3年にわたり流行したらしい。浮世絵の安藤広重もコレラで亡くなっている。 そのころ、ヨーロッパではコレラの流行を止める目的で、下水道の普及を図ったけれど、日本人にはそういう知恵はなかったらしい。 薬の宣伝も兼ねた「はやり病の錦絵」 エーザイの内藤祐次さん(主人の兄・奥井誠一の旧制水戸高校同級生・親友)が創った「内藤記念くすり博物館」発行の「はやり病の錦絵」の本の中にもコレラがたくさん出てくる。 流行時疫異国名コレラ:安政5年 頓ころり病予防薬:江戸時代 流行虎列刺病予防の心得:明治10年 虎列刺病予防法図解:明治10年 コレラ病伝染のやまひにて俗二コロリというなり:明治10年 流行悪疫退散の図:明治13年 虎列刺退治の奇薬:明治19年 明治になってからも流行し、薬の宣伝も兼ねた錦絵を作ったらしい。錦絵にはイノシシは出てこない。恐ろしい顔をした虎が出てくる。我家の倉の中からも、明治12年(1880年)のコレラ病予防商儀という書付が出てきた。明治のはじめ、土浦のあたりでもコレラ病が流行ったらしい。(随筆家) ➡奥井登美子氏の過去のコラムはこちら

《続・平熱日記》29 亥年に思う

【コラム・斉藤裕之】昨年暮れ、中学生が「先生、おせちって美味くないっすよねえ」って、つぶやいていたのを思い出します。「少年、君の意見は正しい。世間でいかにも『映える』宣伝を広告や映像で流しておったが、君はそのプロパガンダを疑い、自分の意見を信じることができた。確かにおせちはそんなに美味いもんではないと、私も思う」。 正月早々スーパーが開店し、そうでなくても文字通りコンビニのある今日、子供にとっておせちはやたら甘辛い褐色の、年寄り臭い食べ物であることは間違いありません。いや大人にとっても、昔のように正月中食い続けなくてもいいのであれば、2日目のお昼はそろそろ、街道筋のラーメンのジャンクな味が恋しくなるのが普通でしょう。 そうはいっても、手作りのおせちのお重とおつくりと雑煮が並ぶ元旦の食卓は、幸せな1年の始まりに相応しいものです。 イノシシは冬のご馳走 臭みもなく美味 さて今年は亥年。昨年暮れに八郷に引っ越した友人宅を晦日(みそか)に訪ねました。糸を染め紡ぐイクちゃんとひょうたんの作品を作っているカブちゃん。新しい住居は2人の夢をかなえてくれる理想の広さと環境。 別の見方をすれば、ほぼ限界集落というやつですが、この地を選んだ理由の1つは家族構成。2人のほかに大小合わせて数頭の犬。実は迷い犬を保護したのがきっかけで、増えてしまった犬たち。その犬たちの住処探しの結果でもあったのです。このエキセントリックな新住民は、意外にも集落の方々に歓迎されることになります。 住まいのあちこちにある足跡。そう、イノシシが日常的にそこら中を歩き回るというワイルドな環境に、犬たちは有能な抑止力。「イノシシ除けになんだよ」って。犬を散歩させて匂いを振りまくだけでも効果があるそうです。 実はイノシシは冬のご馳走です。臭みもなく脂のさっぱりした肉は美味。うちには、昨年弟から送られた1級品のイノシシのヒレ肉の塊が冷凍されていますが、夫婦2人ではなかなか解凍に至りません。 好奇心の強いカブちゃんは、早速、イノシシ猟に興味を示しています。しかし大変なのは、捕まえたイノシシのその後です。心優しいカブちゃんに、サバくという作業ができるのでしょうか。 うちにはイノシシの頭蓋骨が2つあります。デッサンのモチーフ用にと弟が送ってくれたものです。そのひとつは、恐らく立派な名のある主であったと思われます。獲物を探すために使い込まれ擦り減った大きな牙。敬意を表し、またよき年となるよう描いてみました。(画家)

《くずかごの唄》29 年賀状 猪突猛進 うんのつき

【コラム・奥井登美子】猪突猛進でがんばります。 い 生きていることに感謝 の のら猫に 餌をやって仲良しになり し 瞬間 瞬間を 大切に楽しく し しっかりと 生活したいと思います   きよし   い 医薬品の奥深いメカニズム 少なくなった の 脳みそを ぬかみそみたいに かきまわし し 試行錯誤しながら 48年続けた自然保護と し 仕事の話をエッセイ集にまとめています   とみこ   今年の年賀状を書く前に、いのししの身体をどう料理するか、12年前の年賀状を取り出してみた。 大動脈解離から1年 いの ちを再びよみがえらせた し  あわせをかみしめながら シ  リウス 星を眺めています  奥井清 亭主の大動脈解離からもう13年も経ってしまったのだ。 運の尽きの良し悪し 13年前、彼は御茶ノ水の駅前で意識を失って、救急車で東京医科歯科大病院に運ばれた。土浦の自宅にいた私に、病院の救急医から電話で「呼吸が止まる可能性があるので、15分以内に家族が来てサインしてください」と言われた時のショックは忘れられない。空を飛んでいっても15分は無理だ。偶然、運よく弟が15分以内の自宅にいて駆けつけてくれた。 うん1 救急車が運んでくれた病院に、たまたま技術に優れた医者がいてくれたこと うん2 15分以内の自宅に家族がいたこと うん3 37㌢動脈の解離が内膜、外膜ではなくて、中膜だったこと うん4 脳へ行く血管の1㌢下から解離が始まり、脳血管に影響がなかったこと 改めて病気を起こした時の運の尽きの良し悪しで、人生が分かれることを思い知らされ、治療に協力してくれた人たちに感謝の年明けとなった。(随筆家)

「よいお正月を」 高齢者におせち届ける 土浦市社協

【谷島英里子】お正月を前に、土浦市社会福祉協議会のボランティアが28日、手作りのおせちを作り、市内の一人暮らしの高齢者154世帯に届けた。今年で23回目を迎える年末の恒例行事で、高齢者の安否確認や触れ合いを兼ねている。 料理は宅配や会食の食事サービスを行うボランティア38人が、午前8時30分から同市大和町の市総合福祉会館で作った。大鍋で紅白なますと筑前煮の2品を作り、容器にていねいに盛り付けたあと、昆布巻き、だて巻き、栗きんとん、紅白かまぼこを詰めておせちセットに仕上げた。そして市内の小中学生や六中地区公民館の折り紙同好会がデザインした包装紙で包んだ。包装紙にはイノシシの絵や縁起の良い正月言葉が添えられ、新年を祝う気持ちが込められた。 その後、ボランティアたちが高齢者宅を訪問し、「体に気をつけて良いお年を迎えてください」と手渡した。毎年、おせち料理の配布を心待ちにしている山本忠さん(81)は「とてもうれしい。楽しみながら少しずつ食べたい。来年も体を大切にしていきたいですね」と話していた。 この配布は1世帯400円で、2018年度地域歳末たすけあい募金(12月1日~31日)の一部を活用しているという。

農業テーマパーク、芸術活動拠点など提案 筑波地区の廃校利活用 つくば市

【鈴木宏子】廃校になったつくば市筑波地区の小中学校跡地10校の利活用について、地域住民と市担当課の意見交換会が14日から18日まで同地区9カ所で開かれている。具体的な利活用案について市側から、旧筑波東中学校(北条)跡地にファーマーズビレッジの誘致とジオパーク拠点施設設置、旧田水山小(水守)跡地に文化芸術活動拠点施設整備、旧小田小(小田)跡地を文化財収蔵施設として利用する案などの提案があった。 10校のうち9校は今年4月、7小学校と2中学校が統廃合され、市立秀峰筑波義務教育学校(同市北条)が開校したのに伴って廃校となった。すでに2013年3月に廃校となった1校を含め計10校の利活用について今年度から市の検討が始まっている。今回は市役所内の各課と市民、民間事業者から要望や意見を集め、実現可能性などを検討した結果について、地域住民に示された。 旧東中のファーマーズビレッジは、民間事業者を誘致して、イノシシなど野生動物の食肉や地場産物を食材にしたレストラン、スイーツやワインを提供するカフェ、農産物加工施設、体験型施設などつくり、農業のテーマパークにしようという構想。併せて教室棟の一部を利用し、筑波山地域ジオパークに関する情報を提供して各ジオサイト巡りの拠点となるジオパーク拠点施設を設置する案が示された。 旧田水山小の文化芸術活動拠点施設は、教室や体育館、グラウンドなど廃校全体を活用して、アトリエ、スタジオなどをつくり、作家と市民が芸術活動に親しむ拠点にしようという構想。芸術家が滞在しながら創作活動をしたり、プロを目指す芸術家の卵を応援したり、市の収蔵作品を展示したり、芸術文化に関する講座を開くなどを計画しているという。 旧小田小の文化財収蔵施設は、現在、市内各所に分散して収蔵されている、市内で出土した土器片などの埋蔵文化財や、寄贈された民具などの民俗文化財を集約して収蔵しようという構想。 14、15日に5カ所で実施された意見交換会では、住民から「地域には公民館が無い。公民館や交流センター的な利用と避難所とするのが一番いい」「自然や歴史、農業体験ができる場にしてほしい」「高齢者が健康づくりを施設にしてほしい」などさまざまな意見が出た。市の提案と地域のニーズとに隔たりがある地区もあった。 市の方針として、廃校を地域の集会所にすることについては「区会等に補助金を出して整備することになっているため新たな集会施設は必要ない」「学校の財産区分を今後、教育財産から普通財産に変更すると、使用料が有料になる場合がある」などの説明があり、住民からは不満の声が出た。廃校になってから現在も、各校とも警備や保安、草刈りなどに年間各300万円程度の維持管理費が掛かっているという。 一方、校舎や体育館などが耐震基準を満たしていないため使用を続けられない廃校があったり、市から目立った利活用提案がない廃校もあった。 民間事業者からは、広域通信制高校、消防車など特殊車両組立工場、ペット終末期ケアセンター、日本語学校兼寄宿舎、イチゴ工場、インターナショナルスクール、ベンチャー企業立地支援施設などを整備する提案があったことなども紹介された。 市は引き続き地域住民と協議を重ね、半年とか、地区によっては数年掛けて方向性を決めたいとしている。利用者の優先順位としては、まず市の方針を優先し、さらに地域の要望を取り入れ、市も地域も利用提案がない場合は民間の利活用を検討するという。 ◆筑波地区学校跡地の利活用提案に関する意見交換会の日程は以下の通り。 14日(水)▽午前10時~筑波小学校(会場は同小校舎)▽同午後2時~菅間小(同校舎)▽同6時30分~小田小(同校舎) 15日(木)▽午前10時~田水山小(同校舎)▽午後2時~山口小(同校舎) 16日(金)▽午前10時~田井小(同校舎)▽午後2時~作岡小(同校舎)▽午後6時30分~北条小(同校舎) 18日(日)▽午前10時~全校対象(筑波交流センター2階多目的室) 筑波地区廃校跡地10校の主な利活用提案 市の提案 地域の提案 筑波東中 民間事業者によるファーマーズビレッジの誘致/教室棟の一部にジオパーク拠点施設/体育館・武道場は市民に貸し出し/グラウンドは秀峰筑波義務教育学校のイベント時駐車場として利用など 北条小 プール用地に北条保育所の職員駐車場整備/敷地の一部に消防団分団の詰所と消防車車庫新設など 北条まちづくり振興会が生活芸術体感施設として活用(文化・芸術に関するギャラリー、ネット販売を主とした店舗、創作活動のアトリエ、カルチャースクール、イベントの利用)など 小田小 教室棟の一部を文化財収蔵施設として利用 まちづくり勉強会を通して今後、利活用策を検討 山口小 高齢者の体操教室開催など区会が地域交流の場として利用中/一般財団法人が2教室を会議室として利用要望 田井小 敷地の一部に消防団分団の詰所と消防車車庫新設など 地域住民が運営する放課後児童の居場所「里山わんぱく館」の整備(体育館、グラウンドと隣接する民有地の里山の一角を借りて冒険遊び場「プレイパーク」を整備するほか、子連れの親子や高齢者の居場所を併設し相互交流する地域拠点として整備 筑波小 筑波西中 体育館・柔剣道場を一般市民に貸し出しなど 田水山小 文化芸術活動拠点施設など 菅間小 敷地の一部に消防団分団の詰所と消防車車庫新設など 作岡小 敷地の一部に消防団分団の詰所と消防車車庫新設など ※ほかに場所は未定だが、市が1校に教室を利用した認知症カフェを月1回程度設置など

《土着通信部》24 深まる秋の宝篋山ナイト

【コラム・相沢冬樹】つくば市—土浦市境に位置する宝篋(ほうきょう)山頂、標高461㍍はつくば市では筑波山(女体山、男体山)に次ぐ3番目の頂き、土浦市にあっては最高地点となる。「この高さが夜景を見るにはちょうどいいんです」と宝篋山小田休憩所の東郷重夫さん。毎年秋の終わりに山頂からの夜景観賞ツアーを仕掛けてきた。 「10数年前、集落調査に来ていた筑波大学の学生らを案内して、夜の宝篋山に登ったのがきっかけだった。山頂は今みたいに整備してなくてやぶだらけだったけど、見晴らすと遠近に街の灯がともり、やがて光の海になる。感動して泣き出す女子学生もいてね」 東は土浦市街に霞ケ浦の地形が入り込んで輪郭をつくり、南は東京方面へ道路網が伸び都会のビル明かりが林立する。西は気象条件がよければ入り日に富士山のシルエットが浮かび、北には筑波山の双峰が立ち上がる。2005年のTX開業以降、宝篋山は日帰りトレッキングに手頃な山として知られるようになり、リピーターの多さが特徴となったが、複数のルートを登り切ってしまうと夜景見物に興ずるものが現れだした。 東郷さんによれば「夜ばかり5回も登った」という女性もいるそうだが、日没後の単身登山はさすがに勧められない。イノシシとの遭遇も危ぶまれ、ガイド付きの夜景観賞ツアーを企画した。空気が澄んでくる晩秋にマイクロバスをチャーターして、ツアーを組むようになった。電波鉄塔が立ち並ぶ宝篋山周辺には建設用・管理用の道路が進入していて、許可があれば山頂付近まで車で近づけるのである。 あの辺にスカイツリーが見える かといって年に1度の鑑賞機会、いつも天候に恵まれるとは限らない。今季の開催日も朝から曇りがちで、日没を待ってのツアーでは、遠景ほどよどむ空気に霞んでしまった。約50人の参加者を引き連れ、「晴れてるなら、あの辺にスカイツリーがはっきり見えるんですけどね」と東郷さんの声が響く。山頂に30分ほど滞在して、深まる暮色のなか光量を増すパノラマを楽しんだ。 実は2018年度、筑波山は「日本夜景遺産」に認定された。筑波観光鉄道(つくば市)のロープウエーとケーブルカーが毎年9月から2月にかけ、夜の空中散歩と称して「スターダストクルージング」を運行する活動が評価されてのもの。民間団体による「日本夜景遺産」は今年度14回目、応募のなかから14カ所を選び、認定地は全国236カ所にもなった。 「筑波山より低い宝篋山だけど、手前にある分関東平野の広がりを実感できる。だから山登りも夜景ツアーもリピーターが多くなるんです。この先の元朝参りもまた登山客でにぎわうに違いない」。平成最後の元旦となる2019年1月1日の日の出時刻は午前06時50分ごろ。霞ケ浦越しのご来光が拝めれば、西の富士が朝日に映える眺望を見せてくれるはずだ。未明の山道を歩くため、懐中電灯携行は必至。小田休憩所の駐車場は午前4時前には満車になってしまうだろうということだった。(ブロガー) ▽宝篋山小田休憩所 電話029-867-1368

《邑から日本を見る》24 このごろの農村風景

【コラム・先﨑千尋】Aさん ご無沙汰しております。あの暑かった夏を無事乗り越えられたでしょうか。親友のM君は熱中症になり、数日間点滴を打ってしのいだようで、他人事ではありません。今日、別便でわが家の新米、栗、ミョウガを送ります。ご賞味ください。 知っての通り、わが家の田んぼは5反歩。谷津田で、水は天水。「五反百姓」と自称しています。この40年余、化学肥料を一切使わないできました。収量は周りよりも落ちますが、食味は一味違うと思っています。いつもは5月の連休に植えて、彼岸前後に刈り取りなのですが、今年は夏の異常な暑さのために1週間ぐらい早くなりました。 栗は縄文時代の常食だったようですが、朝に1時間くらい拾っています。ミョウガは、冬に木の葉(落ち葉)をたっぷりかけるので、鮮やかな紅色が自慢です。 落ち葉と言えば、かつてはこの辺りでは木の葉さらいは冬仕事の一つで、堆肥にしていたのですが、140軒あるこの集落で、木の葉さらいをやっているのはわが家だけになりました。だから山は荒れ放題、イノシシのすみかになってしまっています。枯れた松が林道をふさぎ、奥の山には入れなくなりました。 イノシシは近くの田んぼに侵入し始め、しばらく前から、お盆前にネットを張り巡らしています。電気柵をやっている家もあります。ネットはイノシシが押し倒したらひとたまりもありません。気休めです。作付けしなくなった田んぼも増え、広がっています。 作付けしないといえば、畑も同じです。子どものころは、秋に麦をまき、春は陸稲やサツマイモ、葉タバコなどを作っていました。養蚕をやっていた農家もありました。それが今はカラ畑。麦や陸稲の値段があまりにも安く、イノシシがサツマイモを食い荒らすので、それも作れなくなりました。わが家では、干し芋用のサツマイモを人家に近いところに作っているので、辛うじて被害を免れています。 山野は縄文時代に逆戻り? Aさん、農村の風景で変わったことはまだあります。 この辺りの農家はどこでも梅、柿、ユズなど家庭果樹を植えているのですが、梅の実が色づいても取らない。柿やユズの実が黄色くなってもそのまま。私は、もったいないなと思いながら通り過ぎます。梅干しを作らなくなった、子どもが柿を食べなくなった、ユズの木にはトゲがある。農村の食生活が大きく変わってしまったからでしょうか。 田んぼや畑、山林が荒れ、冬は砂塵が舞う。イノシシがワガモノ顔でのし歩く。このままでは、山野は縄文時代に逆戻りしてしまうのではないかと思ったりします。 どうしてこうなってしまったのでしょうか。原因はいろいろ考えられますが、つまるところ農業では食えない、生活できないからです。林業も漁業も同じです。 スイスを旅した時、アルプスの景観に酔いしれましたが、スイスの農業は政府の手厚い補助によって成り立っています。あのアメリカですら、農業への補助はすごいものです。農業は土地から離れられない弱い産業。国、というより国民が、命の源である食料を国内で自給していこうという機運が盛り上がらない限り、農業は滅びていく。そう思いながら日々を過ごしております。(元瓜連町長)

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