火曜日, 4月 7, 2026

喫茶店紹介番組を茨城県南でも!《遊民通信》97

【コラム・田口哲郎】 前略 YouTubeでテレビ大阪制作の「片っ端から喫茶店」という番組を見ることができます。当然、茨城県では地上波放送はないのですが、YouTubeがあると、さまざまな地域の番組を見ることができるので便利です。この「片っ端から喫茶店」のコンセプトは番組公式ホームページに書かれています。 「実は、日本一喫茶店の多い都道府県でもある大阪。そんな大阪の宝とも言える膨大な喫茶店を、年齢も性別も職業も違う人々が巡るアンソロジー。こだわりの強いお店から、全くこだわりのないお店まで、東西南北片っ端から回っていきます」 コンセプト通り、いろいろなリポーターが全国一喫茶店の数が多い大阪を縦横無尽に巡り、「片っ端」から紹介します。この番組が対象とするのは、いわゆるシアトル系とか全国チェーン展開をしていない喫茶店(もしくは全国チェーン店の本店)です。 前にも書きましたが、純喫茶のようなお店は最初、ちょっと入りづらかったりします。中がよく見えないとか、お値段がどうなんだろう、とか。でも、テレビ番組で紹介してくれると、様子がよくわかるので、行きやすくなります。実際、私は大阪旅行したときに、「片っ端から喫茶店」を参考に、喫茶店に行きました。あの番組がなかったら行かなかったでしょう。 いま、昭和レトロがもてはやされて、喫茶店ブームになっています。「片っ端から喫茶店」以外にも、ずんの飯尾さんがテレビ東京で「飯尾和樹のずん喫茶」という番組をやっています。コンセプトは「喫茶店が大好きな“ずんの飯尾和樹”の喫茶店巡り旅。おいしいコーヒーに、マスターや常連さんと愉快なおしゃべり。入店から退店まで飯尾さん目線で楽しむ喫茶店番組」。 「いいじゃん!」のような番組の復活を! J:COM茨城でも、コロナ前までは「いいじゃん!」という番組がありました。オジンオズボーンの高松さん、鈴木涼子さん、山城功児さんたちが地域の魅力を伝えるバライティーでした。残念ながら終了しましたが、いま、喫茶店に注目して、地域密着型バラエティーを復活させてほしいです。 茨城県南は郊外型住宅地が多いので、シアトル系や全国チェーンの喫茶店が多いでしょう。しかし、土浦、阿見、牛久、取手と歴史ある街があり、伝統を積み上げているつくばにも魅力的な喫茶店があるはずです。街を彩る喫茶店を巡って紹介し、住民が楽しく余暇を過ごすためのバラエティー番組の復活を強く希望します。ごきげんよう。 草々 (散歩好きの文明批評家)

県、つくば市立葛城小の元事務職員を停職処分 給食費など900万円不明

つくば市立葛城小学校に以前勤務していた学校事務職員の男性(45)が、2018年度から20年度までの間、現金を不適切に取り扱い、保護者から徴収した給食費及び児童会費計904万7990円を紛失したとして(23年11月21日付)、県は26日、男性職員を同日付けで、停職12カ月の懲戒処分としたと発表した。男性職員は、県が給与を負担する県費負担職員。 同小では当時、保護者から振り込まれた給食費などの学校徴収金を、徴収用の学校の預金口座から事務職員が現金で引き出し、市の口座に移していた。男性職員は現金を引き出した際、複数回にわたって一部を市の口座に移さず、職員室内の自分の机に保管していた。その間に計約900万円が不明となった。 さらに男性職員は、つくば市に提出する給食費納入報告書について、市の口座に移してないことを隠蔽するため、市に虚偽報告をしたとされる。 同市の森田充教育長は「市民に多大なご迷惑と不安をお掛けし深くお詫びします。市内の学校で学校徴収金に不明金を発生させたことについて誠に遺憾に思っています。今後このようなことが二度と起こらないよう管理体制を徹底します」などとするコメントを発表した。

野党共闘見直しへ 共産新人の間宮氏が立候補表明【衆院茨城6区】

次期衆院選 茨城6区(つくば、土浦市など6市区)に、共産党新人で元つくばみらい市議の間宮美知子氏(77)が26日記者会見し立候補を表明した。6区には前回2021年の衆院選小選挙区で当選した自民現職の国光あやの氏(45)、比例で復活当選した立憲県連代表の青山大人氏(45)が立候補する予定で、間宮氏は3人目となる。共産党は前回、6区で候補者擁立を見送り青山氏を応援していた。野党共闘の見直しにより、対決の構図が変わりそうだ。 共産党県委員会の上野高志委員長は「野党共闘の原点は、2015年9月の安保法制成立後、市民から起こった『市民と野党の共闘を』という願いからで、安保法制の廃止が原点」だとし「立憲民主党は(党首などで)この間、安保法制はすぐには廃止できない、政権を共産党と一緒に担うことはできない、自民党を右から支える維新との協力にも言及するなど、市民と野党の共闘に背を向けている」とし、今回は県内全7選挙区で立候補者の擁立を検討しているとした。前回擁立したのは4区と5区のみだった。 上野委員長はその上で①消費税を5%に減税、最低賃金を時給1500円以上、労働時間を1日7時間に短縮するなど物価高から暮らしと経済を立て直す②百里基地(小美玉市)が300~500億円の予算で基地強靭化を図る対象となり、同基地で米、豪、英、仏など外国の軍隊と共同訓練が行われているなど、大軍拡に反対し、戦争準備ではなく外交により平和を構築するーなどを訴え、比例区での議席増を軸に、県内の得票目標を12万6000票とするとした。 間宮氏は「岸田首相は政権を投げ出したが、これまで(裏金問題など)岸田政権の追及をしてきたのが(党機関紙の)『しんぶん赤旗』。正義を守る、不正を許さないという考えの下でやってきた。市議をやった中で、議員として意見表明をすることは大事だと思った。自民党政権は軍拡に走り、労働者を切り捨て、自分たちだけもうけて、懐にお金を入れている。この仕組みは間違っている」などと述べ、①学費無償化を目指し、大学の入学金を廃止する②価格保障や所得補償の充実など農業者が安定して生産を続けられる条件を整える➂年金削減の中止など社会保障と教育の拡充―などを訴えたいと話した。 間宮氏は東京都立大学卒、都内の中学校と茨城県内の養護学校で教員を務めた後、JICAのシニアボランティアとして中米3カ国で計8年間、自閉症児の教育普及に当たった。2020年からはつくばみらい市議を1期務めた。

回収量年10トン規模、ボート使い水中清掃も【霞ケ浦 水辺の足跡】下

地元建設業者が若手を派遣 水辺基盤協会(本部美浦村、吉田幸二理事長)は2005年にNPOとして発足した。試行錯誤を繰り返しながら、春と秋の2回、湖畔でのごみ拾い活動を続け、清掃活動は「53 Pick Up!」の愛称で定着した。現在は約350人の活動参加者以外に、国土交通省や茨城県、沿岸自治体の協力も得られるようになり、湖畔だけでなく水中に没した廃棄物の引き揚げも行われるようになった。 「防塵挺身隊(ぼうじんていしんたい)という、ボートを使った水中清掃が2003年から行われている。長靴、長熊手、水中探査機など、専用の道具を活用することで、従来以上のごみを回収できるようになっている。引き揚げられたごみは陸上班が回収してデータ化も進めている。この機動力によって回収されるごみの量は年間で約10トンに上る。目を見張るのが流域にある地元建設業者のパワー。機材の提供や扱いだけでなく若手社員を自社研修として派遣してくれる。そんな企業が5社参加している」と理事長の吉田さん。 好きで拾っているわけじゃない それでも清掃活動の手が届かない湖畔の堤防などには、まだ空き缶やビニール袋が散見される。一度の清掃の回収量よりも、霞ケ浦流域全体に活動意識が拡大していけば理想だと吉田さんは述べる。 「多くの場合、国がやってくれるだろう、県がなんとかするだろうという住民意識が強かったと思う。頼りきることでは力は発揮できない。逆に、流域の人々が最も手軽にできる環境保全活動がごみ拾いだと思う」 防塵挺身隊には活動規範を示す五カ条の総則があり、この総則に沿えた一説には彼らの本心がうかがえる。 「好きで拾っているわけじゃない。霞ケ浦で楽しい時間を過ごすため、わずかな時間を割いているだけ。議論を否定するわけじゃないが、口角泡を飛ばすよりも、ごみを拾ってストレス飛ばそう」 吉田さんは「皆が頑張った分だけ霞ケ浦がきれいになるし、頑張った分だけ湖沼の生き物たちも元気になるんですよ」と湖畔を眺める。 全国14の河川や湖沼に広がる 霞ケ浦で始まった清掃活動「53 Pick Up!」はその後、全国各地に広がり、愛知県の入鹿池、三重県の長良川下流域、高知県の波介川などで受け継がれ、30回を越えて継続しているという。 吉田さんは「『53 Pick Up!』は10年前から実行委員会を組織して主催しており、全国14の河川や湖沼で活動が繰り広げられている。霞ケ浦では定期的に年2回、防塵挺身隊は6回。台風の直後にも臨時に清掃する場合もある」と述べる。さらに「協会ではこれらを継続するほか、美浦村の清明川河口周辺に整備された植生浄化施設に育つ水生植物を利用した水質浄化試験もこのメンバーや参加者によって進められている」と活動の広がりを話す。 水質浄化実験には清明川から引き込む水路が活用されており、吉田代表は「水路の利用可能性として子供向けの自然観察会や釣り教室、水難事故の危険を知ってもらうための学習会などに拡張させたい」と話す。 節目の年 「滋賀県が提唱し実現した『世界の湖沼環境の保全に関する国際会議』(1984年)から今年は40年になる。これが世界湖沼会議に発展して、霞ケ浦では1995年と2018年に二度、湖沼会議が開かれた。何事も継続は力なり、明確な目的を持つ活動は、祭りの神輿のように長い時代を伝え続けられると考えている。バス釣りという遊び場を守るためには、実に単純で明快に、自ら動かなければいけないと思った」 吉田さんの言葉は楽しげに響くが、苦労と努力の足跡でもある。2025年は霞ケ浦で最初の世界湖沼会議が開かれて30年になる。水辺基盤協会もNPO発足から20年という節目を迎える。どこへ向けて足跡を残すか尋ねてみると「いろいろな話題や提案が話し合われているが、NPOだけで実現できるものでもなく…」と、苦笑いが返ってきた。(鴨志田隆之) 終わり

雪の音を撮る《写真だいすき》32

【コラム・オダギ秀】ボクが通っていた小学校は、木造2階建てではあったが、現代のあちこちの校舎からは想像がつかぬほど子供心にもオンボロで、風が強い日などは、走ってユサユサさせると校舎が倒れるから走ってはいけない、と真面目にきつく命じられていたほどであった。校舎には斜めに支え棒がついていた。 そんな校舎で何時間目かの授業の開始を待っていたある雪の日、教室に担任のS田先生が入ってきた。当時、S田先生は30過ぎだったろうか。ハンサムではなかったが、いわゆる熱血教師だったと思う。生徒みんなが嫌がった汲み取りトイレの便器を素手で洗った。 S田先生が宿直のときは(昔、先生は宿直という泊まりがけの日があった)、ボクらは大喜びで泊まりに行った。 さて、雪の日のことだ。S田先生は教室に入ってくると教室を見渡し、それから机の上のものをみんなしまえと言った。そして、雪の音を聞け、とボクらに命じた。「雪の音ぉ〜?」。そんなの聞こえないじゃないか、雪に音なんかあるのかよ、とみんな思った。 雪はしんしんと、オンボロの校舎を包んでいた。でも先生の命令だから、みんな黙って座り続けた。長い時間に感じた。 見えないものを撮れ そのS田先生は、ボクらが卒業してからしばらくして、若くして亡くなられたと聞いた。校舎も、いつの間にか、立派な校舎に建て替えられた。ボクは大人になり、写真家として仕事をしていた。だが、自分の写真に、その背景がなかなか写らないな、と悩んでいた。目に見えぬ部分、写した外の部分を表現したいものだと思っていた。 たとえば、何か楽しいものや悲しい瞬間を撮る、美しいものを撮る、そんなときに、なぜなのかその外に何があるのかをより深く表現できれば、より楽しい、より悲しい、より美しい表現になるということなのだ。 そして、あるとき、ある瞬間、気がついた。S田先生が雪の音を聞けと言ったのは、このことだったのだと。聞こえないものを聞け、見えないものを撮れ、その外にある大切なものを表現しろということだったのだと。テクニックではない。こうすれば雪の音が聞こえるというノウハウではない。雪の音の外にある聞こえない音、見えるものの外の見えない大切なものを撮れということなのだ。 いまもボクは、雪の音が聞こえる写真を撮りたいと苦労している。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

バス釣り仲間で清掃活動スタート【霞ケ浦 水辺の足跡】上

霞ケ浦に船出していく土浦新港を活動拠点として、定期的な清掃活動に従事する人々がいる。活動団体の一つ「水辺基盤協会」(美浦村木原)は、バス釣りを楽しむ仲間達で1995年に始めたごみ拾いを継続させるため、2005年にNPOを立ち上げた。清掃活動スタートから29年、NPO設立から19年目の水辺の足跡をたどった。1995年は第6回世界湖沼会議がつくば、土浦などで開かれた年で、来年は30年になる。 参加費徴収しごみ拾い 協会理事長の吉田幸二さん(73)はもともと、東京に仕事と居を構え、週末や休日に霞ケ浦湖畔を訪れブラックバスを釣る暮らしを楽しんでいた。1990年代のことだ。 「当時、水質悪化や汚濁の話題をよく耳にした。それを裏付けるかのように、霞ケ浦のどこに行ってもごみが散乱していた。湖畔に来た人が捨てたものもあっただろうし、(流入河川の)桜川のずっと上流から流れ着いたものもあったでしょう。こういう場所で、しかも外来魚を釣っていると『あなたたちの仕業ではないのか』と言われた」 そこで、釣り仲間に声を掛け、理解を得られた人に集まってもらい、ごみ拾いを始めた。1995年2月に第1回目の清掃活動が行われ、土浦新港や行方市の霞ケ浦ふれあいランド周辺など場所を変えながら、霞ケ浦の何カ所かで継続的に、ごみの収集を展開した。 吉田代表は当時を振り返り「参加者を募って、彼らから参加費をとるという乱暴なことをした。もちろんバス釣りの人々すべての賛同を得られたわけではない。ただ、それを理解してくれる仲間とならば、持続した活動を続けられるという確信があった」 参加費の徴収は、裏話を聞くと乱暴でも何でもない。当時は民間人がごみ収集をしても、それを処理する予算がなかった。当時の建設省(国土交通省)にしても茨城県にしても、湖畔のごみ処理の事務分担に対するハードルが高く、沿岸自治体にしても予算を工面できるところはなかったという。活動仲間は参加費として自ら処理費を負担して産業廃棄物処理業者に引き取ってもらっていた。 本腰で取り組む覚悟 吉田さんらの清掃活動が始まった1995年という年は、霞ケ浦をテーマとした第6回世界湖沼会議が10月に招致され、筑波研究学園都市や土浦市、霞ケ浦湖畔の各地で様々な研究発表や議論が展開された。第6回湖沼会議を機に、市民による水質改善の取り組みやごみ拾いなどが地域に浸透し、研究発表の情報やデータが役立てられる機会も増えた。 一方、吉田さんは「『あんたたちは、どうせブラックバスがいなくなったら霞ケ浦には来なくなるんだろう』などと毒づく人もいた」と当時を振り返り、「ブラックバスは強い適応能力を持つ魚だが外来種ゆえに嫌われ者だった。しかし、それがいなくなるという言葉の裏側に、本気で外来種を駆除し湖の汚濁や水質改善をやろうと考えている気迫までは感じられなかった」と話す。 さらに10年後、吉田さんはバス釣り愛好家にも本腰で取り組むべき覚悟が必要だと感じ、NPOの立ち上げを決めた。(鴨志田隆之) 続く

離婚届と結婚届《短いおはなし》31

【ノベル・伊東葎花】 バツイチ同士の再婚で、彼も私も子供がいない。障害は何もない。彼はちょっと頼りないけど優しい人だ。一緒に暮らし始めて、あとは籍を入れるだけだった。 ところがここで問題が起きた。彼の離婚届が、出されていなかった。つまり彼はまだ、離婚をしていない。 彼は別れた妻に電話をした。 「え? 出し忘れた? もう5年も経つんだぞ。忘れたって、何だよ」 不機嫌そうに電話を切った彼は、いらつきながら言った。 「だらしない奴なんだ。私が出すって言いながら忘れたんだって。しかもどこかへ失くしたらしい。本当にダメな奴なんだ。だから別れたんだ」 「それで、どうするの?」 「明日、うちに来るって。離婚届をその場で書いてもらうよ。会うのが嫌だったら、君は出かけてもいいよ」 彼はそう言ったけれど、私が留守の間に来られて、あちこち見られるのは嫌だ。私は、2人の離婚届の署名に立ち会うことにした。 翌日、午後6時に来るはずの元妻は、30分を過ぎても来ない。 「ルーズなんだよ。だから別れたんだ。仕事が忙しいとか言って朝飯も作らないし、掃除もいい加減だし」 彼の元妻に対する悪口は、どんどんエスカレートする。いつだって仕事優先で、妻としての役割を果たさなかったとか、車の運転が荒いとか、自分よりも高収入なのを鼻にかけていたとか。聞けば聞くほど、彼が小さい男に見えてくる。 元妻は、6時40分を過ぎたころにやっと来た。 「ごめんなさい。遅れちゃって」 彼が言うほどだらしない印象はない。上品なスーツを着て、薄化粧だけど美人だった。 「忙しい時間にごめんなさいね。離婚届を書いたらすぐに帰りますから」 感じのいい人だった。 彼女の後ろから、小さな男の子が顔を出した。彼女は子供の頭をなでながら言った。 「この子を保育園に迎えに行って、遅くなってしまったの」 彼が驚いて聞いた。 「君の子供? 結婚したのか?」 「結婚するわけないでしょう。離婚してないんだから。さあ、ごあいさつして」 母親に促され、子供がかわいい声であいさつをした。 「はるきです。5歳です」 「5歳?」 彼が青ざめた。確かめるまでもなく、はるき君は彼にそっくりだ。 「別れた後で妊娠がわかったの。でもね、捨てないでくれってすがりつくあなたを追い出しておいて、妊娠したから帰ってきてなんて言えないじゃないの」 すがりついた? 彼が? 「出産準備や仕事の調整で忙しくて、離婚届出し忘れちゃったの」 彼女はそう言うと、素早く離婚届に名前を書いて印を押して帰った。 「じゃあ、あとはヨロシク」 離婚届を見つめながら、彼は明らかに動揺している。 「彼女、わざと離婚届を出さなかったんじゃない? あなたが帰ってくると思って」 「そうかな…」 「追いかけたら。あなた父親でしょう」 慌てて出て行く彼を見送って、私は離婚届を丸めて捨てた。 彼が元妻、いえ、妻の悪口を言い始めたときから、わずかな嫌悪感を拭いきれない。 それは放っておいた珈琲のシミみたいに、消えることはないだろう。抽斗(ひきだし)にしまった婚姻届を出す日は、もう永遠に来ない。ため息をつきながら捨てた。ゴミ箱の中で、離婚届と婚姻届がぶつかり合って弾けた。(作家)

「霞月楼所蔵品展」が開幕 土浦市民ギャラリー

29日はトークセッション 明治時代に創業し各時代の政治家、軍人、文化人らをもてなした土浦の老舗料亭「霞月楼」(同市中央、堀越恒夫代表)が所蔵する美術作品などの写真パネル約40点を一堂に展示する「霞月楼所蔵品展」(同実行委員会主催)が24日、土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町、アルカス土浦1階)で始まった。会期は29日まで。初日は午後2時からオープンし、約40人が訪れた。 政治家、軍人、文化人らが通う 「霞月楼」は1889年(明治22年)に創業、130年以上の歴史を誇る。県内の政治家や実業家らの社交場として、また多くの文人や画家、書家らが逗留(とうりゅう)する創作の場としても栄え、画家の大川一男、小川芋銭、竹久夢二、岡本一平などが残した作品が大切に継承されている。 1921年(大正10年)、阿見町に霞ケ浦海軍航空隊が発足すると、海軍の関係者らが訪れて連日にぎわい、東郷平八郎や山本五十六もよく通った。1929年、飛行船ツェッペリン伯号が飛来した際は、乗客乗員を「霞月楼」で歓待した。 海軍予備学生の寄せ書き屏風レプリカも 展示されているのは、東郷平八郎、山本五十六、リンドバーグ、ツェッペリン伯号などにまつわる歴史資料と、著名作家の美術作品の写真パネルなど。土浦市出身の彫刻家、一色五郎の作品は「白鷺(しらさぎ)」の写真パネルのほか、「逆さだるま」と鳩の彫刻2点の現物を展示している。 太平洋戦争末期の1944年に「霞月楼」で開かれた海軍予備学生の送別の宴で、これから戦地に向かう予備学生らが寄せ書きした屏風(びょうぶ)は、同じ大きさのレプリカを展示。「征空萬里」、「回天」という勇ましい言葉や、当時人気だった芸者「春駒」の文字が見られる遺書のような屏風は、若者が命を賭した戦争の痛ましさを生々しく伝える歴史資料の一つだ。 「霞月楼」の堀越雄二さんは「当時祖父が予科練にいて、この寄せ書き屏風の存在を伝え聞いていたという人も訪れ、涙を浮かべて屏風を見ていた。このような歴史の1ページがあることを多くの人に知ってもらえれば。開催中は受付にいるので、解説もしますし、質問もいつでもお待ちしています」と話している。(田中めぐみ) ◆「霞月楼所蔵品展」は土浦市民ギャラリーで、9月24日(火)から29日(日)まで開催。開館時間は午前10時から午後6時まで。入場無料。 ◆最終日の9月29日(日)午後1時から午後3時は同ギャラリーで、小説家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんによるトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」が開かれる。入場無料。車で来場の際は駐車場が最大2時間無料。図書館、または市民ギャラリー受付で確認印が必要。 ➡《霞月楼コレクション》の過去記事はこちら

障害があっても海外で夢をかなえる 米国で1年研修へ 八木郷太さん

国内初、公費の障害福祉サービス利用し 障害に対する啓発活動をする土浦の当事者団体「DETいばらき」(高橋成典代表)のメンバーで、水戸市の当事者団体「自立生活センターいろは」事務局長の八木郷太さん(28)が、重い障害のある人に公費でヘルパーを派遣する「重度訪問介護」を利用し、米国の障害者団体で約1年間、研修を受ける。長期間の国外滞在時に国内の福祉サービスの利用が認められるのは全国でも初めての事例。八木さんの挑戦が、障害者運動の歴史に新たな1ページを刻む。 土浦市内の飲食店で22日、DETいばらきの障害当事者メンバーやヘルパーらが集まり、米国に向かう八木さんの壮行会を開いた。会の冒頭で八木さんは「大変なことはまだあるが、楽しみたい」と話すと、同団体の代表の高橋さん(59)は「素晴らしい活動。たくさんのことを吸収して、次の時代につないで欲しい」と語った。 八木さんは中学3年の時、柔道の練習中の事故で脊椎を損傷し、首から下を全く動かせなくなった。現在は、ヘルパーによる24時間の介助を受けながら水戸市内で一人暮らしをする。自立生活センターいろはでは当事者として障害者の地域生活を支援し、DETいばらきでは障害への理解啓発に取り組んでいる。 米国で障害者のパレードに参加 八木さんは、海外で活動することを子どもの頃から夢見ていた。事故に遭った時は現実を受け止められず、何度も涙がこみ上げたという。その後は周囲に支えられ、「どんな重い障害があっても自分らしく生きることができる」という理念を掲げる障害者の自立生活運動に出合い、20歳からヘルパー制度を利用して一人暮らしを始めた。 一度は諦めかけた海外への夢が再燃したのは2017年。世界で初めて「障害者差別禁止法」が制定された米国での記念イベントに、日本全国の障害者や介助者らと参加した。現地では、米国以外の若者たちとも交流し、パレードにも参加した。さらに、保険制度改悪を阻止するため逮捕者を出すのもいとわず座り込む米国の当事者らに接し、「熱いムーブメントを肌で感じた。彼らと一緒に活動したいと思った」と振り返る。 「国内で前例がない」 八木さんに今年、渡米のチャンスが訪れた。障害者支援に取り組むダスキンによる「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」に応募し、八木さんが立てた、米国で運動を学ぶという研修計画が採択されたのだ。約1年間の八木さんの現地滞在費が助成されることになった。これで夢への扉が開くと思ったが大きな壁に突き当たる。米国で八木さんの生活を支えるヘルパーに支払う「介助料」は助成の対象外だった。 自分で体を動かすことができない八木さんの暮らしには、常にヘルパーの介助が必要になる。日本では、障害福祉サービス制度を利用することで、ほとんど自己負担なく24時間の介助サービスを受けることができる。しかし、1年に及ぶ長期の国外滞在に対し、サービスの支給決定権を持つ水戸市は当初「国内で前例がない」と態度を保留。のちに「国内に1年間不在となると、居住実態が日本から現地に移るため、ヘルパー制度を利用できなくなる」と八木さんに伝えた。 八木さんが受けている重度訪問介護は、半分を国が負担し、残りを茨城県と水戸市が負担している。ヘルパー派遣費用は年間で約2000万円。制度が適用されなければ、全額が八木さんの自己負担となる。現地でヘルパーを雇用すれば時給は約30ドル(日本円で4000円超)になる。個人でまかなえる金額ではなかった。「障害がなければ、現地滞在にかかる費用の助成だけで夢に向かうことができるはずなのに…」。計画を断念することも八木さんの頭をよぎった。 全国の障害者が動き、厚労省交渉 そこで動いたのが、全国で活動する障害者たちだった。調べると、1年未満の滞在であれば、国外にいても税金は日本に収める必要があるとわかった。納税するなら、制度も国内にいるのと同様に使えるべきだ―。これを根拠に当事者らが交渉すると厚生労働省は「海外滞在が1年未満の場合は転居届を提出する必要がなく、渡航前の市町村が引き続き居住地となると推定される。したがって、障害福祉サービスの利用は可能」との見解を示した。厚労省が認めたことで水戸市は八木さんに対して「国外滞在中でも1年未満であれば、今利用している介助サービスを継続して使用できる」と認めた。夢を実現するための大きな壁が取り去られた瞬間だった。 現地では、1日に必要な3人のヘルパーのうち、2人は日本から渡航するヘルパーが制度を利用する。もう1人は現地で雇用する予定だ。制度外となる現地雇用分のヘルパー費用は、クラウドファンディグで301人から寄せられた約500万円を充てる。 八木さんは「たくさんの方に助けられここまで来られた。絶対に1人では無理だった」と話し、「海外に憧れる障害がない人と同じように『海外で学びたい』という強い気持ちが私にはある。しかし夢を実現するための障壁が、障害者であることが理由になるのはフェアじゃない」と述べる。 「かつては障害者が一人暮らしするのが大変だった。それが今はヘルパー制度があることで可能になった。そしてようやく『海外へ』というところにきた」と当事者運動の積み重ねによる時代の変化を八木さんは実感する。 現地の障害者運動に飛び込みたい 米国では、西海岸カリフォルニア州のサン・ラファエル市にある障害者の自立生活を支援する当事者団体で、研修員として現地スタッフと共に活動し、団体の運営や権利擁護活動を学ぶ。早ければ11月中にも渡航する予定だ。八木さんが現地で一番やりたいのは「現地の障害者運動に飛び込むこと」だ。日々、現地の当事者と同じ空気を吸い、暮らしを共にする中で、障害者としての権利や権利意識をどのように獲得しているかを学び、障害者が生きる街や文化を体感したいと話す。7年前に感じた熱が、今も八木さんを突き動かしている。 「将来、若い障害者が今の時代を見て『昔は海外に行くのがこんなに大変だったんだね』と笑い話になるような社会になっていたらうれしい。障害者が健常者と同じように、どんどん海外を志せる社会になってほしい。自分の経験が、他の障害者にとって一歩を踏み出すきっかけになれば」と八木さんは語る。 厚労省障害福祉課は取材に対し、八木さんの事例を踏まえて「滞在期間が1年未満なら海外でも障害福祉サービスを利用できることを、全国の自治体に、事務連絡としてなるべく早期に、わかりやすい形で周知する」とした。(柴田大輔)

私の地球 ユキちゃんのこと《続・平熱日記》166

【コラム・斉藤裕之】夏の間過ごした弟の家の敷地には水の流れがある。ここより上にはもう民家はないので、いざという時には飲み水にもなるという。それとは別に水がしみだしている場所があって、そこにはふかふかのコケが一面に生えている。その中心に向かって飛び石が置いてあって、その先には小さな浅い池がある。 のぞいてみるとアカハライモリがいて、夏も後半だというのに小さなオタマジャクシが見える。「たぶんモリアオガエルだと思うよ」。この池を作って管理をしているのは義妹のユキちゃんだ。 夕食の時間には、食卓からちょうど山の端に沈む真っ赤な夕陽が見える。ユキちゃんはその夕焼けを見ると、居ても立ってもいられない様子でスマホを持って表に出ていく。「今日の空はきれいじゃった!」。次の日も同じように箸をおいて夕陽を見に行く。 そんなユキちゃんが去年の夏、たまたま寄った道の駅で見つけたメダカを古い石臼の中で飼い始めた。そして、今年の夏、百均で買ったという小さな金魚鉢には、もらってきたというメダカの子供が数匹泳いでいた。ユキちゃんはその金魚鉢を大事そうに抱えて、実に楽しそうにのぞいている。メダカの具合を確認したり、スポイトで汚れを吸い取ったり。 そして、たまたま寄った道の駅で、今度はメダカ用の水草と小さな巻貝を見つけた(最近道の駅でメダカは必須アイテム化しているようだ)。この巻貝は金魚鉢の汚れを食べてくれるらしい。 カタツムリと同じ雌雄同体で、2匹いれば増えるというのだ。茨城の私の家にもメダカがいるので、4匹いるうちの半分をもらって帰ろうと思っていたら、ある日、1つの殻が空っぽになって沈んでいるのにユキちゃんが気付いた。1匹だけ持って帰ってもしょうがないので、また増えたらもらうことにした。 夏の間、忙しい果樹園の仕事があるにもかかわらず、毎日おいしいごはんを作ってくれたユキちゃんに何かお礼をしよう。そう思っていたら、偶然、ピッタリのプレゼントを見つけた。淵が青くてひらひらした古い小さなガラスの金魚鉢。 アサギマダラが飛んでくるんよ! 茨城に戻って少しは涼しくなるかと思いきや、今年はいつまでも暑い。そこにユキちゃんから画像が届いた。プレゼントした金魚鉢が映っているようだが、よくわからない。「巻貝が1匹死んで2匹になったと思ったら、赤ちゃんがいっぱい生まれた!」とのコメント。 「秋になるとフジバカマが咲いて、そうしたらアサギマダラが飛んでくるんよ!」。ユキちゃんは、北から南へ千キロ以上も移動するというアサギマダラ蝶(チョウ)がもうすぐこの山の中の敷地に立ち寄るのを心待ちにしている。 画家、香月泰男(164話)は、生涯、山口県の三隅町を離れることなく画業に勤しんだ。そして、その小さな町が彼の空であり大地であり「私の地球」であると言った。まさに、この山の中の家はユキちゃんの地球だと思った。多分ユキちゃんは香月泰男の言葉を知らないと思うけど。(画家)

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