水曜日, 5月 22, 2024

壁なくす交流の場に つくば在住スリランカ人 28日 母国の正月祭り

つくば市在住のスリランカ人らによる「スリランカお正月祭り」が28日、同市花畑の花畑近隣公園で開かれる。スリランカの新年は4月。正月祭りの主催団体「スリランカお正月祭り実行委員会」で活動する市内在住のニルマール・ペレラさん(46)は「たくさんのスリランカ人が住んでいるが、地域の人と交流する機会は限られている」と言い、「お互いの壁をなくせるような交流の場にしたい」と思いを語る。 2023年6月末時点で県内には3614人のスリランカ人が暮らしている。全国で3番目に多く、人口10万人当たりに換算すると国内最多となる。つくば市には昨年1月末時点で399人が暮らす。 留学生のレクリエーションが始まり つくばでスリランカの正月祭りが始まったのは約10年前。筑波大学で学ぶスリランカ人留学生たちが集まり、食事をしたりレクリエーションをしたのが始まりだったとペレラさんは言う。当初は学生中心だったが、つくば市や周辺で働くスリランカ人たちにも輪が広がった。市内で妻と3人の子どもと暮らすペレラさんが参加したのは2018年から。その後コロナ禍で2年間開催できなかった。昨年3年ぶりに再開すると、100人余りの同胞人や日本人が参加した。 ミルクライス食べる儀式から スリランカでは太陽がうお座からおひつじ座に移ったときに年が変わるとされており、占星術師たちが毎年その時間を国民に知らせる。4月中旬ごろになるが、今年は4月13日午後9時5分に新年を迎えた。 占星術師が年明けの時刻を予告すると、その前後に何もしてはいけない時間帯がある。年が明けてから初めてかまどに火を入れ、器にココナッツミルクとライスを入れて沸騰させ吹きこぼし、新年最初の食事はココナッツミルクで作るミルクライスを食べる。仕事を始める時間も、占星術師によって決められた時刻に行うのが慣習だ。「吹きこぼし儀式」「食べ始めの儀式」は、五穀豊穣を祈るものとされる。 つくばの正月祭りでも母国の儀式をもとに、ミルクを器に注ぎ、ココナッツオイルに火を入れて、ミルクライスを食べる儀式からスタートする。その後は、母国でするのと同様に、ダンスや綱引き、マラソン大会、パン食い競争、口に加えたスプーンにレモンを載せて走るなど、さまざまなレクリエーションを参加者同士で楽しみつつ、用意された食事に舌鼓を打つ。 10年以上続く中で地域の日本人との交流も少しずつ広がった。今年は家庭で備える防災について、外国人にもわかりやすくやさしい日本語と英語で表現した「防災かるた」を使い、考案者であるつくば市在住の防災士、水谷浩子さんを招いてカルタ大会を初めて開く。 子どもたちが母国文化と接する機会 ペレラさんは「日本で生まれたスリランカ人の子どもがたくさんいる。多くは地域の学校に通っていて、スリランカの文化に触れる機会が限られる。使う言葉も日本語が中心。一方で、つくばには沢山の外国人が暮らしているが、地域との関わりを持てずに暮らしている大人も多い。子どもたちにとってはスリランカ文化と接する機会に、大人たちにとっては地域との交流の場になるといい」と話し、「将来的には日本とスリランカ、互いの文化が持つ良い面が混ざり合い、つくばだからこその新しい文化が育っていくきっかけになれば」と思いを語る。(柴田大輔) ◆「スリランカのお正月祭2024+防災」は4月28日(日)午前9時~午後5時、つくば市花畑3-11-5の花畑近隣公園で開催。参加費無料。

大地震など緊急事の薬《くずかごの唄》138

【コラム・奥井登美子】最近、処方箋に「残薬調整」と書かれているのを持ってくる人が多くなった。いい傾向である。そういうとき、我々薬剤師は、患者さんが前にもらった分の残薬を入れて、調剤する。 「残薬調整と処方箋に書いてありますので、すみませんが、残薬を見せて下さい」 家に残っている薬の数を紙に書いて持ってくる人もいるが、私は実物を見せてもらっている。薬を大事に保存している人の中に、期限が切れた昔の薬が混ざっていることがあるので、私は必ず錠剤の形や色などを点検して、期限を確かめている。 自分の薬は自分で持って逃げる 「随分たくさん、薬が残ってしまいましたね」 「ハイ。引き出しを整理したら、いつの間にか、こんなにたくさん…」 「大地震があったときの『緊急事態用』に、1週間分ぐらい別にして、救急カバンに入れておいたらいいと思いますけど」 「救急カバンなんて、ないわ」 「自分で作るしかないですよ」 「避難するような大地震なんか、この辺りであるわけないと思いますが…」 「関東大震災から100年です。もしかして地震があって、万一避難するとき、自分の薬だけは自分で守って持っていく。そういうときのために、自分用の救急袋を作っておいたらいいと思いますけど…」 「能登半島の地震のとき、薬はどうしたのでしょう」 「さあ、わかりませんが、防災は個人個人違うと割り切って、大切なものを大事に保管しておいたらいかがでしょう」 無いと困る血圧や心臓の薬 医療の不備だった事例はいろいろ報道されているけれど、薬は、個人個人あまりに違いがありすぎるせいか、あまり報道されていない。薬剤師会の中に「災害時情報共有システム」という組織が地域ごとにあるが、電気もない中でどう働くのか、私にもわからない。 血圧の薬。心臓の薬。1週間以上休薬することができない薬は多い。薬はかさばるものではない。せめて自分のいつもの薬くらいは、緊急時に持って避難することを心掛けてほしい。(随筆家、薬剤師)

研究学園駅近くにBBQ広場 つくば薫製手作り工房がオープン

つくば学園の森 薫製手造り工房(つくば市二の宮、塚崎雅之社長)は25日、ベーコン、ハム、ソーセージ、スモークチキンなどの直販所にバーベキュー(BBQ)広場を併設した「Bella Foresta TSUKUBA(ベラ・フォレスタ つくば)」をTX研究学園駅から約1キロのつくば市西大橋にオープンした。イタリア語のベラ・フォレスタは美しい森という意味で、森林を切り開いたエリアで薫製肉を焼いて食べられる。 10数本の大木を残した新施設の広さは1200坪(4000平方メートル)。ここに、薫製肉販売店、BBQゾーン、ハム・ソーセージ造り体験施設、ドッグランなどが広がる。真壁石を磨いて造られたBBQ用のテーブルとイスは20セット用意されている。駐車場は隣接地に約50台分。 塚崎社長は「研究学園駅から1キロ、つくば駅から1.5キロの場所。タクシーだと1メーターと両駅から近い。旧村落に残っていた森林を買い取り、市民が集える場に整備した。キッチンカーが営業できる区画も設けたので、業者さんは店を出してほしい」と語る。 つくば市内を貫くエキスポ通りから約200メートルのところに位置し、自動車でのアクセス性もよい。 当面は薫製肉販売とBBQが中心になるが、今秋にはフランスパンとジェラートの店もオープンする。場所は同広場第2駐車場そばの元飲食店舗。塚崎社長は「今、社員2人をイタリアで研修させている。ハムやソーセージをパンに挟んで食べ、イタリア風アイスも楽しんでもらいたい」は話す。(岩田大志) ◆同店はつくば市西大橋59-7。問い合わせは電話029-846-0186(同店)。ホームページは現在制作中。 ➡塚崎さんの過去記事「電気工事会社 …ハム工房を経営…【キーパーソン】」はこちら

団体客から個人客にシフト 「亀の井ホテル 筑波山」オープン

筑波山中腹のつくば市筑波に「亀の井ホテル 筑波山」が23日、リブランドオープンした。昨年9月末、「筑波山温泉 つくばグランドホテル」が米国の投資ファンドに譲渡され(23年8月10日付)、同ファンド子会社でホテル運営会社のマイステイズ・ホテル・マネジメント(東京都港区)が客室やレストランなどの改修を実施していた。つくばグランドホテルは団体客の利用が多かったが、新たなホテルは家族連れやペットとの旅行、サイクリングなど多彩なスタイルで旅行する個人客を主なターゲットとする。訪日外国人の誘客も目指す。 客室は、小さな子供を持つファミリー向けのキッズルームや、3世代で宿泊できるファミリールーム、愛犬と宿泊できるペットルームなど新たな客室が新設された。 食事は、団体客向けの宴会場を無くし、2階にビュッフェ形式のレストランを新設。常陸牛の焼きしゃぶ、県産キノコを使ったきのこ鍋、県産食材でアレンジする山海丼のほか、朝食は納豆の食べ比べができるなど、県産の食材を使った豪華な食事を自由に取り分けて食べられるようにした。ビュッフェ形式は筑波山にある五つの観光ホテルで初めてという。 7階の露天風呂は、今まであった柵を取り払い、関東平野や富士山、日光連山などの大パノラマが望める絶景の露天風呂に改装した。 ロビーラウンジがある3階は、家族や友人とリラックスしたり交流できる空間としてゲームやトランプなどができるゲームエリアを新設した。 今後さらに、自転車を客室に持ち込めるサイクルルーム、部屋の中から関東平野の景観を楽しめるハリウッドパノラマビュールームなどを新設し、7月6日にグランドオープンする予定。 24日は関係者を集めて内覧会が催され、新装施設が案内された。ロビーラウンジがある3階南側には広いデッキが広がり、関東平野が見渡せる。ラウンジはファミリーなどを意識したものに改装され、元カラオケルームは大画面でゲームを楽しめるゲームルームになった。家族や友人と、トランプや人生ゲームなどのボードゲームを楽しめるテーブルも設置された。7階キッズルームはかわいいキノコのキャラクターが登場する楽しいデザインが施されている。2階のビュッフェレストランは青森のねぶた師が手掛けた「つくばねぶた」が置かれている。朝食、夕食とも好きなものが食べられ、外国人も想定した多様なニーズに応える。 同ホテルの天満龍裕支配人(45)は「茨城のおいしい食材を提供するなど食事に力を入れており、豊富なメニューをそろえている。レストラン、ビュー、新しいお部屋はもちろんだが、まずはお客様を温かく迎えられるホテル、人に会いに来ていただけるホテルづくりを今後ともしていきたい」と話す。 同ホテルは客室61室(定員325人)、宿泊料金は1人当たり一般客室1万3000円~、ファミリールーム1万8000円~(消費税、サービス料込み)。初年度は年間約3万2000人の宿泊客を目指す。 亀の井ホテルは、マイステイズ・ホテル・マネジメントが2022年4月、日本郵政から「かんぽの宿」30施設を譲り受け運営を開始したホテルと、亀の井ホテル別府(旧別府亀の井ホテル)など計32施設により22年7月に誕生した。筑波山は39施設目。県内では、かんぽの宿だった大洗、潮来に次いで3施設目。 日帰りから滞在型へ 筑波山観光の新たな戦略とは? 筑波山は首都圏から日帰りできる距離にあり、現在、日帰り観光が主流になっている。どうやって滞在型に変えていくのか、天満龍裕支配人と、本社の増井香織マーケティングアドバタイジング パブリックリレーションズチーム チームマネージャーに新たなホテルの運営戦略などについて聞いた。 ー亀の井ホテル筑波山の魅力、売りは何か。 天満支配人 今回は食事を一番変えさせていただいた。茨城県の魅力がたっぷり詰まったビュッフェになっている。ビュッフェはファミリー層が大好きかと思う。食事は県産のきのこ鍋、納豆カツなど。朝食では納豆3種食べ比べをしたり、夜朝共に茨城の食材をふんだんに準備している。あと、亀の井ホテルグループの共通メニューもあって、どこの亀の井ホテルに行ってもおいしく食べていただけるメニューもあるので自信をもってご提供させていただく。(首都圏から)近くにこんないいところがあるんだよということを知っていただきたい。 それから弊館の売りは関東平野のビュー。7階のインフィニティ露天風呂があってそこからの景色はひじょうにすばらしい。宿泊のお客様だけが利用できるので、食事や温泉の魅力を十分に発信していきたい。 今サイクリストが多く、筑波山にも自転車で来られる方がたくさんいらっしゃる。そういった方々が筑波山に上がってこられて一休みできるようなサイクルルームもつくる。いろんなニーズに応えられるように、ファミリー向けのキッズルームや3世代向けの絆ルームをつくったり、多種多様なお部屋を準備するので、今まで日帰りで帰ってしまったお客様が一休みできる空間をつくっていきたい。 ―宿泊客をどこから呼び込むのか。 天満 亀の井ホテルグループには、旧かんぽの宿で会員になっていた方々を中心にKMC会員(カメノイ・ホテル・メンバーズ)が66万人おり、亀の井ホテルのいろいろな温泉地を巡っていただこうと取り組んでいる。関東圏のお客様が多いが、遠方からお越しいただいている方もいらっしゃる。会員様を増やしていこうとキャンペーンを組み込んだりしており、さらに会員数を増やしていきたい。 ―筑波山のホテルは、客室で食事をとる個室食が中心だが、亀の井筑波山では個室食は提供しないということか。 天満 以前は団体のお客様がメーンで、宴会場も大中小3カ所あったが、ビュッフェや客室に改装した。今回、個室食のメニューから一新してビュッフェに変えた。お客様のお声をお聞きすると「個室食なんだよね」というお声が結構あった。個室食が好きなお客様もいらっしゃるが、筑波山には個室食のお宿(ホテル・旅館)がたくさんある。ビュッフェのレストランをもっているお宿はあまりない。こういった差別化を図りながら、地元の古くから営業されているお宿との共存を目指して、より多くのお客様が筑波山に来ていただけるコンセプトを考えたい。 ―地元のつくば市では職場の忘年会や宴会で筑波山のホテルを利用するというイメージがある。亀の井筑波山では宴会は受けないということか。 天満 宴会をされたい方はほかのお宿があるのですみ分けをしたい。 ―訪日外国人客(インバウンド)はどれくらいを想定しているのか。 天満 今現在のインバウンドは15%ぐらい。私の中ではまず15%から30%に増やしていきたい。インバウンドをとっていきたいというのはビュッフェにした理由の一つでもある。海外からのお客様でメニューが口に合わないものがあったり、食べられないものがあったりということがある。ビュッフェスタイルであれば好きなものが食べられる。地元の食材をふんだんに使った茨城県のおいしい料理を知っていただきたいと料理を準備させていただいた。温泉もあり、東京からのアクセスがいい。筑波山は標高877メートルと百名山の中でも低いが、コースによってはすごくきつかったり、なだらかな魅力あふれるコースがある。そういったことを身近に楽しめる場所として最適な場所だと思う。海外の方も、地元の方も大切しながら、共存できるホテルづくりをしていきたい。 ー県内には大洗、潮来、筑波山と3件の亀の井ホテルがある。どのように連携していくのか。 天満 例えば亀の井筑波山に問い合わせがきたお客様に「うちはいっぱいですけど、こちらはいかがですか」とご紹介ができたり、あと食器とか「こういういいものがあるから使ってみたら」と情報交換がすごくしやすかったりする。 ―米国の外資系ホテルが初めて筑波山に進出してきたということで、地元としては期待やさまざまな受け止めがある。 増井 本社チームマネージャー つくばグランドホテルの時代は地域との共存はすごくあったと思う。私たちが運営を引き継いで、どういうホテルになるんだろうという期待を皆さんにもっていただいている。ホテルも運営会社も、近隣の皆さんと一緒に筑波山という地域、茨城という地域を盛り上げたい、観光に貢献したい、寄与したいというスタンスでいる。(榎田智司、鈴木宏子)

「つちまる」も好きだけど「ラーシク」も好きになった《遊民通信》87

【コラム・田口哲郎】 前略 3月1日発行No.1356「広報うしく」の表紙には、牛久市の公式キャラクター「ラーシク」を中心に、牛久市観光協会のキャラクター「かっぱのキューちゃん」、美浦村の「みほーす」、阿見町の「あみっぺ」、竜ヶ崎市の「まいりゅう」、河内町の「かわち丸」そして土浦市の「つちまる」が、牛久シャトーをバックに勢ぞろいした写真が載っています。 ゆるキャラ好きとしては、ここになぜ、かすみがうら市の「かすみがうにゃ」がいないのかが気になりますが、事情があったのでしょう。 さて、牛久市の公式キャラクターはかっぱのキューちゃんだと思われがちですが、それは観光協会のキャラクター。市のほうは「ラーシク」です。牛久市といえば、ワイン醸造所だった牛久シャトー、世界一の高さ120メートルでギネス認定された牛久大仏が有名ですから、ワインやブドウの妖精、大仏さんになりそうなものですが、ラーシクは一見したところではご当地名物を読みとれない姿です。 公式ホームページには、「『ゆるキャラ』が乱立している世の中ですが、単にかわいらしさは狙わず、ぶどうは甲州、うなぎは浜名湖、などの地域の特徴へのこだわりも捨て、まったく新しい五感の創出と、大勢の中にあっても埋もれない強さを持ったキャラクターが誕生しました」とあり、その意気込みが伝わってきます。 カワイイだけじゃない、精神的な受け皿になる意気込み 単にカワイイだけではない、「人間は一人ひとりみな違うもの。牛久の市民がそれぞれに『自分らしく生きる』こと。それが結果として牛久のまちを輝かせる」という哲学を表しているそうです。 自分らしく。そんなラーシクは「まちの活性化に主眼を置」いているそうで、公式キャラクターの任務を忘れません。さらに、行政キャラクターにありがちな前向き一方の理想をうたっていないところがすごい。 「悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、なんでも受け止めてくれるみんなの受け皿になります」。楽しいことのみならず、悲しいことも受け皿としてわかってくれる。精神的なよりどころであることも宣言されています。こうした精神性が先立つゆるキャラにはあまりお目にかかったことがないので、おどろいたとともに良いなあと思いました。 他人の悲しみを受け止めるのは並大抵の大変さではないと思います。牛久市役所の職員の方々は日々、市民の困りごとに対応されていると思います。悲喜こもごも、人間が生きることは楽しいことばかりじゃないけれども、ラーシクのやさしい笑顔が包み込んでくれる。 そう思うと、ラーシクに不思議な愛着がわいてきます。私は「つちまる」の大ファンでもありますが、ラーシクファンにもなりました。市民が人間らしく生きられる町、そんなおだやかなポリシーをかざらずに表明する牛久市が、これからも牛久らしくあることを願っています。ごきげんよう。 草々 (散歩好きの文明批評家)

「魔女のフェスタ」29日石岡の廃校で 妖怪仮装パレードも

筑波山麓で、アロマテラピーなどの知識や技術を学ぶ「魔女の学校」を主宰するいしざき緑子さんらが29日、石岡市柴内の廃校、朝日里山学校で第7回「魔女のフェスタ」を開催する。受講生らがマルシェ形式で手作り品やオーガニックの品を販売する。雑貨店のほか占いの店、飲食店など計約100店が出店する。 今回のテーマは「天球オペレッタ」。関東一円から様々なジャンルのアーティスト11組が参加し、音楽ステージが途切れることなく繰り広げられる。妖怪仮装パレードなども行い「楽しい所に人は集まる」「はじけたい」という気持ちを体現してもらう。いしざきさんは「母なる天球の中を回って巡る星々のように、共鳴し合い共振して、どんなエネルギーも豊かな愛で包んでいきたい」と話す。 いしざきさんは2021年からつくば市国松の古民家で「魔女の学校」を主宰し、春と秋の年2回、受講生らが出店する「魔女のフェスタ」を開催している。春は、ドイツ各地で毎年4月30日に開催される魔女まつり「ヴァルプルギスの夜」を手本に開催する。いしざきさんは4月30日が誕生日で、特別な日だという思いが強い。29日は同まつりの前夜祭にあたり、スペインでは魔女が春をお迎えするというおめでたい日だという。 同フェスタには受講生たちのほか、いしざきさんのネットワークで毎年、関東一円からたくさんの人が参加する。雑貨、オーガニック、タロット、占いなどの出店のほか、体育館ではつくば市国松で子供の交流施設「じゅんばあの家」(2023年12月14日付)を開設する関係者でつくる「チームじゅんばあ」による昭和の遊びなどが行われる。 主催者のいしざきさんは「魔女の学校はあるがままの自然を大事にしている。グレゴリオ暦(太陽暦)ではなく太陰暦を使うことによって、自然の営みに入ることができ、免疫力も上がる。天球オペレッタに参加してもらい元気になって欲しい」と話す。(榎田智司) ◆魔女のフェスタは29日(月・祝)午前10時~午後4時、石岡市柴内630、朝日里山学校で開催。入場無料。問い合わせは魔女のフェスタのインスタグラムまたはフェイスブックへ。今年度の魔女の学校は5月開講予定、春の受講生を募集している。

タオルの一生《短いおはなし》26

【ノベル・伊東葎花】 わたしは、ふわふわのタオルでした。かわいいお花模様の、ピンク色のタオルでした。上品な箱に入れられて、この家にやってきました。大人も子どもも、わたしに頬ずりして言いました。 「肌触りがいいね」 「ふかふかで気持ちいい」 「ずっとすりすりしていたいな」 そうです。わたしはタオルの中でもひときわ人気者でした。えへんと胸を張って、タオル掛けでみんなを待っていたのです。 しかし悲しいかな、月日は流れ、わたしは古くなりました。何度も洗濯されてごわごわになりました。ある日子どもが、ろくに洗わない泥のついた手を、わたしで拭きました。「あらまあ汚い」と、おばあさんがわたしを漂白しました。ちょっと待ってぇ~と叫んでも、声は届きません。私は漂白されてしまいました。 自慢だったきれいなピンク色は、白と薄いピンクのまだらになりました。お花模様は、もはや色とりどりのシミと成り下がりました。生地の繊維も弱くなり、いつ穴が空くかビクビクしていました。そしてついに、そのときがやってきたのです。 お母さんが、テーブルをわたしで拭いたのです。そうです。わたしは雑巾にされてしまいました。でも、テーブルの雑巾は、雑巾の中でも上位でした。台所の油汚れを拭かれたり、トイレの雑巾になるよりは、ずっとマシなのです。だからわたしは、たとえ食べ物のかすを拭かれても、じっと耐えました。 あるとき、子どもが言いました。 「お母さん、この雑巾、穴が空いてる」 が~ん。ついに、わたしに小さな穴が空いてしまったのです。 「あら、しょうがないわね。じゃあ、お台所の雑巾に格下げしましましょう」 格下げ…。嫌な言葉です。恐れていた言葉です。わたしは台所の油汚れを拭かれた上に、焦げた鍋やこびり付いたカレーを拭かれ、ゴミ箱に捨てられるのです。わたしの一生は、こうして終わりを迎えるのです。 しかしそのとき、子どもが言いました。 「お母さん、これ、絵の具拭きにしていい?」 「いいわよ」 ああ、なんとありがたいお言葉。絵の具拭きになるということは、子どもと一緒に学校へ行けるのです。格下げどころか、天にも昇る気持ちです。 わたしは翌日から、絵の具用の雑巾になりました。赤青黄色、たくさんの色で、わたしはとてもカラフルになりました。写生の時は、一緒に外に連れて行ってもらいます。太陽の光を浴びながら、水色や緑に染まります。わたしは今、とても幸せです。 子どもは、なかなか絵が上手でした。将来、有名な画家になるかもしれません。彼が有名な画家になったら『有名画家が使用した雑巾』として、美術館に展示されるかもしれません。わたしはその日を夢見て、今日も絵の具箱の中で出番を待っているのです。(作家)

「国際人となって世界へ」 13の国・地域 68人が入学 日本つくば国際語学院

つくば文化学園による日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長兼校長)の入学式が23日、同市小野崎の料亭、つくば山水亭で開かれた。13の国と地域出身の68人が、多様な民族衣装やスーツに身を包み、新たな一歩を踏み出した。 新入生を代表してあいさつしたアフリカ・マダガスカル出身のラコトベ・ラベヴィチャ・アンディ・エヴァンさんは「日本に来るための準備に苦労し、家族や友人からもとても心配された」という。しかし、来日してみると「風景はきれいで、覚えてきた日本語で日本人と話すことができた。『これは夢ではない。現実だ』と思うと心配はなくなった」と話す。夢はアニメーター。「いつか著名な日本人アニメーターと仕事を共にしたい。そのために日本語を一生懸命学び、毎日絵を描き、多くの方に作品を見てもらえるよう頑張りたい」と語った。 在校生を代表したネパール出身のタマン・マダン・クマルさんは「日本に来て一番困ったのは日本語ができなかったこと」だと振り返る。来日当初、コンビニのレジで支払い方法を聞かれたのに、「はい」と答えてしまい恥ずかしい思いをした。「わからない時には『はい』『大丈夫です』とは言わないでください。ここには皆さんを助けてくれる人がたくさんいる。わからないことは先輩や先生に聞いてほしい」と新入生たちに語り掛けた。 入学式に参加する息子を見届けた、バングラディシュ出身でつくば市在住のモハメドさんは「皆さんのおかげで(息子は)ここまで成長できた。今は安心しているが、ここから先は彼自身の責任で前に進まなければいけない。しっかり日本語を学んでほしい」と我が子にエールを送った。 東郷理事長兼校長は「異国の地での生活には不安もあると思うが、学校には様々な国籍の先輩がいる。困ったことがあれば先輩たちを頼ってほしい。これから留学生活の中で日本語を楽しく学び、何かをつかみ、大きく成長してください。皆さんが国際人となって世界へ羽ばたくことを期待しています」と話した。 今年度の入学生68人のうち、最も多いのはネパール出身者で37人。次いでミャンマー出身が8人、スリランカ出身が7人。その他、中国が3人、タイ、韓国、バングラディシュ、モンゴルが2人、香港、インド、ベトナム、マダガスカル、フィリピンから1人ずつとなっている。 ネパール留学生増え2位に 出入国在留管理庁によると、2023年末時点における在留外国人は341万992人で、前年末と比べて33万5779人増で過去最高を更新した。その中で「留学」の在留資格を持つ人数はほぼ1割の34万883人。国籍・地域別ではネパール国籍の留学生が5万5604人で、ベトナムを抜いて初めて2位となった。1位は中国で13万4651人。2024年3月1日時点のつくば市には、146カ国、1万2583人の外国籍住民が暮らしている。(柴田大輔)

杜の都と学園都市を結ぶ 日本国際学園大の橋本学長【キーパーソン】

つくば駅から徒歩7分の一等地にある筑波学院大学(つくば市吾妻)が、4月から「日本国際学園大学」に名称を変更し新たな開学を迎えた。学びの場も「杜(もり)の都」仙台と「学園都市」つくばの2キャンパス制になった。同時に、理事長を務めていた橋本綱夫さんが新大学の学長も兼務する。新名称+学長兼務+2キャンパスの狙いは何なのか、橋本学長に聞いた。 日本発の国際的人材を育てる 「新大学の名称は、一言でいえば日本発の国際的人材を育てたいということ。自分の国、日本の文化を知ることが国際化の第一歩という意味合いも込めた。当然、外国からの留学生がたくさん来てほしいという思いもある」 「小規模な大学の場合、学長が理事長になるケースが多い。この5年半、理事長だったが、学長候補者選考委員会の推薦を受けて検討した。学長を兼ねることで教育と経営の一体性を図ることができ、大学経営のスピード感も高められる。理事長を引き受けてからの変革期が終わったので、学長を兼務することが可能と判断した」 仙台市で専門学校も運営する橋本学長は2018年秋、東京家政学院大学の姉妹校・筑波学院大が1法人1大学体制となるに当たり、理事長に就任した。この5年半、大学再生の仕事にコロナ禍による留学生減が重なり、経営はハードだったようだ。これまでが大学再生の第Ⅰ期とすれば、大学名変及び新大学開学は第Ⅱ期への移行宣言ともいえる。 2キャンパス活用は来年から 名称変更・新大学開学に合わせ、大学はつくば市内と仙台市内の2キャンパス制になる。仙台キャンパス(仙台市青葉区)は仙台駅から徒歩10分の専門学校(外語系とホテル系)の建物を使う。 「仙台での授業は来年4月からになる。今の時代(ネットを使うなど)学びの地理的なハードルは低くなっている。うちでは、今年はつくば、来年は仙台といった形で学べる。今年度入学生は、1年時はつくばキャンパス、2年以降はコースによって両キャンパスに分ける」 1学部1学科(経営情報学部ビジネスデザイン学科)の学園大には、①国際教養②英語コミュニケーション③現代ビジネス④国際エアライン⑤国際ホテル⑥公務員⑦AI・情報⑧コンテンツデザイン⑨日本文化・ビジネス(対象は留学生)のモデル(コース)があり、この9コース構成は筑波学院大と専門学校の特性が生かされている。 来年度は200人定員充足へ 大学再生の最大の課題は「定員200人」の確保になる。今年度は126人(うち留学生は40人)にとどまったが、「来年度は仙台キャンパスが本格的に稼働することもあり、定員を充足できると思う。知名度では大規模大学に及ばないが、入学希望者にはキャンパスに足を運んでもらい、大学の良さを知ってもらいたい」と語る。 また、専門学校を大学に統合する計画はないのか、新たな学部を創設する計画ないのか―との質問には「いずれも現段階では考えていない。仙台キャンパスの立ち上げで定員が不足することも予想されるので、中期的には定員を300人に増やすこと考えたい」と、2キャンパスの活用に意欲を見せた。 【はしもと・つなお】2005年、東北大学経済学部卒。監査法人、コンサル会社を経て、10年、東北外語学園(外語観光専門学校、ホテル・ブライダル専門学校、幼稚園・保育園を運営)理事。13年から同学園理事長。18年9月から筑波学院大理事長。経営学修士。 【インタビュー後記】東北外語は旧満州のハルピン大学で数学教授をしていた祖父が創設した。学校教育者としては3代目。公認会計士の資格を持っており、大学再生には適任といえる。大学教授だった祖父は大学創立に強い関心があったそうだ。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

「… in宇部」後記②同級生《続・平熱日記》156

【コラム・斉藤裕之】イリコの絵を買っていかれた「いりこ」さん。実は個展を心待ちにしていてくれた中学の同級生の奥様だった。 「いりこ」というのはもちろんあだ名で、旧姓の「いり…」がその由来だそうだが、このいりこさんは奇遇にもギャラリー・オーナーの同級生だったのだ。つまり、旦那が私の同級生で奥様はオーナーの同級生。というわけで、図らずも彼の善意で私の個展の情報は中学の同窓会のSNSに回るという事態を招いた。 これはちょっと困ったことになったと思った。なにせ高校卒業以来、人生の裏街道をひた歩いてきた私にとって、故郷の友人は思い出の中にあって、できるだけ会いたくないというのが正直なところ。実際に、学校を出てからほとんど誰にも会ったことがないのだ。 しかしながら、絵描きというのは絵も描くが、絵を見せてなんぼのものである。ひとりで絵を描きたいのだが、みんなに見てもらいたいというひねくれた生き物なのだ。 結果的に、3人の同級生が個展会場に現れた。正直、会った瞬間は誰かわからなかった。しかし、「〇〇です」と言われた瞬間に、50年近く前の顔が瞬時に頭に浮かんだ。 「これ俺」「ヨシナガくん?」 1人目は前述の彼、2人目は地元にいて家業を継いだ男で、どこか華のある男だったが、高校の同級生と組んだロックバンドを今も続けているという。そして、3人目は会うなり「これ俺」とスマホの画面を見せてきた。 その画面を見た途端、「ヨシナガくん?」と。それは保育園のお遊戯会のときに彼と2人で踊った「角兵衛獅子」の画像だった。そのモノクロの写真は我が家にもあったし、多分何度も稽古をしたのだろう、幼心にはっきりと覚えている。 と同時に、彼にとって彼自身を私に思い起こさせる最良の手段として、わざわざこの画像をスマホに納めて会場に現れたことに胸が熱くなった。 というのも、彼とはその後、高校までを共にするのだが、恐らく同じクラスになったことはなく、つまり彼との確かな思い出、記憶としてはこの角兵衛獅子以来あまりないのだ(実は前述の2人も同じクラスになったことがない)。 彼はニコニコほほ笑む奥様を同伴していて、「再婚なんだ」と紹介してくれた。それから地元の大企業に勤めてけっこう偉くなっていること、お母様がご健在で私の母のことを気にかけてくださっていることなども分かった。そして「この絵をください」と、昨夏にふと訪れた徳山動物園の象の絵(紙粘土で作ったものを描いた)を買ってくれた。 5月末からは「… in丸亀」 しかし一番驚いたのは、会期中に同級生が持ってきてくれた、数年前に開かれた中学の同窓会のパンフレット。なぜか当時の校長の挨拶文が載っているのだが、それがなんと実家の向かいのヒロちゃん(高校では柔道部の先輩)だったこと。 さて、5月末からは「平熱日記 in 丸亀」が香川県のギャラリーで開かれる。それをSNSで知った高校の同級生達。丸亀行を企てているという。そっとしておいて欲しくもあり、有り難くもあり。(画家)

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