木曜日, 3月 30, 2023
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斉藤裕之

3年ぶりの餅つきと新しいノート 《続・平熱日記》125

【コラム・斉藤裕之】年の瀬を感じるものは人それぞれ。クリスマス、大掃除、忘年会…。しかし私にとっては餅つき。今どきは十分においしい餅がスーパーで売っているし、わざわざ餅をつくこともなかろう。否、私の中ではその年を締めくくる大事な伝統行事。特に、昨年生まれた孫が物心つく頃までは是非とも続けていきたい私遺産。 それに、3年前に新調した餅つきの道具一式を、コロナのせいでこのまま使わず仕舞(しまい)にするのはどうにも癪(しゃく)だった。それから迎えるは兎(うさぎ)の年といえば、やはり餅つきだろう。そしてやっぱり杵(きね)つきの餅はおいしいし、餅はみんなを笑顔にする。 だから、3年ぶりに餅つきをすることは前から決めていた。しかし餅は1人ではつけない。餅つきは家族、友人との共同作業だ。 穏やかな晴天の下、総勢20人。朝から火を入れておいた竈(かまど)に乗せた蒸籠(せいろ)から湯気が立ってきたら、いよいよ餅つきの始まりだ。まずは杵で捏(こ)ねる。餅つきとは言うが、この捏ねる作業がほとんどで、つくのは最後の仕上げ程度。実はこの地味に見える捏ねの作業が体力を奪う。 やっと杵を振り下ろす頃には、想像以上に体力を消耗している。特に昔のケヤキの杵はすこぶる重い。そして時間とともに、杵を打ち下ろすよりも、臼から持ち上げるのが大変になってくる。加えて粘り始めた餅が杵に着くと、一層重く感じる。昔は4升餅をひとりでつき上げると、1人前の男として認められたとか。 しかし、そこはあまり無理がないように、大中小のサイズの中から体力に合った杵を選べるようにして、何人かでつくようにする。かくいう私は、大工仕事と薪(まき)割りで右手の肘を痛めているので、もち米を蒸しあげて臼に投入する係に徹するが、これはこれでシビアな役だ。

室積とモンサンミッシェル 誘われる景色 《続・平熱日記》124

【コラム・斉藤裕之】先日の授業中のできごと。「先生どこで育ったの?」って聞かれた。その子はモンサンミシェルの絵を描いていた。「山口。瀬戸内海で…」って答えた。すると、隣に座っていた子が「お父さん、山口県出身なんです」「へー、どこ?」「金魚の形をした島で…」「そりゃ周防大島でしょ」「そうそう…」。 奇遇というのか、同郷のご子息に出会うことがたまにある。話の流れから続けて、私は将来海のそばに住みたいという話をした。「室積(むろづみ)というところがあってさあ…」。山口県の東部、光市に「室積」という町がある。むろずみ、という響きも好きなのだが、ここは瀬戸内の潮流によって運ばれた砂で島が結ばれた陸繫砂洲(りくけいさす)といわれる地形で、美しい弓なりの砂浜がある。 すぐ近くの虹ケ浜という遠浅で大きな海水浴場は多くの人でにぎわっていたが、この室積はどちらかというとひっそりとしていて、私も幼い頃バスに乗って母と訪れた、室積海岸の断片的な景色をわずかに覚えている程度だ。 「その名前この前授業で習いました。むろずみ」。思いがけず生徒が繰り返した「むろずみ」という地名。「それ地理でしょ。陸繋砂嘴(さし)か砂洲で習ったんじゃない」「多分そうです…」「そういえばあなたが描いているモンサンミシェルも陸繋島だよ。島と陸が砂洲でつながって参道になっていて。むかし行ったことがあるんだ。ここは大きなオムレツが有名で…」 海のそばで暮らしてみたい モンサンミシェルを建築設計図のように鉛筆で忠実に描いているその子は、初老の先生の話を嫌がらずに聞いてくれた。頭の中には、まだ小さかった長女を連れて訪れたモンサンミシェルのグレーの風景が流れていた。5月というのに寒かったノルマンディ。

早く目覚めた 十三夜に 《続・平熱日記》121

【コラム・斉藤裕之】目が覚めて時計を見る。まだ朝には大分早い時間だ。それに昨日よりも一昨日よりも早くなっている。人の体内時計は月の暦になっているらしいということを、東京芸大の名物授業であった生物学の講義で三木先生は力説しておられた。私の中の時計も月に操られているのか。このままだと、どんどん起きる時間が真夜中に近づいていってしまう。 もう少し眠ってみようかと思って布団をかぶるが、完全に目が覚めてしまった。コーヒーを淹(い)れてから描きかけの絵に向かう。バイクが近づいてきてパタンとポストに新聞を入れる音がした。新聞を斜めに読んでから、まだ暗い中、犬の散歩に出かける。 そういえば今日は十三夜だと言っていたな。住宅街の屋根に近い月は驚くほど大きい。なぜ月がこれほど大きく見えるのか。専門家の説明を聞いても納得できない。散歩コースの住宅街に残された竹林の脇を通ると、必然的に思い出すのは竹取物語。竹から生まれた女性が散々わがままを言って月に帰って行くという、何とも煮え切らない物語。 まんまるお月さん。昔の人がまんまる、いわゆる正円を見るとすれば、月か太陽、それから瞳…、竹の断面。「うさぎ うさぎ なに見て跳ねる…」。正円という特別な形は神秘性や物語を生むらしい。しかし十三夜や十六夜(いざよい)のように、ほんの少し不完全なものに風情を感じるところにも日本の感性の懐の深さ。 月の影響でなく歳のせい

信州の美術館「無言館」《続・平熱日記》122

【コラム・斉藤裕之】「信濃山景クラッシック」。信州の山をテーマにしたグループ展が長野県上田市で開かれた。会期中に当地を訪れるつもりはなかったのだけれども、上田に近い千曲市でギャラリーを開くという上沢さんのお誘いもあって高速に乗った。 2カ月前に訪れた信州はまだ夏の空気が感じられたが、晩秋の信濃路は絵に描いたような紅葉の真っただ中にあった。菅平辺りから、多分あれは北アルプスだと思うのだが、すでに雪をかぶった山々が遠くに見えてきた時には運転席で私の心も高揚していた。 その日は、会場である老舗有名パン屋「ルヴァン」で、この展覧会のコーディネートをしてくれた雨海さんと上沢さんを引き合わせ、酵母の香しいパンをいただきながら久しぶりに美術談義などを楽しんだ。 作家としてまたアートコーディネーターとして活躍されている雨海さん。上田に来る前は益子の役所で文化関係の仕事をしていて、その知識と経験から人望も厚く、幅広い世代の作家に慕われている。上沢さんも長い間東京で現代美術に関わるお仕事をされていて、このたび、ご実家を改装されてギャラリーを開かれるという。どうやら長野に拠点を構えるお2人の仲を取り持つことができたようだ。 ルヴァンのご主人とも再会できた。僭越(せんえつ)ながら、前回訪れた折、この2階の窓から見た烏帽子岳を描いた作品を贈らせていただいたのだが、ご主人、実は元々大学で美術を学んでいらしたと聞いて、いささか恐縮した。 さて、せっかく来たのだから、どこか訪ねてみようということになった。観光するには事欠かない信州だが、「無言館は?」という雨海さんのご提案に虚を突かれた。実は、何となく頭の隅にあったのだが、多分、一生行かないと思っていた場所。

パンツと節約 《続・平熱日記》121

【コラム・斉藤裕之】突然だが、私はブリーフ派だ。派と言っても、ブリーフに特別に肩入れするほどの理由はない。ただ、はき慣れているというだけで、身なりに無頓着な人でも、肌に身に着けるものは以外に好みがあるということの例の一つだ。 昔は子供と言えば、ほぼ百パー白のブリーフを履いていた。ところが、高校生あたりになるとトランクス派が出てきた。ちょっと大人びた響きを感じたトランクス。私も目移りしたこともあったが、結局はき慣れたブリーフに戻った。 パリに留学したときもブリーフ。貧乏学生にとってせいぜい下着とシャツ、タオルほどの洗濯をするのにコインラインドリーに行くのは癪(しゃく)で、洗面所で洗うことに決めた。絞るのには大変な、少し大きめのタオルや厚手の衣服は、手すりのようなものに絡めて、ぐるぐるねじって絞る技を編み出した。パンツもなるべく小さくて洗いやすいブリーフが重宝した。 ところで、ブリーフといってもタイプがあって、私の好みは股上がやや浅いもの。誰かがこのタイプのものを新日本プロレス型と呼んでいたが、納得。アントニオ猪木がジャイアント馬場と袂(たもと)を分かち立ち上げた団体のレスラーは、このタイプのパンツをはいた(ややこしいがプロレスラーのはくパンツはトランクスと呼ばれる)。それに対して、馬場や鶴田のいた全日本のパンツは股上の深い縦長のパンツだった。 ところが、しばらくぶりにパンツを買いに行くと、ブリーフの売り場は隅に追いやられている。その上、この新日本型のパンツを探すのは一苦労で、もはや絶滅危惧種である。 ここ10年、20年のうちに台頭してきたのは、ボクサーパンツだ。今やこれが売り場のほとんどを占めている。これを私はミルコ型またはヒクソン型と呼んでいる(わかる人にはわかるかな。いずれも総合格闘家)。私もこのミルコ型を何度か試したが、腿(もも)の付け根あたりに違和感があってだめだった。

故郷に錦を飾れずとも… 《続・平熱日記》120

【コラム・斉藤裕之】9月の終わり。朝6時過ぎに家を出た私は、東京駅の新幹線改札の前で立ちすくんでいた。駅員のマイクロフォンは「静岡で大雨のために午前中は全て運休」と連呼している。「ひかり」も見えず、「のぞみ」も絶たれた。どうする? 窓口で手続きをする大行列を見て決めた。踵(きびす)を返して常磐線で帰宅を選択。手には妻の骨壺(つぼ)の入った大きな手提げ袋があった。 次の日の同時刻。新幹線は穏やかな陽光の中、東京駅を出発。昼過ぎには海に一番近いと言われる新幹線の駅、徳山駅(山口県)に着いた。軽トラで迎えに来た弟と、そのまま粭(すくも)島へ。今回の目的は妻をお墓に納めること。それからもう一つは、コロナ禍で延期になったままの「ホーランエー食堂」での作品の展示だ。 出迎えてくれたのはタコ店主さん。早速、作品を並べてみる。軽トラの荷台には、弟があらかじめ採寸しておいた2間ほどの垂木(たるき)など。それを店内の柱の間に渡して小さな作品を引っ掛ける。それから、窓際や入口のちょっとしたスペースにも並べてみる。2階にも作品を置きたかったのだけれども、光の具合で断念。窓から見える鼓ヶ浦(つづみがうら)の風景に座を譲ることにした。 日ごろは鉄工所で働きながら、生まれ育ったこの島で週2日そばを打つタコ店主さん。古い民家を買い取って、自らの手でこの食堂を再生してきた。その心意気と人柄が店の細部に宿っている。その雰囲気を邪魔することなく作品を置く。適当に箱詰めして送った海や島の絵。それから花や鳥など。美術館やギャラリーではなく食堂に置かれた絵。 故郷を出て40数年。錦を飾ることはできなかったが、小さな絵を飾ることができた。結局、案内のはがきも作らずじまいで始まった「平熱日記展 in 粭島」だったのだが、搬入の様子をSNSにアップすると、早速地元のフォロワーの方がシェアしてくれた。高校を卒業してから同窓会などにも全く出たこともないので、誰に知らせるわけでもない私にとってはありがたいことだ。

信州の山《続・平熱日記》119

【コラム・斉藤裕之】初めて信州の山並みを見た時の感動を今も覚えている。生まれ育ったところの丘のような山とは全く違う。その手の届かないような高さや鋭角な形、色。それが幾重にも連なっている様(さま)は、「畏怖(いふ)」とか「崇高」とか普段あまり使わない言葉を想起させる。 信州上田に大学の後輩が住んでいる。作家でもあり、コーディネーターとしても活躍している彼が、上田のとあるパン屋さんで展覧会をやるから信州の山絵を描いてよこせ、と言う。題して「信州山景クラッシック」。なるほど。30年近く前に私の冗談から始まった、「富士山景クラッシック」という富士山をテーマにした展覧会の信州版ということか。 天気予報は晴れ。朝起きて信州行きを決める。5時出発。予定では3時間余で上田に着く。関東平野の終わりに妙義山が見えてくる。長いトンネルをいくつかくぐると、いよいよ信州。知識がないので何という山か知らないが、遠くに蒼(あお)い稜線(りょうせん)が見える。 「待てよ、このまま長野まで行ってみよう」ということで、朝早くに善光寺に参った。実は、初めて訪れた長野市と善光寺。短い時間だったが、山門の上に登って長野の街を眺める。 それから国道を通って上田に。実は娘の義理のお母さんのご実家は上田。かねがね、ゆっくりと訪ねてみたいと思っていたのだが、今回は時間の制限もあるので、とりあえずそのパン屋さんに向かう。店は歴史を感じる旧街道筋の一軒。知る人ぞ知る名店らしい。けれども、実に素直な造りで押しつけがましさがない。 食事のできる2階の窓から烏帽子岳が見えると聞いていたので、階段を上らせてもらうと、畳の上にご主人とおぼしき方がごろりと寝ておられる。なるほど、この風貌にこの店構えに納得。窓越しに山を見ようとするが、山頂に大きな雲がある。黙ってこっそりと引き上げようと思っていたのだけれど、体を起こされたので、「○○さんの友人で山を描きに来まして…」と事情を説明。

棗とナツメ《続・平熱日記》118

【コラム・斉藤裕之】今年も玄関脇の棗(なつめ)がたわわに実った。身の重さで稲穂のように枝が垂れ下がるほどだ。友人の植木屋さんによれば、うちの棗の実はかなり立派なのだそうである。参鶏湯(サムゲタン)などに使われるとか、漢方薬として体に良いとかいわれる棗だけれど、数年前に加工してビンに保存した実は一度も使ったことがない。 棗との出合いはかなり昔にさかのぼる。夏休みにまだ小さな子供たちと帰省した折、よく訪れていた公衆温泉浴場がある。海水浴に行った後などは、風呂に入れる手間がかからず安価で便利をした。 その浴場の駐車場に涼しげな木があった。それが棗だ。そのことを覚えていて植えてみた。しかし見た目にはわからなかったが、幹や枝にはかなり強烈なトゲを身にまとっていて、かなり厄介だということがわかった。特に若い枝は小さな鋭い棘がいっぱいで、不用意に触ると大変だ。なるほど、棘(とげ)という字と棗という字が似ているのは納得できる。 さて、ここに別のナツメが3つある。茶道で使うお茶の粉を入れるナツメだ。棗の実に似ているので、こう呼ばれるそうだ。これは亡き母のもので、母は茶道の先生の看板を持っていた(茶を入れたところは見たことがない。多分、日々の暮らしが忙しすぎてそれどころではなかったのだろう)。 数年前、実家を処分するときにわずかに持ち出したものの中に、このナツメがあった。恐らく、通販かなんかでシリーズものとして買ったのではないかと思われるのだが、1つは木製で黒と赤の漆が塗ってある。それから白い陶器のもの。これには梅のような花が描いてある。最後は錫(スズ)製のもので植物の蔓(つる)が彫られている。 あの3つのナツメがちょうどいい

パクちゃん 山口へ行く《続・平熱日記》117

【コラム・斉藤裕之】お盆に思い切って故郷山口に帰ってみることにした。鉢植えの水やりは「百均」のペットボトルを再利用したものでなんとか凌げそうだが、問題は犬のパク(ハクは随分前から「パク」という呼び名に代わってしまっている)をどうするか。預かってくれそうな先もいくつか思い当たったのだけれど、ここは一緒に車で帰ろうと決めた。 片道千キロ。しかも車嫌いのパクにとっては辛い旅になることはわかっていた。しかし、この先も車で2人?旅をするにあたっては、いずれ通らねばならない試練。思い立ったが吉日。渋滞を避けたつもりで出発してみたものの、すでに人々の移動は始まっていた。首都高通過に予想以上の時間がかかった上に、景色優先で選んだ中央道では名古屋の手前でホワイトアウト級の土砂降りに遭う。 やれやれ何とかたどり着いた。弟の家は山の中にあるほぼぽつんと一軒家だ。と、ちょっと目を離した隙にパクが山の中へと消えてしまった。「パクー!パクー!」と呼べども反応がない。「そのうち帰って来るよ」と弟夫妻。辺りはだんだん薄暗くなって、ヒグラシが寂しく鳴き始める。 山中にはイノシシの罠(わな)もかけてあるというし、かれこれ3時間が経つ。諦め半分の気持ちでふと外の縁側を覗くと、そこにパクが座っている。「パクー!」。顔と足が汚れていて、どうやら山の中の散策を楽しんだらしい。我が家に来て1年半。元はノラ公だったので、初めはなつくのか心配だったけれども、ちゃんと戻ってきてくれたぞ。 コーヒーの木は、なじみのカフェに 翌日。さして目的もないが、まずは粭島(すくもじま)に行き、弟の船で出航。アジ、タイ、カワハギの大漁。それから、件(くだん)のホーランエー食堂で冷たいそばをいただく。別の日には、瀬戸内海、日本海の道の駅を探訪。ビニール袋いっぱいの小ぶりのサザエが千円。

コーヒーの花が咲いた《続・平熱日記》116

【コラム・斉藤裕之】妻が亡くなった。長い間の闘病の末、最後は自宅で娘たちと一緒に過ごし眠るように旅立った。この数年は妻と毎週のように出かけ、相変わらず口ゲンカをしたりもしたが、彼女は残された時間を知っているかのように身の回りを片付け、子供達の喪服まで買いそろえ、公共料金の支払いの口座からネットフリックスの解約のことまで事細かに「パパへの申し送り」として書きまとめていた。 良き医者にも恵まれ自宅療養を選んだ妻。ちょうど夏休みに入って最後の1カ月は寝起きを共にしてやれた。そしてアトリエにベッドを置いて寝たいというので、猛暑の中アトリエを片付けて希望通りにしてやった。ある朝、アトリエからトイレに行くのに少しだけ敷居があってつまずきそうになるので、ベッドをアトリエから隣にあるリビングダイニングへ移動した。しかしその後、妻はトイレに行くことはなかった。 親兄弟だけのささやかな葬式。娘たちは花の好きだった妻をたくさんの花々で飾り、妻の好きだった曲をブルートゥースで流した。私は何も棺の中に入れてやるものを思いつかないでいたが、その朝探して見つけたつゆ草の青い花を入れてやった。 葬儀の前夜。にぎやかにお酒を飲みながら、思い出話をしているときのことだ。長女が話し始めた。「パパのどこが好きなの? あんなクソジジイなのにって聞いたの」。すると妻は答えたそうだ。「いろんなことがあるけど、パパの絵を見ると許せるの。ママはパパの絵が大好きなの」。 その言葉を聞いた瞬間、涙があふれてきた。芸大の同級生であった妻は、私の絵について今まで一言も口を出したことはない。すぐそばでずっと見ていただけ。これまでの不甲斐(ふがい)ない人生がこの瞬間に報われた気がした。絵を描いていいんだと思った。人生最高の宝物となったこの言葉を胸に。 白犬「ハク」と、妻と行った場所へ

シンプル イズ ベスト? 《続・平熱日記》115

【コラム・斉藤裕之】わけあってこの猛暑の中、アトリエの大掃除をすることになった。学生時代からの習作や、いつか出番があるだろうと思って集めたガラクタなどを思い切って処分することにした。市の焼却場に軽トラで何度か往復して、捨てるに忍びないものは知り合いの骨董(こっとう)店にトラックで持っていってもらった。 ちょうどこの7月でこの家に住み始めて20年になる。20年間、家族の足の裏でこすられた1階の杉の床は、夏目と呼ばれる年輪の柔らかいところが削られて冬目の硬いところだけが残って、凸凹になっていて妙に足触りが心地よい。夏涼しく冬暖かいとても住みよい家だと思うのだが、それには少しコツがあって、戸の開け閉めやエアコンの入れ方、ストーブのことなど、大げさに言えば家の中の環境への理解と手間が必要なのである。 2人の娘も家を出てこの家には帰って来るまい。だから将来は人に貸すなり売るなりしなければと思うのだが、少し変わった家なので、この際「斉藤邸取説」でも、を書き残しておこうか。 さて20年分のホコリを払って、広々としたアトリエの床に布団を敷いて寝てみることにした。見上げると、20年前に故郷山口で弟が刻んだ梁(はり)や柱がたくましく見える。昔ながらの複雑な継手も、20年の間にやっとしっかりと組み合わさって落ち着いたように見える。特に2階の柱を支えくれている地松(じまつ)の梁は、自然な曲線が力強くカッコいい。 それから、2階の床になっている踏み天井。こちらは200枚だか300枚だか忘れてしまったが、ホームセンターで買ってきたツーバイ材全てに、「やといざね」といういわば連結するための溝を電動工具で彫ったことを今でも思い出す。酷使した右手は、朝起きると硬直して箸も握れなかったっけ。 「いい景色だなあ。木の色がきれいだなあ。このぐらいの広さの住まいがちょうどいいのかもなあ」。20年目にして改めて見入ってしまった。

世界で一つだけの… 《続・平熱日記》114

【コラム・斉藤裕之】連日の酷暑の中、九十九里に向かった。途中でスイカとトウモロコシを買って、カミさんがテレビで見たという海辺の道の駅に着いたのは昼少し前。平日のせいか、のんびりとした雰囲気だ。建物に入ると目に飛び込んできたのは、大きな水槽いっぱいに泳ぐイワシの群れ。 「世界で一つだけの花」という歌がある。「花屋の店先に並んだ、いろんな花を見ていた…」。私はこの歌の歌詞を「いろんな花があるように、あなた方も世界に一つだけの存在なのだから、頑張って、あなたらしい花を咲かせてね」という意味なのだと思っていた。 ところがあるとき、歌詞をじっくりと見ることがあって、私は長い間この歌の意味を勘違いしていたことに気づいた。 例えば「…1人1人違う種を持つ、その花を咲かせるためだけに一生懸命になればいい…」という部分。つまり「いろんな花があるけども、種のときに咲く花は決まっている。だから無駄な努力はやめて、分相応の花を咲かせるのがよい」という、いわば先天的な才能主義・遺伝子万能主義にも受け取れるような歌なのではないかと。 教科書にも載っているという、この歌にケチをつけるつもりはない。ただテレビで耳にしたり、どこかで見かけた何気ない言葉が、喉元に引っかかった小骨のように、いつまでも気になることがあって。「世界で一つだけの…」とか「思い出作り」とか。 落花生の花は黄色くてかわいらしい

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カフェやレストランなどを使って音楽家が発表する場をつくりたいと、つくば市内で飲食店を経営する飯泉智弥さん(49)が音頭をとり、同市竹園の商業施設、ヨークベニマルタウン内のエヌズ カフェ(N's Café)で20日、家族連れや関係者を招いたミニコンサートが開かれた。 飯泉さんは2017年に、小学1年生から大学生までの「筑波ジュニアオーケストラ」の立ち上げに尽力した(2017年10月27日)。21年にはつくば駅前の商業施設トナリエつくばスクエア・クレオに地元の音楽愛好家たちのためストリートピアノ「つくぴあ」を設置した。 その後、ストリートピアノの利用者たちの間から、定期的な音楽会をやってみようという声が上がったという。 飯泉さんは、どんな形で開催できるか、まずは試しにやってみようと、自らがオーナーとなっているカフェをプレ・イベントの開催会場とした。 店内のどの場所で演奏するか探りながら、当日はカフェの中央にステージを作った。来店客は、テーブルに座って食事をしながら音楽を聞く形になった。

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数センチの隆起や沈下を面で可視化 「地殻変動の地図」公開

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つくば市が3日に開札を実施した同市佐地区と上菅間地区2カ所にある生活排水路浄化施設の維持管理業務の一般競争入札で、同市は28日、業務委託の仕様書の中で、汚泥の処分方法を「産業廃棄物として処分する」など明記すべきところを明記していなかったとして、落札者の決定を取り消し、入札を不調にしたと発表した。 市環境保全課によると業務委託の内容は、2カ所の浄化施設を今年4月から来年3月までの1年間、維持管理点検し、汚泥を清掃し処理するなどの業務で、2月10日に一般競争入札が告示された。予定価格は約276万円で、3者が入札に参加。今月3日に開札が行われ、落札業者が決定していたが、28日までに仕様書の記載内容に不備が確認されたとして、落札者の決定を取り消す。 今後の対応について同課は、入札業者に事情を説明すると共に、4月以降の業務について、数カ月間は随意契約とし、その間に入札の準備を進めて、改めて入札を実施するとしている。 再発防止策として、仕様書を作成する際は複数名により記載内容の確認を徹底し、適正な仕様書を作成することで再発防止に努めますとしている。