金曜日, 12月 9, 2022
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斉藤裕之

パクちゃん 山口へ行く《続・平熱日記》117

【コラム・斉藤裕之】お盆に思い切って故郷山口に帰ってみることにした。鉢植えの水やりは「百均」のペットボトルを再利用したものでなんとか凌げそうだが、問題は犬のパク(ハクは随分前から「パク」という呼び名に代わってしまっている)をどうするか。預かってくれそうな先もいくつか思い当たったのだけれど、ここは一緒に車で帰ろうと決めた。 片道千キロ。しかも車嫌いのパクにとっては辛い旅になることはわかっていた。しかし、この先も車で2人?旅をするにあたっては、いずれ通らねばならない試練。思い立ったが吉日。渋滞を避けたつもりで出発してみたものの、すでに人々の移動は始まっていた。首都高通過に予想以上の時間がかかった上に、景色優先で選んだ中央道では名古屋の手前でホワイトアウト級の土砂降りに遭う。 やれやれ何とかたどり着いた。弟の家は山の中にあるほぼぽつんと一軒家だ。と、ちょっと目を離した隙にパクが山の中へと消えてしまった。「パクー!パクー!」と呼べども反応がない。「そのうち帰って来るよ」と弟夫妻。辺りはだんだん薄暗くなって、ヒグラシが寂しく鳴き始める。 山中にはイノシシの罠(わな)もかけてあるというし、かれこれ3時間が経つ。諦め半分の気持ちでふと外の縁側を覗くと、そこにパクが座っている。「パクー!」。顔と足が汚れていて、どうやら山の中の散策を楽しんだらしい。我が家に来て1年半。元はノラ公だったので、初めはなつくのか心配だったけれども、ちゃんと戻ってきてくれたぞ。 コーヒーの木は、なじみのカフェに 翌日。さして目的もないが、まずは粭島(すくもじま)に行き、弟の船で出航。アジ、タイ、カワハギの大漁。それから、件(くだん)のホーランエー食堂で冷たいそばをいただく。別の日には、瀬戸内海、日本海の道の駅を探訪。ビニール袋いっぱいの小ぶりのサザエが千円。

コーヒーの花が咲いた《続・平熱日記》116

【コラム・斉藤裕之】妻が亡くなった。長い間の闘病の末、最後は自宅で娘たちと一緒に過ごし眠るように旅立った。この数年は妻と毎週のように出かけ、相変わらず口ゲンカをしたりもしたが、彼女は残された時間を知っているかのように身の回りを片付け、子供達の喪服まで買いそろえ、公共料金の支払いの口座からネットフリックスの解約のことまで事細かに「パパへの申し送り」として書きまとめていた。 良き医者にも恵まれ自宅療養を選んだ妻。ちょうど夏休みに入って最後の1カ月は寝起きを共にしてやれた。そしてアトリエにベッドを置いて寝たいというので、猛暑の中アトリエを片付けて希望通りにしてやった。ある朝、アトリエからトイレに行くのに少しだけ敷居があってつまずきそうになるので、ベッドをアトリエから隣にあるリビングダイニングへ移動した。しかしその後、妻はトイレに行くことはなかった。 親兄弟だけのささやかな葬式。娘たちは花の好きだった妻をたくさんの花々で飾り、妻の好きだった曲をブルートゥースで流した。私は何も棺の中に入れてやるものを思いつかないでいたが、その朝探して見つけたつゆ草の青い花を入れてやった。 葬儀の前夜。にぎやかにお酒を飲みながら、思い出話をしているときのことだ。長女が話し始めた。「パパのどこが好きなの? あんなクソジジイなのにって聞いたの」。すると妻は答えたそうだ。「いろんなことがあるけど、パパの絵を見ると許せるの。ママはパパの絵が大好きなの」。 その言葉を聞いた瞬間、涙があふれてきた。芸大の同級生であった妻は、私の絵について今まで一言も口を出したことはない。すぐそばでずっと見ていただけ。これまでの不甲斐(ふがい)ない人生がこの瞬間に報われた気がした。絵を描いていいんだと思った。人生最高の宝物となったこの言葉を胸に。 白犬「ハク」と、妻と行った場所へ

シンプル イズ ベスト? 《続・平熱日記》115

【コラム・斉藤裕之】わけあってこの猛暑の中、アトリエの大掃除をすることになった。学生時代からの習作や、いつか出番があるだろうと思って集めたガラクタなどを思い切って処分することにした。市の焼却場に軽トラで何度か往復して、捨てるに忍びないものは知り合いの骨董(こっとう)店にトラックで持っていってもらった。 ちょうどこの7月でこの家に住み始めて20年になる。20年間、家族の足の裏でこすられた1階の杉の床は、夏目と呼ばれる年輪の柔らかいところが削られて冬目の硬いところだけが残って、凸凹になっていて妙に足触りが心地よい。夏涼しく冬暖かいとても住みよい家だと思うのだが、それには少しコツがあって、戸の開け閉めやエアコンの入れ方、ストーブのことなど、大げさに言えば家の中の環境への理解と手間が必要なのである。 2人の娘も家を出てこの家には帰って来るまい。だから将来は人に貸すなり売るなりしなければと思うのだが、少し変わった家なので、この際「斉藤邸取説」でも、を書き残しておこうか。 さて20年分のホコリを払って、広々としたアトリエの床に布団を敷いて寝てみることにした。見上げると、20年前に故郷山口で弟が刻んだ梁(はり)や柱がたくましく見える。昔ながらの複雑な継手も、20年の間にやっとしっかりと組み合わさって落ち着いたように見える。特に2階の柱を支えくれている地松(じまつ)の梁は、自然な曲線が力強くカッコいい。 それから、2階の床になっている踏み天井。こちらは200枚だか300枚だか忘れてしまったが、ホームセンターで買ってきたツーバイ材全てに、「やといざね」といういわば連結するための溝を電動工具で彫ったことを今でも思い出す。酷使した右手は、朝起きると硬直して箸も握れなかったっけ。 「いい景色だなあ。木の色がきれいだなあ。このぐらいの広さの住まいがちょうどいいのかもなあ」。20年目にして改めて見入ってしまった。

世界で一つだけの… 《続・平熱日記》114

【コラム・斉藤裕之】連日の酷暑の中、九十九里に向かった。途中でスイカとトウモロコシを買って、カミさんがテレビで見たという海辺の道の駅に着いたのは昼少し前。平日のせいか、のんびりとした雰囲気だ。建物に入ると目に飛び込んできたのは、大きな水槽いっぱいに泳ぐイワシの群れ。 「世界で一つだけの花」という歌がある。「花屋の店先に並んだ、いろんな花を見ていた…」。私はこの歌の歌詞を「いろんな花があるように、あなた方も世界に一つだけの存在なのだから、頑張って、あなたらしい花を咲かせてね」という意味なのだと思っていた。 ところがあるとき、歌詞をじっくりと見ることがあって、私は長い間この歌の意味を勘違いしていたことに気づいた。 例えば「…1人1人違う種を持つ、その花を咲かせるためだけに一生懸命になればいい…」という部分。つまり「いろんな花があるけども、種のときに咲く花は決まっている。だから無駄な努力はやめて、分相応の花を咲かせるのがよい」という、いわば先天的な才能主義・遺伝子万能主義にも受け取れるような歌なのではないかと。 教科書にも載っているという、この歌にケチをつけるつもりはない。ただテレビで耳にしたり、どこかで見かけた何気ない言葉が、喉元に引っかかった小骨のように、いつまでも気になることがあって。「世界で一つだけの…」とか「思い出作り」とか。 落花生の花は黄色くてかわいらしい

人間は作る生き物「ホモファーベル」 《続・平熱日記》113

【コラム・斉藤裕之】美術大学の学生にとって美大受験の予備校の先生はいいアルバイトになる。私も随分長い間しばらく住んでいた埼玉の予備校にお世話になった。日曜日のコースには栃木や群馬から高校生がやってきた。当時は彼らの北関東訛(なま)りが新鮮だった。 その中の1人の女の子の話。出会ったのは彼女が高校生の時。さすがに現役とはいかなかったが、才能と努力で後に芸大に見事合格した。最後に会ったのは我が家を建てた直後に引っ越しを手伝いに来てくれた時だから、ちょうど20年前になる。それからしばらくして、実家のある那須に生活の拠点を移したこと、数年前から牛舎を改築してなにやら始めたところまではSNSで知っていた。 その牛舎が見事なカフェに生まれ変わって、その様子がテレビで紹介されるという。私はそれまでその番組を知らなかったのだけれど、古い建物をリフォームしてカフェを営んでいる方々を取り上げている番組らしい。古い建物やリフォームは私の大好物である。牛舎としては珍しい入母屋(いりもや)のつくりや、かわいらしい建具なども興味深く拝見させていただいた。 番組の中で、彼女は旦那さんと共にこのカフェに生きがいを感じているのがよく分かった。いつか大きなタケノコを送ってくださった、ご両親のお顔も拝見できた。そして東日本大震災を機に彼女が故郷に帰り、その魅力に気づいたことを知った。故郷を愛し故郷に生きる彼女の姿を見て、応援したいと思った。 1日ひとつでもいいから何か作る 少し迷ったが、放送後にSNSに簡単なコメントを送った。すると「先生が『人間は作る生き物』と言われたことを今でも覚えていて…」という返信があった。これはホモサピエンスという人間の学名に対して、「人間は本質的に物を作ることにおいて人間である」という概念で人間を定義したもので、「ホモファーベル(つくるひと)」という言葉に由縁している。

コーヒーの木を買って考えた ものの値段 《続・平熱日記》112

【コラム・斉藤裕之】草刈りのアルバイトから戻ったら、まずはシャワーを浴びて昼飯。午前中だけの作業とはいえ、炎天下の数時間の労働はこたえる。「おお、今日はソーメンか!」 すると、「ちょっと欲しいものがあるんだけど」。カミさんにしては珍しいおねだり?「コーヒーの木が欲しいんだけど」。「は?」。カミさんの口から出たのは、意外な言葉だった。「コーヒーの花ってどういうのか、知ってる? 白くてねえ、すごくいい香りがするんだって…」と、聞き返される前に説明を始めるカミさん。 要するに、コーヒーの花を見てみたいが、ある程度の大きさの木にならないと花は咲かない。ついては、先日立ち寄ったコーヒーの専門店で、花を咲かせそうなコーヒーの木を見かけたので、是非買い求めたい、ということのようだ。 はて、これまでもコーヒーの木を目にすることはあったはずだが…。確かに花を見たことはないし、そもそも日本の気候には合ってないんじゃ…。ビニールハウスで栽培しているとか、沖縄でどうのこうのというのは聞いたことはあるけど…。 とにかく、その店でコーヒーの木にひとめぼれをしたということだと理解した。「それで、そのコーヒーの木はいくらすんの?」って聞いたら、「〇〇円。でも安いと思うの!」。カミさんはネットで調べていたらしいが、その金額に少しひるんだ私。 「それにもうすぐ誕生日だし…」というダメ押しの一言。そういえば、このところ特にプレゼントもしていないなあと思って、ソーメンを流し込んでその店に向かった。

キャンプとケロリン屋 《続・平熱日記》111

【コラム・斉藤裕之】久しぶりに、瀬戸内海に浮かぶ粭(すくも)島からの便り。橋で陸続きのこの小さな島の「ホーランエー食堂」を切り盛りするのは、自らを「タコ店主」と呼ぶご主人。昨年ここで作品を並べようかと思っていたのだけれど、コロナ禍で延期になってしまって…。 お店の急な階段で、屋根裏のような2階に上がると、穏やかな鼓ヶ浦(つづみがうら)、そして山の頂に立つ精蝋(せいろう)会社のレンガの煙突が見える座敷がある。ここに近ごろ、タコ店主さんの高校生の息子さんの友人たちが泊まりに来ると言う。 ところで、昨今人気の高まるキャンプ。かび臭いテントの時代を知る私としては、至れり尽くせりの道具や施設の、言ってみれば道楽ぶりにやや呆れているのだが、果たしてこれが文化として根付くのだろうか。 粭島の手前に黒髪(くろかみ)島という島がある。御影石の採石場があって、大阪城の石垣にも使われたそうだ。 小学校のとき、実家の2階に若いご夫婦が住んでいた。おじさん(ご主人)はこの採石場で働いていて、小さなモーターボートを持っていた。ある日、おじさんは弟と私を黒髪島でのキャンプに誘った。素潜(すもぐ)りで獲ったサザエを焼いて食べたり、ロープにベニヤ板をつけたものにつかまり立ちをして、それをモーターボートで引っ張ってもらう水上スキー?は最高に楽しかった。 小さな入り江にテントを張って寝ていたら、「起きろ!」と言われて、気が付いたら波がテントのすぐそばまで来ていて、夜中に慌ててテントを移動したっけ。それから「買い物行ってくる」と言って、おじさんはボートではるか向かいに見える大津島まで出かけて行ったのを覚えている。

半径1キロの黄金週間 《続・平熱日記》110

【コラム・斉藤裕之】テレビでは高速道路の渋滞が復活したことをうれしそうに報道している。カーボンフリーだとかガソリンが高いとかコロナがどうとかということは、久しぶりの行動規制のない連休を目の前にしては無粋ということか。 それにしても1年で一番いい季節。ご近所では、草むしりに精を出すご婦人や庭木を見上げて剪定(せんてい)の算段をするご主人の姿をよくお見掛けしたし、ホームセンターに行けば、野菜の苗や土をカートいっぱいに載せた人々でごった返していた。 夫婦2人の我が家では、食べきれないキュウリやナスはよして、ささやかなミニトマトの苗を買って帰った。それから、気になっていたホーロー製の小さなバスタブ型の水槽を掃除することにした。毎年かわいらしいスイレンを咲かせるこの水槽。昨年はここにホテイアオイを入れてみたところ、水面いっぱいに増えて、冬を迎えたころに全部枯れてみっともない様子になってしまった。 実はボウフラ除けのためにメダカを入れてあるのだが、この体では全滅かと思いながら水を捨ててみたところ、「生存者1名、いや1匹発見!」。しかし1匹というのはさすがに寂しかろうと、ホームセンターに赴いた。昨今は、残念ながらメダカの学校は川の中ではなくホームセンターにあるのだ。「12匹で〇〇円!」という特価品を見つけて、1ダースの仲間と水草を買って帰った。 木っ端で箸を作ってみた 薪(まき)を作るのにもちょうどいい季節だ。玉切りにしてあるものを割って、軒下に積んでいく。渾身(こんしん)の力でヨキを振り下ろす無酸素運動。すぐに心拍数も上がり汗も噴き出す。近ごろ何かと耳にするSDGsという言葉。最近、私なりのひとつの答えが見えてきた。それは「美」だ。事実、目の前に積み上がっていく薪のなんと美しいことか。

「ゲルニカ」を思い出すとは… 《続・平熱日記》109

【コラム・斉藤裕之】玄関の壁に1枚の薄汚れた色紙が飾ってある。もう大分前のことになるが、ある古物屋でのこと。特に興味もなかったのだが、色紙がぎっしり詰まった箱に何となく手を伸ばした。レコードを探すように、手前から次々と引き出して見ていた。と、引き抜いた1枚の色紙を見た瞬間、「これは!」と手が止まった。値段を聞くと、どれでも10円だという。 持ち帰った色紙はピカソのドローイングだった。ハト、その中に顔が描かれている。ペンで一息に描かれた線は天才の引いたものだと、一瞥(いちべつ)しただけで分かった。画集やカタログなどで調べてみると、確かに書き入れられている年にピカソは来日している。また、よく似た絵柄も確認できた。だが、ピカソの絵が10円で売っているはずがない。多分印刷だろうと思って、ルーペで拡大してみたが…。 パリにいたときは、すぐそばにピカソ美術館があってよく通った。スペインでもピカソの美術館を訪れた。よくピカソについて質問される。大方の場合、ピカソはうまいのか否かの質問なのだが、何と答えていいかいつも戸惑ってしまう。「太平洋は広いのか?」と聞かれているように。 絵画というよりプロパガンダ これがうわさに聞く「ゲルニカ」か。長女をベビーカーに乗せてスペインを貧乏旅行した折に訪れた、マドリードのソフィア王妃芸術センター。防弾ガラスに収まる「ゲルニカ」は想像したものより大きく、モノクロームで力強くスピード感にあふれていた。 まさに彼にしか描けない美術史上重要な代表作であることは確かだが、絵画としてよりもむしろプロパガンダという側面を感じずにはいられない。戦争を描くのは大変繊細なことだ。当時すでに高名であったピカソは、様々な理由からこの絵を描かざるを得ない状況にあったといわれている。だが、発表された作品の評価はイマイチだったとか。

あれから30年 《続・平熱日記》108

【コラム・斉藤裕之】うわさではパリの美術学校はとてもオープンな雰囲気で、もぐりの学生なども結構いて活気があると聞いていた。ところが、学校が始まっても学生の姿をほとんど見かけない。閑散としている。いったいどういうことだ。 ところで、私のフランス語があまりにもひどかったのだろう。留学生担当のマダムは3カ月間の語学研修を私に勧めた。早朝のクラスだったと思う。アナ先生は若くて明るいパリジェンヌ。自己紹介をする段になって、私は少し驚いた。 あまり耳慣れない名前の、それも決して語学を習おうとするには若くない生徒たち。ポーランドでパン屋だったとか、ソ連の原子力施設の研究員だったとか。15人ほどの生徒のうち半数は、東側からの移民だとわかった。私が留学したのは、ちょうどベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体された直後だった。 だから始めはよく分からなかったが、物見遊山の私と違って、自国を出た彼らは死活問題としてこの学校に言葉を習いに来ていたのだ。しかし陸続きの国々にとって、否応なく入ってくる移民は決して歓迎されるものではない。元々アフリカなどの旧植民地からの移民大国であるフランス政府は、彼らに厳しい政策をとった。 当時の担当相の名前にちなんで、確かパスクワ法といったか。美術学校も例外ではなく、部外者に対して厳しい締め付けが行われたのだ。その余波を受けて、留学生は希望する先生のアトリエに入ることに難渋した。私はそんな学校に見切りをつけて、毎日美術館やギャラリー、街中散策を楽しむことにした。 おごれるものも久しからず盛者必衰の…

「ウッドショック」でぎっくり腰 《続・平熱日記》107

【コラム・斉藤裕之】ちょうど1年前に看板製作を頼まれた友人が経営する打ちっぱなしゴルフ場。今回の依頼は打席を仕切っている板の新調。打席数分40枚の板にトリマーという工具で数字を掘って色を塗る。まずはホームセンターへ材料の調達に。使うのは俗にツーバイ材という輸入材で、厚さ4センチ、幅25センチ、長さは3.6メートル。これが都合30枚ほど要る。 ところが、そこで見たものは目を疑うような値札。以前の倍ほどの値段かと思うほど。これがうわさの「ウッドショック」か! コロナ禍の影響、中国の買い占め、円安などが原因と聞いているが…。自分の腹が痛むわけではないので多少割高でもいいのだが、生まれ持っての貧乏性。結局、その日は買わずじまい。 次の日、別のホームセンターに。すると、昨日見たものよりも大分安い値段が付いている。やれやれと思って材料に手をかけた瞬間、いやな予感が。久しぶりの腰痛黄色信号だ。これはヤバいぞ。 結局、積み込みは手伝ってもらって、何とかなったものの、家に着いたころには赤信号が点滅し始め、軽トラから材料を降ろすころには完全に赤信号。ウッドショックで「及び腰」になったのがいけなかったのか、このタイミングで「ぎっくり腰」のダブルショック! 若いころの背負い投げの鍛錬がたたって始まった、腰痛と付き合う人生。症状が出るたびに、レントゲン写真で「第五腰椎剥離(ようついはくり)」「すべり症」と診断されて、日ごろから気を付けていたのだが…。今回は前触れなしに突然やられた。 西洋で「魔女の一撃」と言われていることもわかる気がした。しかしながら、そうそう寝ているわけにもいかない。いや寝ていても痛いので、時々グキッと激痛が走るのを我慢して作業に取り掛かることにした。

「エノコログサ」の名前の由来は? 《続・平熱日記》106

【コラム・斉藤裕之】アトリエには冬を越すために置いてある鉢が3つ。食べ終わった後の種から生えたアボカド。これは樹齢20年ぐらい。数年前に買ったレモン。それから一番古くからあるブーゲンビリア。どれも大ぶりの鉢で結構な重さがあって、背丈は40~50センチほど。 薪ストーブの近くに置いたせいか、レモンは小さな白い花をこの冬中絶え間なく咲かせていて、アボカドも大きな葉を茂らせている。ブーゲンビリアも若芽を出して元気そうだったのだが、だんだんと葉が少なくなってきた。落葉しているわけでもなく不思議に思っていたら、ある日、犬のハクが葉を食べているのを見つけた。 エノコログサという雑草がある。ネコジャラシとも呼ばれて馴染(なじ)みのある草だが、エノコロ、すなわち犬コロの尻尾に似ているところから名前が付いたといわれる。 しかし、犬は胃の中をきれいにするのにこの草を好んで食べて吐き出す。少なくとも我が家にいた犬はすべてそうだった。犬コロが好んで食べるから、エノコログサと名付けられたと私は勝手に考えている。しかし、ブーゲンビリアの葉を食べる犬は初めてだ。 まるで犬コロの常備薬 ところで、授業もそろそろ終わりに近づいてきて、毎年、最後の授業には何か気の利いた話でも一席ぶって…と思うのだが。「ありがとうございました。私のこと忘れないでね!」と言って、教室を後にする生徒たち。

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無償譲渡受け市管理も選択肢の一つ 洞峰公園問題でつくば市長

つくば市長定例会見が8日開かれ、同市二の宮にある県営の都市公園、洞峰公園(約20ヘクタール)にグランピング施設をつくるなどのパークPFI事業について、五十嵐立青市長は「グランピング施設とバーベキュー施設は望ましくないという考えに変わりはない」と述べ、県から無償で公園の譲渡を受け市が管理することも選択肢の一つだとする考えを述べた。 洞峰公園のパークPFI事業をめぐっては、大井川和彦知事が1日の定例会見で、年明けにもグランピング施設などの建設許可の事前協議を開始したいと発言し、さらに、つくば市が自ら管理するのであれば洞峰公園を無償で市に移管したいなどと述べている(12月2日付)。8日の市長会見では、知事発言について記者から質問が出て、五十嵐市長が答えた。 一方で五十嵐市長は、無償譲渡について「簡単に『はい』と言えるものではない」とも述べ「(市として維持管理費などを)精査しているわけではないので、そもそも維持管理費がいくらかかるか分からない。市の他の公園規模と比べてどうかなど、検討するにしても細かい情報は必要になる。無償移管を検討するのであれば(県から)細かいデータをいただかないと市民にも議会にも説明できないし、今の段階で何をどうするかはまだまだ分からない」とも話した。 県は8月の説明会などで、洞峰公園の維持管理費用として、指定管理料が年約1億5000万円、来年度から2027年度までの大規模修繕費用として3億5600万円かかるとしている。 五十嵐市長はさらに、プールやテニスコートなどの利用料金値上げ要望に対し、大井川知事が1日の会見で「利用者の中の一部にだけ負担を押し付けるやり方でバランスが非常に悪い」と否定し、さらに協議会設置要望についても「協議会の位置付けや性格が不透明」だと市の要望をいずれも否定したことについて、「値上げ案は県が当初より代替案として示していたもの。そういう代替案に対して『バランスが悪い案だ』というのは、いささかとまどっている」と不快感を示し、さらに「(県は)『協議会の必要性が分からない』という話だが、(協議会は)話し合っていく素地を作るためには必要なものと思っている」と反論した。 その上で五十嵐市長は「つくば市への回答をちゃんと文書で示していただいた方が、お互いのミスコミュニケーションはないと思っている。はっきりと県の方向性が決まったら文書でお示しいただいて、それをもとに県と協議していきたい。協議が整わない中で(グランピング施設建設の事前協議が)申請されることはないと思っている」と改めて述べた。

「5時に夢中」の岩下さんの見せる「文化」《遊民通信》54

【コラム・田口哲郎】 前略 東京メトロポリタンテレビジョンの月~金曜日夕方5時からの番組「5時に夢中」を楽しく視聴していることは、以前書きました。「5時に夢中」は東京ローカルのワイドショーという感じですが、コメンテーターが多彩で、サブカルチャーの殿堂のようです。 私が好きなのは、木曜日の中瀬ゆかりさんと火曜日の岩下尚史さんです。中瀬さんは新潮社出版部部長で、文壇のこぼれ話を巧みな話術で披露して笑わせてくれます。岩下さんは新橋演舞場勤務から作家になった方で、東京のいわゆるハイ・カルチャーをよくご存じの方で、こちらも話術が巧みで笑わせてくれますが、ひとつひとつのお話に含蓄があるというか、うなずくことが多いです。 岩下さんの小説『見出された恋 「金閣寺」への船出』の文体は流麗で、引き込まれます。岩下さんは國學院大学ご出身ですが、國學院の偉大な民俗学者にして作家の折口信夫の小説『死者の書』などの文体を思わせる傑作だと思います。 さて、岩下さんのインスタグラムの話題が出ていて、美食家としての一面が見られるというので、見てみました。岩下さんらしい、ハイソな生活を垣間見られるのでおすすめです。シティ・ホテルでのパーティーや会食、料亭とおぼしきところでの高級料理など、きらびやかな世界が広がっています。

TX県内延伸に賛成?反対?【県議選’22つくば候補者アンケート】3

県議選候補者アンケート最終回は、つくばエクスプレス(TX)県内延伸構想の是非と、旧統一教会と接点をもったことはあるかについて、つくば市区の立候補者8人に聞いた。 TX東京延伸については11月25日、東京都が「都心部・臨海地域地下鉄構想」の事業計画案を発表。まず臨海地下鉄を単独で整備し、将来的に、TX東京延伸(秋葉原-東京)との接続や、羽田空港との接続を今後検討すると発表したばかり。 一方、県内延伸をめぐっては、県が今年度、初めて調査費を計上し、今年度中に①筑波山方面②水戸方面③茨城空港方面④土浦駅方面-の4方面案の中から1本に絞り込むと発表し、県内各地で誘致合戦が繰り広げられた。延伸に必要な事業費、需要予測、費用対効果も調査が行われている。一方つくば市は東京延伸を優先するとし、県内延伸の誘致合戦には加わらなかった。 NEWSつくばは告示前、8候補者に対し「TX県内延伸ルートを絞り込む調査費を県が計上し、県内延伸を求める運動がつくば市以外で盛り上がっています。県内延伸計画に賛成ですか、反対ですか」と質問した。賛成、反対、どちらでもないの3つのいずれかに〇を付けてもらい、50字程度で理由を書いてもらった。 各候補者の回答は以下の通り。 ▽佐々木里加氏 賛成「県内延伸には反対しないが、土浦ではなく、本来はつくばエクスプレスの名の通り筑波山を経由し県庁のある水戸へ、あるいは空の玄関茨城空港を経由し水戸へ伸ばすべき」

筑波山が初冠雪

筑波山頂に6日朝、この冬初めて雪が降り、初冠雪となった。標高877メートルの山頂付近は午前中、雲に覆われたが、雲が薄くなったところは、雪が薄く積もっているのが麓からも見えた。 山麓の住民によると、平均的な初冠雪は12月中旬頃で、例年より少し早い初冠雪となる。 昨晩、南岸低気圧が通過、冷たい空気が大陸から流れ込み、気温が低い山頂は雪になったとみられる。この気圧配置は関東地方に雪を降らす典型的なパターンだ。 つくば市館野の6日の最低気温は11月下旬並みの3.1度。筑波山頂近くの御幸ケ原の気温は午前6時半時点でマイナス0.1度だった。気温は標高が100メートル上がるごとに0.6度下がるといわれており、標高877メートルの筑波山は、地上より約5度低いことになる。 南岸低気圧は2~3月によく発生し、大雪になることもある。雪の降る範囲は標高500メートル辺りまでのことが多い。「逆転層」という中腹付近の気温が高くなる独特の気象現象があるからだといわれる。(榎田智司) ◆筑波山の気象状況はライブカメラで確認することが出来る。