日曜日, 9月 19, 2021
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斉藤裕之

ナツツバキ、ドクダミ、アザミ、ネジリバナ 《続・平熱日記》88

【コラム・斉藤裕之】4月の初め、家のプルーンの木に小さな白い花がいっぱい咲いていて驚いた。これまでも、ぽつりぽつりと咲いたことはあったのだが…。去年植え替えたブーゲンビリアも見事に咲いて、気が付けば、昨年手に入れたレモンの鉢植えもいくつか花が咲いている。 花は色彩にあふれ生き生きとして、描く者にとっても飾る側としても、最も好まれるモチーフだ。バラやユリ、シャクヤクやボタンなどは、文字通り「華のある」モチーフとしてよく描かれるが、私はそれほど引かれない。 ふと、モネの「睡蓮(スイレン)」を思い出した。フランスに留学していた時には美術館のフリーパスをもらっていたので、「睡蓮」のあるオランジェリー美術館(元はオレンジの倉庫だった)に何度も通った。また、パリ郊外のジベルニーにあるモネのアトリエを訪ね、睡蓮の池のある庭も歩いた。 日本では優しい色彩の印象派として知られるモネだが、その眼は驚くほど映像的で一眼レフカメラのようだ。それから、例えば積み藁(わら)の絵や崖を描いた作品を白黒にしてみると、デッサン力が卓抜していることもわかる。そして、一見情緒的に見える色彩は理論的に重ねられている。 しかし、なぜ睡蓮だったのだろう。当時モチーフに苦慮していたモネが、偶然ジベルニーを訪れて睡蓮に出会ったというが…。 歴史的に、花は卓上の静物あるいは風景の一部として描かれた。しかしモネにとっては、睡蓮という花そのものではなく、「睡蓮のある水面」が重要だったのだろう。つまり、ルーアンの大聖堂が建築物としての構造や奥行きを描くために選ばれたのではないように、何度も描かれた庭や池は、モネの求める絵画空間や色彩表現の実験台として格好のモチーフであったのだと思う。

ぬか床に山椒 《続・平熱日記》87

【コラム・斉藤裕之】天気のいい日は八郷(やさと)に出向いて薪(まき)を作る。昼は強い日差しを避け、細い林道に止めた軽トラの中でコンビニのおにぎりを食べる。ふと外を見ると山椒(さんしょう)の実がなっているのを見つけた。そういえば、去年もここの山椒を取って帰ったことを思い出した。 山椒の実はぬか床に入れる。季節柄か、先日もSNS上で「ぬか漬けを始めた」「実家から150年物のぬかを分けてもらった」という投稿を見かけた。無精者としては、ご多分に漏れず何度もぬか床をダメにしている。 最近の失敗から学んだことは「オフシーズンに気をつけろ!」。夏場に悪くなりそうなぬか床だが、最近は冷蔵庫に保管することで管理がしやすい。それに、夏は頻繁に野菜を漬け込むから、ぬか床は元気。ところが、冬に向かってしばらくして油断していると、ダメになっていることが多い。 サステイナブルという言葉を初めて聞いたのは、確か建築関係の用語としてだった。世にはやる随分前だが…。ちなみに、大工の弟は建てる時よりも壊す時のことを考えて人力解体のできる、そして、できる限り土に還る材料や工法で家を建てることを信条とする「持続可能的大工」である。 サステインという言葉にも持続という字にも「手」という意味が入っている。要はヒトの手で持ち続けることができるもの、支えていけること。そして自然の中で循環できること。例えば土に還るということは「腐る」ということだ。手のかからない、腐らないものは一見便利そうだが、それが厄介なのだ。 「ワット・ア・ワンダフルワールド」

名前を考える 《続・平熱日記》86

【コラム・斉藤裕之】いよいよ出産を控えた長女が戻ってきた。「ところで名前は決まったの?」。長く学校に携わっているので、子供の名前の流行や変遷はリアルタイムで実感してきた。あまりハイカラなのはどうかと思っていたところ、どうやら割と古風な名前が旦那の好みらしい。 孫の名前は? しかし、日本ほど多種多様な名前をつける、つけられる国も珍しい。西洋をはじめ多くの国では聖人などの先例から選ぶほかないようだし、ある国ではカレンダーに聖人の名前が書いてあって、生まれた日の名前をそのまま命名するなんて聞いたこともある。 そこへいくと、漢字、カタカナ、ひらがな…と、好き放題に、無限に考えられる日本の名前。名前は時代を反映しているというが、音のイメージに当て字というのが今風。でも親が一所懸命考えて付けてくれた名前も、大人になるにつれてあまり呼ばれなくなるのは少し残念。 愛犬の名前は? さて白い犬が来て3か月が経った。名前は「千と千尋の神隠し」に出てくる「ハク」に似ているという次女の案が採用された。私としては「もののけ姫」の「サン」の方がぴったりだと思ったのだが…。ちなみにもらわれてくる前は、里親の方が8番目に預かった犬ということで、「やえこ」と呼んでいた。これはこれでいい名前だと思った。

コーヒーのこと 《続・平熱日記》85

【コラム・斉藤裕之】母は当時では珍しく料理学校に通っていて、先生の「お免状」のようなものを持っていた。覚えているのは地方テレビの料理番組に出演したことだ。何を作ったのかは覚えていないが、幼かった私は出来上がったものを食べて、カメラに向かって「おいしい」と言う役であった記憶がある。祖母をはじめ親戚のおばちゃんがおめかしして放送局にはせ参じていたのも覚えている。 そんな母が作る高校生の時の弁当の話。なぜか私の卵焼きは茶色い。腐っているのか? いや味は悪くない。不思議に思いながら、それほど気にもしなかった。しかしある時、謎は解けた。母が卵焼きを作るときに使う、砂糖の缶に入っているスプーン。そのスプーンの先には茶色いものが…。 その正体は、なんとインスタントコーヒー。おそらく母は同じスプーンでコーヒーも砂糖もすくってマゼマゼしていたせいで、卵焼きがコーヒー色に染まっていたというわけだ。なんともずぼらな母に、その時は腹も立ったが、後にはある意味での母のおおらかさとして思い出に残る逸話となった。 それから、一番長くやったアルバイトはコーヒー屋さん。20歳そこそこのころ、所は新宿。予備校に近いという理由だった。場所柄、今風に言えばジェンダーレスなお兄さんやお姉さんも常連で、時代に先駆けてダイバーシティを学ばせていただいた? そういえば、当時常連のお客さんにプロレス関係のお偉いさんがいて、やたら誘われたのを思い出した。 「サイトウコーヒー」は20周年

島の赤いレンガの建物 《平熱日記》84

【コラム・斉藤裕之】レンガの建物は珍しい。地震が多く多湿な風土にも不向きなのだろう。ゆえに示準(しじゅん)化石のようでもあるし、その当時の経済や文化の状況を示す示相(しそう)化石のようでもある。横浜の赤レンガ倉庫や牛久シャトーのようにその時代の繁栄を象徴するかのように残っているものもあれば、忘れられたかのようにひっそりと佇(たたず)むものもある。 京都南禅寺で出会った水道橋や、引っ越してきた当時見つけた龍ケ崎のレンガの門がそうだった。 それにしても、幼少期から何度もこの島を訪れていたのに気が付かなかった。夏に展覧会を予定している、ホーランエー食堂のある郷里の粭島(すくもじま、山口県周南市)を訪れたのはまだ桜の残るころ。半分は釣り目的。打ち合わせが終わって、車窓からちょっとだけ見えた赤い建物。 言われなければわからないほどの、短く平たんな橋で半島とつながっている小さな島、粭島。ちなみに粭とは籾殻(もみがら)のことで、名前の通り籾殻の山のような形をしている。島の南側は険しい岩場で、なおかつ波や風がもろに当たるのだろう、民家は島の北側の海っぺりに集まっている。 今は廃校となっている2階建ての小学校も、学校にしては珍しく北向きの校舎だ。その建物も十分趣があるのだが、そのすぐ近くに1棟のレンガ造りの建物があるという。「これが売りに出ちょるんよ」と運転席の弟。 瀬戸内海は穏やかな海だ。埼玉育ちのカミさんなどは、初めてこの海を見たとき、「みずうみ?」とこぼしたほどだ。実はこの内海でシーカヤックを駆って釣りを楽しむ弟は、常々この島でのシーカヤックでのレジャーの可能性を考えていたという。その拠点としてこの赤いレンガの建物に目をつけたらしい。

身近にある?人生の楽園 《続・平熱日記》83

【コラム・斉藤裕之】斜め向かいのお宅。「ハクちゃん」と名付けた白い犬との散歩から帰ってきたとき、駐車場にバックしている若葉マークの車を見守るお母さんと出会った。 「免許とったんですねえ」「そうなんですけど、娘の運転、怖くて」。車を運転しているのは、小学生のときにうちに絵を描きに来ていた女の子だ。 生活の足しにと、難色を示すカミさんを説得して絵画教室を開いたのは10年ほど前か。そして、この春に3人の小学生が卒業を迎え、最後に残ったひとりが3年生のミーちゃん。ひとりでは寂しかろうということで、この際教室を解散することに決めた。いろんな子がいたなあ。電車オタク、まんが大好き、天才、おしゃべりな男子…。 そういえば、先日、土浦で小さな展覧会を開いたリサちゃんもうちに来ていた子だ。大学で地質や気象を学び、研究のために訪れた日本や世界各地の思い出を絵にしたためて展示していた。元々の才能に加えて、彼女の見たい世界が素直に描かれていてよかった。リサちゃんは、この春から高校の理科の先生になるというが、ぜひとも絵を描き続けてほしい。 ところで、「ミーちゃん好きなテレビはなに?」と聞いたことがある。「…人生の楽園!」「あんた、シブいな!」。確かに、ミーちゃんは絵を描くのも好きだけど、マッチを擦って薪(まき)ストーブに火をつけたり、木をくべたりするのが大好き。ミーちゃんには、この教室は「小さな人生の楽園」だったのかもしれない。 「食べられる粘土細工、ピザ」

骨折り損の… 《続・平熱日記》82

【コラム・斉藤裕之】駅前のイルミネーションのオブジェを撤去しているとき、無理に力を入れた瞬間、脚立から落ちて身体の左半分をしこたま打った。瞬間的に何とか被害を最小限にしようと体が反応して、地面が近づくまでスローモーションのように感じた。「鎖骨は大丈夫そう。顔は擦り傷か? あばらはやったかも?」。 小学校のときに、右手を折ってから骨折は何度か経験している。あばらは多分5、6回はやっている。多分というは、レントゲンを撮っても「あー折れてますねえ」と言われて湿布をくれるだけなので、医者で確認をとれたのが3回ほど。前回は、酔っぱらって家の入口で転んで骨折したのが10年ほど前か。そのときは医者に行って骨折と断定された記憶がある。 その日の夕方は何とか風呂に入って横になった。しばらく寝てしまって、起き上がろうとしたら起き上がれない。痛みをこらえながら、カミさんに何とか起こしてもらった。多分ヒビぐらいは入っているのだろう。しかし日雇い先生はこれぐらいで休めない。鎮痛剤を飲んでなんとかごまかすしかない。 ところで、このコラムは日記として書いていることもあって、極めて個人的な事柄を書かせてもらっている。私が父の日記を読んでそうであったように、何年、何10年も先に、娘たちがこれを読んで事実を知るということも面白い。 娘たちは私の書くものに全く興味がないのだが、この際、あばらを痛めたのを機に記すことにした。

《続・平熱日記》81 出会い 「びょう」と鳴く犬

【コラム・斉藤裕之】「八郷の山中でアケビのつるを取っていた人が見つけました。里親募集…」。その日SNSで見かけた友人の投稿。生後間もない、まるまるとした子犬の画像。それも6匹。カミさんに見せようかどうか迷った。 コロナ禍ではあるし、この歳になると特に欲しいものもない。「あえて言えば犬がいいなあ…」とつぶやくカミさん。ちょっと待った。昨年飼い終えたフーちゃんで、犬人生はお開きになったはず。しかし出かけた先のホームセンターでは、ペットコーナーに必ず立ち寄る。 「こういう犬はあまり好きじゃないけど…」と言いながら、おもちゃのような子犬を眺めている。驚くような値段に「軽トラ買えるな」と私。思い切って友人の画像を見せた。「かわいいけど、この子たちは多分大きくなりそうね…」。興味津々ながらそこは冷静。 その日は2月には珍しいぐらいに暖かく良い天気。茨城空港の空の駅「そらら」でヨーグルトとプリンを買って涸沼(ひぬま)、鉾田を巡るコースにお出かけ。しかし、お昼を当てにしたお店がお休みで急きょ、那珂湊のおさかな市場に行き先を変更。さてと、魚も買ったし、帰ろうかと思ったときに、ふとひらめいたのが水戸のはずれにある骨董(こっとう)店。 隠れ家のような敷地の青いペンキで塗られた扉を開けると、薄暗い店内には骨董ともアンティークも違う、ご主人曰(いわ)く「ジャンク」なお宝が所狭しと置かれている。「いらっしゃいませ」の声もないが、奥にカウンターのようなところがあり、そこをのぞき込むカミさん。 また朝晩の散歩が始まる

《続・平熱日記》80 センスの問題

【コラム・斉藤裕之】「何が悪いんだ?」という顔でその人はそこに立っている。記者風情の質問には腹が立つのだろう。なにせ首相までやったのだから。ここまでオリンピックを引っ張ってきたのだから。私の親の世代、女性に対する物言いや女性の地位は今思えばひどいものであった。 いやほんの少し前まで自分を含めた周りもそうだった。女に負けるな、女みたいな髪型、女の腐ったような…。とにかく、男は女より優れていて、「男子たるものは」という教育を受けてきた。だから、この大柄な老人のことをとやかく言えるかと言えば、はなはだ怪しい自分がいる。理屈として分かっていても、本心から女性をリスペクトすることは容易ではない。 要するに、地雷を踏まない術(すべ)を身に着けることはできても、聖人君子のようにはなれない。いや、君子でさえも「女子と小人(しょうじん)は…」なんて言っているのだから。 ところで、2人の娘は小学校の時から柔道をやっていた。2人ともそれなりに強くて、長女は県南で優勝したこともある。次女などは県の大会で決勝までいってしまって。ここで勝つと、全国大会で秋田まで行かなければならないというのでちょっと焦ったが、いい感じの接戦で惜しくも負けてくれた。 かわいらしい女の子だと思ってつかみかかりにいくと、一本背負いでぶん投げられる。当時の映像は残っていないが、絵に描いたように男の子を投げ飛ばす姿は、我が子ながら見事だった。 しかし、2人ともそれほど好きではなかったらしく、中学で畳から降りた。実はその間にいただいた金銀のメダルが段ボールひと箱ほどもある。子供たちが巣立ってから、少しずつ不要になったものを捨ててきたのだが、その日、カミさんが引っ張り出してきたのはこの大量のメダル。

《続・平熱日記》79 看板を作ってアレコレ考えた

【コラム・斉藤裕之】昨年の暮れに友人からゴルフ練習場の看板を作り直してくれと頼まれた。材料はいわゆるツーバイフォーという木材。ちなみにこのツーバイフォー、実際には2インチ×4インチではない。これは製材前の寸法だそうだが、仕上がり寸法、つまり売っているサイズは1センチほども違う。 ついでに、長さの単位はフィートだ。1フィートは約30センチで1尺に近いが、なぜかそれの12分の1が1インチだ。十進法と十二進法が混在していて面倒くさい、と思っていたら、日本のモジュールも6尺で1間という同様にひねくれた単位である。 もひとつついでに、多くの住宅はこの尺という単位でできているが、我が家はメーターモジュールで建ててある。例えば、母は150センチそこそこの背丈だったと思うが、カミさんは165センチ。予想していたわけではないが、我が家の女性3人は165センチを超え、流しに3人並ぶ後ろ姿は戦前なら大女たちのシルエットに違いない。 長さの単位はヒトの体が元になっているのだろうから、流しの高さを従来よりも10センチ高くして、すなわち尺からセンチに変えたのも必然だったのかもしれない。 「趣味は軽トラの方を少々…」 さて、訪れたホームセンターの棚には、残り物のようなひん曲がった材料しかない。業界用語で板が曲がったり反ったりすることを「あばれる」と言い、「ケヤキはあばれっぺよ」なんて使う。(同じような状態を表す「ひわる」を普通に使っていたのだが、広島や山口の方言だと気づいたのは何年も前ではない)

《続・平熱日記》78 愛の不時着、我が家の着地点は…

【コラム・斉藤裕之】ステイホームは我々夫婦にとってはそう難しいことではない。普段の生活がほぼ自粛生活と言ってもいい。ところでカミさんはテレビ番組がつまらないと言うので、ずいぶん前から有線で海外ドラマや映画を見ていたのだが、最近は目新しいものがないということで、定額で映画やドラマが見放題というネット配信に加入した。 そしてついに見てしまった。今まで何となく敬遠していた「韓流ドラマ」、それもうわさの「愛の不時着」を。 どんなものかと、1話、2話と見てみた。まず竜巻で北朝鮮に飛んでいくという設定は「鴨捕り権兵衛」以来の衝撃だったが、このくらいのブットビ方でないと、とうてい38度線をまたいだドラマは進まない。しかし世間で騒がれるほどの面白さは感じない。と、友人曰く「3話までは我慢してみないとダメらしいよ」というわけで、3話、4話と見てみる。 なるほど、次の展開が気になる筋書きにはなってくる。が、軽すぎるというか、突っ込みどころ満載。しかし、かの国のリアルな現状をイメージしてはこのドラマは成立しない。次々訪れる「マジか?」の場面をスルーして、ただのメロドラマとして鑑賞すべし。 ところで今年は白菜が安い。高いと頭にくるが、安いのを喜んでひと玉を買うと、夫婦2人では持て余す冬の野菜である。先日も、冷蔵庫にはやっと半分食べた白菜があるというのに、夕方、かみさんは大きなひと玉を抱えて帰ってきた。聞けば、知り合いから安く引き取ってきたという。 さて、その日はおいしいパンが食べられるというカフェに。猫が気持ちよさそうに寝ている古民家を改装した店内。ランチが運ばれてくる間に、「これ」と言われてかみさんが差し出した雑誌。そのページには自家製のキムチの漬かった樽の写真が。これを漬けろ?とおっしゃる。

《続・平熱日記》77 初夢考 還暦を迎える年に

【コラム・斉藤裕之】私は毎晩夢を見る。昨夜も見た。それほど面白い夢ではなかった。最近はそうでもないが、若いころはとても愉快な夢を見ることがあった。時には腹がよじれるほどゲラゲラ笑う。とにかく本人は面白おかしくてたまらないのだが、暗闇に響き渡る笑い声は家族にしてみれば不気味であったそうだ。 そんな夢見がちな私であるが、初夢というものを見た記憶がない。あれだけ連日連夜オールナイトで上映される夢が、正月だけはなぜか休館となる。そこで、来年こそは初夢を見てやろうと思う。ここまで2020年の師走に記す。 初夢に封切大作映画なし さて、2021年1月2日早朝これを記す。ついに初夢を見た。目が覚める寸前に「おーっと、これが初夢なら覚えておかなければ」と思い忘れないうちにノートに書いた。どうもパッとしない内容だ。断片的に覚えている場面もあるのだが、確実に覚えているのは目覚める前に見ていた場面。漬物の桶(おけ)のふたのような丸い形の木の板で、胸の前と背中にプロテクターを作って、それを一生懸命装着して…。 2日後、山の中腹にある焼却炉のような施設を舞台にした近未来的な夢を見た。外国人もキャスティングされていた。アボリジニは夢の中の世界をもう一つの人生だと考えていたそうだが、夢の元ネタはその人を取り巻く現実の世界。彼らといえども、今の世界は複雑過ぎてカンガルーとかコアラとかはキャスティングされにくいだろう。 だから、初夢に富士山はまだしも、鷹やナスが夢に出てくる方は相当牧歌的な日常を送っているということか。考えてみれば毎日毎晩、世界の何十億という人の見る夢に意味があったら大変だ。結論、初夢に封切大作映画なし。夢は取るに足らない脈絡のないナンセンス劇場だからよいのであって、逆に、これほど意味不明な脚本を毎晩書ける脳は大したもんだと改めて感心した。

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黄色のリュック型も選択可能に 土浦市 新1年生にランドセル贈呈

土浦市では、市立小学校や義務教育学校に入学する子どもたちのために、1976年から毎年、入学祝品としてランドセルを贈呈している。来年度から、従来の赤と黒のランドセルに、黄色のリュックサックタイプが加わり、3種類の中から選べるようになった。 従来の赤と黒のランドセルは人工皮革で、重さ約1キロであるのに対し、黄色のリュックサックタイプは850グラム。軽量化のニーズに応え、選択肢を増やした。 同市教育委員会学務課の担当者は「実際に背負い比べた子どもたちは軽いと言う。子どもにとって150グラムの差は大きいのではないか」と話す。 ファスナーを開いた状態のリュックサック=同 黄色のリュックサックタイプは、ポリエステル製。出し入れしやすいようにファスナーが大きく開き、教科書やノート類は、中のベルトで固定できる。 背中は汗をかいてもべたつきにくいメッシュ仕様。背負いひもにはランドセルと同様にフック(ナスカン)があり、防犯ブザーを付けることができる。

プライドと劣等感 《続・気軽にSOS》93

【コラム・浅井和幸】①周りを低く見る言動をする。②自分は素晴らしいという評価を周りに押し付ける。ちょっとでも悪く言うと怒りだして、①や②の言動で周りを攻撃してくる。程度の差はあれ、誰にでもある性質です。ささいなことならば、子どもっぽくてかわいいで済みますが、程度がひどく、繰り返す場合は、厄介な人で、できれば関わりたくない人ですね。 関わらずに済むのなら簡単な話ですが、それが家庭、教室、職場でいつも顔を合わす人だと大変。気を使いすぎて、抑うつ状態になって、相談室を訪れる人もいるぐらいです。 DV、児童虐待、いじめ、パワハラなど、「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望の持ち主(加害者)によって、弱者が苦しめられるという構図がしばしばあります。 「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望は、「周りの評価が気になる」という性質と、「自分は正当な評価を受けていない」という気持ちが強ければ強いほど、大きくなります。これらの性質は、つまりは劣等感だと言うことです。 パワハラ上司と付き合う方法 自分とパワハラ上司という関係で考えてみてください。「自信満々で、自分のことを責めてくる上司が、劣等感を持っているなんて信じられない。大きな声で怒鳴られて、縮こまって苦しんでいる自分の方が劣等感の塊だ」と考えますよね。

オンラインお見合い開始 いばらき出会いサポートセンター

少子化対策のカギは若者の未婚化・晩婚化対策にあるといわれる中、いばらき出会いサポートセンターは9月から、コロナ禍でもスマートフォンやパソコンでお見合いができる「オンラインお見合い」サービルを開始した。県外からも幅広く入会できるよう入会条件を緩和し会員の出会い強化に乗り出した。 同センターでは、すでに4月から新AIマッチングシステム(スマートフォン対応・AI診断機能搭載)の運用を開始し、男女の出会いと結婚を支援している。その結果、新規入会者数やお見合いの実施組数等が大幅に増加しているという。 AIマッチングシステムの特徴は、会員個人のスマートフォンやパソコンからお相手を検索したり、お見合いの申し込みが出来、価値観診断テストの結果からAIが相性の良い相手を紹介する。加えて9月からは、対面によるお見合いのほか、オンライン上でのお見合いが選択できるようになった。 入会の条件は、結婚を希望する人で、インターネットが利用できる人。 入会登録料(2年間有効)は県内在住か在勤、親が県内に在住か、あるいは県内への移住に関心がある人は1万1000円(消費税込み)。 9月からはこれらの条件以外の希望者も入会できるようになった。入会登録料は2万2000円(税込)。

コロナ禍での認知症 《くずかごの唄》94

【コラム・奥井登美子】 「コロナが心配で、心配で、朝まで眠れないんだ。睡眠薬5ミリではだめなので、今度10ミリにしてもらった」 近所に住むAさんが処方箋を持ってやってきた。ゾルビデム5ミリグラムが10ミリグラムなっている。この薬は向精神(こうせいしん)薬で、認知症を促進するデータがあるといわれている薬である。Aさんと高校時代からの同級生で仲良しのBさんに聞いてみた。 「このごろ、2人で散歩していないわね。けんかでもしたの?」 「けんかなんかしていないよ。けれど、A君このごろ、ちと、おかしい。いつもと同じ道を歩いているのに、違う道だ、なんて言うんだ」 「困るわね」