土曜日, 4月 24, 2021
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《沃野一望》21 正岡子規『水戸紀行』追歩(1)

【コラム・広田文世】灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。 明治22年、文科大学(現在の東京大学文学部)国文科に籍をおく学生が、寄宿舎のある本郷から水戸へ向け、徒歩で出立した。国文科の学友で水戸人の菊池謙二郎訪問を、ふっと思いついた。足にまかせ行ってみるかと、明治時代の学生は、気楽に歩きはじめる。 学生の名は、正岡子規。22歳。ただし正確には、この時点でまだ子規の号を名乗っていない。水戸から帰ったあと大喀血(かっけつ)し、「鳴いて血を吐く」子規を号することになる。しかしここでは子規、と使わせていただく。 子規は、水戸から帰ると発病、壮健だったときの旅の思い出を『水戸紀行』としてつづった。あのときは、元気だったなあと、回想している。 さて、その『水戸紀行』のコース。 東京本郷の寄宿舎を出立し、はるか前方に筑波山を遠望しての北千住、松戸、我孫子。我孫子の先で利根川を渡り茨城県に入り、取手、藤代、牛久と水戸街道を北上、土浦から石岡を経て水戸、さらに大洗にまで足をのばしている。帰路は、水戸線と東北線の汽車を乗り継ぎ(当時、常磐線はまだ開通していない)上野へ戻る4泊5日の日程の、ほとんどが徒歩だった。

《沃野一望》20 伊東甲子太郎の4 惨劇油小路

【ノベル・広田文世】 灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼 我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。 御陵衛士(ごりょうえじ)という名目で新選組を離脱した「高台寺(こうだいじ)組」15人を壊滅させるため、新選組局長近藤勇は、周到な手順を踏んだ。御陵衛士隊長は、元新選組ナンバー2の伊東甲子太郎、容易に倒せる相手ではなかった。 近藤勇は、甲子太郎が新選組隊内に内偵探索要員として残してきた佐野七五三之介ら4人を、ひそかにほうむる段取りを、まず、整えた。会津屋敷へ行って軍用金を受け取ってこいと命じた。4人は、毎度の用向きであり、土方歳三も同行とあって、疑いをもたずに会津屋敷へ参上、帰り際には酒肴の接待まで受けた。土方が、さりげなく席を外したときだった。別室で機をねらっていた新選組隊士が酒席へ踏み込み、槍を突き立て4人を惨殺した。新選組隊内の他の隊員に極秘の抹殺劇だった。 こうして、高台寺組への密偵者を絶ったところで近藤は、伊東甲子太郎へ宴席への招待状を送る。

《沃野一望》19 伊東甲子太郎の3 御陵衛士隊長伊東甲子太郎

【ノベル・広田文世】 灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼 我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。 新選組のなかで「参謀」というナンバー2の地位をあたえられた伊東甲子太郎は、ひとつの隊内勢力、いわば伊東派を構築していったが、甲子太郎の野望は、そこにとどまるものではなかった。新選組全体を掌中(しょうちゅう)におさめ、尊王攘夷へむけ天下を動かす組織ののっとりをねらっていた。 しかし、もともとが京都守護職松平容保(かたもり)支配下の武闘殺人集団の新選組が、伊東甲子太郎の独断を容認するはずがなかった。とくに、もう一方のナンバー2、武闘派筆頭土方歳三は、ことあるごとに甲子太郎を排斥し、その旨を局長近藤勇へ注進した。 「このままでは新選組は、あやつに牛耳られてしまいます。斬りましょう」

《沃野一望》18 伊東甲子太郎の2 新選組の甲子太郎

【ノベル・広田文世】 灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼我(わが)ひめ歌の限りきかせむ とて 元治元年(1864年)11月、常陸国筑波山の麓、志筑村出身の伊東甲子太郎(いとう・かしたろう)は、婿入りしていた江戸深川佐賀町の伊東道場を見捨て、門弟7人とともに、京へ出立した。東下してきた新選組局長近藤勇の熱心な勧誘に応じ、新選組に加わるためだった。 余談になるが、元治元年11月といえば、この欄で前々回まで連載した藤田小四郎たち水戸藩天狗党が、常陸国大子町より西上の途についた秋、時代はまさに沸騰点。 新選組は、無理やりおしつけられるかたちで就任した京都守護職会津藩主松平容保(まつだいら・かたもり)の支配下におかれた武闘殺戮集団。伊東甲子太郎が、近藤局長に入隊を誘われたころになると、あまりに過激な戦闘の日々に、戦死、負傷、切腹、逃亡があいつぎ、隊士が60人ほどに減っていた。成り上がり者集め集団の組織力・機動力は、いちじるしく低下していた。近藤勇は、勢力回復のため、やみくもに人材をもとめていた。 そこへ、伊東甲子太郎たちが入隊する。

《沃野一望》17 伊東甲子太郎の1 新選組加盟

【ノベル・広田文世】 灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて 天保六年(1835)、関八州を鎮(しず)める名峰筑波山の東麓、常陸国志筑(しづく)村(現かすみがうら市)に、旗本本堂家家臣鈴木専衛門の二男として、鈴木大蔵という風雲児が、呱々(ここ)の声をあげた。 幼いころに父が脱藩、村をでた大蔵は、水戸で文武の修練にはげむ。剣に冴(さ)え、文にすぐれ、眉目秀麗(びもくしゅうれい)、弁舌さわやかな才は、幕末という激動の時代のなかで、いつか激流の先頭を疾駆(しっく)する人物と嘱目された。 水戸での伝手(つて)をたよりに江戸へでると、水戸藩士金子健太郎の道場で北辰一刀流をきわめ、同時に、尊王攘夷を標榜(ひょうぼう)する水戸学に心酔してゆく。 北辰一刀流の技の極意は、いつか市中の評判となり、やがて、深川佐賀町に町道場をひらく伊東精一郎に見こまれ門弟となる。道場では、またたくまに師範代にまでのぼりつめる。さらに、道場の後継者として婿養子にむかえられ、はじめて、伊東性を名乗る。伊東大蔵。

《沃野一望》16 藤田小四郎の6 天狗壊滅

【ノベル・広田文世】灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼我(わが)ひめ歌の限りきかせむ とて 豪雪の蠅帽子(はえぼうし)峠を越え、越前国(現在の福井県)へ入った天狗党の一党は、ここでついに、行く手の葉原(はばら)宿に布陣する加賀藩に降伏した。加賀藩士永原甚七郎の命がけの説得に応じた理由は、加賀藩に先陣を命じた一橋慶喜の出陣だった。京へ近づけば近づくほど露骨に拒絶の姿勢をつよめる慶喜のまえに、矛を収めざるをえなかった。天狗党の頼みの綱は、儚(はかな)い幻像だった。 さらに天狗党は、あまりに激しく行動力を消耗しつくしていた。天狗党の気力と体力は、豪雪の峠越えで極限にまでそがれていた。誰もが、「これ以上の進軍は無理」と肌で感じていた。 天狗党は、加賀藩兵に武器を差し出し、捕らわれの身となる。ついに、幕府軍との全面戦闘を展開せぬままの降伏だった。 心情的に天狗党に肩入れしてきた加賀藩兵は天狗党を、できうる限りの厚遇で迎え入れる。北陸の魚とたっぷりの白米、熱々の味噌汁。手足をゆっくりのばせる風呂は、豪雪の峠越えでおった凍傷に、なによりの治癒(ちゆ)となった。酒さえ相伴し、暖かい布団に寝ついた。 しかし、桃源郷のような虜囚生活は、長くつづかなかった。幕府の天狗党追討軍総括田沼意尊(たぬまおきたか)が越前に到着した。田沼は、加賀藩による厚遇を聞き及び激怒した。「天狗勢を縛って引き立てよ。牢に押し込めよ。反抗する者は、射殺せ」。

《沃野一望》15 藤田小四郎の5 天狗党豪雪の峠越え

【ノベル・広田文世】 灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼 我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。 幕末の元治元年(1864)、藤田小四郎たち水戸藩改革派諸派連合の天狗党は、美濃国(現在の岐阜県)濃尾平野の北端、揖斐(いび)宿へ辿りついた。濃尾平野を横断すれば関ケ原。さらに進めば琵琶湖。湖岸を回りこめば、頼りとする一橋慶喜が政務する京へ、あとわずか。 天狗党は、これまでの行軍で遵守してきた規律にしたがい、行く手の通過予定領大垣藩へ使者をたてた。 「争いを起こす所存はありません。穏便に通してほしい」

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日本の子どもは可哀そう 《ひょうたんの眼》36

【コラム・高橋恵一】青年海外協力隊員として東南アジアに派遣された青年の経験談である。優れた日本農業技術で作物を育てたところ、高温多湿の気候の効果もあって、半年でそれまでの1年分の収穫ができた。現地農民は、大喜びをした。次に、協力隊員は、後半の作付けに取り掛かろうとしたところ、農民は動かない。1年分の収穫ができたのだから、もう働く必要がないというのだった。30年前のことだ。 青年海外協力隊員は、苦笑しながら、現地農民の経済感覚を伝えてくれたが、今なら、ゆとりのできた時間や資金をどう使うかを考えたかも知れない。 日本では、高度成長期から、成果をひたすら企業資金力の強化に回し、労働時間の短縮やセーフティーネットの構築、地球環境の改善・保護に回すことはほとんどなかった。 それから30年。日本の幸福度ランキングは、世界で56位。韓国とピッタリ寄り添って、ロシア、中国の少し上位に位置しているが、OECD(経済協力開発機構)37カ国のうち最下位レベルだ。 我々の生活レベルを考える時、「昔」と比べると、格段に忙しさが変わって来ている。拘束された忙しさ、義務的な忙しさである。 日本の幸福度を改善するためには、就業時間を短縮し、最低賃金を思い切り上げればよい。毎日の労働時間を7時間、週35時間以内にすれば、全く違う世界が見えてくる。当然、フレックスタイムが導入され、満員電車も解消する。生産力を維持するためには、雇用を拡大しなくてはならない。女性の役割が大きくなり、より多様性が拡大する。変化への原動力は、格差社会の解消である。

高齢者施設にワクチン配送 65歳以上4万7000人に接種券郵送も つくば市

高齢者を対象にした新型コロナウイルスワクチンの配送が22日、つくば市で始まった。同日午前、第1便となるファイザー社製のワクチンが、市内の介護老人保健施設に1カ所に届けられた。併せて同日、市内の65歳以上の高齢者約4万7000人にワクチン接種券が郵送された。23日以降、各家庭に届く。 マイナス70度の超低温冷凍庫から取り出したワクチンを必要な数だけ素早く配送用の保冷箱に移す作業員=22日、つくば市役所 配送されたワクチンは、17日に国から届いた2箱(1950回接種分)のうちの一部で、市役所内に設置された超低温冷凍庫でマイナス75度で保管されていた。 4月26日から5月3日の週には5箱(4875回接種分)が国から届く予定で、医療機関のほか、特別養護老人ホーム10カ所とグループホーム18カ所にも届けられる予定だ。 接種開始は5月24日

開園25周年 つくばわんわんランド 「人とペットが共存する拠点に」

日本最大級の犬のテーマパーク「つくばわんわんランド」(つくば市沼田、東郷治久社長)が27日、開園25周年を迎える。1996年4月27日、現在の3分の1ほどの面積でスタートした。ペットは家族の一員であるという価値観が浸透すると共に、犬を見せる施設から犬と触れ合う施設へとコンセプトを変化させてきた。現在、約90種約500匹の犬がいる。 寺崎修司園長は「日本のペットに対する意識は、ペット先進国と比べまだまだ遅れているところがあるので、正しい知識をもって人と動物が共存する社会を目指す拠点になれれば」と話す。 珍しい大型犬、ナポリタンマスティフをなでる寺崎園長 25周年を記念して26~28日の3日間、25歳の人と小学生以下の入園料が100円になる特別イベントが開催されるほか、ゴールデンウイーク(GW)中の29日から5月5日まで、グループ法人のつくば国際ペット専門学校講師による犬のお手入れ教室やしつけ教室などが開催される。 園のシンボル 黄色い木造犬は4代目

別の学校も臨時休校 つくば市教員が新型コロナ

つくば市は21日、市立学校教員が新型コロナウイルスに感染していることが分かり、この教員が勤務する学校を22~23日の2日間、臨時休校にすると発表した。 市教育局学び推進課によると、20日に感染が確認された教員が勤務する学校とは別の学校という。 21日感染が分かった教員の濃厚接触者は現在、保健所が調査している。この教員の症状や、いつまで勤務していたかなどは公表しないとしている。 一方、20日に教員の感染が確認され、21~22日の2日間、臨時休校としていた学校は、23日から通常通り授業を開始する。