火曜日, 10月 6, 2026
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小泉農相の農協批判はまともか《邑から日本を見る》184

【コラム・先﨑千尋】「米を買ったことがない」という失言で江藤拓農水相が辞任し、急きょ登板した小泉進次郎新農水相は、矢継ぎ早に備蓄米を放出し、5キロ2000円という破格の値段で店頭に出し、スーパーなどでは行列騒ぎ。同じ米なのに、銘柄米、最初に放出した備蓄米、輸入米と、合わせて4通りの価格で売られている。

私は、市場原理を無視した政策介入、見かけ上の価格引き下げが、わが国の農業や米の生産に歪(ゆが)みをもたらすおそれが強いと見ている。間もなく新米が出回るが、高温が続くようで、収量や品質が心配だ。

小泉農相は、備蓄米の放出だけでなく、米の流通を担う農協についていろいろ注文をつけている。6月17日の経団連との会談では、「建設業界では重機や建機のレンタルやリースが当たり前。米農家は2000万円のコンバインを1年のうち1カ月しか使わない。リースやレンタルを農業界に入れていきたい」と語った。

トラクターはともかく、田植え機やコンバイン、乾燥施設は、1年のうち、わずかしか使わない。農家だって、リースやレンタルの方がいいに決まっている。しかし、建設業は一年中仕事がある。米作りは、田植えにしても稲刈りにしても時期がほぼ決まっている。農家が必要な時期に必要な農機具類を、リース会社がそろえられるはずがない。

そろえても、稼働期間が短いので採算が取れない。だから農機具類にはリースやレンタルがなかった。業者がいなかった。前提が全く異なる。現場を全く知らない提言でしかない。

大手町にビルを建ててはいけない?

同じ6月、東京・大手町にある全国農協中央会(全中)の本部ビルの売却検討に対し、「農家は農協にビルを持つことを求めていないのでは」と発言した。現在の農協ビルは、確かに事務所の一等地と言える大手町にある。しかし、それには事情、いきさつがあり、現在のビル建設には国も関与している。

都道府県にある農協連合会も農協の建物も、事務所はビルディングだ。どうして農協がビルを建ててはいけないのか。東京の事務所が大手町にあってはいけないのか。では、どこにあればいいのか。私には小泉発言の真意がわからない。

「農協は共同購入・共同利用を進める組織であって、金融でもうける組織ではない」とも言う。この発言も、農協という組織の成り立ちや役割を理解しているとは思えない。

農協批判は政治的パフォーマンス

農協という組織は、小さな生産者が1人では農産物の販売や資材の購入という取引で不利になるので、力を合わせようとしてできた組織だ。金融事業(農協では信用事業と言う)も、共済事業(一般には保険)も、農家の経済的安定を支える活動だ。

大半の農協は、低い手数料率のために農産物販売や資材の購買事業は赤字で、金融・共済事業の利益でカバーしている。それがどうしていけないのか。農水省は、農協法に基づき農協を指導・監督する立場にある。小泉農相は、監督責任を果たさず、農協を批判するだけの政治的パフォーマンスを見せているだけではないのか。

昨年秋から今年にかけて、米商人・業者は、農協が提示した価格に少し上乗せした価格を提示し、買いあさった。もし農協組織がなければ、商人は逆に買いたたくことが目に見えている。肥料、農薬、農機具なども、業者の言いなりになってしまう。

私は現在の農協に対して長いこと内側からの批判を続けてきたが、農協不要論・悪玉論の論調には賛成できない。(元瓜連町長)

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