月曜日, 6月 5, 2023
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吉田礼子

《食とエトセトラ》8 大掃除~正月準備 年末の思い出

  【コラム・吉田礼子】いつの間にか冬に足を踏み入れている。今年の紅葉は美しかった。特に真紅の赤に心奪われ癒された。寒いと赤がきれいだと祖母が話していたのを思い出した。今年はコロナに翻弄(ほんろう)された1年だったように思う。来年こそこの閉塞感から脱したいと願うのみである。 子どものころ、12月の行事と言えば大掃除から始まるお正月に向けての準備。少しずつ整えていく日々が思い出される。12月の半ばごろは不思議と晴れの日が続き、大掃除にも適していた。 障子を貼ったり畳を上げて陽に当てる。母のモンペ姿、手拭いの姉さんかぶりが目に浮かぶ。昭和の風物詩だった。きれいになったところでいよいよおせち作り。献立や段取りを考える。 少しずつ買い出しが始まる。25日過ぎたころから黒豆を煮たりする。故郷の宮城県ではあんこ餅を必ず食べる。大きなシャモジであんを練っていた姿が忘れられない。商家の大みそかは、みそか振る舞いと言って、細やかなご馳走で1年の労を労う。31日は忙しくなるので30日にしていた。 お正月は生ものや四足ものは食べないので、年内のご馳走にはお刺身が付く。それにナメタカレイの煮魚。茶碗蒸しもこの日の付き物。おせちやお雑煮の準備をして年越しそばを食べる。

《食とエトセトラ》7 子ども時代に本物に触れる

【コラム・吉田礼子】つくば市にあるノバホールで、劇団四季のミュージカル「王様の耳はロバの耳」を観たのは、娘が小学1年のころでした。舞台上の子どもたちの熱気、歌詞、メロディーは今でも鮮やかによみがえります。 当時、劇団四季は、日本中の子どもに本物の舞台芸術を伝えたい、とりわけ地方の子どもたちに届けたい―と、高い理想を掲げていました。日本財団の賛同もあり、格安のチケットを入手でき、プロのミュージカルを観ることができました。 娘のピアノ発表会も同じステージでできたことは、貴重な思い出 です。子ども時代に「本物」に触れることは、美しいものを感じる心、真贋(しんがん)を見極める目を育てます。幼い時のことを覚えていなくても、豊かな心の財産になります。 親としても、豊かな経験が一緒にできるのはありがたいことです。また、子どもと共通の趣味の持てるようになったのはうれしいことです。大人は種をまく人、子どもは自ら育つ力を持つ存在と言えるでしょう。 なぜ『百本しんにゅう』を書くのか 私は30年ぐらい、子ども書道教室を主宰していました。小学1~2年生にとって、毛筆は初めての経験。筆の持ち方、道具の扱い方、筆の入れ方、横画、縦画、丸、点、はね、はらいなどを、一生懸命覚えます。

《食とエトセトラ》6 自分のために極上のお茶を

【コラム・吉田礼子】極上などというと高値、高ければ美味しいに決まっているという方もいらっしゃるかと思いつつ、同じ茶葉でも入れ方でこんなに違うということが今回のお話です。お茶と言えば、煎茶(せんちゃ)が思い起こされるでしょう。 新婚のころ、主人の実家で教えられたことは、お客様がいらしたときは挨拶したらまずお茶を出すこと、茶葉は切らさないようにということでした。子どものころ、母が入れたお茶をお盆に載せて平らに持ち、お茶を出したことを思い出しました。 当時、急須(きゅうす)でお茶を入れることは普通のことでした。半世紀の間に様変わりして、今のお茶の時間は、コーヒー、紅茶、中国茶、ハーブ茶など様々。日本茶に急須を使わないお宅もあるようです。ペットボトルの飲料がない家は皆無でしょう。 お茶を入れる手間、後片付けは面倒とは思いますが、美味しいお茶を出されたときの感激は忘れられません。でも、なかなか思い通りに入れることができず、濃過ぎたのではなどと自責の念にかられます。そこで、美味しいお茶を入れる方法を研究。試行錯誤の末に、お湯の温度、茶葉の量、急須や茶碗などの温め方など、やっとお客様に出せるようになったような気がします。 美味しいお茶の淹れ方 ▽まず急須に入る湯量を計り、沸かしたお湯を入れる▽急須のお湯で茶碗を温め、1人約80ccで何杯分かを確認する▽茶碗の個数×2グラムの茶葉を急須に入れる▽茶碗のお湯を急須に戻す▽1分ぐらい蒸らし茶碗に入れる▽2煎目のお湯は冷ましてから入れる

《食とエトセトラ》5 夏こそ革の手袋

【コラム・吉田礼子】6~7年前だったろうか。ひときわ暑い8月、お祭りやお盆など行事が目白押しで、夏休みも終わろうとするころ。2学期に向けてのリセットにと、夫と娘家族3人でちょっと遠めのドライブに行くことにした。実家がある宮城県は遠すぎるので、群馬県に隣接する軽井沢を選んだ。朝早く出れば日帰りもできる距離。ドライバーも3人となれば心強い。 早起きして緑深い山路へと向かう。陽も昇り陽射しが気になってきたころ、いつもバッグに入れているUVカットのロンググローブがないことに気付いた。そこでグローブボックスを探してみると、冬場に重宝していた革の手袋を発見。 冬用と決め込んでいたはずなのに意外に使いやすい。陽は遮断され、手の甲は日焼けの心配がなく、裏地のおかげで中が熱くならない。さらにドライブ手袋としても優れもの。滑りにくいことは言うに及ばず、遠出ドライブにはハンドルの握りの力加減が楽なのだ。ゴルファーや野球選手たちが使っているわけが分かった。 幼いころ、テレビの「ローハイド」に出てくるクリントイーストウッドは、1日の仕事の終わりに、革手袋を外し、ポンと叩いてほこりを落としていた。その動作が印象深く忘れられない。寒さ対策だけではない、ファッションアイテムだけでもない、作業にも必要な道具であったわけだ。 冬だけでなく1年中販売したら 帰路、片方の手袋を失くしたことに気付いた。車内を探しても見当たらず、アウトレットに寄り買い求めることにした。しかし、季節外れということなのか、革手袋を置いている店はなかった。1年中販売していただきたいと願うばかりである。

《食とエトセトラ》4 梅ジュースや梅干しを作る

【コラム・吉田礼子】今年の紫陽花(アジサイ)は例年より鮮やかに感じられる。梅雨空にピンクや紫の花の色は一服の清涼剤。空梅雨(からつゆ)の年には瑞々(みずみず)しさが失われ、気の毒なくらい萎(しお)れるが、今年は恵みの雨。紫陽花に元気づけられる。梅雨ならではの仕事がある。梅仕事である。 先ずは梅シロップ(梅ジュース)から始める。固い青梅が最適で、日にちが経っても充分おいしくいただける。酷暑を乗り切るため、原液に氷を入れ、炭酸で割って何度も助けられた。簡単に作れる一品。お忙しい方にもお勧めしたい。 次は梅干し。昨今は、健康維持のために塩分摂取量を減らすことが求められ、梅干しの消費量は減っている。昭和40年代ごろまでは、30%ぐらいの塩分量はよく聞いた。最近は、減塩しても、美味しく傷まない梅干しを作る。 以前、ある梅干しメーカーに5%の減塩梅干しを、どのように作るのか問い合わせたことがある。先ず20%以上の塩で漬け、その後塩抜きをして、ハチミツなどで味付けをして市場に出すということだった。 でも、昔の梅干しを求める声も多い。義母も塩分16%に落ち着いた。高温多湿の日本の夏の気候風土に必要な食品である。昭和生まれの私たちには、日の丸弁当や、梅干しを具に醤油の焼きおにぎりを作ってもらったことが思い出される。 ラッキョウ、ジャムなどの保存食も

《食とエトセトラ》3 萌木色、鶸色、若菜色、若苗色…

【コラム・吉田礼子】先日、筑波大学構内と土浦市水郷公園をドライブした。新緑の美しさ、季節の移ろいや自然の再生する力に、活力が湧き起ってきた。コロナ禍で外出を控えていたが、買いものをして遠回りの寄り道。視界に入って来るもの、みな麗(うるわ)しい。 「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」。山口素堂の俳句が頭を過ぎり、日本に生まれ育ってよかったと改めて感じ入った。若いころは、どの季節が好きかと聞かれると、四季それぞれのよさがあって、どれが一番などと言えなかったが、今は確信をもって春と答える。 桜の花が満開になり、散り始まると、葉桜が芽吹き、いよいよ新緑が始まる。萌木色(もえぎ色、緑 の萌え出ずる色)、鶸色(ひわ色、雀の種類で羽の色が薄黄緑)、若菜色(わかな色、春の七種)、若苗色(わかな色、田植えの早苗の色)など、繊細で微妙な色の違いや色名を教えてくれる本(『日本の色辞典』) と巡り会えた。  先日、NHK BSプレミアムで、染色家・吉岡幸雄さん出演の「失われた色を求めて」が放送された。吉岡さんは、古代から日本人が愛(め)でた色を草木や自然界の染料・顔料を使って再現、2000年に『日本の色辞典』を発表した。17年に放送された番組が先日再放送されたが、昨年9月、73歳で急逝されたとのこと。胸が痛くなった。 日本ならではの色彩感覚は海外でも注目され、英国の博物館でも吉岡さんの作品の展覧会が1カ月以上開催された。

《食とエトセトラ》2 自然の恵み:筍と旬の関係

【コラム・吉田礼子】今年は例年より地元の筍(タケノコ)が店頭に出回るのが早い。東日本大震災のときは、福島第一原発事故による放射性物質の検出から出荷規制が何年も続き、土浦の場合で自粛がやっと解除になったのは2018年のこと、地元産の筍を再び味わえるようになった。 筍と旬、この2文字に関連性を感じる人は多いと思う。旬の読み方のひとつは「シュン」。広辞苑によると、①朝廷行事のひとつ、②魚介、野菜、果物がよくとれて味の最も良い時、③転じて物事を行うに適した時期―とある。 「ジュン」と読むと、ひと月を10日ずつ3つに分け、上旬・中旬・下旬といった使い方になる。筍は土の中から芽を出し、10日で竹になるということから、この字が使われたとのこと。食の世界では、旬を3つに分け、「走り」「盛り」「名残り」と言う。 「走り」は、出回り始めで味も香りも浅く、数量も少ないので値段も高い。先駆けの希少価値のところが好まれる。「盛り」は、字の如く、食材の風味・味も濃く、しっかりしている。収穫量も多く、値段も安い。 多種多様の料理を堪能したあと、「名残り」が来る。そのころには大きく育ち、繊維も強く、歯が立たない部分もあり、調理にも一工夫が必要に。すりおろして、お肉などと一緒に団子にして、油で揚げていただく。 どの旬でも、真空パックやビン詰めのような保存食にはない、今だけの、そして産地ならではの、自然の恵みを堪能していただきたい。

《食とエトセトラ》1 温故知新 ご飯の炊き方

【コラム・吉田礼子】「食は母系で伝わる」と言ったら、今どき、古臭いと一蹴されてしまうでしょうか? あなたにとってお袋の味は何? と聞かれたら、何を思いうかべるでしょうか? 卵焼き、味噌汁、ご飯おにぎり、コロッケ、カレー、ポテトサラダ? 昭和30年代までに生まれた人だったら、思い当たるのではないでしょうか。 美味しい思い出とともに、若いころの母や兄弟姉妹の姿が蘇(よみがえ)る。今振りかえると、自分の味覚はこのころ形成されたと感じている。母が料理する姿を見ていると、こちらも楽しかった。そのうち自分でもしたくなり、母に頼んで手伝う。先ずはお米のとぎ方から。 見ているときと違って、1升の米をとぐのは大変なこと。水は冷たく、羽釜(はがま)は重たく、米粒をこぼさないよう神経を集中する。竹ザルに上げ、シャッシャッと水を切る。斜めにするとさらに水が出る。15~30分、布巾(ふきん)をかけて上げておく。この状態でも浸水時間は進んでいる。 初めチョロチョロ、中パッパッ… いよいよ炊飯。初めチョロチョロ、中パッパ、ブツブツ言うころ火を引いて、赤子(あかご)泣くとも蓋(ふた)とるな―。この歌、聞いたことがあると思いますが、蓋を開けないで、釜の中の状態を判断する先人の知恵に脱帽です。 初めチョロチョロは火加減のこと。強めの中火で釜の中の水が沸騰して、中の圧力が最高点まで高まり、隙間から蒸気が徐々に出てきます。蒸気が上に向かい勢いも強くなり、泡が出て噴きこぼれそうなら、圧力は最高点でブツブツ。 そこで一番弱い火加減にし、五合ぐらいで15分、赤子がせがんでも我慢。15分経ったら、一度強火にして、20ぐらい心の中で数える。耳を澄ますとチリチリ音が聞こえ、美味しいおこげができている。火を止め15分蒸らし、蓋を開ける。蓋は釜の上で立てず、水平に動かして外で立てる。 ご飯粒が立って、瑞々(みずみず)しくピカピカ光っている。周りをシャモジで回し、上下にかきまぜ、お櫃(ひつ)か飯台(はんだい)に空けて蓋をする。余分な水分を木が吸ってくれ、パリッと旨味と甘みが増す。 和食はユネスコの無形文化遺産 2013年、和食がユネスコの無形文化遺産に認定さました。和食が評価されたのは以下の点です。 ▽多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重:国土が南北に長く、海、山、里に多種多様な食材を有する ▽栄養バランスに優れた健康的な食生活:一汁三菜を基本とした理想的な栄養バランス、旨味を上手に使いヘルシーな食生活が長寿の秘訣 ▽自然の美しさや季節の移ろいの表現:四季折々の花や葉を飾って料理して、季節感を楽しんでいる ▽年中行事との密接な関わり:正月などの年中行事と食文化が密接に関わり、また食の時間が家族や地域の絆を深めた お料理も欧米型、調理法も簡便な方が求められている昨今、先人の知恵を学び、和食を次世代につなげていきたい。和食を通じて、年中行事、家庭や地域の絆も大切にしていきたい。(料理教室主宰) 【よしだ・れいこ】東北学院大文学部史学科卒。子どものころから母が料理する姿に触れ、料理の先生に憧れる。「台所は実験室」をモットーに独学。50歳を前に、全国料理学校協会所属の児玉久美子先生に師事。2008年、土浦市に吉田料理教室を開校。1953年、宮城県生まれ。土浦市在住。  

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博物館の歴史論争拒否、土浦市法務が助言 《吾妻カガミ》159

【コラム・坂本栄】今回は158「土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶!」(5月29日掲載)の続きになります。市立博物館と本堂清氏の郷土史論争。博物館の論争拒否に対し、本堂氏は「(博物館がそう出るなら同施設を管轄する)市教育長に検討申請書を提出する」と反発しており、エスカレートしそうな雲行きです。 また取材の過程で、本堂氏を門前払いするようアドバイスしたのが市の法務部署であったと聞き、土浦市の博物館マネジメントにも唖然(あぜん)としました。論争を挑む本堂氏をクレーマー(苦情を言う人)並みに扱うよう指導したわけですから。 郷土史をめぐる主な論争は3点 私は中世史に疎いこともあり、市立博物館(糸賀茂男館長)の学芸員にこの論争の要点を整理してもらいました。 いつから山の荘と呼ばれたか ▼本堂氏:『新編常陸国史』(国学者中山信名=1787~1836=が著した常陸国の総合史誌)の記述からも明らかなように、「山の荘」(土浦市北部の筑波山系地域)の名称は古代からあったのに、博物館は同歴史書の記述を無視して同名称を古代史から抹消した。

阿見町の予科練平和記念館 《日本一の湖のほとりにある街の話》12

【コラム・若田部哲】終戦直前の1945年6月10日。この日は、阿見・土浦にとって決して忘れてはならない一日となりました。当時、阿見は霞ヶ浦海軍航空隊を有する軍事上の一大重要拠点でした。そのため、B29による大規模爆撃を受けることとなったのです。当時の様子は、阿見町は予科練平和記念館の展示「窮迫(きゅうはく)」にて、関係者の方々の証言と、再現映像で見ることができます。今回はこの「阿見大空襲」について、同館学芸員の山下さんにお話を伺いました。 折悪くその日は日曜日であったため面会人も多く、賑わいを見せていたそうです。そして午前8時頃。グアム及びテニアン島から、推計約360トンに及ぶ250キロ爆弾を搭載した、空が暗くなるほどのB29の大編隊が飛来し、広大な基地は赤く燃え上がったと言います。付近の防空壕(ごう)に退避した予科練生も、爆発により壕ごと生き埋めとなりました。 負傷者・死亡者は、家の戸板を担架代わりに、土浦市の土浦海軍航空隊適性部(現在の土浦第三高等学校の場所)へと運ばれました。4人組で1人の負傷者を運んだそうですが、ともに修練に明け暮れた仲間を戸板で運ぶ少年たちの胸中はいかばかりだったかと思うと、言葉もありません。負傷者のあまりの多さに、近隣の家々の戸板はほとんど無くなってしまったほどだそうです。 展示での証言は酸鼻を極めます。当時予科練生だった男性は「友人が吹き飛ばされ、ヘルメットが脱げているように見えたが、それは飛び出てしまった脳だった。こぼれてしまった脳を戻してあげたら、何とかなるんじゃないか。そう思って唯々その脳を手で拾い上げ頭蓋に戻した」と語ります。また土浦海軍航空隊で看護婦をしていた女性は「尻が無くなった人。足がもげた人。頭だけの遺体。頭の無くなった遺体。そんな惨状が広がっていた」と話します。 累々たる屍と無数の慟哭 この空襲により、予科練生等281人と民間人を合わせて300名以上の方々が命を落とされました。遺体は適性部と、その隣の法泉寺で荼毘(だび)に付されましたが、その数の多さから弔い終わるまで数日間を要したそうです。

牛久沼近くで谷田川越水 つくば市森の里北

台風2号と前線の活発化に伴う2日からの降雨で、つくば市を流れる谷田川は3日昼前、左岸の同市森の里の北側で越水し、隣接の住宅団地、森の里団地内の道路2カ所が冠水した。住宅への床上浸水の被害はないが、床下浸水については調査中という。 つくば市消防本部南消防署によると、3日午前11時42分に消防に通報があり、南消防署と茎崎分署の消防署員約25人と消防団員約35人の計約60人が、堤防脇の浸水した水田の道路脇に約100メートルにわたって土のうを積み、水をせき止めた。一方、越水した水が、隣接の森の里団地に流れ込み、道路2カ所が冠水して通行できなくなった。同日午後5時時点で消防署員による排水作業が続いている。 越水した谷田川の水が流れ込み、冠水した道路から水を排水する消防署員=3日午後4時45分ごろ、つくば市森の里 市は3日午後0時30分、茎崎中とふれあいプラザの2カ所に避難所を開設。計22人が一時避難したが、午後4時以降は全員が帰宅したという。 2日から3日午前10時までに、牛久沼に流入する谷田川の茎崎橋付近で累計251ミリの雨量があり、午前11時に水位が2.50メートルに上昇、午後2時に2.54メートルまで上昇し、その後、水位の上昇は止まっている。 南消防署と茎崎分署は3日午後5時以降も、水位に対する警戒と冠水した道路の排水作業を続けている。

論文もパネルで「CONNECT展」 筑波大芸術系学生らの受賞作集める

筑波大学(つくば市天王台)で芸術を学んだ学生らの作品を展示する「CONNECT(コネクト)展Ⅶ(セブン)」が3日、つくば市二の宮のスタジオ’Sで始まった。2022年度の卒業・修了研究の中から特に優れた作品と論文を展示するもので、今年で7回目の開催。18日まで、筑波大賞と茗渓会賞を受賞した6人の6作品と2人の論文のほか、19人の研究をタペストリー展示で紹介する。 展示の6作品は、芸術賞を受賞した寺田開さんの版画「Viewpoints(ビューポインツ)」、粘辰遠さんの工芸「イージーチェア」、茗渓会賞授賞の夏陸嘉さんの漫画「日曜日食日」など。いずれも筑波大のアートコレクションに新しく収蔵される。芸術賞を受賞した今泉優子さんの修了研究「樹木葬墓地の多角的評価に基づく埋葬空間の可能性に関する研究」は製本された論文とパネル、茗渓会賞を受賞した永井春雅くららさんの卒業研究「生命の種」はパネルのみで展示されている。 スタジオ’S担当コーディネーターの浅野恵さんは「今年は論文のパネル展示が2作品あり見ごたえ、読みごたえがある。版画作品2作品の受賞、漫画の受賞も珍しい。楽しんでいただけるのでは」と来場を呼び掛ける。 筑波大学芸術賞は芸術専門学群の卒業研究と大学院博士前期課程芸術専攻と芸術学学位プログラムの修了研究の中から、特に優れた作品と論文に授与される。また同窓会「茗渓会」が茗渓会賞を授与している。 展覧会は関彰商事と筑波大学芸術系が主催。両者は2016年から連携し「CONNECT- 関(かかわる)・ 繋(つながる)・ 波(はきゅうする)」というコンセプトを掲げ、芸術活動を支援する協働プロジェクトを企画運営している。 (田中めぐみ)