【コラム・川端舞】「自分はどんな人も差別しない」。そう断言できる人はどのくらいいるだろうか。私にはそんな自信はないし、「もしかしたら無意識に誰かを差別しているかもしれない」と自分を省みることができる人間でいたいと思う。

障害者差別をなくすために、障害者と健常者の関係はどうあればいいのか。健常者の立場から差別について考える研修会が、2月上旬、障害者支援団体「つくば自立生活センターほにゃら」の内部職員向けに開催された(2月16日付)。

研修会では、部落差別を中心とした差別問題を研究する、筑波大名誉教授の千本秀樹さん(71)により、部落差別の基本命題が紹介された。これは、かつて、部落差別をなくすことを目指す運動団体「部落解放同盟」が提唱したものだ。

基本命題の1つは、「社会意識としての差別観念」だ。意識的に差別している自覚のない人であっても、部落差別が蔓延(はびこ)っている社会の中で暮らしていると、無意識のうちに「自分は被差別部落出身でなくてよかった」という差別的考えを持たされてしまう。そして、この考え方がさらに被差別部落と一般大衆の距離を広げる。

車椅子利用者を排除するアパート

身近な例で考えてみる。以前、私が別のアパートに引っ越そうと思い、物件探しをしたとき、ほとんどのアパートは外観を見ただけで候補から外れた。不思議なくらい、どのアパートの玄関にも段差がある。アパートを建てた人は、障害者差別をしているつもりは全くないのだろうが、結果として入居者から車いすユーザーを排除してしまっている。

車いすで入れない場所が当然のようにあちこちにある社会では、「歩けない障害者が悪い」「自分は障害者でなくてよかった」と無意識に思わされる。本当は、車いすで生活することを想定していない社会に問題があるのだが。

このような社会に暮らしている私たち一人一人の中に、無意識のうちに障害者差別が芽生えてしまうのは仕方ない。普段は差別される側になることが多い私でも、もしかしたら特定の属性を持つ人たちを無意識に差別しているかもしれない。人間は自分の知っている範囲でしか、物事を考えられないからだ。

「ほにゃら」の研修会で千本さんも言っていたが、自分の中の無意識の差別に気づくためには、様々な立場の人と対話し、もし自分が相手に対し差別的な言動をしてしまった場合は、相手から率直に指摘してもらう。そして、その指摘を素直に受け取り、相手が自分の言動をどう感じたのかを、直接教えてもらう。それを一人一人が繰り返すことでしか、差別はなくならないのではないか。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)