【コラム・斉藤裕之】相変わらず、4時前にすぐ近くの公園に犬のパクと散歩に出る。暖かい秋が終わって、やっと寒くなった夜空は透き通っていて、これを絵に描くとしたら何色を混ぜたらいいのかと考える。
年賀状をやめた。お祭りにカッパやうなぎの山車を作って繰り出すのもやめた。軽トラの荷台で石窯ピザを焼くのもやめた。駅前にイルミネーションを飾るのもやめた。子供や大人に絵を教えるのもやめた。
コロナのことがあったり、少し年をとったという理由もあるのだけれども、それ以上に目に見えない流れというか、いろんなことをやめるべくしてやめたようにも思えてくる。
つまりは、「汝、いらぬことをせずに絵を描くがよし!」という神のご配慮なのかと受け止めることもできたが、結局、「いらぬことをする」ことが絵を描くモチベーションとなっている私にとって、絵だけを描いているほど退屈な日々はない。
閑話休題。他人の絵はできるだけ見ないようにしている。でも、近所でやっている美術展は散歩がてら毎年見に行く。知り合いの絵描きさんも多く出品している美術展で、大きくて力の入った絵が展示してある。経歴も技量もある、それぞれがそれぞれの思いで描いた絵。
翻って、アトリエのテーブルの上には名刺ほどの大きさの絵がいっぱい並んでいる。我ながら、随分ニッチな絵を描くようになってしまったと思う。8月の始めに斜め向かいのお宅からいただいたイチジクを描いた絵や夏の故郷の海の風景。毎年描いているくずの花に今年も挑んでみた。描きかけの観覧車、今年初めて庭に実ったムベの絵…。
暖かい焙煎室に移しましたよ
気が付くと、特に何というわけでもないのにスマホの画面を見るようになってしまった。そろそろSNSもやめようか。
おや、牛久シャトーが新たに発泡酒を出すので、そのラベルデザインを公募しているというページが出てきた。応募する気はもちろんないが、シャトーの日本遺産登録にはカミさんも関わっていたこともあって、ちょっと気になる。だから紙粘土でシャトーをこさえて描くことにした。
後日、描き終わった牛久シャトーの絵をなじみのカフェの壁に架けに行った。「暖かい焙煎室に移しましたよ」。マスターの言葉に促されて焙煎室をのぞくと、カミさんが大切にしていた背丈ほどのコーヒーの木が艶やかな葉をつけて立っていた。
「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水のあらず…」なんて思ったりする人はすごいなあ。私なぞは川を見て釣れる魚がいるかどうかぐらいしか興味ないけど。星を見上げながらそんなことを考える。
パクは毎朝同じところを歩いて、同じ所で用を足し、同じように白くて長い尻尾を振っている。最近、同じ毎日がありがたいと思い始めた。(画家)