金曜日, 1月 9, 2026
ホーム土浦回収量年10トン規模、ボート使い水中清掃も【霞ケ浦 水辺の足跡】下

回収量年10トン規模、ボート使い水中清掃も【霞ケ浦 水辺の足跡】下

地元建設業者が若手を派遣

水辺基盤協会(本部美浦村、吉田幸二理事長)は2005年にNPOとして発足した。試行錯誤を繰り返しながら、春と秋の2回、湖畔でのごみ拾い活動を続け、清掃活動は「53 Pick Up!」の愛称で定着した。現在は約350人の活動参加者以外に、国土交通省や茨城県、沿岸自治体の協力も得られるようになり、湖畔だけでなく水中に没した廃棄物の引き揚げも行われるようになった。

「防塵挺身隊(ぼうじんていしんたい)という、ボートを使った水中清掃が2003年から行われている。長靴、長熊手、水中探査機など、専用の道具を活用することで、従来以上のごみを回収できるようになっている。引き揚げられたごみは陸上班が回収してデータ化も進めている。この機動力によって回収されるごみの量は年間で約10トンに上る。目を見張るのが流域にある地元建設業者のパワー。機材の提供や扱いだけでなく若手社員を自社研修として派遣してくれる。そんな企業が5社参加している」と理事長の吉田さん。

多種多様なごみが回収され、回収量は年間10トンにもなる

好きで拾っているわけじゃない

それでも清掃活動の手が届かない湖畔の堤防などには、まだ空き缶やビニール袋が散見される。一度の清掃の回収量よりも、霞ケ浦流域全体に活動意識が拡大していけば理想だと吉田さんは述べる。

「多くの場合、国がやってくれるだろう、県がなんとかするだろうという住民意識が強かったと思う。頼りきることでは力は発揮できない。逆に、流域の人々が最も手軽にできる環境保全活動がごみ拾いだと思う」

防塵挺身隊には活動規範を示す五カ条の総則があり、この総則に沿えた一説には彼らの本心がうかがえる。

「好きで拾っているわけじゃない。霞ケ浦で楽しい時間を過ごすため、わずかな時間を割いているだけ。議論を否定するわけじゃないが、口角泡を飛ばすよりも、ごみを拾ってストレス飛ばそう」

吉田さんは「皆が頑張った分だけ霞ケ浦がきれいになるし、頑張った分だけ湖沼の生き物たちも元気になるんですよ」と湖畔を眺める。

全国14の河川や湖沼に広がる

霞ケ浦で始まった清掃活動「53 Pick Up!」はその後、全国各地に広がり、愛知県の入鹿池、三重県の長良川下流域、高知県の波介川などで受け継がれ、30回を越えて継続しているという。

吉田さんは「『53 Pick Up!』は10年前から実行委員会を組織して主催しており、全国14の河川や湖沼で活動が繰り広げられている。霞ケ浦では定期的に年2回、防塵挺身隊は6回。台風の直後にも臨時に清掃する場合もある」と述べる。さらに「協会ではこれらを継続するほか、美浦村の清明川河口周辺に整備された植生浄化施設に育つ水生植物を利用した水質浄化試験もこのメンバーや参加者によって進められている」と活動の広がりを話す。

美浦村にある植生護岸と浄化水路

水質浄化実験には清明川から引き込む水路が活用されており、吉田代表は「水路の利用可能性として子供向けの自然観察会や釣り教室、水難事故の危険を知ってもらうための学習会などに拡張させたい」と話す。

節目の年

「滋賀県が提唱し実現した『世界の湖沼環境の保全に関する国際会議』(1984年)から今年は40年になる。これが世界湖沼会議に発展して、霞ケ浦では1995年と2018年に二度、湖沼会議が開かれた。何事も継続は力なり、明確な目的を持つ活動は、祭りの神輿のように長い時代を伝え続けられると考えている。バス釣りという遊び場を守るためには、実に単純で明快に、自ら動かなければいけないと思った」

吉田さんの言葉は楽しげに響くが、苦労と努力の足跡でもある。2025年は霞ケ浦で最初の世界湖沼会議が開かれて30年になる。水辺基盤協会もNPO発足から20年という節目を迎える。どこへ向けて足跡を残すか尋ねてみると「いろいろな話題や提案が話し合われているが、NPOだけで実現できるものでもなく…」と、苦笑いが返ってきた。(鴨志田隆之)

終わり

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