土曜日, 4月 12, 2025
ホームつくば母の流した涙を次の世代に味わわせてはならない【語り継ぐ 戦後79年】6

母の流した涙を次の世代に味わわせてはならない【語り継ぐ 戦後79年】6

つくば市 稲葉教子(きょうこ)さん

つくば市の稲葉教子さん(73)さんは子どもの頃、いろいろな時々に母親から戦争の話を聞いて育った。「今73歳になって、母の流した涙を次の人たちに伝えておきたい、息子や孫に絶対に味わわせてはならない」と今年5月から、所属する市民団体の会報に両親の戦争体験をつづり始めた。

教子さんの母親は、1925(大正14)年埼玉県深谷市生まれ。戦争で2人の夫を亡くし、家を守るため3度結婚した。最初の嫁ぎ先は岡部村(現在は深谷市)の農家。山林を開墾した農家で、暮らしは楽ではなく、夏の間は蚕を飼って生活を支えた。青年団の活動で最初の夫と知り合い、当時は珍しい恋愛結婚だった。次の年、教子さんの兄になる長男が生まれ、夫と息子、夫の両親に囲まれ、母にとっては貧しくても一番幸せな時だったのではないかと思う。

抱いて寝たら骨が暖かかった

2、3年経って最初の夫が出征し、ある日突然、戦死したという知らせが届いた。夫の両親は茫然として涙も出なかった。その後、戦友が訪ねてきて、遺骨と遺品をもってきてくれた。遺品は血染めの便せんで、最期の様子も話してくれた。

母は血染めの便せんを、たんすの一番奥の下着の下にしまっていた。年末の大掃除の時、子どもだった教子さんが茶色くなった紙を見つけた。何か母の秘密のものなのではないかと、恐る恐る「母ちゃん、これなあに」と聞くと、母親が「それはね、母ちゃんが前のだんな様と結婚していた時、その人が戦争に行って、母ちゃんがその人に書いて送った手紙なんだ」と教えてくれた。

最初の夫は、母の手紙を胸のポケットに入れて出陣、「進め」という合図で進軍し、ちょうど胸に弾が当たって便せんが血で染まったのだと戦友は母に話してくれた。教子さんが小学2、3年生の1960年頃のことで、戦争なんてずっと遠い昔のことだった思っていたが、身近に戦争を感じたという。最初の夫がどこで亡くなったのかは分からない。

遺骨が返ってきた日、母は遺骨を抱いて寝た。「そしたら遺骨が暖かった。骨が『家に帰ってきてうれしいよって言ってるんだなと思った』」と母親は教子さんに語った。

夫が亡くなったので、息子を連れて実家に戻りたいと母が義理の両親に言うと、両親から「今実家に戻られたら家が絶えてしまう、何とかして家を継いでほしい」と言われた。義理の母親がかわいがっていた甥っ子を婿に迎えるので、どうにかして家に残ってほしい」と説得された。

2度目の結婚をしたが、太平洋戦争末期で2番目の夫も間もなく招集され、何カ月もしないうちに戦死の報が届いた。南方洋上で船に乗っている時に爆撃を受けて沈んだらしく、遺骨も遺品も無かった。

同じころ母の実家からは、2人の兄が亡くなり、目の不自由なおばあちゃんがいるので何としても戻ってほしいと言われた。しかし義理の両親が今度は、母を養女にしてお婿さんをとるから何とか残ってくれないかと畳に額をこすらんばかりにして頼み、母親は3度目の結婚を承諾した。

軍隊のお下がりを嫁にした

3人目の夫が教子さんの父親で、子供の頃、肺結核を患っていた。なかなか治らず、ある日医者に連れて行かれたら、これで殺せと毒薬を渡されたという。家族はいくらなんでも毒薬を飲ませることができず、寺のお坊さんに相談したところ「俺が面倒を見るから俺に渡せ」と言われ、寺にもらわれた。肺結核を患っていたから兵隊の検査でも甲種合格にはならなかった。

3番目の夫は結婚初夜、母に対し「俺は軍隊のお下がりを嫁にした」と言ったと、母から聞いた。教子さんはその話を聞いた時、子供ながら「母は好んで寡婦になったわけではない。これから妻になって一緒に生きていく人にそういうことを言うなんて、なんてひどい父なんだろうと思った」という。

一方で、父について「あの頃、肺結核で兵隊にもなれない、そういう奴はお荷物だから早く死んだ方がいいと言われ、父は軍隊と兵隊が大嫌いだったんだと思う。父には父なりの、そういう経験が影響していたんだと思う」と教子さん。

教子さんの父親は生前「戦争ってのはな、絶対やっちゃいけねえんだ」とよく口にしていた。父を看取り、82歳で亡くなった母は「戦争はしてはならない」と父のようには言わなかったが、淡々と話す母の人生の物語から、戦争をするとこうなるんだよと言っているような気がした。

教子さんは「母や父の人生をみると、戦争はどこか遠くで起きるようなことではなく、愛する人たちが不幸になっていくこと、だれが犠牲者になるか分からず、皆が不幸になることだと思う」と話し、「第2次大戦では、戦争が始まってからでは反対できなかったことを国民は知っているはずなのに、このころ忘れてしまっていると思う」という。(鈴木宏子)

終わり

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

残念だった県教育長の3月議会答弁《竹林亭日乗》27

【コラム・片岡英明】3月18日、茨城県議会の予算特別委員会で、山本美和議員(つくば市区)の県立高校定員に関する質問の様子を中継で見た(現在も視聴可)。 2022年11月議会で、当時の森作教育長が「進路選択に影響が出ないように県立高の募集定員の計画を示す」と答弁。その後、牛久栄進高の学級増、筑波高の進学クラス設置、つくばサイエンス高の普通科設置などの改善があったので、3月議会での県側答弁に期待していた。 つくば市の高校の特殊性 柳橋教育長はこの中で、①2019年改革プラン策定以降、県内各エリアの生徒数に応じて県立高募集定員の調整を行う方針である、②つくばエリアでは生徒数が増加する-この基本点を説明した。 また、つくば市からの入学者が多い土浦・牛久・下妻を加えた「拡大つくばエリア」で考えた場合、定員増は必要ないとも答弁した。つくばエリアは生徒増が見込まれるのに、エリアでの定員増は必要ないとの言葉は残念であった。山本県議の質問の背景には子どもたちの願いがある。その声に耳を傾けてほしかった。 なぜ、つくば市の多くの生徒がエリア外の隣接3市に通学するのか? つくば市内に県立高が少ないからである。今でも8学級募集の並木高(今は中高一貫)があれば、これほどの問題にはなっていない。TX開通によって生徒が増えたことで問題が顕在化した。 「拡大つくばエリア」という飛躍 柳橋教育長による説明の組み立ても気になった。まず、つくばエリアの生徒増を語り、次に「つくば市」のつくばエリア外への通学状況を説明し、そこから「拡大つくばエリア」の設定へと飛躍した。 「つくば市」を語るのであれば、構造的に県立高が不足しているつくば市の必要学級数(県平均水準)を計算してほしい。県立高を2校新設する必要性が判明する。 さらに、「拡大つくばエリア」を設定するのであれば、県全体の12エリアについても再試算する必要がある。私たちの会の試算では「土浦を除いた元の土浦エリア」で、新たに定員不足が発生する。 生徒が増えているつくばエリアに、生徒が減っている隣接3市を加え、「学級増必要なし」との試算には疑問がある。私たちは計算ではなく、現実から出発している。これからも、つくばエリアの受験生の願いを教育長に届けたい。 地域にとって魅力ある県立高を 生徒が増えるつくばエリアに学級増は必要ないと、ブランコで言えば「いったん限界まで振り切った」答弁は我々を驚かせたが、これはつくばエリアの定員を考える契機にもなった。 現状は、TX沿線に県立高新設が必要なのは明らかである。受験生の小さな声に耳を傾けると、振り切ったブランコはしかるべきところに落ち着くような気がする。 多くの生徒の関心は、募集定員だけではなく、各県立高の魅力や通学方法にも広がっている。県教育庁は、つくばの定員問題を早期に解決して、地域にとっての魅力ある県立高づくりに力を注いでほしい。(元高校教員、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

協議会スタート 洞峰公園の管理・運営方針など提言へ つくば市

2024年2月、県からつくば市に無償譲渡された洞峰公園(つくば市二の宮、約20ヘクタール)の今後の管理・運営方針などを市に提言する同市の「洞峰公園管理・運営協議会」(委員長・藤田直子筑波大芸術系環境デザイン領域教授)が11日スタートした。同日、第1回協議会が市役所で開かれ、昨年6月に同公園で開催した市営化スターティングイベントのような協議会のスターティングイベントを、今年6月ごろに開催することなどを決めた。 当初予定より1年遅れの設置となった(1月3日付)。委員は16人で、生物多様性や環境教育、まちづくりなどの学識経験者5人、洞峰公園などで活動する住民団体の関係者2人、公園を管理する委託事業者1人、造園会社の団体関係者1人、県と市の行政関係者7人で構成する。委員の任期は2年。 都市公園法の規定に基づき公園利用者の利便の向上を図るため必要な協議を行う協議会で、同公園の生物多様性の保全方針、公園施設の維持管理と更新方針、公園施設の運営方針などを、市長に随時、提言する。 協議会の組織の構成は、16人の委員による「委員会」と、公募市民がテーマごとに各テーブルに分かれて意見を出し合う「分科会」の2層構造となり、分科会で出た市民の意見をもとに委員会が協議して市長に提言する。 分科会は①生態系保全など「環境」②施設の維持管理と更新など「施設管理・運営」➂子育てと子どもの遊び場など「教育」の3つの分科会をつくる案が事務局案として出されている。6月ごろのイベント開催後、各分科会ごとに市民の公募を開始する予定で、応募があった市内外の市民全員が参加できるようにする。 分科会の運営方法は、テーマ別に市民が各テーブルに分かれて意見を出し合う。各テーブルでは筑波大の学生が司会者役となるほか、学識経験者の協議会委員1~2人が各分科会全体のまとめ役となる。今年度のスケジュールは、各分科会をそれぞれ1回、計3回程度開催する予定だ。 議会の2025年度予算は委員の謝礼などが計240万円。一方、分科会に応募する市民には無償で参加してもらう。 11日の協議会では併せて、公募で参加する市民が分科会に参加できなくなった場合などに意見を書き込める場などとして、筑波大発ベンチャー企業が開発した意見交換プラットフォームを活用することなども報告された。 協議会の設置に向けては昨年3月に、市長や議会議員、学識経験者など9人による準備会を設置して、3月、4月、12月の計3回準備会を開き、協議会の組織や運営方法などについて非公開で協議してきた。 市が県から洞峰公園の無償譲渡を受けるにあたってはこれまで、県が負担していた公園の維持管理費が新たに市の負担になることから維持管理費の負担軽減ほか、体育館・プール、新都市記念館など施設の長寿命化費用の負担軽減などが、市議会や市民説明会などで指摘されてきた。(鈴木宏子)

霞ケ浦用水のパイプラインはずれ水が流出 川の土手が一部崩落 つくば市北条

市発注の河川改修工事中 つくば市北条、八幡(はちまん)川の川岸で7日午後1時ごろ、工事受注業者が同市発注の河川改修工事を行っていたところ、土の中に埋まっていた霞ケ浦用水の農業用パイプラインの接続部分がはずれ、パイプラインの中にたまっていた水が流出して、川の土手の斜面の一部が長さ約10メートル、高さ3~4メートルにわたって崩落した。9日、同市が発表した。 霞ケ浦用水は霞ケ浦から水を取水し、農業用水などを県南西に供給している。事故があったパイプラインは霞ケ浦用水土地改良区が管理し、筑波土地改良区が用水を利用して、同市北条と小田地区に農業用水を供給している。事故時は田植え前だったため水は供給されておらず、今月21日から田んぼに水を張るため通水する予定だった。現場では9日からパイプラインの復旧工事が始まり、21日の通水開始までには復旧する見込みという。 八幡川は桜川の支流。市道路整備課によると、八幡川では昨年9月から今年6月までの工期で、川の氾濫を防ぐため川幅を広げる工事を行っていた。7日は同市北条、大池公園野球場近くの右岸で、川の土手の土を斜めに削ってコンクリートブロックを敷設する工事を行っていたところ、川岸の土手の土の中に埋まっていた霞ケ浦用水のパイプラインの接続部分がはずれ、水が流出した。流出した水の量は不明。 埋設されているパイプライン近くの土を削ったことから、パイプラインにかかっていた土の圧力が減り、接続部分がはずれたとみられるという。パイプラインの埋設位置について市と工事業者はあらかじめ把握しており、市は、なぜはずれたのかについて原因を調べるとしている。川の改修工事の再開は現時点で未定という。 崩落した八幡川の土手に隣接している大池公園野球場について、市は7日から、野球場の利用を制限している。安全が確認され次第、早急に利用を再開できるようにする。 再発防止策として市は、市と受注業者の双方で周辺状況を把握し安全管理を徹底した上で、施工にあたっては細心の注意を払って作業を進めるとし、市発注工事を受注している全業者に注意喚起を徹底するとしている。

湖岸線日本一 霞ケ浦沿岸15市町村の魅力を一堂に 土浦市職員がイラスト展

若田部哲さん 土浦市職員、若田部哲さん(49)のイラスト展「日本一の湖の ほとりにある 街の話」が8日から、土浦駅前の土浦市民ギャラリーで開かれている。土浦市やつくば市など湖岸線の長さ日本一の霞ケ浦沿岸と筑波山周辺15市町村の名所や特産品、祭りなど地域の魅力を、計150点のイラストで紹介している。 若田部さんはNEWSつくばのコラム欄で2022年7月から毎月1回、「日本一の湖のほとりにある街の話」と題して、霞ケ浦沿岸地域の魅力をイラストと記事で紹介し今年3月までに計32回連載している。今回はNEWSつくばに掲載されたイラストも含め一堂に展示している。 展示作品は、稲敷市の大杉神社、阿見町の予科練平和記念館、つくば市のペデストリアンデッキ(遊歩道)など。大杉神社はかつて、巨大な杉の木が霞ケ浦のどこからでも見えて航路標識の役割を果たしたと言われていることから、空を覆うように杉の木を描いている。予科練は「戦争を経験した方々がおり、今という平和な時代がある」という同館学芸員の言葉をイラストに添えている。ペデストリアンデッキは松見公園、つくばセンタービル、洞峰公園それぞれの風景を描いている。大学時代に都市計画を学んだ経験からペデストリアンデッキは、「歩く」という人間の基本的な行為を安全に楽しめて人と人が交わるところという思いを込めている。 休日などに土浦市内や霞ケ浦周辺を巡り、実際に足を運んで、現地で話を聞いて感じた魅力を、各市町村それぞれ10点ずつ紹介している。いずれも色鮮やかな版画のような作品で、現地で撮った写真をもとに手描きで輪郭線を描き、パソコンに取り込んで着色している。イラストの大きさはいずれも縦横18センチ×27センチ、色合いはグレーをベースに、いずれも2色の濃淡で表現している。グレーは全作品に統一して用い、15市町村のつながりを感じられるようになっている。 若田部さんは筑波大大学院芸術研究科修了後、建築設計事務所に勤務し、2009年に土浦市職員になった。これまで土浦市内の昭和レトロな老舗を紹介するイラストと記事を常陽新聞(2017年に休刊)に連載などしてきた。霞ケ浦沿岸地域に着目したのは2017年に滋賀県の琵琶湖のほとりで開催された全国市町村職員研修会に参加したことがきっかけ。各地の自治体職員に霞ケ浦を紹介したところ、琵琶湖に次いで2番目の大きさなのに霞ケ浦を知らない職員が多かった。アピールするなら日本一のものと考え、霞ケ浦の湖岸線の長さが日本一であることから「日本一の湖のほとりにある街の話」と題するホームページを2019年に開設した。すでに300点以上のイラストを描き、発信している。 若田部さんは「自身が住む街を振り返ることはなかなかなかったり、見過ごしている場所もあると思うので、こんな場所があるということをご覧いただければ」と話し、「イラストで巡る霞ケ浦、筑波山の旅という展示なので、改めて行ってみたいというところがあったらぜひ実際に訪れていただければ」と語る。(鈴木宏子) ◆イラスト展「日本一の湖の ほとりにある 街の話」は8日(火)~20日(日)、土浦市大和町1-1 アルカス土浦1階 土浦市民ギャラリーで開催。入場無料。若田部さんのホームぺージはこちら。NEWSつくばのコラムはこちら。