火曜日, 9月 17, 2024
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大東亜共栄圏信じ、国を守りアジアのためという気持ちだった【語り継ぐ 戦後79年】2

つくば市 木村嘉一郎さん

つくば市臼井に住む木村嘉一郎さん(95)は太平洋戦争末期の1944年、東京陸軍少年飛行兵学校の第19期生となった。日本を中心にしてアジアの国々が栄える大東亜共栄圏の構想を強く信じて、この戦争は日本の国を守ると同時にアジアのためという気持ちだったので、兵隊に行くことは当然の義務だと思っていたという。

13歳の時に乙種海軍飛行予科練習生を受験、目の検査で不合格となり悔しい思いをしていたので、兵学校に入ったことは誇りだった。戦争で死ぬという感覚はなかった。

入校後は学業や鍛錬に厳しい生活を送ったが、比較的楽しい生活だったと振り返る。

学校でのスケジュールは朝5時30分に起床し点呼と体操と掃除。6時40分 朝食をとり自習。8時 服装検査。8時15分 学科教育。12時 昼食。13時 術科教育。15時15分 運動。17時 入浴と夕食。18時30分 自習。21時 点呼。21時30分 消灯というものだった。生徒は、軍人の身分である兵籍に編入され、木村さんは月給として5円50銭の支給を受けていた。

ほとんど外出がなかったので戦況も世界情勢も全くわからず、上官にあたる中隊長が話をするぐらいだった。そんな中でも1945年3月10日の東京大空襲や、戦闘機のエンジンをつくっていた三鷹の中島飛行機武蔵製作所が米爆撃機B29の標的になったことなどは耳に入ってきた。

8月15日、突然の玉音放送を全校生徒で聞くことになる。内容は分からなかったが、戦争が終わったことだけは理解できた。内務班に戻り上官の話で、ポツダム宣言を受諾し全面降伏をしたことを知った。自分のことよりも、国家は、日本は、どうなるのかという人が多く、個人のことを話す人は少なかった。

1週間で世界は変わった

8月21日、学校は解散となり、実家に帰ることになった。10カ月ぶりに戻り安堵もあったが、今後の見通しも立たず仕事もできず、ただ呆然(ぼうぜん)と日々を送っていた。地区内では35人が兵隊に行き、13人の戦没者があった。満州に行って行方不明の者もいた。

木村さんの住む六所地区(つくば市臼井)でも戦争中、山林に戦闘機が落ちる事件があった。地元の大人たちは米軍が落ちたのかと思い、竹やりをもって落ちた場所に向かったが、日本兵だったので皆で助けたという話を聞いた。

終戦を迎えて8日目の23日の夜、神社の境内で盆踊りをすることになったので見に出掛けた。よその集落の人も加わり、盛大に行われ、明るく楽しそうな様子だった。木村さんは「わずか1週間で状況は変わったのか」と信じがたかった。

「身内に不幸があった状況なら、まったく気に留めず、こんなに楽しんでいいのだろうか。この人たちはどんな気持ちで戦争を考えていたのか」と思ったが、人々のこの姿は、今日を強く生きるという現れだったと解釈した。

当時の農村は、自分の家に本などはなく、新聞を購読している人も少なかったので、社会情勢をあまり知らなかった。「敗戦の打撃は年長で教養ある者ほど大きく、若い人たちは早く新しい時代の流れに乗ることができたのだと思う」と語る。

木村さんは戦後、地域のリーダーとして10年もの間、区長を務めた。60を過ぎて独学で地域の歴史の勉強を始め、今もノートに記録を続けている。毎年、木村さんの研究や歴史の話を聞きたいと、地区の人や話を聞きつけた人が集まってくる。

地元の六所児童館で開かれた歴史勉強会。木村さんの話を聞きに地元の人たちが集まる

木村さんは「今なお、世界中で戦争の話を聞く。戦争の記憶のある者がその実情を若い世代に伝えていく必要がある」と話す。(榎田智司)

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