火曜日, 2月 3, 2026
ホームコラム明秀日立が快挙 県南勢どう立ち向かうか注目

明秀日立が快挙 県南勢どう立ち向かうか注目

【コラム・伊達康】第90回センバツ甲子園は大阪桐蔭が史上3校目となるセンバツ連覇を達成して閉幕した。茨城の明秀学園日立は、1回戦の瀬戸内戦で9回に劇的な逆転勝利を収めると、2回戦の高知戦では10対1と大勝。初出場ながら2勝を挙げる躍進を見せた。

3回戦では優勝した大阪桐蔭を相手に8回まで2安打に抑えられ三塁すら踏めない苦しい展開だったが9回にエース細川拓哉の左中間ホームランで1点を返し4点差とすると、二死満塁でこの日2安打と当たっている4番・芳賀大成までつないだ。結果は空振り三振で5対1と3回戦敗退となったものの、王者を相手に最後まで目が離せない粘りを見せてくれた。この大舞台での敗戦を機に夏にはさらにとてつもないチームに仕上げて来るに違いない。

「大阪出身」強調に違和感

明秀学園日立の試合がテレビで中継される際、チーム紹介や選手紹介で実況が頻繁に発したのが「大阪出身」という言葉だ。チームは監督の金沢成奉氏(大阪・桜宮―東北福祉大)をはじめ、関西圏出身の選手が多数を占める。ベンチ入りメンバー18人のうち、茨城出身選手はエース細川(北茨城市出身)と代打の切り札である佐伯尚吾(桜川市出身)の2人だけで後の16人は関西圏を筆頭に福島、宮城、東京など県外出身だ。確かに特徴のあるメンバー構成ではあるのだが、果たして「大阪出身」や「県外出身」と繰り返し紹介する必要があっただろうか。

1980年夏、江戸川学園取手が東京、千葉、愛知、静岡のリトルシニアやポニーリーグの有名選手を片っ端から100人スカウトして部員120人の大所帯を築き、そこから選び抜かれたベンチ入りメンバー17人のうち16人が県外出身者という構成で、学校創設からわずか3年目で甲子園出場を果たした。当時のいはらき新聞(現在の茨城新聞)『白球の詩』のコーナーに「”外人部隊”で構成される江戸川学園はその在り方をめぐって本県高校野球界に一石を投じている」という記述があった。当時はまだメンバーを県外出身者で固めることが珍しく、県外出身者が茨城の看板を背負って甲子園に出場することに高校野球関係者のみならずファンからも反発や疑問が噴出したようだ。

しかし、それから38年が経過した今日、私立高校で県外出身者がスタメンに名を連ねること自体は取り立てて珍しいことではない。現に県内において、昨秋の茨城準決勝で対戦した常総学院はスタメン9人中3人が県外出身者であるし、決勝で戦った霞ケ浦に至ってはスタメン9人中7人が県外出身者だ。さらに土浦日大は東京や千葉から、つくば秀英は栃木や東京から、鹿島学園に至っては神奈川や台湾から選手を集めている。関西出身であっても隣県であっても県外であることには変わりない。

金沢監督が大阪出身ということもあり、関西圏の中学年代にスカウティングネットワークがあるからこそ関西圏から選手を集めているのであって、東京や神奈川、千葉などの関東圏から選手を集めていている私学とはエリアを異にしているだけではないか。取り立てて大阪(関西)を強調する必要はない。むしろ、過去に甲子園出場の実績がない明秀学園日立に、まだ15歳の少年が「一旗上げてやろう」とはるばる大阪(関西)からやって来ているのだからその決意たるや一通りではない。親としても、練習試合や公式戦を観戦することができない地に相当な覚悟を持って我が子を送り出したはずだ。

小中学生球児に衝撃

茨城県勢として常総学院を除いた春と夏の甲子園での勝利は、2005年夏の藤代(対福岡・柳川)の勝利以来、実に13年ぶりのことであった。初出場にして初勝利、さらに2勝の快挙を成し遂げた明秀学園日立の甲子園での躍動ぶりは、今の小学生や中学生の球児に衝撃を与えたに違いない。今後はより多くの中学生から希望進路として名前を挙げられるようになるだろう。東海大相模や浦和学院や明徳義塾のように、全国的に知名度の高い強豪校となった時、「大阪出身」「県外出身」という線引きがちっぽけなものとしてあえて紹介されなくなるのかもしれない。その次元にまで明秀学園日立は躍進できるのだろうか。常総学院をはじめ県南の有力校がそのプロセスに対してどう立ち向かうのか注目だ。茨城の高校野球はますます面白い。

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掛け声は「福は外」 土浦 瀧泉寺で七福神らが豆まき

開山620年 本堂に場所移し 節分を前に、土浦市中心市街地にある瀧泉寺(りゅうせんじ、中央2丁目)で1日、節分会追儺式七福神豆まきが行われた。毎年2月3日に近くの中城不動院(中央1丁目)を会場に豆まきを行っているが、今年は開山620年祭として本堂境内へ場所を移した。掛け声は「福は外」で、これは「お寺には鬼はおらず、お寺の福を皆さんにお分けする」という意味だそうだ。 「当寺が620年間も時代を乗り越えて続いてこられたのは、支えてくださった檀家さんらいろんな方々のおかげ。お礼の意味で皆さんに福をお授けしようと、例年より内容もさらに盛大に開催した」と住職の齊藤純英さん。 午後3時から節分会追儺式の法要が行われた後、いよいよ年男らが本堂前の特設舞台に登場。安藤真理子市長や下村壽郎市議らによる七福神のほか、乙姫に扮した高橋直子県議と、市非公認キャラクターのキララちゃんも加えた九福神が、集まった善男善女に向けて福豆や紅白のもち、菓子、おひねりなどを投じた。 参加者の一人、阿見町から来た佐藤しをりさん(45)は「例年の不動院の豆まきもこじんまりとして楽しいが、ここでは広々とできてよかった」と感想。授かった福餅は来年受験を控える娘のために持ち帰り、家できなこ餅にして食べるそうだ。ほかにも伊東大翔ちゃん(5)は「いっぱい拾えて楽しかった」、梶原杏那さん(7)は「ちょっと怖かったけど楽しかった」などと話していた。 かつて土浦城の祈願寺 瀧泉寺は同寺は土浦市街部の中では最古級の寺の一つ。1406(応永13)年の開山で、大岩田法泉寺の興誉上人が開いた。法泉寺は当時、小田領4カ寺の一つとして隆盛を誇った。 最初に瀧泉寺があった場所は勝軍木(ぬるで)郭(旧鷹匠町、現中央2丁目)といい、亀城タクシーの裏手のあたりだったらしい。1605(慶長10)年あるいは1619(元和5)年に、土浦藩主により現在地(筑波銀行本店裏)へ移された。寺嶋誠斎「土浦史備考」は元和5年説で罹災が原因という。 1691(元禄4)年に時の藩主・土屋政直が同寺を土浦城の祈願寺と定め、以降は年2回、城内の守護繁栄と歴代城主の供養のため、住職が登城して護摩祈祷をするなど深く関わった。本尊は十一面観音菩薩坐像で市指定文化財、頭部は南北朝~室町初期の作とされる。本堂前にある樹高9メートルのクロガネモチも市指定名木に指定されている。(池田充雄)