木曜日, 5月 9, 2024
ホームコラムいい日旅立ち《続・平熱日記》154

いい日旅立ち《続・平熱日記》154

【コラム・斉藤裕之】宇部の個展に向けてのロングドライブ。いつもパクを預かってくれるマヨねえこと小山さんは「1カ月でも預かるよ」と言ってくれたが、山口で義妹のユキちゃんもパクを待ってくれていることだし。何も好き好んで千キロの道のりを犬と絵を積んで軽自動車で走らずともと思うのだが…。

とにかく無理せず安全運転。しかしなにせ長丁場なので、飽きない工夫が必要なのだけれども空いているのは耳ぐらい。普段はラジオ派、というよりも特に好んで音楽を聴く習慣もないのだけれど、高速道路でそれまで聴いていたラジオ局の電波が届かなくなるという厄介なこともあって、改めてCDの良さに気付いたのだ。

例えばCD1枚で1時間、約百キロは退屈しないで走れる。ところが世の中はサブスクやブルートゥースの時代になっているし、私の家にはろくにCDがない。

キーボードプレイヤーとしてバンドをやっている友人のマサシさん。銀行員の彼は私より一回りほど若い。先日はライブに招待されて、50年代から90年代までの洋楽を中心に楽しませてもらった。そうだ!彼にCDを借りよう。

「じょうばん せーん!」

ところで長女の子供、つまり孫が3才近くになって2人で出かけることになった。というのも、2人目ができたので長女は少しでも体を休めたいから上の子の面倒を見てくれというのだ。生まれた時からしばらくはうちにいたし、それからも割と頻繁にうちに来ているので孫とは仲良しであるから、ふたりきりで出かけることに不安はない。

目指すは常磐線。そう、孫は電車が好きなのだ。「じょうばん せーん!」と繰り返しながら、楽しそうに駅のホームに到着。踏切を通過する度に喜び、さてどこまで行こうかと思ったが、その日は鉄橋を渡って我孫子で下車。それから、別の日には土浦までの旅を楽しんだ。

さてパクと山口に出発だ!

後日、快くCDを持ってきてくれたマサシさんとそんな話をした。というのも…彼の息子さんは以前私の家に絵を描きに来ていて、まだ学校に上がる前だったか、どうやら電車が好きだというので、とりあえず電車ばかり描かせた。家にあった子供百科事典の「でんしゃ」の項目数ページは切り取られ彼専用の見本となった。で、なんと息子さんはこの春JR西日本への就職が決まったというではないか。

JRといえば、CMにも使われた「いい日旅立ち」という歌がある。私が高校を卒業するころに流行(はや)った曲だ。なぜだか家に百恵ちゃんのレコードがあって聴いていた思い出がある。昨年まで新幹線の中で流れていたのも記憶に新しい。

さてパクと山口に出発だ! 「いい日旅立ち」になりますように! マサシさんのCDからどんな曲が流れてくるか楽しみだ。(画家)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

追悼 戸田広さん 霞ケ浦帆引き網漁の保存活動に尽力

霞ケ浦の伝統的な漁法である帆引き網漁を観光資源として継承し、後世に残したいと保存活動を続けていた戸田広さんが、4月15日に亡くなった。90歳だった。2001年から操船技術の継承と観光帆引き船の運航、PRなどに尽力してきた。帆引き網漁の技術は18年、県内初の国選択無形民俗文化財に指定された。告別式は5月11日に行われる。 戸田さんは、つくだ煮を製造・販売する出羽屋(かすみがうら市)の社長で、「霞ケ浦帆引き船・帆引き網漁法保存会」の会長を務めた。出羽屋で霞ケ浦の漁業者と取引していたことから、帆引き船の操業技術を継承する人材を育成する活動を続けた。 同保存会は2014年に設立。前身は「霞ケ浦帆引き船まつり実行委員会」で、かすみがうら市を盛り上げようと01年に発足した。同年にPRのため「帆引き船フォトコンテスト」を企画して以来、毎年継続し、昨年も県内外から400点以上の応募がある人気コンテストとなっている。観光帆引き船は現在、土浦、かすみがうら、行方の3市により毎年夏から秋に運航されている。 戸田さんは観光としてだけではなく、100年後も生業となる帆引き網漁を残したいとし、亡くなる直前まで精力的に活動した。同保存会事務局長の武田芳樹さん(74)は「何を提案しても『いいよ』と言って受け止めてくれる人だった。いつも前向きで、いろいろなアイデアを持っていた」と、大らかな人柄をしのぶ。帆引き網漁で捕獲した魚のブランド化も発案。引く力が強く、魚を網に押し込んでしまうトロール漁とは異なり、帆引き網漁は風の力を使って柔らかく網を引くため、魚に傷が付かないことから、帆引き網漁で捕れた魚に新たな商品価値を見出していた。保存会では戸田さんの遺志を継ぎ、帆引き船漁法の操船継承を推進する活動を続けていくという。 白く大きな帆を張り、横滑りしながら漁をする帆引き船は、夏から秋にかけて霞ヶ浦の風物詩となっている。1880年(明治13年)、漁師の折本良平氏によってシラウオ漁を目的に考案されたと言われ、約90年間、霞ケ浦のシラウオやワカサギ漁の主役として操業した。帆の大きさは高さ9メートル、幅16メートルにもなる。霞ケ浦の周囲には遮る山などがなく、四季を通して風が吹くため、風の力を利用する大きな帆の船が考え出され、独特の操業法が継承されてきた。 1963年に常陸川水門(逆水門)が完成し、漁獲量減少を心配していた漁業者への補償として、67年にトロール漁が解禁されると、帆引き船はいったん姿を消した。しかし復活を願う人々の声を受け71年、出島村(現かすみがうら市)が観光帆引き船として復活させた。現在はかすみがうら、土浦、行方3市の各保存会により帆引き網漁の継承が図られ6隻が運航している。(田中めぐみ) ◆通夜は10日(金)午後6時から、告別式は11日(土)午後1時から、いずれもかすみがうら市加茂5319-6 トモエホールで行われる。

香取市の「伊能忠敬記念館」《日本一の湖のほとりにある街の話》23

【コラム・若田部哲】初めての実測による日本地図「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」、通称「伊能図」を作った香取市の偉人・伊能忠敬(いのう ただたか)。今回は、忠敬の人生の結晶である伊能図のほか、測量で用いられた様々な器具や記録などを紹介している「伊能忠敬記念館」のご紹介です。同館学芸員の石井さんに、忠敬の人生と展示についてお話を伺いました。 入館するとまず目に入るのが、一定時間で2つの日本地図が切り替わって表示されている縦3.5メートル×横約4.5メートルの巨大なモニター。表示されているのは伊能図と現代のランドサットによる衛星写真であり、それらはほとんど重なり合っています。伊能図が200年以上前の江戸時代に作製されたということに、驚嘆の念を禁じえません。 次に驚くのが、忠敬が地図作りに取り組み始めた年齢です。もともと天文学や算術に強い興味を抱いていた忠敬でしたが、婿養子入りした伊能家を経営しなければなりませんでした。その商才で財産を築き家督を譲り隠居した後、測量に取り組み始めましたが、その時、なんと御年実に55歳! ところで、伊能忠敬というと「初めて日本地図を作った人」というイメージがありますが、最初から日本地図を作ったのではないそうです。その測量人生の最初の目的は、正確な暦を知るために子午線一度の距離を求め、地球の大きさを知ること。この際は江戸から蝦夷(当時の北海道)までを測量しました。 酒を飲まないが測量隊の条件 その後、71歳に至るまで10回にわたり全国を巡ることになりますが、測量は「導線法(どうせんほう)」という技術を基本とし、地図の補正や測点の位置の確認、地図上の山や島などの位置の特定する「交会法(こうかいほう)」という技術もあわせて用いました。それらに加え「象限儀(しょうげんぎ)」で測った星の高度から緯度を求め精度を高めたそうですが、これは地図作製の分野で忠敬が初めて採用した技術だったそうです。 展示されている様々な測量器具も人気とのことで、代表的なものに測量の際の目印となる「梵天(ぼんてん)」、距離を測る「鉄鎖(てっさ)」などがあります。また、忠敬が最も用いた方位を測る「杖先方位盤(わんからしん)」は、常に水平が測れるよう真ちゅう製の万能関節を用い、軸受けには水晶が使われるなど、当時の最先端技術の粋を集めた特別製とのこと。 並べられた数々の資料からも、忠敬の几帳面(きちょうめん)さと厳格さはうかがい知れるところですが、象限儀での天体観測においても、その性質が発揮されているのだそうです。測量中は晴れの晩に正確な観測を行う必要があるため、「酒を飲まないこと」を測量隊の条件としていたにもかかわらず、ある時その禁を破り飲酒騒動を起こした者たちがいました。すると忠敬は、その弟子たちを2名破門、3名謹慎にしたそうです。 人生、何か始めるのに遅いはない 最後に、石井さんに注目すべき点について伺うと、当時としては大変珍しい真鍮を用いた測量器具を用い精度を高めた点や、現代では見られない、星の高度を用いて測量しているという点に、歴史的価値を感じてほしいとのことです。また、ともすれば忠敬個人の才能が語られがちですが、測量隊をまとめる手腕もまた、全国測量を成し遂げるための優れた資質であった点に注目すると、より展示への理解が深まるとのアドバイスをいただきました。 生涯に歩いた距離は実に4万キロ、地球1周分にも及ぶとされる、情熱と信念の人・伊能忠敬。その業績を見るにつけ、人生、何かを始めるのに遅いということはないと、勇気づけられる思いがします。(土浦市職員) <注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。 ➡これまで紹介した場所はこちら

消費生活センターに関わって3年《ハチドリ暮らし》37

【コラム・山口京子】消費生活センターと関わるようになって3年近くたちます。ここは、消費生活全般についての問い合わせや苦情を扱う行政を支援する窓口です。消費者トラブルが起きた場合、事業者と消費者の情報や交渉力の格差を踏まえ、情報提供や交渉に当たって助言などを行います。 他にも、消費者教育、食品ロス削減、エコを意識した暮らし方など、消費者市民社会の構築に取り組んでいます。 消費者とは、生活のほぼ全般について、商品やサービスを購入する者というイメージでしょうか? 以前は「消費者」という言葉を意識することなく、そもそも商品を購入するとはどういうことかも、暮らしについても、しっかり考えたことがありませんでした。 しかし最近になって、「今の暮らし方、ライフスタイルを当たり前だととらえるのは危険かもしれない」と思うようになりました。今の便利な暮らしは、どういう仕組み・前提・条件で成り立っているのか? それらが変更されたり、機能しなくなったときにはどうなるのか? これからの変化は、どういったことが予想されそうか? … 心配性なので不安が募ります。 「根っこ」にある三つの依存症 そして、今の暮らしの「根っこ」には三つの依存症があると感じるようになりました。石油依存、お金依存、電化依存です。 石油に代表される化石燃料に依存して、簡単で便利な社会になったけれど、それらがもたらす副作用というか、外部不経済というか、環境汚染というか―生態系や人体にどう影響を及ぼすのでしょうか? 今はスイッチ一つで電気もガスも水道も至れり尽くせりですが、60年前はそうではありませんでした。自動車運転免許を取得してから、走行した距離と消費したガソリンと排出した二酸化炭素の量はどれくらいなのか? 車を1台作るのに、どのような資源とエネルギーと技術がいるのか? 思いを寄せたこともありませんでした。 これから晴耕雨読でいけたらと… 大半の消費者は働いてお金を得て、そのお金で商品を購入して、生活をやりくりします。実質賃金が下がっている状況で暮らしぶりが厳しくなり、投資やお金もうけの宣伝が目立ちます。経済の金融化が進行する中、製造業や農林水産業など、暮らしの足元を支える産業が危なくなっているのは、大きな問題だと思うのですが…。 暮らしを便利にする電気の力はすごいと感嘆するばかりです。道具が電気やコンピューターとつながって、自動の仕組みがハイスピードで広がり続けています。インターネットがない暮らしは想像できなくなっています。電化とテクノロジーの進化は何にをもたらすのでしょう。 自分のこれからの暮らしは、晴耕雨読でいけたらと願うのですが…。(消費生活アドバイザー)

円安・ドル高と日本銀行《雑記録》59

【コラム・瀧田薫】ここ1年、 極端な円安が続いている。4月29日、ドル・円相場は1ドル=158円をつけた。2023年4月ごろには130円だったから、1年間で30円近い円安・ドル高になったことになる。 この円安、アベノミクスによる円安誘導(日銀による異次元金融緩和)がもたらした結果であることは明らかで、円安自体について驚きはない。ただ世界銀行算定の購買力平価ベースのレートでは、1米ドルはおよそ100円だから、それと比べれば5割以上の行き過ぎた円安であり、国民生活の観点からすれば、到底容認できるものではない。 ところで、日銀はこの3月、黒田元総裁の後を継いだ植田新総裁がマイナス金利政策から離脱し、安倍元首相と黒田氏が主導してきた異次元金融緩和政策に終止符を打った。実に11年ぶりのことである。 ところが、4月26日、この大きな政策変更に付箋が付く。植田氏は記者会見で「足元の円安進行が物価上昇率に大きな影響は与えていない」と言い、「将来無視できない影響が出れば政策判断の材料とする」とした。つまり、異次元金融緩和策からの離脱に際し、急ハンドルは切らない、あるいは切れないという宣言である。 これは事実上、緩和的な金融環境を当面持続するということになるから、投機筋がこれをチャンスとみることは必定である。だが、植田氏はあえてこのリスクを受け入れた。円安是正のためには利上げが必要なことは分かっていても、利上げできない理由がある。 積極的な情報発信を期待 利上げが住宅ローンにどう跳ね返るか、また、長期金利の上昇を抑えるために購入してきた大量の国債にどう影響するか、予断を許さない。つまり、黒田元総裁から受け継いだ負の遺産から離脱する際に伴う、副作用への警戒を優先してのことである。そうなると、円安対策としては為替介入ぐらいしかなくなることになる。 もちろん、為替介入の効果が続くのはごく短期間でしかないし、異常な円安を是正する抜本的な対策からはほど遠いが、投機筋に対して何もしないわけにもいかないということだろう。 とにかく、異次元金融緩和の後始末だけでも大変なのに、超低金利に慣れ切った政府与党は裏金問題で迷走し、首相はほとんどレームダック化している。そんな状況下、植田新総裁には貧乏くじを引いたと後悔している表情はないし愚痴もない。現実を見据え、出来ること、出来ないことをはっきり区別するリアリズムに徹する、芯の強い人物なのだろう。 植田新総裁の就任によって、漂流を続けてきた日銀そして日本経済の先行きにようやく指針めいたものが設定されつつある。今後の日銀には、市場との丁寧な対話や日銀の外から寄せられる提言に対応した積極的な情報発信を期待したい。 それにしても、「異次元緩和の教訓は、金融政策だけで経済を復活させることは難しいという事実だ」という日本経済新聞の社説(3月9日付)が掲載されるまでに、10年以上の年月が必要だったことになる。(茨城キリスト教大学名誉教授)