月曜日, 5月 13, 2024
ホームつくば元校長が個展 震災・コロナ禍経て ふるさとへ「祈りのバトン」 

元校長が個展 震災・コロナ禍経て ふるさとへ「祈りのバトン」 

沼尻正芳さん

筑波山や板橋不動院などをモチーフに描く画家で、元つくばみらい市立伊奈東中学校校長の沼尻正芳さん(73)による個展「ふるさと・祈りのバトン沼尻正芳展」が12日から、県つくば美術館(同市吾妻)で開かれている。学生時代から現在に至るまで、約56年間の主な作品119点を展示する。開幕初日は100人以上の人が訪れ、作品に見入っていた。

コロナ禍をきっかけに連作したという仏像の油彩画は、油彩ならではの陰影でその迫力を捉えながらも、沼尻さんの温かいまなざしを感じる作品群となっている。沼尻さんは「東日本大震災やコロナ禍を経て、自分にはどうしようもないが、なんとか早く収束してほしいという祈りしかなかった。平和、平常を長くつなげていきたいという思いから個展のタイトルを『祈りのバトン』とした」と制作への思いを語る。

筑波山や地元に自生するヤマユリなどを題材とすることについては「ふるさとに育てられたという思いがある。関連するものを描きながら、ふるさとを大事にしたい、愛する思いを描きたいという気持ちがある」と話す。

17歳の自画像も

17歳の時に描いた自画像や武蔵野美術大学時代に卒業制作したスクリーンタペストリーを始め、つくばみらい市出身の江戸時代の探検家、間宮林蔵を描いた80号の油彩画や、同じく80号で冬の筑波山を描いた「雪景色」など、昨年から今年の新作も展示する。

スクリーンタペストリー「光と空間のイメージ」は麻糸と毛糸で鮮やかに幾何学的な模様を織り込んだ作品で初公開となる。ステンドグラスのように光が透過する縦270センチ、横360センチの大作だ。

沼尻さんは、水海道一高の高校生だった時に絵を始めた。理数系クラスに所属していたが、ある日、美術教師に放送で呼び出され、美術部にスカウトされたことをきっかけに絵を始めた。「放送で呼び出されたときは何か悪いことをしたのかなと。行ってみると美術部にスカウトされて、先生がそう言ってくれるのならやってみようと思った」と話す。武蔵野美術大学造形学部に進学し、卒業後は教職に就いて茨城県南の小中学校で美術教諭を務めた。伊奈東中学校校長を最後に退職した。

去年発足した「つくばみらい市美術作家協会」の代表でもある。2018年から19年にはNEWSつくばにコラム「制作ノート」を執筆していた。沼尻さんは「筑波山などを描いているので、地域の人にぜひ見に来てほしい。子どもたちにも見てほしい」と語った。

会場の様子=同

会場を訪れたつくば市在住の鈴木智子さん(37)は沼尻さんの教え子で、中学校で美術部に所属していた。美術部長を務め、美大に進学した。「しばらく絵を描くことからは離れていたが、先生の絵をグループ展で何回か見て描く気持ちに火が付き、最近また描くようになった。この個展をずっと楽しみにしていた」と話し、作品の作り方やモチーフについて熱心に質問していた。

つくば市在住の野本恵美子さん(65)は、木や石で制作した壺や笛を鑑賞し「ユーモラスな作品があり、おもしろい。友人を連れてもう一度見に来ます」と話していた。沼尻さんは、笑顔のように見える装飾の壺や、丸みを帯びた鳥笛などの造形を紹介しながら「本来の自分が表れているのはこういうユーモラスな作品かもしれない」と語る。つくばみらい市立図書館の元館長で美術評論家の秋田信博さんも「邪心とは無縁の、動物愛護への精神が連綿と伝わってくる」と講評を寄せた。(田中めぐみ)

◆「ふるさと・祈りのバトン 沼尻正芳展」は17日(日)まで。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。

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