木曜日, 4月 10, 2025
ホームコラム半導体戦争の主戦場、台湾から日本へ《雑記帳》57

半導体戦争の主戦場、台湾から日本へ《雑記帳》57

【コラム・瀧田薫】2021年秋、台湾積体電路製造(TSMC)が、日本の熊本県に新工場を建設するとの報道発表があった。近年、「半導体」は石油をしのぐ重要戦略物資と化し、同時に米中技術覇権争いの最大・最高の焦点にもなっている。「半導体を制するものは世界を制する」といった言葉さえ耳にする。

そのなかで、TSMCの存在感は急上昇し、すでに世界最大かつ世界最先端の半導体受託製造会社である。そのTSMCがなぜ日本への進出を決めたのか。背景にあるのは、「地政学的要因・経済安保」の問題と「半導体関連技術のトレンド変化」である。

米バイデン政権は22年10月に「BIS(商務省産業安全保障局)輸出管理規則」を打ち出し、最先端半導体はもとより、半導体製造装置などの開発・製造に関連する物品の対中輸出を規制した。同時に、NATO加盟国、日本、韓国、そして台湾に、米国の対中政策への同調を求めた。

一方、これに先立つ20年5月、TSMCは米アリゾナ州に工場を建設することを決定したが、経済紙などは米国の圧力に対するTSMC側の苦渋の決断であると論評した。米中どちらとも友好関係を保ちたいのがTSMCの本音であった。ちなみにTSMCはその後、アリゾナで労働者の確保や地元労働組合との関係に苦しみ、アリゾナ工場での生産の開始は25年前半にずれ込むとのプレス発表である。

TSMCの日本進出については、もちろん「経済安保」も台湾有事に対する備えの問題もあるが、TSMCの側が日本進出に乗り気であった点、米国とは事情が異なる。TSMC側に半導体製造技術面で日本に対する期待があるからだ。

TSMC熊本工場建設に巨額補助金

日本国内の半導体事業はこれまで低迷続きだったのだが、半導体の製造技術にパラダイム変化が起きており、これが日本再浮上のきっかけになりそうなのだ。これまで、半導体の性能は、回路の微細化・精密化の技術に支えられて倍々ゲームで伸びてきた。しかし、このトレンドには物理的にも経済効率的にも限界が見えてきている。

これを突破する方法として浮上してきたのが「半導体材料や製造装置関連の技術革新」であるが、これはもともと日本の得意分野なのである。 

TSMCは22年6月、つくば市の産業技術総合研究所つくばセンター内に「TSMCジャパン3DIC研究開発センター」を開所した。この研究所は、3次元パッケージ技術の量産を可能にする技術開発を、日本の材料メーカーや装置メーカー、研究機関との共同研究で推進する。これを成功させて、日本の半導体事業を再生できれば素晴らしい。

問題はこの寄り合い所帯の運営をどう賄うかだ。もちろん、TSMCもただで日本に進出するわけではない。日本政府はTSMC熊本工場の建設に巨額の補助金を支出した。しかし、維持費の補助も必要になるかもしれない。防衛予算、子育て支援、福祉・介護予算、教育・研究支援、災害復興など、今後予想される財政負担は目白押しである。それらとの折り合いをどうするか、政府による説明はない。

裏金作りばかり上手な政治家にこの難問が解けるだろうか。日本の産業、経済の将来が派閥領袖の支配下にある永田町次第ということでは危う過ぎると思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

霞ケ浦用水のパイプラインはずれ水が流出 川の土手が一部崩落 つくば市北条

市発注の河川改修工事中 つくば市北条、八幡(はちまん)川の川岸で7日午後1時ごろ、工事受注業者が同市発注の河川改修工事を行っていたところ、土の中に埋まっていた霞ケ浦用水の農業用パイプラインの接続部分がはずれ、パイプラインの中にたまっていた水が流出して、川の土手の斜面の一部が長さ約10メートル、高さ3~4メートルにわたって崩落した。9日、同市が発表した。 霞ケ浦用水は霞ケ浦から水を取水し、農業用水などを県南西に供給している。事故があったパイプラインは霞ケ浦用水土地改良区が管理し、筑波土地改良区が用水を利用して、同市北条と小田地区に農業用水を供給している。事故時は田植え前だったため水は供給されておらず、今月21日から田んぼに水を張るため通水する予定だった。現場では9日からパイプラインの復旧工事が始まり、21日の通水開始までには復旧する見込みという。 八幡川は桜川の支流。市道路整備課によると、八幡川では昨年9月から今年6月までの工期で、川の氾濫を防ぐため川幅を広げる工事を行っていた。7日は同市北条、大池公園野球場近くの右岸で、川の土手の土を斜めに削ってコンクリートブロックを敷設する工事を行っていたところ、川岸の土手の土の中に埋まっていた霞ケ浦用水のパイプラインの接続部分がはずれ、水が流出した。流出した水の量は不明。 埋設されているパイプライン近くの土を削ったことから、パイプラインにかかっていた土の圧力が減り、接続部分がはずれたとみられるという。パイプラインの埋設位置について市と工事業者はあらかじめ把握しており、市は、なぜはずれたのかについて原因を調べるとしている。川の改修工事の再開は現時点で未定という。 崩落した八幡川の土手に隣接している大池公園野球場について、市は7日から、野球場の利用を制限している。安全が確認され次第、早急に利用を再開できるようにする。 再発防止策として市は、市と受注業者の双方で周辺状況を把握し安全管理を徹底した上で、施工にあたっては細心の注意を払って作業を進めるとし、市発注工事を受注している全業者に注意喚起を徹底するとしている。

湖岸線日本一 霞ケ浦沿岸15市町村の魅力を一堂に 土浦市職員がイラスト展

若田部哲さん 土浦市職員、若田部哲さん(49)のイラスト展「日本一の湖の ほとりにある 街の話」が8日から、土浦駅前の土浦市民ギャラリーで開かれている。土浦市やつくば市など湖岸線の長さ日本一の霞ケ浦沿岸と筑波山周辺15市町村の名所や特産品、祭りなど地域の魅力を、計150点のイラストで紹介している。 若田部さんはNEWSつくばのコラム欄で2022年7月から毎月1回、「日本一の湖のほとりにある街の話」と題して、霞ケ浦沿岸地域の魅力をイラストと記事で紹介し今年3月までに計32回連載している。今回はNEWSつくばに掲載されたイラストも含め一堂に展示している。 展示作品は、稲敷市の大杉神社、阿見町の予科練平和記念館、つくば市のペデストリアンデッキ(遊歩道)など。大杉神社はかつて、巨大な杉の木が霞ケ浦のどこからでも見えて航路標識の役割を果たしたと言われていることから、空を覆うように杉の木を描いている。予科練は「戦争を経験した方々がおり、今という平和な時代がある」という同館学芸員の言葉をイラストに添えている。ペデストリアンデッキは松見公園、つくばセンタービル、洞峰公園それぞれの風景を描いている。大学時代に都市計画を学んだ経験からペデストリアンデッキは、「歩く」という人間の基本的な行為を安全に楽しめて人と人が交わるところという思いを込めている。 休日などに土浦市内や霞ケ浦周辺を巡り、実際に足を運んで、現地で話を聞いて感じた魅力を、各市町村それぞれ10点ずつ紹介している。いずれも色鮮やかな版画のような作品で、現地で撮った写真をもとに手描きで輪郭線を描き、パソコンに取り込んで着色している。イラストの大きさはいずれも縦横18センチ×27センチ、色合いはグレーをベースに、いずれも2色の濃淡で表現している。グレーは全作品に統一して用い、15市町村のつながりを感じられるようになっている。 若田部さんは筑波大大学院芸術研究科修了後、建築設計事務所に勤務し、2009年に土浦市職員になった。これまで土浦市内の昭和レトロな老舗を紹介するイラストと記事を常陽新聞(2017年に休刊)に連載などしてきた。霞ケ浦沿岸地域に着目したのは2017年に滋賀県の琵琶湖のほとりで開催された全国市町村職員研修会に参加したことがきっかけ。各地の自治体職員に霞ケ浦を紹介したところ、琵琶湖に次いで2番目の大きさなのに霞ケ浦を知らない職員が多かった。アピールするなら日本一のものと考え、霞ケ浦の湖岸線の長さが日本一であることから「日本一の湖のほとりにある街の話」と題するホームページを2019年に開設した。すでに300点以上のイラストを描き、発信している。 若田部さんは「自身が住む街を振り返ることはなかなかなかったり、見過ごしている場所もあると思うので、こんな場所があるということをご覧いただければ」と話し、「イラストで巡る霞ケ浦、筑波山の旅という展示なので、改めて行ってみたいというところがあったらぜひ実際に訪れていただければ」と語る。(鈴木宏子) ◆イラスト展「日本一の湖の ほとりにある 街の話」は8日(火)~20日(日)、土浦市大和町1-1 アルカス土浦1階 土浦市民ギャラリーで開催。入場無料。若田部さんのホームぺージはこちら。NEWSつくばのコラムはこちら。

尾道 坂の街にて《続・平熱日記》179

【コラム・斉藤裕之】愛犬パクと故郷山口に帰って来て1週間。明日は弟夫婦と日本海側に行っておいしい魚でも買ってこようかと…。「尾道はどう?」。義妹の一言で行き先変更。翌日、3月も後半になるというのに広島では雪が舞って、遠くの山々は山水画のよう(日本海側に行かずによかった)。 尾道までそれほど遠くはないのに、訪れるのは初めて。まずは千光寺のロープウェイに乗って、尾道の街を見下ろす。川の幅のような向島との間の尾道水道には、渡し舟が行き交う(3月末で廃止と後日知る)。寒風が身に染みるが、そのおかげで空気は澄んでいて尾道大橋や西に続く島々までよく見える。戸艮(うしとら)神社の樹齢千年と言われる大楠を眼下に、ロープウェイで下りて日本有数の長さで知られるアーケード街へ。 他の地方都市の多くと同じくシャッターを下ろした店舗も目立つが、なんとか踏ん張っているようにみえる商店街。平日にもかかわらず、外国からの観光客も多く見かけた。義妹は金物屋で取っ手の長いトタンのチリトリを買い、私は少々値が張ったが晩のおかずに焼きアナゴを買った。 坂の街と知られる尾道。せっかくなので、少し坂を登ってみようということになった。登り始めてすぐに、かわいらしい薄緑色の木製のドアが気になった。ローマ字で「KAPPAN…」。どうやら活版印刷の店のようだが、あいにく閉まっている。 それから少し上まで行ってみたが、すぐに息が上がってしまい、早々に引き返す。おや、さっきの店に明かりがついているような気がして、ドアに手をやったら開いた。すると、女性が出てきて中に招き入れてくれた。店内には手動の印刷機が2台とその奥に活字の並んだ棚がある。 がんす、タコのてんぷら、… 「懐かしいなあ。実は実家が印刷をやっていて…」と、私と弟はかって活版印刷を生業(なりわい)としていた実家のことなどについて話し始めた。 「そうなんですか。この機材は北海道から船で運んできたんですよ…」。店の方と話が弾む。私は実家から唯一運び出して、弟の家に置きっ放しにしてあるものを思い出した。「うちに電動の立派な活版印刷機があるんですけど、いりますか? ちゃんと動きますよ」。店の方は意外な提案に少し戸惑った様子だったが、それならばと責任者の方の連絡先を教えてくれた。 帰宅して連絡をとると、すぐに返信が届いた。だれかに使ってもらえればと思って取っておいた活版印刷機。残念ながら、弟も私も使い方を知らず鉄くずになりかけていた。願わくば、尾道の街で鉄製の精巧な歯車が力強い印字を刻む雄姿を再び見せてほしい。きっと、インクの匂いとガッチャン、ガッチャンというレトロな響きはこの坂の街に似合うだろう。 その夜の食卓には、がんす(魚のすり身にパン粉をつけて揚げた広島の郷土料理)、タコのてんぷら、焼きアナゴが並んだ。また尾道を尋ねて、今度は別の坂を登ってみようと話し合った。(画家)

見事に矢が的中 日枝神社で流鏑馬祭 土浦

土浦市沢辺の日枝(ひえ)神社で6日、流鏑馬祭(やぶさめまつり)が催された。伝説の登場人物にふんした鎧(よろい)武者が、馬にまたがって長さ150メートルほどある境内の馬場をゆっくり進み、立ち止まって、3カ所に立てられた的に向かって馬上から矢を放った。 一の矢から三の矢まで見事に命中すると、大きな拍手がおこった。当日はあいにくの雨模様だったが約600人の見物客が訪れ、写真愛好家らが矢を打つ瞬間を待ち構えるなど、にぎわった。 境内にすみついた大ザルが村里の作物を食い荒らし村人に害をなしたことから、領主と、弓の達人である家臣が大ザルを退治したという言い伝えをもとにした祭りで、県指定無形民俗文化財に指定されている。山ノ荘地区の平和と五穀豊穣を祈願し、毎年4月の第1日曜日に催される。 開会式には、青山大人、国光あやの衆院議員、土浦市観光協会の中川喜久治会長などがあいさつし、伝統行事の大切さなどを述べていた。日枝神社総代代表で同流鏑馬保存会の宮本勉会長(75)は「これからも未来に向けて続けていければよいと思う。昨年から稚児行列の衣装が変わるなど工夫している。地域全体でもっと盛り上がってくれれば」と話した。 日枝神社は、山ノ荘と称される小高、沢辺、東城寺、小野、大志戸、本郷、永井、今泉、粟野の9カ村の総社で、796年に創建されたと伝えられている。(榎田智司)