月曜日, 5月 13, 2024
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茨城の原風景を撮り続けた柳下さん《邑から日本を見る》148

【コラム・先﨑千尋】10月末に旧山方町(現常陸大宮市)在住の記録写真家・柳下征史(せいし)さんが急逝した。享年83歳。柳下さんは高校卒業後、日立製作所に入社し、会社の広報誌を作る部署に配属になった。もともと写真が好きだったので、休みには自転車やバイクで写真を撮り歩いた。

日製時代には、世界的な写真家ユージン・スミスとの出逢いがあり、身近でスミスのカメラワークを見る機会を得た。1961年にスミスは日製の依頼を受け、海外向けのPR写真用に約1年、工場内で働く人の姿や日立市内の街並み、農漁村や庶民の生活風景を撮った。この経験が柳下さんの肥やしになったようだ。

柳下さんは1975年に会社を辞め、ひたちなか市内に写真工房を開き、写真家として独立した。独立後、郷土茨城をテーマに写真を撮り続け、「何か形あるものを残したい」と考えた。

県内では日本人の生活の源といえる草屋根の家が近代化の影響を受け、ものすごいスピードで消えていることに着目した。写真の記録は生活の基盤である「家」を中心にすべきだと考え、ひたすら県内のワラ葺(ぶ)き、茅(かや)葺き民家を探し歩き、撮り続けた。他の写真家に真似(まね)されるのを嫌い、仲間にも内緒にしていたという。

その成果が1994年に出した『ひだまりのワラ葺き民家』(八溝文化社)。翌年には東京・銀座の「富士フォトサロン」で企画展を開くことができた。写真展はその後も、つくば市、水戸市、山方町、ひたちなか市と続き、2009年には笠間市の日動美術館で、全国の茅葺き民家を描き続けてきた向井潤吉の作品展と同時開催した。

07年には、前著の写真集のタイトルと内容を変え、『ひだまりの茅葺民家-茨城に見る日本の原風景』(八溝文化社)を発刊した。245点の写真には説明が付き、ゲルト・クナッパーさんや安藤邦廣さんらのエッセイも載せている。

それより前の03年に、常陸太田市の西金砂神社東金砂神社が72年に一度という大祭礼を実施した。柳下さんはその公式記録を撮影することを依頼され、仲間の写真家と一緒に大冊の『磯出大祭礼全行程記録写真集』をまとめた。

カレンダー「ひだまりの茅葺民家」

茅葺き屋根だけでなく、写真を核として「人間の生から死までの所業」をまとめることを思いついた柳下さんは、これまでに撮った写真の中から111点を選び出し、旧知の俳人・今瀬剛一さんに見てもらって出来た俳句を、書家の川又南岳さんが墨を使って書き表した。3人のコラボは13年の『おまえ百まで、わしゃ九十九まで-写真・俳句・書で綴(つづ)る日本の原風景』として結実した。

柳下さんが残した業績の一つにカレンダーづくりがある。「ひだまりの茅葺民家」と題したカレンダーは、自分で撮ってきた作品の中から季節に合わせた6枚と表紙になる作品を選び、2005年から始めた。茨城県の原風景を毎日みんなに見てもらいたいという柳下さんの熱い思いが伝わってくる。

亡くなる2週間前、私にこれからやりたいことをいろいろ話してくれた柳下さんだが、その想いは叶(かな)わなかった。私にとっても無念だ。(元瓜連町長)

<ご参考>柳下さんの本とカレンダーは、ひたちなか市のヤギ写真工房(電話029-273-3202)で取り扱っている。

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庭の巣箱にやって来たシジュウカラ《続・平熱日記》157

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