高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市大穂、山内正則機構長)は31日、30代の事務職員を29日付で懲戒解雇処分としたと発表した。
同機構によれば、同職員は昨年4月、同僚の男性職員とつくば市内の温浴施設を利用した際、スマートフォンを使い、更衣室で更衣中の様子を本人に無断で動画撮影した。事務職員はその場で他の利用者に取り押さえられ、つくば警察署で県迷惑行為防止条例違反の容疑事案(卑わいな行為の禁止)として事情聴取を受けたあと帰宅した。この日は2人共、勤務日ではなかった。
その後、同年6月、事務職員は同署により書類送検され、23年4月、土浦簡易裁判所から罰金30万円の略式命令を受けた。
この対応のため、同機構は調査委員会を立ち上げ、事務職員を聴取したところ、新たな事案が判明した。同じ温浴施設で児童買春・ポルノ禁止法の違反容疑事案(盗撮による児童ポルノの製造)があった。被害者は機構外の未成年で、家族と示談が成立しており、送検・起訴には至っていないという。
さらに昨年4月の段階で、同機構は事務職員に対し、後輩職員と接触をしないよう指導を行ったが、事務職員は応じず、後輩職員は精神的苦痛を訴えた。機構では「パワハラに類する行為があった」とみている。
同機構は外部委員3人を含む懲戒審査委員会を開催し、今年6月14日までに山内機構長が「諭旨免職」とする内容の処分を決定した。この処分には、本人による退職届けの提出が条件だったが期日までに提出がなかったことから29日、「懲戒免職」として本人に通知した。
山内機構長は「加害職員が行った一連の行為は、職員として、また、社会の一員としてあってはならないことです。被害者及び関係の皆さまに深くお詫び申し上げます。機構として、このことを厳粛に受け止め、改めてコンプライアンスの周知徹底を図るとともに、今後、このようなことが起こらないよう、再発防止に努めます」とのコメントを発表した。
入浴施設で盗撮 事務職員を懲戒解雇 高エネ機構
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清ちゃんの大八車《写真だいすき》36
【コラム・オダギ秀】突然、そのガタピシャの車を見たとき、ボクは懐かしさとうれしさで、うろたえてしまった。そのくらい、その大八車の印象というか思い出は強烈だった。大八車と言っても、今の人、特に若者には何のことかも分からないだろう。
要するに荷車だ。自動車なんてなかった時代、働くと言うことは、即肉体労働するというイメージであったころ、木で作られた大八車は、人間と一緒に働く仲間のような存在だった。物を動かし、動かすのを助け、動かす者を支える同僚のような存在だった。
ボクが田舎に住んでいた子どものころ、隣の集落の清(セイ)ちゃんがいつも引いてくる大八車は、まさにこのような荷車だった。
いい歳になっていた清ちゃんは、大八車をウチの庭先の柿の木の下に止めるとそこに腰を下ろし、弁当を食った。いつもそうしていたわけではなかろうが、なぜか、弁当を食う清ちゃんの記憶が今も鮮明に残っている。
ある日、清ちゃんは、大八車にくくりつけた手拭いのようなものを開き、中から団子のように丸まったケーキをくれた。仕事先でもらったのだそうだ。ボクは、「秀坊に」と清ちゃんがくれたケーキを妹と分けたが、あのケーキはうまかった。
息子に買ってもらった洗濯機
清ちゃんの弁当は、自分で作ったものだった。早くに奥さんを亡くした清ちゃんは、中学生の男の子と暮らしていて、その子の弁当も清ちゃんが作っていた。清ちゃんの弁当はうまそうには見えなかったが、ある時、頭の上の柿を採り弁当に載せると、「うまいぞ」とニコニコしながら食っていた。そばに、大八車があった。
ボクのウチが水戸から田舎の父の実家に引っ越したときには、清ちゃんが大八車を引いて家財を運んでくれた。清ちゃんはボクと妹も家財と一緒に大八車に載せ、一度も止まらずに田舎の家まで引いて行った。
清ちゃんの息子は、中学を出ると自動車の修理工場に就職した。清ちゃんはそれが自慢で、しばらくしたとき、息子が電気洗濯機を買ってくれたと、辺り中に吹聴した。息子は父親が洗濯するのをいつも見ていたに違いない。
で、ボクら家族は、清ちゃんの家に電気洗濯機なるものを見に行った。ボクのウチにはまだ電気洗濯機はなかった。清ちゃんは、電気洗濯機をたらいのように使い、その中で洗濯してみせた。うれしそうだった清ちゃんの顔を、ボクは今も覚えている。
ボクが大八車を見たとき、そんな思い出が突然湧き上がった。このガタピシャの大八車は、清ちゃんのに違いない。きっとそうだ。ボクはそう思ってカメラを向けた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)
松代公園の雪景色《ご近所散歩》14
【コラム・川浪せつ子】松代公園(つくば市松代)の雪景色は2年前の1月にも掲載したのですが(23年1月20日掲載)、今回は反対側の児童館が見える方向で描いてみました。この公園は家からも近く、四季折々の移り変わりがステキな公園です。ですが、雪を写しながらのお散歩は1時間。とても寒く、連れ合いに連絡し、車で迎えに来てもらいました。
かつて、バスツアーで1人、飛騨高山、五箇山に雪の取材に行きました。その年は雪が少なく、とても残念でしたが…。今年の豪雪を思うと、雪の恐ろしさ、大変さ、お見舞い申し上げます。
話は変わりますが、つくば市周辺のことをもっと知りたいと思い、昨春から「X」を始めました。Facebookは以前からやっていますが、サイト内に「大好き!つくば」「つちうらが好き!」「各地から見える筑波山」などがあり、頻繁に見るようにしています。
つくば市周辺の食べ物店や風景を描くにあたって、自助努力だけではモーラできないと感じています。lnstagramも地域のアップはあるのですが、私の欲しい情報が少ないと感じています。ステキな風景画像はたくさんありますが、私が行けそうな場所がなかなかありません。
つくば市に住んで40数年
「X」の場合、近場の野菜青空市で安く買えた、近くにレストランがあったとか、取材できそうなネタがあります。しかし、つくば周辺の知らない風景、絵になる風景はあまりありません。
なぜか?「X」は登録している方が割と若い。また、つくばに引っ越してきた世代の方々は、仕事や育児などで忙しく、風景にまでたどり着いていないのかなぁ~と。でも若い世代の人が転居して来るって、うれしい! 周辺にはステキな公園があるので、楽しんで欲しいです。
つくば市の人口は26万人を超えました。そして、将来の天皇陛下候補様もつくば市に。茨城県、つくば市周辺の良さ、皆さんに知って欲しいなぁ。きっと、その良さを感じていただけると思います。誰も知った人がいなかった私が、40数年住んで言うのですもの。
そのためにも、この地の良さを発信すべく、これからも絵を描いていきたいと思います。(イラストレーター)
「足りてないこと数字で示したい」県試算につくば市長 県立高校不足問題
児童生徒数が増加しているつくば市で県立高校が不足している問題で、県教育庁が昨年10月「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」と題する資料を示し、「つくばエリア」(つくば、つくばみらい、守谷、常総市など)について「現時点では定員増が必要との判断に至ってない」とする方針を明らかにしたことについて(24年10月24日付、25年1月12日付)、つくば市の五十嵐立青市長は14日の定例記者会見で「(県立高校が)足りてないことを(県に対し)数字で示したい」と述べ、市としてつくば市やつくばエリアの県立高校の学級増を引き続き県に要望し協議を続けていく姿勢を示した。
五十嵐市長が昨年12月23日、つくば市の県立高校の学級増などを求めている市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)と懇談したことに関し、記者の質問に答えて、改めて市の姿勢を示した。
同市の県立高校不足問題について五十嵐市長はこれまで、昨年9月に実施した2025年度の県予算編成にあたっての要望活動の際、大井川和彦知事に対し、市内にある県立竹園高校の定員を1学年2学級80人分、3学年で6学級分増やすための校舎増築費用4~5億円を市が負担すると提案したとしているほか、翌10月に実施された市長選で、市建設費負担による竹園高校の学級増を公約に掲げた。
14日の会見で五十嵐市長は、昨年10月の県試算資料で記されたつくばエリアの状況分析について「実際にそもそも1時間というものが(通学時間の)基準として定められているが、(生徒の)通学時間をまず正確に把握し、正確なデータをもとに議論をすることが必要だと思っているので、それを市民団体と連携しながら進めていきたい」と話した。
その上で「(竹園高校の学級増という)私の公約は(増築校舎の)建設を県に提案したということだが、県としては『足りている』という認識が急に(昨年10月に)出てきたので、それに対し、足りていないということを数字できちんと示すことは大事だろうと思っている。これから実際の数字について(県と)お話をしていきたいと思っている」とした。
さらに「併せて県として今、定員割れしているところ(つくばサイエンス高と筑波高)は増員を進めているという話があったので、それについては今年の出願状況等をみてまた議論しましょうと知事と話をしているので、そういったことを継続して行っていきたい」と述べた。
この問題で市民団体は近く、県教育庁と懇談を予定している。(鈴木宏子)
➡昨年10月の県資料「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」はこちら
雨情とチャップリンとロッキー《映画探偵団》84
【コラム・冠木新市】チョビひげと旅する人生の姿が重なる茨城県出身の詩人・野口雨情と映画監督チャ一リ一・チャップリンは、ほぼ同時代に活躍した芸術家である。日本公開年度は少しずれるが、チャップリンの『黄金狂時代』(1925)、『街の灯』(1931)、『モダンタイムス』(1936)、『独裁者』(1940)が作られたころ、雨情は全国を旅して新民謡を作っていた(映画探偵団31)。
『街の灯』では、放浪紳士が目の見えない花売り娘のために奮闘し、ボクシングの試合に挑む姿などが描かれる。ラストでは、貧しい放浪紳士と手術で目が見えるようになった花屋経営者の女性との再会が描かれる。貧富の差を逆手にとった皮肉の利いたハッピ一エンドが胸をうつ。
50年ほど前、無名ボクサーが世界チャンピオンに挑戦する姿を描いた、低予算で作られた映画『ロッキー』(1976)を見た。脚本・主演を務めたシルベスター・スタローンは、実際のボクシング試合を見て物語を発想したそうだが、私はこの作品の元ネタは『街の灯』だと思った。
ロッキーがペットショップの店員エイドリアンにほれて、世界チャンピオンとの戦いに最後までリングに立ち続ける話で、誰もが共感できるリアルな作品に仕上がっていた。ロッキーとエイドリアンがリング場で抱き合うラストは、テ一マ曲と相まって素直に感動したものである。
その後、『ロッキー2』(1979)、『ロッキー3』(1982)、『ロッキー4/炎の友情』(1985)、『ロッキー5/最後のドラマ』(1990)、『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)が作られた。50年近くたった今、ロッキー・シリーズを振り返ると、エキサイティングなボクシングシ一ンよりもロッキーの人間的な描写の方が印象強い。
チャンピオンの妻として強くなったエイドリアンの変貌ぶりにとまどうロッキー、試合に負けたロッキーが最期まで勝利を信じて亡くなるコーチを見送る場面、最愛の弟子に裏切られショックを受けるロッキー、親の七光りに悩む息子とそれを受け止めきれず親として悶々とするロッキーなどの方が思い浮かぶ。
シリーズ物の面白さはそこにある。時代の変化で印象が変わるのだ。私は青春映画の延長として見てきたが、現在の観客だと年を取った男がボクシングにこだわる物語にしか見えないのではなかろうか。そこが映画とともに歩んできた観客と後から見る客との違いではなかろうか。
茨城県の唄シリーズ
私はこれまで雨情さんの唄を独立した作品として、『筑波節』(1930)、『磯原節』(1932)、『水戸歩兵第二連隊歌』(1934)、『土浦小学校校歌』(1935)を見てきた。だが、雨情さんは、故郷に深い思い入れがあった人だ。これらの作品を茨城県の唄シリーズとして見たらどうなるだろうか。印象が変わらないだろうか。関連があるのではなかろうか。
『戦争は唄にはなりゃせんよ』と言っていた雨情さんが、なぜ『水戸歩兵第二連隊歌』を作ったのか。当然、軍歌にジャンル分けされるわけだが、ようやくその謎が解明できそうだ。なんとか1月25日のイベントに間にあった。私の中で、雨情とチャップリンとロッキーがつながった。
思わぬ発見をし、喜んでいる。雨情ファンよ、1月25日の「雨情からのメッセージⅢ 詩劇コンサート 」(山水亭)にご期待ください。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)