水曜日, 10月 15, 2025
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つくば市区は3人超の8人 土浦市区は定数と同じ3人 県議選事前審査

12月2日告示、11日投開票で行われる県議選立候補予定者の事前審査が16、17日の2日間、各市町村で実施され、つくば市区(定数5)は3人超の8陣営、土浦市区(定数3)は定数と同じ3陣営の関係者がそれぞれ届け出書類の事前審査を受けた。

つくば市区で事前審査を受けたのは、受け付け順に▽現職で5期目を目指す山中泰子氏(71)=共産=▽新人で市議のヘイズ・ジョン氏(59)=無所属=▽新人で美術大学非常勤講師の佐々木里加氏(55)=無所属=▽現職で4期目を目指す星田弘司氏(48)=自民=▽現職で2期目を目指す塚本一也氏(57)=自民=▽新人で元市議の山本美和氏(53)=公明=▽新人で元市議の宇野信子氏(57)=市民ネット=▽現職で4期目を目指す鈴木将氏(50)=自民=の8人。定数より3人超の激戦になるとみられる。

一方、土浦市区は、いずれも現職の▽伊沢勝徳氏(52)=自民=▽八島功男氏(66)=公明=▽高橋直子氏(38)=自民=の3人のみで、無投票で当選が決まる可能性がある。

4年前の県議選は、つくば市区は4人超の9人、土浦市区は1人超の4人が立候補した。9月1日現在の有権者数はつくば市が19万4686人と4年前と比べ約1万2500人増え、土浦市は11万8410人と約900人減っている。

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旧日本軍の二つの飛行場から「戦争とつくば」考える 戦後80年企画展

2カ所で巡回 戦後80年を迎え戦争の記憶が徐々に失われつつある中、アジア・太平洋戦争中につくば市にあった旧日本軍の二つの飛行場から、戦争とつくばの関わりを考える巡回企画展「戦争とつくば」が同市小田、小田城跡歴史ひろば案内所で開かれている。併せて原始・古代から近代までの戦争と地域の人々との関わりを発掘出土品や古文書などの資料から振り返る。写真や地図、出土品などの資料約100点が展示され、初公開の資料もある。 二つの飛行場は、市南部にあった谷田部海軍航空隊と、北部にあった西筑波陸軍飛行場。 隊員らのスナップ写真を初公開 谷田部海軍航空隊 谷田部海軍航空隊は、現在の同市上横場、観音台、高野台にまたがってあった。1938(昭和13)年12月、阿見町にあった霞ケ浦海軍航空隊の谷田部分遣隊が設置され、翌39(昭和14)年12月に谷田部海軍航空隊として独立し、「赤とんぼ」と呼ばれた練習機の訓練などが行われた。現在、筑波学園病院がある上横場には、木造2階建ての本部や宿舎などの建物があり、農研機構の各研究所がある観音台は、縦横1.8キロ×1.3キロの芝生の滑走路があった。滑走路の南東の高野台には、敵襲から飛行機を隠す掩体壕(えんたいごう)が多数設置されていた。市の調査で3基の掩体壕跡が残っていることが確認され、写真と地図で紹介されている。 戦局が悪化した1944(昭和19)年11月以降は、神之池海軍航空隊(現在の鹿嶋市)の実戦部隊が谷田部に移設され、谷田部にあった練習機部隊は神町基地(現在の山形県東根市)に移設。神之池から零戦などがやってきて、実用機で訓練する実用機教程が行われた。1945(昭和20)年2月、米軍が群馬県の軍用機生産工場、中島飛行機工場や、霞ケ浦海軍航空隊があった阿見・土浦方面を攻撃した際は、谷田部から迎撃に向かい計4人が死亡した。その後は実用機訓練から特攻隊訓練に切り替わり、神風特攻隊「昭和隊」が編成され、同年4月7日以降は隊員らが次々に鹿児島県の鹿屋海軍航空基地に向かった。昭和隊は第7次まで編成され、54人いた隊員のうち40人が死亡した。 企画展では、カメラが趣味だった当時の隊員(故人)が撮影した隊員らのスナップ写真や、昭和隊が鹿屋に向けて出撃する1945年4月7日、水杯を酌み交わす隊員らの様子など、当時の貴重な写真を展示している。写真を撮影したのは、企画展を主催する市文化財課職員、久保田昌子さん(33)の祖父が撮影したもので、初めて一般に公開された。ほかに2006年、地元のつくば工科高校(現在つくばサイエンス高)の生徒が、宮城県白石市を訪ね、当時の昭和隊隊員にインタビューした貴重な証言を記録したビデオを会場で上映している。 竹内浩三の「筑波日記」を紹介 西筑波陸軍飛行場 西筑波陸軍飛行場は当時の作岡村、吉沼村にまたがる約300ヘクタールの広大な敷地で、地元の勤労奉仕による工事で1940(昭和15)年7月、陸軍航空士官学校西筑波文教所として開設された。指令室などの建物のほか、鉄骨造の格納庫が3棟、木造の格納庫が6棟あり、谷田部と異なりコンクリートで舗装された滑走路があった。士官学校として利用されたのは2年程度で、その後は落下傘やグライダーを用いて敵地前方に進む挺身部隊の訓練地となった。1943(昭和18)年11月には滑空歩兵部隊と滑空機操縦部隊のグライダー部隊となった。 企画展では、当時西筑波の隊員だった三重県出身の詩人、竹内浩三(1921-45)が遺した「筑波日記」を紹介し、小田城跡で訓練をしたり、作岡で掩体壕を掘ったり、吉沼にたびたび出掛けて外食を楽しんだり、銭湯や書店に足しげく通ったりなどの一節をパネルで展示している。ほかに中菅間の個人宅で保管されていた西筑波飛行場で使われていたと伝わる灰皿などを展示している。 近代以前の展示では、つくば市内で確認できる最古の武器として、古墳時代前期の4世紀後半ごろ出土した鉄剣などが紹介。戦国時代、落城と奪還が繰り返された小田城の堀跡から発掘された、2カ所に刀傷とみられる鋭利な外傷がある中年女性の頭蓋骨が初公開されている。 市文化財課は「アジア・太平洋戦争で大きな空襲を受けなかったつくばが戦争について大きく取り上げられる機会は多くなかったが、戦争と無関係でいたわけではなく、戦争の痕跡は身近なところに残されており、戦争の悲惨さと平和の大切さについて考える機会になれば」としている。(鈴木宏子) ◆巡回企画展「戦争とつくば」は10月4日(土)~来年2月8日(日)まで市内2カ所で開催される。①10月4日(土)~12月7日(日)は同市小田2532-2、小田城跡歴史ひろば案内所で、②12月18日(木)~2025年2月8日(日)は同市谷田部4774-18、谷田部郷土資料館で開催。入場無料。開館時間はいずれも午前9時~午後4時30分、月曜など休館(祝日の場合は翌日)。▽会期中、二つの旧日本軍飛行場跡をバスと徒歩でめぐり、地割や地形に残る痕跡を見学する体験講座「飛行場の痕跡をめぐる」を11月29日(土)午前10時~午後3時に開催する。定員20人。事前申込必要。申し込みはこちら。▽ほかに、筑波大名誉教授の伊藤純郎さんによる講演会「谷田部海軍航空隊と民衆—本土防衛、特攻隊に対するまなざし」を12月6日(土)午後2~4時、市役所コミュニティ棟1階で開催する。定員約100人。当日受付。

山頭火 椋鳩十 孫の名は?《続・平熱日記》185

【コラム・斉藤裕之】マングローブの木炭は安いけど匂いがイマイチ…。この夏の山口での話。立ち寄った道の駅で地元産の木炭の袋を見つけた。山の中では煮炊きや暖を取るのに使うので、ひとつ試しに買ってみることにした。しばらくして、別の用事でその道の駅の近くを通ることがあったので、お土産にもう一袋と思って寄ってみると、定休日。がっかりしたが、ネットで検索するとすぐ近くに製造元があるではないか。 そこは材木や伐採林などを扱う大きな工場で、事務所に入ると女性社員の方が対応してくれて、段ボール入りの製品でもいいかと聞くので「御意」と答えると、別のところからガラガラと台車でブツを運んできた。その箱には赤い文字で「山頭火(さんとうか)」とある。 言わずと知れたご当地出身の俳人の名前であるが、木炭製品に山頭火とはこれ以上のネーミングもないもんだと思った。恐らく深い意味があるに違いない! 名前の由来はと、ネットで検索。あれ? 特に深い意味は…ない。ちなみに、山頭火は日本酒の銘柄やラーメン屋の屋号にも使われているようだ。 椋の木に鳩が十羽とまる 役所から名前のフリガナについてのハガキが来た。西洋に比べ、この国の名前の表記、読み方のバリエーションはほぼ無限で、近年特に自由奔放である。身近なところでは、生徒の名前はフリガナなしではほぼ判読不可能になった。 名簿のフリガナを見ては想像力豊かな漢字と読み方に感心することしきりだが、相変わらず生徒の名前はほとんど覚えられない。そんな中、「椋介」という名前が目に留まった。その由来を聞いてみると、「椋(むく)の木に鳥が集まるように人が集まってくるような人になって欲しいという願いから」名付けられたという。 「椋鳩十(むく はとじゅう)」という動物文学者に出会ったのは小学校の図書室だったか。随分と不思議な名前だと思いながら、「椋の木に鳩が十羽とまる…」に由来していることを知ったのはそう昔のことではない。「椋の木ねえ…いい名前だねえ…」 そろそろ「山頭火」の出番 ところで、長女のおなかが目立つようになってきた。来年早々に3人目が生まれてくる。どんな名前にするんだろう…。そんなこと考えながらパクと散歩していると、大きな椋の木の下に黒くなった実がぼたぼたと落ちている。この実が食べられるということを知ったのも近年のことだが、どうも食べられる気がしなくて、いまだに口にしたことがない。ちなみに、この木の下には十羽とはいかないが、つがいと思われる二羽の山鳩をよく見かける。 喉が腫れて熱があると思ったら、はやりの病。その後しばらくの間、コーヒーの匂いが鼻を突いて飲めずにいた。暑さがやっと秋の空気に入れ替わったころ、ようやく鼻と舌が元に戻ってきた。そろそろ山頭火の出番か。今年のサンマは久しぶりに安くて脂がのってうまいという。炭の香りと共に楽しもう。(画家)

出土品の文字から遺跡の性格探る 開館30周年企画展 土浦

上高津貝塚ふるさと歴史の広場 土浦市を始め県内各地の遺跡から出土した文字が記された土器などを展示し、文字に注目して遺跡の性格や社会的背景を探る企画展「文字が語るもの」が11日から、同市上高津の博物館、上高津貝塚ふるさと歴史の広場で開かれている。 文字刻まれた県内出土品約100点を一堂に 開館30周年記念として、土浦市内だけでなく、つくば、鹿嶋、石岡、水戸、古河、かすみがうら市など県内各地の遺跡の、文字が刻まれた出土品約100点を一堂に紹介する。 展示されているのは、墨で文字が記された土器、土師器(はじき)、文字が刻まれた板碑や銅製品、瓦など。県指定文化財や市指定文化財など貴重な資料もある。群馬県高崎市の特別史跡である飛鳥時代の石碑「山上碑」や国宝に指定されている福岡市史博物館所蔵の金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」なども写真で紹介されている。 同館学芸員の松田俊太さんは「出土品の文字から当時の土地名や社会の状況、人々の営みが推測できる」と話す。 文字から分かる当時の社会や暮らし 展示は5部構成で、出土品の文字から、役所や寺院だったことが分かる遺跡、当時の地名から地域の生業(なりわい)が推測できる遺跡など、「役所・寺院」「地名」「人物」「神・仏」「中世の祈り」の5つのテーマに分けて展示されている。 まず「役所・寺院」では、鹿嶋市の神野向(かのむかい)遺跡の、墨で文字が書かれた墨書土器「鹿島郡厨」を紹介。出土品から奈良・平安時代に鹿島郡の役所跡だったことが分かる。ほかに石岡市の常陸国分尼寺跡から出土した墨書土器「法華」など27点を展示する。常陸国分尼寺跡から出土した墨書土器には「法華」と書かかれており、平安時代の寺の名称が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」だったことがわかる。 「地名」では、地名に関係する墨書土器を5点展示している。霞ケ浦や筑波山、桜川と天の川に囲まれた一帯は中世、「南野牧」と呼ばれ、馬が飼育されていた。入ノ上遺跡群(土浦市沖宿)からは「青毛」と記された墨書土器が出土している。「青毛」は黒い馬を意味することから、平安時代にはすでに周辺で馬の飼育が行われていたと推測できるという。 「人物」では、書かれた文字から人物の活動が推測できる出土品を19点展示している。常陸大宮市の小野遺跡から出土した銅印「丈永私印」は、「丈部永○」という名前が彫られており、丈部永〇という人物が用いたとされる。 「神と仏」は、奈良時代から平安時代の集落から出土した、祭祀や仏教などに関連した墨書土器、木製品、素焼きの土器の土師器(はじき)など21点を展示している。寺畑遺跡(土浦市田村)から出土した墨書土器には「千手寺」と記されており、集落に寺があったと推測できる。さらに、僧侶の名が「案豊」だったと考えられる墨書土器も見つかっている。つくばエクスプレス沿線の島名・福田坪地区で発掘調査が行われた島名熊の山遺跡(つくば市)には、奈良時代に祭祀を行ったと推測できる水場跡が発見されている。水場跡からは「川」「山人」などと書かれた墨書土器が多数出土しており、集落内に川などに関わっていたとみられる特定の集団がいたと考えられるという。 「中世の祈り」では、法雲寺(土浦市高岡)や般若寺(土浦市宍塚)が所蔵する中世の文字が刻まれた石碑「板碑(いたぴ)」など4点を展示している。板碑は鎌倉時代や室町時代など中世、生前供養や追善供養に使われたとという。 松田さんは「開館30周年の企画として遺跡の文字に注目した。当時書かれた文字からどのようなことがわかるのか。皆さんにぜひ見ていただきたい」と語る。(伊藤悦子) ◆「開館30周年 第28回企画展『文字が語るもの』」は10月11日(土)~11月30日(日)まで、土浦市上高津1843 上高津貝塚ふるさと歴史の広場で開催。開館時間は午前9時~午後4時30分。休館日は月曜、月曜が祝日の場合は翌日。入館料は一般150円、高校生以下無料。11月3日(月)と13日(水)は無料。▽記念講演会「中世の祈りのしるし-板碑・石塔の世界」を10月26日(日)午後1時30分~3時に開催する。講師は立正大学文学部准教授の本間岳人さん。▽ワークショップ「消しゴムはんこを作ってみよう」を11月9日(日)午前10時~11時30分と午後1時30分~3時の2回開催する。講師はイータの小屋店主のかとうみのりさん。▽ギャラリートークを10月12日(日)と11月22日(土)いずれも午後2時~2時30分まで開催する。

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