いっぱいの宿題を抱えた夏の終わり、「流れる雲よ2022茨城実行委員会」の委員長、石田和美さん(44)ら女性7人のメンバーは、9月3、4日クラフトシビックホール土浦(市民会館)で開く演劇公演の準備をようやく終えようとしている。
「記憶をつなぐ最後の世代かも」
「流れる雲よ」(脚本・草部文子、演出・田中寅雄)は、演劇集団アトリエッジ(東京)によって、2000年からミュージカル版やラジオドラマなどで上演されてきた作品。太平洋戦争末期の1945年夏、特攻(特別攻撃隊)基地で出撃を待つ若者たちの物語だ。

実行委員会をつくり、21年6月から公演準備を進めてきたのは、40代から50代の女性ばかり7人でつくる「えにしわぁくプロジェクト」のメンバー。「縁(えにし)と和」を茨城から未来でつなげていこうと立ち上げ、戦争遺跡を訪ねたり、軍関係者や遺族に話を聞くなどの体験を共有してきた。
「戦争の体験者がどんどん少なくなって、記憶を直接伝え聞けるのは私たちが最後の世代かもしれない」という石田さんは、土浦市在住の会社員。父親は元自衛官で、陸上自衛隊武器学校(土浦駐屯地、阿見町)に勤めていた時、連れていってもらった予科練記念館「雄翔館」をその後、何度も訪ねることになった。
多数の特攻隊員を戦地に送り出した予科練(海軍飛行予科練習生)の存在を忘れてはならないと思った。雄翔館を運営する公益財団法人「海原会」は昨年、事務局を東京から阿見町に移したが、事務局長を務める平野陽一郎さんは父親の同僚だった。
7人のメンバーは土浦市、神栖市、石岡市のほか東京在住の2人を含む。祖父や大叔父が戦死したりしており、多かれ少なかれ、こうした「縁」でつながっている。石田さん自身、大叔父が重巡洋艦、羽黒の副長を務めており、1945年5月16日のペナン沖海戦で撃沈された際、艦と運命を共にしたと聞かされていた。
羽黒の悲劇を舞台化していたのがアトリエッジで、「Peace in a Bottle(ピース・イン・ア・ボトル)」という作品があった。くしくも脚本の草部文子さんの叔父が、羽黒で航海長を務めていたことを知った。「縁」があった。
神栖市で海軍神之池基地の戦跡などを訪問していたメンバーの一人は10年来、同劇団の観劇を続けており、連絡をとったところ、「茨城・土浦なら、よりふさわしい作品がある」と「流れる雲よ」公演を持ち掛けられた。同劇団は、陸の「ぞめきの消えた夏」、海の「Peace in a Bottle」、空の「流れる雲よ」の3部作をレパートリーに、各地を公演していた。
土浦の会場を押さえ、1年以上先の9月公演の日程を決めたものの、イベントの開催には不慣れなメンバーばかり。コロナ禍による非常事態宣言や第6波、第7波の感染拡大で、集客に向けてのアピールにもブレーキがかかった。
鹿島・筑波、両海軍航空隊跡を訪ねる
海原会の協力を取り付けるなどの準備をしながら、メンバーは県内の戦跡などを訪ね、戦争の記憶を共有する作業にも取り組んだ。
この夏、クラウドファンディングで、廃墟と化した基地跡の保存と再生プロジェクトを始動させた鹿島海軍航空隊跡地(美浦村)を訪ねたり、総延長3キロ以上にわたって地下通路が張り巡らされていることが分かった筑波海軍航空隊旧司令部(笠間市)の遺跡発掘のボランティアに加わった。打ち合わせでも、海軍航空隊ゆかりの料亭、霞月楼(土浦市)を見学するなどしている。
「流れる雲よ」の出演者を招いて、予科練平和記念館(阿見町)の零戦レプリカ前で公演チラシ用の写真を撮った際にも、関係者から話を聞いた。今回の公演では、鑑賞チケット購入者には、同館の招待券が付けられる。

石田さんは「まずはたくさんの人に見てもらいたい。近代史は、実は学校教育できちんと習わないから戦争の背景とか、国家や家族への思いなどを知ると気づくことが多い。その思いに寄り添って、子供や孫たちに伝えたり、茨城から発信する、それが私たち世代の役割だと思う」と語っている。(相澤冬樹)
◆流れる雲よ茨城公演 9月3日(土)午後6時30分から、4日(日)午後1時30分からクラフトシビックホール土浦(土浦市東真鍋町)小ホール。指定席8000円、自由席6500円(税込み)。問い合わせ電話080-1018-1124(石田)