土曜日, 12月 21, 2024
ホーム土浦1938年に八尺の浸水 土浦市田中の自然石に刻まれる【自然災害伝承碑の現在】㊦ 

1938年に八尺の浸水 土浦市田中の自然石に刻まれる【自然災害伝承碑の現在】㊦ 

土浦(市)の水害は江戸時代に街の形ができた頃から桜川の氾濫や霞ケ浦からの遡上で幾度となく浸水の被害が出ている。その抜本的な洪水対策に従事した政治家・色川三郎兵衛氏の活動を閲覧する予定だったが、土浦市立博物館は、本年7月から大規模改修で2年後の1月まで休館となっていた。

常磐線軌道を防災インフラとして整備

色川氏の業績は、現在の常磐線軌道建設時に盛土構造物を霞ケ浦寄りに築造させ、堤防の役割を与えたことが有名だ。これは東日本大震災時、宮城県の仙台東部道路が同じ機能を果たし、ある程度津波を防いだ。常磐線軌道ははるか明治時代に防災インフラとして整備されていた。色川氏はさらに、川口川河口付近での閘門設置にも尽力した。

川口川そのものは埋め立てられ消失しているが、旧川口川閘門鉄扉と排水ポンプは残されており、色川氏の業績を讃えた記念碑と像も建立されている。ただ、構造物自体は伝承碑の対象外であり、色川氏の記念碑にも業績を讃える文言しか刻まれていないため、治水の記録を捕捉銘板などで追加しなければ伝承碑として登録できる確率は低い。

色川三郎兵衛氏の像

防災サポーターが自転車で走り回り確認

これは意外な展開になった。本当に土浦市内にも水害伝承を記した石碑は皆無なのだろうか。つくば市同様、土浦市の防災危機管理課に足を向けた。

「現時点(8月17日)では自然災害伝承碑に登録されていませんが、1938(昭和13)年水害の記録を彫り込んだ自然石が存在します。この石碑は以前、市立博物館が災害の記憶をテーマとした企画展を催した際、水害の歴史事例として紹介したことがあります」

1938年6月末から7月にかけての台風水害は、真鍋から下高津までの桜川低地が冠水し、土浦町で約4800戸、真鍋町で1000 戸以上の床上浸水を生じた。氾濫した水の深さは8尺(約2.4m)に及んだという。

「地域防災サポーターの方が、市内を自転車で探し回り、この石碑を確認してくれました。市としては伝承碑に登録できる十分な条件を備えていると考えます」

それでも確認された石碑はこの一例だけだという。

「自然災害伝承碑そのものが、これから広く認知されていくのでしょう。市民の関心が高まり情報のやり取りが活発になれば、今は埋もれている災害の記録が2例目、3例目とよみがえっていくのではないでしょうか」

防災危機管理課でレクチャーしていただいた石碑を探して、中心市街地からは少し離れた神社にたどり着く。昔は一面の田園地帯だった。周辺の新市街地は80年代以降に形成され、社だけが長い歴史をたたえている。拝殿横の樹木を支えるように並べられた自然石の一つに、判読しにくいながらも「十三年」「大洪水」の文字が刻まれていた。

登録で歴史を再認識

この探訪は、国土地理院の地図と測量の科学館内で目にした自然災害伝承碑の紹介コーナーがきっかけだ。展示パネルのひとつに、つくば周辺の伝承碑4カ所が掲げられていたが、土浦市にもつくば市にも伝承碑の登録がないという事実に、驚きを禁じ得なかったのである。

そんな馬鹿な、と国土地理院に伝承碑の成り立ちを聞くところからスタートした。印象としては、災害伝承の多くは口伝えと文献に委ねられている。それらの維持保存は重要な意義を持つが、紙媒体もデジタル化した情報も、おそらく石碑のような堅牢さに比べれば、長期間にわたる伝承には限界がある。

そう言い切ってしまうと、地理院が進める伝承碑の情報収集・登録・ウェブ上での利活用に矛盾を与えてしまうが、各地の伝承碑がどこにあり、何を伝えているかのガイドとして地域の耳目が触れやすくしていくことに新たな意義が生まれている。

土浦市内の大洪水の碑は、近く自然災害伝承碑として登録されることだろう。大事なことは、登録後に改めて人々がその歴史を再確認し、災害に対して油断のない暮らしを営むことにある。(鴨志田隆之)

終わり

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

2 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

2 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

墳丘の輪郭を探る 土浦 常名天神山古墳から大量の埴輪片

土浦市常名(ひたな)の市指定史跡、常名天神山古墳で21日、発掘調査に当たった筑波大学考古学研究室の滝沢誠教授らによる現地説明会が行われた。壺型埴輪(つぼがたはにわ)の破片とみられる土器(須恵器)が大量に出土、前期古墳としての築造年代をより詳しく検討できることとなった。 前方後円墳の姿変わって再測量から 調査は同研究室と同市上高津貝塚ふるさと歴史の広場の共同で、2023年度から行われた。 墳丘の長さが70メートルから75メートルの前方後円墳。古墳時代前期、4世紀ごろの前方後円墳と見られていたが、後世になって墳丘の上に土砂が堆積し、地元常名神社の神域として手が加えられたりしたため、元来の輪郭が不明確になっていた。 西側「前方」部には宝篋(ほうきょう)印塔が据えられ、市指定工芸品にもなっているが、東側「後円」部の墳丘上に鎮座していた神社本殿は23年5月の火災で焼失した。 23年度の調査は古墳周りにトレンチ(溝)を数本掘っての再測量からスタートした。24年度は新たに6本のトレンチを掘って、地層や土砂の地質から墳丘の輪郭や傾斜を割り出す発掘作業が行われた。 考古学研究室の学生らが実習の一環として取り組んだ。トレンチは幅1メートル、長さが4~6.5メートル。在来の関東ローム層や常総粘土の地層が出てくるまで垂直に掘り進める作業だ。 その結果、地質の違いから、墳丘の大半は元々あった丘を削ってならす「地山削り出し」の手法で築造されたことが明らかになった。 前期古墳に特徴づける壺型埴輪 前方後円墳はお椀を2つ伏せたように並んでいる見た目だが、西の前方部は後世の盛り土で、高さが数メートルせり上がっていることが今回初めて突き止められた。 これらのトレンチからは大量の土器片がみつかった。古墳時代の前期、特に東日本での副葬品を特徴づける壺型埴輪の破片だ。いわゆる人型や馬型の埴輪が出てくるのは古墳時代の後半5世紀以降になってからだそうだ。 今回は「コンテナ3箱分」(滝沢教授)もの土器片が見つかった。前方と後円の中間部、「くびれ」部のトレンチからは長さが40センチほど「底の部分だけ欠けた」ものが見つかったという。 現地説明会には同市内外の古代史、郷土史ファンら68人が集まった。滝沢教授の総括的な解説の後、各トレンチで研究室の学生による説明が聞けた。展示された壺型埴輪片の周囲には人だかりが出来た。 同市上高津貝塚ふるさと歴史の広場の比毛君男副館長は「これで調査は完了。トレンチは埋め戻して報告書にまとめる作業に移る。出土品を展示する機会はぜひ持ちたい」としている。(相澤冬樹)

猪口孝先生の訃報に接して《文京町便り》35

【コラム・原田博夫】11月27日夜、思わぬ火災事故がTVなどで報道されました。猪口邦子・参議院議員の住居が火災に遭われ、その後、ご夫君・猪口孝先生(東京大学名誉教授)とご長女が亡くなられたことが判明しました。私は孝先生とは2011年に初めてお目にかかってから、重要なタイミングで刺激と激励を受けていましたので、残念な気持ちでいっぱいです。今回は、そうした経緯を踏まえたエピソードを3つ紹介します。 一つは、私が研究代表を務めていた専修大学社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)研究センター(文部科学省私立大学戦略的研究基盤系施支援事業、2009~13年度)主催のシンポジウム「アジアのソーシャル・キャピタル―実態調査を踏まえて」(2011年12月3日)で、基調講演を引き受けていただきました。 孝先生は当時、新潟県立大学長(2009~17年)で何かとご多忙でしたが、自らアジア・バロメータ調査を精力的に進めていたこともあり、われわれの研究グループをその後発グループ(の一つ)として認めてくださり、その立ち上げを寿(ことほ)ぐ観点からも出向いてくださり、この種のサーベイ調査の課題を指摘してくれました。 二つは、孝先生が創始者・編集長を務めていたAsian Network for Public Opinion Research(世論調査のアジア・ネットワーク)の研究大会が新潟トキメッセで2014年11月29日に開催され、そこに招待されたことです。共同論文の発表後、数名の招待発表者と、孝先生の研究チーム(新潟県立大学以外の関係者も)数名による会食(情報交換の機会)を設定していただきました。 そこで、中堅・若手研究者に強調されていたことは、英語による論文・著作を発表することでした。学問で(それ以外でも)世界で認められるには、現状では英語だ、というのです。それを自らに課している、と繰り返していました。 先生のサービス精神に驚く 三つは、ISQOLS(国際「生活の質」研究学会)の第16回年次大会が香港工科大学で2018年6月14日に開催され、私もそこで共同論文を発表しまとき、孝先生は基調講演者でした。 私は会場の前方で聴講していましたが、孝先生が突然、私の名前を挙げ指さし、日本でもアジアをベースにしたサーベイ調査を進めている研究グループがいる、と言及してくれました。先生の講演後、数名が私に近寄り、情報交換を求めてきました。講演者の影響力は大だな、と実感した次第です。また、孝先生のサービス精神には驚きました。 前回コラム(11月24日掲載)で触れた英書(邦語タイトルは『アジアにおけるソーシャル・ウェルビーイング(社会的安寧)、発展、多様な近代化』)も、孝先生の叱咤激励へのささやかな回答の一つです。国連大学上級副学長(1995~97年)などの公職で多忙な中、若手の先導役も務めた猪口孝先生の御霊に同書をささげたいと思います。(専修大学名教授)

103万円の壁、メディアは正しく検証せよ《ひょうたんの眼》74

【コラム・高橋恵一】先の衆院選で国民民主党が「103万円の壁を撤去して手取りを増やす」という公約を掲げ、議席を4倍に伸ばした。さらに、所得税の基礎控除下限を103万円から178万円に引き上げ、地方税の基礎控除も同額以上に引き上げるよう主張している。 壁撤去の手段は、基礎控除を178万円まで引き上げるという所得税減税で、累進課税の裏返しだから、103万円の低所得者(210万円)の減税額に比して、高額所得者(2300万円)の減税額は約38万円ということになり、格差が拡大し、減税による経済効果も薄くて、期待できない。 ところで、103万円の壁見直しによって、年収103万円以内の給与で働いている人(約500万人?)の手取りは増えるのだろうか? 壁の撤去は、178万円まで給与を上げてもよいということで、給与を支払う側が、年額178万円に賃上げするということではない。 年末になって、年収の壁に達し、働き控えが起こると、職場が機能しないから、壁を越えて就労時間を増やせば給与が増えることになる。しかし、零細事業者にとって、人件費負担を増やすことは簡単ではない。最低賃金の引き上げや従業員の就労抑制の圧力で賃上げをせざるを得ないとしても、賃上げする原資の裏付けが無ければ、最低限の賃上げしかできないだろう。 国民民主党は手取り増加=賃上げをできる方策は示していない。一方の所得税減税の財源も明示していないから、受けを狙った「絵に描いた餅」と言わざるをえない。 手取り増は賃上げが大前提 低賃金を改善するには、最低賃金の引上げが必要だが、1500円への目標時期は5年後だ。それでも先行国のヨーロッパやカナダ、オーストラリアなどには遠く及ばない。 低賃金構造の根底は、中小零細事業者の置かれている日本の産業構造の偏りにある。大企業の下請け企業や原材料調達先への低コスト指向支配を変えなければなるまい。中小零細事業者やそこで働く労働者の交渉力も高めなくてはなるまい。 最近の報道では、来年の春闘の賃金要求額が、大企業労組は5%引き上げ、中小企業労組は6%引き上げ、合同労組・ユニオンは10%引き上げとなったという。全て要求通り実現したとすると、103万円以内の労働者は、113万円まで年収が増え、所得税と地方税が課税されても、3~5万円手取りが増え、壁の引上げがあれば、10万円手取りが増えることになる。国民民主党の最低賃金引き上げの主張は1150円で、年収113万円弱になる。同党の本音もそのあたりなのだろう。 いずれにしても、手取りが増えるかどうかは、雇用主が賃上げすることが大前提で、賃上げ能力を確保しなければ、実効性はないということだ。国民民主党や協議している自公与党も、壁の引上げを支持する経済評論家やメディアも、手取り増額の具体的手法を提示していない(できない?)。無責任な議論としか言えない。 最近の政党のプロパガンダは、フェイクまがいのものも多いのに、SNS効果で世論をミスリードする例が増えている。マスメディアは適切なファクトチェックをすべきだ。(地歴好きの土浦人)

最上位のBプレミア参入決定 茨城ロボッツ

プロバスケットボールのBリーグが2026-27シーズンから創設する最上位リーグ「Bプレミア」のライセンス交付クラブが19日発表され、茨城ロボッツにライセンスが与えられた。これでリーグ初年度にBプレミアでプレーするクラブは24になった。最終的な顔ぶれは26日のBリーグ理事会を経て決まる。 Bプレミアは現在のB1・B2リーグが採用している競技成績による昇降格制ではなく、①平均入場者数4000人以上 ②年間売上12億円以上 ③Bプレミア基準のアリーナ要件ーの3つの条件を満たしたクラブが参入できる。初年度の2026-27シーズンについては今年10月までの1~3次審査で22クラブが決まっており、今回の4次審査で茨城ロボッツと京都ハンナリーズが加わった。翌年度以降は継続審査により資格を問われることになる。 発表の瞬間、手を取り合って喜ぶ川崎社長(左から3人目)、と高橋市長(同2人目)ら ライセンス交付直後、水戸市中央の水戸市役所4階会議室で記者会見が開かれ、茨城ロボッツスポーツエンターテインメントの川崎篤之社長、落慶久ゼネラルマネージャー(GM)と、高橋靖水戸市長、県バスケットボール協会の岡田裕昭会長が出席した。 川崎社長は「この地域にロボッツが必要だと思ってくださる大勢の方々の頑張りに支えられた。ホームタウンの人口規模や経済規模も小さい中、大都市圏のクラブと同じ条件で戦うのは、針の穴を通すような至難の道だった。経営破綻からスタートして10周年、ようやくスタートラインに立った思い。ロボッツをあきらめないという思いやストーリーを20、30年先へつなぐため努力を重ねていく」などと思いを語った。 落GMは、2031年に日本一になるというクラブの長期目標に向け、Bプレミアを戦っていけるチームづくりとして「常に成長できる組織にする。応援してくれる方々に誇りに思ってもらえる、魅力あるチームを披露できるよう一丸となって準備していく」と話した。 このほか大井川和彦知事が「さまざまなハードルを見事クリアされライセンスを獲得されたのは、チーム関係者とブースターの皆様の努力の賜物。今後のますますの活躍を期待します」との談話を寄せた。(池田充雄)