【ノベル・伊東葎花】
あの子は冷蔵庫に住んでいる。
きっと暑いのが苦手なんだ。
冷蔵庫に住んでいるけれど、中の物を食べたりしない。
ただ静かに、息を潜めているんだ。
最初の出会いは春休み。
プリンを食べようと冷蔵庫を開けたとき、あの子がいたんだ。
イチゴ模様のタッパーの上に、ちょこんと座っていた。
つぶらな瞳の可愛い女の子。
思わず見とれていたら「早く閉めなさい」とママに叱られた。
あの子は、ぼくにしか見えない。
パパが冷蔵庫から出したビールの缶に、あの子がうっかりくっついてきてしまったことがある。
水滴と一緒に張り付いて、冷蔵庫から出てしまったんだ。
パパは何も気にせずに、テレビを見ながらビールを飲んだ。
ぼくはそうっとあの子を手のひらに乗せて、冷蔵庫に戻してあげた。
あの子はホッとした顔で、お礼代わりに小さくウインクをした。
あの子はいろんな所にいる。
たまごの上、ジャムの瓶、お肉のパック、ヨーグルトの上。
あの子を見たくて冷蔵庫を開けていたら、やっぱりママに叱られた。
「早く閉めなさい」
五月を過ぎて気温が上がると、冷蔵庫はぎゅうぎゅう詰めになる。
あの子はコロコロ場所を変え、それでもちゃんと座っていた。
ある夜、すごい雷が鳴って、町中の電気が消えた。停電だ。
ぼくは何をおいてもあの子のことが心配だった。
「ママ、停電になったら、冷蔵庫の中は大丈夫かな」
「大丈夫よ。このくらいで腐ったりしないわ」
ママはそう言ったけど、ぼくは心配でたまらなかった。
真っ暗な中で怖がっていないかな。
溶けていなくなったらどうしよう。
しばらくして、電気がついた。たぶん3分くらいだったと思うけど、ぼくにはすごく長い時間に感じた。
真っ先に冷蔵庫を開けると……あの子がいなかった。
どこにもいない。まさか本当に溶けてしまったのかな。
「早く閉めなさい」とママに言われても、ぼくはしばらく動けなかった。
それからは、冷蔵庫を開けるたびに悲しくなった。
あの子がいない。あの子が消えた。
季節は夏に向かっているのに、ぼくの心は氷河期だ。
汗ばむ季節が来て、学校から帰ると「アイスがあるよ」とママが言った。
手を洗って冷凍室を開けると、ひんやりした空気の中につぶらな瞳が見えた。
あの子だ。あの子がいた。
氷の妖精みたいな白いドレスを着て、アイスの蓋にちゃっかり座っている。
そうか。夏が来る前に、冷凍室に移動したんだね。
「きみは本当に暑がりだね」
嬉しくなって何度も何度も冷凍室を開けていたら、やっぱりママに叱られた。
「早く閉めなさい」
あの子に小さく手を振ると、すました顔で無視された。
冷たいなあ~。(作家)