木曜日, 6月 25, 2026
ホームつくば知らせぬまま「各地区3人以上」に変更 つくば市農業委員会人数割

知らせぬまま「各地区3人以上」に変更 つくば市農業委員会人数割

選考の公正性、透明性どう確保

改選後のつくば市農業委員会委員の地区別人数割をめぐり、総会で農業委員から異議が出された問題で(5月20日付)、農業委員の候補者を選ぶ市農業委員会委員候補者選考会(会長・飯野哲雄副市長)が第2回会合を開いた昨年12月、地区別の農業委員数を一律で「各地区3人以上」と変更していたことが分かった。

同市の農業委員数は公選制だったときも含めてこれまで、地区ごとの農地面積や農家戸数に応じて選ばれ、農家が最も多い谷田部地区は他地区と比べて委員数が多かった。各地区一律で3人以上とする人数割は、市農業委員会設立以来の大きな変更になるが、当事者である農業委員会や、同意を得なければならない市議会にも説明はされなかった。一方、市はホームページに、地区ごとの農地面積や農家戸数などを考慮した地区別人数割の考え方だけを公表していた。

選考会で各地区一律3人以上となったことについて市農業委員の一人は「初めて聞く。選考会にそこまでの決定ができるのか」と憤慨する。

問題になっている認識なかった

同選考会は、農業委員が公選制から市長による任命制に変わったのを受けて、選考過程の公正性、透明性を確保するため設置され、昨年12月、35人の候補者の中から定数の24人を選ぶ選考が実施された。

地区別人数割について、昨年12月7日の第1回選考会では、農業委員は農地転用や所有権移転など許認可の調査を地区ごとに行っていることから、事務に支障をきたさないよう、地区ごとの農地面積、農家戸数、農地転用や所有権移転など農地法の許可申請件数に応じて、谷田部地区6~7人、桜3~4人、大穂3人、豊里3人、筑波4~6人、茎崎2人とすることを、市長への答申書に申し添えることが事務局から提案された。

その後、同月21日に第2回選考会が開かれ、事務局提案とは異なる、各地区一律3人以上とすることが決まったという。

農業委員会事務局によると「各地区3人以上いれば仕事が十分できると(選考会の)話し合いの中で決まった」としている。

ただし第2回選考会の議事録や要約、答申は非公開で、基準を変更するに至った議論の経緯や意思形成過程は説明がないままだ。同事務局は議事録を非公開としている理由について「(採点結果など)個人情報がからむので、第2回選考会開催にあたって、あらかじめ議事録を公開しないことを決定した」ためだとしている。

第2回選考会では答申がまとめられ、五十嵐立青市長に提出された。市長は、答申にもとづき、選考会の採点結果をもとに24人を選んだとしている。24人の地区は、谷田部4人(改選前は6人)▽桜5人(同5人)▽大穂3人(同2人)▽豊里4人(同3人)▽筑波5人(同5人)▽茎崎2人(同2人)。各地区3人以上と決めたのに茎崎地区が2人なのは、候補者が2人しかいなかったためという。

各地区3人以上に変更されたことについてはこれまで、農業委員会に説明されたことはなかった。同事務局は「(農業委員の間で)地区バランスとの隔たりが問題になっているという認識がなかった」ためだと釈明している。

出席せず説明できなかった

農業委員の任命は市議会の同意が必要なことから、市長は3月議会最終日に24人を農業委員に任命する議案を提案した。議会では、本会議開会前に開かれた議会運営委員会で、塚本洋二議員から「地区バランスはとれているのか」などの質問が出されたが、地区別人数を各地区3人以上に変更したことの説明はなかった。

これについて農業委員会事務局は「人事案件を出すのは総務部で、農業委員会事務局は議会運営委員会に出席してなかったので、説明できなかった」としている。

本会議では24人のうち22人が全会一致で、2人が賛成多数で同意となった。

意見聞かれたこと一度もない

農業委員会は、農地法に基づいて農地の売買や貸借の許可、農地転用案件に意見を言うなど、農地に関する事務を執行する行政機関で、「農地の番人」とも呼ばれる。

農業委員の選出方法は、2015年の農業委員会法改正により、選挙で選ぶ公選制が廃止され、議会の同意を得て市長が任命する方式に変更になった。

市長任命制に変更後の選出方法について、農業委員会法規則は「関係者からの意見聴取その他の委嘱(任命)過程の公正性、透明性を確保するために必要な措置を講ずるよう努めなければならない」と定めている。農水省は、必要な措置について①推薦を受けた者及び募集に応募した者や推薦者の意見を聞くこと②前任の農業委員または推薦委員の意見を聞くこと③パブリックコメントを行うこと④選定委員会を設けること等が考えられるとしている。

選出方法について別の農業委員は「つくば市から意見を聞かれたことは一度もない」と話している。(鈴木宏子)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

10 コメント

10 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

内山社長が退任、後任は常銀投資会社前社長の池田氏 つくば市のまちづくり会社

つくば市が出資する中心市街地のまちづくり会社「つくばまちなかデザイン」(同市吾妻)の内山博文社長が6月末で退任し、後任に同社取締役で、常陽銀行の投資専門子会社、常陽キャピタルパートナーズ前社長の池田重人氏(63)が就任する。24日開かれた市議会全員協議会で、内山社長が報告した。 内山氏は2021年4月の会社設立時から社長を務め(21年3月4日付)、3期目の任期半ばでの退任となる。昨年3月末には同社のナンバー2として内山社長と共に会社の経営を担った元市職員の小林遼平専務が退職している(25年7月9日付)。専務退職後は内山社長が常勤で経営にあたっていた。新たに社長に就く池田氏は常勤で経営に当たるとしている。 24日、市議会で退任のあいさつをした内山社長は「5年間、大役というか、何とか走ってきた、5年前と情勢が変わったと思うのは、工事費の上昇や人件費の上昇で、当初は予期していなかった。つくばの中心部の開発は思った以上のスピードで様々なことが実施されている。全国のまちづくりを見ている中で、つくばは稀有な街。今後どういう戦略をもっていくかによって、つくばの中心部の見え方、あり方が大きく変わっていくと感じている。会社の役員は離れるが、つくばの中心部のブランドは、どこにもない、つくばらしい街であるということが全国に認知されることを願っている」と話した。今後は外部スタッフとして会社をサポートすると述べた。 一方、新社長になる池田氏は慶応義塾大卒業後、常陽銀行に入行し、常務執行役員、営業本部つくば・千葉・さいたまエリア本部長などを歴任した。2022年から常陽キャピタルパートナーズ社長、再エネ電源の買取・売電事業などを行う常陽グリーンエナジー社長を務め、今年3月、両社を退任した。昨年6月から、つくばまちなかデザインの非常勤取締役になっている。 市議会で就任のあいさつをした池田氏は「40年間、常陽銀行と常陽銀行の子会社で働いた。つくばまちなかデザインには会社立ち上げ当初から関与し、当時、常陽銀行とMINTO(ミント)機構(政府系金融機関の民間都市開発推進機構)が出資したファンドから資金を出させていただいたのと、昨年の(つくばセンタービル4階の旧吾妻交流センターをオフィスに改修する)2期工事で、私がいた常陽キャピタルパートナーズから資金を出させていただいた。そういうこともあって、今回つくば市から(社長就任の)話をいただいた時は、ぜひやってみたいと引き受けた。今回の報告にあったように、会社自体がようやく黒字化していい流れできているので、内山社長から引き継ぎ、ぜひ安定的な経営ができるよう努めたい」などと話した。 5年目で初の黒字 市議会では、同社の2025年度(25年4月-26年3月)事業報告と決算報告が実施され、設立以来4年連続の赤字だったが、25年度は初めて黒字になったことが報告された。年間売上は約1億6029万円、売上高から経費などを差し引いた営業利益は約1928万円、税引き前の当期損益は約1095万円と黒字となった。24年度は約3258万円の赤字だった。 一方、開業時つくばセンタービル1階を貸しオフィスなどに改修した際に約3億1600万円の社債を調達したほか、24年度に2期工事として同ビル4階を貸しオフィスに改修する工事のため社債約5500万円を追加発行した。約3億1600万円の社債は24年度から償還(返済)が始まり、26年度は2500万円、27~30年度は各3000万円、31年度は1億4600万円の償還が求められる。今後償還しなければならない社債は25年度末時点で3億4600万円。 事業別では、つくばセンタービル1階と4階の貸しオフィスとコワーキングスペース(共同オフィス)運営などのco-en(コーエン)事業は、売上が約8128万円、営業利益は約3498万円で黒字になったとし、内山社長は「第2期の内装工事の投資で、貸す面積が増えた分、売り上げが上がった」とする。コワーキングスペースはピーク時で月額会員が70人、ビジター利用が2000人を超えたとし、貸しオフィスは新年度の今年4月からオフィス区画が満室となったとした。 つくばセンタービルの地下駐車場の売上は約1522万円で、前期比微増。2023年度からつくば市の指定管理者となっているつくばセンター広場の管理運営事業の25年度の売上は約971万円。つくば市やスマートシティ協議会などが委託するつくば駅周辺の自動運転モビリティ関連の実証実験(25年11月13日付、12月10日付)などのコンサル受託事業の売り上げは約5187万円。 新年度は、地域の研究者らと開発した子供向けの科学やアート体験型プログラムの実施のほか、貸しオフィスの入居者やコワーキングスペースの利用者にセミナーや情報提供を行うなど、先輩利用者が後輩利用者にアドバイスや情報提供を行うメンター制度の導入、中心市街地の動きや企業を紹介する新たなメディアの立ち上げなどを検討していくとしている、 内山社長は、資本金を1億円以下に減資すると税制の優遇措置を受けられるなどから、現在の資本金1億2100万円を減資して9000万円にすることを検討しているとも話した。 「コンサル受託事業が3分の1」 一方市議からは「1000万円の経常利益ということだが、コンサル受託事業が売上の3分の1を占め、黒字化の手助けになっている。co-en事業は(貸しオフィスが全部埋まるなど)天井まできている」「今後の社債の償還は大丈夫か」などの指摘があった。 内山社長は「コワーキングスペースは毎年春に稼働率が下がって、4月に上がり、余白が残っている。メンター制度を導入して(月額会員)70人から100人を目指したい」「モビリティの実証実験は将来継続的でないので、これを補う企画を2~3年の間で獲得していきたい」などと話した。 ほかに、昨年中止になった市内の小中学生が参加するイベント「ランタンアート」については「(イベントの主催者で、同社が事務局を務める)つくばセンター地区活性化協全体でにぎわいの定義を再構築して、何を行うのか、あるべき姿を1~2年かけて議論していく」、消費期限切れの食品を販売し販売がストップしている冷凍自販機(26年2月4日付)については「運営管理が属人的になっていた。管理体制ができれば再開する」と答えるにとどまった。(鈴木宏子)

公立学校も「経営」の視点を持つ時代へ《よぎさんの眼》2

【コラム・よぎ(P.ヨゲンドラ)】日本の公立学校は今、大きな転換点を迎えている。少子化による生徒数減少、教員不足、教育ニーズの多様化、さらには地域間格差の拡大により、従来型の学校運営では立ち行かなくなりつつある。これからの学校には、単なる「運営」ではなく、学校運営や教育活動に関する情報を数値化したデータとしてフォローする「経営」の視点が必要である。 これまで公立学校では、「前年通り」が重視される傾向が強かった。予算、教育活動、組織体制など、多くが慣例ベースで維持されてきた。しかし、人口減少時代に入り、学校は自然に生徒が集まる存在ではなくなった。特に地方では、学校の魅力そのものが地域の存続に直結する時代になっている。 社会ニーズに応える学びの企業 私は、公立学校も「学びの企業」として再定義する必要があると考えている。もちろん、利益追求を意味するものではない。ここでいう経営とは、「生徒ファースト」を掲げ、「限られた人材・予算・時間を最大限活用し、生徒の成長という成果を高めること」である。あらゆる教育活動を連携し、その効果を最大化するデザイン・シンキングが必要である。 例えば、民間企業では、顧客ニーズを分析し、組織改善を繰り返しながら価値向上を図る。一方、多くの学校では、生徒や保護者が何を求めているのかを十分分析できていない場合も少なくない。大学進学だけでなく、国際教育、探究活動、デジタル教育、キャリア教育など、社会が求める力は大きく変化している。それにもかかわらず、教育内容や学校組織が変化できなければ、生徒の学びと社会との間にズレが生じてしまう。 人材育成こそが教育現場改革の鍵 また、学校経営において重要なのは「教員育成」である。優れた校舎や設備があっても、教員組織が疲弊していては教育の質は向上しない。現在の学校現場では、長時間労働や過剰な事務作業により、教員が本来注力すべき「生徒と向き合う時間」が奪われている。 多くの教育委員会は立派な研修センターを持っていても、教員や管理職育成のための実践的な講座をデザインしていない。教員が必要とする授業のアイディアや道具を研修センターでトコトン研究すべきである。教員の内外研修、業務改善やDX化を進め、教員が創造的な教育活動に力を注げる環境づくりが必要である。 さらに、校長の役割も変わるべきである。従来の管理型ではなく、学校の方向性を示し、人材を育て、外部と連携しながら組織を動かす「経営者型リーダー」が求められる。企業、大学、自治体、海外機関などとの連携を進め、学校を地域と世界につなぐ存在にしていく必要がある。学校の予算は事務長任せではなく、新規調達、維持管理費の妥当性を自ら確認し、業者を増やすことで癒着を解消していくべきである。 「選ばれる学校」への変革 これからの学校は、「ただ存在する学校」ではなく、「選ばれる学校」へと変わっていく。そのために入学希望者のニーズを理解する必要がある。教育改革とは、単なる制度変更ではない。学校という組織そのものの在り方を問い直すことなのである。人口減少社会の日本において、学校経営の改革は避けて通れない課題であり、日本再生の重要な鍵の一つになるだろう。(元県立土浦一高・付属中学校長)

武蔵美卒業生28人 個性あふれる作品117点展示 つくば美術館

武蔵野美術大学(東京都小平市)を卒業した県内在住者及び県出身者で構成する同大校友会第23回茨城支部展が23日から、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれ、油彩、日本画、水彩、工芸、和製本など28人による117点の個性あふれる作品が展示されている。28日まで。 県在住者及び出身者は約1000人が該当するが、同県支部は約30人が会員となっている。支部展は毎年開催され今年で23回目。 支部長の冨澤和男さんは(67)は10点を展示。会期中、日本の伝統的な製本様式である和装本のワークショップが開かれることから、今回初めて和装本を出展した。ほかに、明治時代から続く土浦の老舗「保立(ほたて)食堂」を、色鉛筆デザインと油絵とで書き分けた作品を展示した。「現在の保立食堂は看板が壊れており、15年前に撮った写真のものと現在のものを再構成した。今回は色鉛筆と油絵という二つの手法で描いてみた。見る人によって好みが分かれており興味深い」と語る。 数年ぶりに出展した清野光男さんは、福島の原発事故などメッセージ色の強い作品を描いてきた。今回はウクライナ戦争をテーマにした「分断と破壊」と題した作品を基本に、さらに複数の素材や技法を組み合わせて制作するミクストメディアの手法を使って描き、「境界と分断」「地景と分断」「地景 地と空」など計4点を展示した。 NEWSつくばコラムニストでイラストレーターの川浪せつ子さんも出展。NEWSつくばで連載してきた「ご飯は世界を救う(おいしい時間)」で描いた水彩画のほか、「つくば良いトコ」「古民家の夜景」(いずれも水彩画)などを展示している。川浪さんは「スケッチはその場でほぼ完成するものもあれば、後からきちんと描くものもある。つくばのまだ知られていない楽しいところや癒されるところをさらに絵にして紹介していきたい」と語る。 ほかに中村茂子さんの皮革工芸作品「時空花」などの展示もある。 冨澤支部長は「昨年よりも作品数は多くなったが。会員は増えていない。若い人が入ってくればもっとバリエーションに富んだ面白いものになる。まだまだ卒業生はたくさんいるので、仲間になってもらいたい」と話す。(榎田智司) ◆武蔵野美術大学校友会第23回茨城支部展は、6月23日(火)~28日(日)、つくば市吾妻2-8、県つくば美術館で開催。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。会期中▽ワークショップ「折本を作ろう!」を27日(土)午後1時30分~3時30分に開催。定員15人、参加費500円▽作家が自身の作品を解説する「ギャラリートーク」を28日(日)午後1時~2時30分に開催。定員無し・参加費無料。問い合わせは電話090-2669-9206(坂本さん)へ。

風鈴の音《短いおはなし》52

【ノベル・伊東葎花】 田舎のおじいちゃんが突然訪ねてきた。東京見物のついでに寄ったそうだ。「健太にお土産だよ」と渡された包みを開けて、お菓子じゃなかったことにガッカリした。 「これ、何?」 「南部鉄の風鈴だよ」 南部鉄は、おじいちゃんが暮らす盛岡の名産らしい。 「懐かしいな」と父が言った。「まあ、結構な物を」と母が言った。 おじいちゃんは、スカイツリーに行くからと早々に家を後にした。母は社交辞令的に引きとめたけど、帰った後はほっとしたように見えた。僕たちが住む部屋は、高層マンションの最上階。洋風な部屋に南部鉄の風鈴はまるで似合わず、それは箱に入ったまま棚の中に納まった。 おじいちゃんは、その1カ月後に亡くなった。心臓が悪かったそうだ。 「まさかあの日が最後になるなんて」 父が、悲しそうにつぶやいた。 家族3人で盛岡へ行った。山しかない田舎で、年の近い従兄弟(いとこ)もいない。父と母は忙しそうだし、僕はつまらなくて帰ることばかり考えていた。 葬式の後、縁側でゲームをしていたら伯母さんがスイカを持って来てくれた。 「健ちゃん、何にもなくて退屈でしょう」 スイカを目の前に出されて、「あのう、スプーンは?」と言ったら笑われた。 「スプーンなんか使わないよ。種はこうやって庭に飛ばすの」 伯母さんは豪快に種を飛ばした。放物線を描いた種は、面白いほど遠くに飛んだ。僕もまねをした。「そうそう」と伯母さんが手を叩いて笑った。 「健ちゃんのお父さんは、おじいちゃんの自慢だったよ。大きな会社に勤めて、すごいマンションに住んでるって、みんなに自慢してた」 「ふうん」 「うちには女の子しかいないから、健ちゃんは特にかわいい孫だったのよ」 「そうなんだ」 「小学生になってから、ちっとも来なくなっちゃったでしょう。だから最期に、何だかんだ理由をつけて会いに行ったのよ。お気に入りの風鈴を持ってね」 「え…?」 心地よい風が吹いて、軒下の風鈴が鳴った。ちりんとか、そんな音じゃなかった。心に響くような澄んだ音色は、耳の奥にいつまでも余韻を残した。 「南部鉄よ」 「ああ」 僕はうなだれた。澄んだ音で風鈴が鳴るたびに切なくなった。どうしておじいちゃんの死を、ちゃんと悲しめなかったのか。 東京に帰ってすぐに、おじいちゃんがくれた風鈴を出した。ずしりと重く、冷たい感触が手のひらに心地よい。窓辺に下げて、少しだけ風を入れると、盛岡の家と同じ音で風鈴が鳴った。 「きれいな音ね」。母が目を細めた。「そりゃそうだろう。南部鉄だもん」。父が自慢げに言った。 「あの日、泊めて差し上げたらよかった」 「そうだな」 父と母が、あの日よりずっと優しい顔をしている。僕たちは、優しく澄んだ音色をいつまでも聞いていた。 (作家)