火曜日, 4月 7, 2026
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未来のアニメーター必見! つくばのウィットスタジオに未知なる可能性

【高校生ライター・加藤涼芳】「進撃の巨人」と言えば、広い世代に愛されている漫画の1つである。奇妙ともいえるストーリー設定でありながら不思議な魅力を放つこの漫画をアニメ化したウィットスタジオ(本社・東京都武蔵野市)に迫る。

アニメを作ってみたい人に朗報 

アニメ「魔法使いの嫁」のポスター前で撮影する山田さん(右)と加藤記者=同

つくば市にウィット茨城スタジオがある。同市産業振興センター(同市吾妻)内に設けられ、人材の育成をコンセプトとし企画制作活動をしている。来年4月からの新卒者を含む新規採用の募集もスタートしており、地域に根ざした新たな形のアニメ制作の可能性に挑む。

茨城スタジオでは、まず短編アニメやご当地オリジナルグッズの作成など短期間でできるものから手掛け、さらに、地元の商業施設や学生との連携なども視野に入れていきたいとのことだ。

茨城スタジオを担当するのは同社制作担当の山田健太さんだ。つくば市は人材育成に適していると話す山田さんから、将来アニメ制作の仕事につきたいと思っている人にアドバイスをもらった。①考えているものを、具現化することを楽しむ②自分の意見を持ちつつも、他人の意見に耳を傾けコミュニケーションを大切にする③アニメーションの画面の作り方を理解する―の3つだという。 

膨大な時間と尽力が必要 

ウィットスタジオでは、企画→脚本→絵コンテ→作画→加工、納品までを他社のスタッフとの関わりを持ちつつ仕上げている。

企画・脚本・絵コンテでは、いろいろな設定の材料が必要になる。脚本作成に週1回のペースでシナリオライターとの打ち合わせをし、大量の絵コンテ作成には、アニメ監督をはじめ社内スタッフから社外発注も含め対応する。中でも作画には、膨大な時間と労力を要する。1枚の絵を複数の人がチェックし加筆しながら作業を進めていく。

キャラクターの色や背景の色彩の個々の設定、また、同じ対象物の色でも明るいところと暗いところでは色味を変えて塗るなどの細かな指定をする。設定の詳細が書かれた指示書の作成・作画の変更等を重ね最終画面の決定に至る。素材の合体の後、最後に光の処理を加える。こうして出来た原画60枚で映像8秒程度にしかならない。

手掛けたスタッフ1人ひとりの妥協のない熱い思いが原画1枚1枚に注ぎ込まれ、戦闘シーンの速い動きをも滑らかに描き出し、見る者すべてを魅了する作品ができ上がる。たくさんの人と協力し合い、分業しつつ数年単位の年月を1つの作品に費やし作成する。

取材の際、見せていただいた原画からは神聖さを感じるほどの迫力があった。機密資料ということで写真を掲載できないのが残念だ。

同社制作担当スタッフの山田さんは「パソコンを使って1秒間に例えば8~12枚の絵を何層分も重ねて描くなど、1枚ずつ手作業で行うのでやりがいがあります」と話してくれた。山田さんいち押しの作品は新感覚・青春ロードムービーと話題になった「ローリングガールズ」だそうだ。

学校対抗アニメコンテストなど地域活性化に期待

ウィット(WIT)スタジオのWITとは、和田丈嗣社長を初めスタッフの名前の頭文字(W・I・T)を連ねて出来たものと、英語のWITからできており「機知(その場に応じてとっさに機転きかせる)に富んだ」という意味がある。物づくりに携わる人たちならではの頓知のきいたネーミングだ。ウィットスタジオには、そんなアイデアに満ちたスタッフがたくさん所属し、アニメの企画制作業務を行っている。

同スタジオは長編アニメーションだけでなく、プロモーションビデオやテレビの番組宣伝ほかゲームのオープニング等も担当している。

山田さんが特に印象に残っているのが、スカイツリー展望台で流した映像の作成だったという。通常、縦9:横16の画面比率に対し、縦9:横96という横長の大画面への挑戦は、苦労もあったが技術の飛躍的発展につながったと笑顔を見せてくれた。

今後アニメを見る際、アニメ企画制作の角度から鑑賞するのもまたひと味違う楽しみ方になるだろう。アニメ制作には数年単位の年月と膨大な尽力を要することは前に紹介済みだが、地方でそれをどうカバーするかが最大の課題であろう。また、地域活性化の一助として学校対抗アニメコンテストや動画甲子園などと銘打った企画の実現に期待したい。(土浦日本大学中等教育学校5年)

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「芥川龍之介記念館」来年夏に開館《ふるほんや見聞記》15

【コラム・岡田富朗】芥川⿓之介は、東京帝国⼤学(現・東京⼤学)学⽣であった1914(⼤正3)年から亡くなる1927(昭和2)年まで、北区⽥端に暮らしました。その芥川の居住跡地に、「芥川龍之介記念館」(仮称)が、没後100年を迎える2027(令和9)年夏に開館する予定です。命日である7月24日は「河童忌」と呼ばれ、毎年芥川龍之介をしのぶ催しが行われています。 ⽥端には、明治から昭和期にかけて、1キロ四方の狭い地域に累計100人以上もの芸術家や文筆家らが暮らしていました。1889(明治22)年に東京美術学校(現・東京藝術⼤学)が上野に開校すると、上野への便がよい⽥端には、芸術を志す若者たちが住むようになりました。 そして1914(⼤正3)年に芥川⿓之介が転⼊し、その後、室⽣犀星、菊池寛、堀⾠雄、萩原朔太郎、⼟屋⽂明らも転⼊し、芸術家のみならず、多くの⽂⼠も住む地域となっていきました。 陶芸家の板谷波山も、1903(明治36)年から、当時、人家少なく故郷の筑波山を望むことのできる場所ということで、田端に居を構えていました。1945(昭和20)年、戦災により住居兼工房が全焼し、郷里に疎開しましたが、戦後再び戻り、終生田端で暮らしました。 芥川⿓之介の没後、⽥端の家にはご遺族が居住していましたが、1945年の空襲により焼失し、ご遺族は転居しました。その後、集合住宅1棟と個人住宅2棟が建ちましたが、2017(平成29)年、そのうち1棟が売却されることとなり、翌18年に北区はその⼟地を購⼊し、国内初となる「芥川⿓之介記念館」(仮称)を建設することを表明しました。これまで芥川⿓之介を単独で顕彰する記念館・⽂学館は設置されてきませんでした。 大正期の暮らしを体感できる場所 芥川龍之介が居住し、多くの作品を生み出したこの地において、記念館は大正期の暮らしや創作環境を体感できる場所となります。邸宅2階にあった書斎は、創作の場として再現され、芥川が実際に使用していた文机やインク入れ、ペンなども複製して配置されます。来場者は再現された書斎に実際に入ることができ、これらの複製品に触れることもできます。 また建物や内装、庭園に至るまで、当時の姿を参考にしながら空間の雰囲気を大切にし、庭の木々や石の配置についても、写真資料などを手掛かりに芥川が見ていた風景の面影を感じることができるよう、整備をする予定です。館内には展示スペースのほか、ミュージアムショップの設置も予定されています。 北区地域振興部文化施策推進課の飯塚さんは「今では、田端に住む人の中でも芥川龍之介が実際に田端に住んでいたことを知らない方が増えています。北区民、文学ファンの中でも「芥川といえば⽥端」ということを知らない人たちに、是非足を運んでいただき、芥川が数多の名作を生み出した書斎などを「体感(feel)」して、楽しんでもらいたい」と話してくれました。 芥川⿓之介の作品は40を越える国・地域でも翻訳され、現在も世界中で高く評価されています。開館に向けてクラウドファンディング(CF)も行われており、海外からの支援も寄せられているそうです。今後のCFは今年の夏ごろを予定しているそうです。(ブックセンター・キャンパス店主)

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