
【コラム・披田信一郎】茨城県東海村にある東海第2原発は、48年前の1978年11月28日、沸騰水型(BWR)原子炉による110万キロワットの大型商業用原発として運転を開始した、この国でも極めて古い老朽原発だ。2011年の東日本大震災では津波をかぶって、「あわや」というところまで行った被災原発でもある。
その時から15年以上止まったままだが、事業者の日本原子力発電(日本原電)は再稼働させるとして、福島原発事故を受けた「新規制基準」への適合性審査を受けてきた。2018年に許認可を得て、その後「安全対策工事」が進められてきている。工事終了予定を今年12月としてきたが、8月末に4回目となる延期で「2028年下半期に」とした。
一部の審査や工事全体の遅れもあるものの、この間、3年以上も工事が止まってきた。原因は、安全対策の要である津波への防潮堤建設で欠陥工事を引き起こし、工事関係者による内部告発を受けてようやく公表したという問題だった。当初、コンクリートの未充填(じゅうてん)やら変形した鉄筋などを、補修で解決しようとしていた日本原電だが、原子力規制委員会・規制庁からはそれでは済ませられないと、その基礎部分の「設計および工事計画の認可」の取り直し、構造の変更申請となった。
3年に及ぶ審査で、8月末、ようやく「おおむね妥当」とされたが、未だに細部の審査は続き、正式な認可はまだだ。
欠陥工事となった地中の基礎を撤去しての作り直しも出来ず、出来てしまっている欠陥のある鉄筋コンクリートの地中壁を残したままにして、鋼管杭を追加し、さらに地盤の改良工事も加えることで、4600トンという鋼製の防護壁を支えて地震や津波に耐えられる構造設計となることが計算上認められるというのだが、審査にあたってきた規制庁の審査官にも不安が残っているように見受けられる審査過程だった。
防潮堤新設が安全対策工事の要
東海第2原発はそもそも50年以前の古い設計で、大規模な地震や津波対策が想定されていなかった。あの3.11の教訓から、高さ(標高)20メートルの防潮堤新設が安全対策工事の要とされていた。それにもかかわらず、既存の取水口をそのままに、津波を正面から受け止める防潮堤を作るとした設計から無理があったと思えている。
狭い敷地での難工事に、土木建設に不得手な原子力専業会社の日本原電が、工事監理しきれずに起きた問題を、この次は慎重に施工管理していくというのだが、私たち住民も、原子力規制委・規制庁も、それ以上に発注者の日本原電自身が不安を感じているのではないだろうか。
その結果を、実際の大地震・大津波が起きて検証するしかないのではたまらない。このコラムを《黄昏(たそがれ)の原子力》としたのは、今、再稼働を目指そうとしている東海第2原発自体が以上のような状況であり、原子力のメッカと自称すらした東海村・大洗町を抱える私たちの茨城県の原子力の未来は、すでに黄昏(たそがれ)に入っているという思いから、原発、再処理施設、新たに文献調査を受けてしまった常陸大宮市の最終処分地問題など、つれづれに報告をしていこうと考えている。(元龍ケ崎市議、東海第二原発差止訴訟原告)
【ひだ・しんいちろう】親の仕事で各地を転々とし、龍ケ崎市に住むようになって39年。原子力業界の専門紙の仕事をしていたこともあり、原発や再処理など原子力利用の危険性や住民運動に関心を持つ。現在、東海第二原発差止訴訟の原告。JCO臨界事故などを通して知らされた原子力利用の問題に茨城県民のひとりとして、関心を持ち続けている。1948年、東京生まれ。元龍ケ崎市議会議員。





