月曜日, 10月 12, 2026
ホームコラム序章 土浦一高哲学部「放課後の哲学」

序章 土浦一高哲学部「放課後の哲学」

はじめに

【コラム・哲学部顧問 飯島一也】現在、世界的に哲学ブームが起きているそうです。1960年代生まれの筆者にとっては、80年代に起こったニューアカデミズムという哲学ブームが懐かしく思い出されます。今回の哲学ブームはAIの進化と関連があるようで、AIと倫理に関連するスキルを合わせ持つ人材が、過去5年で6倍に増えているとのこと、2025年12月8日付 日経新聞電子版の記事「超知能 仕事再定義⑴ AI時代の雇用『求む!哲学専攻』」には、以下のように述べられています。

「なぜ今、哲学なのか。米エール大学心理学部のローリー・アン・ポール教授は『AIがもたらす予測不能な未来に、既存の価値観では対処できなくなりつつあるためだ』と説明する」

「AIはいずれ与えられた最終的な目標に向けて自ら計画を立て、必要なタスクを自律的に実行するようになると見込まれている。そのとき、AIの根本的な判断を左右するのは開発者の思想にほかならない」

この記事では「開発者の思想」である哲学は、「予測不能な」AIに対抗するためのものとされています。現代のAIは人間の脳をモデルとして作られていることから、筆者からすると、AIを開発することが人間の知能や人間らしさそのものについて思索する可能性を開いている、という側面も重要であると思っています。

改めまして、土浦一高哲学部顧問の飯島と申します。この度、NEWSつくばのライター柴田大輔さんから、生徒のエッセイを連載するという企画について、お声を掛けていただき、生徒にとって、自分の思索を文章にする絶好の機会だと受け止めました。連載を始めるにあたって、本稿では、顧問の立場から、部活動や本コラムの紹介をさせていただきます。

哲学部の由来

高校生が哲学について考え、自身の問題として語り合う。そういった放課後の光景が、土浦一高には、部活動として存在しています。土浦一高哲学部では、この記事の執筆時点(2月21日)で、1、2年生合わせて23人の部員が、それぞれの関心に応じて哲学を探究しています。

「哲学部」が正式に部活動として承認されたのは、2025年3月の生徒総会で、まだ最近のことになりますが、前進となる組織は、文芸・弁論部内の「哲学班」として、約4年間の活動を積み重ねてきました。

その始まりは、2021年の4月頃、入学して間もない一人の女子生徒が、国語科室を訪れたという出来事にさかのぼります。その生徒は、中学時代、筑波大学で開催されていた哲学カフェに参加したことがあり、土浦一高でも開催してほしいと言うのです。その要望に応える形で、まずは1年生を対象に第1回の哲学カフェを開催し、そこに参加した5人の生徒が文芸・弁論部に入部したことで「哲学班」の発足に至ったのでした。つまり、哲学部の始まりは、あくまで生徒の要望だったのです。 

哲学部の活動

そのような経緯から、哲学部の活動の中心は、哲学カフェにあります。参加者が輪座して対面し、当たり前に見える事柄を疑い、その場にいる皆が納得できる答えを求めて、専門的な知識を用いず、誰にでも通じる言葉で、前提にさかのぼって対話する。ですから、哲学カフェにおける「哲学」とは、参加者全員が共同して制作するものです。つまり、「哲学」を生み出すのは「対話」なのです。この原則は、哲学カフェを離れた、読書や文章作成などの場面でも変わらないと考えます。そこで、読書会なら「テクストカフェ」、文章作成なら「編集カフェ」というように、あらゆる活動について、対話を通して行うように意識しています。

また哲学カフェを含めて、個々の活動は「チーム制」で行っています。生徒自身が発案し、生徒自身の交渉によって実現したチーム活動としては、地元のレンタルスペースを運営する「がばんクリエイティブルーム」さんのご協力による市民哲学カフェが挙げられます。生徒が東京大学の研究室を訪問したときに、土浦一高で哲学カフェを開催していただけるよう、名誉教授を口説き落としたこともあります。他にも、哲学カフェの研究・企画・運営を行う哲学対話モデル研究会や、哲学史勉強会、各種の読書会、哲学散歩、広報活動などに、チームで取り組んでいます。最近の動きとしては、哲学という言葉に敷居を感じる人にも対話の文化を届けるために、心理班を発足させ、精神療法の一つであるオープンダイアローグ(開かれた対話)を活用した実践も始めています。

このように、土浦一高哲学部では、「対話」と「チーム制」に基づいて、フラットで対等な関係性が築かれています。

哲学部の挑戦

哲学部がまだ哲学班だった頃、2代目の班長を務めた女子生徒の言葉が印象に残っています。卒業を前にして残してくれた言葉です。

「哲学カフェで戦争を止めたい」

20世紀後半の哲学では、様々な哲学者や学派が異口同音に、言語や対話の重要性を主張していたように思います。それらの動きに先駆けて、アメリカの哲学者でプラグマティズム(実用主義)の創始者チャールズ・サンダース・パースは、次のように述べています。

「私たちは純粋な概念を語ることから始めてはならない。それはまるで誰も住んでいない公道をさまよい歩くようなあてのない考えだ。そうではなく、人々とその会話とともに始めなければならない」(CP8.112)

相対主義と分断の時代にあって、対話を通した哲学、哲学を共創する対話が生み出す関係性は、共同体の新たな形の一つを示唆しているように思います(*脚注)。学校内外での哲学カフェの実践は、そのような新たな共同体の芽を育てていく挑戦でもあると、土浦一高哲学部は考えています。

コラム連載にあたって

これからご覧いただくコラムは、哲学部員の中から手を挙げた生徒たちによるものです。「対話を通した共同執筆」という理念の下にチームを立ち上げ、先ず、生徒が選んだテーマについて、それぞれ30分くらいの哲学カフェ、次に、生徒が書いた第1稿について、やはりそれぞれ30分くらいの編集カフェを行いました。その後は、生徒が自身の内的な声と対話しながら完成させました。

生徒の文章を読むと、世界の根源などといった形而上学的なテーマは見受けられず、日常生活に密着した問いが中心となっています。その分、想定した以上に、生徒それぞれにとって切実なテーマが取り上げられているように思います。また、哲学カフェや編集カフェで交わされた対話や出された意見を誠実に受け止めて、文章に反映させようとしていました。それ故に、産みの苦しみを味わった生徒も多かったようですが、その過程で、自分の問いに進展があった、答えが見えた、という言葉を生徒から聞けたときは、このコラムのお誘いを引き受けてよかったと思えました。

哲学史の知識や文献研究の点では物足りなさを感じる方もいらっしゃると思いますが、「タイパ」(タイムパフォーマンス=時間対効果)重視という表面的な若者像、「Z世代」というステレオタイプとは異なった、リアルな若者の姿を発見できるでしょう。現代の高校生たちが、いかに誠実に世界と向き合い、いかに真剣に思索しているか。放課後の教室で、夕日を浴びる街中で、哲学を語り合う高校生たちのエッセイ集を、ぜひお楽しみください。『放課後の哲学』、スタートします。

*脚注
筆者は、顧問として、生徒との哲学カフェの体験を積み重ねる中で、生徒がこれほどまでに哲学カフェに熱中するのはなぜなのか、問い続けてきました。その結果として実感したのは、次の2点です。
一つは、哲学について:哲学とは、たとえ高度に専門的なものであっても、内的/外的な対話によって制作されるものであるということ。よって、哲学カフェは初歩的なお遊びどころか、哲学本来の姿を具現しているということ。そして、哲学カフェという場所では、対面することによって、参加者に共有できる現実が生み出され、その現実との対話から出された結論は、アドホック(その場限りの)でありながらも普遍性を確保しうるということ。
もう一つは、対話について:哲学が共同の制作物であると前提することで、哲学カフェに必要なルールが決まってくるということ。そのような哲学カフェのルールとは、対話を成立させるためのものに他ならないということ。そして、対話の中で、参加者それぞれの経験や気づき、アイディアが、哲学の共同制作に寄与していると実感できることで、他者や自己の価値に気づき、お互いを尊重し合うような関係性が発展するということ。
筆者の実感と近いものとして、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「べてるの家」に対する野口裕二氏の考察が挙げられるでしょう。
「 〔べてるの家では〕上下関係が生まれる心配はないのか。結論からいえば、その心配はない。その理由のひとつは、当事者研究が共同研究という形をとっているからである。誰かひとりのアイディアではなく、みんなで作り上げたアイディアとなるので上下関係と結び付きにくい。もう一つの理由は、そこで出てきたアイディアが有効かどうかは実際の行動によって検証されるからである。」(野口裕二「継承すべき系譜②―自助グループ」(臨床心理学増刊第10号 当事者研究と専門知)2018:松本卓也『斜め論』2025よりまた引き)
当事者研究と哲学カフェは、共同の表現の制作が対等な関係性につながる点、当事者または参加者に共有される現実が検証や普遍性の根拠とされる点で、共通していると考えられます。同じように対話を重視しても、声の複数性(ポリフォニー)の確保そのものが水平性につながる点を強調するオープンダイアローグとは対照的です。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho





spot_img

最新記事

33年間も付き合ったハイエース《鳥撮り三昧》18

【コラム・海老原信一】2026年9月2日、車との32年と9カ月の付き合いに終止符を打つ日がやってきた。家族とのキャンプやスキー、野鳥を求めての野宿旅、普通の人なら入らないような所へと入り込んでは、あちらをこすり…、気が付けば「身体」はボロボロになっていた。 文句ひとつ言うでもなく、1993年11月5日登録のハイエースは40万7000キロも走り続けてくれた。8月30日、「もうこれでお終わりにしたい」と言われたような故障が発生。何とかならないかと思案したが、そう理解した。恥ずかしい話だが、涙があふれた。 長過ぎた付き合いだった。いろんな思いが詰まってしまっていた。それは家族との思い出であり、自身の生きてきた時間そのものだから。代わりの「相方」が必要なので、前車と同様に頑張ってくれる車種を探すが、価格高騰がネックとなっている。野鳥を求める旅には支障があるけれど、しばらくは悩み続けよう。 鳥たちと毛虫 9月下旬から10月中旬にかけて、桜が植えられている場所で、葉が色付き、落ち始めるとカッコウの仲間が姿を見せる。これまでの観察経験ではツツドリの幼鳥が多い。旅の途中、栄養補給のため桜に着く毛虫を求めて来るのだ。 毛虫は人には嫌われる存在だが、鳥たちには大事な食料。とはいえ、くちばしに毛虫をくわえているのを見ると、「それを食べるんかい」との思う。自分が口にしているのを想像してしまうからなのかもしれない。それでも、毛虫を食べる人もいるようで、その人の書いたものを読んだ記憶がある。 かの鳥たちは桜の葉が無くなるころにはいなくなるが、一体どのくらいの毛虫を食するのだろう。彼らが食べることで桜が守られることもある。そう考えると、他の命を支えるという相互の関係が思われる。世の中はそんな関係で成り立ってるのかもと思う。(写真家)

抗がん剤治療が効き10カ月《ハチドリ暮らし》66

【コラム・山口京子】「死に時に あらがいつつも 迷いつつ…」。今の自分の心持ちです。昨年12月にがんと告知され、医師に「治療をしなければ余命8カ月。治療して功を奏した場合は2年半」と言われました。月に2回入院して、抗がん剤治療が効き、10カ月が過ぎました。 そうした中、良寛さんの言葉を思い出しました。1828年、良寛さんが71歳のとき、新潟で大地震が起きました。被災し、子どもを亡くした知人に宛て「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」と。色身と法身を一身に生きた良寛さんならではの言葉だったのでしょう。 昨今の天災は人災の要素が高まっています。医療技術が進み、かっては助からない命が助かるようになった時代に生き、自分は死に時をどう考えるのか…。末期がんとどう向き合うのか…。 国民皆保険制度で、受けられる治療であれば受けてみる。高額になる自由診療は見合わせる。自分でできる食事・運動や生活改善はやってみる。手の届く代替治療やサプリメントは可能な範囲で利用する。こうして過ごしてきました。 抗がん剤治療で時間を稼いで、できるならがんの進行を遅らせ、がんを小さくし、その間に、体力・体調・体重をキープし、自分の免疫力や自然治癒力を高め、標準治療に頼らないで、がんと共存できたらという願いがあります。 どんな物語を紡ぐのか そう願う一方、抗がん剤を止めたらがんが増殖するのではないか、抗がん剤が効いて手術ができるようになったのに手術をしないのはどうかと、迷っている自分がいます。 自分の心身は自分の支えでもあり、制約でもあるのでしょう。制約を取り払うことができるなら、何が見えてくるでしょう。人が生きていくに当たって、物語と意味は不可欠なものかもしれません。どんな物語を紡ぐのか、何にどういう意味を込めるのか。 自分の自分と、他人の自分、たくさんの他人の自分で構成される社会で、平和に暮らすすべとは、いかなるものなのでしょうか?(消費生活アドバイザー)

駅名板やヘッドマークなどお宝40点 土浦まちかど蔵で「筑波鉄道展」

1987年に廃線になった筑波鉄道の歴史と、現在の自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」のつながりを紹介する「筑波鉄道展」が9日から、土浦市中央の観光拠点、土浦まちかど蔵「大徳」で開かれている。駅名板、ヘッドマーク、切符などお宝約40点が展示されている。 鉄道愛好家でもある土浦市観光協会の浅川善信さんが、筑波鉄道を運行していた関東鉄道の倉庫に眠る鉄道資料の中から、選りすぐって展示した。関東鉄道、JR土浦駅などの協力を得て同市観光協会が主催する。 展示されている駅名板は、筑波山観光の玄関口として当時、観光客でにぎわった「筑波駅」(つくば市沼田)と、旧新治村の「常陸藤沢駅」の2点。 ヘッドマークは、臨時列車「つくば」、急行「つくばね」の車両の先頭に取り付けられていたものなど3点。臨時列車のヘッドマークは、かつて筑波山の観光シーズンなどに、国鉄上野駅から臨時列車を運行していた記録でもあるという。急行は、1960(昭和35)年ごろ、土浦ー筑波駅間をノンストップで運行していた急行に取り付けられていた。ほかに、廃線間際の車両に取り付けられた「さようなら 筑波鉄道 ありがとうございました」と書かれたヘッドマークも展示されている。 さらに、土浦駅の隣の新土浦駅で実際に使われていた、列車の運行を監視したり制御するためのスイッチが収められた制御盤や、1983(昭和58)年に田土部駅に掲示されていた旅客運賃表なども展示されている。制御板は、右上に国道踏切、右下に六号国道踏切とある。当時、筑波鉄道が土浦市内の国道6号を横切った際、住民は踏切で長く待たされた。浅川さんは「土浦市民にとっては懐かしい思い出として記憶に残る踏切なので、こういうふうに踏切を制御していたんだと分かる制御盤」だと話す。 旅客運賃表には、田土駅から土浦駅までの運賃が当時340円だったことのほか、上野駅や横浜駅、宇都宮駅までの運賃も書かれており、当時、国鉄への乗り換えが多かったことがわかる。 ほかに、1896(明治29)年に製造されイギリスから輸入されたレールを切断してつくった文鎮、客車をけん引していたディーゼル機関車のブレーキハンドル、レールを固定するために打ち込んだ犬の頭部の形に似た犬釘など珍しい資料も展示されている。 浅川さんは「サイクリストには、りんりんロードに鉄道の歴史があったことを知ってもらうと同時に、鉄道ファンには現在も現地に残る筑波鉄道の遺構を自転車で巡ってもらえれば」と話し、「折に触れて、その場所にあった筑波鉄道に思いを馳せていただければ」としている。 筑波鉄道は1918(大正7)年に開業した土浦駅と岩瀬駅を結ぶ40.1キロの鉄道で、開業当初は蒸気機関車が黒い煙を吐きながら、客車2両と手荷物車、郵便車の計4両を引っ張り1日6往復した。1925(大正14)年に筑波山ケーブルカーが開業してからは、筑波山観光に大きな役割を果たすようになった。一方1970年代以降の道路整備や車社会の普及により沿線住民や観光客の鉄道離れが進み、1987(昭和62)年に廃線となり70年の歴史を閉じた、廃線後、線路跡地を茨城県が買収し、2002年に自転車道「つくばりんりんロード」を整備、2016年には霞ケ浦自転車道と統合され、ナショナルサイクルルート「つくば霞ケ浦りんりんロード」になった。駅のホームには現在、サイクリストのための休憩所などが整備されている。(鈴木宏子) ◆「筑波鉄道展」は19日(日)まで。入場無料。開館時間は午前9時~5時。18日(日)午前11時からと午後1時からの2回、筑波鉄道に関する鉄道ビデオを会場で上映するほか、同日午後2時から、鉄道関連グッズが当たる抽選会を開催する。詳しくは土浦市観光協会のホームページへ。

カフェ&ラボ テラッツァ《ご飯は世界を救う》75

【コラム・川浪せつ子】公益財団法人つくば文化振興財団が運営する「つくばカピオ」(つくば市竹園1丁目)では、室内アリーナ、会議室、和室などの施設を借りることができます。ここでは、バスケットリーグ、大相撲つくば場所などのスポーツイベント、音楽リサイタルなどの文化プログラムが開かれています。 その西側に、ガラス張りのステキな平屋の建物があります。以前は、障害者関係の方々が飲食店をやっていました。ところが閉店していまい、今年6月、「Cafe&Labo TERRAZZA(カフェ&ラボ テラッツァ)」という名前のイタリア料理店がオープンしました。 私は月1回、つくばカピオの小会議室を借りて、水彩画教室をやっています。教室が終わってから、皆さんとTERRAZZAにご一緒しました。外観だけでなく内部もオシャレで、都会的ないい雰囲気。お店の方も親切です。隣には、展示などができるフリースペース(有料)もあります。 アナタのお子さんは大丈夫 記憶がややあいまいですが、かつてこのコーナーは社会福祉法人の相談所でした。私はわんぱく息子に手を焼き、2回ほど児童相談に行きました。担当の元小学校の校長先生は「アナタのお子さんは大丈夫です」と言ってくださり、特別なアドバイスはありませんでした。 ですが、その言葉で私の気持ちは落ち着き、ホッとして帰宅したことを覚えています。数年後、元校長先生にお礼をと思いましたら、相談所はすでに閉鎖。社会福祉法人に問い合わせたら、その方は亡くなられたとのことでした。 その後、子育ては山あり谷ありでしたが、今でも時々思い出します。男の子は、母親に理解できないことが多い「未知の生命体」ですね。今、息子たちは「チョッピリ親思い」の大人になりました。(イラストレーター)