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北条芸者ロマンの唄が聞こえる《映画探偵団》96

【コラム・冠木新市】今、1月25日に開催する詩劇コンサート「新春つくこい祭/北条芸者ロマンの唄が聞こえる」を準備中だ。これは2012年秋に上演した詩劇「北条芸者ロマン/筑波節を歌う女」を14年ぶりに再演するものである。

前回の講演と詩劇では、1930(昭和5)年に童謡詩人 野口雨情が筑波町から依頼されて作詞した「筑波小唄」が、完成40日後に二分されて「筑波節」が生まれた謎の解明を試みた(映画探偵団22)。今回、「筑波節」誕生95周年記念詩劇に取り組むうち、新たな謎に気付かされた。

「筑波小唄」を初披露したのは筑波芸者だったのに、SPレコードに吹き込んだのは東京のうぐいす芸者・藤本二三吉、「筑波節」を吹き込んだのは北条芸妓連だったことだ。

なぜ筑波芸者は吹き込みから外されたのか? なぜ北条芸妓連が選ばれたのか? 改めて気になった。資料は何も残されていない。このことには14年前に気付いてはいたが、それよりも当時は雨情が一つの詞を二つに分けたことの方に関心が向いてしまい、筑波芸者の存在をそれほど気にかけなかった。

淡島千景vs.山本富士子

泉鏡花 原作「日本橋」が1956年、大映で市川崑監督により映画化された。日本橋芸者・稲葉家のお孝(淡島千景)が医学士 葛木晋三(品川隆二)をめぐって、滝の家の清葉(山本富士子)と張り合う話だ。昔、名画座の赤茶けた画面で見たのだが、淡島千景の粋な芸者ぶりと山本富士子のさっぱりした姿にほれぼれし、以後、私の芸者映画の基準になった。

美人芸者同士の恋のさや当ては、見ていてスリリングであり、この作品を超える芸者映画にはなかなかぶつからない。後にきれいな画面のDVDを見て、2女優の美しさに酔いしれた。

「日本橋」を思い出したとき、レコード録音をめぐり、雨情を挟んで筑波芸者と北条芸者が争ったのではないかと想像した。すると、一つの詞を二つに分けたことよりも、芸者さんにとって、吹き込みの件は重大な出来事だったと思える。雨情は、そのことをどう考えていたのだろうか? 北条芸者に録音を取られた筑波芸者は何を感じたのか? 今回はそのあたりに少し踏み込んでみた。

土浦音頭と筑波節、どっちが先?

これに関連して、もう一つの謎が浮かび上がってきた。それは1930(昭和5)年か33(昭和8)年に土浦で作られた横瀬夜雨 作詞、弘田竜太郎 作曲の「土浦音頭」である。こちらは、水郷芸者の君香がSPレコードに吹き込んだ(映画探偵団25)。

こちらも資料がないため想像するしかないのだが、もし昭和5年に制作されたならば、「筑波節」と同時期ということになる。では、どちらが先だったのか? 「筑波節」の動きに刺激され、「土浦音頭」が作られたのか? 先に「土浦音頭」が作られ、その後「筑波節」が企画されたのか?

はっきりしているのは、筑波も土浦もこの唄を大切にしてこなかった事実だ。その証明として両方とも歌碑がない。雨情の場合、いくつも歌碑が残されている。雨情のふるさと磯原には、「磯原小唄」は三つ、「磯原節」は一つある。また、夜雨の歌碑も筑波山にはある。たかが歌碑と言ってしまえばそれまでだが、文化に対する民度を物語っているのではなかろうか。

今回のイベントでは、第1部は大川晴加さんらの「筑波節」録音をめぐる詩劇、第2部は筑波の唄を集めた小野田浩二さんのコンサート(中でも「筑波馬子唄」は幻の唄に近い)となっている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

「北条芸者ロマンの唄が聞こえる」のチラシ

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