土曜日, 5月 10, 2025
ホーム産業電子顕微鏡開発のルーツ「DA-1」がたどった道 日本電子 創立75周年

電子顕微鏡開発のルーツ「DA-1」がたどった道 日本電子 創立75周年

【PR】電子顕微鏡などの理科学計測機器メーカー、日本電子(JEOL、本社東京都昭島市、大井泉社長)が昨年、創立75周年を迎えた。同社の創立メンバーが1947年に初めて開発に成功し商品化したのが電子顕微鏡「DA-1」だ。本社の開発館には貴重な1台が鎮座している。開発館のDA-1は1975年11月に茨城大学から譲り受けた。それまでどのような歴史をたどってきたのだろうか。今回、経緯の一部が明らかになった。

DA-1 茨城大学へ

茨城大学にDA-1が搬入されたのは1951年のこと。当時のことを茨城大学工学部同窓会 多賀工業会の稲見隆 事務長(2023年取材当時)に確認してもらったが、詳細は残されていなかった。

浦尾亮一名誉教授

ではどのような経緯で茨城大学に設置されたのだろうか。取材班はDA-1を知っているという同大工学部の浦尾亮一 名誉教授(86歳、2023年取材当時)からお話しを伺うことができた。DA-1が設置された1951年にはまだ茨城大学に着任されていないので、当時の様子は周囲から聞いた話も含まれている。

当時の写真に目を通す浦尾氏

「金属材料の研究をしていた千早正氏を茨城大学工学部に迎えるにあたり、1951年当時の工学部長、都崎雅之助 教授(後に第5代同大学長)が、先端機器である電子顕微鏡が設置されていないことは研究遂行上、問題であると言って茂原に連絡をし、DA-1を調達したと聞いています」(浦尾氏)。茂原とは、千葉県茂原にあった日本電子の前身にあたる電子科学研究所のことだろう。

特別な電子顕微鏡

茨城大学に設置されたDA-1を使っていたのはもっぱら千早氏だった。だが浦尾氏が着任したころにはほとんど使われなくなっていた。教授となっていた千早氏は工学部長も務めるようになり、DA-1のある部屋や実験室から遠く離れた学部長室で執務することが多くなっていたという事情もあるのだろう。

かつてDA-1が設置された茨城大学工学部の建物外観。内観ともに改修されている

浦尾氏が着任すると、待っていたのは忙しくなった千早教授の代わりに実験室の面倒を見る仕事だった。そこで数回だけDA-1を操作したことがあったという。利用回数が少ない理由は「もっぱら千早先生が使う装置だ」という遠慮と、すでに”古い部類”になってしまった装置の不安定さが要因のようだ。安定稼働させるために電源として蓄電池が用意されていて、日中から午後11時近くまで充電する。その後、観察を始めるのだが、稼働できたのは2時間程度だったという。

千早教授は時々、学部長室を出て実験室に来ることがあった。そして浦尾氏らと話をしてまた学部長室に戻っていく。話の内容は実験の進ちょくだったり雑談だったりで、DA-1の話をすることもあった。千早教授は茨城大学の装置は極めて初期に作られた1台という話をしていたという。

かつてDA-1が設置された場所

DA-1 発見

DA-1を調整する芦沼寛一

1975年7月10日、一人の営業担当者が茨城大学を訪れた。日本電子に入社して2年目の渡邊愼一(現・顧問)である。

当時茨城大学の工学部は日本電子のユーザーではなかった。アウェイを覚悟で訪問したのだが、思いのほか歓迎された。「いいものがある」と倉庫に案内されると、そこには話に聞いたことのあった古い電子顕微鏡が保管されていた。日本電子の社員が現存するDA-1を見つけた瞬間である。

ただ、入社して間もない渡邊にとっては本物かも区別がつかない代物であった。そこでDA-1の設計者の一人である芦沼寛一に後日、確認してもらった。芦沼は感慨もひとしおだったようだ。なにせ28年前に苦労して完成させたDA-1の姿がそこにあったのだから。

それから誰からともなく「茨城大のDA-1を日本電子に戻せないか」という声が上がるまで時間はかからなかった。

DA-1 日本電子へ

DA-1を譲り受ける話し合いのため、渡邊らは1975年9月17日に茨城大学を再訪する。そして同年10月20日。引き渡しが行われ、DA-1は本社開発館へ設置された。

以来、今日までこのDA-1は、芦沼と同じく設計者の一人である伊藤一夫による「設計ノート」と、日本電子の創業者である風戸健二がこの顕微鏡を作るきっかけとなった黒岩大助著「電子顕微鏡」とともに開発館ショーケースの中に保管され、世界中から訪れるユーザーを出迎えている。

「透過型電子顕微鏡 DA-1とその設計ノート」は、2010年秋に国立科学博物館より「重要科学技術史. 資料(未来技術遺産)」に登録された。また2012年秋には社団法人日本分析機器工業会(JAIMA)と一般社団法人日本科学機器協会(JSIA)が合同で創設した「分析機器・科学機器遺産認定」にも選定されている。

極微の世界と科学の発展

日本電子創業者 風戸健二

以下は風戸の言葉である。

「今や日本は、アメリカとともに高級理科学機器の世界の大国となって、成果の出るのはこれからであろうが、日本の青年を信頼し、青年に頼って立国の大業の成ることを期して待とうではないか!彼らに、我々の遺伝子が伝えられていることを信じて!」

当時まだ見ぬ未来の日本電子社員に向けて発信されたであろうこの一文は色あせることなく受け継がれ、日本電子は今日も世界初・世界最高技術への挑戦を続けている。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

純利益87%増、増収増益に 筑波銀行25年3月期決算

筑波銀行(本店・土浦市、生田雅彦頭取)は9日、2024年度3月期決算(連結)を発表した。1年間の純利益は41億300万円で、前年と比べ87%の大幅増となり、増収増益となった。生田頭取は「(ゼロ金利やマイナス金利から)『金利ある世界』で、プラス要因の方が大きかった」などと話した。 経常収益は前年とほぼ横ばいの411億2600円。株式などの売却益は減少したが、貸出金利息や預け金利息が増加し資金運用収益が増加した。 経常費用は前年比19億7500万円減の366億4900万円。「ここ3年間のうち先の2年間は大口(取引先)の(信用状況が悪化し)ランクダウンにより(貸し倒れに備える)与信コストがかかっていたが特殊要因が無くなった」とした。 単体の預金残高は2兆6343億円、預かり資産残高は3693億円、貸出金残高は2兆1160億円と、いずれも過去最大となった。預金は個人や法人預金のほか公金預金が増加した。預かり資産は投資信託が前年比129億円増加し、生命保険も100億円増加した。貸出金は、原料コストの上昇や人手不足など厳しい環境にある地元中小企業に対する資金繰り支援などに注力したほか、住宅ローンはTX沿線の資金需要に積極的に対応し7%の伸びとなった。 トランプ関税の影響について生田頭取は「(取引先の)ヒヤリングが終わり、急激にどうこうというところは無かったが、影響が懸念されるところが散見された。今後さらにひざ詰めでヒヤリングし、当行で何ができるか情報提供したい」などと話した。

土浦が怖いと言っていた実兄《くずかごの唄》149

【コラム・奥井登美子】 「登美子、土浦の人と結婚する話があるんだって? 結婚は自由だけれど、土浦は困る」 「なぜなの?」 「土浦くらい怖いところはない。僕は学生時代に学徒動員で土浦海軍航空隊に入り、土浦にいた」 「敗戦後、変わったでしょう。もう、大丈夫よ」 「大丈夫じゃない。僕にとって、土浦がまだまだ怖いんだ。言葉もすごい。そう、けっ、けっ、け…と、怒鳴るんだ。」 中学3年生のとき、私は疎開先の長野県から東京の学校に転入し、母や弟たちが疎開先から戻れない少しの間、父、兄と3人で生活していたことがあった。そのとき、兄は「戦争で亡くなった友達に、なんと言って説明していいかわからない。僕はどうしたらいいんだ」。そう叫んで、友達の墓のある多摩墓地に行ってしまった。 私と父は真夜中、兄の名を呼びながら広い多摩墓地を探し、墓の前で蹲(うずくま)って泣いている兄を見つけ、父が説得し、一緒に帰ってきたことがあった。同じ日に、同じ場所で殴られ、彼は亡くなり、兄は生きて帰ってきた。そういう関係の友達だったらしい。 兄の加藤尚文と私とは10歳も年齢が離れている。学生時代に招集され、そこで何か特別なことがあったようだ。 憲法記念日に結婚式 奥井誠一は当時、東大薬学部裁判化学の助教授だった。私のどこが気にいったのかわからないが、自分の弟の清と私の結婚を強く望んでいた。私は兄が土浦を異常なくらい怖がっていることを、誠一先生に伝えた。 「学徒動員で精神的におかしくなってしまった学生はいっぱいいるよ。そうだ、彼らは新しい憲法に期待しているから、憲法記念日に結婚式をやろう。そうすれば兄様の気持ちが少し変わるかも知れない」 先生は5月3日の憲法記念日に神田学士会館を予約してしまった。仲人などはいない、奥井家と加藤家の親戚と家族だけのささやかな結婚式。牧師の中村万作先生の司会で、母の奥井志づがオルガンを弾いて、讃美歌と結婚のお祝いの唄「慈しみ深き…」など、皆でたくさん歌った。尚文兄も、ひと安心したようであった。 兄はその後、経済評論家としてテレビなどがない時代のラジオで盛んにしゃべっていたが、60歳のとき、前頭葉の脳腫瘍を起こして入院し、意識が戻らないまま亡くなってしまった。 兄の訃報が新聞に載った。共通の友達から電話があり、「加藤君は、土浦海軍航空隊のときに教官に殴られて、意識不明になり入院したことがあります」「土浦は怖いと言っていましたが、何が怖いのかはわかりませんでした。殴られたところが腫瘍になったのかどうかは、今となってはわかりません」 憲法記念日は、私にとって、さまざまな思い出が詰まっている。(随筆家、薬剤師)

社会人の意識で踏み出す 関彰商事が入社式

関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)の2025年度新入社員入社式が9日、つくば市竹園のつくば国際会議場で開かれた。今年度の新入社員は大卒24、専卒20、高卒19の計63人。ほかに昨年10月以降のキャリア採用者が91人おり、総勢154人の新しい仲間を迎えた。 同社が5月に入社式を行うようになったのは昨年度から。新入社員研修を通じて仕事内容やグループへの理解を深め、学生から社会人へ意識を切り替えた状態で参加してほしいという思いによる。 式典では新入社員一人一人に辞令が交付された後、代表者4人が研修の成果を発表した。アドバンス・カーライフサービスDr.Driveアドバンスセルフつくば桜店に配属された柴山大希さんは「自分の中にある優しさを言葉や行動で相手に伝える接遇を大切にしたい」、セキショウホンダつくば研究学園店の外山真帆さんは「大学時代に茨城を離れ、地元の温かさや恩恵に気付いた。仕事を通して恩返しをしたい」、ビジネストランスフォーメーション部下館支店の山中大地さんは「地域の皆様とより良い関係を築くため、信頼と信用を得られるような行動を心掛けたい」、関耀会みらいのもり保育園の國藤遥香さんは「子どもたち一人一人に寄り添う、笑顔の素敵な先生になりたい」とそれぞれ抱負を語った。 式辞では関社長が、昨年まで東北大学総長を務めた大野英男さんの「東北大には多数の輝く星のような成果がある。私の仕事はそれらの星を繋いで星座を描くことだった」という退官記念講演での発言を引き、「私は、2000人を超えるわが社の社員一人一人が星であり、皆さんが成し遂げた業績やご苦労もまた星であると思う。それぞれの活躍を結び付け、お客様の悩みを解決し、その結果が星座になる。皆さんにはあらゆることにチャレンジし、たくさんの星を作ってほしい」と呼び掛けた。 先輩社員の歓迎の言葉では、ヒューマンケア部ウェルネスサポート課の東田旺洋さんが「これから約40年の社会人生活が始まるが、その中では失敗が必ずある。だがたいていの失敗は先輩も通ってきているので、相談すれば必ず解決策はある。自分なりの方法で努力を継続し、無理せず共に頑張っていきましょう」とエールを送った。(池田充雄)

土浦一高附属中受験 地元生徒数が減少《竹林亭日乗》28

【コラム・片岡英明】2024年から土浦一高の募集学級が4クラスになり、昨年の土浦市内8中学からの入学者が18人に減少したのには驚いた。土浦一高には附属中(2021年設置、定員80人)から内進生も入るので、今年の市内小学校から附属中に合格する人数に注目していた。 今年の市内小学生の土浦一高附属中への受験者は初年の21年(71人)と比べ3割減の48人、合格者は初年(25人)比5割減の12人となった。市内16小学校で12人だから、1校1人以下である。これは土浦市と土浦一高にとって大きな問題と言える。 地元の受験者減は地域にとって同高が遠い存在となり、学習目標から外れたことになる。それは、土浦一高側にとって新たな魅力発信が必要になったことを意味する。 中高一貫は教師づくりが鍵 茨城県は21年から地域の伝統高校10校に付属中を設置。一方、並木中等、古河中等に加え、勝田高を中高一貫に移行させた。その結果、県内には県立中が13校もある「中高日本一」の県となった。それに見合う教員と施設は十分だろうか。 中高一貫で成果を上げている私立校は、まず教師の個性を認め、個性豊かな教師たちがチームを組み、6年間を見通して指導を行う。卒業生を出すと担任を1年間外れ、次に新しい学年のチームをつくるサイクルがある。だから、自然に20年以上、3サイクルを体験した教師が学年の中核として育つ。 つまり、中高一貫は教師づくりが鍵だ。中高一貫を成功させるには、中心的な教師集団を育て、20年以上同一校に勤務する人事制度が必要である。学校側の安定した指導が地域に見えれば、地元との距離は近くなる。 中学校舎と体育館は必須 付属中が学年1・2学級でも、中学時代は中学の仲間と共に育つ場所が必要だ。同じフロアーに中高同居は安上がりだが、中学用の校舎と体育館は必須である。県内の市立中学では、学年が1・2学級規模でも体育館をはじめ多くの教育施設がある。 付属中を設置しても教室は増やさず、その分の高校定員を削減して調整するという構えでは、受験者減と受験生の苦労につながる。 高校を4学級から6学級に 付属中設置から5年が経ち、土浦一高・附属中の課題が少し見えてきた。「教育は百年の計」であり、始めたものを止めるわけにはいかない。ならば、受験者減の意味を受けとめ、教師の力量を高め、施設の充実をお願いしたい。 すると、県立中の環境改善は少数生徒への配慮であり、公教育としてはどうかという疑問が発生する。そこで、多くの地元の生徒のために、土浦一高の定員を4学級から6学級に戻してはどうか。 定員を増やし、教育環境を改善すれば、地域での魅力は高まる。そうすれば、多くの地元生徒が土浦一高を目標校に定めると考える。(元高校教員、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)