金曜日, 3月 20, 2026
ホームつくばガザ侵攻から1年 パレスチナにルーツ持つ女性が第3回イベント

ガザ侵攻から1年 パレスチナにルーツ持つ女性が第3回イベント

29日、つくばセンタービル

料理やアート、映画の上映を通じてパレスチナを知るイベント「パレスチナ・デイ」(パレスチナ・デイ・つくば主催)が29日、つくば駅前のつくばセンタービルにある市民活動拠点「コリドイオ」で開かれる。主催するのは、パレスチナ人の父を持つ、つくば市在住のラクマン来良さん(35)ら市民有志。今回で3回目の開催になる。

3月のイベント(2月27日付)には県内外から100人を超える来場者があった。「ガザ侵攻から1年。関心が薄まりつつあるのを感じるが、現地では攻撃が今も続き、多くの子どもや大人が犠牲になっている。まずはパレスチナという場所があると知ってほしい。関心につなげられたら」とラクマンさんは思いを込める。

活動する仲間が作ったポスターには、パレスチナに関するイラストがあしらわれている

父親が西岸地区に

ラクマンさんの父親は、パレスチナのヨルダン川西岸地区にあるカルキリアという街で自営業を営んでいる。父親とは昨日も電話で話をした。「カルキリアには一時的にイスラエル兵士が入り、住民を逮捕したり、殺害することもあった。今は比較的落ち着き、普通の生活ができているよう」だという。

ラクマンさんはパレスチナ人の父と日本人の母親のもとで1988年に埼玉県で生また。日本で育ち、15歳の時、初めてパレスチナを訪ねた。自身の文化を知ってほしいと願う父親の思いもあり、日本の中学を卒業後は、家族で5年間、隣国のヨルダンで過ごし、親族が暮らすパレスチナをしばしば訪ねた。そこで初めて見た風景に、ラクマンさんは衝撃を受けた。

現地はどこに行っても検問所があり、検問所を通過するたびに銃を持つイスラエル兵に身分を確認された。身分証のチェックだけでなく、家族の出自や職業、居住地、国籍の異なる両親がなぜ出会ったのかなどまで細かく詰問された。「イスラエルという国がパレスチナをコントロールしていた。これまで自分が生きてきた世界とは全然違う世界があった」と言い、「自分がパレスチナ人として扱われる中で、父から聞いていた『パレスチナ人には国がない』ということがどんな意味か実感した。自分たちは占領されている立場だと感じた」と振り返る。

20歳で日本に帰り、改めてパレスチナについて学んだ。入学した日本の大学ではパレスチナに関するサークルに入りイベント開催を通じて啓発活動を始めた。現在はドイツ人の夫とつくば市に暮らし、3人の子どもを育てている。

3月に開かれた第2回パレスチナ・デイの様子(パレスチナ・デイ・つくば提供)

ママ友と声を上げる

今回、イベントを一緒に主催するつくば市の松﨑直美さん(54)は、子どもの学校を通じて知り合った「ママ友」だ。松﨑さんはラクマンさんとの出会いを通じてパレスチナへの関心を深め、昨年10月のガザ侵攻後は、都内で行われた抗議デモにラクマンさんと何度も参加した。今年1月には、駐日パレスチナ常駐総代表部(東京都港区)で開かれたパレスチナの伝統模様をあしらった刺しゅうのワークショップに参加した。最近はつくばで松﨑さん自身がパレスチナ刺しゅうを広める活動をするなど(7月1日付)文化活動を通じて現地のことを伝えている。

「パレスチナ・デイ」は「自分たちが暮らすつくば市でも何かしたかった」というラクマンさんの思いに松﨑さんが協力し、昨年12月に立ち上がった企画だ。第1回はラクマンさんの自宅で開いた。活動を続ける中でつながった人たちとプラカードを手に街頭に立ち、パレスチナへの連帯を表す「スタンディング・デモ」を市内で行っている。

自分の家族と重なる

昨年10月に始まったイスラエルの武力侵攻の直後、ラクマンさんは心に深い傷を負った。「子ども達が殺されているのを映像で見る。たくさんの大人も傷ついている。彼らが自分の家族と重なる。自分の子どもだったらと考えると仕事が手につかず、うつ状態になり、カウンセリングを受けた」と明かす。しかし「自分がうつになっても何も変わらないし、パレスチナのために何もできない。何ができるか考えたときに、日本の人にパレスチナのことを知ってもらうことをしようと思った」

その後の複数回、ラクマンさんは自身の子どもを連れて親族が暮らすパレスチナを訪れている。「子どもには現地を見せたかった。親戚もたくさんいる。特殊な状況でも人はとても温かい。皆、また行きたいと言ってくれている」と話す。

ラクマンさんは、自身がパレスチナにルーツを持つ人間だからこそできることがあると考える。「日本人の考え方もわかるし、パレスチナ人がこれまでどんな目に遭い、何を思うのかを家族を通じて知ることができている」と話し、「パレスチナで起きていることは、国同士の戦争ではない。民族浄化、ジェノサイドが起きている。パレスチナという場所があると知ってほしいし、関心を持ってほしい。これからも、できることをやっていきたい」と語る。(柴田大輔)

◆イベント「パレスチナ・デイ」は29日(日)午前11時から午後6時まで、つくば市吾妻1-10-1、つくばセンタービル内の市民活動拠点コリドイオで開催。午前11時からは、ジャーナリスト古居みずえさんがパレスチナで撮影したドキュメンタリー映画「ぼくたちは見た」の上映会が、午後1時からは、アーティストKENさんがパレスチナをテーマに絵を描きながら、参加者とのお話会を開く。午後3時30分からは、ガザ出身の女性らによるパレスチナ料理教室が共催団体により開かれる。そのほかパレスチナに関するパネル展、文化、書籍の紹介、雑貨や軽食の販売などがある。上映会とアーティストKENさんの企画は3階大会議室で、参加費はそれぞれ1000円と500円。パレスチナ料理教室は1階調理室で、参加費は3500円。一部の参加は事前予約制。問い合わせは「パレスチナ・デイ・つくば」のインスタグラムへ。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

3 コメント

3 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

働く私たちのリアル《マンガサプリ》5

【コラム・瀬尾梨絵】新卒として社会に飛び出したとき、誰もが胸に抱く「理想の自分」。しかし、現実に突きつけられるのは、自分の無力さと、理想とはかけ離れた泥臭い現場であることも少なくない。そんな「やりたいこと」と「できること」のギャップにもだえ、悩み、それでも一歩を踏み出す姿を描いた、ねむようこ先生の「午前3時の無法地帯」(祥伝社、全3巻)を今回はご紹介したい。 主人公・ももこは、イラストレーターを夢見てデザイン事務所に就職したばかりの新卒会社員。彼女が思い描いていたのは、おしゃれでかわいい雑貨のデザインに関わるキラキラした毎日。しかし、配属された先は、パチンコ屋のチラシやPOPを専門に扱う、文字通り「無法地帯」のようなデザイン事務所。午前3時を回っても明かりが消えず、床には誰かが寝ており、タバコの煙と怒号が飛び交う。そこは、彼女の理想とは対極にある場所だった。 本作の最大の魅力は、新卒の誰もが直面する「理想と現実のギャップ」を、ねむ先生特有の柔らかくも鋭い感性で描き出している点にある。「私はもっとかわいいものを描きたいのに」「自分にはもっと才能があるはずなのに」。 そんなももこの心の叫びは、読んでいるこちらの胸をチクリと刺してくる。自分が本当にやりたかったこととは違う、派手でけばけばしいパチンコの広告デザインに追われる日々。その「やらされている感」と、それすらも満足にこなせない「実力不足」の板挟み。この葛藤は、クリエティブな職種に限らず、組織の中で自分の役割を見出せずにいるすべての若手社会人が共感できるはずだ。 今の仕事を本当にやりたかった? しかし、この物語が単なる「お仕事苦労話」で終わらないのは、その無法地帯な職場にいる人々との交流を通して、ももこが少しずつ「働くことの本質」に触れていくからである。 一見デタラメに見える先輩たちも、実はプロとしての矜持(きょうじ)を持って仕事に向き合っており、自分が嫌っていた仕事の中にも、誰かを喜ばせる工夫や、確かな技術が必要であること。そして、理想の場所にたどり着くためには、まずは目の前の「できること」を必死に積み上げていくしかないということ。ももこが少しずつ顔を上げ、自分の居場所を見つけていく過程は、読者に「今の自分も、あながち間違いじゃないのかも」という小さな救いを与えてくれる。 ねむ先生の描くキャラクターは、どこか抜けていて愛らしく、それでいて生々しい生活感を持っている。徹夜明けのボロボロの肌、深夜に食べるカップ麺の味、理不尽な上司への愚痴。そんな等身大の描写があるからこそ、ももこの成長が輝いて見える。 「今の仕事は、自分が本当にやりたかったことだろうか?」。そう自問自答して立ち止まってしまいそうな夜、ぜひこの本を手に取ってみて欲しい。午前3時の暗闇の中で、それでも灯りを灯し続けるももこたちの姿が、あなたの心にある「ギャップ」を少しだけ埋めてくれるはずだ。(牛肉惣菜店経営)

学校給食に金属製ナット混入 つくば市の義務教育学校

つくば市は19日、市内の義務教育学校で同日出された学校給食に異物が混入していたと発表した。教職員が職員室で給食を食べようとご飯のふたを開けたところ、直径8ミリほどの金属製のナットが混入していた。 同校の他の教職員や生徒、同日ご飯が提供された他校からもほかに異物混入の報告は無く、健康被害も報告されていないという。 市健康教育課によると、同日午後0時45分ごろ、教職員が個別の器に入ったご飯のふたを開けたところ、端の方に直径8ミリほどのナットが混入していた。 同市でのご飯の調理は、給食センターとは別に、米飯納入業者が炊飯工場でご飯を炊き、一人分をそれぞれ個別の器に入れ、ふたをして各学校の配膳室に配送している。配送された給食は、職員が配膳室から各教室や職員室などに運んでいるという。 どうして混入したかについて同課は、米飯納入業者が経緯を調査したが、19日時点で不明だとしている。 市は同日、ご飯の提供を受けた市内の各学校の保護者にお詫びの通知文を出した。

「人生という旅を楽しんで」 日本国際学園大学で卒業式

日本国際学園大学つくばキャンパス(つくば市吾妻、橋本綱夫学長)で19日、卒業式が催された。同キャンパスで学んだ49人の卒業生を前に橋本学長は「人生百年時代の中で、皆さんはこれから80年先の未来に向けて歩むことになる。80年前のことを考えると時代が大きく変わってきたことがよくわかる。これから苦難が待ち受けているかも知れないが、人生という旅を楽しんで欲しい」とエールを送った。 卒業生を代表して経営情報学部人文科学専攻の朝妻翔さん(22)は「大学の4年間で自分ができることは積極的に挑戦し、成長すること、そして一人で解決しようとするのでなく周囲の人の助けを借りることの大切さを学んだ。自分が気づかないことでも他の人の客観的な視点が必要なこともある。SNSやオンラインゲームで簡単に世界とつながれる時代だからこそ信頼できる関係を築くことが大事だと思う」と答辞を述べた。 式典では、同学部情報・デザイン専攻の伊藤祥一郎さんが橋本学長から学位記の授与を受けた。さらに優秀な成績や功績があった卒業生に褒賞が授与され、同学部人文科学専攻の朝妻翔さんと情報・デザイン専攻4年の伊藤祥一郎さんにそれぞれ学長賞が、佐藤緑咲さんに前身の東京家政学院創立者、大江スミの名を冠した大江賞が贈られた。 取手市出身の卒業生、千葉譲さん(22)は「4年間は授業とアルバイトに追われて忙しかったが、無事に卒業出来てよかった。これからはバスの運転手になるので、社会人として頑張っていきたい」と語った。 同大は1990年、東京家政学院大筑波短期大学として開学。96年に4年制の筑波女子大学になり、2005年に男女共学の筑波学院大学になった。大学の運営は19年度に東京家政学院から学校法人の筑波学院大学に移り、23年からは学校法人名を日本国際学園に変更した。一昨年からは姉妹法人の東北外語学園(仙台市、橋本理事長)が運営する仙台市の東北外語観光専門学校に新たに日本国際学園大学の仙台キャンパスを設置した。 つくばキャンパスは、経営情報学部ビジネスデザイン学科に、国際教養モデル、現代ビジネスモデル、公務員モデル、AI・情報モデル、コンテンツデザインモデルの五つがあり、各モデルから選択し専門の学びを深めることができる。外国人留学生は日本文化ビジネスモデルで学ぶことができる。(榎田智司)

土浦の新小学1年生に黄色い帽子を寄付 JA水郷つくば

新年度に土浦市内の市立小学校と義務教育学校に入学する全ての新小学1年生に向けて、JA水郷つくば(土浦市小岩田西、池田正組合長)が883個の黄色い交通安全帽子を土浦市に寄付し、18日同市役所で寄贈式が催された。池田組合長から安藤真理子市長に目録などが手渡された。 交通安全帽子の寄付は同JAが地域貢献活動の一環で1977年から始め、今年で49年目となる。以前は男子がキャップ型、女子はハット型と性別で形が異なっていたが、2024年度から性別を問わず共通のハット型とした。 式典でJA水郷つくばの池田組合長は「この事業が始まった時は農協が合併する前だった。自分が入所した頃からやっていることなので感慨深い。小学1年生は、黄色い帽子をかぶっているのが知れ渡っているので、運転手も気をつけてくれる。今後も支援を続けていきたい」と話し「帽子ではなくヘルメットという声もあったが従来通り黄色い帽子となった」と付け加えた。 寄付を受けた土浦市の安藤真理子市長は「交通安全は市としても大事なことなので、長い期間寄付を続けていただき大変感謝している。子供たちには毎日元気に登下校してもらいたい」と述べた。 寄贈式では土浦市が1976年から毎年、入学祝い品として新1年生に無料で贈呈しているランドセルも用意された。ランドセルも今春から性別に関係なくジェンダーレスの薄い茶色になる(25年5月2日付)。 新小学1年生に対するJA水郷つくばの交通安全帽子の寄付は、土浦市のほか、管轄する龍ケ崎、牛久、かすみがうら、利根、美浦、阿見の7市町村全ての公立小学校と義務教育学校に対して行われる。(榎田智司)