日曜日, 6月 7, 2026
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ガザ侵攻から1年 パレスチナにルーツ持つ女性が第3回イベント

29日、つくばセンタービル

料理やアート、映画の上映を通じてパレスチナを知るイベント「パレスチナ・デイ」(パレスチナ・デイ・つくば主催)が29日、つくば駅前のつくばセンタービルにある市民活動拠点「コリドイオ」で開かれる。主催するのは、パレスチナ人の父を持つ、つくば市在住のラクマン来良さん(35)ら市民有志。今回で3回目の開催になる。

3月のイベント(2月27日付)には県内外から100人を超える来場者があった。「ガザ侵攻から1年。関心が薄まりつつあるのを感じるが、現地では攻撃が今も続き、多くの子どもや大人が犠牲になっている。まずはパレスチナという場所があると知ってほしい。関心につなげられたら」とラクマンさんは思いを込める。

活動する仲間が作ったポスターには、パレスチナに関するイラストがあしらわれている

父親が西岸地区に

ラクマンさんの父親は、パレスチナのヨルダン川西岸地区にあるカルキリアという街で自営業を営んでいる。父親とは昨日も電話で話をした。「カルキリアには一時的にイスラエル兵士が入り、住民を逮捕したり、殺害することもあった。今は比較的落ち着き、普通の生活ができているよう」だという。

ラクマンさんはパレスチナ人の父と日本人の母親のもとで1988年に埼玉県で生また。日本で育ち、15歳の時、初めてパレスチナを訪ねた。自身の文化を知ってほしいと願う父親の思いもあり、日本の中学を卒業後は、家族で5年間、隣国のヨルダンで過ごし、親族が暮らすパレスチナをしばしば訪ねた。そこで初めて見た風景に、ラクマンさんは衝撃を受けた。

現地はどこに行っても検問所があり、検問所を通過するたびに銃を持つイスラエル兵に身分を確認された。身分証のチェックだけでなく、家族の出自や職業、居住地、国籍の異なる両親がなぜ出会ったのかなどまで細かく詰問された。「イスラエルという国がパレスチナをコントロールしていた。これまで自分が生きてきた世界とは全然違う世界があった」と言い、「自分がパレスチナ人として扱われる中で、父から聞いていた『パレスチナ人には国がない』ということがどんな意味か実感した。自分たちは占領されている立場だと感じた」と振り返る。

20歳で日本に帰り、改めてパレスチナについて学んだ。入学した日本の大学ではパレスチナに関するサークルに入りイベント開催を通じて啓発活動を始めた。現在はドイツ人の夫とつくば市に暮らし、3人の子どもを育てている。

3月に開かれた第2回パレスチナ・デイの様子(パレスチナ・デイ・つくば提供)

ママ友と声を上げる

今回、イベントを一緒に主催するつくば市の松﨑直美さん(54)は、子どもの学校を通じて知り合った「ママ友」だ。松﨑さんはラクマンさんとの出会いを通じてパレスチナへの関心を深め、昨年10月のガザ侵攻後は、都内で行われた抗議デモにラクマンさんと何度も参加した。今年1月には、駐日パレスチナ常駐総代表部(東京都港区)で開かれたパレスチナの伝統模様をあしらった刺しゅうのワークショップに参加した。最近はつくばで松﨑さん自身がパレスチナ刺しゅうを広める活動をするなど(7月1日付)文化活動を通じて現地のことを伝えている。

「パレスチナ・デイ」は「自分たちが暮らすつくば市でも何かしたかった」というラクマンさんの思いに松﨑さんが協力し、昨年12月に立ち上がった企画だ。第1回はラクマンさんの自宅で開いた。活動を続ける中でつながった人たちとプラカードを手に街頭に立ち、パレスチナへの連帯を表す「スタンディング・デモ」を市内で行っている。

自分の家族と重なる

昨年10月に始まったイスラエルの武力侵攻の直後、ラクマンさんは心に深い傷を負った。「子ども達が殺されているのを映像で見る。たくさんの大人も傷ついている。彼らが自分の家族と重なる。自分の子どもだったらと考えると仕事が手につかず、うつ状態になり、カウンセリングを受けた」と明かす。しかし「自分がうつになっても何も変わらないし、パレスチナのために何もできない。何ができるか考えたときに、日本の人にパレスチナのことを知ってもらうことをしようと思った」

その後の複数回、ラクマンさんは自身の子どもを連れて親族が暮らすパレスチナを訪れている。「子どもには現地を見せたかった。親戚もたくさんいる。特殊な状況でも人はとても温かい。皆、また行きたいと言ってくれている」と話す。

ラクマンさんは、自身がパレスチナにルーツを持つ人間だからこそできることがあると考える。「日本人の考え方もわかるし、パレスチナ人がこれまでどんな目に遭い、何を思うのかを家族を通じて知ることができている」と話し、「パレスチナで起きていることは、国同士の戦争ではない。民族浄化、ジェノサイドが起きている。パレスチナという場所があると知ってほしいし、関心を持ってほしい。これからも、できることをやっていきたい」と語る。(柴田大輔)

◆イベント「パレスチナ・デイ」は29日(日)午前11時から午後6時まで、つくば市吾妻1-10-1、つくばセンタービル内の市民活動拠点コリドイオで開催。午前11時からは、ジャーナリスト古居みずえさんがパレスチナで撮影したドキュメンタリー映画「ぼくたちは見た」の上映会が、午後1時からは、アーティストKENさんがパレスチナをテーマに絵を描きながら、参加者とのお話会を開く。午後3時30分からは、ガザ出身の女性らによるパレスチナ料理教室が共催団体により開かれる。そのほかパレスチナに関するパネル展、文化、書籍の紹介、雑貨や軽食の販売などがある。上映会とアーティストKENさんの企画は3階大会議室で、参加費はそれぞれ1000円と500円。パレスチナ料理教室は1階調理室で、参加費は3500円。一部の参加は事前予約制。問い合わせは「パレスチナ・デイ・つくば」のインスタグラムへ。

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所属している写真クラブの垣根を越え、写真愛好家なら誰でも参加できる企画展「形のない集団の写真展」が2日から、土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町)で開かれている。4回目の開催で、20人の作品100点が展示されている。 土浦には写真クラブが20団体ほどあり、数十年の歴史をもつクラブも多いが、写真愛好家と指導者の高齢化のためクラブが減少、解散するところも出てきた。それぞれの写真展も会員の減少で開催が困難になり、愛好家の発表の場がなくなってきたことなどから、誰でも参加出来る写真展を企画することになった。 土浦市在住の写真家、高木紀英さん(74)が「何とかしたい」という使命感をもち企画した。知り合いの写真愛好家に声を掛け、4年前、開催にこぎつけた。「苦労しているという気持ちよりも、好きなことをしているという感じの方が大きかった」と高木さんは振り返る。4年前は、出展者10人、展示作品50点だったが、年々参加者が増え、現在は2倍に輪が広がった。写真展は高木さんが会長となり運営する。しかし会としての活動は写真展開催以外一切なく、組織化することもないという。 2日から開かれている写真展には、スナップ写真、風景、花などの作品が、カラーやモノクロで展示されている。大きさやテーマに縛りはないが、額装のマットは白に統一した。 高木会長は、モノクロの「凛」という作品を展示する。ほかに、人の足をアップしたり、平安時代から伝わる菊結びなどをとらえたり、感性に訴える作品が並ぶ。副会長の吉田亘好さんは、若者の街、東京・下北沢で出会った出来事や物象をクローズアップして捉えた作品を展示する。また建物だけをさまざまな角度で撮った北見隆久さんの写真や、写真が一つ一つ物語になっている吉原世都子さんの作品など、それぞれが個性豊かで自由な世界を表現している。吉原さんは「個展を開くなどとても出来ないので、この企画はとてもありがたい」と語る。 高木会長は「写真愛好家の高齢化が進み70代後半から80代の方が多い。しかし今回は40代の方が2人参加し、作品を作っている感じがとても良いと言っていた」と語り、昨今、写真がSNSで発表されていることに触れ「SNSでは直接顔を合わせて会話することが出来ないが、写真展では語り合うことが出来るなど良い面もある。一方、写真展に展示する作品は、プリントして額に入れなければならないという作業があるが、SNSにはそれがない。これからの写真展にどういう未来があるのか全く先が読めない」などと話した。 ◆「形のない集団の写真展」は6月2日(火)~7日(日)まで、土浦市大和町1-1、アルカス土浦(市立図書館)1階、土浦市民ギャラリーで開催。開館時間は午前10時~午後6時。入場無料。問い合わせは北見隆久さん(電話080-1043-7551)へ。