【コラム・斉藤裕之】毎週火曜日、この海辺の街では市が立つ。空き家になった建物などを利用して、街おこしのような形で始まったものらしい。だから、市ではなくて今風のマルシェと呼ばれている。
私は元金物店だったというジャンクショップをのぞくのが好きで、その日はライトグリーンに塗られた物干し用の金具を安価で手に入れた。それから、いつもは斜め向かいの店で柏(かしわ)餅を買って帰るのだが、あまりの暑さに喉を通らないような気がしてやめた。
ここは室積(むろづみ、コラム124参照)。かつては海の交通の要所として栄え、また美しい砂浜の海水浴場や陸系砂州として、教科書にも載る象鼻が岬(ぞうびがさき)で有名な街。
さて、マルシェを後にした私は以前たまたま見つけた半島の反対側にある小さな入り江に向かった。そこには地元の人しか知らないようなきれいな浜があって、そのときは恐らく近所の方だろうと思われる親子連れが波打ち際で遊んでいた。岸壁ではこれも地元の方だろう、3人ほどの釣り人。
どうやらサヨリを釣っているようだ。さて、そこから少し先にある小さな港まで行ってみようと思って車を走らせたそのとき、「売土地」と書かれた看板が目に入った。
気になって、少し戻って車から降りてみた。生い茂った庭木と古い平屋。入り江に面していて、先ほどのビーチやその先の海水浴場まで見渡せるまさに海辺の一軒家。そのときは「へー」という感じで、数枚の写真を撮ってその家を後にした。
青い空、白い雲、遠くの島々…
その日の夕食時。義妹の手によるカワハギの煮つけをつつきながら、「そういえば今日こんなのがあってさ…」。私は思い出して、スマホの画像を弟夫妻に見せた。「いいじゃん!」。話のネタとして披露したつもりだった私にとって、弟のこの反応は意外だった。
実は、弟もかねがね同様の物件をネットで探していて(弟の場合は主に日本海側、釣りのためのシーカヤックの拠点としてだが)、その弟が立地条件や建物、環境、それから価格を見て、お買い得物件だと言うではないか。
しかし、これまで無目的に住まいを移したことはない。勉強のため、仕事のため、家族のために、住む場所は必然的に決めざるを得なかった。果たして海のそばに住みたいというわがままは通用するのだろうか。
だが、ごく近い将来、日雇い先生も辞める日が来たとき、果たして私は何をして過ごすのだろう。そう思うと、この海辺のボロ屋がユートピアに思えてくる。ここを好きなように直しながら暮らしたいと思った。
数日後、私と弟は件(くだん)の売り家の前の浜にいた。この夏新調したという弟のシーカヤックの進水式。初心者の私は、一応の説明を受けて海へと漕(こ)ぎ出した。穏やかで透き通った瀬戸内海。いつまでもギラギラしている今年の太陽も、この時ばかりは心地よく感じられた。パドルの使い方も何となく分かってきた。
テトラポットを超えて私は漕ぐのをやめて周りを眺めた。青い空、白い雲、遠くの島々、砂浜に松原。そして、すぐそこに売り家が見える。瀬戸内の海は鏡のように穏やかだが、私の心の中にはさざ波が立っていた。どうする、俺!(画家)