【コラム・冠木新市】茨城県出身の詩人、野口雨情にはいくつかの謎がある。その一つ、「戦争は唄にはなりゃせんよ」と軍歌を作らなかった雨情だが、昭和7(1932)年に『爆弾三勇士』(映画探偵団32)、昭和9(1934)年に『水戸歩兵第二連隊歌』『地から生えたか 筑波の山と』(民謡・水戸歩兵の歌)を作詞している。これは一体どういうことだろうか。
私が『雨情からのメッセージⅡ/幻の茨城民謡復活コンサート』(2013年)を開催したとき(映画探偵団30)、『水戸歩兵第二連隊歌』の楽譜を探したが見つからなかった。その後も探し続け、『水戸歩兵第二連隊史』(水戸歩兵第二連隊史刊行会)に載っていることを知り、土浦市立図書館で楽譜をコピーすることができた。
長年の宿題を果たしたような気がしたが、改めて雨情がなぜ軍人の歌を作詞したのかの謎は残った。
コッポラの『地獄の黙示録』
コンラッドの小説『闇の奥』をベトナム戦争に舞台を移したフランシス・フォ一ド・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(1980年)は、公開当時、賛否両論が巻き起こった作品である。だが今では、ベトナム戦争映画の名作として評価は定まっている。
ウィラ一ド大尉は、ジャングルの奥地に米軍の命令を無視し独立王国をつくって君臨するカ一ツ大佐(マ一ロン・ブランド)の暗殺を命じられる。ウィラ一ドは川をさかのぼり、カ一ツの王国をめざす。旅の途中でベトナム戦争の狂気の数々を目撃する。それはまたカ一ツの人生を追体験する旅でもある。
始めは米軍の秩序だった戦闘シ一ンが続くが、川をさかのぼるにつれ、軍の秩序は崩れ混沌(こんとん)化する。旅の終焉(しゅうえん)は、死体が木につるされ、首がゴロゴロ転がる、カ一ツが住む石の宮殿だ。登場したカ一ツは暗闇の中にいて、時折顔の一部分が映る程度のシルエットで表現される。
そこでは、ウィラ一ドとカ一ツの謎めいた対話が主となる。戦闘シ一ンの前半部分と静寂な後半部分の落差が激しいため、盛り上がりを期待していた観客は肩すかしをくらうだろう。
1980年の劇場公開版(147分)の後も、コッポラ監督は、2001年特別完全版(196分)、2019年ファイナル・カット(182分)と、39年間にわたり改訂を続けた。
ペリリュー島でほぼ玉砕
『水戸歩兵第二連隊歌』の楽譜を手にするまでに、昭和19(1944)年、水戸歩兵第二連隊がペリリュー島で世界最強の米第1海兵師団と戦い、ほぼ玉砕した歴史を知った。米軍から勇敢な兵士と称賛を受けるが、生き残った兵士の話では、飢えに苦しみ、人肉を食べたり、脱走する仲間を撃ち殺したり、地獄の状況そのものだった。
連隊歌の3番の歌詞にはこうある。
雄々しき我等 益良夫は
死なば護国の 鬼となり
生きて最後に 残るとも
身は皇の 楯となる
ああわが水戸の 二聯隊
茨城健児の その名こそ
名は徒の ものなりや
雨情は、水戸歩兵第二連隊の玉砕を知ったとき、何を思っただろうか。来年2025年は雨情没後80年で、戦後80年でもある。私はそれまでに、この歌の謎を解きたいと思っている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)