【コラム・原田博夫】ハマスの急襲(2023年10月)に反発したイスラエル・ネタニヤフ首相によるガザ地区への容赦のない攻撃は止まる気配が見えない。双方が採用している戦略や武器類を比べると、宗教対立の域を超え、それぞれの国内政治事情や地政学的対立構図にからめとられている感がする。そんなイスラエルを私は一度だけ訪れたことがある。
2017年7月、イスラエル北部のハイファ大学でのイスラエル日本学会第3回隔年会議『平成時代を振り返って:日本におけるポスト工業化・消費者時代の主要な潮流』に参加したのである。
直前にノルウェー・オスロにいたこともあり、ドイツ・フランクフルト空港からの便を利用したのだが、現地(テルアビブ)到着が当日深夜に大幅にずれ込んだこともあり、入国審査が大いに手間取った。そのため(数名の入国審査官は審査業務をほとんどサボタージュ)、国内移動手段(公共交通機関)が途絶え、タクシーでの長距離・長時間・高額移動を余儀なくされた苦い思い出がある。
この会議で、私は報告「日本におけるウェルビーイング:2015年サーベイ調査から」を依頼されていた。会場・主催はハイファ大学ロテム・コウナー(Rotem Kowner)教授だった。同教授は、近代日本の人種問題・意識を専門領域にしていて、筑波大学で学位(博士論文は「日露戦争の影響」)を取得していたこともあり、われわれ2人の間では会議の合間、つくば・土浦の飲食店や筑波山・霞ケ浦の話題で盛り上がった。
基調講演は『民主と愛国』(新曜社、2002年、1000ページ近くの大著)などで知られる慶應義塾大学・小熊英二教授で、圧倒的な熱量で参加者に語り掛けていた。この会議の報告者には日本文学を専門にするイスラエル人研究者もいて、文学作品の執筆当時の社会情勢と文学作品の同調やズレを指摘していて、社会意識の高さを感じた。
日常と戦時体制のギャップ
このように、イスラエルにおける日本研究の着実な浸透を体験できたことは貴重だった。と同時に、イスラエルの風物にも興味深いものがあった。以下、4点紹介しておく。
第1に、ハイファはイスラエルの北端で、大学は地中海を西方に見る山の頂上付近に立地していた。紺碧(こんぺき)の地中海の夕刻は、爽快そのものだった。キャンパスから北に目を転ずると、国境線を挟んだヨルダンには巨木の点在が視認でき、彼の地の古代森林資源の豊かさを彷彿(ほうふつ)とさせた。
第2に、そのキャンパスに向かうべく、朝、定期バスで通勤・通学客と一緒に乗り合わせた女子中学生たちの騒々しさは、ひどかった。でも、他の一般乗客たちはこうした喧(かまびす)しさには慣れているのか、無視していた。子供はどこでも元気で傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なのだ。
第3に、ハイファの街中では、地中海の強い日差しの下、ヒジャブを纏(まと)ったアラブ系(と思しき)婦人たちが三々五々、買い物に出歩いていた。彼の地でのアラブ系との日常的な対立を想定していた私は、このきわめて平穏な風景には驚いた。
第4に、ところが帰路の電車から途中停車駅のホームで見かけた、銃を抱えキッパーをかぶったハイティーンが(軍服姿ではなく普通の身なりで)佇(たたず)んでいて、それを周りの誰もが咎(とが)めるわけでもない様子に、再度の驚きを禁じ得なかった。
こうしたイスラエルにおける当時の日常と現下の戦時体制(内戦状況)のギャップには、大いなる戸惑いと絶望感を禁じえない。(専修大学名誉教授)