【コラム・三橋俊雄】私は1997年に職場を京都に移し、主に丹後半島の農山漁村を中心として「里山の暮らしを学ぶ」活動を続けることにしました。今回は、赴任して数カ月後に訪ねた、宮津市北部・奥波見(おくはみ)集落の桶(おけ)職人Yさんご夫妻についてお話しします。
京都府立丹後郷土資料館の案内で、Yさん宅に向かいます。天橋立を通り過ぎ、山間の集落入り口で車を降りて急な山道を登ると、深紅の彼岸花が盛りでした。狭い切り通しを過ぎた突き当たり、杉林の手前にYさん宅がありました。
Yさんご夫妻との出会い
玄関脇の水場には、小ぶりの木桶に山から引いた清水が張られ、中に小粒の栗が漬かっています。軒下には、大きな笊(ざる)に、この地方独特の細長いナスと厚肉のピーマンが並べられ、箕(み)にはインゲンに似た野菜が干してあります。静かです。暮らしの気配は感じられますが、案の定、家にはどなたもおられません。
裏山の小道を登って行くと、小さな畑が広がり、奥さんのHさんが畑仕事の最中でした。ひとしきり、畑の作物の話を伺ってから家に戻り、土間から座敷に上がると、間もなく、桶づくりのタガに使う山竹を手に、ご主人のTさんが帰ってきました。その日は、桶づくりの話ではなく、里山の生活全般についてお話を伺うことにしました。
Hさんの冬場の仕事は藁(わら)仕事と筵(むしろ)織りです。
藁仕事は、ひと冬に草履20~30足、背負子(しょいこ)のオイソ(背負い綱)を人から頼まれて6つほど作るそうです。藁を丸めてオイソをこすり、つやとなめらかさを出す「コスリ」の作業が、なかなかつらいとのこと。また、背負子の背当て部分の縄綯(な)いも行います。写真の背負子は、木部をTさん、藁部をHさんが作られました。
筵織りは、まず藁打ちをして、縦糸になる藁縄を60尋(ひろ)綯(な)います(1尋は両手を左右に伸ばした指先から指先までの長さです)。さらに、両側の太めの縦糸(ミミナワ)を綯います。横糸には、長さ1メートル以上のモチイネの藁を用います。横糸の藁が短く途中でつなぐと、できた筵に穴が空いてしまうからとのこと。1枚織るのに3日を要します。
「足るを知る」生き方
集落の共同作業についてもお聞きしました。「クロアゲ(雪が消えたころの、たまった落ち葉の溝掃除)」や「集落の植林(杉の枝打ち、下刈り、植林)」「田んぼの水路掃除」などは村中で行う「総仕事」でした。
10月の秋祭りはまだ続いていましたが、田植えの後に行う「サナブリ(ご苦労さん会)」は止めてしまった家もあるようでした。
「地蔵盆」「2月2日の火祭り(Tさんが4歳のころに村中が火事になり、それを忘れないように皆で話をする)」「9月1日の風日(台風がひどかったことを思い、仕事を休む)」「虫送り(太鼓をたたいて、ヌカムシオクッタ、フネガタニオクッタと叫ぶ)」「キツネガリ(キツネガエリイッソウロウと言ってキツねを追い出す)」などの年中行事は、今では行われないとのことでした。
Yさんご夫妻とは、その後10年以上のお付き合いをさせていただき、「自給自足」の暮らし、「足るを知る」生き方などについて学ばせてもらいました。(ソーシャルデザイナー)