火曜日, 10月 8, 2024
ホームスポーツ全国からトップ選手が参加 日本発祥 視覚障害者テニス大会

全国からトップ選手が参加 日本発祥 視覚障害者テニス大会

22、23日 つくば 洞峰公園体育館

日本発祥の視覚障害者テニス「ブラインドテニス」の国内大会「第22回関東ブライドテニス茨城オープン大会」(主催 日本ブラインドテニス連盟関東地域協会)が22、23日の2日間、つくば市の洞峰公園体育館で開催される。ブラインドテニスは1980年代に視覚障害者の競技として日本で誕生し、世界30カ国以上で楽しまれている。今大会には全国から日本のトップ選手らが集まる。

3次元のスポーツ

宙を飛ぶボールの音を頼りにラリーを打ち合い、ボールの落ち際へラケットを持つ手をいっぱいに伸ばして打ち返す。まるでボールを目で追っているかのような激しいプレーに観客はぐいぐい引き込まれる。主催団体で事務局長を務める佐々木孝浩さん(43)はブラインドテニスの魅力を「見えていない中で、空中に浮いたボールを打ち合う『3次元』のスポーツ」だと話す。佐々木さん自身、視覚障害の当事者として競技に打ち込んできた。

ラリーをする佐々木さん

視覚障害者の球技はフロアバレーボールやサウンドテーブルテニスなど、床やテーブルといった平面を転がるボールを打ち合う2次元競技が多い。3次元競技のブラインドテニスは、バウンドしたり、回転したりする際にボールから聞こえる音を頼りに空中を行き交うボールを打ち合う。音が出る特殊なボールを使う。スポンジボールの中に入る金属球同士が、ボールの動きによって中でぶつかり音が出る仕組みだ。変化する音を頼りに選手はボールの位置を把握する。

「空中の音、バウンドした時の音で距離、位置、高さを推測する。回転も音で分かる。スライスをかけられると空中で音が消えることもある。打った時の音でいかにそこ(打点)に入れるか。平面に比べて難易度が高い一方で、他の競技では体験できない感覚を味わえる」と、佐々木さんは競技の醍醐味を話す。

試合は、視力や視野に応じて全盲の「B1」から弱視の「B3」まで3クラスに分かれて行われる。バドミントンと同サイズのコートには、テープで引かれたラインの下にタコ糸をはわせ、盛り上がる糸の感触を頼りに、選手は自分の位置を確認する。

競技は屋内で行われる

80年代に誕生、世界へ

主催団体によると、ブラインドテニスの始まりは1980年代。埼玉、東京、神奈川の障害者スポーツ関係者と視覚障害の当事者が中心になり、視覚障害者もプレーできるテニスの開発が進められた。1990年、国立身体障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)で最初の全国大会が開催されたのが、競技としての始まりだ。2007年からは海外にも紹介され、現在までに5大陸30カ国以上に普及した。近年は国際協会が発足し、ヨーロッパを中心に毎年国際大会が開かれている。参加する日本選手は上位に食い込み、発祥国として世界をリードしている。

茨城大会の始まりは01年。当事者のメンバー有志と日本女子テニス連盟茨城支部の協力で始まった。当初はひたちなか市内の体育館を使用していたものの、11年の東日本大震災で会場が被災したのをきっかけに、同年からつくば市の洞峰公園体育館に移り、18年に牛久市で開催した以外は、洞峰公園での開催を続けている。20年、21年はコロナ禍で中止となった。

普及のきっかけに

現在、国内の競技人口は約300人。国内の代表組織である日本ブラインドテニス連盟では、全国各地で体験会を開いたり、国外へ赴いたりするなど競技の普及に努めている。同競技の地域組織で、今大会を主催する同連盟関東地域協会の杉本唯史副会長(46)は「大会を開く意義は、プレーヤーが競い合い、活躍の場を提供すること。同時に、プレーを色々な方に見ていただき、視覚障害の当事者に興味を持ってもらうこともある。『空中のボールを打つ』という迫力あるプレーを、当事者以外にも見てもらい、競技の魅力を伝えたい」と大会開催に込める思いを語る。同協会の新井彰会長(41)は「今大会には北海道から鹿児島まで、全国からトッププレーヤーが参加する。1試合目から高いレベルの選手同士のラリーが見られるはず。一人一人の独自のプレースタイルを築く選手たちの姿を見てもらいたい」と来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆第22回関東ブラインドテニス茨城オープン大会は、6月22日(土)が午前11時から午後6時、23日(日)が午前8時半から午後4時まで、つくば市二の宮2-20 洞峰公園体育館で開催。入場無料。来場は事前申し込み必要。問い合わせは関東地域協会事務局(メール jimukyoku@kanto-bta.jpn.org)へ。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

共生社会創成学部を新設 筑波技術大 2025年度から

「手に職」から社会創造へ 聴覚と視覚に障害のある学生を対象とした国内唯一の国立大学、筑波技術大学(つくば市天久保、石原保志学長)が2025年度から新しく、共生社会創成学部を開設する。定員10人の視覚障害コースと、5人の聴覚障害コースの2コースを設ける。新学部は、障害者を含む多様なマイノリティが活躍できる社会システムをつくる人材の育成を目指すとし、専門技術を持つ職業人の養成に取り組んできた同大にとって新しい取り組みとなる。 一方、定員割れとなっていた学科で定数を減らす。保健科学部保健学科鍼灸学専攻が定員10人減、産業技術学部産業情報学科が3人減、同総合デザイン学科は2人減とする。 石原学長(67)は「学生の希望職種が多様化する中で、大学で高度な技術を身に付け就職しても、職場での障害に対する理解不足から力を発揮できずに体調を崩すなどして離職してしまうケースを見てきた」とし、新学部では「総合的な教養と権利意識を身につけ、自信を持って意志を伝え、障害があっても生き生きと能力を発揮できる社会を主体的につくっていける人材を育てたい」と語る。 国は企業や公的機関に対して一定の割合で障害のある人の雇用を義務づけ、今年4月からは、音声読み上げソフトや筆談の導入など、障害の特性に応じた配慮をする「合理的配慮」が民間企業にも義務化された。障害者が社会に参加するための制度が整備されつつある一方で、「障害者を採用する企業の人事は合理的配慮の意味を知っていても、配属される現場での理解が進んでいない」と石原学長は言う。 障害者政策をつくる人育てる 新学部で重視するのは、必要な支援と権利を自ら説明する「セルフアドボカシー」と、意見を伝えるために自分に自信を持つための「エンパワーメント」だと石原学長は説明する。在学中は、誰もが必要とする情報に簡単にたどり着き利用できる「情報アクセシビリティ」や、障害と社会の仕組みを学ぶ「障害社会学」などの授業を通じて人権意識を身に付ける。一般的なインターン制度よりも長期間、企業や公官庁で就業体験をすること通じて、より実践的な職場体験を積むカリキュラムも設ける。 さらに、バリアフリーに対応する企業に障害当事者として意見を伝えるなどし、社会の一員としての意識を育てるとする。他大学と共同で授業を行うなどの連携や、新学部内で視覚障害学生と聴覚障害学生が同じ教室で学ぶ授業を通じて自分の障害を客観的に知る機会を積極的に設けるなどするという。 石原学長は「周囲との関係の中で、適切な環境を自発的に作るための具体的なスキルを在学中に身に付けさせたい」とし、「障害のない人と障害者が同じ暮らしを送ることができる環境作りを、国や自治体の中に入り、政策として築いていける人材を育てたい」と話す。 「昔は(障害者は)かわいそう、自分の身内に生まれるとできるだけ隠しておこうという時代があり、障害があることで、どうしても遠慮してしまう人もいる」とし、「これからは、それぞれが身を置く場所で生き生きと能力を発揮できる、自信を持って自分から前に出ていける学生を育てていきたい。今は、社会環境が整備され、将来の可能性はますます広がっている。障害があってもなくても、誰もが幸福に生きられる社会の実現を目指し、それぞれの社会環境に合わせて能力を発揮できるような意識と意欲をもってこの大学に入ってきてほしい」と呼び掛ける。(柴田大輔)

広告宣伝に取り囲まれている生活《ハチドリ暮らし》42

【コラム・山口京子】家にいて本を読む時間が増えています。関心のある問題については、もっと知りたいと、その問題に取り組んでいる団体の通信やブックレットを購読しています。そうして感じることは、「さまざまなメディアが発信する広告のイメージと、実際の商品や企業の実態との隔たり」です。 わたしたちの暮らしは広告宣伝に取り囲まれているといっても過言ではないでしょう。また、テレビのニュース番組は、ニュースを報道しているというより、娯楽番組になっているような気がします。どんどん新しいニュースが流れ、情報として消費されるだけで、その背景や構造について問うことはないまま、知るべきことが知らされていないのでは…。広告が伝えることではなく、事実がどうなっているのか…。 たとえば、毎日の営みである食べること。テレビのコマーシャルではさまざまな食品が”おいしい・たのしい・お手軽・お得”といったイメージで流れています。ですが、違和感はありませんか。 次々あふれ出る疑問 こんなにたくさんの食品があれているのはなぜかしら? 原材料はなにかしら? 生産地はどこかしら? どんな作られ方をしているのかしら? 農薬や成長ホルモン、抗生物質や添加物、遺伝子組み換えやゲノム編集などはどうなっているのかしら? 国が定める基準はどうなっているのかしら? 個別単体では基準値以下でも、複合的に多くの食品を長期間摂取すると人体への影響は大丈夫なのかしら? その作物や家畜を育てるために必要な水や肥料、エサなどはどのくらいなのかしら? 流通にはいくらかかっているのかしら? 製造段階・輸送段階などで消費するエネルギーや排出する二酸化炭素はどうなっているのかしら? この食品を食べた場合のカロリーや糖分、脂質、塩分はどのくらいなのかしら? ゴミとしてどんなものが、どのくらい廃棄されているのかしら? この商品価格の場合、生産者が得られる取り分は何割くらいなのかしら? 企業の利益はどのくらい出ているのかしら? この商品価格に占める広告宣伝費はいくらなのかしら? その業界団体はどんなロビー活動をしているのかしら? これからも食品は十分に供給されるのかしら? 自分で調べることが大事 ですが、現実に買い物に行けば、深く考えることなく、商品をカゴに入れている自分がいます。多様多彩な映像に覆われて、世界がカモフラージュされ、現実の商品の実際のところが分からなくなっているような…。 自分で調べるという習慣がますます大事になっています。そんなとき、農林水産省ホームページ(HP)の、新たな国民運動「食から日本を考える。ニッポンフードシフト」の記事が目に留まりました。(消費生活アドバイザー)

福来みかん自家製パウダー 料理に添え提供 筑波山麓のレストラン

郷土の味と歴史伝えたい 筑波山麓にあるつくば市下大島のレストランキャニオンは、来客が注文した料理に地元特産の福来みかんの皮から作った香りのパウダーを添え、料理の味わいを深めるサービスを提供している。このパウダーは同店専務の平田ことさんが手作りしており、市販はされていない。どんな手間がかかり、何を伝えようとしているのか。 調べ物に興じる ことさんは、同店の店主、平田貴夫社長の母親。創業者である故・平田和夫さんと半世紀、店を切り盛りしてきた。 最初は、地域で販売されている七味唐辛子の中に含まれる福来みかんの皮の粒に、どんな意味があるのだろうと疑問を感じたことが始まりという。ことさんは、調べ物に興じた。 福来みかんは、筑波山麓で広く栽培されてきた「橘(たちばな)」がもともとの出自として万葉集や常陸国風土記に出てくることを知り、ことさんは調べ物を通して、意外にも地元の食材から郷土の歴史を歩み、薬膳にも使われたなどの逸話を知ることとなった。 「これはきっと、みかんの実のことを示しながら、どこかで皮を天日干しする利用方法が広まったのだなと考えた。そんなときに市の観光協会だったと思うが『福来みかんで何かメニューを作れないものか。地元の観光資源のような形で協力してほしい』という相談を持ち掛けられたんです」 そこで、店主の貴夫さんにメニューを開発してもらいながら、福来みかん自体をどうやって利用するか、ことさんは試行錯誤した。 乾燥に次ぐ乾燥の日々 福来みかんの皮は古くから陳皮(ちんぴ)と呼ばれ、皮を利用するレシピは、インターネットサイトでも紹介されている。七味唐辛子に利用するため皮を乾燥させて粉にするという作り方も、昔と変わっていない。 「よく水洗いした福来みかんを水切りして、皮を材料にするのは陳皮づくりそのまま。皮は水分がなくなるまで何日も乾燥させ、水分が抜けたところでミキサーにかけてすりつぶすが、粒の大きさをどの程度まで細かくするかは何度か試しながら決めていく。パウダーと呼べるまで粒を小さくしながら、風味を無くさないように容器に入れて密封する」 キャニオンではこれまで、パスタ料理やカレーライス、豚肉を使ったハンバーグなど、福来みかんの風味を感じられるメニューを作り出している。定番の料理にもこのパウダーは提供される。味噌汁に振りかけても風味が良くなる。 「5キロくらいの量を生産者さんから買い付けると、当面は店で出せる分を確保できる。大量生産するような設備はないし、それができてもパウダーそのものを市販するというのはつくばの食文化に失礼な気持ちがあるので、うちの料理に添えさせてもらうだけで充分」 間もなく福来みかんの収穫期がやってくる。平田家ではまた皮をむき、乾燥の日々が始まる。このパウダーは家庭でも作ることができるが、平田家の手間と苦労を思うと、食事に出かけていった方が良いかもしれない。 ところで、「実」の方は利用価値がないのだろうか。「マーマレードなどに使えると思うが、そこまでやってない。実については家族総出で食べています」。ことさんはにこやかに「苦みと酸味で大変よ」と言う。 レストランキャニオンでは、福来みかんの話を聞くこともできる。(鴨志田隆之)

本サイトは発足から7年《吾妻カガミ》193

【コラム・坂本栄】このニュースサイトは今秋でスタートから7年目を迎えました。地域紙の元記者だったライターが核になり、市民記者も参加するネットメディアですが、なんとか形が整ってきました。そこで9月下旬、7周年記念の意味合いも込め、土浦の老舗料亭が保有するお宝の写真展、小説家と社会学者に土浦の歴史と文化を語ってもらうトークセッションを開きました。NPOメディア活動の延長上のイベントです。 写真展と討論会を主催 トークセッションの様子は、記事「…海軍予備学生の寄せ書き屏風…」(9月30日掲載)をご覧ください。また、写真展の内容については、記事「…霞月楼所蔵品展が開幕…」(9月24日掲載)をご覧ください。 開幕記事には、4年前の12回連載記事「霞月楼コレクション」へのリンクも張ってあります。今回の霞月楼所蔵品展は、この連載から選んだ写真を展示しようと、2020年秋に予定していたものです。ところが、コロナ禍で延期を余儀なくされ、4年後に実現しました。リンク先に飛べば、今回展示したコンテンツの数倍の写真とその解説をチェックできます。 また「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」(2023年7月、早川書房刊)の著者・高野史緒さんと、「『軍都』を生きる 霞ヶ浦の生活史 1919~1968」(2023年2月、岩波書店刊)の著者・清水亮さんにお願いした「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」は全て録音録画し、YouTubeにアップしました。トークセッション記事の末尾にリンク先が張ってありますので、2時間の「語り」を視聴できます。 ネットメディアの強みは、サーバー内に格納した過去記事にアクセスできることです。また、他のサイトにリンクを張り、その内容を本サイトの記事で紹介する工夫もしています。さらに、Googleニュースなどのプラットフォーム経由でも本サイトの記事を読めます。 文字(テキスト)や写真(静止画)だけでなく、動画を扱えることもネットメディアの強みです。今回のトークセッションの録音録画は、土浦市内にスタジオを構えるネットテレビ局「Vチャンネルいばらき」にお願いしました。 大戦間に飛来した飛行船 巨大な飛行船が霞ケ浦畔の旧海軍航空隊基地に飛来したのは1929年8月のことでした。第1次世界大戦と第2次世界大戦の間、第1次大戦の反省の上に立って平和の必要が叫ばれ、経済的な豊かさが追求されていた時代です。まだ飛行機が珍しいころ、旅客船並みの飛行体が飛んできたわけですから、地域の住民は大騒ぎでした。 当時の資料を駆使して書かれた清水さんの本を読むと、ツェッペリン伯号を迎えた土浦エリアの熱狂がよくわかります。高野さんのSF小説は、土浦二高パソコン部の女子学生と光量子コンピューター研究所(場所は土浦市東真鍋にあった結婚式場マニフィカ跡)に仕事でやって来た男子東大生が時空を超えて出逢い、95年前に飛んできたツェッペリン伯号を目撃するという話です。 ツェッペリン伯号の乗員は霞月楼で開かれた歓迎宴に招かれました。このため、霞月楼には当時の写真がいろいろ残っています。ここで霞月楼所蔵品展とツェッペリン伯号がドッキング、「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」が実現しました。 2つのイベントは、土浦ツェッペリン倶楽部に手伝ってもらいました。同クラブの協力がなければ実現は難しかったでしょう。また、地元の有力企業や社会奉仕団体に協賛していただき、必要経費をまかないました。その意味で、各種法人の寄付によって運営しているNPOメディアらしいイベントになったと思います。(NEWSつくば 理事長)