土曜日, 1月 3, 2026
ホームつくば一人ひとりの物語残したい つくばの尾曾さん 日系ブラジル人の語りを動画に

一人ひとりの物語残したい つくばの尾曾さん 日系ブラジル人の語りを動画に

日系ブラジル人の歴史と今の姿を知ってもらいたいと、つくば市の尾曾菜穂子さん(25)が動画制作に取り組んでいる。「当事者の語りを動画に残し、日系人が生きた足跡を後世に伝えたい」と語る。

今年3月ブラジルに渡り、2週間にわたって取材した。当初は10人ほどに証言してもらう予定だったが、協力者が増えて35人の日系人から話を聞くことができた。完成したインタビューは「ブラジル日系人の歴史と今の記憶」と題して15分程度の番組にし、随時動画共有サイトで無料配信する予定だ。

すでに公開している初回の動画には、福島県出身の夫婦が登場する。戦後、農業の担い手となる「コチア青年」としてブラジルに渡った夫(91)と、「花嫁移民」として移住した妻(88)の会話から2人が歩んできた道のりをたどる。当時の苦労を口にしつつも夫は「今の生活は天国」と話す。ブラジルで出会い結婚したとばかり思っていた妻に対し、実は夫は、日本にいた時に花婿の候補だったがブラジル行きが決定していたため結婚を断った経緯があったことをインタビューで初めて明かし、2人の運命的な関係に妻が感激する場面もあった。

配信された1回目の動画。ポルトガル語と英語訳も表記している

尾曾さんは「100分のインタビューを15分にまとめる作業が大変だった。どこを切り取るか迷ったが、できるだけ視聴者が共感しやすいエピソードを盛り込んだ。日系人の歴史に初めて触れる人にも分かりやすい内容を心掛けた」と話す。

取材は日本語とポルトガル語の両方の言語で書いた質問状を用意し、移住の経緯や家族構成、仕事内容、将来の夢などを質問した。過去を思い出して言葉に詰まったり沈黙したりする人もいたが、無理に言葉を引き出すことはしなかった。「初対面の日本人の私に人生を打ち明けてくれる。ありがたいこと。移住当初は似たような境遇でも、それぞれ考え方や現状が異なり多様な人生に触れることができた」と語る。

若者の生きるヒントになれば

つくば市で育ち古河市の小学校に入学した尾曾さんは、学校という小さなコミュニティーの中に居心地の悪さを感じ早く抜け出したいと思っていた。中学で英語に出合い、それまで生きてきた世界とは異なる文化があることに改めて気付いた。海外への憧れが募り、留学を後押ししてくれる県外の高校に進学。ブラジルに留学した先輩の体験談を聞き興味が湧き、大学に進学する前の1カ月間ブラジルを旅した。折しもカーニバルの時期で町はにぎやか。耳に入るポルトガル語の響きも心地よかった。外国人の自分に現地の人は「どこの国から来たの」ではなく「どこに住んでいるの」と聞いてくれた。国籍ではなく個人として見てくれたことがうれしかった。人々の懐の深さに触れ、一気にブラジルという国にのめり込んでいった。

大学卒業後の2022年から1年間、ブラジル日本交流協会の研修生としてサンパウロ州ピラール・ド・スールの語学学校で日本語を教えた。学校の敷地内にはさまざまな年代の日系人が集う場所があり、そこに通う人たちと親しくなった。その中の一人に、60年ほど前の16歳の時に家族と共に生活の糧を求めて鳥取県から移住した男性がいた。学校の勉強が好きではなかったという男性は、日本の社会科の教科書に載っていた大型のトラクターの迫力に釘付けになった。将来は農業をやるとの思いを強くし、その夢を持ってブラジルへ渡り希望を現実にした。

「大変な苦労があったと思うが、その人の言葉でいつも明るく前向きな気持ちにさせてもらった」。文化が異なる異国でたくましく暮らす男性の生きた言葉に勇気づけられ、自分も同じように大きな夢を持ち、その実現のために行動したいと思ったという。

現地で多くの日系人の人生に触れ、個々のライフストーリーこそが日系人の歴史そのものだと痛感した。「ポジティブに人生を切り開いた人の言葉は、前向きに生きるヒントがつまっている。かつての自分と同じように生きづらさを感じている若者の背中を押すきっかけになれば」と制作への思いを語る。

現在、尾曾さんは奈良県の種苗会社のインターンシップに参加している。働きながら見識を広げ、日系ブラジル人のストーリーを広める活動を展開している。「日本に滞在するブラジル人にもインタビューしたい」。誰かが記録しなければ消えてしまう一人ひとりの物語を残したいという。

動画は1本あたり15分程度。写真や資料を交えながら日系1~3世のインタビュー動画をユーチューブチャンネル「OSO NAOKO」で紹介する。4月から来年7月までに15本配信する予定。現在2話が公開されている。

ブラジルへの集団移住は1908年に始まり、主に農工業に従事した。外務省によると現在約270万人の日系ブラジル人が現地で暮らしており、海外で暮らす日系人数の半数以上を占める。(泉水真紀)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

霞ケ浦 土浦港周辺をリゾート地域に 市・県有地を民間の力で整備

土浦駅東口に近接し霞ケ浦に面する土浦港とその周辺約9.5ヘクタールを民間の力で観光・レクリエーション拠点に整備する事業が2026年春にまとまる。土浦市と茨城県は25年10月、同エリアを「観光客が訪れる魅力ある空間」にする事業計画の提案事業者を公募した。12月中旬までに「複数の事業者から関心ありとの返答があった」(同市都市政策部)。市と県は26年3月に整備事業を実施する企業あるいは企業グループを選定し、霞ケ浦湖畔の土浦港周辺リゾート化計画を公表する。 「ラクスマリーナ」は事業者に譲渡 市と県が進めている「土浦港および周辺地区広域交流拠点整備事業」区域は▽A地区:湖底土砂浚渫(しゅんせつ)船などが利用する土浦新港(県施設)約2.7ヘクタール▽B地区:マリーナ(ラクスマリーナのヨットなどの係留・管理施設)と広場(市有地)約3.9ヘクタール▽C地区:「りんりんポート土浦(サイクリスト向け拠点施設)」区画(市有地)約1.1ヘクタール▽D地区:プレジャーボートなどが停泊する土浦港(県施設)約1.6ヘクタール―から成るエリア。 市はこの地域を霞ケ浦観光の拠点にすることを考えてきたが、市が手掛ける整備ではなく、発想や資金が豊富な民間業者に任せることにした。25年10月、複数企業から計画を提案してもらいベスト企業を選定する「公募型プロポーザル方式」で事業主体を選ぶと発表した。市と県は26年3月中下旬、事業者から出される提案内容を審査、同月末に1企業(グループ)に絞り込む。 担当者によると、市有地は選定された企業に売却せず、用地を賃貸する形になる。また、「りんりんポート土浦」は指定管理者制度の活用を想定している。一方、観光船やマリーナを運営する「ラクスマリーナ」(株式の100%を市が保有)については、湖畔整備を担当する企業に4065万円(予定価格)で全株を譲渡する。事業者から見ると、用地は自社所有にならないものの、マリーナ経営の自由度は確保でき、リゾート開発の「絵」は描きやすくなる。 会議場、マーケット、レストラン… 24年11月に市が行った「サウンディング(アイディア聴取)型市場調査」では、「水陸両用飛行機の発着場」(A地区)、「グランピング施設、温浴施設、会議場、スポーツ施設」(B地区)、「サイクルスポーツ施設」(C地区)、「マーケット、レストラン」(D地区)といった活用策が寄せられた。 市有地になっているB・C地区には、かつて、マリーナも経営する土浦京成ホテルが建ち、市を代表する宿泊・宴会・婚礼施設があった。ところが2007年春に経営難で閉鎖。その後、中堅不動産開発会社がホテル用地を買収、リゾート型マンションの建設を計画していた。しかし、2008年秋のリーマン・ショックで同社の計画は破綻。そこで2010年秋、市がラクスマリーナとホテル跡地を取得、霞ケ浦湖畔にふさわしい活用策を探ってきた。 土地取得から15年。市はやっと、①土地は売却せず賃貸②マリーナ会社は完全譲渡③県の2港施設も利用―をセットにした市有地活用案を策定、経営力がある民間事業者に湖畔のリゾート化を進めてもらうことになる。(坂本栄)

定年後の「孤独」は病気ですか?《看取り医者は見た!》48

【コラム・平野国美】私は今、61歳になりました。 訪問診療医として、日々、多くの高齢者の人生の終幕に寄り添わせていただいています。しかし、医師として人の老いを診ることと、自分自身が老いていく実感を持つことは、全く別の体験です。 今後、知力も体力も確実に衰えていくという悲しみ。いつか必ず訪れるリタイアへの怖さ。その時、自分の居場所はどこにあるのだろうか? そんな不安が、ふと胸をよぎるようになりました。 そんな中、私にとって長年の「居場所」であったテニスクラブが閉鎖されてしまいました。 ただ運動する場所を失っただけではありません。仲間と顔を合わせ、笑い合い、職場を離れて一人の人間になれる場所。それらが突然消えてしまった時、私は言いようのない喪失感とともに、社会から切り離されるような心細さを覚えました。 「ああ、孤立とはこういうことなのか」。私は患者さんたちが抱えている孤独の正体を、身を持って理解した気がしました。だからこそ、私は書きたいのです。定年後も尊厳を持って生き、誰かとつながり続けるためには、どんな場所が必要なのか。今回は、医師としての提言であると同時に、居場所を求めてさまよう61歳の男性としての、切実な模索の記録でもあります。 社会的孤立という「見えない危機」 日ごろ、地域の患者さんのご自宅を回っていると、医学的な病気そのものよりも、もっと根深い「ある問題」に直面することがあります。それは「社会的孤立」です。皆さんは、定年退職を迎えた後、家族以外の人と会話する頻度がどれくらいあるでしょうか? 日本には「人との交流が週に1回未満」という高齢者が全体の10~20%も存在すると言われています。これは単に「寂しい」という感情の問題ではありません。公衆衛生上の、れっきとした「危機」なのです。 驚くべきデータがあります。日本において、社会的孤立で早期死亡に至るケースは年間約2万人にも上る可能性があると指摘されています。これは交通事故で亡くなる方の数をはるかに上回ります。「孤独はタバコや肥満と同じくらい健康に悪い」という話を聞いたことがあるかもしれませんが、現場の医師としての実感もそうです。孤立は、うつ病のリスクを高め、認知症やフレイル(虚弱)の進行を加速させます。 これまでも、公民館での集まりやサロン活動など、多くの対策が取られてきました。しかし、「行けば元気になれる」とわかっていても、そこへ一歩踏み出すのは容易ではありません。「知らない人の中に入っていくのが怖い」「話題が合うか不安」といった心理的なハードルがあるからです。また、既存のプログラムは効果が見えにくく、継続的な予算が付きにくいという課題もありました。 さて、孤独な訪問医師、私の居場所はどこかにあるのでしょうか? (訪問診療医師)

読み聞かせの卒業と増えていく書物《ことばのおはなし》89

【コラム・山口絹記】この数年で読み聞かせを卒業した娘の読書スピードがみるみる上がり、休日には厚めの児童書を1冊以上読むまでになった。学校でもよく本を読んでいるらしく、担任の先生との面談でもその旨を「偉いですね」というニュアンスで伝えられ、「はぁ」とか「まぁ」と曖昧にうなずいているのだが、活字中毒患者の真意を伝えるのはなかなか難しいものである。 私自身は学生時代、母親に「本の犬食いはやめなさいよ」「本ばっかり読んでないで」とよく言われたのだが、真偽不明な情報スジによると、小さい頃に抑圧された欲は大人になって暴走することがあるらしい。 なので私は、『100万回生きたねこ』の白猫ように、娘の完読宣言を受けても、そっけなく「そう」とだけ答えている。実際のところ、私の母親もいわゆる本の虫で、口ではいろいろ言っても本当に読書を禁じていたわけではなかったし、ことあるごとに娘にも書籍をプレゼントしてくれるので、まぁつまり、そういうことである。おそらくどうしようもない。 そんなこんなで最近、娘と本屋に行くことが増えた。私が誘うこともあるし、娘が「本がきれたから買いに行きたい」というのでついて行くこともある。個人的には我が子の言動について不安を感じるところである。本が“きれた”という表現が完全に中毒患者のソレだ。おそらくもう手を付けられないところまで中毒症状が進行してしまったようである。 枕元に本が5、6冊 一方で、“きれた”という状況認識ができているうちは健全である、という見方もある。私くらい重篤な患者になると、自分の読書スピードをはるかに上回るスピードで書物が部屋に堆積していくため、目も当てられない。妻もすっかり諦めているようだ。 夜に寝室に入ると、寝ている娘の枕元には本が5、6冊積まれていて、(私も全く同じことをするのだが)客観的に見ると本は同時に1冊しか読めないのに、なぜ積む必要があるのだろうと疑問に思う。自問自答しても理由がよくわからないので、これもおそらく専門家のカウンセリングが必要な案件なのだろう。 あと数年すれば、娘と共有できる書籍もぐっと増えると思われるので、私の部屋と実家の数万冊の書籍が役に立ってくれることを祈るばかりである。(言語研究者)

引退競走馬の可能性を広げたい 馬耕ワイン、セラピー 美浦村に拠点

2026年は午(うま)年。日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニング・センター(トレセン)がある美浦村に、引退した競走馬のセカンドキャリアを模索し、馬耕によるワイン作りやホースセラピー、子供たちとの触れ合いなど、さまざまな取り組みに挑戦している拠点がある。 引退競走馬の可能性を広げたいと、JRAの調教師でもある大竹正博さん(56)が2023年10月に開設した。施設の設計には筑波技術大学(つくば市天久保)の梅本舞子准教授と建築系の学生らが関わり、大竹さんの夢を形にした。施設を中心に様々な活動が評価されて25年グッドデザイン賞を受賞した。 地域の人が集う 拠点は約1ヘクタールの広さで、美浦トレセンの西側にある。敷地北側に、木造平屋建ての建物が弧を描くように3棟並び、隣りに広さ約800平方メートルの砂地の馬場が設けられている。南側には約5000平方メートルのブドウ畑が広がる。拠点の名前は「ブリコラージュ」。手元にあるものを寄せ集めて新しいものを作り出すという意味のフランス語だ。 3棟の建物はそれぞれ、8畳間4部屋分(約56平方メートル)の広さで、正方形の形をしている。3棟のうち2棟は厩舎(きゅうしゃ)で、現在、競馬を引退したサラブレット4頭とポニー1頭の計5頭が暮らす。1棟は引退馬に関わる地域の人々が集うクラブハウスだ。 ブリコラージュには、元のオーナーから引退競走馬を引き取った今の所有者らが通い、馬の体をブラッシングしたり、馬場で運動させたり、乗馬を楽しんだりしている。発達障害児などを支援する放課後等デイサービス「きゃっちぼーる」を利用する子供たちが毎週1~2回来て、えさを用意したり、乗馬に挑戦したりする。地域クラブ「美浦ホースクラブ」は、土日に厩舎を掃除したり、えさを用意したり、乗馬を体験するなどしている。調教師の大竹さんのほか、近くに住む美浦トレセンの元厩務員が馬の手入れなどを手伝う。 南側のブドウ畑では10品種が栽培されている。つくば市のワイナリー「つくばヴィンヤード」の高橋学さんからブドウ栽培の指導を受けた牛久市の畠山佳誉さん(53)が、2022年から苗を植え毎年増やしてきた。引退競走馬は畑で鋤(すき)を引っ張り、横に伸びるぶどうの根を切るなど「馬耕」をする。年3回ほどまく堆肥は、つくば市若栗にある「つくば牡丹(ぼたん)園」の関浩一園長が開発した馬ふん発酵堆肥だ。競走馬の育成牧場などから大量に出される馬ふんからつくられている。 畑を耕しているのは「サモン」という名の8歳の元オス馬。2017年に北海道日高町で生まれ、19年にデビューした。12回レースを戦ったが1勝ができないまま、20年に中央競馬の登録を抹消された。地方競馬への転籍を検討したが、骨折していることが分かり引退となった。サモンの管理調教師だった大竹さんと、デビュー時からサモンをずっとひいきにしてきた美浦村の関亮子さん(52)の2人が共同所有者となって、元のオーナーから引き取った。 関さんは「サモンは人懐っこくて、ずっと応援していた」と話す。大竹さんは、サモンに馬耕をさせる際、周囲から「競走馬に馬耕させるのは聞いたことがない」と驚かれたと振り返る。「馬耕をするようになって、サモンはむしろたくましくなった」と大竹さんは目を細める。 サモンが耕した畑のブドウで2025年春、初めて赤ワインを醸造し362本が出来上がった。「綴(つづり)」と名付け、美浦村のふるさと納税返礼品にもなった。ブドウ畑を担当する畠山さんは「馬が畑を耕す『馬耕』のほかに、これからは収穫したブドウや堆肥を馬に運んでもらう『馬搬』にも取り組み、引退競走馬のセカンドキャリアを応援したい」と話す。畑にブドウの苗をさらに植えて、ワインの種類も3種類くらいに増やす計画だ。 年5000頭近くが引退 中央競馬では毎年、5000頭近くの競走馬が引退するという。馬の寿命は長いと30年ほど。引退後は地方競馬に転籍したり、乗馬クラブが引き取ったり、競馬ファンが譲り受けるケースなどがある。しかし活躍の場が用意されない引退馬も少なくないと大竹さんはいう。 大竹さんは東京都出身。父親は騎手で、子供の頃から馬に親しんで育った。麻布大学獣医学部を卒業後、北海道で働いた後、JRAの調教師になり、2009年、美浦トレセンに厩舎を開いた。18年に有馬記念を制したなどの実績がある。 調教師の仕事の傍ら、大竹さんは個人で、引退競走馬支援団体を応援するなどの活動を続けてきた。「かつて、母屋と厩(うまや)が一体になった曲がり屋で人と馬が隣り合って暮らしてきたように、人と馬が一緒に過ごせる現代版のコンパクトな曲がり屋をつくりたい」と思うようになり、2020年ごろから、馬がストレスなく過ごせる、馬が主役で人が集まる場所づくりの構想を温めてきた。 実現に向け、筑波技術大の梅本准教授らと構想を練り上げた。美浦トレセンそばの畑を大竹さんが一部購入したり、借りるなどしてブドウ畑をつくり、厩舎とクラブハウス3棟を建て、ブリコラージュが完成した。3棟の建物の骨組みには、岩手県の森林で切り出された木材を馬が運んだ「馬搬出材」を用いている。弧を描くように配置された3棟は、人と馬が常に気配を感じられるように設計されている。施設には視覚を遮る垣根などは設けず、通り掛かった人だれもが、馬がいる風景を眺められるようにした。 引退馬を引き取ると通常、管理費用として1頭当たり月15万円、年間で200万円程度かかる。大竹さんは、引退馬を引き取った所有者や、引退馬に関わりたいと希望する地域住民が自ら、馬のえさやり、手入れ、運動などを手伝うことでコストダウンできる仕組みをつくり、だれもが支援の担い手となれるようにした。厩舎の清掃やえさやりをする地域クラブ「美浦ホースクラブ」代表の阿部彩希さん(37)は「一人一人、ブリコラージュに集う目的は違うが、馬を通じて、地域のたくさんの人が自分の目標に向かって活動し、協力し合う場所になっている」と話す。 人と馬が一緒に過ごす3棟の建物で構成される現代版の曲がり屋を、だれもが引退競走馬に関わることができる支援拠点として、地域にさらに増やしていくのが大竹さんの次の目標だ。大竹さんは「まずここに来て馬を知ってもらって、興味をもってくれたら」と話す。(鈴木宏子)