木曜日, 12月 25, 2025
ホームコラム明秀日立が快挙 県南勢どう立ち向かうか注目

明秀日立が快挙 県南勢どう立ち向かうか注目

【コラム・伊達康】第90回センバツ甲子園は大阪桐蔭が史上3校目となるセンバツ連覇を達成して閉幕した。茨城の明秀学園日立は、1回戦の瀬戸内戦で9回に劇的な逆転勝利を収めると、2回戦の高知戦では10対1と大勝。初出場ながら2勝を挙げる躍進を見せた。

3回戦では優勝した大阪桐蔭を相手に8回まで2安打に抑えられ三塁すら踏めない苦しい展開だったが9回にエース細川拓哉の左中間ホームランで1点を返し4点差とすると、二死満塁でこの日2安打と当たっている4番・芳賀大成までつないだ。結果は空振り三振で5対1と3回戦敗退となったものの、王者を相手に最後まで目が離せない粘りを見せてくれた。この大舞台での敗戦を機に夏にはさらにとてつもないチームに仕上げて来るに違いない。

「大阪出身」強調に違和感

明秀学園日立の試合がテレビで中継される際、チーム紹介や選手紹介で実況が頻繁に発したのが「大阪出身」という言葉だ。チームは監督の金沢成奉氏(大阪・桜宮―東北福祉大)をはじめ、関西圏出身の選手が多数を占める。ベンチ入りメンバー18人のうち、茨城出身選手はエース細川(北茨城市出身)と代打の切り札である佐伯尚吾(桜川市出身)の2人だけで後の16人は関西圏を筆頭に福島、宮城、東京など県外出身だ。確かに特徴のあるメンバー構成ではあるのだが、果たして「大阪出身」や「県外出身」と繰り返し紹介する必要があっただろうか。

1980年夏、江戸川学園取手が東京、千葉、愛知、静岡のリトルシニアやポニーリーグの有名選手を片っ端から100人スカウトして部員120人の大所帯を築き、そこから選び抜かれたベンチ入りメンバー17人のうち16人が県外出身者という構成で、学校創設からわずか3年目で甲子園出場を果たした。当時のいはらき新聞(現在の茨城新聞)『白球の詩』のコーナーに「”外人部隊”で構成される江戸川学園はその在り方をめぐって本県高校野球界に一石を投じている」という記述があった。当時はまだメンバーを県外出身者で固めることが珍しく、県外出身者が茨城の看板を背負って甲子園に出場することに高校野球関係者のみならずファンからも反発や疑問が噴出したようだ。

しかし、それから38年が経過した今日、私立高校で県外出身者がスタメンに名を連ねること自体は取り立てて珍しいことではない。現に県内において、昨秋の茨城準決勝で対戦した常総学院はスタメン9人中3人が県外出身者であるし、決勝で戦った霞ケ浦に至ってはスタメン9人中7人が県外出身者だ。さらに土浦日大は東京や千葉から、つくば秀英は栃木や東京から、鹿島学園に至っては神奈川や台湾から選手を集めている。関西出身であっても隣県であっても県外であることには変わりない。

金沢監督が大阪出身ということもあり、関西圏の中学年代にスカウティングネットワークがあるからこそ関西圏から選手を集めているのであって、東京や神奈川、千葉などの関東圏から選手を集めていている私学とはエリアを異にしているだけではないか。取り立てて大阪(関西)を強調する必要はない。むしろ、過去に甲子園出場の実績がない明秀学園日立に、まだ15歳の少年が「一旗上げてやろう」とはるばる大阪(関西)からやって来ているのだからその決意たるや一通りではない。親としても、練習試合や公式戦を観戦することができない地に相当な覚悟を持って我が子を送り出したはずだ。

小中学生球児に衝撃

茨城県勢として常総学院を除いた春と夏の甲子園での勝利は、2005年夏の藤代(対福岡・柳川)の勝利以来、実に13年ぶりのことであった。初出場にして初勝利、さらに2勝の快挙を成し遂げた明秀学園日立の甲子園での躍動ぶりは、今の小学生や中学生の球児に衝撃を与えたに違いない。今後はより多くの中学生から希望進路として名前を挙げられるようになるだろう。東海大相模や浦和学院や明徳義塾のように、全国的に知名度の高い強豪校となった時、「大阪出身」「県外出身」という線引きがちっぽけなものとしてあえて紹介されなくなるのかもしれない。その次元にまで明秀学園日立は躍進できるのだろうか。常総学院をはじめ県南の有力校がそのプロセスに対してどう立ち向かうのか注目だ。茨城の高校野球はますます面白い。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

「たくさんの応援で結果出せた」筑波技術大 星野選手ら デフリンピック

石原学長に活躍を報告 聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」に出場した筑波技術大学(つくば市天久保)の学生アスリート4人が24日、同大の石原保志学長に活躍を報告した。テコンドーで銅メダルを獲った阿見町出身の4年 星野萌選手(21)は「たくさんの皆さんの応援をいただいたお陰で舞台に立つことができ、結果を残すことが出来た」と話し、大会を機に「茨城県内でスポーツの面白さを伝えていきたい」などと話した。 4人は星野選手のほか▽男子バレーボールで6位に入賞した4年 大坪周平選手(22)▽男子ハンドボールで7位に入賞した4年 林遼哉選手(21)▽陸上1500メートルと800メートルに出場した2年 中村大地選手(19)。日本代表の鮮やかなオレンジ色のジャージを着用し、星野選手は銅メダルを手にとって石原学長に見せるなどした。 バレーボールの大坪選手は「自分にとって初めての大きな大会で、結果は6位だったが、たくさんのお客さんに来ていただき本当に感謝している。最高のチームだった」と振り返った。 ハンドボールの林選手は「8カ国中7位だったが、初出場で1勝することができた。海外のレベルを知ることができ、とてもいい経験になった。2年後のハンドボール世界選手権、4年後のギリシャ・デフリンピックに向けてハンドボールを続けたい」と話した。 陸上の中村選手は「結果的に負けてしまい悔しさがあるが、この気持ちをこれからの大きな大会につなげていきたい」と語った。 石原学長は「皆さんは一生に一度あるかないかのチャンスをものにした。改めてお祝いします」と選手をねぎらい「この経験は自分の人生の経験になり、これから仕事の面でも、生活の面でも、家族をもつことになっても、つながってくると思う。頑張ってくれて大変うれしい」と語り掛けた。 同大にとっての大会の意義について石原学長は「大学からはアスリートだけでなくたくさんの学生がボランティアとして参加した。学生たちはグローバルな体験をする中で、障害を一つの個性として自覚し、共生社会の実現に向け活躍してくれると思う」などと話した。 同大からは学生6人と卒業生11人の計17人が選手として大会に出場した。星野選手のほか、夫婦で出場した大学院生の沼倉昌明、千紘選手がバドミントン混合団体で金メダルを獲った。卒業生では、女子バスケットボールの橋本樹里選手が金メダル、女子サッカーの岩渕亜依選手と男子サッカーの杉本大地選手がいずれも銀メダル、男子柔道73キロ級の蒲生和麻選手が銅メダルに輝いた。 ほかに、学生(現在は卒業生)の多田伊吹さんが大会エンブレムをデザインしたほか、開閉会式には3年の伊東咲良さんと2年の瀧澤優さんの2人がパフォーマーとして出演。同大の学生約100人がボランティアスタッフとして大会運営を担った。(鈴木宏子)

つくば駅前に大型ディスプレイ登場 イルミネーションと共ににぎわいを

オフィスビル「T.S BUIL」 つくば駅前のオフィスビル「T.S BUIL」(同市吾妻)のペデストリアンデッキに面した2階部分の壁面に21日、縦2.5メートル×横4.4メートル、200インチの大型ディスプレイがお目見えし、クリスマス関連の映像が放映されている。 22日夜からは同ビル恒例のクリスマスイルミネーションも加わり、道行く人たちの目を楽しませている。駅前をもっとにぎやかにしたいと、同ビルを所有する不動産業の都市開発(塚田純夫社長)が新たに大型ディスプレイを設置した。 ディスプレイの設置工事は14日から始まり、1週間の工事期間を経て21日から放映が始まった。毎日正午から夜9時まで映像が流れる。クリスマスの現在は、クリスマスにちなんだクイズやイルミネーション点灯のお知らせなどが流れ、26日以降は年越しに関する映像に変わる。 今後は市の情報や警察関連情報、防災情報なども放映していく予定だ。「屋外広告物」という扱いのため、大きな音を出し大勢の人が集まるコンサートやパブリックビューイングを行うためには今後、市と相談しながらになるという。 イルミネーションは来年1月12日まで点灯する。3年前に始まり、昨年同様、同ビルのペデストリアンデッキに面する2階エントランスのガラス張り壁面全体がLEDで装飾され、ショーケースの中にはサンタクロースや雪だるま、トナカイ、クリスマスツリーなどが飾り付けられている。 ディスプレイに見入っていた市内に住む60代女性は「大型のディスプレイにびっくりした。世の中に季節感がなくなってきた時代なので、こんな感じでクリスマスなど季節を知らせてくれるのはありがたい。ディスプレイの前のペデストリアンデッキは広くなっているのでコンサートでもやってくれたら」と話す。近くの職場に通う50代の男性会社員は「ずっと殺風景だったので、とても良いと思う。どんどんにぎやかにすることをやってほしい」と話していた。 都市開発の霞学部長は「つくば駅前にあるつくばセンター広場のにぎわいづくりに協力出来たらということでやっている。防災も重要なので、行政の防災の取り組みに協力し、防災に関することも放映していきたい」と語る。また「今年、1階にスタジオを移転したラヂオつくばの中継も可能なので、ディスプレイで何が放映できるか考えていきたい」と述べる。 現在放映している映像の制作は20代の同社若手社員が担当した。管理部の藤沢花恋さんは「グラフィックデザインのソフトを使って動画を作ったが、初めてだったので大変だった。デザインなどは不慣れだが担当させてもらい、いい経験になった。今後の展開も考えたい」と話した。設置業者とのやりとりや申請業務など担当した営業部の高橋開人さんは「人が集まる場所が出来ればとてもうれしい」と述べた。(榎田智司)

サンタクロース《短いおはなし》46

【ノベル・伊東葎花】 今日、学校で男子とケンカした。だって、サンタクロースはいないって言うんだもん。私は絶対いると思ってる。プレゼントだって、毎年くれるもん。家に帰ってママに聞いた。 「ママ、サンタクロースはいるよね」 「そんなことより、今夜は冷えるから温かくして寝るのよ」 …そんなことって言われちゃった。 今、世界中が燃料不足で大変なのは知ってる。イブなのに、イルミネーションも暖房も自粛なの。お店は早く閉まっちゃうし、地球全体がどんより暗い。テレビも毎日「新しい燃料が見つからないと人類滅亡」とか言ってる。でもね、私はそんなことよりサンタクロース。今日は寝ないで、サンタクロースの写真を撮るの。私をバカにした男子を見返してやるんだから。 私は、ベッドにもぐりながら、その時を待った。すると、午前0時を過ぎた頃、窓の外が一瞬明るくなった。街中が真っ暗だから、すぐにわかった。サンタクロースが来たのかも。 耳を澄ますと、ピコピコと電子音のような音が聞こえた。サンタクロースは鈴の音と共に来ると思っていたけど、今どきは違うんだ写真を撮ろうと窓を開けると、緑色の少し小さめの人が飛び込んできた。あれ、サンタクロースは赤い服を着たおじいさんだと思っていたけど違う。緑色だ。 「いやあ助かった。船が故障しちゃってさ。地球って寒いね」 サンタクロースが言った。サンタクロースは、そりに乗って来ると思っていたけど、船で来るんだ。 「あ、仲間が助けに来てくれた」 サンタクロースが指さす先に、角が生えた黄色い生き物がいた。これがトナカイ? 本物のトナカイを見たことはないけど、角があるし、きっとそうだ。 「お邪魔しました。ありがとう地球人」 サンタクロースがトナカイと一緒に帰ろうとしたので、私は慌てて呼び止めた。 「あの、ちょっと待って…、プレゼントは?」 「ああ、親切にしてくれたお礼ね。地球人、意外としっかりしてるね」 サンタクロースは、持っていた袋から赤い石を取り出してポイと投げた。「石かよ!」と思ったけれど、世界中が不景気なので文句は言えない。「じゃあね」とサンタクロースは、あっという間に出て行った。きっとたくさんの家を回るから急いでいるんだ。 「あ、写真!」 慌ててシャッターを押したけど、UFOのような白い光が写っただけだった。ああ、失敗。 写真は撮れなかったけど、サンタクロースに会えた興奮でなかなか眠れない。それに、どういうわけか部屋の中が夏みたいに暑くて、毛布を全部蹴飛ばした。サンタクロースからもらった赤い石は、暗い部屋で不思議な光を放っている。なんだろう、これ。 この石が、燃料不足の地球を救うエネルギー源になる物体だと知るのは、少し後の話。地球を救ってくれたのはサンタクロースだって、私は信じてる。 (作家)

「つくばは第二の故郷」 日本人3人目のISS船長 大西卓哉飛行士

つくば市役所を訪問 日本人として3人目となる国際宇宙ステーション(ISS)の船長を務め、8月に帰還した宇宙航空研究開発機構(JAXA)の大西卓哉飛行士(50)が22日、つくば市役所を訪問し、五十嵐立青市長に活動を報告した。市役所入口では、職員を始め来庁中の市民が大西さんを出迎えた。ISSの船長には、過去に若田光一さん、星出彰彦さんが就いている。 大西さんは1975年東京都生まれ。2016年には第48次、第49次長期滞在クルーのフライトエンジニアとしてISSに約113日間滞在した。第72次、第73次長期滞在クルーとして滞在した今回は、10年ぶり2度目の宇宙飛行となった。 ISSでは船長として緊急時の指揮を執るなど全体の安全確保と計画遂行を統括し、他の飛行士の活動を取りまとめた。またISSに設置された日本の実験棟「きぼう」で、ほぼ重力のない宇宙空間の微小重力環境を利用した科学実験に取り組んだ。 大西さんは船長としての役目について「良い意味でのプレッシャーと同時に、大きなやりがいを感じた。大切にしていたのは、一人一人とのコミュニケーション。さまざまな国出身の飛行士がいる中で、それぞれの性格や個性の振れ幅のほうが、国籍の違いよりも大きかった。決断を下す際に、きちんと説明して理解してもらうよう心掛けた」と話した。ISSの運用は2030年で終了することから「これが最後かもしれないなと思うと寂しさというのがあった」とし、帰還時については「宇宙に名残惜しさも感じつつ、地球に帰れることのうれしさも同時に感じているような、不思議な心境だった」と振り返った。 今後については「米国を中心に人を月面に送る計画がある。その計画に宇宙飛行士として貢献したい。また民間による宇宙ステーションなど新しい分野で、自分がこれまで得てきた知見を活用できるチャンスがあれば」と語った。 つくばについては「私たち宇宙飛行士にとって、つくばはたくさんの仲間がいる『第二の故郷』のようなまち。つくばに来るとほっとする」とし、子どもたちに向けては、「私たち宇宙飛行士が宇宙空間でどのようなことをやっているのかを伝えたい。宇宙をきっかけに科学に興味を持ってもらえたら。宇宙センターの特別展などへ足を運んでもらえるとうれしい」と語った。 つくば市によると、大西さんが搭乗したロケットの打上げ風景や、ISSでの実験風景、クルーらの様子が掲載された記念パネルは、23日から市役所庁舎1階に掲示予定だ。(柴田大輔)