土曜日, 9月 12, 2026
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つくば、満州 地域の歴史をつなぐ写真展 土浦

土浦市中央、公園ビル内のギャラリー「がばんクリエイティブルーム」で、つくば市の写真家・藤村健一朗さん(56)による写真展「ビヨンド・ザ・ウィンドウ(窓の向こう)」が3日から始まった。著しく変化する、近年のつくばの風景を独自の目線で記録する。ギャラリーがある公園ビルは戦後、旧満州からの引き揚げ者が暮らした建物で、空間からも地域の「新・旧」を体感できる場をつくっている。カラー、モノクロ21点が展示されている。

つくばの公務員宿舎を記録する

ギシギシギシ…。すり減る年季の入った踏み板を鳴らして会場の木製階段を2階へ上がると、踊り場の壁に並ぶ、つくばの街並みを写したカラー写真が目に入る。打ち付けられた板で窓がふさがれたり、建物が草木に覆われたりする無人の公務員宿舎や、取り壊された宿舎跡地に建つ真新しい住宅などだ。隣の和室にあるモノクロ写真は、歪んだ鉄骨がむき出しになっていたり、崩れた建物に鉄製の階段が引っ掛かるように残っていたりする解体途中の宿舎が写る。画面の中央には、崩れた外壁に残されたガラスと枠が外れた窓が、こちらを見つめている「目」のようにも感じられる。

以前は居住スペースだった2階和室にはつくばの写真が並ぶ

藤村さんは2020年から、新たな開発が進む筑波研究学園都市の風景を撮り進めてきた。国家プロジェクトとして誕生したこの街には、1980年までに計7755戸の公務員宿舎が建てられ、移住してきた研究者らの暮らしの場となった。今は、空き家が増えて老朽化が進むことから、全体の約7割が解体または解体の途上にある。その跡地には、真新しいマンションや住宅が次々に建てられている。県は、つくばエクスプレス沿線を「新・つくば」と名付け、沿線地域の開発とさらなる移住者の呼び込みに力を入れている。街の景観は大きく変わっている。

日米、戦後の都市開発とのつながり

藤村さんがつくばの風景に関心を持ったのは、妻と千葉県からつくば市に移住して間もない2010年のころだった。夫婦で近所を散歩していると、街のあちこちにある独特の形をした公務員宿舎に興味を引かれた。以前から、建築物や都市の風景を写真に収めてきた藤村さんは、間もなく次々に壊され始める姿を目の当たりにし「今の変化を写真で記録したい」と思ったという。

2階に展示されている公務員宿舎のカラー写真

筑波研究学園都市の成り立ちを調べると、戦後日本の住宅政策との重なりに気がついた。「戦後の日本で不足する住宅を供給したのが『住宅公団』。学園都市をつくったのも同じだった。つくばの成り立ちは、戦後日本の住宅政策とつながっている」と指摘する。

第2次大戦の戦災で多くの都市が焼失した日本は戦後、600万人を超える外地からの引き揚げ者とその後のベビーブームによる人口急増で、深刻な住宅不足に直面した。これに対して1955年に国がつくったのが日本住宅公団だった。各地に大規模な団地やニュータウンを開発し、後に筑波研究学園都市の開発を一手に担うことになる。

藤村さんはさらに、戦後の都市開発と米国の住宅政策の繋がりに行き当たる。米国では1930年代、「郊外」と位置付けられた都市の外側に、大量生産され均質化された家屋が立ち並ぶ大規模ニュータウンがつくられ始める。米国の写真史を学んだ藤村さんは、郊外の人工風景を記録する米国の写真家に引かれていく。今回の作品は、人口増加の過程で、国外でも起きていた「郊外」を巡る歴史に、現在のつくばを位置付け直す試みでもある。

旧満州引き揚げ者が残す

地域史の「新・旧」を知ることができる今回の展示では、会場も大きな役目を果たしている。その理由が、同ギャラリーが入る「公園ビル」の歴史にある。

旧満州からの引揚者がつくった「公園ビル」

同ビルは、亀城公園に隣接する長さ100メートルほどの3階建ての建物で、1階が店舗、2、3階部分が商店主の居住スペースとなり、20軒ほどが連なっている。さながら「長屋」のような空間だ。ギャラリーがある店舗には以前菓子店が入っていて、2、3階に店主が家族で暮らしていた。

公園ビルの前身は、1947年に旧満州からの引き揚げ者らが建てた「急造バラック長屋」だったと、公園ビル商業協同組合の冊子「公園ビル四十五年の歩み」にある。同誌によると、家屋は亀城公園のお堀から霞ケ浦へと続く水路(川口川、現在は暗渠)上に杭をうち建て、杉皮で屋根をふいたものだった。その後、住民が協力してお堀でスワンボートの貸し出しなどの事業を開き、50年には「公園マーケット」として同地にアーケードをつくり、翌年それを組合化、53年4月の桜まつりに合わせて、現在まで続く鉄筋コンクリート3階建ての大きな「長屋」が完成した。

「窓」の先にある自分だけの風景  

今回の展示のテーマは「窓」だと藤村さんはいう。「窓は、外の世界に目を向けるものである一方で、ガラスに反射する自分を映す鏡にもなる」。

それは、外界への視線と自己表現という、写真が持つ二つの性格との重なりでもあるという。展示は室内の1、2階を利用した2部構成。1階では、藤村さん自身の歴史につながる、家族がきっかけとなった「窓」の作品が展示され、2階には、千葉から移住した藤村さんが新しく繋がるつくばの歴史を見つめる写真だ。藤村さん自身が抱く2つの視線を、歴史ある公園ビルの建物が包み込む。

「街には成り立ちがある。人の暮らしがあって、今がある。どうしても『今』を追いがちだけど、歴史を紐解くことで、当たり前の風景の背景を知ることができる」

入り口を入って1枚目の写真に、記者は釘付けになった。それはベージュの額に収められた藤村さん宅の突き出し窓。外の光にガラスが白く輝いているため、屋外の風景を窓越しに見ることはできない。ただ、その光をじっと見ていると、突然壁に空いた異空間への入り口のようにも感じ、吸い込まれそうな不思議な感覚を覚えた。

「窓の先の景色は人それぞれ。普段見ている景色もそれぞれ異なる。ささやかですが、自分の景色に気づくきっかけになれば」と藤村さんはいう。(柴田大輔)

◆写真家・藤村健一朗さんの個展「BIYONDO THE WINDOW」は10日(日)まで。開場は午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)。入場無料。水曜日は定休。がばんクリエイティブルームは、土浦市中央1-13-52公園ビル。詳しくはホームページまで。

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投票時間1時間繰り上げ午後6時まで つくば市選管

つくば市は9日、今後実施される選挙について、投票日当日の投票時間を、これまでの午後7時までから1時間繰り上げて午後6時までとすると発表した。1日開いた市選挙管理委員会(野尻等委員長)で決めた。12月4日告示、13日投開票の県議選から実施される。 繰り上げの理由は、期日前投票を利用する投票者が増加していること、当日投票者の9割が午後6時までに投票を済ませていることなど。市選管事務局によると、昨年9月の知事選での同市の期日前投票の投票率は39%、今年2月の衆院選は54%だった。投票所立会人の従事時間が長時間に及んでいることを懸念する意見も出されたという。 投票日当日の投票開始時間に変更はなく、午前7時から。期日前投票の投票時間も変更はなく、市役所投票所の場合、午前8時30分から午後8時まで。 投票時間が繰り上がるのに伴い、12月の県議選の開票作業は、これまで午後8時20分から開始していたものを、午後8時からに20分繰り上げる予定だという。 公選法は午後8時まで 一方、公職選挙法は投票時間を午前7時から午後8時までと定め、特別の事情があり投票に支障をきたさない場合に限り、4時間以内の範囲内で繰り上げなどを認めている。 つくば市では2012年から、投票時間を法定の午後8時までから1時間繰り上げて午後7時までとしてきた。 県選管によると、今年2月の衆院選では、県内44市町村中、38市町村が午後6時で当日の投票を締め切り、つくば市を含め5市町が午後7時までとしていた。公選法の規定通り県内で唯一、午後8時までだった牛久市は今年度から、当日の投票時間を2時間繰り上げ、午後6時までとすると発表している。12月の県議選の各市町村の投票時間について、県選管はこれから調査する予定だとしている。(鈴木宏子) 【訂正 10日午後1時10分】3段落目、市役所投票所の期日前投票の開始時間は午前9時ではなく8時30分からの誤りでした。