【コラム・田口哲郎】
前略
前回、日本社会に根を張っているいわゆるオールド・ボーイズ・ネットワークあるいはオールド・ボーイズ・クラブについて書きました(1月26日付)。同じ学歴、成功体験、失敗体験をもつ男性が結束力の強い集団をつくり、長い間、社会を支配してきた、という話です。その中で、女性は排除され、不当に差別を受けてきました。
しかし、このオールド・ボーイズ・ネットワークの構成員、つまりいわゆるエリート男性が意図的に抑圧を行ってきたのかというと、それはそうとも言えないということになりそうです。
たとえば、ある男性が高等教育を受けるまで受験戦争に勝ち抜き、大学を卒業し、大企業に就職、結婚をし専業主婦の妻と子どもと幸せな家庭を築き、そして定年を迎える、あるいは脱サラして起業をして大企業に育てあげる、あるいは議員に出馬して当選、自治体の首長や国務大臣を務めるまでになる、という人生を想定した場合に、その男性は、自分は置かれた環境で頑張ってきただけだ、大学の同窓、職場の仲間、選挙区の住民そして理想的な家族と共により良い社会をつくるために力を尽くしただけだ、と言うでしょう。
その信念や事実を否定することはできません。しかし、その「置かれた環境」自体がオールド・ボーイズ・ネットワークをつくり出している場合、そのネットワークに潜む問題には気付けないことが多いのではないでしょうか。
人間社会の基盤に潜む問題点
人間は集団をつくることで今まで生き延びてきました。厳しい自然環境に抵抗しながら、快適な文明生活をつくることは、近代社会が成し遂げてきたことで、そこにオールド・ボーイズ・ネットワークは深く関わっています。こうした人間が群れて生きるという基本的なことは、否定したら人間社会が成り立ちません。
かといって、基本なのだから、この基本は絶対に正しいので変えてはいけない、というのも危険です。基本は大切ですが、その基本が本質のように持っている問題点を見つけて解決してゆくことが、人類の進歩なのかもしれません。一見、問題のないところに問題を見つけることが求められているのでしょう。オールド・ボーイズ・ネットワークという言葉自体が生まれ、広く知られるようになったことは、そうした人類の進歩を表しているように思えます。ごきげんよう。
草々
(散歩好きの文明批評家)