月曜日, 4月 20, 2026
ホームつくば災害ボランティアのトレセン来春開所 日本財団つくば研究所跡地

災害ボランティアのトレセン来春開所 日本財団つくば研究所跡地

国内初、技術系エキスパートを育成

つくば市南原、日本財団つくば研究所跡地の一部に、日本財団ボランティアセンター(東京都港区、山脇康会長)が「災害ボランティアトレーニングセンター」を開設する。重機の操縦など専門知識をもった技術系ボランティアを育成したり、災害復旧に必要な重機やダンプ、資機材を配備して災害現場に貸し出すなどする。来年3月か4月に開所する予定だ。技術系の専門知識をもつ災害ボランティアを育成するトレーニング施設は国内初という。

研究所跡地約5万7000平方メートルのうち約5000平方メートルに整備する。現在、芝生の広場になっている敷地北側の運動場を重機操作などのトレーニング場とする。さらに来春までに研修室などの建物と、重機を駐車する車庫などを整備する。建物の規模や重機の配備台数、スタッフが常駐するかどうかなどの詳細は今後検討するという。

地震や土砂崩れなどが発生した場合、災害現場という特殊な環境で重機を操縦し、がれきや土砂を撤去したり、屋根の上など高所で作業したりなど、技術があり経験を積んだ人材が必要になることから、重機、ダンプ、資機材を配備して、操縦方法の講習会を開催し人材を育成する。

日本財団(東京都港区、笹川陽平会長)から敷地の一部を借りて、同財団ボランティアセンターが整備し、運営する。

講習会で、機体を持ち上げて段差を乗り超える方法を学ぶ消防士=23日、つくば市南原

開所に先だって23日同跡地で、消防士を対象に、重機の操縦方法を学ぶ「技術系災害ボランティア 重機操縦エキスパート講習会」が初めて開かれた。消防士の普段の仕事とは別に、休日にボランティアで災害現場に駆け付け、災害ボランティア活動をしている東北や関東の消防士らが参加し、災害現場を想定した重機の操縦方法のほか、段差の超え方、坂道の上り方や下り方などの方法を学んだ。25日まで3日間開催し、県内のほか山形、福島、埼玉、千葉などの消防士が各日約10人ずつ講習を受ける。

23日、休日を利用して講習会に参加した茨城西南広域消防本部(古河市)総和消防署当直隊長の小倉尚敏さん(47)は「災害現場で実際に重機を動かしボランティア活動をしている人から教わる機会はなかなかないので、貴重な経験になる。災害時にボランティアチームの一員としてお手伝いできたら」と話す。

講習会の講師を務める山形県の置賜広域行政事務組合消防本部消防司令補の我妻清和さん(40)は「参加者は人助けをしたいという気持ちで参加している。重機は危険を伴う作業なので、操縦方法を覚えるだけでなく、これをやったら危険だということを理解してもらえたら」と話す。来春開所するトレーニングセンターについては「重機がない消防署も多いと思うので、訓練施設ができるとボランティア活動のスキルをもった人が増える。とても重要な活動拠点になると思う」と話す。

技術系講習会は、今年秋から毎月1回程度開催し、重機の操縦方法のほか、倒木を除去するためのチェーンソーの使い方など資機材の操作方法の講習会なども実施する予定という。

同研究所跡地をめぐっては、新型コロナの感染拡大が始まった2020年4月、感染拡大による医療崩壊を防ぐ目的で日本財団が同跡地に約9000床の軽症者向け病床を整備すると発表し(2020年4月5日)、地元の五十嵐立青つくば市長が受け入れに難色を示した経緯がある(同4月6日)。一方、同年5月から8月に、研究所内にあった角水槽棟や回流水槽棟などの研究施設が解体、撤去され更地になった(同5月22日付)。

今年1月から2月末までは、日本財団から無償で土地の貸与を受け、県が200床規模の臨時の医療施設と、自家用車に乗ったまま1日300人がPCR検査を受けることができる発熱外来を開設した(22年12月2日付27日付)。県の医療施設と発熱外来施設はその後撤去され、現在、つくば研究所跡地は更地になっている。(鈴木宏子)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

フル女子優勝は県勢の沼田夏楠さん かすみがうらマラソン

昨年を大きく上回る2万人がエントリー 第36回かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソン2025(土浦市など主催)は16日、土浦市川口の川口運動公園J:COMフィールド土浦を発着点として開催された。フルマラソン女子では地元茨城県東海村の沼田夏楠さん(34)が2時間44分30秒で初優勝を飾った。フルマラソン、10マイル(約16キロ)、5キロ各部門のエントリー総数は2万0625人で、昨年の1万5832人を約4800人上回った。 フルマラソン女子の沼田さんは2位に3分20秒の大差をつけて優勝した。前半は男子の集団に入って飛ばし、後半はペースを落としながら粘った。「ハーフ過ぎあたりで、これ以上押したらつぶれると思い、あえて集団を離れた。後半は追い風になるのも知っていたので、前の選手に付いて抜いてを繰り返しながら自然に走れた」と沼田さん。スタート時点の気温は約22度で雲もなく、強い日差しに気温はますます上昇。「暑いのは得意。もっと暑くなれと思いながら走った」。数日前から意図的に摂取水分量を増やし、マラソン中も全ての給水所で水を取った。「目標は2時間45分を切ること。寒くても暑くても達成したいと思っていた。切れて満足」と、充実した表情を見せた。 沼田さんはひたちなか市出身。田彦中で陸上競技を始め、名門の茨城キリスト教学園高に進み、高3のとき卒業記念で出場した勝田マラソンで優勝。茨城大を経て実業団の日立製作所に入団。現在は笠松走友会で市民ランナーとして活動しながら、マラソンやトレイルの魅力をSNSで発信している。 フルマラソン男子は蜂須賀源さん(31)が2時間20分24秒で優勝。「暑さがある中、前半は集中しすぎず体力を温存した。25キロあたりから自然にペースが上がり、ついてくる選手がいなかったので、このまま最後まで押していこうと考えた」という。「1キロ1キロ、無理せず自分のペースで頑張っていれば、やがてゴールにたどり着く。それがマラソン。だが力みが出るときつくなる。最後はゴールはまだかまだかと思いながら走っていた」 蜂須賀さんは国学院大で箱根駅伝に3回出場、4年時は主将も務めた。実業団ではコニカミノルタで活躍し、昨年から千葉県立流山おおたかの森高校教諭。クラス担任として、また陸上競技部顧問として、生徒たちに背中を見せる気持ちでこの大会に参加した。「生徒たちの背中を押すため、タイムよりもインパクトがある順位にこだわった。自分のベストを尽くせば優勝できる自信はあった。自分の人生を自ら豊かに切り開く生徒を育てたい」と話す。 5キロ男子は1位の佐々木詩音さん(26)、2位の柱欽也さん(38)がコースレコードを塗り替えた。「かすみがうらは初めて。風が強いと聞いていたが強くなく、晴れて走りやすかった。チームメートと助け合い、引っ張り合いながらいいレースができた」と佐々木さん。「フルマラソンと10マイルは出たことがあるが、今年はスピードをつけたいと初めて5キロに出た。最後まで優勝争いを演じ、粘りの強化ができた。2位は悔しいが達成感はある」と柱さん。 同3位は伊藤遼佑さん(29)。この部門では常連で、昨年の15分52秒より33秒タイムを縮めたが、大会新の2人にはかなわなかった。「極力ついていこうと粘ったが、3キロあたりから離された。優勝が目標だったが、少なくとも今の力を出しきることはできた」と納得の表情。 そのほか、主な成績は以下の通り。敬称略 【フルマラソン男子】1位 蜂須賀 源(千葉県・ONESHIP)2時間20分24秒2位 三野貴史(33、千葉県・松戸市陸協)2時間21分10秒3位 滑 和也(39、埼玉県・作.AC北海道)2移管21分49秒【フルマラソン女子】1位 沼田夏楠(34、茨城県)2時間44分30秒 2位 沿道知佐(37、東京都・PACERTRACKCLUB)2時間47分50秒3位 舛田果那(37、石川県)2時間48分08秒 【10マイル男子】1位 大野聖登(千葉県・順天堂大学)48分56秒2位 出仙龍之介(25、東京都・警視庁)49分10秒3位 山城弘弐(24、東京都・警視庁)49分25秒 【10マイル女子】1位 小野寺美麗(21、宮城県・石巻専修大学)1時間00分43秒2位 小輪瀬明希(20、東京都)1時間00分48秒3位 西島百香(28、東京都・ステラキャンプ)1時間03分36秒 【5キロ男子】1位 佐々木詩音(26、東京都・警視庁)14分46秒2位 柱 欽也(38、東京都・警視庁)14分49秒3位 伊藤遼佑(29、筑西市・つくばウェルネス整形外科)15分19秒【5キロ女子】1位 片桐紫音(23、埼玉県・埼玉医科大学G)17分42秒2位 ハル・ティファニー(29、東京都・Namban)17分53秒3位 米津利奈(33、東京都・ディべロップ)18分25秒

土浦の花火100年の紡ぎ(4)《見上げてごらん!》51

【コラム・小泉裕司】戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の統治下にあった1945年10月、火薬類の製造は全面禁止となった。再び製造・販売が許可されたのは、3年後の1948年8月1日である。同日、東京・両国では「川開き花火」が8年ぶりに再開された。のちにこの日は「花火の日」に制定されている。さらに同年9月22日には、戦後初の競技会とされる「第1回全国花火コンクール」が隅田川で開催された。 このコンクールの目的は、花火師同士が切磋琢磨(せっさたくま)し、色彩や造形美といった品質を極限まで高めることにあった。同時に、もう一つ重要な役割を担っていた。それは、花火の輸出振興を目的とした「プロモーションの場」である。海外バイヤーに対し、「日本の花火は世界一である」ことを示すショールームとしての機能を果たしていたのだ。 終戦からわずか3年。深刻な物資不足とインフレに直面していた当時の日本にとって、外貨獲得は至上命題であった。繊維製品や雑貨と並び、伝統技術の結晶である花火もまた、戦略的な輸出品として位置づけられていく。 茨城が誇る「輸出花火」の輝き こうした国策の流れは茨城にも波及する。1953年の「いはらき新聞」によれば、野手火工や茨城火工があった下妻地方では、特産の玩具花火が同地方の出荷額第3位を記録した。輸出先は南米にまで及び、まさに輸出産業の花形であった。 土浦火工もまた、輸出に心血を注いだ企業の一つである。海外の環境に対応するため、防水スプレーを塗布するなどの工夫を重ね、アメリカを中心に各国へ花火を送り出した。 こうした功績が評価され、1961年には「土浦の花火」大会の最高賞として通商産業大臣賞が授与された。さらに1962年から10年間、大会名称に「輸出振興」の冠が付されたことは、高度経済成長期という時代を象徴している。 進駐軍を魅了した「日本の花火」 一方で、土浦の花火には興味深い記録が残る。火薬製造が禁止されていたはずの1946年9月30日に、すでに「第14回大会」が開催されていたというのである。1948年の両国花火再開よりも、実に2年早い。 背景にあったのは進駐軍の存在だ。当時、米軍は独立記念日などにキャンプ地で花火を打ち上げており、国内の催事でも司令官の裁量で許可が下りる場合があった。1946年、水戸に置かれたGHQ茨城軍政部に着任したリンボー少佐は、故郷のナイアガラの滝を懐かしみ、花火の打ち上げを要望したという。 これを受けて県内の花火師が招集され、土浦観光協会の主催により、9年ぶりの大会が実現した。リンボー少佐ら幹部将校30人余りが、友末知事ら県幹部とともに観覧したと伝えられている。日本の花火に魅了されたGHQが花火師たちの訴えに耳を傾けたことが、1948年の製造解禁を後押ししたとも言われている。 歴史の転換点を経て しかし1970年代に入ると、転機が訪れる。人件費の高騰や円高、さらに安価な中国製花火の台頭により、花火の輸出は次第に縮小していった。 現在の「土浦全国花火競技大会」は、輸出振興よりも芸術文化の継承や観光振興の側面が強い。しかし、その根底には「日本の匠(たくみ)の技で世界を魅了し、国を豊かにする」という、戦後を駆け抜けた花火師たちの熱い志が、今も確かに息づいている。本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「下妻市史」(下妻市史編さん委員会、1995年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「花火の事典」(新井充、東京堂出版、2016年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「花火師たちの記憶/DVD」(㈲茨城ビデオパック、2025年完成)

絶滅危惧種のアイドル サクラソウ展始まる 筑波実験植物園

筑波大コレクション100品種以上展示 100品種余りのサクラソウの園芸品種が並ぶ企画展「さくらそう品種展」が18日、つくば市天久保、国立科学博物館 筑波実験植物園(遊川知久園長)で始まった。筑波大学が保有する約300品種の中から、見頃を迎えた株を順次入れ替えて展示する。環境の変化などから野生種の個体数が減少しているサクラソウは、「一見地味にも見えるが、よく見ると可愛らしく、絶滅危惧種植物のアイドルとも言われる。古くから日本人の身近にあった植物でもあり、人々の暮らしから生まれた多様な園芸品種を見てもらえたら」と、企画に携わる筑波大つくば機能植物イノベーション研究センター准教授の吉岡洋輔さん(47)は話す。26日まで。約20年前に始まったこの企画には、毎年およそ5000人が訪れる。 江戸の庶民文化を知る 展示会場では、上部や背面をすだれで囲んだ3段から4段の木製縁台に、鉢植えのサクラソウが並べられる。江戸時代に観賞用に用いられた「桜草花壇(さくらそうかだん)」を再現したものだ。当時の文献や図面をもとに、上段には下向きの花、下段には上向きの花を置くなど、見る人の目線を意識した配置がなされている。すだれの隙間から差し込む光も含め、花壇全体で空間を演出する手法だ。 サクラソウは、種子とともに地下茎でも増える多年生植物で、自分の花粉では受粉せず、昆虫が運んだ異なるタイプの花粉によって受粉・受精するのが特徴だ。近年は環境の変化などにより野生種の個体数が減少し、準絶滅危惧種に指定されている。 ルーツは1種の野生種 日本では古くから園芸用として栽培され、現在確認されている園芸品種は300種以上にのぼる。その多くを筑波大が遺伝資源の保存を目的に保有している。同大での園芸品種の研究は、2003年に埼玉県の園芸試験場から約200品種の寄贈を受けたことを契機に本格化した。それ以前は野生種の研究が中心だったが、園芸品種の多様性に注目が集まり、研究対象が広がった。 栽培の歴史は1440年代、室町中期に始まった。当初は野山の花を持ち帰って育てていたものが、やがて公家や武家、僧侶へと広がり、江戸時代には庶民文化として定着した。 国内に現存する300種以上の園芸品種のルーツをたどると、江戸時代に江戸郊外の荒川流域に咲いていた1種の野生種に行き着くことが、DNA研究から分かっている。その後、生育環境によって色や形などにわずかな違いが出て、その差異に着目して人々が選抜と栽培を重ねた結果、数百年をかけて多様な品種が生まれた。花の色は白から赤が中心だが、花びらの形や咲き方は多彩で、ギザギザの縁を持つ「錦鶏鳥」や、下向きの花をつける「白滝」、縁が白く色づく現存する最古の園芸品種「南京小桜」など、野生ではあまり見られない特徴を持つ品種も多い。 江戸郊外の荒川流域に園芸品種のルーツがあるのは、庶民の暮らしとの近さを示しているという。吉岡さんは「こうした多様性は、人が珍しさを求めて選び続けた結果ともいえる。江戸時代には庶民の間でも栽培が広まり、特に後期には品種改良が盛んになり、多様性が飛躍的に拡大した」と話す。 温暖化、10日早い開花 サクラソウは、種子だけでなく地下茎で繁殖するため、環境が整えば広がりやすい特性を持つ。また、林内から河川敷まで幅広い環境に適応する能力も高い。しかし近年は気候変動などの影響も指摘され、今年は暖冬の影響で開花が例年より約10日早まった。企画を担当する同博物館植物研究部多様性解析・保全グループ研究主幹の田中法生さんは、今後は展示時期の見直しが必要になる可能性もあると話す。 一方、野生種の保全が課題となっている。かつては関東各地に自生地が広がっていたが、多くはすでに失われた。埼玉県の田島ケ原は現在も残る貴重な自生地で、天然記念物に指定されている。野生種の個体数が減少する中、筑波大学では市民と協力して品種を守る「里親制度」を市内のNPO法人とともに2005年に立ち上げ、遺伝資源の保全にも取り組んでいる。 田中さんは「来園者に人気投票を行ったところ、濃い紫色の『天晴(あっぱれ)』や、桃色の『美女の舞』などが上位に挙げられた。サクラソウの面白さは、小さな違いに目を向けて増やしてきた歴史にある。花の大きさや色だけでなく、それぞれの個性を楽しみ、自分のお気に入りを見つけてほしい」と話す。(柴田大輔) ◆コレクション特別公開「さくらそう品種展」は18日(土)~26日(日)、つくば市天久保4-1-1 国立科学博物館 筑波実験植物園で開催。開館時間は平日は午前9時~午後4時30分(入園は午後4時)、土日曜は午前9時~午後5時(入園は午後4時30分)。20日(月)は休館。入園料は一般320円。高校生以下と65歳以上、障害者などは無料。19日(日)は無料入園日。 ◆第1会場の教育等では、「さくらそうを知る」と題した、サクラソウに関する歴史や栽培方法を紹介するパネル展が開かれ、「さくらそう里親の会」が増殖したさくらそう品種の販売会が開かれる。25日(土)には、「植物園研究最前線 シコクカッコウソウ遺伝子資源から見えてきた花の色の多様性」と題する講座が、午後1時30分から開かれる。定員は30人。事前予約制。

ロボッツ、越谷に今季4連敗

男子プロバスケットボールBリーグ1部(B1)の茨城ロボッツは15日、ホームのアダストリアみとアリーナ(水戸市緑町)で越谷アルファーズ(本拠地・越谷市)と対戦し70-87で敗れた。茨城は今季越谷に4戦全敗、通算成績は15勝38敗で東地区11位。次節は18・19日、西地区首位の長崎ヴェルカとホームで対戦する。 2025-26 B1リーグ戦(4月15日、アダストリアみとアリーナ)茨城ロボッツ 70-87 越谷アルファーズ茨城|15|15|22|18|=70越谷|26|26|16|19|=87 茨城は第1クオーター(Q)で越谷にいきなり11点の大差をつけられた。第2Qもこの流れを引きずり、前半終了時に点差は22にまで開いていた。「3ポイントを最初1、2本決められたとき、自分たちがアジャストして止めることができず、後半も続けられてしまい、攻撃のリズムがつくれなかった」と陣岡流羽の反省。「こういう試合では細かいディテールが重要になると思い、前半はいろいろ調整しながらやっていたが、やはり試合の最初からしっかりプレーしなくては」とクリス・ホルムヘッドコーチ(HC)。 序盤のターンオーバーやスチールで波に乗り損ねた部分もあるが、特に大きかったのは相手チームのジョーダン・ナタイに第1Q後半だけで4本の3点シュートを決められたこと。ナタイは現役ニュージーランド代表のフォワードで越谷には3月に加入したばかり。この日は8本の3点シュートと1本の2点シュートを沈め、シュート成功率は90%に達している。 対して茨城のチーム得点は、2点シュートでは26本中17本を決めたが、3点シュートは35本中9本、フリースローは15本中9本というホームアリーナとは思えない低調ぶり。ただし後半は修正し、ある程度持ち直すことができた。 「オープンな状況なのになぜか打たず、また何か別のことをしようとしてミスが増えたり悪い結果につながることが多い。攻撃に関してはオープンになったら積極的にシュートを打っていこうと話しており、アグレッシブに攻めれば決められるだけの力は持っている」とホルムHCの分析。 守備についても後半は盛り返し、ディフェンスリバウンドやスチールの数が目立って増えた。「よりフィジカルに戦うことを意識し、さまざまなプレーに対してしっかり守ることができた。水曜日のゲームで疲れが残っていても、守備では小さな精神的ミスも許されない。切り替えなど細かい部分をもっと大事にしながら取り組んでいきたい」 この日の観客数は4143人。2021-22シーズンにB1へ昇格して以来、通算40万人を突破した。「40万人もの方々に見に来ていただけたことはとてもうれしい。勝っていても負けていても時間やお金を費やして来て、常に応援してくれるブースターの皆さんには本当に感謝しかない。皆さんのために最後の最後まで戦い、高いパフォーマンスを見せ続けることが自分たちの義務。そういうチームを作り上げてきたことを証明できるよう、今季残り7試合も全力を尽くしたい」とホルムHCは誓う。(池田充雄)