火曜日, 10月 6, 2026
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日本財団つくば研究所跡地に来年1月開所 県が臨時の医療施設

新型コロナ第8波に備え

新型コロナの第8波に備えた対策の一つとして県が11月に設置を発表していた臨時の医療施設について、大井川和彦知事は1日の定例記者会見で、つくば市南原に臨時の医療施設を設置すると発表した。日本財団つくば研究所跡地で、同財団から無償で土地の貸与を受ける。

入院規模は200床程度、酸素投与や点滴が必要な人、医療対応と介護が必要な人などが対象になる。併せて1日当たり約300人の新型コロナとインフルエンザの同時検査ができる発熱外来を併設する。年末年始の感染拡大を見据え、来年1月上旬の開所を目指す。トレーラーハウスを連結させた平屋建ての施設で、車いす利用者も対応できるようバリアフリーになる。

医療施設には医師、看護師、介護士を配置する。医師や看護師は主に県外から募集している最中という。現在のコロナ入院患者は大半が高齢者。例えば、のどの痛みで食事がとれないため、酸素投与や点滴が必要だったり、介護が必要な中等症の高齢者などを想定しているという。

第8波は、第7波の2倍以上の新規感染者が出ると予想され、インフルエンザとの同時流行により1日最大1万9000人の感染者が想定されている。県内では第7波の際、病床がひっ迫したことから、臨時の医療施設を新たに設置して備える。

同つくば研究所跡地は、2020年4月、日本財団が9000床の軽症者向け病床を整備すると発表し、地元の五十嵐立青市長が受け入れに難色を示した経緯がある。今回、県が設置する約200床の臨時の医療施設について県感染症対策課は、すでにつくば市や地元関係者には伝えてあるとしている。

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