水曜日, 11月 26, 2025
ホームつくば富岡町出身者の交流団体立ち上げ 小園治さん、喜英子さん【震災12年】

富岡町出身者の交流団体立ち上げ 小園治さん、喜英子さん【震災12年】

福島県富岡町出身の小園治さん(72)と喜英子さん(67)は、つくば市の研究学園駅に近い新興住宅地に2016年から夫婦2人で暮らす。翌17年には、つくば市内に住む30世帯ほどの富岡町出身者に声を掛け、避難者同士が交流し親睦を深める「つくばさくら会」を立ち上げた。現在コロナ禍で活動を休止しているが、3カ月に1回ほど集まり、芋掘り、ブルーベリー摘み、料理教室 ボウリングなどのイベントを開催してきた。

「おなかの底から笑えるのは地元の人じゃないと。かしこまらなくて済むし」と喜英子さん。「富岡から来て、外に出にくかったり、自宅にこもりがちになっている人に声を掛けて、少しでも外の空気を吸ったりして、皆で楽しんでいる」と治さんは話す。

「つくばに来て、右も左も分からなかったが、外に出て何かやらなきゃいけないと、筑波大学のゴルフ講座に申し込んでそこで友達ができた」と治さん。喜英子さんは「つくば市役所の相談窓口で卓球サークルを紹介してもらって卓球を楽しむようになり、今も週1回、谷田部総合体育館で続けている。夫婦で大穂交流センターのいきいき体操教室に参加したお陰で友だちも増えて、『畑やらない?』って誘われて、豊里の畑でジャガイモをつくったりしている」と話す。

ただ、今年に入り、配偶者の死をきっかけに「ここにいる意味が分からない」と、福島県内に土地を見つけ、引っ越していった会員もいるという。

車庫の車の中で一夜

12年前の3月11日、喜英子さんは、福島第1原発から8キロほど離れた富岡町で、次女と2人で暮らしていた。夫の治さんは当時、電力会社の関連会社に勤務し、神奈川県川崎市の会社寮に単身赴任。東京電力社員の長男は、大熊町の社員寮に入り、BWR(沸騰水型軽水炉)の運転員を養成するためのBWR運転訓練センターで研修を受けていた。

次女は隣の双葉町役場で保健師として勤務していた。3月11日は送別会の予定があり「なるべく早く帰っておいで」と言って次女を送り出した。しかし次女と再会できたのは1週間後。保健師の次女は町民と一緒にバスでさいたまスーパーアリーナに避難し、さいたまで次女の無事を確認することができた。

余震が続く3月11日、近所の人たちは近くの体育館に避難した。次女と連絡がとれない中、喜英子さんは「娘が帰ってきたら自分を探すのではないか」と、車庫に止めてあった車の中で、時折エンジンをかけてラジオを聞きながら、一夜を過ごした。

翌日、避難するよう言われ、着の身着のまま隣接の川内村の小学校に避難した。すぐに帰宅できるだろうと、飼っていたビーグル犬を庭先につないだまま、容器に水とえさをいっぱい入れて自宅に残した。

避難先で、福島市の友人と電話がつながり「水は無いけど電気があるからうちにおいで」と誘われ、川内村の避難所から福島市の友人宅に2泊した。栃木県の那須塩原駅までなら新幹線が通っていることが分かり、タクシーで那須塩原まで行き、震災から5日後、東京駅で治さんと会うことができた。その後は治さんが単身赴任する川崎市のワンルームの寮に身を寄せた。

町民と医師の板挟みに

次女は双葉町民と共にさいたまスーパーアリーナから加須市の旧騎西高校に避難し、保健師として勤務を続けた。夜中、次女から喜英子さんに電話がかかってきたことがあった。社会人1年目だった次女は、住民と医師の板挟みになり憔悴している様子で、トイレの個室から泣きながら電話を掛けてきた。

数日後、休暇をとるよう夫婦で次女を迎えに行ったところ、男性用のももひきをはき、よれよれの格好をして、咳込んでいる次女の姿があった。次女はその年の7月に双葉町役場を退職、都内の大学病院や総合病院で勤務した。

感動の再会

富岡町の自宅は当時、居住制限区域に指定された。一時帰宅した際、自宅の駐車場にビーグル犬を保護したと書かれた動物愛護団体の貼り紙が貼ってあった。喜英子さんは一人になる日中、インターネットを検索し、ビーグル犬を探し始めた。

やがて「ブルーの真新しい首輪をしたよく吠える犬です」と紹介された被災犬のサイトを見つけた。掲載されていた写真は飼い犬そっくり。同じ川崎市内の動物病院にいることも分かり、そんなに吠えるなら飼い犬に違いないと、翌日、動物病院に見に行った。

朝早かったことから、動物病院はシャッターが閉まっていて、犬の鳴き声もせず静かだった。すると看護師が犬を3頭ほど連れて散歩から戻ってきた。そのうちのビーグル犬が喜英子さんを見つけて突進してきて、ワンワン吠ながら喜英子さんの顔をぺろぺろなめ、感動の再開を果たした。

喜英子さん夫婦は単身寮から駅近くのマンションに引っ越していたが、犬を飼うことはできず、千葉県内に住む長男の妻の実家で引き取ってもらうことになった。ビーグル犬はその後、2016年8月まで生き、17歳で死んだ。「最期は幸せだったと思う」と治さんはいう。

根無し草ではいられない

2015年2月、富岡町で近所だった喜英子さんの同級生が、つくば市内に住む長女と同居することになり、「日中何もしてないから、つくばに遊びにおいで」と連絡があった。初めてつくばに来た喜英子さんを、友人があちこち案内してくれ、分譲住宅を見て回った。

治さんは翌年1月に会社を退職することが決まっていた。富岡町の自宅はすでに解体していた。再び治さんとつくばの分譲住宅を見に行き、「1人でも知っている人がいたら心強い」と2カ月後、つくばに家を購入することを決め、治さんが退職した16年1月、つくばに転居した。

「家が決まるまでは夢中で、私たちどうなっちゃうんだろう、いつまでも根無し草ではいられないと、気持ちばかり焦っていた。どこかに落ち着かなきゃ、腰をすえなきゃと、富岡のことは考えられなかった」と喜英子さんは当時を振り返る。「今つくばに落ち着いてみると、富岡で生まれ育ち、富岡で子育てをして、富岡しか知らない私にしてみると、なんで富岡に帰る選択をしなかったのかなとも思う」とともいう。

富岡町の家は解体したが、お墓が残る。治さんは千葉県柏市出身。長男だったので、富岡町に家を建てたとき、千葉の両親のお墓を富岡町に移した。喜英子さんは「もしものことがあったら、富岡のお墓に入れてねって、子どもたちには言ってある」という。(鈴木宏子)

終わり

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

市職員が刑事告発 つくば市生活保護行政めぐり「虚偽公文書作成罪に該当」

県の監査に5年間虚偽報告 つくば市の生活保護行政をめぐる不適正な事務処理に関し、同市が県の監査に対して虚偽報告をしたのは「虚偽公文書作成罪に該当する」などとして、同市職員(40)が20日付でつくば警察署に刑事告発していたことがわかった。 告発内容は、生活保護を担当する市のケースワーカーなどの現業員が受給者に生活保護費を支給するにあたって、組織的に現業員が現金を取り扱っていたにもかかわらず、2019~23年度の5年間にわたり、県の監査調書に虚偽の回答を行い県に提出していたほか、23年度の県の監査でも県に対し「現業員が現金を取り扱うことはない」など事実と異なる説明をしていたなど。告発した市職員は、公務員がその職務を行使する目的で虚偽の文書を作成した虚偽公文書作成や背任などにあたるなどと指摘し、「虚偽が5年以上に及んだ事実を考慮すれば市が組織的に行ったものであることは否定し難い」「すべての事実が明らかになっているとは思えず、看過することはできない」などと指摘している。告発対象者は不詳としている。 現業員の現金取り扱いをめぐる虚偽報告については、県が2024年度に実施した特別監査で、市に対し「監査において虚偽の報告を行う行為は非常に悪質であり、生活保護行政に対する社会的信頼を損なうものとして誠に遺憾」だなどと指摘している(25年3月17日付)。 生活保護費の現金取り扱いをめぐっては、全国各地で現業員が現金を失くしたり取ったりしていたことが分かり、会計検査院が2007年度の報告で是正を求め、厚労省が現金取り扱い手順や決済権者を明確にした事務処理規定の整備や、事務処理方法の見直しなどを求めていた。 つくば市の場合、2015年度に「現業員は原則として金銭等を取り扱わないものとする」などの内部規定を作成し、18年10月に「現金支給については現業員以外の担当職員を指定する」などと改めた。内部規定が守られなかったことについて同市は県の調査に「(内部規定が)組織的に周知徹底されず、引き継ぎもされなかったため適切に運用されなかった。現金取り扱い員の人員不足もあり、現業員による現金支給を組織的に黙認していた。そのため監査においても事実と異なる説明を行っていた認識はあり、虚偽の報告を行っていた」などと回答している。現在は改善され「基準に基づいた運用を徹底し、二度と虚偽報告を繰り返さないことを徹底」しているとしている。 県に対する虚偽報告について、市福祉部は今年6月に発表した報告書の中で「(現業員の現金取り扱いについて)管理職は業務中も『口外しないこと』『台帳に記録しないこと』を指示し、県の監査においても事実と異なる回答をするよう指示していたと考えられる」などと記述している。なぜ5年間も県に虚偽の報告を続けたのかについての原因や背景は、報告書では明らかにされていない。 今回の市職員による刑事告発について同市の五十嵐立青市長は「(刑事告発が)どの部分か確認してないのでコメントできない。(生活保護行政をめぐる同市の不適正事務については)これまでも福祉部の報告等ですべて明らかにしているし、是正も行われているので、我々としてはこれまで通り改善を進めていきたい」としている。 刑事告発した市職員は2022~23年度まで約2年間、市社会福祉課に所属し生活保護行政を担当した。業務の中で、誤支給や誤認定など不適正な事務処理が行われていることを見つけ、内部で是正を訴えたが聞き入れられず、24年2月と3月に各種の不適正事案の是正を求めて市公益通報委員会などに通報した。その後市は、県などからの指摘を受けて24年7月に誤支給や誤認定などを公表し、25年6月に報告書をまとめた。しかし市職員は「すべての事実が明らかになっているとはいえない」などとして、24年8月と25年6月に特別委員会や第三者による調査委員会の設置などを求めて市議会に請願書を出し、不採択となっていた(9月26日付)。 告発した市職員は「最近のつくば市の記者会見や議会での様子を見るに、とても市民に対して誠実に向き合っているとは言い難く、このまま市当局に任せていても遅々として事実は明らかにならないと思い、刑事訴訟法に定められた公務員の告発義務に基づき今回告発した」としている。 つくば警察署は、告発状を受理したかどうかについて「個別のことはお答えできない。仮に出ていたとしても捜査に関わることはお答えできない」としている。(鈴木宏子)

神様の日常は人間の非日常《マンガサプリ》1

【コラム・瀬尾梨絵】私はマンガの大ファン。いろいろな作品を主に冊子で読んでいるが、このコラムでは私が面白いと思ったものを紹介していきたい。初回は、筑波山をモデルにして神様も登場する「ひとひとがみ日々」(古山フウ著 全5巻 小学館)。神様が出てくるというと、枕詞に「いにしえの〜」とか、「昔々…」なんて言葉がついてくるイメージが強いと思うが、背景の時代は限りなく現代に近い。 舞台は、町から少し離れた「ミツカド山」の麓。隣には「フタツカド山」という二峰の山もあり、筑波山の周りの山々のような地形だ。そこの廃村に、人間の姿になった神々が暮らしている。石の祠(ほこら)の神のイシ、菊の神の菊など、個性的な能力を持った神々が登場する。 例えば、猯(まみ)と呼ばれる神はタヌキのように姿を自在に変えられる。たくさんの神が登場する中で、宝塚がお好きな方は、「ヤネ」という神に注目してほしい。しかし、その力は人間の姿になる前より衰えてはいるようだ。少し時間がたつと大けがが治り、神様と人間の狭間でチグハグな様子がかわいらしい。 「人間1年生感」の神々 彼らはなぜ自分たちが人間の姿になったのか、思い出せないまま時を過ごしている。元は人間が暮らしていた廃村に、人間の姿になった神様たちが工夫を凝らして生活する姿も「人間1年生感」があり、ほほ笑ましい。 体の作りは人間なので眠くもなるし、空腹にもなる。神の姿だった時ではすることの無かった食事をする。食材の調達は主に、物の怪たちが新月の際に開く市でそろえる。ここまで書くと本当に人間のようだが、市でのお代の支払いは、髪の毛数本だったり爪の先だったり、突然人間らしくない。 イタチやトカゲなどの姿をしている物の怪たちにとって、神様の体の一部というのは力のあるものらしく、お代をもらった物の怪が当たり前のように髪の毛を食べていて、こちらの喉に引っかかりそう。 筑波山がモデルの「フタツカド山」 食事をするシーンが何度もあるのだが、これら全ておいしそうなのも注目したい。山菜を使った煮物や、市で売っている冷やしアメ、ペンキの缶で沸かしたミソ汁まで様々な食べ物が出てくる。個人的にフキミソのおにぎりは確実においしいと思う。素朴で魅力的な料理の数々と、ほっこりする作画が相まってとてもお腹が空く。 筑波山をモデルにしたという山も「フタツカド山」として出てくる。立派な神社があり、登山客も多く、まさしく筑波山のようだ。神社があるのでこの山にも神様たちがおり、それぞれの山の神同士交流も描かれるのだが、これもまた人間(?)模様が渦巻いており、ほほ笑ましい。 冒頭でも記したが、ミツカド山の神々はなぜ人間の姿になったかは本人たちも覚えていない。人間に忌み嫌われ打ち捨てられてしまったのか、何か良からぬものが働いているのか。力があるとはいえ、人間の姿になる以前よりも弱くなっているということは、ゆっくりと消滅へ向かっているのかもしれない。優しい作画と少し暗さを感じるこのバランスが病みつきになる作品だ。(牛肉惣菜店経営) 【せお りえ】土浦市出身。飯村畜産(土浦市)の直営店iimura-ya(いいむらや、つくば市二の宮2丁目)店長。地域密着型の弁当・惣菜・精肉販売店に10年間従事。日々の店舗運営で、多様な年代、多様な価値観を持つお客様と接する中で培った人間観察眼を、マンガの選定に生かす。コラムでは、疲れた心にサプリとして、マンガで癒され明日への活力になる一冊を紹介していく。

掃いても、掃いても《短いおはなし》45

【ノベル・伊東葎花】 私は、イチョウの木でございます。神社の参道へと続く道に、たくさんの仲間と一緒に立っております。このあたりでは、少しばかり有名な並木道でございます。 青々と茂っていた葉は、秋が深まると黄金色に染まります。それはそれは素敵な散歩道になりますのよ。葉っぱたちは、風にはらはらと舞い落ちて、地面に黄色のじゅうたんを敷き詰めます。ため息が出るほど美しい晩秋の風景ですわ。 ところでこの春、神社の長男が嫁をもらいました。その嫁が、まあ、きれい好きと言いますか、風情がないと言いますか、せっかくの美しい葉っぱたちを箒(ほうき)で掃いてしまうんです。竹箒でザッ、ザッ、ザッ、と葉っぱを集め、ゴミ袋に入れるんです。何ともまあ、風情のない現代っ子でございます。 こちらとしても、負けるわけにはまいりません。 「おまえたち、あの女めがけて散りなさい」 私が命令すると、葉っぱたちは嫁をめがけて、まるで矢のように降りました。 「ああ、もうっ、掃いても、掃いてもきりがない」 嫁はとうとう掃くのをやめて、家に帰って行きました。勝ちました。 …と思ったのもつかの間、今度は、大きな熊手を持って現れたのでございます。あんなものでかき集められたら、たまったものではありません。私たちは、嫁がいなくなるまで待って、ふたたび葉っぱの雨を降らせました。負けるものですか。 そんなバトルが、数日続きました。嫁がどんなにきれいに掃いても、翌朝にはまた黄色のじゅうたんが敷かれます。それでも嫁は懲りもせず、毎日箒を持ってやってくるんです。こういうのを、イタチごっこというのかしら。 次の日は、朝から雨でした。よく降る雨でございます。並木道を、レインコートを着た小学生が走って来ました。通学路ではないけれど、おそらく学校までの近道なのでしょう。遅刻しそうなのか、赤い顔をして、一生懸命走っています。子供の長靴が葉っぱを踏んだ時、つるりと滑ってバランスを崩しました。 「まあ大変」 私は、とっさに枝を伸ばして、子供を抱き上げました。子供は、転ばずにすみましたが、よほど驚いたのでしょう。大きな声で泣きました。 それを聞きつけて、嫁が走ってまいりました。 「滑っちゃったのね。気をつけて。走っちゃダメよ」 優しく頭をなでて、女の子を見送りました。そして私の幹に手を当てて、誰にともなくつぶやいたのでございます。 「きれいなんだけど、滑るんだよね」 嫁は、黄色の葉っぱをひとつ拾いあげ、指で優しく汚れを落としたのでございます。 「雨が止んだら、また掃かなくちゃ」 あら、宣戦布告とは頼もしい。 でもね、ごらんなさい。もう葉っぱが、いくらも残っていませんの。もうすぐ12月ですもの。 「どうぞ、好きなだけお掃きなさい」 あら、私ったら…。どうやらこの嫁が、少しだけ好きになったようでございます。 (作家)

スズメの記憶二つ《鳥撮り三昧》7

【コラム・海老原信一】今回はスズメの話を二つしてみます。一つは、野鳥の観察・撮影を始める前のことです。小学生3人の子供たちを連れ、栃木県小山市にあった「小山遊園地」へ出かけた際の出来事です。当時、この遊園地は存在感がある施設でしたが、20年ほど前に閉園となり、今は大型ショッピングセンターになっています。 運転席の窓を全開にして、下館から結城を抜け、小山市内を走っていた時、全開した運転席に小さな塊が飛び込んできました。驚きましたが、すぐスズメであるのが確認できました。車内はこの出来事に興奮状態です。 スズメは自分のいる所が本来の場所ではないと思ったのでしょう、フロントガラスに向かい飛び出そうと羽をバタつかせています。私も、まさかスズメが同乗者になるとは想像もできませんでしたが、右手を伸ばし、ダッシュボード上で動けなくなっているスズメ保護できました。ケガはしてないようでしたので、窓から放鳥しました。 もう一つは、野鳥の観察・撮影を始めて10年ぐらい経った時のことです。「花と鳥」という定番の情景を求めて、何日か同じ場所に通っていました。今日で一区切りと思いながら、周りを眺めていると、視界の下方で何かが動き、自分の方に這い寄って来る気配。見ると、1羽のスズメが足元に来てうずくまりました。 人からは逃げるはずのスズメがなぜ? そう思ってよく見ると、足元にうずくまったまま動く気配がありません。目は半分閉じられ、ゆっくりとした呼吸が感じられるほどでした。見るからに弱っており、残された時間の長くないことがわかりました。 足元に寄って来たのは、冷えてきた自分の体を温めたいと人の体温を求めたからではないか? でも私はじっとしている以外になすすべがなく、かなりの時間そのままでいました。やがて動かなくなったスズメをそのまま置き去りにするのが忍びなく、近くのヤブに隠しました。生きている時間を少しでも遅らせることができればと。 二つの記憶。一つは楽しかった記憶。もう一つは切なかった記憶。これからも、野鳥との関わりの中で多くの記憶を残せたらと思っています。(写真家)