水曜日, 1月 14, 2026
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信州の山《続・平熱日記》119

【コラム・斉藤裕之】初めて信州の山並みを見た時の感動を今も覚えている。生まれ育ったところの丘のような山とは全く違う。その手の届かないような高さや鋭角な形、色。それが幾重にも連なっている様(さま)は、「畏怖(いふ)」とか「崇高」とか普段あまり使わない言葉を想起させる。

信州上田に大学の後輩が住んでいる。作家でもあり、コーディネーターとしても活躍している彼が、上田のとあるパン屋さんで展覧会をやるから信州の山絵を描いてよこせ、と言う。題して「信州山景クラッシック」。なるほど。30年近く前に私の冗談から始まった、「富士山景クラッシック」という富士山をテーマにした展覧会の信州版ということか。

天気予報は晴れ。朝起きて信州行きを決める。5時出発。予定では3時間余で上田に着く。関東平野の終わりに妙義山が見えてくる。長いトンネルをいくつかくぐると、いよいよ信州。知識がないので何という山か知らないが、遠くに蒼(あお)い稜線(りょうせん)が見える。

「待てよ、このまま長野まで行ってみよう」ということで、朝早くに善光寺に参った。実は、初めて訪れた長野市と善光寺。短い時間だったが、山門の上に登って長野の街を眺める。

それから国道を通って上田に。実は娘の義理のお母さんのご実家は上田。かねがね、ゆっくりと訪ねてみたいと思っていたのだが、今回は時間の制限もあるので、とりあえずそのパン屋さんに向かう。店は歴史を感じる旧街道筋の一軒。知る人ぞ知る名店らしい。けれども、実に素直な造りで押しつけがましさがない。

食事のできる2階の窓から烏帽子岳が見えると聞いていたので、階段を上らせてもらうと、畳の上にご主人とおぼしき方がごろりと寝ておられる。なるほど、この風貌にこの店構えに納得。窓越しに山を見ようとするが、山頂に大きな雲がある。黙ってこっそりと引き上げようと思っていたのだけれど、体を起こされたので、「○○さんの友人で山を描きに来まして…」と事情を説明。

上田の空気が頭にあるうちに

折角なので、これぞ店名のルヴァン(酵母)そのもののクロワッサンとコーヒーをいただいていると、雲が取れてきて烏帽子が見えてきた。

しかし、簡単に山を描けると思ったら大きな間違い。まして数時間麓でうろうろしたところで、大した絵が描けるはずがない。それはわかっているのだが…。風景とはよく言ったもので、信州の風、空気を記憶するしかない。

「松本あたりに行くと、アルプスが見えていいけどねえ…」とご主人。脳裏にその風景が浮かぶ。地図を見ると、ここからそう遠くないが、残念ながらタイムリミット。

帰り道、高速道路沿いの満開の葛(くず)の花が気になってしょうがない。昨年はこの花をあまり見かけなかったので、今年こそ絵を描こうと思っていたからだ。大きな葉に隠れるように咲いているからだろうか。とても鮮やかな花なのにあまり人目につかない。

帰宅して、まだ頭の中に上田の空気が残っているうちに絵筆をとることにした。(画家)

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