火曜日, 12月 9, 2025
ホーム土浦戦争遺跡めぐる夏の宿題こなし 3、4日の土浦公演迫る

戦争遺跡めぐる夏の宿題こなし 3、4日の土浦公演迫る

いっぱいの宿題を抱えた夏の終わり、「流れる雲よ2022茨城実行委員会」の委員長、石田和美さん(44)ら女性7人のメンバーは、9月3、4日クラフトシビックホール土浦(市民会館)で開く演劇公演の準備をようやく終えようとしている。

「記憶をつなぐ最後の世代かも」

「流れる雲よ」(脚本・草部文子、演出・田中寅雄)は、演劇集団アトリエッジ(東京)によって、2000年からミュージカル版やラジオドラマなどで上演されてきた作品。太平洋戦争末期の1945年夏、特攻(特別攻撃隊)基地で出撃を待つ若者たちの物語だ。

打ち合わせをする実行委員会メンバー=土浦市内のそば店

実行委員会をつくり、21年6月から公演準備を進めてきたのは、40代から50代の女性ばかり7人でつくる「えにしわぁくプロジェクト」のメンバー。「縁(えにし)と和」を茨城から未来でつなげていこうと立ち上げ、戦争遺跡を訪ねたり、軍関係者や遺族に話を聞くなどの体験を共有してきた。

「戦争の体験者がどんどん少なくなって、記憶を直接伝え聞けるのは私たちが最後の世代かもしれない」という石田さんは、土浦市在住の会社員。父親は元自衛官で、陸上自衛隊武器学校(土浦駐屯地、阿見町)に勤めていた時、連れていってもらった予科練記念館「雄翔館」をその後、何度も訪ねることになった。

多数の特攻隊員を戦地に送り出した予科練(海軍飛行予科練習生)の存在を忘れてはならないと思った。雄翔館を運営する公益財団法人「海原会」は昨年、事務局を東京から阿見町に移したが、事務局長を務める平野陽一郎さんは父親の同僚だった。

7人のメンバーは土浦市、神栖市、石岡市のほか東京在住の2人を含む。祖父や大叔父が戦死したりしており、多かれ少なかれ、こうした「縁」でつながっている。石田さん自身、大叔父が重巡洋艦、羽黒の副長を務めており、1945年5月16日のペナン沖海戦で撃沈された際、艦と運命を共にしたと聞かされていた。

羽黒の悲劇を舞台化していたのがアトリエッジで、「Peace in a Bottle(ピース・イン・ア・ボトル)」という作品があった。くしくも脚本の草部文子さんの叔父が、羽黒で航海長を務めていたことを知った。「縁」があった。

神栖市で海軍神之池基地の戦跡などを訪問していたメンバーの一人は10年来、同劇団の観劇を続けており、連絡をとったところ、「茨城・土浦なら、よりふさわしい作品がある」と「流れる雲よ」公演を持ち掛けられた。同劇団は、陸の「ぞめきの消えた夏」、海の「Peace in a Bottle」、空の「流れる雲よ」の3部作をレパートリーに、各地を公演していた。

土浦の会場を押さえ、1年以上先の9月公演の日程を決めたものの、イベントの開催には不慣れなメンバーばかり。コロナ禍による非常事態宣言や第6波、第7波の感染拡大で、集客に向けてのアピールにもブレーキがかかった。

鹿島・筑波、両海軍航空隊跡を訪ねる

海原会の協力を取り付けるなどの準備をしながら、メンバーは県内の戦跡などを訪ね、戦争の記憶を共有する作業にも取り組んだ。

この夏、クラウドファンディングで、廃墟と化した基地跡の保存と再生プロジェクトを始動させた鹿島海軍航空隊跡地(美浦村)を訪ねたり、総延長3キロ以上にわたって地下通路が張り巡らされていることが分かった筑波海軍航空隊旧司令部(笠間市)の遺跡発掘のボランティアに加わった。打ち合わせでも、海軍航空隊ゆかりの料亭、霞月楼(土浦市)を見学するなどしている。

「流れる雲よ」の出演者を招いて、予科練平和記念館(阿見町)の零戦レプリカ前で公演チラシ用の写真を撮った際にも、関係者から話を聞いた。今回の公演では、鑑賞チケット購入者には、同館の招待券が付けられる。

出演者たちと訪れた予科練平和記念館=阿見町(実行委員会提供)

石田さんは「まずはたくさんの人に見てもらいたい。近代史は、実は学校教育できちんと習わないから戦争の背景とか、国家や家族への思いなどを知ると気づくことが多い。その思いに寄り添って、子供や孫たちに伝えたり、茨城から発信する、それが私たち世代の役割だと思う」と語っている。(相澤冬樹)

◆流れる雲よ茨城公演 9月3日(土)午後6時30分から、4日(日)午後1時30分からクラフトシビックホール土浦(土浦市東真鍋町)小ホール。指定席8000円、自由席6500円(税込み)。問い合わせ電話080-1018-1124(石田)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

5 コメント

5 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

6年ぶりに常陸大宮で農村歌舞伎《邑から日本を見る》189

【コラム・先﨑千尋】少し古い話題だが、常陸大宮市で10月25日に行われた「西塩子(にししおご)の回り舞台」を紹介する。 西塩子地区は常陸大宮市にある山間部の小さな里山集落で、戸数は50戸ほど。戸数は減り、高齢化も進む。ここで、江戸時代から地域の娯楽として農閑期の田んぼなどで農村歌舞伎が演じられ、住民らに親しまれてきた。しかし1945年を最後に行われなくなり、道具類は地域の倉などに納められていた。 1991年、当時の大宮町歴史民俗資料館の石井聖子さんらが調査に入り、同地区の組立式舞台が江戸時代後期の文政年間のものと判明した。現存する日本最古の組立式農村歌舞伎舞台で、回り舞台もある本格的な舞台だ。現在は県の有形民俗文化財に指定されている。 舞台は公演後には解体されてしまう。94年に回り舞台保存会が結成された。97年に隣県の歌舞伎伝承者らに指導を仰ぎながら、半世紀ぶりに公演を復活させ、原則3年おきに公演が行われてきた。これまで、定期公演の他に「ふるさと歌舞伎フェスティバル」など多くの催しに出演し、「サントリー地域文化賞」などを受賞している。 前回の公演は2019年。その後、新型コロナウイルスの拡大が活動を直撃した。さらに保存会メンバーの高齢化による担い手不足や資金集めなど課題が重くのしかかり、延期が続いた。 伝統の灯は消えなかった しかし、地域文化の伝統の灯は消えなかった。「ふるさとの伝統文化をなんとか残さなくては」と、有志の市民や茨城大学の学生らでつくるNPO法人が支援の輪を広げ、6年ぶりの公演再開が決まった。昨年10月には再開を支援するためのシンポジウムも開かれた。クラウドファンディングも実施された。 真竹や木材約500本で組み立てられる舞台は、間口、奥行き20メートル、高さ7メートルで、壮麗なアーチ型が大きな特徴。地元の竹林から竹を切り出し、屋根は「いぼ結び」という独特の結び方を駆使して作られる。今回は、高齢化や人手不足により、建設業者やとび職人の手を借りて約1カ月かけて作られた。学生たちも竹の伐り出しや桟敷席の設営などの手伝いをした。 そうして迎えた公演当日。あいにくの小雨模様だったが、客席は満員。午前10時半から子ども歌舞伎を地元の大宮北小の3~4年生が、常磐津「子宝三番叟」と「白波五人男」の稲瀬川勢揃いの場面を演じた。午後は、友好関係にある栃木県那須烏山市の山あげ保存会芸能部会が歌舞伎舞踊「蛇姫様」を演じ、続いて、市内の常磐津伝承教室で小学生が学んだ常磐津「将門」を披露した。 トリを務めたのは、西塩子地区の若手住民と大宮北小の児童らでつくる地芝居一座「西若座」で、「太功記十段目 尼ヶ崎閑居の場」を演じた。観客から拍手や喝さいが沸き起こり、「おひねり」も飛びかった。 保存会の大貫孝夫会長は「高齢化が進み、復活へなかなかやる気が起きてこなかったが、多くの方々に後押しされ、歩み出せた。地域の宝を残すために今後も続けていきたい」と話している。この取り組みはNHKテレビの「小さな旅」でも、11月30日に「常陸大宮市〝西塩子の回り舞台〞復活に向け奮闘する人々の物語」として全国放映された。(元瓜連町長)

つくばサンガイア 東京Vにストレート勝ち

バレーボールVリーグ男子のつくばユナイテッドSunGAIA(略称サンガイア、本拠地つくば市)は6日、つくば市流星台の桜総合体育館で東京ヴェルディ(本拠地東京都稲城市)と対戦し、セットカウント3-0で勝利した。これでサンガイアは5勝2敗で東地区3位。7日も午後2時から同会場で東京Vと再戦する。 2025-26 Vリーグ男子(東地区)レギュラーシーズン(12月6日、桜総合体育館)サンガイア 3-0 東京V25-1625-2225-16 サンガイアは持ち前の高いブロックや強いサーブ、バランスの良い配球などで序盤から順調に加点。「自分たちの良いところを出せ、安心して見ていられた」と加藤俊介監督。唯一、第2セット終盤には相手の猛追を許したが、これはチームの若さが課題として出たという。「勢いに乗ったときは手がつけられないほど躍動するが、逆に小さなきっかけから流れを失うこともある。今日は連続失点でも崩れず我慢できたことが収穫」と加藤監督。タイムアウトを使い「相手を意識するのではなく自分たちの攻撃をしっかりやろう」と声を掛けたそうだ。 特に第3セットでは、村松匠や武藤茂らによるパイプ(ミドルブロッカーをおとりにしたバックアタック)が猛威を振るった。この日の決定率では65.2%を挙げ、いままで積極的に取り組んでいたこの技が、チームの武器になり始めていることが見てとれた。「チームとして意図的にバックを使おうとしており、今日は相手ブロックがミドルを厚くケアしていたので、特にパイプが効果的だった。上位チームと当たるときはもっと真ん中の攻撃を通せるよう、さらに攻撃力や効果力を上げていきたい」とセッターの浅野翼。前節の長野戦ではゲームプランの崩れを修正できず、自身も途中でベンチに下がるという悔しい思いをしただけに、今日はその思いを晴らそうと強気のトスワークが光った。 インフルエンザで不調があった梅本鈴太郎は、この試合では立ち上がりを支えた後、第1セット半ばで榮温輝に席を譲った。榮は今季初出場で「チームのシステムにしっかり入ろうと緊張したが、点を決めたらみんなが喜んでくれて楽しくできた」との感想。相手の動きを読んだ思い切りのよいブロックを得意とし、コースを突く変化の大きなサーブも持ち味の一つだ。「梅本、松林哲平、榮とタイプの異なる3人のミドルブロッカーがいるので、その日のコンディションや相手によって使い分け、攻撃の幅を広げることができる」と加藤監督。 翌日の再戦については武藤主将が「今日はコンビネーションの精度などに課題があったが、それをさらに詰め、自分たちの求めるバレーに積極的にチャレンジし、明日もストレートで勝ちたい」と意欲を見せた。(池田充雄)

進化するクリスマスツリーと変わらないもの《ことばのおはなし》88

【コラム・山口絹記】こどもが11月のうちにクリスマスツリーを飾らねばならないと言い出した。日曜の夕方から設置が始まったのだが、私は夕方から寝落ちしていたため、起きたらイルミネーション含め飾り付けが完了していた。 クリスマスツリーと言っても、ツリーが描かれた大きな壁紙である。つくばに引っ越してきた10年前の冬は、140センチほどのよくあるツリーを飾っていたのだが、抜け毛?抜け葉?いや落葉か?に毎年悩まされて、仕方なく捨てたのだ。 4半世紀以上前の実家に飾ってあったツリーも同じような症状に悩まされていたので、このあたりは進歩がないのだろうと思ったのだが、ネットで検索すると「葉が落ちないクリスマスツリー」なるものがいろいろ販売されている。どうやら人類共通の悩みであったらしい。 とは言え、こどもに加えて観葉植物や昆虫(カブトムシの幼虫)が増えて手狭な部屋にツリーを置くのはなかなかにしんどいものがあるので、今年も我が家はツリーの壁紙だ。飾り付けるオーナメントは(落葉のある)ツリー時代からの使いまわしなのだが、コイツはコイツでキラキラのラメが落ちる。 こどもはオーナメントをいじりたがるので、年末は家の中のそこかしこがどことなくキラキラするのだが、これはもう諦めねばなるまい。 そろそろ丸鶏の予約の時期 そう言えば、私が小さい頃、クリスマスツリーのてっぺんに飾る星が欲しいと父にねだって作ってもらったことがあった。毎年、その星の飾りをクリスマスツリーのてっぺんに差し込むのが楽しみだったのだ。 年賀状も卒業してしまったし、来年はお節も注文してしまおうか、などと話しているのだが、結局、それらは喜ぶ人が減ってきたからなのだろうと思う。楽しみにしている人がいるものまで削減していく必要はない。 クリスマスケーキの注文は済んだし、そろそろ丸鶏の予約の時期だ。こういうのはベタでいいのだ。(言語研究者)

日本人はロボットとの親和性が高い?《看取り医者は見た!》47

【コラム・平野国美】前回、介護ロボットへの私の懐疑的な視点と、友人が自作の「鉄腕アトム」に心を奪われたという対照的な出来事を紹介しました。この現象の背景を探る鍵は、業界紙が報じたドイツ有識者のインタビュー記事に見出せます。 その記事には、ドイツの専門家アルムート・ザトラパ・シル博士による次のような警鐘が記されています。「ロボットがケアについて自律的に判断してしまうと、人間をサポートするどころか、支配してしまうことになりかねません。『人間とは何か』という根本的な問題にも関わってくるでしょう」 この言葉は、私がデモで見た無機質なロボットから感じた「痛々しさ」の正体を的確に示しています。欧米では、ロボットはあくまで人間の作業を代替する「便利な道具」として捉えられており、それゆえに道具が人間を支配することへの警戒心が強いのだと理解できます。 しかし、友人がアトムに感じた「胸がキュンとなった」という、道具に対するものとは思えない感情は、この文脈だけでは説明がつきません。長い時間をかけて完成させたアトムは、スイッチを入れた友人に「やっと、会えたね」と語りかけました。この一言が、友人にとってアトムが単なる「道具」ではなく、幼い頃から物語を共有し、自らの手で組み立てた「魂のこもった存在」であったことを物語っています。 ここに、日本独自のロボット観が隠されていると考えられます。欧米の映画でロボットが悪の兵器として描かれがちなのに対し、日本では『鉄腕アトム』や『鉄人28号』のように、正義の味方、時には人間以上に豊かな感情を持つ存在として描かれてきました。戦後の日本人は、こうしたロボット観に深く親しんできたのです。 これは、業界紙の記事で指摘された「日本人はロボットへの親和性が高い」ことの一つの大きな理由でしょう。さらに驚くべきは、人間同士や人とペットとの絆を深めるホルモン「オキシトシン」が、人間とロボットとの関係においても分泌されることが確認されたという研究です。 道具も含め万物への畏敬の念 私たちが無意識のうちにロボットに「心」や「物語」を求め、そこに絆を見出す。この「心を通わせる」分野こそ、日本人が最も得意とするところかもしれません。 その根底には、日本人の独特の宗教観、すなわちアニミズムがあるのではないかと私は考えるのです。このアニミズムとは、自然や道具を含むあらゆるものに魂や霊が宿るという世界観です。具体的には、山、川、木、風など、数多くの自然や現象に神が宿る「八百万(やおよろず)の神」の考え方が神道の基盤となり、動植物だけでなく道具にまで万物への畏敬の念が深く根付いています。 現代において、この感覚は失われたように見えても、私たちの意識のどこかに今も残っています。それが、単なる道具ではないロボットとの強い親和性を生み出す源泉となっているのかもしれません。最近では、この癒し系ロボットと過ごされる方も出現してきました。(訪問診療医師)