水曜日, 12月 10, 2025
ホーム土浦戦争遺跡めぐる夏の宿題こなし 3、4日の土浦公演迫る

戦争遺跡めぐる夏の宿題こなし 3、4日の土浦公演迫る

いっぱいの宿題を抱えた夏の終わり、「流れる雲よ2022茨城実行委員会」の委員長、石田和美さん(44)ら女性7人のメンバーは、9月3、4日クラフトシビックホール土浦(市民会館)で開く演劇公演の準備をようやく終えようとしている。

「記憶をつなぐ最後の世代かも」

「流れる雲よ」(脚本・草部文子、演出・田中寅雄)は、演劇集団アトリエッジ(東京)によって、2000年からミュージカル版やラジオドラマなどで上演されてきた作品。太平洋戦争末期の1945年夏、特攻(特別攻撃隊)基地で出撃を待つ若者たちの物語だ。

打ち合わせをする実行委員会メンバー=土浦市内のそば店

実行委員会をつくり、21年6月から公演準備を進めてきたのは、40代から50代の女性ばかり7人でつくる「えにしわぁくプロジェクト」のメンバー。「縁(えにし)と和」を茨城から未来でつなげていこうと立ち上げ、戦争遺跡を訪ねたり、軍関係者や遺族に話を聞くなどの体験を共有してきた。

「戦争の体験者がどんどん少なくなって、記憶を直接伝え聞けるのは私たちが最後の世代かもしれない」という石田さんは、土浦市在住の会社員。父親は元自衛官で、陸上自衛隊武器学校(土浦駐屯地、阿見町)に勤めていた時、連れていってもらった予科練記念館「雄翔館」をその後、何度も訪ねることになった。

多数の特攻隊員を戦地に送り出した予科練(海軍飛行予科練習生)の存在を忘れてはならないと思った。雄翔館を運営する公益財団法人「海原会」は昨年、事務局を東京から阿見町に移したが、事務局長を務める平野陽一郎さんは父親の同僚だった。

7人のメンバーは土浦市、神栖市、石岡市のほか東京在住の2人を含む。祖父や大叔父が戦死したりしており、多かれ少なかれ、こうした「縁」でつながっている。石田さん自身、大叔父が重巡洋艦、羽黒の副長を務めており、1945年5月16日のペナン沖海戦で撃沈された際、艦と運命を共にしたと聞かされていた。

羽黒の悲劇を舞台化していたのがアトリエッジで、「Peace in a Bottle(ピース・イン・ア・ボトル)」という作品があった。くしくも脚本の草部文子さんの叔父が、羽黒で航海長を務めていたことを知った。「縁」があった。

神栖市で海軍神之池基地の戦跡などを訪問していたメンバーの一人は10年来、同劇団の観劇を続けており、連絡をとったところ、「茨城・土浦なら、よりふさわしい作品がある」と「流れる雲よ」公演を持ち掛けられた。同劇団は、陸の「ぞめきの消えた夏」、海の「Peace in a Bottle」、空の「流れる雲よ」の3部作をレパートリーに、各地を公演していた。

土浦の会場を押さえ、1年以上先の9月公演の日程を決めたものの、イベントの開催には不慣れなメンバーばかり。コロナ禍による非常事態宣言や第6波、第7波の感染拡大で、集客に向けてのアピールにもブレーキがかかった。

鹿島・筑波、両海軍航空隊跡を訪ねる

海原会の協力を取り付けるなどの準備をしながら、メンバーは県内の戦跡などを訪ね、戦争の記憶を共有する作業にも取り組んだ。

この夏、クラウドファンディングで、廃墟と化した基地跡の保存と再生プロジェクトを始動させた鹿島海軍航空隊跡地(美浦村)を訪ねたり、総延長3キロ以上にわたって地下通路が張り巡らされていることが分かった筑波海軍航空隊旧司令部(笠間市)の遺跡発掘のボランティアに加わった。打ち合わせでも、海軍航空隊ゆかりの料亭、霞月楼(土浦市)を見学するなどしている。

「流れる雲よ」の出演者を招いて、予科練平和記念館(阿見町)の零戦レプリカ前で公演チラシ用の写真を撮った際にも、関係者から話を聞いた。今回の公演では、鑑賞チケット購入者には、同館の招待券が付けられる。

出演者たちと訪れた予科練平和記念館=阿見町(実行委員会提供)

石田さんは「まずはたくさんの人に見てもらいたい。近代史は、実は学校教育できちんと習わないから戦争の背景とか、国家や家族への思いなどを知ると気づくことが多い。その思いに寄り添って、子供や孫たちに伝えたり、茨城から発信する、それが私たち世代の役割だと思う」と語っている。(相澤冬樹)

◆流れる雲よ茨城公演 9月3日(土)午後6時30分から、4日(日)午後1時30分からクラフトシビックホール土浦(土浦市東真鍋町)小ホール。指定席8000円、自由席6500円(税込み)。問い合わせ電話080-1018-1124(石田)

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武器を持たない勇気と知恵《ハチドリ暮らし》56

【コラム・山口京子】11月中旬、利根町役場のホールで「平和のつどい利根」講演会が開かれました。講師はイスラエル生まれの元空軍兵士で、現在は埼玉県で家具作家をしているダニー・ネフセタイさん。テーマは「武器を持たない勇気と知恵」でした。 イスラエルには徴兵制度があり、高校卒業後、男性は3年間、女性は2年間、兵役に就くそうです。「軍隊がなければ周りの国から攻撃され、生きていけないと思い込まされ、軍隊はすばらしいという価値観を自然に身に付ける。自分もそのように思っていたが、退役後、アジアを旅して日本で暮らすようになり、考えが変わっていった」とのことでした。 そして、「過去のゆがみに縛られるより、今からどうしていくのか、共に生きるのか、共に死ぬのか。共に生きるには、武器を持たない勇気と知恵が求められる」と。 ダニーさんは、戦闘機に乗った若き自分の写真をパワーポイントで映しながら、「これを見てどう感じますか? カッコイイと思う人いますか?」と尋ねます。そして、「戦闘機はある目的のためにだけ優れている。それは物を破壊し、人を殺すこと。その目的って、カッコイイことなのか?」。 「テロは武力では止められない。武力を行使すれば、さらなる憎しみが生まれる。武力によって生まれるのはさらなる武力。憎しみによって生まれるのは憎しみでしかない。戦争は最大の人権侵害であり、環境破壊でもある」 武器が商品に、戦争が商売に 日本の防衛費は年間8兆8000億円。この額を、365日、1日、1時間、1秒に換算すると、1日241億円、1時間10億円。とんでもない金額です。その出所は国民の税金。軍事費に使われるほど生活にしわ寄せが来ます。 ダニーさんは14年前、「原発とめよう秩父人」を立ち上げ、反戦や反原発を訴える講演を各地で行っているそうです。「‘敵’概念はヒトのDNAにはない後天的産物であり、話し合いで解決できないという思い込みは、捨てないといけない。‘敵’とは国が設定するものであり、あおりや脅かしに振り回されないで、お互い、よく見て、よく聞き、よく話すことが必要だ」 東京新聞に「世界の軍需企業24年販売額最高」という記事(12月2日付)が出ました。ストックホルム国際平和研究所によると、上位100社の軍需関連販売額は前年比5.9%増え、6790億ドル(約106兆円)と、とんでもない金額です。武器が商品になる、戦争が商売になる―おかしくありませんか? (消費生活アドバイザー)

和訳 ときどき「みすゞ飴」《続・平熱日記》187

【コラム・斉藤裕之】伸びた庭木の枝でも切ろうかと思うが、まだまだ蚊がいたり天気が悪かったりして。絵を描くのも日がな一日というわけでもないので、さて、何をしようかと…。そこで目に付いたのが分厚い本。表紙カバーは光沢のある青に小さな魚の群れが描かれている。 実は英語で書かれている小説で、かれこれ20年以上前に東京の洋書屋さんで買い求めたもの。「FISH of the SETO INLAND SEA」つまり「瀬戸内海の魚」。このタイトルに引かれて買った。何の話か全く分からず、作者は日本の女性? 何度も読み始めては挫折して、結局放ったらかし。 でも、なんか気になって目につくところには置いてあった。ちなみに、私の英語の能力は高卒程度かつ年齢と共に退化中。 それから、これもノートとしてはかなり厚手のわら半紙製の、多分この先も使う当てのないものを引き出しの中に見つけて、和訳したものを書き始めた。日本の話ではあるし、それも舞台は故郷の瀬戸内海。頭の中に映像が浮かびやすい。それほど難しい言い回しもない。 とにかく、ボールペンでひたすら和訳文を書いていく。そこで今どき大変重宝するのがネット検索。パソコンを開いてわからない単語はもちろん、今一つうまく訳せない時には文章を打ち込むと、なるほどね。おまけにネイティブの発音まで聞ける。 しかし、目的はこの物語を読み切りたいということだから、単語や熟語を覚える気はさらさらないし、英語のお勉強をするという向上心もない。その上、人に見せるためではないので、悪筆走り書きで私自身も読み返すことができないほど。しかし、面白いことにこの方法で和訳をしていくと、ストーリーはもちろん、リアルな映像として頭に残っていく。 そばぼうろ、かりんとう、ふがし さて、楽しみながらの和訳も、いかんせん目が遠くてそう長くはやっていられない。そんな時目に留まったのが「みすゞ飴(あめ)」。いわゆるゼリー菓子。長野の上田にお店があるのは知っていたが、先日、千曲のギャラリーに行った折に初めて買ってみた。 食べるというより、セロファン製の包み紙の色合いが良くて、私の身の回りにはない色合いだから、絵を描こうと思って買ってきた。それを一つ二つ、まずは描いてみた。それから口に入れてみた。「?!」 思っていたよりもいい感じのかみ応え、しかもそれほど甘くない。思っていたゼリーとはちょっと違った。そして、私はみすゞ飴にはまってしまった(茨城のスーパーでも売っているのを発見)。 「みすゞ」とは、「信濃」にかかる枕詞だそうで篠竹のことだそうだ。言葉の響きもいいし、「ゞ」という踊り字もかわいらしい。今度生まれてくる孫は女の子だそうだから、「みすゞ」ちゃんという名前はどうだろう。上田は向こうのお母さんの故郷でもあるし…。 新聞の記事によると、世間ではグミがはやりというが、私はみすゞ飴をひとつ口に入れて和訳再開。この小説の時代設定にも、寒天と水飴でできたみすゞ飴が似つかわしい。さて、果たしてこの本を読み切ることはできるのか…。というか、最近、そばぼうろとかかりんとう、ふがしなんか買ってしまうのは、年齢のせい? 来年につづく。(画家)

6年ぶりに常陸大宮で農村歌舞伎《邑から日本を見る》189

【コラム・先﨑千尋】少し古い話題だが、常陸大宮市で10月25日に行われた「西塩子(にししおご)の回り舞台」を紹介する。 西塩子地区は常陸大宮市にある山間部の小さな里山集落で、戸数は50戸ほど。戸数は減り、高齢化も進む。ここで、江戸時代から地域の娯楽として農閑期の田んぼなどで農村歌舞伎が演じられ、住民らに親しまれてきた。しかし1945年を最後に行われなくなり、道具類は地域の倉などに納められていた。 1991年、当時の大宮町歴史民俗資料館の石井聖子さんらが調査に入り、同地区の組立式舞台が江戸時代後期の文政年間のものと判明した。現存する日本最古の組立式農村歌舞伎舞台で、回り舞台もある本格的な舞台だ。現在は県の有形民俗文化財に指定されている。 舞台は公演後には解体されてしまう。94年に回り舞台保存会が結成された。97年に隣県の歌舞伎伝承者らに指導を仰ぎながら、半世紀ぶりに公演を復活させ、原則3年おきに公演が行われてきた。これまで、定期公演の他に「ふるさと歌舞伎フェスティバル」など多くの催しに出演し、「サントリー地域文化賞」などを受賞している。 前回の公演は2019年。その後、新型コロナウイルスの拡大が活動を直撃した。さらに保存会メンバーの高齢化による担い手不足や資金集めなど課題が重くのしかかり、延期が続いた。 伝統の灯は消えなかった しかし、地域文化の伝統の灯は消えなかった。「ふるさとの伝統文化をなんとか残さなくては」と、有志の市民や茨城大学の学生らでつくるNPO法人が支援の輪を広げ、6年ぶりの公演再開が決まった。昨年10月には再開を支援するためのシンポジウムも開かれた。クラウドファンディングも実施された。 真竹や木材約500本で組み立てられる舞台は、間口、奥行き20メートル、高さ7メートルで、壮麗なアーチ型が大きな特徴。地元の竹林から竹を切り出し、屋根は「いぼ結び」という独特の結び方を駆使して作られる。今回は、高齢化や人手不足により、建設業者やとび職人の手を借りて約1カ月かけて作られた。学生たちも竹の伐り出しや桟敷席の設営などの手伝いをした。 そうして迎えた公演当日。あいにくの小雨模様だったが、客席は満員。午前10時半から子ども歌舞伎を地元の大宮北小の3~4年生が、常磐津「子宝三番叟」と「白波五人男」の稲瀬川勢揃いの場面を演じた。午後は、友好関係にある栃木県那須烏山市の山あげ保存会芸能部会が歌舞伎舞踊「蛇姫様」を演じ、続いて、市内の常磐津伝承教室で小学生が学んだ常磐津「将門」を披露した。 トリを務めたのは、西塩子地区の若手住民と大宮北小の児童らでつくる地芝居一座「西若座」で、「太功記十段目 尼ヶ崎閑居の場」を演じた。観客から拍手や喝さいが沸き起こり、「おひねり」も飛びかった。 保存会の大貫孝夫会長は「高齢化が進み、復活へなかなかやる気が起きてこなかったが、多くの方々に後押しされ、歩み出せた。地域の宝を残すために今後も続けていきたい」と話している。この取り組みはNHKテレビの「小さな旅」でも、11月30日に「常陸大宮市〝西塩子の回り舞台〞復活に向け奮闘する人々の物語」として全国放映された。(元瓜連町長)